2014年12月31日

言葉の意味を定めることが議論の本質です。

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様々な解釈が可能であるからこそその言葉を使った争いが生じるのであって、

意味が一意的ならばその言葉に関する対立(実際には、齟齬、誤解、誤謬)は収束し、消滅せざるを得ない
というような話です。
※解決でさえありません。消滅です。  

そういう、意味のほんの僅かな似て非なる差異は、言語空間に非常に多く在ります。
逆に、違うものを同じものだと勝手に思い込んでるケースも非常に多く在ります。

言語ばかり見てるわたくし自身がそのように思う...というか、厳密に言葉の意味を検証すれば、意味が違うことに気付かざるを得ないはずなんですが、意味を正確に考えようともしない愚か者は非常に多いです。

※「意味」の意味、定義 ... 意味論における意味の意味です。

具体例が出ないとわからないでしょう。
こんなことはいくらでもあるんです。他の単語でも、いくらでもあるんです。
A「科学が進歩した今でも説明できないことは無数に残っている。これを神の御業と言わずして何と言おうか!」
B「全知全能の神が存在するなら、なぜ悪が存在するのだ。なぜ、神を信じない自分のような存在を許すのだ。そのような存在を許すものは全知全能でもないし、神とは到底呼べない。」
C「神は私達の心の中にいます。神の存在を信じることによって心が豊かになります。そう信じます。」



D「神は日本の文化ですよ。

奈良時代からの歴史があります。

芸術性と機能性の表面から高く評価されています。

今年、無形文化遺産にも登録されましたしね。」

Dはもちろん全然違うことを言っているのですが
実は、A,B,Cも、同じ言葉を完全に違う意味で使っています

だから、それは違う意味、違う対象であり、ここに、対立...というか、そもそも、立場の違いなんか存在していないのです。
それは実は違う言葉、違う意味だからです。



しかしながら、どういうわけか、同じ言葉は必ず同じ対象を指していると勝手に思い込む者が非常に多いですよね。




D「最初から神と発音していましたよ。あなたが勝手に誤変換しただけじゃないんですか?」


意味が自明であるという思い込み...
無知に訴える論証....
一種の誤謬を、自分自身に対して行っているのではないか.....
一種の反知性主義です。
そういう基本的な...科学的、論理的思考が出来てない(出来なくても(やらなくても)支障はない)という思い込みが根源ですよ。
本当は、支障が出るんです。

「言葉の意味は人それぞれ全然違います」
当たり前だと思っても、常には認識していませんよね。







これに関連する、 言葉と意味の重要な関係の例なのですが

翻訳の心がけ
 想像力は大事。 勝手に想像するという意味ではなく、言葉の意味をちゃんと頭を使ってとらえるという意味。 字面を字面に置き換えてはいけない。途中、ちゃんと「意味」を経由しなければいけない。 自分が理解できない文章を翻訳することはできない。

 原文の意味をよく伝える、 日本語として適切な文章を作ること。 原文の構成や言葉遣いに引きずられて、日本語としておかしい文章にならないように。


この説明でもちょっと言いたいことが伝わらないかも知れないので付け加えますと、
翻訳について、多くの専門家が言うことなのですが
翻訳するということは、
言葉を訳するのではなく 意味を訳すのです


tak_tak0 at 12:07コメント(0)IT原理主義   この記事をクリップ!

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