2009年05月29日

技術信仰から宇宙哲学へ: 映画に見る宇宙居住のイメージ

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論文を何百万稿も読まなければならない仕事をしたことがあったので
別に内容を読む必要なんか全然なく、一部だけ見ていればいいのですが、
気になったものが何件もありました....















技術信仰から宇宙哲学へ: 映画に見る宇宙居住のイメージ
渡辺武信

建築雑誌 Vol.103, 1988年1月号 pp.42-45


宇宙住居という言葉を使ってるのですが、本文中では住居に関する話題が一切ありません。
しかしながら、建築の人が使う「住居」という言葉は、一般的な意味での住居のことではないようです。



技術への信頼――「月世界征服」




1950年 ジョージ・パル 製作
.....いわゆる人間のドラマは何もない、いたってシンプルなお話。
しかしこれは描写のリアリティと技術への素朴な信頼による、
厳粛な科学啓蒙映画というべきもので、しかも、同時まだ希少だった総天然色カラー映画で、チェスレー・ボンステルという宇宙科学に造脂深い画画の想像画による.....




超人類的秩序への予感と畏怖――「2001年・宇宙の旅」





...........この作品が同じ"SF"という略語でも空想科学映画 science fictionではなく思索空想映画speculative fictionではないかと言われたのはこのような難解さを伴った知的深さによる。
...........どういう解釈をするにせよ、ここに、宇宙には人類の技術の連続的発展によっては決して超えられない超人類的存在がある、という宇宙観が示されているのは確かだ。
その前後に無数にあった宇宙を非現実的な冒険の場としてのみ利用したスペース・オペラ群にもなかったもので、それこそが「2001年・宇宙の旅」の本質的な新しさであり、歴史的重要性であると言えるだろう。


神の訪れ――「未知との遭遇」





「未知との遭遇」は宇宙物ではあっても宇宙塵(宇宙人の誤植であると思われます)が地球を訪れるお話で、厳密に言えば宇宙住居物ではないが、「2001年」の宇宙への畏怖を形を変えて継承している点で取り上げる意味があろう。
.........この荘厳な宇宙船のイメージには、科学者たちがそれを未開民族が神よりの使者に対するかのように迎えるのを観客を納得させてしまう効果がある。相手もこうした人類の期待に応えてきわめて友好的であり、ぼんやりと姿を現す宇宙人は異形ではあるが、どこか女性的な優しさを感じさせ、善なる妖精という趣だ。
......ここまでの宇宙人には敵対的存在が圧倒的に多かったという歴史的状況から考えると、「未知との遭遇」の規模雄大でリアリティに満ちた友好的宇宙人のイメージ提出は画期的であったと言えよう。



父なる神、母なる神、虚無の神――「惑星ソラリス」



....言い替えれば、キューブリックは西欧的な父性的な神を思い、スピルバーグは仏教の菩薩にも似た慈愛に満ちた母性的神を求めているのではないか、宇宙に存在するかも知れない未知の知性が、人類と同じように愚かさや闘争本能を持っていても不思議ではないから、「未知との遭遇」に現れたスピルバーグの宇宙観はややロマンティックに過ぎるようにも思われる。..................
同様に超人類的知性を設定しながらどちらでもない中立的存在として描いたのは
「2001年・宇宙の旅」「未知との遭遇」の中間に作られた(ソ連)アンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」である。
.................
ソラリスの海はそれ自身が知性を持った存在で、.......人間を助けたり苦しめたりするためではなく、それはいわば知性の呼吸のような自律的動きとして 現象作用を起こすのだ。それは善意とか悪意というような基準では測ることができない現象であり、したがってそこにはあらゆる人間的解釈を拒んでただ沈黙する。
.................
地球外生命他を登場させたほとんどすべての映画が、それらと人類との間に友好的、敵対的の別はあって何らかのコミュニケーションがあることを前提としていたことを考えれば、全く新しい宇宙観、生命感であるといえよう。




伝奇的世界としての宇宙――「スター・ウォーズ」










「スター・ウォーズ」はルーカス自身も誇らかに認めているように、新しい宇宙観の提示ではなく1930年代からアメリカで作り続けられた無邪気で漫画的な宇宙ヒーローシリーズの大がかりな再現を狙った作品であるからだ。
................
無邪気な快楽が再現したばかりではなく、それらを遥かに超える新しい魅力を生んだ。
宇宙船や未来の武器がこれほどクッキリとした輪郭をもって描かれた例は先にも後にもない。しかもそれらがピカピカの新品ではなく、長年使い込まれたかのように傷や汚れをつけて登場してくるので、これにはうなった。
................
そこには印象的な脇役の一人であるゴリラのようなチューバッカを含めて、
さまざまな奇怪な姿をして異星人が登場するが、それらはすべて人間的な善悪の基準に従ってはっきり染め分けられ、コミュニケーションの断絶は全くない。
..............
「スター・ウォーズ」は謎や神秘に満ちているが、それは個々の幻想的存在に関わるものであり、広大な宇宙というものに対する神秘感や畏怖は全くないのである。
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もちろん、それがこの映画の良さでもあるのだが、人類の宇宙住居のイメージとしてはむしろ先祖返りをしているわけで、新しさはないのだ。



悪魔の復活――「エイリアン」












「スター・ウォーズ」と同様に昔からあった物語のパターンを使いながら、結果的に注目すべき新しい宇宙観を提示しているように思えるのは、79年にリドリー・スコットが作ったエイリアンと86年に作られたその続編である。
..............
エイリアンは絶対的な悪である。しかもそれはダースヴェーダーのように人間的尺度で測れる悪玉ではなく、あらゆるコミュニケーションを拒みつつ、ひたすら本能によって人間に襲い掛かる存在だ。
宇宙にこのような凶暴な生物がいるという設定は、古典的ではあるが「スター・ウォーズ」はもちろんのこと「2001年」や「未知との遭遇」も忘れていたという点で改めて新鮮である。















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