七転納豆

納豆と大豆。ときどきデパ地下。時には文書もくりひろげます。

アンテナショップとしては先進的な取り組みだったと記憶しています。

当時、アジアからのお客様が集中していた福岡に、インバウンドを意識したお店を作る。
しかも、秋田+青森+岩手の三県合同で出店する。
これって、将来の道州制導入を意識しての共同事業でもありました。
開業したのは平成11年=1999年ですから、もうずいぶん前のことになるんですね。。
その当時、一度は訪れたいと思ってましたけど。。その後(後略)。

そんな「みちのく夢プラザ」をやっと訪問することができました。
なんてったって、出張先の事務所のお隣がこちらのお店でしたから、ホテルチェックイン前とか、お昼休みとかでちょこちょこってお邪魔しちゃいまして。。
みちのく夢プラザ@福岡天神
さて、こちらが入り口なんですが。実は入り口は二方向にあって、こちらは裏側な感じのアーケード街方面の出入り口。
これって、やっぱり裏口なのかしら。

さて。。
中に入ると、こんな感じ。
平日の夕方でこのにぎわい@みちのく夢プラザ
すごいにぎわいです。
東京圏みたいに人口がダブついてるところならこういう風景って当たり前に思うかもしれませんが、地方都市で平日の夕方でこれだけのにぎわいって大変なものだと思います。。

品揃えはどうかっていうと、実は新味はぜんぜんなくって。。
なんかね、10年前のアンテナショップな品揃えのままなんです。どうなんでしょ。。福岡のお客様って、意外に舌が保守的なのでしょう。

たとえば、こちら。
品揃えはかなりクラシック
夏季限定でこちらの商品があるのはうれしいのですが、福岡だと、冷麺の需要は夏だけなのかしら?
冷やし中華は夏のものだけど、本来の冷麺は冬こそ御用達なんですけど。。

納豆商品も探してみたけど、置いてあったのはこちらだけ。
納豆はこれだけ
角館納豆の藁つと製品だけとは、なかなかの絞り込みです。

いえね。。
各県別に冷ケースと一般展示台が背中合わせに並んでるのですが、納豆を扱ってるのは秋田県コーナーだけなんです。

実は福岡って。。意外に納豆イーターですから、もうちょっと製品バリエを置いていいんでないかい。って思うんですが、いかがでしょうか?

いやいや驚きました。
まさか、仙囘犬杷柴Δ粒┐鮓るなんて思ってもいませんでした。

仙僂気鵝C里辰討泙垢茲諭
きゃんきゃんとか指月布袋画とか、もうほとんどゆるキャラな絵を描かれてた方。
で、今回は出光美術館で「仙冦藥拭廚覆襯灰譽ション展が開催されていて、その会場の一番最後にかざられていたのがこちらの作品。
仙僂涙載竸
こちらは、仙僂気鵑描いた絵じゃなくて、仙僂気鵑涅槃のモチーフになってる絵。そこに仙僂気鵑鮹羶瓦箸靴診鄲織汽蹈鵑凌諭垢描かれると同時に、画賛を寄せているわけです。

細かな解説はネットで調べてみてくださいね。

七転的に注目していただきたいのは、こちらの部分。
松か枝に垂れかけた納豆汁
松の木の枝からぶら下がっているものは、どう見たって藁つとです。

そして、その左に寄せられているのは、仙僂気鵑硫荵燭任后
ちょっと引用してみますね。
松か枝に
垂れかけたくそか
納豆汁

尾籠な表現でもうしわけありませんが、これは仙僂気鵑寄せた賛ですからお許しください。

間違いありません。
松の枝から下がっているのは納豆で、江戸末の博多では納豆及び納豆汁がちゃんと食べられていたことがわかります。

昭和初期の博多ではおきうと売りが納豆を売っていたことから、福岡の納豆は近代以降のものと思い込んでいたのですが、どうやらそれは間違いのようです。

これは、新発見です。

四谷にパフェを食べに行こうか。。
そういって、新宿から四谷方面へと散歩します。
二丁目の公園やら、御苑の散歩道、随縁の別館とか。。そぞろ歩きで何気に見かけた新宿丸正本店に。。ちょっと入ってみようか。

いえ、全然期待なんかしてなかったんですよ。
大衆スーパーで、残念ながら楽しい商品なんて見かけたことがないって印象のスーパーだったんですが(失礼)。。

それが、どうしたことでしょう。
入り口から、もう気配が違います。
ドレッシングよし。
調味料よし。
酒類よし。
お惣菜よし。
牛乳、ヨーグルトすごし。

これはもう納豆も見るしかないよね。。
納豆はどこにあるの?
日配は二階かな?

みつけました!
これはすごい。丸正新宿本店の納豆棚
これはもう圧巻というしかありません。
いったい、いつからこんなすてきなスーパーに変わってしまったのでしょう。。

上段には、私の愛する武田食品のラインナップがしっかり並びます。
青森武田納豆がしっかり
まる、大粒、ひきわり。
そして、あらま。麦入りのまるもあるじゃないですか。

中段には、山形の高畠。その下には群馬の下仁田。
山形高畠納豆に群馬下仁田納豆が
未食の納豆も多々ならびます。

そういえば、これもまだ食べてないですよね。
これも未食だ!からしも旨い
たれじゃなくて、からしに焦点をあてた新しい切り口の納豆なんですけどね。。

おや、これは?
浅間納豆が!
まいったなぁ、まさか都内で浅間納豆を見つけるなんて思ってもいませんでした。

これはもう、買うっきゃありませんよね。

午前中の打ち合わせを終えて。。午後からはどこで仕事をしようか?
なわけで、ちょっと遠いけどお台場の仕事場に向かってみました。

4階のワーキングプレイスで作業してると、いろんな人から声をかけられます。適度にざわついてる感じも悪くないです。煮詰まったら、ちょっと気分転換など。
夕方になったら、ちょっと一杯やってけよ。。なんて声もかけられて、楽しいね。これは。。

さて、ふた仕事くらい終えましたので帰りましょうか。
外はすっかり暗くなってました。
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たまには、お台場のスーパーも覗いてみようかな?
ここもかつての定点観測地点。
熊本の納豆なんかをよく見かけた場所です。
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あれれ?
この納豆、なんでしょう?

USMHでeatimeなる納豆なようです。
初めて見たぞ。
大阪いると、こういう細やかな情報がわからないんですよね。

天神での打ち合わせを終えて、空港移動までのフリータイムは15分。
なんでまぁ、いつもいつも時間がないんだか。

そんなわけで、今回は天神大丸に絞り込んでの納豆棚見学となりました。
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東京の保谷納豆がこんなにたくさんあるのは、ちょっとびっくりです。

それと、こちらのお豆腐屋さんでは、西日本では珍しいことに、納豆を扱っているんです。
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安心院の大豆を使った安心院納豆!
その名も力納豆。

いい感じでしょ。

話はふたたび高根沢町の年末に戻ります。
松迎えなる行事では、まずは大神宮様に納豆と粉餅を備え、それをいただいてから出かけるのだとか。

しかし、僕らの知っている門松とはちょっと違います。
長いですが、ちょっと引用しましょう。
正月の歳神様を迎えるためには、目印となりかつ歳神様が依りつく物が必要である。その目印として、あるいは依りつくものとして用いられるものに松の木がある。松迎えは二五日、あるいは二七日、三〇日とする所もあったが、多くは二八日に行なった。(中略)
立てる場所は、屋敷の門口と庭の中心であり、普通は二本対であるが、庭の中心には三本立てる家もあった。この門口や庭に立てる松を特に門松といった。他に母屋の出入り口である大戸口や門、蔵、厩、納屋、屋敷神、便所、井戸、あるいは母屋内部の各神棚や仏壇などにも松を飾った。

神を迎え、歳を迎えるということが農業にとって大変なことであったことがわかります。
そして、そこには餅と納豆が欠かせない物であったこともわかります。

引き続き、一月六日の山入りと一月十一日の鍬入りの消息を紹介させていただきます。

まずは山入り。
山入りは朝家の裏山へ行き、半紙に小さな角モチを二重ねと米を供え、前に幣束を付けた松の枝を立てる。所によっては、秋の方(恵方ともいう)の方向へ向いて、幣束をヤマの木に結びつけ、お供えとして半紙に角モチの端を切った三角のモチ・塩ビキ・納豆・米を供えた。その後、生木を五〜六本ナタで切り、家で燃やして角を割ったモチをその火で焼き、雑煮にして食べた。

家の裏山に入り、半紙に包んだ角餅と米を供える。あるいは納豆も供える。
山入で採集してきた生木で火をつくり雑煮を作る。
これって、あれですよね。神人共食の気配が濃厚に感じられます。

鍬入りがね、これまた面白い儀式なんです。
朝畑あるいは田へ行き、その年の良い方角といわれる秋の方の方向に向いて、奥から早稲・中稲・晩稲の順に三畝を鍬でさくって、手前に幣束の付いた松の枝を立てる。中稲と晩稲に見立ててさくった畝の間に半紙を置き、そこに左から早稲・中稲・晩稲に見立てた切りモチの角を割って小さくした三角のモチを二個づつ置く。次に二〜三センチメートルに切った塩ビキを一つずつ置く。さらに豆か小皿にのせた納豆をそれぞれ置き、最後に白米にした米を供えて、ひとかたまりにする。そして、カラスがどれを食べるかによって、その年の作付けを占ったという。

半紙に餅と塩引きと納豆と米を置く。
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早生、中稲、晩稲に見立てた三種のお供えを、どれを選んでカラスが食べるかでその年の作付けを占うという。。

餅と納豆じゃぁ、カラスは食べないから、たぶんそれで塩引きを入れたんだろうけど、でもお正月というものが農耕祭事の中でとても大事な位置付けがされていて、そこでは、お米や餅、納豆という食べ物が神饌として受け止められていることにあらためて気づかされます。

さて。
では、その五日納豆や七日納豆で仕込んだ納豆はどうやって食べたのでしょうか。

もちろん、お餅とあえて納豆餅として食べます。
餅つきには、柔らかいつきたての餅を、醤油をつけたり黄な粉をまぶしてあべかわにしたり、あんころ餅や納豆餅、大根おろしで食べるからみ餅などにしてその場でいただくという楽しみもあった。

でも、それだけじゃありません。

なんと、お節の定番メニューに使われるのだそうです。
よく聞かれるおせち料理には、ゴボウと人参のきんぴら、水羊羹、白南京豆のきんとん、昆布巻き、数の子、サガンボなど魚の煮付け、大根と人参のなます、お煮しめ、納豆大根、塩引サケの粕汁などがある。

わかります?
お節には「納豆大根」がなくてはならない一品なんだそうです。

それってどいう食べ物?

天日干しした角切りの大根と納豆を和えたものなんだそうです。
角切り大根は一・五センチメートルほどの賽の目に切り、カゴやムシロの上で天日干ししたもので、納豆に混ぜ、二、三日たってから食べた。

しかも、混ぜてから2〜3日置いてから食べるというのも興味深いところです。
上州の保存食文化の豊かさに恐れ入ってしまいます。

さて、歳が明けてお正月。
お雑煮、お節をいただくだけでなく、さまざまな行事が続きます。
米づくりの神への祈りは、米づくりの準備が進み、正月を向えられた気持ちの中で、まず行われた。
 一月六日の山入り、一月一一日の鍬入り、小正月の行事として一月一四日のアーボーヒエボー(粟穂・稗穂)、そして一五日のアズキガユ(小豆粥)がある。

この話、明日もまたお付き合いください。


追記)
角切りではありませんが、天日干しの大根と納豆を和えるといえば福島から茨城にかけて広がるしょぼろ納豆が思い出されます。
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これって、やっぱり類似の食べ物なんでしょうね。

伊達家正月膳の納豆汁のことなど調べていたんです。庶民の納豆汁と違って、大名家の納豆汁はたぶん利休の納豆汁に近いはずだから。
しかし、膳部のメニューとして納豆の名は記録されていますが、そのレシピが中々分かりません。こういうのは、直接文書に当たらないとわからないんですよね。報告書とかだとどうしたって省略されてしまいます。

そんな下調べをしていたところ、高根沢町史なるアーカイブに納豆の記述があるのを見つけました。
高根沢町史
栃木県中央部(西が宇都宮で東が烏山市)に位置する高根沢町の町史です。

まずは、年末年始における納豆作りを概観する説明を引用しましょう。
これが、なかなかおもしろいんですよ。

長いですけど、読んでみてください。
戦前は多くの家で納豆を作った。納豆作りは秋から春にかけて行なわれ、特に暮れの一二月二五日や二七日頃に行なった。二五日に仕込むものをセチナットウ、二七日のものをシチニチナットウ(七日納豆)などといった。納豆を作ることをナットウネセ(納豆寝せ)といった。
大豆を大量に煮ることから、味噌作りと一緒に行なう家もあった。まず、材料の大豆を大きな釜で柔らかくなるまで煮る。長さ六〇センチメートル程の大きな藁のツトッコを作り、五合の大豆を二、三本の藁とともに入れる。大豆を入れた藁ツトは、雨屋などのナットウバ(納豆場)で、湯をかけたコモやムシロを被せ、醗酵させた。二、三日寝かせると納豆になり食べることができた。
大豆の醗酵を促すための保温方法は家それぞれで、湯たんぽを入れたり、地面に穴を掘り叺に入れて埋けたり、地面の穴に熱い湯を注ぎ入れ充分温めてから藁を敷いた中に入れたり、木の葉をたくさん被せたりした。
 納豆の食べ方は、塩で味付けたり、納豆に大根の千切りを混ぜたりした。正月には餅にからんで納豆餅にした。また、納豆に塩をからんで天日に干し、ホシナットウ(干し納豆)を作った。干し納豆はご飯にかけたり、弁当のおかずにしたり、お茶請けにした。

当ブログでも何度か(いえ、しつこく)年末年始における納豆についてはお届けしてきました。
しかし、納豆と暮らしの結びつきをここまで濃厚に残しているところは少ないんじゃないでしょうか。

さて、重要なポイントを抜粋していきましょう。

・納豆作りは秋から春にかけて行われた。
新穀大豆の出回る秋になって納豆作りがはじまり、夏に至ると作らなかったということ。これはもう全国的に同様であることがわかっています。

・特に暮れの一二月二五日や二七日頃に
25日に仕込むのを節納豆。27日に仕込むのを7日納豆と言ったと。
新潟や仙台や全国各地で25日に納豆を仕込み、それを5日納豆と読んでいたことも報告済みですが、25日に仕込むのが本来であるということがこの表現の中に隠されているようです。

・長さ六〇センチメートル程の大きな藁のツトッコを作り
我々の見慣れてる藁つといえば長さ30センチくらいですが、この巨大さは、お正月だけのことなのでしょうか。
ですが。。
いまもふくふく納豆などは巨大なわらつと納豆を作っています。ひょっとしたら、これはもともとの地域の伝統を引き継いだ作り方ということなのかもしれません。

・五合の大豆を二、三本の藁とともに入れる
ヨメ、オット、結んだ藁など形態は様々ですが、茨城、新潟、山形、岩手など、あちこちの記録でこの習慣を確認することができます。

・雨屋などのナットウバ(納豆場)で、湯をかけたコモやムシロを被せ、醗酵させた
これもすごいですね。
雨屋という言葉は初めて聞きましたけど、たぶん屋内の土間の作業場のことを指すのでしょう。その土間に藁つとを積み、さらに湯をかけたコモやムシロを被せ保温をすると。
場合により土に穴を掘り、埋める。
この姿、矢部規矩治氏(世界で最初に納豆研究を始めた方です)が残された明治初期の東京の納豆屋さんの作り方によく似ています。

なんというか、納豆の作り方の典型的な姿をあらためて、ここに確認することができます。

さて。。
高根沢町史に見る納豆の姿を、これから何日かかけてもう少し紹介していきたいともいます。


関連記事・リンク)
ADEAC>高根沢町史民俗編
・明治27年の日本農業新誌に寄稿された矢部規矩治氏の報告です
明治27年の納豆作り 12.05.19
・新潟魚沼の大力納豆で五日納豆の納豆作りを教えていただきました
大力納豆 09.09.10

ざこばこと大阪中央市場の件ですが、場内各地に食堂があって、築地で言ったら場内食堂みたいなところもあって、そして管理棟の中にも食堂があることを報告させていただきました。
大阪中央市場
そう、その管理棟の中にある社員食堂なんですが。。

前回うかがったのほ日曜の午後遅く。営業してるわけがないじゃないですか。
でもね。。土曜日の昼ならやってるよね。
というわけで、さっそく行ってみました。
ざこばでランチ
こちらがその入り口。
セットメニューが紹介されてますけど、天丼680円。ミニ丼+うどんセットが500円。やっぱり安いなぁ。。来週末はステーキセットがあるけど、それでも800円ですから。

やっぱりうらやましいなぁ。

さらに中に入ると、実はアラカルトとで色々頼めるんです。
お造りが魅力
でね。。
何より気になったのはお造りの冷ケース。

さすが、ざこばだなぁと。。
そうやって感心したのでした。

当分、ここで遊べそうです。

さて、席をあらためて夜の部となりました。

何はともあれで、だだちゃ豆と納豆オムレツをいただきます。
もちろん酒田納豆使用のオムレツです
もちろん、納豆は酒田納豆。
この色白な納豆はもう見間違いしようがありません。

しかし、話は尽きません。
大豆の話。先代がもやしの製造をしていた話。酒田駅のしょいこさんの話など。秋田社長の話は話題を変え品を変え次から次へと続きます。
奥様との馴れ初めの話なんかも聞かされてしまいます。
酒田納豆こぼれ話
大学時代。ユースホステルが。旅行が。。まぁ、このくらいのお話は書いても良いでしょう。
ちなみに、社長の右側で腕がちょっぴり写っておられるのがその奥様。

話題が納豆汁の話になりました。
酒田では、お正月ではなく、12月9日の大黒さんの時に納豆汁をいただくのだとか。よそでは大黒さんの年越しとか、大黒さんのお正月言われる行事に近いのでしょうか。
その時に並ぶ料理はハタハタと味噌田楽と納豆汁。
雰囲気からして、かなり大事な催事行事であることがわかります。

この大黒様に加え、年越しの際にも納豆と納豆汁は欠かせないと言います。
もっとも五日納豆の習慣はないとのことですが。。

話題はそのまま加藤敬太郎商店の納豆汁の素の話に移ります。
これって、実は七転家の愛用品。
興味津々でお話をうかがいます。
これまた豆の話に始まって、12月は(行事食のせいもあり)超繁忙期で室は全部使い切らないと間に合わないとか、話は尽きません。

うちの納豆汁の素って納豆だけで味噌を入れてないんですよ。
手前味噌っていうくらいで、庄内では味噌を自家製で作ってるうちが多くて、納豆汁の素に味噌を入れてしまうとそれだけ味が変わってしまうじゃないですか。
それぞれの家の味を大事にしたいって僕は思っているんです。

そんなところにも、秋田社長の思いが込められています。

そうそう、だだ茶豆の登録商標の権利って加藤敬太郎商店でお持ちだと聞きましたが。。
ここからまた、秋田社長の話は止まりません。

長い長い夜はどこまでも続くのでした。
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