「台湾は日本の生命線」より転載。


■産経が報じた二・二八虐殺事件の追悼式

産経新聞は二月二十八日、「台湾2・28事件式典で台北市長、馬総統と握手拒否」と題する記事を配信した(紙面掲載は三月一日)。

次のような内容だ。

―――中国国民党政権が台湾住民を弾圧した1947年の「2・28事件」から68年の28日、台北市内で追悼式典が開かれ、遺族代表として初参加した台北市の柯文哲市長が、国民党の馬英九総統との握手を拒否する場面があった。

―――柯市長は祖父が事件の犠牲者で、式典には父母も参加。あいさつでは涙を流し、「(事件は)今日まで社会の分裂をもたらし、柯家3代や多くの被害者家族の苦しみを生んだ」と何度も言葉を詰まらせた。

―――馬総統は「事件の教訓は忘れない。台北市には中央と協力して社会の和解を進めてほしい」と訴え、柯市長のあいさつの後と式典後の2度、握手を求めたがいずれも拒まれた。

馬英九氏はこれまでも懸命に「和解」を求め続けてきたが、それではなぜ柯文哲氏は握手を拒否したのか。本人は後に「手が汗をかいていたから」と説明したが。

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■二・二八事件―なぜ台湾人は中国人に反抗したか

まず二・二八事件とは何かだが、記事はこう説明する。

―――事件は47年2月28日から台湾全島で起きた国民党統治への抗議行動。行政院(内閣に相当)は92年、武力弾圧などによる犠牲者を1万8千~2万8千人とする推計を公表した。

もう少し詳しく解説しよう。

当時なぜ抗議が起こったかと言えば終戦後、一年以上に及んだ「国民党統治」が戦争勝者の略奪支配だったからだ。日本統治下の合理的な法治社会は不条理な人治社会へと一変し、前近代的な思想、習俗を持つ中国人が近代文化を持つ台湾人を抑圧したため、起こるべくして起こった全島的な反乱だった。

台湾人の指導者層はただちに事態の収拾に掛り、台湾人の自治を要求。国民党はそれに受け入れるふりをして蒋介石に精鋭部隊の急派を要請。かくして中国軍が上陸し、無差別虐殺、清郷(シラミ潰しの住民検挙)を行った。人々は虫けらのように扱われ、何人が犠牲になったかも記録されなかった。「1万8千~2万8千人」という数値はあくまで事件前後十年の人口統計から割り出された。

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事件は国民党によってタブーとされ、同党の残虐さを目の当たりにした住民は、民主化時代が到来するまで、それを口にすることもできなった。

■社会の分裂に言及した台北市長の涙のスピーチ

「祖父は師範学校卒業後、小学校の教師となった。事件当時は清郷を受け、知識人と言うことで逮捕され、暴行を受け、出獄後三年間は寝たきりとなり、そして亡くなった」

式典で遺族代表として挨拶に立った柯文哲氏は、嗚咽しながらこう語った。

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遺族代表として嗚咽しながらスピーチする柯文哲・台北市長

彼の祖父は事件当時、反抗には加わらず、逆に所謂「外省人」(中国系)を匿ったのだが、その者が裏切って密告したため、捕えられたのだ。

「一九四七年という悲しみの時代に、多くの台湾人は家族や友人を失い、台湾社会に恐怖心が長期間植え付けられた」と、事件後の社会状況を振り返り、「人と人との間に冷たい壁が作られ、今も社会は分裂している」とも述べている。

今も続く台湾人と外省人との、主に政治面における心理的な対立を指摘したのだろう。

「私の台北市長選への出馬に父は当初猛反対した。『私は二・二八事件で父親を亡くした。だから息子まで奪われたくない』と。この言葉を聞き、私はこうした台湾の状況を次の代に残したくないと考え、立候補を決意した」

「真相が明らかにされれば許すことができる。許すことができれば和解が生まれる。和解されれば平和が訪れる。歴史の悲劇を再来させないこと。これが我々の代の責任だ」

■中国人との「和解」を受け入れらない遺族の思い

涙のスピーチを終えた柯文哲氏に、馬英九氏(外省人)がいたわりの握手を求めた。しかし柯文哲氏はそれを拒否した。

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馬英九総統の差し出す手を握らなかった柯文哲市長

その後、馬英九氏が登壇。

「事件当時の衝突はすでに歴史となった。中華民国政府はみなさんとの努力の末、真の意味での民主政府となった。しかし私達は永遠に事件の教訓を忘れてはならない。歴史を繰り返してはならない」

こう述べた上で柯文哲氏に、「台北市は中央政府とともに社会の和解を進めてほしい」と訴えたのだ。

そしてその後、再び握手を求めたが、柯文哲氏はそれも拒否した。

「衝突はすでに歴史となった」と強調する馬英九氏の姿勢を、受け入れなかったのではないか。「和解」にはまず事件の「真相」究明からだと考えているのだから。

国民党政権はまだ、事件の真相に関する多くの資料を公開していない。事件の元凶とされる蒋介石の動きを示すものを含めてだ。

■社会分裂の原因は台湾人より外省人勢力

昨年のこの日、世新大学の王暁波教授(外省人)が事件の犠牲者数に触れ、「小さなケース」だと述べて波紋を呼んだ。この人物は馬英九政権による歴史教科書の「中国化」(大中国史観の導入)政策を受け、学習指導要領修正を指揮した人物である。

こうした事件への反省なき歴史観は外省人にしばしば見られ、そのような意識、認識の差異も「社会の分裂」の原因となしている。しかし国民党を中心とした外省人の政治勢力には、事件の「真相」究明にこだわる台湾人勢力こそが「分裂」の原因であり、「和解」を妨げていると強調する傾向がある。

報道によれば柯文哲氏の握手拒否に対し、国民党内部からは「馬英九氏は敢えて『外省人に生まれた罪』を背負っている。失礼だ」との声があるというが、それもそうした台湾人批判なのだろう。

しかしそのような状況だからこそ、馬英九氏がいかに事件に反省の意を表明しても、多くの台湾人は、その真意を疑っている。

■台湾の未来のために握手を拒否した

柯文哲氏は挨拶の中で、次のようにも語っている。

「祖父は皇民であれ国民であれ、それは自分が決めたものではなく、一人の真面目で分をわきまえた台湾人に過ぎなかった」と。

これは台北市長選挙中、ライバルの国民党候補陣営から、日本時代に教員だった祖父は「皇民」であり、柯文哲氏を「皇民の孫」と罵られたことへの回答と言えるだろう。

言うまでもなく「皇民」とは、日本時代の日本国民のことを指す。そしてその呼称には、外省人の台湾人への最大限の侮蔑、憎悪が込められている。国民党は台湾支配当初から、台湾人を日本の奴隷教育を受けて漢民族文化を忘れた者どもと看做し、侮蔑、憎悪してきた。

それには中国伝統の愚民統治しか知らない同党の、近代的な文化に染まる台湾人に対する恐怖感もあった。だからこそ同党は二・二八事件後、その原因として「共産党の煽動」とともに、「日本の奴隷化教育の影響」を挙げ、台湾人鎮圧を正当化していた。

しかし「日本教育の影響」という見方は決して誤りではない。実際に台湾人は「皇民化」(近代国民化)していたからこそ、中国人の不合理な支配に憤り、その不正を糾そうと立ち上がったのだ。もっともその「影響」のために、法治の観念から行政長官の自治実現の約束を信用し、野蛮な軍隊に蹂躙されたわけでもある。

中国人の台湾人に対する侮蔑、憎悪が改められない限り、台湾に「和解」も「平和」ももたらされない。そしてそれが改められない限り、国民党による中国への「売台」の可能性も払拭されない。

式典では「政府に公平正義があって社会に和解がもたらされ、国家の将来が保証される」とも訴えた柯文哲氏。彼には国家の未来のためにも、馬英九氏との握手を断ったのだ。