kっかっか【オピニオン】アラブにジョージ・ワシントンはいるのか

ブレット・スティーブンス

英国王ジョージ3世は、後に米初代大統領となるジョージ・ワシントンが、ヨークタウンの戦いで勝利を収めた後、マウントバーノンの農場に隠遁するつもりだったと知り、画家のベンジャミン・ウエストにこう言った。「もし本当にそうしたら、彼は世界で最も偉大な男だ」。ジョージ3世は後年、乱心することにはなったものの、権力の誘惑については多少なりとも分かっていた。
 

 われわれは今日、ジョージ・ワシントンを最も偉大な建国の父として称賛している。しかし、彼がなぜ生涯を通じて名声を得たかと言うと、強大な権力を幾度となく与えられ、意のままとなったにもかかわらず、それに固執しなかったところが大きい。革命というものは、自由と専制、つまり喜びと恐怖の距離が概して近く、その革命の歴史上、ワシントンのような人物は珍しい。フランス革命は人権宣言で始まったが、もう少しでその権利を消滅させて終わるところだった。

 現在、アラブ世界を席巻している暴動は、そのおなじみの弧を再び描く危険性がある。先月のカイロのタハリール広場の抗議行動にまつわる皮肉な話を考えてみる。この広場は、腐敗はしていたものの寛容だったエジプト君主制が1952年に覆されるまで、西欧化に熱心だった19世紀のエジプト総督イスマイル・パシャにちなみ、Midan El-Ismailiya(イスマイル広場)の名で知られていた。しかし、ガマル・アブデル・ナセルによる1952年のクーデター以降、タハリール(解放)広場となり、民主主義の約束で華々しく始まったもうひとつの悲惨な革命の舞台となった。

 今回は従来の革命と違う、と言われている。先月、タハリール広場でデモ隊の集結が始まった日の翌日、エジプト人の友人――彼は世俗野党に近い独立派の元議員だ――は、今回は「『パパ』のいない革命」だと述べ、その違いを説明した。ナセルも、ベン・ベラ(アルジェリアの元大統領)も、アラファトもいない。長年否定され続けてきた市民権と政治的権利を求めたのは、数百万人の普通の人々だった。

 私は友人が正しいと思いたい。しかし、ネットワークでつながり、水平で、自然発生的に組織可能なフェイスブックやツイッターの時代にあって、大衆的な政治思想には事欠かない。信頼すべきリーダーや有効な政党は、もはや必要ない。「ピープル・パワー3.0」のインストール・ボタンをクリックするだけで、プログラムは自動的に動き出す。

 しかし、テクノロジーが人間の性質を変えるまで、人間の性質は従来通り、変わらないだろう。人間の性質上、指導者の不在は敬遠される。革命が成功する時、それは『パパ』がいないからというわけではない。良い『パパ』がいるからなのだ。革命的成功は、ワシントンやマンデラとともにあった。彼らは、苦労して、比類なき道徳的権限の持ち主となり、正しい価値に染まった。彼らは、敵を打ち負かすだけでなく、追随する者の感情も落ち着かせることができる。

 このようなリーダーが革命にいない場合、どうなるのか。フランス革命はケース1だ。ケース2は、2005年のレバノンの「杉の革命」かもしれない。この革命は、カリスマ性を持つラフィク・ハリリ元首相の暗殺が引き金となった。数百万人のレバノン市民が3月14日、ベイルートのMartyrs’ Squareに押し寄せ、シリア軍撤退を要求した。シリアはやむを得ず受け入れる。選挙の結果、親西側グループが過半数の議席を勝ち取った。レバノンは好ましい方向で落ち着いたようだった。

 その年の5月、私はこの目で状況を確かめるためレバノンに行った。当時、私はこう書いていた。「行く先々で印象的だったのは、人々が失われた時間を取り戻そうと一生懸命で、二度と過激主義に引きずられまいと決意していたことだった。彼らはこう思っている。ついに、恐怖に苛まれることなく、この国を新しくするのは、ヒズボラではなくこのレバノン人なのだ」と。

 今、これを読み返した後、依然ヒズボラが政府に大きな影響を及ぼしていることや、3月14日の運動の指導者らが殺害されたり、政治的に無力化されたりしたことを考えると、身が縮む思いだ。

 しかし、それは、今エジプトで祝福されている「市民の力」というべきものの限界を知るうえで、有難い教訓でもある。「市民の力」だけでは敵の政権に反対し、打倒するには十分ではない。アラブ世界が今、より自由な代表型の政治体制を求めているという意味においては少なくとも、「市民の力」だけでは足りないのだ。求められるのは、漠然とした政治の夢に具体的な形を与える「政治的手法」なのだ。

 おそらく、エジプトのグーグル幹部ワエル・ゴニム氏の人気が示すように、「政治的手法」なるものがふと、まともな方面から現れると信じればいいのかもしれない。だが、政治のおきまりの問題だが、善良な人は大体、政治的野心に欠けている。彼らは、ペテン師やロマンチスト、悪党達に譲ってしまう。

 アメリカ人が中東で今起きていることに目を向ければ、デモ隊に共感を覚えるのは当然だ。抑圧された市民がより良い生活を求めて起こした行動であれば、市民を考えるまともな政権になる、と考えるのも不思議ではない。そしておそらく、それは本当だとわかるだろう。

 しかし、フランスのロベスピエールではなく、エジプトのナセルでもなく、ジョージ・ワシントンがいたおかげでアメリカの革命の歴史が例外的なものとなったのもまた真実だ。われわれが現在の中東情勢を楽観的に、かつ、前向きに見ることができるのは、今日のアラブ人のおかげだ。彼らには、われわれの革命の教訓を生かす責務がある。

(筆者のブレット・スティーブンスは、ウォール・ストリート・ジャーナル「グローバル・ビュー」コラム担当のコラムニスト)

http://jp.wsj.com/Opinions/Opinion/node_190596

ウォール・ストリート・ジャーナル記事ですがなかなか良い部分です。
確かにジャスミン革命においてはまだジョージ・ワシントンのような
人物がいなのも現実でネットが原動力の今回のジャスミン革命では
カリスマがある指導者がいないのも現実ですね。
「歴史が繰り返す」この言葉が何を意味するのか考える必要が
あります。