2008年04月

2008年04月29日

LAZYgunsBRISKY

現在、ミュージックビデオの制作でご一緒させて頂いている映像作家の小嶋貴之さんから、ちょっと前に

「最近、日記の内容があまりに後ろ向きじゃありません? 仮にもクリエーターなんだから古いものばかりじゃなくて、もっと新しいものにも目を向けないと!」

と、お叱りを受けてしまった...その頃はBB.Kingだの冨士夫だのと懐古的な内容を書き連ねていたからなあ。
で、私もそう言われて黙って引っ込んでいるタイプではないので、小嶋監督から現在お勧めのバンドをいくつか紹介して貰いました。

その中でも、今月1stアルバムを出したばかりの LAZYgunsBRISKY という19歳の女の子たち4人による骨太なロックンロールにはかなりヤラれてしまった。

先日、仕上がったばかりの小嶋監督の手によるビデオクリップで初めて彼女たちの動いている姿を観たのだが、ガレージ系のバンドにありがちな「ボーカリストがギターを持つ」スタイルでないところに好感が持てる。ザラついた音色もかなり好みだ。



丸腰のLucyちゃんのふてぶてしさが実にいい。生で一度観てみたいと思わせるバンドである。


taizan66 at 00:54|PermalinkComments(2)TrackBack(0)音楽 

2008年04月28日

最近笑ったこと

先日、何気なく居間でテレビを眺めていたら、突然あるCMに反応してしまった。
なんだか聞き覚えのある声が耳に飛び込んできたのだ。まさに一瞬の出来事だった。

改めて画面を見ると、そこには休日を過ごす夫婦と娘の姿が。CanonのデジカメのCMだ。娘と戯れる坊主頭で優しい表情のパパ役は、なんとミュージシャンの今野英明
その笑顔を見て、思わず笑みがこぼれてしまった。

こちらからそのCFが観られます
下の方の「テレビCM:「一眼レフのある毎日」篇」。

今野君とは同じ美術予備校・大学へと通っていた。年齢は私よりも1つ下だが、大学では同級生となった。専攻は違うが、食堂やバス停で会うとよく音楽の話をしたものだ。
私が学校をフェードアウトしてからはすっかり疎遠になっていたのだが、その後も下北のライブハウス等で偶然だが何度か遭遇していた。

最後に会ったのは1年程前だったか、六本木での寒空はだかのイベントでばったり顔を合わせた。お互い「久し振り〜、でもなんでここにいるの?」という状態。
実は彼は前回のこのイベントの出演者だったのだ。しかし妙な縁だなあ、こう何度も偶然が続くと。

彼の活躍は風の噂で知っていた。
学生時代から旺盛にライブ活動を展開し(私も当時何度か観に行った)いくつかのバンドを経て「ロッキングタイム」というバンドでメジャーになり、日本のレゲエシーンでもかなりの顔になっていると聞いていた。

私が彼のミュージシャンとしての存在を間近に意識し始めたのは10年ほど前だったと思う。女性シンガーLeyonaのデビューアルバムのプロデュースだった。
そのアルバムは共同プロデュースとして仲井戸麗市とG. Loveが名を連ねていたのだ(そういえば前にも書いたな、このコト)。
両者とも私の好きなアーティスト、しかもチャボさんは私が絵でメシを食っていこうと決心する契機を作ってくれた恩人でもある。この偶然の符合には正直びっくりした。

飄々とした雰囲気で人馴っこく私のことを「せんぱ〜い」と呼んでいた彼の声が、今でも耳に残っている。だからCMの声に私は瞬時に反応してしまったのだろう。それほど聴覚とは過去の記憶を一瞬にして呼び起こしてしまう(おそらく懐メロに郷愁を感じてしまうのはこの作用故かも)。

しかし予備校・大学時代に知り合った連中が今世紀に入ってからじわじわと各分野で頭角を現し、よく彼らの名前を耳にするようになってきた。やはり当時から異彩を放っていた者たちばかりだ。

俺も負けてられん、なんて青臭い上昇志向はとっくになくなったが、実際彼らの存在は創作活動を続けていく上で刺激になっているのは確実だ。

taizan66 at 12:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)行動録 

2008年04月24日

しめたものだ

今、ある人物の肖像を描いている。

モチーフの、音楽を聴いた。

モチーフの、自叙伝を読んだ。

締め切りまで時間がなかったので、改めて映像作品を見返すことは出来なかった。
だが、それは近いうちに劇場へ足を運ぶこととしよう。

ここ数日、たっぷりとモチーフが過去に吐き出した世界に浸かる。
お陰で昨夜は(正確に言うと今朝か)遂にモチーフが夢に現れた。
私に向かって、あの独特の口調で話掛けてきたのだ。

こうなったらしめたものである。

2008年04月23日

行動と表現 #1

常日頃から私は自身の表現活動の動機や目的について自問自答を繰り返している。

「お前は一体、何をやりたいのか? 何がやれるのか? 何をやるべきか?」

時折こういった思考や性質の難解さ故か、周囲からまったく理解をされずに落ち込む時も多々ある。孤立無援状態でつい気弱になってしまうのだ。
そんな時に私の根幹を補強してくれる、揺るぎない信念の綴られた活字たちには何時も救済されている。

そこで、私が常々意識している「硬派とは何か?」という定義について。
1975年に刊行された豊浦志朗のルポルタージュ論集『硬派と宿命』より抜粋。

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 硬派は状況の最前線にいるが、実のところ、政治的なことについてはよく理解していない。政治的な発言はするが、それは状況を分析した結果というよりも、みずからの行動に光を与えるためである。硬派は目的を選ぶ。しかし、目的のために行動するのではない。行動するために目的を選ぶのだ。なぜなら硬派は行動していなければ窒息死してしまうからだ。行動こそが何にもまして重要なのである。かくして、通常、手段とされているものが目的化する。目的とされているものが手段化する。この逆転こそ硬派の最大の特徴である。

 硬派の出現は時代の要請であるが、誰でも硬派になれるというわけではない。硬派にはある魂が必要である。その魂は幼児期に古い英雄譚や伝説、お伽噺によって形成される。それがさしたる紆余曲折を経ずに直裁に行動の動機に結びつく信念に変わる。したがって、硬派がその信念を口にするとき、それはきわめて他愛なく聴こえる。しかし強固だ。

 硬派は孤独である。その行動は称賛されたり憎悪されたりするが、その動機は誰にも真の意味で理解されないからである。したがって、硬派は他者とは同盟を結んでも同志として共同体を構成することはない。共闘はしても完全な連帯関係にはいることはないのである。その行動が先行しすぎているか、あるいは遅れすぎて猿芝居になっているからだ。硬派はその孤独をいやそうとますます行動に走る。かくして、硬派は表面上いかなる共闘関係を保っていようと、永遠にはぐれ狼の宿命を背負わざるをえない。うち棄てられた野獣のごとく硬派は吠えつづけ、行動は烈しさを増す。その結果、硬派は裏切られ追放される。硬派の行動至上主義はかならず共同体の邪魔になるからである。裏切りの森を抜け、淋しさの尾根を越え、空しさの谷をはいあがり、硬派が辿りつくのはどんな頂か。

 硬派がその行動至上主義によって獲得しようとするものは何か。実をいうと、何もない。硬派はその行動によって富を得たり名誉を得たりするかも知れない。しかし、硬派にとってそんなことはほとんど意味を持たない。というのも、硬派の目的は行動することそれ自体にあるからだ。硬派の狙いは、行動の中に文学を描こうとしていることにある。

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豊浦志朗とは現在の船戸与一のことである。
彼は物語作家となる以前は海外を放浪し、その経験をいかしたルポルタージュや劇画原作(この時の名は外浦吾朗)の場で活躍していた。行動者としての立ち位置がまずありきだったのだ。
当時より頻繁に提示されている彼の思想(世界観や人間観)は、作家デビューした後の作品群の内容に見事に反映・貫徹されているのが理解出来る。この30年間、まったくブレがない。これは驚くべき事だ。よほどの信念がなければこうはいかないであろう。

また、彼はハードボイルド小説をこう定義している。

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 ハードボイルド小説とは帝国主義がその本性を隠蔽しえない状況下で生まれた小説形式である。したがって、その作品は作者の思想が右であれ左であれ、帝国主義のある断面を不可避的に描いてしまう。優れたハードボイルド小説とは帝国主義の断面を完膚なきまでに描いてみせた作品を言うのである。

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これもまた一貫している。彼の著作のすべてにこの視点が網羅されている。
しかも、これは驚くほど独自な見解だ。時代や洋の東西を問わず、ハードボイルドをこのように解釈した作家や評論家が果たしてこれまでに存在したであろうか?

そして行動至上主義者自らがペンを執って、その行動原理に基づいたストーリーを描く。これはまさに彼が定義した「硬派」である。船戸与一はそれを実践し続けてるのだ。

最大公約数的なニーズを満たすことを良しとする凡百な作家やクリエイターはそれこそ掃いて捨てるほどいる。
最終的に「表現」とは富や栄誉を得る為の手段だと割り切るビジネスマンたち、あるいは逆に100パーセントの情念を叩き付けるピュアな目的(これは極めて排泄に近い作業だと思う)だと定義する自称表現者たち。

しかし、それだけでは見ているこっちは少しも面白くないのだ。問題はそこに一貫した作り手の「ビジョン」があるかどうかである(これは「世渡り」なんて陳腐なレベルではない)。実作者が能動的に模索したであろう独自なテーマが、そのすべての作品の根底から沸き立っているようなものでなければ物足りない。
決してその根源が観念的な発露でなく、純粋な行動に裏付けされた「何か」がなくては表現に説得力がない。更にいえば、受け手側の能動的な思考を喚起させる「何か」を内包していなければならない...私はこういう物差しで対象を見る。

わかり易いところでは、三島はそれまでの観念的な世界観を脱する手段として肉体を使った行動へと向かった。
船戸はその真逆からのアプローチで作家になった。一口に「行動と表現 」を循環させている作家といっても様々なタイプがあることがわかるだろう。

(気が向いたら続きを書きます)

taizan66 at 09:45|PermalinkComments(2)TrackBack(0)芸術 

2008年04月20日

いとこの結婚式

君と俺が初めて会ったのは、君が生まれて数日後だったと記憶している。

当時、祖父母と暮らしていた我が家の応接間に敷かれた布団の上で毎日君は寝ていた。
小学生だった俺は級友たちに「今ウチに赤ちゃんがいるから見においで」と言って、家に何人も招待して君を見せびらかしたっけ。

親父の末妹である君の母上は結婚する直前まで同じ屋根の下で暮らしていたので、今でも姉のように思っている。父上のこともまるで兄貴のように慕っていた。
まだ小さかった君を連れて、4人で山下公園を散策したのを昨日の事のように憶えている。

訳あって長らく会えない期間があったけど、再会した時は立派な青年になっていた。

それから数年。俺たちを散々可愛がってくれた祖母も昨春に旅立った。親たちもすっかり年老いた。これからは俺たちが色々と牽引していかないとな...。

ようやくこれで一国一城の主になった訳だ。おめでとう。

taizan66 at 13:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)行動録 

2008年04月19日

憐憫せず

若く美しい女性はそれだけで幸せだ。

容姿端麗で、伸びやかな四肢を持って生まれてきた女性は、それだけで自由だ。
さらに、少しばかり機転の利く頭脳を持っていれば、それだけで人生無敵である。

彼女たちは、さぞこの地上で生きていくことの喜びを実感しているであろう。
何故なら、人間とは本能的に美しいものを愛でる生き物だからだ。そして周囲を幸せにする者は、人々からも寵愛される。

しかし私は、特に突出したものを持たず誰からも特別な待遇を受ける理由のない平凡な男で生まれてきたことに喜びを感じている。
何故なら、彼女たちには決して見えないであろう世界が、私にはよく見えるからだ。

一見完璧なものの小さな欠点より、欠点だらけのものの美しい一点の方が、より人を惹き付けるものだとわかったのは、私の人生の僥倖である。

なんのことはない...もし私がそんなすべてを兼ね備えたような女性で生まれてきていたら、私の性格からして鼻持ちならない人物になっていただろうと容易に予測出来るからだ。おそらく人生の表通りを最短距離で突き進むことしか考えないような。


taizan66 at 02:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)行動録 

2008年04月16日

チャンドラー派であろうとなかろうと

a21fbb6c.jpg原りょう(変換出来ず)の処女作『そして夜は甦る』(ハヤカワ文庫)読了。
実に半月も掛かった...遅読にもほどがある。

原氏は自他共に認める「チヤンドラー派」のハードボイルドを追求している作家だ。以前からその評判は十分に認識していたがなかなか手に取る機会がなく、氏の作品は今回が初体験であった。

主人公の沢崎は西新宿に事務所を構える私立探偵だ。所員は現在彼一人なのだが、事務所に彼の姓とは別の名が冠されているのは、以前彼の上司であった男が失踪し、そのまま事務所を引き継がざるを得なかった為である。

沢崎の造形は実にハードボイルドの探偵らしいクールな雰囲気に満ちている。
しかし、それはあくまで表層的な「ムード」だ。ストーリーを読み進めていくと、どうにも物足りなさを感じる...これは登場人物に「感情移入」出来る出来ないという類いのものではなくて、キャラクターそのものに魅力が感じられないのだ(これは脇役にも該当する)。一言でいうと観念的というか、人物の造形や描写に躍動感が欠如している。

これはストーリーの流れやプロットにも言えることだ。
石原兄弟をモチーフにしたのは明確であろう、都知事の兄と映画スターの弟。その都知事が選挙演説中に狙撃された事件を追うルポライターが失踪し、それの足跡を調査する沢崎...というのが大まかな流れなのだが、終盤の謎解きがあまりにも説明的過ぎてカタルシスを得られず、それまでの行動描写の積み重ねが不完全燃焼な形で収束してしまった印象がある。私の期待が大き過ぎたのであろうか。

しかし、ラストの後日談は逆にサラリと流している辺り、実に余韻があっていい。
ハードボイルドとは、登場人物の心理描写を極力排し、その行動や状況を俯瞰的に説明する「観察者の文学」だと定義する作家や研究者は多い。
したがって同じ行間でも、作者が意識的に敢えて描写を抑制した「余韻を感じさせる」行間と、「ただの」行間とではまったく性質や目的が違うことが理解出来る。

チャンドラーの影響を公言する作家の作品故、セリフの凝った言い回しや装飾が実に粋で小洒落ている。
こういったスタイルが好きな人にはタマらないのだろうが、残念ながら私にはこの手のスマートな会話のやり取りをあまり魅力的に感じられない。どうも作家の自己陶酔が鼻についてしまう。

一口に「ハードボイルド」といっても、様々なスタイルやアプローチがあるのだ。
以降、このテーマについては度々考察していきたいと思っています(目下、研究中)。

taizan66 at 02:20|PermalinkComments(3)TrackBack(0)書籍 

2008年04月14日

音と線

昨夜は池袋「鈴ん小屋」へ沢山のご来場ありがとうございました。

個人的には演奏中にどんどんアンプの音が変わっていってしまい(お店のMarshallをお借りしたのですが、終盤から割れたような音質になってしまった)途中かなり難儀した瞬間がありましたけれど、終演後に観客の皆様から「よかった」と言って頂き、やはりバンド演奏とは個人プレイの出来不出来よりも全体としてのバランスが重要なのだと再認識させられた一夜でした。
この辺、普段から単独の作業に徹している自分は時折見失いがちになってしまう部分なのです。 

それでも現場の悪条件を乗り切る為に、その場で「より効果的な音色」をアドリブ的にひねり出してみたり。結果的に、期せずして我ながら面白い演奏が出来たと思う瞬間もありました。

この様に、あらかじめ大まかに決めただけの曲の構成に、咄嗟の判断で音を紡いでいて「何かに似た感触だな...」と思ったのが、絵を描く時に白い紙に線を引っ張ってゆくという作業でした。

私は何の疑問なくこの作業を毎日のように行っているわけですが、まさに同じ感覚、同じ緊張感、同じ脳味噌でもって、昨夜は音という絵筆を使って音を描いている自分に気付いた次第です。これ、上手くいくととても気持ちいいんですよね。

目に見えない五線譜は真っ白なキャンバスと同義なのだなあ、と。絵でも音楽でも同じ事をやっていたのだ。

昨夜、店内に作品を展示していた盟友のアサコング、マーチ、そして浴衣の衣装を提供して下さったRumi Rockさんも、皆が自身に与えられた空間に各々の「絵筆」を自在に走らせていたのだった。


taizan66 at 20:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽 

2008年04月11日

連載を開始します

___08_GM_clapton_mまたまた告知ですが、今度は本業の方のお知らせです。

今月12日発売の「ギター・マガジン」(08年5月号 / リットーミュージック)にて連載を開始します。
本号より「ビギナーのための初級講座 ギター・マガジン音楽院」の扉イラストを担当する事となりました。

毎号一人ずつ「ギター・レジェンド」の肖像を描かせて頂きます。
記念すべき第1回は...さて誰でしょう?(この画像はモザイク処理をしております)。

この連載はタイトル通りギターを始めたばかりの方々に役立つ内容となっています。
後進の育成を熱心に行うのはどんなジャンルにとっても大切な事。かく言う私もビギナーの頃は「ギター・マガジン」さんの記事には大変お世話になりました。

このような企画に関われる事が出来て大変光栄に思っております。


2008年04月09日

今、なぜかワディ・ワクテル

59_lp-std_1現在、無性にレスポールにビグスビー・アームを取り付けたい欲求に駆られている。

無論、必要に迫られているという部分もあるのだが、何より「素」のレスポールを使用&所有しているという事が少々小っ恥ずかしいというのもある。何故かいまだにサンバーストのスタンダードは、いかにも「ロック!」なイメージが強過ぎるナ...という個人的な事情でどうにも落ち着かないのだ。

レスポールにビグスビーを装着すると、果たしてどんな見栄えで、そして使い勝手なのだろうか?

そこで、その手本となるプロギタリストの音源や映像を参考にしてイメージしてみようと考えた。何せ私には未知の領域だ。ギター自体の写真を眺めたところで何もわかりはしない。

実は意外と使用者の多くない「レスポールにビグスビー」という組み合わせで、真っ先に思い浮かべるのはニール・ヤング辺りだろうか。
しかし彼の使用するレスポールはゴールドトップをブラックにリフィニッシュした改造物である。ピックアップも違う。私が所有するのは58タイプのサンバースト+ハムバッカーなのだ。これらの違いはイメージする上で障害となる要素だ。

それに該当する「レスポールにビグスビー」な男と言えば、デビュー間もない60年代中期頃のキース・リチャード(当時)か。
しかしキースに関しては時代が古過ぎて、レスポールとビグスビーの旨味を存分に引き出しているデータが不足であまり参考にならない。元相棒のミック・テイラーも同じくビグスビー付きレスポールを使用している時期があったが、彼の場合は「素」の状態での印象の方が強い。

そこで思い当たる男がひとり。ワディ・ワクテルである。

私がワディの存在を知ったのは、大抵のストーンズ・ファンと同じくキースのソロアルバム「Talk is Cheap」(88年)での客演だった。
その後、ドラマーのスティーヴ・ジョーダンらと共に「The X-Pensive Winos」を名乗りキースのソロのステージのサポートを93年まで勤める事となる。

カールした長髪にメガネ。ルックス的には「アメリカのオタクが大学デビューしてロックに走った」みたいな冴えない風貌の彼氏だが、セッションマンとしての腕は一流だ。流麗なテクニックがあるのに、キース的「ジャカジャーン」な世界(抽象的ですみません)にも対応出来る骨太さがある。

彼は50年代のレスポール(俗に言う「バースト」)に、本来はボディトップが平坦なソリッド・ギターに取り付ける「B5」というタイプのビグスビー・アームを装着している(上の写真は「B7」)。

久々に93年のキースのソロツアー映像を観て、改めてワディの巧さを感じた。
ビグスビー付きバーストと50年代のストラトを使い分けるワディは、地味だが実に通好みの「職人肌」ギタリストだと思う。

Will but You Won't / Keith Richards and The X-Pensive Winos


後半の、キースのミカウバー(ご存知、5弦オープンGのブラックガード・テレキャスター)の剛直なリズムに、ワディのビグスビー付きバーストの印象的なフレーズが絡み付く、奥行きのあるアンサンブルが素晴らしい(しかも上手過ぎない所がいい)。
非テクニック派の感覚的ギタリストと、それを支える燻し銀プレイヤーの、実に見事な融合の瞬間である。

そして彼らが使うギターたちもまた、ステージ上の演奏者の一員なのだろう。それぞれに個性がある。だからギター探求はやめられない。

taizan66 at 00:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ギター 

2008年04月07日

チャボさんのギター

去る3月26日夜から27日朝にかけて、仲井戸麗市氏の愛用する2本のギターを含む機材が車ごと盗難に遭った。

「元RC仲井戸麗市の愛用ギター盗難」

「盗難に遭った機材一覧」

盗まれた2本のギターはチャボさんのファンにとっては馴染みの深いもの。どちらもかれこれ20年近く愛用され続けているギターである。

中でもアコースティック・セット時には常にメインで使用されていた「Gibson Chet Atkins SST」は、以前私のイラストがツアーポスターに使用された時に青山円形劇場の楽屋へと招待して頂き、チャボさん直々に手渡され恐る恐る弾かせて貰ったという懐かしい想い出がある。

車上荒らしなどという犯罪行為を堂々と犯す事自体もってのほかであるが、何より長年親しんできた愛機を失ったチャボさんの気持ちを察すると、持ち去った外道に対する怒りの感情しか浮かんでこない。

アーティストにとって、表現する為の道具はまさに自身の身体の一部だと言っても過言ではないのだ。この事の重大さに気付いて貰いたい。

以下のリンクから、今回盗難に遭ったギターを使用したステージ映像が見られます。

「仲井戸麗市のギター」(YouTube)

兎に角、無事に機材が戻って来ることを願うしかない。心当たりのある方はご一報を。

taizan66 at 18:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ギター 

2008年04月06日

浜離宮のyellow

f1bd15bd.JPG初めて浜離宮恩賜庭園へ行った。
東京で生まれ、もう30年以上も住んでいるというのに。東京人の行動範囲なんて所詮そんなものだ。

桜を目当てに行ったのだが、最も目を惹いたのは一面の菜の花畑であった。そう、「おひたし」にして食べてしまう、アレである。晴天の青と黄色い花の対比が目に眩しい。

ところで、折角ネットオークションで改造物のスプリットスクリーンを入手して装着したばかりのK10D + Distagon 25mmを持って行ったのに、何と2枚撮影したらバッテリー切れ。

仕方が無いのでサブ機のGR-Dで撮影を敢行するが、最早こいつの画質では満足出来ない身体になってしまったようで、今ひとつ気合いが入らない。

欲望は底なしと言うが、決してこれは単なる物欲ではない。より良い絵が欲しいだけなのだ、私は(ホントウ)。

嗚呼、気になる、気になる、DP-1。

taizan66 at 01:07|PermalinkComments(2)TrackBack(0)行動録 

2008年04月03日

Jesus meets a skull

dbc37401.jpg遥々スペインからクルス(十字架)が送られてきた。

前回の日記に載せた Devendra Banhart の存在を知る契機となった友人が、バルセロナの蚤の市で購入した物だ(赤い紐で繋がっている鍵はオマケ)。

全長は6cmほどで、詳細はよくわからないが何かの合金で出来ている(色味的にはニッケル系か?)。
経年によるヤレ具合から察すると結構な年代物だと推測される。本来の用途は礼拝の時に手から下げていたのだろう。

十字架の付け根辺り、ちょうど磔(はりつけ)られたキリストの足下に、いかにも海賊たちがシンボルに使いそうな髑髏と十字に組合わさった骨のレリーフが施されている。

友人は、この「キリストと髑髏」が組み合わさった細工を珍しく思い入手したという。

実際、こういうデザインは彼の地ではそれほど特別な物ではないみたいだが、確かに私も(一応クリスチャン)これまであまりお目に掛かった経験がない。
それこそ「髑髏と十字架」なんて図案は掃いて捨てるほど氾濫しているのだが...ここにキリスト像が関わってくると話は別だ。

スペインの歴史を紐解くと、様々な民族や宗教が重層的に入り乱れていて実に混沌としている。遥か極東の島国に住む無学な男にしてみれば、そこに何か「底知れぬ闇」が広がっているように見えても仕方があるまい。

この年代物のクルスは、そんな想いをさらに掻き立てる。

taizan66 at 15:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年04月02日

225と330

前にスペイン在住の友人から教えて貰ったDevendra Banhart

Devendra Banhart / I Feel Just Like A Child


このライブ映像には二本のギター、Gibson「ES-225」と「ES-330」が登場する。
どちらも現在では生産されていないシンライン・ボディ(薄型)のフルアコだ。

実はこれらのギター、11年前にシカゴへ行った時に向こうの楽器店で、同行した友人と私が同時購入したものと偶然にも同じ組み合わせなのである。

色もおんなじ。
友人が50年代中期製サンバーストのES-225、私が65年製チェリーレッドのES-330。

10年前の冬、私と友人は一度だけ同じステージでその二本のギターを使った。
しかしその後、二人ともそれぞれ訳有ってシカゴで買った思い出のギターを手放してしまった。

疎遠になった友人だが、風の便りで彼はチェリーレッドのES-330を入手したと聞いた。
逆に私は、ちょっと前にサンバーストのES-225を手に入れた。シカゴの時と組み合わせが入れ替わってしまったのだ。

このビデオを観て、ふとそんな事を思い出した。

2b1729ec.jpg「シカゴの安ホテルにて(97年)」


taizan66 at 03:07|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ギター