2005年05月21日

第三回 「AIGAMIX〜ヨーヨーが上手くなくてもええじゃないか〜」

65932b4b.jpg「相上達哉」。
やはりこの人を語らずしては誰も語れない。

彼とは出会いというものは無く、物心がついたときには遊んだりしていた。
しかし相上が中学にあがってからはあまり遊ばなくなっていった。そんな97年秋頃に相上がヨーヨーをやっているという情報を入手した。そして僕は早速連絡を取った。当時小学6年生の僕は電車に乗ってイベントに行くという、いわゆる行動派ではなく同級生と楽しく外でお遊び派だった。
そんな僕にとって相上はトライソフトは知ってるわ、理解不能だったバレルロールのやり方は知っているわで、若干すごいと思った。
そんな中年が明けて少ししてからうちの小学校に長谷川貴彦御一行が訪れた。アポを取ったのはもちろん相上。この時は長谷川貴彦、鈴木良一、新飯田光、永瀬巧、宮奥謙馬、今井森太郎、七田知世、斉藤立聖、等がいた。(ソバもいたかな?)
さすがに女の子がダブルループしていたのには感動した。
良一はレイオンバックやってたなぁ。
そんな刺激を与えられる原因となった相上にはちょっとだけ感謝している。
そして彼とは98年4月4日以来ずっと、ともに行動したといっても言い過ぎではない。98年9月某日神奈川は横須賀で結成されたOTHERSで残ったオリジナルメンバーは長谷川貴彦をを除いたら僕らだけなのだ。(ちなみに当時のOTHERSはTECや御殿場ピノキオだとかに比べたらチームとは言い難く、酷い有様だったと思う。本当にまとまりがあるのは仲のいい人たちだけで、「ノリ」のチームだった。今チームを作りたいって言う人がいると思うけど、僕らも同じような感じで結成されてここまで大きくなったんだから、チームを作ってモチベーションが上がるなら全然いいことだと思う。)
また相上がいたことでいろんな人たちと一夜を過ごすことができた。
今ではそれほどヨーヨーをやっていないが相上はヨーヨーが大好きなはずだ。(そうであってほしい)
来年は一緒に世界大会に行って何かやらかしたい。(AIGAMIX English ver.とかWorld Wideにね。)

ちなみにはっきりさせておくが僕はヨーヨーはできる方だ。相上とは一緒にしないでほしい。
そういや相上と良一って仲が良かったな。
さて今度は誰の話にしようかな。

今回の往生際の悪い一言
「小野君に「関根さん」と名づけたのは僕です、はい。ごめんね、小野君。」  
Posted by taiki_almacan at 04:44Comments(3)TrackBack(0)スピナー

2005年05月16日

第二回 「ALmcAn〜アルマカン〜」

others早くも二回目いきます。
今回は「アルマカン」です。
ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、アルマカンとは僕と相上達哉によるチームプレイだ。(注意していただきたいが、あくまでも漫才だとかではない。)

ではそんなアルマカンの始まりについて。
始まりは2000年12月26日に行われた「UTYJ Yo-Yo Competition vol.03」でのデュオプレイ部門である。
UTYJでは初の複人数での部門ができて、僕らは動いた。
「普通のデュオプレイをしても面白くないし、俺らでしかできないことをやろう。」
という初期衝動から一本のビデオ取り出した
「ハイパーヨーヨー テクニックビデオ プロスピナーズプログラム」
である。
このビデオに入っている中村名人のフリースタイル中に明らかに強調させて
「中村名人はステルスレイダーを使用している!」
と言っている。
無意識にその言葉は誰の耳にも残っていた。
そして僕は思いついた。
「YO CHECK(ヨーチェック/中村名人のテーマ)」
の上にビデオの音源を上乗せして、ウケだけを狙ったことをしようと。
曲を聴いた相上達哉はもちろん爆笑。満場一致で決定した。
大会当日。僕らはノリだけでディオプレイをやり遂げた。
結果、8組中2位。ジャッジシートにはパフォーマンスとオリジナリティがほぼ各ジャッジともに満点だった。難易度は最低とも言っていいほどだった。
これは僕らの思い通りだった。

これがアルマカンの始まりである。

そして今に至るわけだが今年でアルマカンは5年目を迎える。
アルマカンは前回も紹介したがヨー中(97年代)のためにやっているのである。
ヨーヨーは堅苦しく技ばっかり練習しても面白くないでしょ?


今回の往生際の悪い一言。
「アザーズVが優勝できたのは長谷川貴彦のではなく“僕の”おかげだ。」  
Posted by taiki_almacan at 04:44Comments(1)TrackBack(0)ネタ

2005年05月15日

第一回 「ヨーヨー中毒〜Yo-Yo Syndrome〜」

tgpどうも、今日から始まりました、『タイキの「THP-J」になりたかった青春時代』です。
じゃんじゃん、コラム的なものを書いていこうと思います。

というわけで今回はヨーヨー中毒者(以下:ヨー中)についてです。

ヨー中とは、97年世代からずっとヨーヨーやってる人たちのことを勝手に言ってます。
そんなヨー中になるきっかけが中村謙一名人とアレックス・ガルシアなわけです。初めてみたときの脳の深いところから出たアドレナリンの量は半端じゃなかったと思う。(正直、チャンプキャラバンでケーシー・コダマが来たときは若干テンション下がった。)
僕にとって初めてのスピナー仲間は美少年スピナー宮奥謙馬だ。(アイガミを除いて)その次くらいに松岡謙太だ。荒牧淳と梅原政貴と田村佳之が同じ時期くらいに知り合ったんだな。実に恵まれた出会いだ。何より伴将史の存在は大きかったなぁ。
というわけで、そんな97年世代がいなかったらヨーヨーやめてたな。
ヨー中のみんなこれからもだらだら続けよう!
(僕のスピナー出会い話はまた今度じっくりしようと思います。)

話は変わってちゃんとした話。
僕は自称ヨーヨー界のパイオニア。
今や2Aプレイヤーには欠かせなくなったナイロンスペサーを普及させたのは僕だ。多分。
僕は98年の初頭に金属スペーサーになる前のレイダーを買った。そのときに出会ったのがナイスペである。僕はそのナイスペをファイヤーボールに入れ(その頃のファイヤーボールの軸は今とは違い金属ベアリングがそのまま入った。)使ってみたところループがやりやすかったためナイスペ集めを始めた。
そして、いい人が現れた。なんと金属スペーサーとナイロンスペーサーを交換してくれるのだ!その人物は松岡謙太だった。それがきかっけでかなり仲良くなった。でナイスペを使い始めて何ヶ月か経ったとき梅原政貴にヨーヨーを貸したところ
「やりやすい!デモで使うから貸して!」
と言われしぶしぶ貸した。彼がナイスペをこよなく愛していたのは僕の責任でもあるわけだ。
それから年が明けて99年1月某日。新宿に嶋崎仁哉やってきた。(彼は中村名人のランチショーのために東京に来ていた)
そのときに僕は松岡謙太と一緒にトライソフトに連れて行きナイスペの入っているレイダーを探して彼に買わせた。6個のお買い上げだった。
それからというものTHP-Jの間ではナイスペが充満していた。
これが今のナイスペの始まりである。(多分)
まさに僕はヨーヨー界のパイオニアだ。(自称)


こんな感じでコラムを書いていきます。
何かリクエストや質問してくれれば何でも答えるのでジャンジャン投稿してください。局地ネタは東京周辺しかわかりませんのであしからず。

ではまた次回。

今回の往生際の悪い一言
「TGPヨーヨーは主にメンバー限定ですよー。」
  
Posted by taiki_almacan at 04:44Comments(0)TrackBack(0)ヨーヨー