先日、100日の荒行を共に過ごした仲間達との懇親会がありました。
約1年振りの再会でしたが、修行当時の話に花が咲いて楽しい時間を過ごすことができました。
私が最後に入ったのは平成20年度ですから約10年前になります。
今思い返してみるとよく体力がもったなと思いますね。
朝3時から水行がはじまりまして6時、9時、12時、15時、18時、23時と一日七回の水行があり、水行の間はひたすら法華経を読誦したり写経などの修行があり、食事は朝晩の2回でもちろん精進料理です。
100日間素足で過ごし麻の衣だけですから寒さと飢えの闘いでもあります。
この苦修錬行を乗り越えた者にだけ修法師(しゅほっし)としての資格が与えられ、檀家さんや信者さんに御祈祷を施すことができるわけであります。
御祈祷をするに際して大事なことは自分がしているという意識をなくすことです。
あくまでも御利益を施すのは神仏であり、修法師は自分の体を通して神仏の道具としての役割を果たすだけという無欲にならなければなりません。
そのための修行が100日の荒行であり、さらに大事なことは普段の私生活から実践していなくてはいけないことです。
自分がしてやっているのではなく、させていただいているという道具意識が大事ということになります。


懇親会の前に皇居に散歩してきました。
天気も良く四つ葉のクローバーも見つかりラッキ-でした。
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先日テレビを見ていたときに、ある医師の方が癌になってどのように克服していったかのドキュメント番組をしていました。
その医師は癌治療の名医らしく、たくさんの著書も書かれていてその世界の第一人者だったのですが、ご自身が癌になって今まで患者さんにアドバイスしていたにもかかわらず、パニックになってしまい、どのようにしたらいいかわからなくなって自分を見失ってしまったそうです。
その不安な状態を救ったのが家族の支えであり、なんとか癌を克服して元気になられたのですが、改めて人というのは自分を客観的にみる作業が難しいのだなと感じました。
その他の医師の方も取材していましたが、ほとんどの医師がいざ自分が癌になるとパニックになりやすいとのことでした。
私も人に仏の教えを説く立場ですが、実際に日常生活で実践できているかといえばできていない部分が多いと思いますし、人は相手はよくみえますが自分のことはほとんど分析できていないのではないかと思います。
この自分を客観的にみる事を内観ともいいますが、普段なにもないときからこの訓練をしておかないと、いざなにか事が起きたときに自分を見失ってしまう可能性もあります。
これは生きているときだけではなく、死んであの世に行ったあともこの内観という作業を続けて、自分の生きていたときの生き様を見つめ直さなければならないといわれています。
自分の良いところは分析できますが、弱点を分析することは嫌なことでもありますね。
でもそこを認めて謙虚になれば偽りの強さではなく、真の強さを身につけることができるかもしれません。

裏の多摩川の土手を散歩していたらつくしを見つけました。
テントウ虫も2匹見つけて春の訪れをしらせてくれているようでした。
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今年も去年に続き伊勢原市の大山に行ってきました。
去年は天気も良く頂上まで気持ちよく登ることができたのですが、今年は雨で山には登ることが出来ず、ケ-ブルカ-で途中までの参拝となりました。
前日の天気予報では朝には止むとのことだったのですが、お昼になっても止む気配がなかったので無理はしないでまた改めて登りたいと思います。
ここ大山は私にとっては大事な所で、まだ20代の頃には滝行を約1年間しましたし、個人的に修行も沢山した思い出深い場所の一つです。
七面山と同じくらいのご縁のあるところで、修行の師匠と思っています。
最近運動不足なので少し鍛えて登ったほうがいいかもです(笑)
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