残虐な人権侵害−決して見逃さない

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ナチス

最後のナチス戦犯「アウシュビッツの筆記係」が死去する

「アウシュビッツの簿記係」死亡 グレーニング被告、96歳

「アウシュビッツの簿記係」死亡 グレーニング被告、96歳
ドイツ・リューネブルクの裁判所で、弁護士と救急隊員らに支えられて出廷したオスカー・グレーニング被告(中央、2015年7月15日撮影、資料写真)。(c)AFP PHOTO / TOBIAS SCHWARZ

【3月13日 AFP】ナチス・ドイツ(Nazi)親衛隊(SS)の元隊員で、「アウシュビッツの簿記係(Bookkeeper of Auschwitz)」と呼ばれたオスカー・グレーニング(Oskar Groening)被告が死亡した。96歳。現地メディアが12日、伝えた。同被告は約3年前、戦時中の殺人幇助(ほうじょ)罪で禁錮4年を言い渡されていた。

 ドイツ北部ハノーバー(Hanover)の検察当局はAFPに対し、グレーニング被告の弁護士から同被告の死亡連絡は受けたが、公式確認は取れていないと明かした。

 グレーニング被告はアウシュビッツ強制収容所で簿記係を担当。殺害されたり強制労働を科されたりした収容者から没収した金銭の仕分けや集計を行い、その後在ベルリンのナチス上層部へ送金していた。

 2015年7月、同収容所で犠牲となった30万人の殺人幇助罪で禁錮4年の有罪判決を受けていた。

 昨年8月には、適切な介護や医療を受ければ受刑に耐え得るとの診断結果が医師により出されたものの、結局一度も収監されることはなかった。(c)AFP

 http://www.afpbb.com/articles/-/3167097?pid=19930719

【コメント】
以前、このナチス最後の戦犯である。元親衛隊隊員のたオスカー・グレーニング被告の
有罪宣告の記事を紹介しましたがこの被告が収監されず死去しました。
事実上、最後のナチス戦犯裁判と戦争犯罪人でした。ただ今後も同様な
記事があれば紹介します。
 

ナチス戦犯「死の医師」に20年目の死亡宣告がなされる

aribert_heim_jpeg_crop_displayナチス大物戦犯「死の医師」 20年前の死亡認定 

 ドイツの裁判所は23日までに、第2次大戦中にナチス・ドイツの強制収容所で収容者に対する人体実験を繰り返し「死の医師」と恐れられたナチスの大物戦犯、アリベルト・ハイム容疑者が1992年に潜伏先のエジプト・カイロで死亡していたと認定、訴追手続きを中止したと発表した。

 ハイム容疑者は、ユダヤ系団体が長年、所在を捜してきた最も有名なナチス戦犯の一人。ドイツ司法当局は容疑者の息子や弁護士から証言や書類を入手し、同国南西部バーデンバーデンの裁判所が21日、死亡は「疑いない」と表明した。潜伏中、イスラム教に改宗していたという。

 ハイム容疑者は14年にオーストリアで生まれ、大戦中はナチス親衛隊の医師として勤務。同国の強制収容所で、収容者の心臓にガソリンや毒物を注射するなどの方法で多くを殺害した。戦後、バーデンバーデンに移り、62年に逃亡した。

 ハイム容疑者をめぐっては2009年、ドイツと米国のメディアがカイロで92年に78歳で病死していたと報じた。ただし、遺体が見つからなかったことなども背景に、司法当局は独自で調査を進めていた。(共同)

2012年9月23日 10:05

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/09/23/kiji/K20120923004177160.html

このブログでも取り上げていますがナチスの戦犯問題です。「死の医師」と恐れられたナチスの大物戦犯、アリベルト・ハイム容疑者の死亡に対する論争に一定に結論が出ました。
法の裁きはなされていません。アリベルト・ハイム容疑者の紹介です。

アリベルト・ハイム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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アリベルト・ハイム(Aribert Heim、1914年6月28日 - 1992年8月10日)は、オーストリア医師である。親衛隊大尉マウトハウゼン強制収容所に収容されたユダヤ人に対して人体実験を行い「死の医師」と言われる。戦後、その死まで逮捕されなかったナチ逃亡戦犯の一人である。

略歴 [編集]

1914年、オーストリアのバート・ラドケルスブルク(Bad Radkersburg)で生まれる。ウィーンで医師として働きながら、1935年オーストリア・ナチスに入党。1938年アンシュルス後、SSに入隊した。

1941年11月、マウトハウゼン強制収容所に収容所医師として赴任。同収容所で、SSの薬剤師であるエーリヒ・ヴァシッキィ医師(Erich Wasicky)と共にユダヤ人収容者の心臓に溶液ガソリン、毒を注入するなどの人体実験を繰り返していた。1942年に収容所での勤務から第6SS山岳師団の軍医としてフィンランドの戦線や西部戦線で従軍した後、1945年5月にアメリカ軍の捕虜となり、捕虜収容所に入れられたが、他の捕虜と共に解放されている。

1961年、西ドイツ当局はハイムがバーデン・バーデンで婦人科の医師として生活しており、収容所における彼の行為を調査すると発表、翌年9月に逮捕に踏み切ったが、即にハイムは逃亡していた。

ハイムは、フランススペインを経由してモロッコに逃亡し、「フェルディナント・ハイム」という偽名を用いてエジプトに入国し、カイロに定住したと見られる。カイロでは、地元のカフル・アル=マディーナ・ホテルで10年間働いていた。

1976年には同ホテルで息子ルーディガーと面会する。その後、何回か父のもとを訪れたという。息子は父が犯した罪について「当時は知らなかった」と述べている。

エジプトでの彼は、住居は持たずもっぱらホテルで生活していたとされる。カイロ滞在中は政治活動は一切行わなかったが、イスラエルに住むユダヤ人がセム系では無いことを証明する研究をしていたと、彼を知るエジプト人の知人が語っている。

近況 [編集]

2009年2月4日、ドイツの公共放送「ZDF」と米紙「ニューヨーク・タイムズ」の共同調査により、ハイムのパスポートや銀行通帳など100以上の文章をハイムの所有していた書類カバンから発見し、彼が1992年に死亡していたこと、イスラム教に改宗して、名前をターリク・フセイン・ファリードと改名していたことなどが判明した。

イスラム教に改宗した理由について、アル=アハラーム政治戦略研究所のイマード・ガド研究員は「(ナーセルの死、イスラエルとの和平等によって)エジプト政府の後ろ盾は失われたと感じ、ナチとして生活するのではなく地域社会に溶け込むことを選択した」と推測している。

20年前からハイムと親交のあったエジプト人歯科医の息子の話によると、ハイムは腸の癌により死亡し、カイロにある貧民層向けの墓地に葬られたが、現在その墓地は、都市再開発のために取り壊され、ハイムの亡骸は確認できないだろうと述べている。息子であるルーディガーも1990年にハイムのもとを訪れた際、父が癌を患っていたのは知っていたと述べている。

サイモン・ヴィーゼンタール・センター代表のエフライム・ズローフは、当初ハイムがエジプトでは無く南米に逃亡していたものと推測され、またその存在が忘れ去られていたため、ハイムの逮捕が実行されなかったと語った。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%A0

忘れさられたナチスのホロコーストに光を

K10050133611_1205100551_1205100555_01ナチスが殺害した障害者を追悼


5月10日
5時52分

オーストリアのウィーンで、第2次世界大戦中にナチスドイツによって組織的に殺害された障害者らを追悼する式典が10年ぶりに行われ、新たに身元が判明した60人余りの犠牲者の遺灰が慰霊碑に納められました。

オーストリアの首都ウィーンでは、9日、ナチスドイツに殺害された障害者を追悼する慰霊式が10年ぶりに行われ、フィッシャー大統領ら170人余りが出席しました。ナチスドイツは第2次世界大戦中、障害者らを組織的に殺害する計画を進め、およそ7万人が施設に送られて命を落とし、このうちオーストリアでは1万8000人余りが犠牲となりました。
式典では障害者が施設に送られて亡くなるまでの状況を記した当時の診断書が読み上げられ、出席者の中には目頭を押さえる人もいました。
そして、この10年間に病院で標本にされているのが見つかり、その後、身元が判明した60人余りの犠牲者の遺灰が入った容器が、出席者が見守るなか、名前が刻まれた慰霊碑に納められました。
当時、施設に送られたものの、生き延びた83歳の男性は、「今も子どもの死体が運び出される光景が忘れられません」と話していました。
オーストリアでは、高校生らを対象にナチス時代の出来事を学ぶ課外授業が行われるなど、戦後67年を迎えた今も負の歴史と向き合い過去を清算する取り組みが進められています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120510/k10015013361000.html

ナチス殺人計画の死者墓地に埋葬 ウィーンで人体実験の犠牲者

【ウィーン共同】第2次大戦中、ナチス・ドイツに組み込まれたオーストリアのウィーンで9日、ナチスの人体実験などの犠牲となった知的障害者や身体障害者ら61人の遺灰が約70年ぶりに墓地に埋葬された。ナチスは障害者を「生きるに値しない生命」と呼び、組織的に殺害する「安楽死計画」を推進、医師も積極関与していた。

 ナチスは健康で理想的な社会をつくるために劣った人々を排除するとして、障害者らを施設に送り、1940〜41年だけでも約7万人をガス室などで殺した。

 ウィーンでも郊外の病院に幼児から高齢者までが収容され、餓死などで命を落とした。

2012/05/10 10:07    【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201205/CN2012051001000951.html

ナチスのユダヤ人に対するホロコーストは良く知られていますが
それ以外のナチスのホロコーストはあまり知られていません。
ロマやドイツ人に対するホロコーストはやっと最近、指摘されるように
なってきました。ナチハンターとして有名なS・ヴィーゼンタール回顧録
を読んでいてもほとんど触れれていません。その意味で今回の
式典は非常に意味があると思います。

ナチ犯罪人を追う―S・ヴィーゼンタール回顧録
ナチ犯罪人を追う―S・ヴィーゼンタール回顧録
クチコミを見る


人道に対する罪を追い続ける先駆者たち

最近、第二次大戦時に人道に対する罪を行い戦争犯罪から
逃れたナチス戦犯を追いつづけるナチハンターの著作やドキュメンタリー
を見ました。

ナチ犯罪人を追う―S・ヴィーゼンタール回顧録
ナチ犯罪人を追う―S・ヴィーゼンタール回顧録
クチコミを見る

ヴィーゼンタール氏の手法や評価に対してはいろいろと
評価が分かれいますが逃亡したナチス戦犯を追い続ける
手法は大変勉強になりました。


さらに
フランスのユダヤ人の強制収容所へに移送という大プロジェクトを、効率的に段取りした。
戦後、フランスの欠席裁判で有罪判決を受けるが、逃げ帰った西ドイツでは責任追求されない。
その才能を穀物輸送事業にそのまま生かして、ケルンでのうのうと暮らしているいた
ナチス戦犯の クルト・リシュカを追い続けたクラルスフェルト夫妻
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のうのうと暮らすクルト・リシュカをカメラマンを雇って動画を撮影してマスコミにアピール動きが鈍い西ドイツ政府に見切りをつけで、白昼堂々、ケルン市内の路上で拉致ろうとは大胆な行動に出るが失敗する。

その後いろいろあってようやく西ドイツ政府がナチ戦犯の責任追及の法律を制定し、ようやくリシュカも逮捕され、裁判になるがネオナチは、夫妻に小包爆弾を送り付けて脅迫したり、自動車を本当に吹き飛ばしたりして、執拗に命を狙われる。夫妻は、マスコミを利用した世論アピールに長けており、何やかやと話題づくりが上手です。
新聞の見出しになるような、人目を引く出来事を起こす。
裁判で10年の刑を宣告され服役中に、病気のため執行停止、釈放され、1989年にクルト・リシュカは死亡する。

このようなナチハンターに対してはいろいろと批判もありますが今、私たちが北朝鮮への国家指導者に対する人道に対する罪での国際刑事裁判所への提訴や日本人拉致の実行犯へ刑事告発を目指す活動をしていますがこのような先駆者たちの活動も参考にするべきだと思います。


表現の自由とホロコースト議論 シオニスト弁護士クラ−スフェルドVS「国境なき記者団」創設者ロベ−ル・メナ−ル


YOUTUBUを検索していたら興味深い議論の
動画を見つけまっした。
ナチハンターとして名高い弁護士クラ−スフェル
と国境なき記者団創設者ロベ−ル・メナ−ル
の表現の自由とホロコースト議論です。欧州では
ナチス擁護やユダヤ人批判はタブーです。
正面から捉えたこのような議論はなかなか興味深い論争です。
判断は視聴者の方にして頂ければ良いと思います。

地の果てまで追いかけるナチハンター

t1larg_john_demjanjukナチス強制収容所の元看守に懲役5年の判決

2011.05.13 Fri posted at: 11:12 JST

(CNN) ドイツ、ミュンヘンの裁判所は12日、第2次世界大戦中にナチスの強制収容所で看守を務めていた元自動車工場作業員ジョン・デムヤンユク容疑者(91)に対し懲役5年の判決を言い渡した。

デムヤンユク容疑者は公判中、沈黙を貫き、12日の判決前も一切証言しなかったという。裁判所は、同容疑者がポーランドのソビブル収容所の看守として数万人のユダヤ人殺害に加担したと判断した。検察は懲役6年を求刑していたが、91歳という高齢と別の罪状でイスラエルの刑務所に8年間服役していたことが考慮された。デムヤンユク容疑者は控訴する意向だが、逃亡の危険はないとして控訴中の身柄拘束はされないという。

判事は判決の中で、「看守は収容所に連行された人々に対し、虐待や殺害が行われることを分かっていた」とし、「(任務は持ち回り制だったので)すべての看守がプロセス全体に関わっていた」と述べた。

これに対し弁護側は、デムヤンユク容疑者自身が戦争捕虜であり、ナチスの命令に従わざるを得なかったと反論した。しかし、裁判所は「多少の危険はあったにしろ」逃亡は可能だったとして、弁護側の主張を退けた。

米ホロコースト記録博物館によると、ナチスとその支持者らは1942年と43年の2年間にソビブルで少なくとも16万7千人を殺害したという。ミュンヘン州検察はデムヤンユク容疑者を約2万7900人の殺害の共犯として起訴し、裁判所は殺害の動機を「人種的憎悪」と判断した。

同判決が発表されると、ユダヤ人団体は喝采を送った。イスラエル・ホロコースト博物館のヤド・バシェム氏は、今回の裁判と判決はホロコーストの犯罪に時効はないことを示した、と語った。

http://www.cnn.co.jp/world/30002741.html

最後のナチスの大物戦犯に有罪判決が
下りましたました。戦犯も高齢化が進んでおり
もう80歳・90歳代です。しかし、問題なのは
ナチス戦犯を追いかえるナチハンターの存在です。
地の果てまで追いかえる姿勢は
人道の罪を起こした独裁者や加担した人間
には時効をなくを裁判にかける姿勢です。

これはナチスに限った話ではなく今後の
国際人道法違反に地の果てまで追いかえる
姿勢を私達も考えるべきです。

意見が割れていますね

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「犯罪移民の仏国籍剥奪」大統領方針 人権団体ら猛反発
2010年8月3日9時7分



 【パリ=国末憲人】フランスのサルコジ大統領は7月30日、帰化した後に重大な罪を犯した移民の仏国籍を取り消す方針を打ち出した。ただ国籍剥奪(はくだつ)は、戦中の親ナチス・ドイツ政権がユダヤ人排斥のために利用し、戦後はタブー視された措置。「移民差別を助長する」と、野党や人権団体は猛反発している。

 大統領への支持率は、最近の改革の失敗や側近のスキャンダルで低迷。新方針は、右翼支持層の関心を引き戻し、2012年の大統領選で再選を目指すのが狙いだと受け止められている。

 大統領はこの日、訪問先の仏南東部グルノーブルで演説。当地では7月、強盗団と警官隊との銃撃戦で強盗側の青年(27)が死亡。これを機に、青年の出身地にあたる郊外の移民街で暴動が起き、治安回復が課題となっていた。大統領はその対策として「外国出身者が警察官や憲兵隊員、公権力を委託された人物の命をあえて奪った場合、仏国籍は剥奪される」との方針を表明した。

 オルトフー移民相は31日、国籍剥奪のための法案を9月に議会に提出する方針を確認。「重婚や女性器切除(女子割礼)の実施、重大犯罪にかかわった場合にも、国籍は失効させなければならない」と述べた。

 ただ、この新方針は、等しく権利を持つと見なされてきた仏国籍保有者を、移民出身者とそうでない者に分けることにつながる。また、国籍剥奪は第2次大戦中、対独協力政権(ビシー政権)がユダヤ人に対してとった措置であることから、戦後の歴代政権は手をつけなかった政策だ。リベラシオン紙は「仏の過去で最も恥ずべき対応に立ち返るものだ」と厳しく批判。ルモンド紙も「サルコジ氏はタブーを破った」と論評した。

大統領が今回の強硬策を表明した背景について、移民排斥を叫ぶ右翼「国民戦線」の支持層を取り込もうと狙ったとリベラシオン紙は分析。野党社会党のアモン報道官は「票欲しさに国民戦線の副党首のマネをしている」と非難した。

     ◇

 〈親ナチス政権の国籍剥奪〉 フランスの対独協力政権(ビシー政権)は、約1万5千人の国籍を剥奪した。その多くはユダヤ人だった。戦後は当時の反省に加え、無国籍者が生まれるのを防ぐためもあって、国籍剥奪は極めて例外的な措置となった。

http://www.asahi.com/international/update/0801/TKY201008010236_01.html

【コメント】
フランスのサルコジ大統領の対応が物議をかもしています。先日のロマの
件もそうですがかなり意見が割れる政策を実行していますが
サルコジ自身、金銭スキャンダルを抱えている中で方針を変えるための
政策であると言う批判も出ています。今後もこの問題を取り上げていきたいと
思います。
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Twitter プロフィール
国際NGO北朝鮮人権人道ネットワーク@NK20115 事務局長。日本政府には対北朝鮮政策で最大限の関与政策を求めています。政治信条は普遍的人権人道主義です。ヘイトスピーチと弱者排除と人権侵害の東京五輪に反対しています。関心領域は人権人道問題/国際政治/戦史研究/銀河英雄伝説/インテリジェンス活動です。
報道の自由なしでは人権は守れない!!

東アジア報道と人権ネットワークの紹介

このNGO団体は東アジアの人権問題
に取組むNGO関係者や法律家や
学識経験者で中心になり、
東アジアの報道の自由と人権擁護の
活動のために結成しました。
私たちは告発サイト「ウィキリークス」や
「スノーデン」を支援します。
私たちはパナマ文書とパラダイス文書を支援します。

私の尊敬する「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」のケネス・ロス代表の
「大量殺りくは必ず司法の裁きを受けるというシグナルになる」の
実現のために活動していきたいと思います。


東アジア報道と人権ネットワーク事務局
tomoyuki.kawazoe@gmail.com








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