多治見弁 blog

 多治見弁(東濃弁)についての調査・研究内容を、市民の方々向けにまとめたサイト「多治見弁の部屋」とリンクしたブログです。  多治見弁の特徴について紹介していきます。たまに脱線します。

のがないでのう

三河などの「行くだ」や、東濃の「行くや」は、共通語の「行くのだ」だと述べました。
共通語でもラフな言い方では「行くんだ」となりますから、
ここからは「の」か「ん」かは同じこととしておくことにします。

「行くだ」「行くや」だと、動詞に直接「だ」「や」が付いていることになります。
「なんでこんなに暑いや」のように、形容詞にも直接付いています。

一方、共通語では、「だ」は「雨だ」のように名詞に付くものであり、
「行くだ」のように動詞に付いたり、「暑いだ」のように形容詞に付いたりはしません。
動詞や形容詞に「だ」が付くには、「行くのだ」「暑いのだ」のように「の」が必要です。
「どうして着替えたの?」「買い物に行くんだ」(=買い物に行くというわけだ)
「薄着だね」「暑いんだよ」(=暑いという事情ゆえだよ)
というように、「の」は状況の説明をするときに使います。
つまり、この「の」は、「事情」「わけ」などの名詞の代わりで、
動詞や形容詞を「だ」が付けられる名詞に近づける働きをしていると言えます。
この「の」は名詞の代わりということで、
「準体助詞」(体言(=名詞)に準じる助詞)と呼ばれています。


ということは、「の」無しで「行くだ」あるいは「行くや」と言う地域では、
「行く」だけで共通語の「行くの」のような名詞の要素を含んでいるとみることができます。

前に原因推量について書いたように、
「行くだ」という地域の一部では、「の」の意味を含んだ「行く」に、
「だろう」に当たる「ずら」が付いて、
「行くのだろう」の意味で「行くずら」と言うことが知られています。
東濃での昔の調査でも「ずら」が使われていたことがわかっており、
今回の調査でも「昔聞いたことがある」という人は1割強いましたが、
多くの人は、「聞いたことがない」そうです。
「自分は言わないが地域の人が言うのを聞くことがある」が約5%、
あるいは「自分が言う」との回答は東濃東部に限られ、全体の1%程度でした。
恵那・中津川の方の回答の割合が高かったことを考えると、
現在の東濃全体ではかなり少ないと考えられます。

ちなみに、東濃で「の」がないのは、共通語で理由を表す「ので」の「の」も同じことです。
東濃周辺では「の」を入れずに「で」と言いますね。
「買い物行くで、車、使うよ」
「暑いで、エアコンつけよか」

なんで「の」を言わんやろうのう…?
(文末の「のう」はまた別物ですね。)

なんて言うや

今度は、推測するときでなく、質問するときを考えてみます。

共通語だと、出かけようとしている人に行き先を聞くときは、
おそらく、その出かける人の頭の中に答えがあるだろうと思って、
「どこに行くの?」「どこに行くんですか?」
というように、「の」「ん」を入れて聞きます。
入れないと、「どこ行くですか?」と、サザエさんのタラちゃんみたいになります。
また、よそ行きの服に着かえていて、今にも出かけるつもりでいそうな人には、
「出かけるの?」「出かけるんですか?」のように
やはり、「の」「ん」を付けます。

東濃でも、相手の頭の中に答えがありそうなときは、
「どこ行くの」のように「の」を付けて言う人が8割以上と多い結果となりました。
ただし、共通語で「どこに行くの↗」と上昇調で聞くのと違って、
東濃では「どこ」などの疑問詞があるときは
「どこ行くの↘」と下降調のイントネーションで言うのをよく聞きます。

しかし、この調査は複数回答だったので、「どこ行くの」だけでなく、
「の」無しで(おそらく「どこ行くぅ↘」)のように聞く人も6割近くいました。
疑問文の最後の「の」もよく抜けるんですね。

これに対して、相手の頭の中に答えがなさそうなとき、例えば、
暇そうにテレビを見ている人に、
「私は今から散歩に行くけど、あなたも一緒に行く?」
と、突然聞くような場合は、共通語でも「の」「ん」は付きません。
東濃弁アンケートでも、相手の頭の中に答えがなさそうな、
「散歩行くけど、あんたも一緒に行く?」の場合に、
8割以上と最も多くの人が「の」無しを選択しており、
こういう場合に「の」無しなのは共通語と同じ傾向だということがわかります。

さらに面白いことに、東濃では、
「どこ行くや」のように「や」を付ける人も3割以上いました。
瑞浪で特に多いようです。
この「や」は、「の」の代わりというよりは、「だ」の代わりと考えています。
三河地方や、静岡、長野、山梨県などで、「どこ行くだ」と言いますが、
その「だ」の代わりです。
これを共通語にすると、「どこに行くんだ」=「どこに行くの」となります。
(共通語だと、男性的、女性的という違いがありますが、方言だと性差がないこともあります。)
結局、「行くんだ」「行くのだ」から「ん」「の」を引いた「行くだ」の「だ」を「や」にしたものが、
「行くや」というわけです。




なんで「ん」がない(ん?)やろう

東濃弁アンケート2025の結果の続きです。

共通語の場合、出来事の原因や背景を推測するとき、
「あの人がおしゃれしている。きっと、デートに行くのだろう。」
「時計が止まっている。きっと、電池がないんだろう。」
というように、動詞や形容詞と「だろう」の間に「の」か「ん」が入るのが普通です。
こういう、原因や背景を推測する言い方を、ここでは「原因推量」と呼ぶことにします。
「いつになったら雨が止むんだろう」のように、「いつ」のような疑問詞がある場合も
「の」「ん」が入ることがあります。

一方で、単にこれから先のことを推測する場合は、
「きっと明日は暑い(×の・×ん)だろう。」
というように、「の」や「ん」は使いません。
これをここでは「単純推量」と呼んでおきます。

この「の」「ん」は、どの方言でも使うわけではありません。
富山県だと、「が」になって、「電池がないがやろう」と言ったりします。

長野県や静岡県などでは、
「~だろう」の意味で「ら」、「~のだろう」の意味で「ずら」を使うとされ、
「行くら」「行くずら」などと言って区別があるとされてきました。
(「行くら」は恵那や中津川でもよく使われています。)
こうした地域は、「行くんだ」という意味で「行くだ」と言う地域と重なっています。
つまり、「ん」が抜けているのですが、原因推量の時は「ずら」を使うので、
(現在では「ずら」の前に「ん」を付けて「行ったんずら」と言う人もいるそうですが)
いずれにしても、原因推量と単純推量の区別があります。

しかし、1980年前後や2010~2015年に行われた調査によると、
東濃では、ほとんどこの区別がなく、
原因推量でも「の」も「ん」も、もちろん富山のような「が」も、入らないようです。
そこで今回のアンケートでも調べてみたところ、
「日本言語地図」の調査が行われた頃である、1950年代以前の生まれの方々では、
原因推量でも「行くやら」のように、
今も「の」「ん」無しで言う人のほうがやや多いことがわかりました。
一方、1960年代以降の生まれでは、原因推量では全体で75%ほどの人が
「行くんやろう」「行くのだろう」のように「の」「ん」入りの回答でした。
単純推量で「の」「ん」を入れる人は、世代を問わず、ほとんどいませんから、
共通語と同じように、原因推量と単純推量を区別する人が増えていることになります。


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