残虐な人権侵害−決して見逃さない

個人の尊厳と基本的自由をまもり 世界のリーダーたちに、行動を よびかけるために時代の目撃者として 人権と報道の自由を訴えてる ための情報発信をしていきます。 ヘイトスピーチに反対します。 個人の人権が尊重される寛容な社会を目指します。 (東アジア報道と人権ネットワーク・East Asia report Human Rights Network 公式サイト)

ドイツ

安倍総理も少しは見習っては?? メルケル独首相が訪中時に人権派弁護士の妻らと会見

訪中のメルケル独首相、人権派弁護士の妻らと面会

D53563E9-5CF3-4227-AA1C-4431ED34BE84 24、25日に訪中したドイツメルケル首相が、拘束されている中国の人権派弁護士の妻2人と24日夜に北京で面会していた。人権を重視するメルケル政権の姿勢を示した形で、ドイツへの出国を希望している、ノーベル平和賞受賞者の人権活動家故劉暁波(リウシアオポー)氏の妻、劉霞(リウシア)氏(57)の処遇にも注目が集まりそうだ。

 メルケル氏は過去の訪中で人権活動家らと面会してきた。ドイツ政府は今回は予定はないとしていたが、面会した1人は、2015年7月の人権派弁護士らの一斉拘束事件で逮捕され、唯一拘束が続いている王全璋弁護士(42)の妻、李文足さん(33)。もう1人は、今年1月に政治改革を求める公開書簡を発表して拘束され、4月に国家政権転覆扇動などの容疑で逮捕された余文生弁護士(50)の妻、許艶さん(35)。

 李さんと許さんの説明によると、2人はメルケル氏の関心に感謝し、今後の支援などを要請。メルケル氏は両弁護士の現状と家族の境遇を心配したという。

 ログイン前の続きメルケル氏は今回、習近平(シーチンピン)国家主席李克強(リーコーチアン)首相らと会談。劉霞氏の出国問題を議論したかは明かされていないが、24日の記者会見で質問を受けた李首相は「法に基づく司法部門の措置を尊重しつつ、人道主義に基づいてドイツと対話を続けていく。個別のケースでは互いを尊重し、平等な立場で対話したい」と述べ、ドイツ政府と協議する姿勢を示した。中国が個別の人権問題で外国との対話に応じる姿勢を見せるのは異例だ。(北京=延与光貞)

 https://digital.asahi.com/articles/ASL5V519QL5VUHBI010.html?rm=426

【コメント】
ドイツのメルケル首相は以前から気になって中国の人権に熱心に
発言しています。チベット問題でも中国の国家主席に
強い懸念を伝えています。訪中時に弾圧された人権派弁護士らと
会見しました。我が国の安倍晋三総理も少しは見習って
欲しいですね、我が国の総理の情けさを感じます。
 

最後のナチス戦犯「アウシュビッツの筆記係」が死去する

「アウシュビッツの簿記係」死亡 グレーニング被告、96歳

「アウシュビッツの簿記係」死亡 グレーニング被告、96歳
ドイツ・リューネブルクの裁判所で、弁護士と救急隊員らに支えられて出廷したオスカー・グレーニング被告(中央、2015年7月15日撮影、資料写真)。(c)AFP PHOTO / TOBIAS SCHWARZ

【3月13日 AFP】ナチス・ドイツ(Nazi)親衛隊(SS)の元隊員で、「アウシュビッツの簿記係(Bookkeeper of Auschwitz)」と呼ばれたオスカー・グレーニング(Oskar Groening)被告が死亡した。96歳。現地メディアが12日、伝えた。同被告は約3年前、戦時中の殺人幇助(ほうじょ)罪で禁錮4年を言い渡されていた。

 ドイツ北部ハノーバー(Hanover)の検察当局はAFPに対し、グレーニング被告の弁護士から同被告の死亡連絡は受けたが、公式確認は取れていないと明かした。

 グレーニング被告はアウシュビッツ強制収容所で簿記係を担当。殺害されたり強制労働を科されたりした収容者から没収した金銭の仕分けや集計を行い、その後在ベルリンのナチス上層部へ送金していた。

 2015年7月、同収容所で犠牲となった30万人の殺人幇助罪で禁錮4年の有罪判決を受けていた。

 昨年8月には、適切な介護や医療を受ければ受刑に耐え得るとの診断結果が医師により出されたものの、結局一度も収監されることはなかった。(c)AFP

 http://www.afpbb.com/articles/-/3167097?pid=19930719

【コメント】
以前、このナチス最後の戦犯である。元親衛隊隊員のたオスカー・グレーニング被告の
有罪宣告の記事を紹介しましたがこの被告が収監されず死去しました。
事実上、最後のナチス戦犯裁判と戦争犯罪人でした。ただ今後も同様な
記事があれば紹介します。
 

ドイツ情報機関が明らかにする在ベルリン北朝鮮大使館を使っての核兵器情報入手活動

北朝鮮、在ベルリン大使館通じて核技術を入手 ドイツ情報機関

ドイツ・ベルリンにある北朝鮮大使館

F9160D5E-B687-4E23-8F3F-8BEA85E10CDD(CNN) ドイツの情報機関、連邦憲法擁護庁のマーセン長官は、北朝鮮が在ベルリン大使館を通じて核兵器開発に関する技術を入手していたとの見方を明らかにした。

マーセン長官はCNN系列局のARDに対し、「我々は、兵器調達があそこ(在ベルリン北朝鮮大使館)から行われていたと断定した。我々の見方では、狙いはミサイル開発や、一部は核開発にあった」と語った。

ARDは北朝鮮のミサイル開発についてのドキュメンタリー番組を5日に放送予定。放送前のプレスリリースの中でマーセン長官は「発見すれば阻止するが、常に防止できるという保証はない」と述べている。

マーセン長官によると、北朝鮮は密売人や海外の闇市場を通じて入手した兵器の部品を、ドイツで購入していたと思われる。調達していたのは、民生用にも軍事用にも利用可能な両用部品が多数を占めていた。

ドキュメンタリー番組によると、ドイツ当局は、調達した部品が2016年から17年にかけて北朝鮮のミサイルに使われていた証拠を入手した。14年には北朝鮮の外交官が、化学兵器製造の過程でガス放出量を測定するための装置を入手しようとしたという。

国連は、北朝鮮が国際制裁に違反して、禁輸品の輸出によって昨年1年間で約2億ドルを稼いだと指摘している。

国際社会は北朝鮮に対する制裁を強めているが、国連によれば、北朝鮮は世界石油供給チェーンの悪用や外国人との共謀、オフショア企業の利用、国際金融システムの悪用などを通じて制裁をすり抜けているとされる。

 https://www.cnn.co.jp/world/35114216.html

【コメント】
以前から北朝鮮の核兵器やICBMの急激な技術進歩が
問題になっていますがロシアや中国やパキスタンやシリア
等の国の関与が囁かれていますがドイツ情報機関が明らかにした
今回の外交公館を使った北朝鮮の活動は以前から指摘がされていますが
情報機関トップがメディアで公表するのは非常に興味深いと思います。


ナチス戦犯「死の医師」に20年目の死亡宣告がなされる

aribert_heim_jpeg_crop_displayナチス大物戦犯「死の医師」 20年前の死亡認定 

 ドイツの裁判所は23日までに、第2次大戦中にナチス・ドイツの強制収容所で収容者に対する人体実験を繰り返し「死の医師」と恐れられたナチスの大物戦犯、アリベルト・ハイム容疑者が1992年に潜伏先のエジプト・カイロで死亡していたと認定、訴追手続きを中止したと発表した。

 ハイム容疑者は、ユダヤ系団体が長年、所在を捜してきた最も有名なナチス戦犯の一人。ドイツ司法当局は容疑者の息子や弁護士から証言や書類を入手し、同国南西部バーデンバーデンの裁判所が21日、死亡は「疑いない」と表明した。潜伏中、イスラム教に改宗していたという。

 ハイム容疑者は14年にオーストリアで生まれ、大戦中はナチス親衛隊の医師として勤務。同国の強制収容所で、収容者の心臓にガソリンや毒物を注射するなどの方法で多くを殺害した。戦後、バーデンバーデンに移り、62年に逃亡した。

 ハイム容疑者をめぐっては2009年、ドイツと米国のメディアがカイロで92年に78歳で病死していたと報じた。ただし、遺体が見つからなかったことなども背景に、司法当局は独自で調査を進めていた。(共同)

2012年9月23日 10:05

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/09/23/kiji/K20120923004177160.html

このブログでも取り上げていますがナチスの戦犯問題です。「死の医師」と恐れられたナチスの大物戦犯、アリベルト・ハイム容疑者の死亡に対する論争に一定に結論が出ました。
法の裁きはなされていません。アリベルト・ハイム容疑者の紹介です。

アリベルト・ハイム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

アリベルト・ハイム(Aribert Heim、1914年6月28日 - 1992年8月10日)は、オーストリア医師である。親衛隊大尉マウトハウゼン強制収容所に収容されたユダヤ人に対して人体実験を行い「死の医師」と言われる。戦後、その死まで逮捕されなかったナチ逃亡戦犯の一人である。

略歴 [編集]

1914年、オーストリアのバート・ラドケルスブルク(Bad Radkersburg)で生まれる。ウィーンで医師として働きながら、1935年オーストリア・ナチスに入党。1938年アンシュルス後、SSに入隊した。

1941年11月、マウトハウゼン強制収容所に収容所医師として赴任。同収容所で、SSの薬剤師であるエーリヒ・ヴァシッキィ医師(Erich Wasicky)と共にユダヤ人収容者の心臓に溶液ガソリン、毒を注入するなどの人体実験を繰り返していた。1942年に収容所での勤務から第6SS山岳師団の軍医としてフィンランドの戦線や西部戦線で従軍した後、1945年5月にアメリカ軍の捕虜となり、捕虜収容所に入れられたが、他の捕虜と共に解放されている。

1961年、西ドイツ当局はハイムがバーデン・バーデンで婦人科の医師として生活しており、収容所における彼の行為を調査すると発表、翌年9月に逮捕に踏み切ったが、即にハイムは逃亡していた。

ハイムは、フランススペインを経由してモロッコに逃亡し、「フェルディナント・ハイム」という偽名を用いてエジプトに入国し、カイロに定住したと見られる。カイロでは、地元のカフル・アル=マディーナ・ホテルで10年間働いていた。

1976年には同ホテルで息子ルーディガーと面会する。その後、何回か父のもとを訪れたという。息子は父が犯した罪について「当時は知らなかった」と述べている。

エジプトでの彼は、住居は持たずもっぱらホテルで生活していたとされる。カイロ滞在中は政治活動は一切行わなかったが、イスラエルに住むユダヤ人がセム系では無いことを証明する研究をしていたと、彼を知るエジプト人の知人が語っている。

近況 [編集]

2009年2月4日、ドイツの公共放送「ZDF」と米紙「ニューヨーク・タイムズ」の共同調査により、ハイムのパスポートや銀行通帳など100以上の文章をハイムの所有していた書類カバンから発見し、彼が1992年に死亡していたこと、イスラム教に改宗して、名前をターリク・フセイン・ファリードと改名していたことなどが判明した。

イスラム教に改宗した理由について、アル=アハラーム政治戦略研究所のイマード・ガド研究員は「(ナーセルの死、イスラエルとの和平等によって)エジプト政府の後ろ盾は失われたと感じ、ナチとして生活するのではなく地域社会に溶け込むことを選択した」と推測している。

20年前からハイムと親交のあったエジプト人歯科医の息子の話によると、ハイムは腸の癌により死亡し、カイロにある貧民層向けの墓地に葬られたが、現在その墓地は、都市再開発のために取り壊され、ハイムの亡骸は確認できないだろうと述べている。息子であるルーディガーも1990年にハイムのもとを訪れた際、父が癌を患っていたのは知っていたと述べている。

サイモン・ヴィーゼンタール・センター代表のエフライム・ズローフは、当初ハイムがエジプトでは無く南米に逃亡していたものと推測され、またその存在が忘れ去られていたため、ハイムの逮捕が実行されなかったと語った。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%A0

忘れさられたナチスのホロコーストに光を

K10050133611_1205100551_1205100555_01ナチスが殺害した障害者を追悼


5月10日
5時52分

オーストリアのウィーンで、第2次世界大戦中にナチスドイツによって組織的に殺害された障害者らを追悼する式典が10年ぶりに行われ、新たに身元が判明した60人余りの犠牲者の遺灰が慰霊碑に納められました。

オーストリアの首都ウィーンでは、9日、ナチスドイツに殺害された障害者を追悼する慰霊式が10年ぶりに行われ、フィッシャー大統領ら170人余りが出席しました。ナチスドイツは第2次世界大戦中、障害者らを組織的に殺害する計画を進め、およそ7万人が施設に送られて命を落とし、このうちオーストリアでは1万8000人余りが犠牲となりました。
式典では障害者が施設に送られて亡くなるまでの状況を記した当時の診断書が読み上げられ、出席者の中には目頭を押さえる人もいました。
そして、この10年間に病院で標本にされているのが見つかり、その後、身元が判明した60人余りの犠牲者の遺灰が入った容器が、出席者が見守るなか、名前が刻まれた慰霊碑に納められました。
当時、施設に送られたものの、生き延びた83歳の男性は、「今も子どもの死体が運び出される光景が忘れられません」と話していました。
オーストリアでは、高校生らを対象にナチス時代の出来事を学ぶ課外授業が行われるなど、戦後67年を迎えた今も負の歴史と向き合い過去を清算する取り組みが進められています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120510/k10015013361000.html

ナチス殺人計画の死者墓地に埋葬 ウィーンで人体実験の犠牲者

【ウィーン共同】第2次大戦中、ナチス・ドイツに組み込まれたオーストリアのウィーンで9日、ナチスの人体実験などの犠牲となった知的障害者や身体障害者ら61人の遺灰が約70年ぶりに墓地に埋葬された。ナチスは障害者を「生きるに値しない生命」と呼び、組織的に殺害する「安楽死計画」を推進、医師も積極関与していた。

 ナチスは健康で理想的な社会をつくるために劣った人々を排除するとして、障害者らを施設に送り、1940〜41年だけでも約7万人をガス室などで殺した。

 ウィーンでも郊外の病院に幼児から高齢者までが収容され、餓死などで命を落とした。

2012/05/10 10:07    【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201205/CN2012051001000951.html

ナチスのユダヤ人に対するホロコーストは良く知られていますが
それ以外のナチスのホロコーストはあまり知られていません。
ロマやドイツ人に対するホロコーストはやっと最近、指摘されるように
なってきました。ナチハンターとして有名なS・ヴィーゼンタール回顧録
を読んでいてもほとんど触れれていません。その意味で今回の
式典は非常に意味があると思います。

ナチ犯罪人を追う―S・ヴィーゼンタール回顧録
ナチ犯罪人を追う―S・ヴィーゼンタール回顧録
クチコミを見る


ナチスの亡霊に怯えるヨーロッパ

20120331at07eヒトラー両親の墓石撤去=ネオナチ巡礼に対抗−オーストリア

 【ベルリン時事】オーストリア北部レオンディングで30日までに、ナチス・ドイツ総統ヒトラーの両親の墓石が撤去された。クリア紙などによると、「聖地」として巡礼するネオナチが後を絶たないため、ヒトラーの親族の一人が撤去を決めた。
 ヒトラーの父アロイスと母クララの墓には昨年、ナチス親衛隊のマークが描かれた花瓶が供えられたこともあり、反ファシズム団体は墓の撤去を求めていた。ブルンナー市長は「良い解決策だ」と歓迎した。
(2012/03/31-13:02)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012033100098

ヒトラー両親の墓石撤去 ネオナチの巡礼阻止

 オーストリア中部レオンディング市にあったナチス・ドイツ総統ヒトラー(1889〜1945年)の両親の墓石が30日までに撤去された。ブルンナー市長によると、ネオナチが定期的に墓を訪れており、巡礼地になるのを避けたいと一族の関係者が撤去を決めたという。欧米メディアが伝えた。

 墓はいずれも1900年代初めに死亡したヒトラーの父アロイスと母クララのもので、墓石は28日に取り除かれた。昨年秋には墓前にナチス親衛隊のマークが記された花瓶が置かれるなど物議を醸してきた。

 ヒトラーはオーストリア中部ブラウナウで生まれ、幼少の一時期を両親と共にレオンディングで過ごした。市長は今回の決定について「満足している」と述べた。

 昨年7月には、ドイツ南部の町にあったナチスのルドルフ・ヘス元副総統の墓が、ネオナチの巡礼地化を阻止するために撤去された。(共同)

[ 2012年3月30日 21:48 ]
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/03/30/kiji/K20120330002943030.html

戦争が終わり、67年も経ちますが未だにヨーロッパはナチスの亡霊に
取りつかれています。フランスでのユダヤ人虐殺事件もそうですが
未だにヨーロッパには反ユダヤ主義やネオナチ主義が根源に
あります。この考えはこれからも数百年と続きますね。
今回の事件もそれに由来しますね。

人道に対する罪を犯したナチ戦犯を地の果てまで追いかけるナチハンター

ナチ戦争犯罪人を追え
ナチ戦争犯罪人を追え
クチコミを見る
新刊の紹介ですが「ナチ戦争犯罪人を追え」です。
内容(「BOOK」データベースより)

「ナチ・ハンター」による、執念の追跡劇の真相。ユダヤ人殲滅作戦の実行者アイヒマン、「死の天使」メンゲレ、収容所所長シュタングル、「リガの絞首人」ツクルス。冷戦時代の裏面で繰り広げられた、欧州から南米に及ぶ捜索の全容を、手に汗握る筆致で描く。

なかなか読み応えがある本でした。現在ナチ戦犯は大半が鬼籍に入ってしまっています。
しかし、第二次世界大戦後、世界各地に逃亡したナチ戦犯を地道に追い続けた
ナチハンターの記録です。現在、私たちは北朝鮮の人道犯罪の止めること
人道に対する罪を告発をする活動をしていますが参考になる一冊だと思います。

ナチス戦犯の最後の大物が死去

ナチス強制収容所元看守、デミャニューク被告が死去 91歳

2012年03月18日 12:20 発信地:ベルリン/ドイツ
K10037994011_1203181005_1203181009_01【3月18日 AFP】第2次世界大戦中にナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所で看守を務め、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)に関連する裁判で昨年、有罪判決を受けていたジョン・デミャニューク(John Demjanjuk)被告が、ドイツ南部の老人介護施設で死去した。91歳。警察当局が17日、発表した。ホロコーストに関連する最後の裁判の1つだった。

 デミャニューク被告はウクライナ出身。ミュンヘン(Munich)の裁判所は昨年5月、ポーランドのソビブル(Sobibor)にある強制収容所で看守を務めた1943年の6か月の間に2万7000人以上を殺害した共犯の罪で、同被告に禁錮5年の有罪判決を言い渡していた。判決を受け、すでに2年間勾留されていたとしてデミャニューク被告側が控訴し、裁判所は被告を釈放していた。

 バイエルン(Bavaria)州警察当局によると、デミャニューク被告はBad Feilnbachの老人介護施設で死亡した。死因については、所定の調査が行われるという。(c)AFP/Yannick Pasquet

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2866071/8659914

ナチスの強制収容所の看守が死去


第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの強制収容所の看守として、およそ2万8000人に上るユダヤ人の虐殺に関わった罪に問われていた、ジョン・デミヤニューク被告が、91歳で死去しました。

ジョン・デミヤニューク被告は、ウクライナ生まれの旧ソビエト軍兵士で、第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの協力者となり、強制収容所の看守として、およそ2万8000人に上るユダヤ人の虐殺に関わった罪に問われていました。
ドイツの警察によりますと、デミヤニューク被告は、17日、南部にあるローゼンハイム近郊の老人養護施設で、91歳で死去したということです。
デミヤニューク被告は、戦後アメリカに移住し、1988年にはイスラエルの裁判所から、別の収容所での虐殺に関与したとして死刑判決を言い渡されましたが、その後、これを覆す証拠が見つかったことから、一転、無罪となりました。
しかし、2009年3月に、およそ2万8000人に上る虐殺に関わった容疑で、ドイツの裁判所から逮捕状が出され、移住先のアメリカからドイツに移送されました。
裁判は、ナチス・ドイツに関わった最後の戦争犯罪人を裁くものとして注目され、去年5月、デミヤニューク被告は禁錮5年を言い渡されましたが、その後、無罪を主張して上訴していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120318/k10013799401000.html

生存が確認されている最後のナチス戦犯の大物だと言われています。
彼は第二次大戦中にナチスの強制収容所で看守を務め、イワン雷帝"Ivan the Terrible"と恐れられた本人であり、ユダヤ人虐殺に関与したとして、殺人ほう助の罪に問われたジョン・デミャニュークJohn Demjanjuk被告(91)に禁錮5年(求刑・禁錮6年)の判決を言い渡した。判決は「少なくとも2万8060人の虐殺に加担した」と認定したが、判決を不服として控訴していましたが
死去しました。

Alois Brunner大物としてはナチス親衛隊の将校
アロイス・ブルンナーが有名です。

彼は第二次世界大戦時の1943年2月からはギリシャテッサロニキへ派遣された。ここでブルンナーは赴任するや地元のユダヤ人名士25人を人質にとり、命令に従わぬ場合彼らを射殺すると地元のユダヤ人社会を脅迫した。こうしてまんまとサロニキとマケドニアにいる5万8000人のユダヤ人のうち4万4000人を移送させることに成功している。1943年6月からは今度はパリに派遣され、ここでもユダヤ人2万7000人ほどを移送する。さらにその後スロバキアで派遣され、1万4000人のユダヤ人を移送。続いてハンガリーへ派遣され、1万2000人を移送している。戦後、フランス政府が欠席裁判のままブルンナーに死刑判決を下しています。
 その後、シリアに逃亡して、アサド政権の保護下、現在もダマスカスに在住していると言われますが最近の動静はなく、一部観測筋の情報ではもう死亡しているのでは言われています。ブルナーに対しては二度に渡り、イスラエルの秘密情報機関が手紙爆弾を送付して重傷を負っています。ドイツやフランスやギリシャの各政府もシリア政府に身柄引き渡しを要求していました。第二次世界大戦が終わりがもう65年も経ちますが人道に対する罪の訴追が続いています。












人道に対する罪を追い続ける先駆者たち

最近、第二次大戦時に人道に対する罪を行い戦争犯罪から
逃れたナチス戦犯を追いつづけるナチハンターの著作やドキュメンタリー
を見ました。

ナチ犯罪人を追う―S・ヴィーゼンタール回顧録
ナチ犯罪人を追う―S・ヴィーゼンタール回顧録
クチコミを見る

ヴィーゼンタール氏の手法や評価に対してはいろいろと
評価が分かれいますが逃亡したナチス戦犯を追い続ける
手法は大変勉強になりました。


さらに
フランスのユダヤ人の強制収容所へに移送という大プロジェクトを、効率的に段取りした。
戦後、フランスの欠席裁判で有罪判決を受けるが、逃げ帰った西ドイツでは責任追求されない。
その才能を穀物輸送事業にそのまま生かして、ケルンでのうのうと暮らしているいた
ナチス戦犯の クルト・リシュカを追い続けたクラルスフェルト夫妻
53_art05_02
のうのうと暮らすクルト・リシュカをカメラマンを雇って動画を撮影してマスコミにアピール動きが鈍い西ドイツ政府に見切りをつけで、白昼堂々、ケルン市内の路上で拉致ろうとは大胆な行動に出るが失敗する。

その後いろいろあってようやく西ドイツ政府がナチ戦犯の責任追及の法律を制定し、ようやくリシュカも逮捕され、裁判になるがネオナチは、夫妻に小包爆弾を送り付けて脅迫したり、自動車を本当に吹き飛ばしたりして、執拗に命を狙われる。夫妻は、マスコミを利用した世論アピールに長けており、何やかやと話題づくりが上手です。
新聞の見出しになるような、人目を引く出来事を起こす。
裁判で10年の刑を宣告され服役中に、病気のため執行停止、釈放され、1989年にクルト・リシュカは死亡する。

このようなナチハンターに対してはいろいろと批判もありますが今、私たちが北朝鮮への国家指導者に対する人道に対する罪での国際刑事裁判所への提訴や日本人拉致の実行犯へ刑事告発を目指す活動をしていますがこのような先駆者たちの活動も参考にするべきだと思います。


地の果てまで追いかけるナチハンター

t1larg_john_demjanjukナチス強制収容所の元看守に懲役5年の判決

2011.05.13 Fri posted at: 11:12 JST

(CNN) ドイツ、ミュンヘンの裁判所は12日、第2次世界大戦中にナチスの強制収容所で看守を務めていた元自動車工場作業員ジョン・デムヤンユク容疑者(91)に対し懲役5年の判決を言い渡した。

デムヤンユク容疑者は公判中、沈黙を貫き、12日の判決前も一切証言しなかったという。裁判所は、同容疑者がポーランドのソビブル収容所の看守として数万人のユダヤ人殺害に加担したと判断した。検察は懲役6年を求刑していたが、91歳という高齢と別の罪状でイスラエルの刑務所に8年間服役していたことが考慮された。デムヤンユク容疑者は控訴する意向だが、逃亡の危険はないとして控訴中の身柄拘束はされないという。

判事は判決の中で、「看守は収容所に連行された人々に対し、虐待や殺害が行われることを分かっていた」とし、「(任務は持ち回り制だったので)すべての看守がプロセス全体に関わっていた」と述べた。

これに対し弁護側は、デムヤンユク容疑者自身が戦争捕虜であり、ナチスの命令に従わざるを得なかったと反論した。しかし、裁判所は「多少の危険はあったにしろ」逃亡は可能だったとして、弁護側の主張を退けた。

米ホロコースト記録博物館によると、ナチスとその支持者らは1942年と43年の2年間にソビブルで少なくとも16万7千人を殺害したという。ミュンヘン州検察はデムヤンユク容疑者を約2万7900人の殺害の共犯として起訴し、裁判所は殺害の動機を「人種的憎悪」と判断した。

同判決が発表されると、ユダヤ人団体は喝采を送った。イスラエル・ホロコースト博物館のヤド・バシェム氏は、今回の裁判と判決はホロコーストの犯罪に時効はないことを示した、と語った。

http://www.cnn.co.jp/world/30002741.html

最後のナチスの大物戦犯に有罪判決が
下りましたました。戦犯も高齢化が進んでおり
もう80歳・90歳代です。しかし、問題なのは
ナチス戦犯を追いかえるナチハンターの存在です。
地の果てまで追いかえる姿勢は
人道の罪を起こした独裁者や加担した人間
には時効をなくを裁判にかける姿勢です。

これはナチスに限った話ではなく今後の
国際人道法違反に地の果てまで追いかえる
姿勢を私達も考えるべきです。

タイ:ベトナム人権問題の会見、政府の圧力で中止 バンコクの外国特派員クラブが予定

タイ:ベトナム人権問題の会見、政府の圧力で中止 バンコクの外国特派員クラブが予定
 

【バンコク西尾英之】バンコクの外国特派員クラブで13日に予定されていたベトナムの人権問題に関する記者会見が、タイ外務省の横やりで中止に追い込まれた。

 クラブによると会見は、パリに拠点を置く人権監視団体「国際人権連盟」と「ベトナム人権委員会」が1カ月ほど前に申し入れた。ベトナムの人権抑圧状況に関する報告書を公表する予定だった。

 これに対し、外務省は9日、「近隣国の不利益となる恐れがある」とクラブに会見中止を要請。政府は会見出席予定者のタイへの入国を拒否し、クラブ側は12日に会見中止を決めた。

 特派員クラブではミャンマーの人権問題などに関する記者会見が頻繁に開かれているが、政府からの圧力を受けたのは今回が初めて。タイ政府は、今年の東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国を務めているベトナムに配慮したものとみられる。クラブは「政府の圧力は残念」との声明を出した。

 タイのアピシット政権は今春のタクシン元首相派によるバンコク都心部占拠以降、タクシン派の放送局やインターネットサイトを閉鎖するなど反政府系メディアへの抑圧姿勢を強め、言論の自由の侵害との批判が出ている。

http://mainichi.jp/select/world/news/20100914ddm007030074000c.html

【コメント】
以前からベトナムの人権問題は国際的に非難を受けています。
中国やビルマの人権問題に隠れてしまいますが
ベトナムもひどい人権状況です。今後も取り上げて
行きたいと思います。

ムハンマド風刺漫画家に賞、ドイツ首相も称賛

20100909at04p

ムハンマド風刺漫画家に賞、ドイツ首相も称賛

 【ベルリン=三好範英】ドイツ東部ポツダムで8日開催された、欧州主要メディア約100社の代表が出席する会議で、2005年にイスラム教預言者ムハンマドの風刺漫画を描いてイスラム世界の反発を招いたデンマーク人漫画家クルト・ベスタゴー氏(75)に対し、「報道の自由への貢献」をたたえる賞が贈られた。

 会議にはメルケル独首相も出席し、「自由にとって肝要なのは勇気だ」などと語ってベスタゴー氏をたたえた。ドイツ国内のイスラム教団体は、「首相は我々の預言者を侮辱した漫画家を顕彰した」などとして反発しており、抗議行動などに発展する可能性もある。

 会議には、ベスタゴー氏自身も厳重な警備の中、出席し、賞の授与に謝意を述べた。同氏は地元紙に対し、「私が殺されたとしても、私の風刺画を殺すことは出来ない」などと語った。

(2010年9月9日23時07分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100909-OYT1T00944.htm

【コメント】
クルト・ベスタゴー氏は以前、イスラム教の預言者のムハンマドの風刺画を書いてイスラム社会から批判を受けた人物です。表現の自由の意味は良くわかりますがではヨーロッパでナチス賛美やホロコースト否定を主張したらドイツでは刑事訴追を受けます。その意味でなかなか難しい問題です。

なかなか訴えるものがあります


この動画はドイツの国境なき記者団が作った
CMです。独裁国家で拘束され
拷問を受けるジャナーリストを描いた
ものです。なかなか訴えるものがありますね。

ドイツのブロガーたちが起草したジャーナリズムのための「インターネットマニフェスト」

Markus Goebel — TechCrunch Europe



ドイツの人気ブロガーたちが、国内を騒がせた「インターネットマニフェスト」の英語版を世界の読者のために提供している。ドイツで人気上位の15のブログの筆者たちが、この、ジャーナリズムの現状はこう変わったという趣旨の宣言文に署名している。マニフェストは17の項目から成り、それぞれ、“インターネットはここが違う”、“インターネットはジャーナリズムを良くする”などと題されている。“伝統はビジネスモデルではない”、“Webは人間の社会活動のインフラとして20世紀のマスメディアより優れている”といった旧体制に対する辛辣な攻撃もある。このマニフェストは大きな反響を呼び、混雑のためにサイトが一時的にダウンした。

内容は主に古いメディアに対する批判と、“インターネットは「こそ泥」だ”と主張する大手メディアへの反論だ。たとえば250種類の雑誌を出版し、ドイツ雑誌出版者協会の理事長であるHubert Burdaは、あからさまにそう言ったのだ。とくに彼は、Googleなどの検索エンジンが彼のコンテンツから得ている広告収入の、分け前をよこせと主張している。

サイトの混雑でなかなかアクセスできない人のために、以下に全文をご紹介しよう。感想、意見などをコメントで述べてほしい。

インターネットマニフェスト
今日のジャーナリズムの動的構造に関する17の宣言

1. インターネットはここが違う

インターネットは新しい公共空間であり、従来とは異なる概念と文化的活動から成り立っている。メディアはそれを無視したり対立するのではなく、業務の方式を今日の技術の現実に適応させる必要がある。利用可能な技術を活用して最良のジャーナリズムを展開することが、メディアの義務である。それには、ジャーナリズムの新しい形としての、新しい製品や方法も含まれる。

2. インターネットはポケットに入るメデイア帝国である

Webは従来のメディアの制約的な枠組みや提供者優位の性質を超越することによって、メディアの構造そのものを再編成する。コンテンツの発行と散布はもはや、大規模な投資を必要としない。幸せなことに、ジャーナリズムはもはや情報の門番ではない。ジャーナリズムに残されているものは、ジャーナリズムとしての質そのもの、それのみである。

3. インターネットは社会であり社会がインターネットだ

西欧世界では、ソーシャルネットワーク、Wikipedia、YouTubeなどWeb上のプラットホーム(platform,人びとが活躍する場)が、多くの人の日常生活の一部になっている。それらは電話やテレビのように容易にアクセスできる。メディア企業が生き延びるためには、今日のユーザたちの世界を理解し、彼らのコミュニケーションの形を受け入れる必要がある。基本的にそれは、情報の単純な受容や消費ではなく、双方向/多方向の対話ないし会話である。

4. インターネットの自由は神聖不可侵である

インターネットの自由でオープンな性質が、今日のデジタルな情報社会のルールの基盤であり、したがってそれはジャーナリズムのルールの基盤でもなければならない。それは、往々にして公共の利益という美名の下に隠れている商業的利害や政治的利害によって、改変されてはならない。どんな形であれ、インターネットへのアクセスを妨害する行為は、情報の自由な流れと、偏りのない情報に基づく個人の自由な意思決定能力を損なうものである。



5. インターネットは情報の勝利である

技術が未成熟な時代には、メディア企業や研究機関、公共団体などの組織が情報の編纂と分類を行ってきた。しかし今日では、一人一人の市民が自分のためのニュースフィルタを作ったり、検索エンジンを使って、これまでにはとうていアクセスできなかったほどの、大量の情報から必要な情報を取り出すことができる。現代の個人の情報摂取能力は、かつてないほどに高い。

6. インターネットはジャーナリズムを変える良くする

インターネットによってジャーナリズムは、その社会的教育的役割を新しいやり方で充足できる。たとえば、情報を、絶えず変化する連続的な過程として提示することができる。印刷メディアのもつ、情報の変更不可能性が失効したことは、とても良いことだ。この新しい情報世界で生き残るためには、新しい理想主義と、ジャーナリストとしての新しい考え方と、この新しい可能性の世界の探求をおもしろいと感ずる感性が必要である。

7. インターネットは網の目のようなつながりだ

リンクは網の目と目の接続であり、結びつきだ。私たちは、リンクを通じてお互いを知る。リンクを使わない者は、情報の社会性を拒否する者である。従来のメディア企業のWebサイトでも、リンクの重要性は同じである。〔訳注: これは旧メディア業界が抱く「リンクは悪」説への反論。次の項目8も同様。〕

8. リンクされ引用されることは利益だ

検索エンジンやニュース集積サイトは良質なジャーナリズムを支える: それらは、優れたコンテンツを見つけやすくし、長期的にその寿命を延ばす〔訳注: たとえば検索で昔の重要記事が出てきたりする〕から、それらはインターネットという新しい公共空間の欠くことのできない重要な部分である。リンクや引用による参照は、原作者の同意や謝礼のないものでも、情報が社会的に公開されるネットワーク文化の基本的な要素である。リンクや引用は、非難するのでなく保護するに値するものである。

9. インターネットは新しい政治の舞台である

民主主義は参加と情報の自由に上に栄える。政治的な議論の場を従来のメディアからインターネットに移し、活発な参加者を増やして議論を一層活発にすることは、ジャーナリズムの新しい仕事の一つである。

10. 今日の報道の自由は意見の自由だ

ドイツ憲法の第五条は、職業や既存のビジネスモデルに対し特権を認めていない。インターネットによって、アマチュアとプロの境界が薄れつつあるが、そのために報道の自由は、メディア企業やプロのジャーナリストの特権ではなく万人の権利になっている。ある意味では、インターネットの上では誰もがジャーナリストであり、その良し悪しを決めるのはそれがお金をもらっているプロの記事であるかどうかではなく、記事や発言の内容そのものだ。

11. 多いことは良いことだ…情報の過剰というものはない

印刷機は個人の心よりは教会の教えのほうが重要とされた時代に発明されたので、当時教会は、印刷機により教会のお墨付きのない情報が氾濫することをおそれた。しかしその後、個人によるパンフレットの制作発行、百科事典の編纂、そしてジャーナリズムの勃興により、情報の豊富化によって社会と個人双方の自由がより強化されることが証明された。そのことは、今日でもまったく変わっていない。

12. 伝統はビジネスモデルではない

ジャーナリスティックなコンテンツによりインターネット上で収益を上げることは可能である。今日ではその例が多数存在する。しかしインターネットは競争が熾烈なので、ネット社会に合った新しいビジネスモデルを開拓する必要がある。従来からの慣行慣例の尊重や、現状維持の心からは、インターネットに適合した新しいビジネスモデルは生まれない。ネット上の良好な収益性のために、ジャーナリズムは他よりも優れたおもしろいコンテンツを目指して、多くの他サイトとのオープンな競争に日々積極的に臨むべきであり、また単一ではない多面的な収益構造…収益化のための多様な工夫…の実装が必要である。

13. 著作権はインターネット上の市民義務である

著作権はインターネット上の情報企業の大黒柱である。散布の形式と範囲を決める原作者の権利もネット上にはある。しかし同時にまた、著作権は陳腐化した供給方式のための安全装置として濫用されてはならないし、それによってコンテンツの新しい流通形式やライセンス方式が閉め出されてはならない。所有には義務が伴う。

14. インターネットには多くの通貨がある

ジャーナリズムの、広告収入に依存するオンラインサービスは、コンテンツを消費者の商品への関心と引き換えに提供する。しかし、読者の時間は貴重である。ジャーナリズム業界では、伝統的に部数と広告料金の比例関係があったが、インターネット上ではもっと多様な収益源を〔物品販売、有料サービス、有料催事など〕編み出す必要がある。

15. ネットにあるものはネットにとどまる

インターネットはジャーナリズムの質的レベルを向上させる。オンラインのテキスト、音声、画像などは、もはや一時的過渡的ではなく、取り出し可能なものとして残存し、ときにはつねにフレッシュに更新され続ける。このようにしてインターネット上には、現代史の資料館のようなものができていく。ジャーナリズムは情報の解釈とそのエラーをつねに意識し、間違いの認知と修正に関しては透明かつ公明正大でなければならない。インターネット上では修正が迅速に行え、そのコストも低い。

16. インターネット上では質がすべて

インターネット上では各社右へならえの均質的報道やコンテンツが嫌われる。傑出しているもの、信頼できるもの、そして平凡でないものだけが、長期にわたって分厚いファン層を形成する。ユーザの要求は高度化している。ジャーナリズムはその要求を満たすことに専念し、そのためには企業の原則をひんぱんに変えてもよい。

17. すべてはすべてのために

Webは人間の社会活動のインフラとして20世紀のマスメディアより優れている: たとえば”Wikipedia世代”は、個人またはグループで、ニュースの信憑性を自力でチェックしたり、最初のニュースソースを突き止めたり、調べたり、チェックしたり、評価することができる。インターネット上の人びとのそのような活動を冷淡にあしらい、軽視するようなジャーナリズムは、逆にユーザから相手にされなくなる。それも当然で、インターネットはそもそも、受け手と送り手の区別と断絶がなくなった、お互いに平等互角な双方向コミュニケーションの場だからだ。インターネットの上では、送り手が受け手から貴重な情報を受け取り、自己の姿勢を調整する。求められているのは、最初から何でも知っているジャーナリストではなく、人びとと積極的にコミュニケーションし、そこから何かを汲み取ることのできる情報制作者だ。

[原文へ]

(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))


http://jp.techcrunch.com/archives/20090909german-blogger-manifesto-on-journalism-makes-headlines/

【コメント】

なかなか面白い評論です。いかにもドイツ人らしい哲学的な内容です。
本質的なインターネットの無限の可能性を表現しています。
さらに以前から私たちが主張していインターネットにおける
報道の自由とも内容が合致します。中国やイランのような独裁国家では
今、騒動がおきえると暴動の様子がYOUTUBUなどの動画が流れる
のを恐れてネットの切断をします。動画が新たな騒乱の
引き金になるのを恐れており、これは新たな形の報道規制です。
裏返してみると当局もネットの力に神経質になっていること
が良く伺えます。
このようなネット規制に対してフランスの「国境なき記者団」は
大きな問題であると指摘していますが
まだ国際人権団体での取り組みがほとんど行われていません。
さらに日本のマスコミ等もこの問題を取り上げている
のを見たことがありません。

インターネットはある意味、独裁国家や人権を
蹂躙している国家と対等に渡り合える
スキルである可能性があると思います。
私たちもこれからもインターネットおける
報道の自由をどんどん提唱していきたいと思います。

独首相、ロ大統領に異例の忠告

f50ce123.jpg

独首相、ロ大統領に異例の忠告

 ロシアを訪問しているドイツのメルケル首相は14日、メドベージェフ大統領と会談し、北コーカサス地方で続発している人権活動家の殺害事件などを全力で解決するよう異例ともいえる忠告を行いました。

 メルケル首相は会談後の記者会見で、メドベージェフ大統領とチェチェン共和国で起きた女性人権活動家の誘拐殺人事件などについて協議したことを明らかにしました。

 そのうえでメルケル首相は、「人権問題がロシア大統領にとっても非常に重要な問題であることを確認した」と述べ、事件の解決に全力で取り組むよう求めたことを明らかにしました。

 これに対しメドベージェフ大統領は、「こうした事件は政治的な犯罪で、コーカサス地域の安定を脅かすものだ」と説明し、メルケル首相の理解を求めました。

 ロシアでは南部のチェチェン共和国で7月と8月に人権活動家の女性2人が相次いで拉致された上、殺害される事件が起きていますが、未だに解決していません。

 一国の内政問題である犯罪捜査について首脳会談で言及されるのは極めて異例で、ロシア政府の人権問題に対する希薄な認識に釘を刺したともいえます。(14日23:49)

http://news.tbs.co.jp/20090814/newseye/tbs_newseye4209806.html

カフカス情勢不安定化が狙い=人権活動家殺害でロシア大統領

 【モスクワ時事】ロシアのメドベージェフ大統領は14日、同国チェチェン共和国などで相次いでいる人権活動家の殺害事件について、「カフカス情勢の不安定化が目的だ」と述べるとともに、外国のテロ組織の支援を受けている可能性を指摘した。ドイツのメルケル首相とソチで会談した後、共同記者会見で語った。
 メドベージェフ大統領は「情勢は極めて困難だ」と認めた。また、事件の続発はチェチェン共和国のカディロフ大統領への挑戦でもあるとし、共和国政府の事件解決努力を求めた。(2009/08/14-23:29)

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009081400897

【コメント】
ドイツのメルケル首相がロシアの人権活動家の殺害問題を
問題にしたようです。国際的な圧力がかかる事は
いい事です。今後も注視が必要ですね。

Amazonライブリンク
Twitter プロフィール
国際NGO北朝鮮人権人道ネットワーク@NK20115 事務局長。日本政府には対北朝鮮政策で最大限の関与政策を求めています。政治信条は普遍的人権人道主義です。ヘイトスピーチと弱者排除と人権侵害の東京五輪に反対しています。関心領域は人権人道問題/国際政治/戦史研究/銀河英雄伝説/インテリジェンス活動です。
報道の自由なしでは人権は守れない!!

東アジア報道と人権ネットワークの紹介

このNGO団体は東アジアの人権問題
に取組むNGO関係者や法律家や
学識経験者で中心になり、
東アジアの報道の自由と人権擁護の
活動のために結成しました。
私たちは告発サイト「ウィキリークス」や
「スノーデン」を支援します。
私たちはパナマ文書とパラダイス文書を支援します。

私の尊敬する「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」のケネス・ロス代表の
「大量殺りくは必ず司法の裁きを受けるというシグナルになる」の
実現のために活動していきたいと思います。


東アジア報道と人権ネットワーク事務局
tomoyuki.kawazoe@gmail.com








ギャラリー
  • トルコのシリア侵攻問題でロシアの反対で機能不全に陥った国連安全保障理事会
  • シリアに侵攻したトルコ軍が民間人を大量処刑へ 国際社会から批判が激しい批判が出る
  • 今回のノーベル文学賞に『ジェノサイド(集団虐殺)否定論者』が受賞されて各方面から批判が出る
  • 迫るトランプ大統領への弾劾 解任された前駐ウクライナ大使明かす
  • トルコ軍がシリアに越境軍事侵攻へ クルド人勢力掃討へ トランプ大統領も事実上の容認へ
  • トルコ軍がシリアに越境軍事侵攻へ クルド人勢力掃討へ トランプ大統領も事実上の容認へ
訪問者数

    QRコード
    QRコード
    Archives
    livedoor プロフィール

    ハニ太郎

    Recent Comments
    • ライブドアブログ