ひとつの実名だけで生きる時代が、終わりつつあるのかもしれません。インターネットをめぐっては、よく「実名」と「匿名」という2つの世界が論じられますが、じつは、もうひとつ見落とされている世界がある。それは「仮名」。仮名とは、固定ハンドルネームであり、ニックネームであり、お馴染みの日本語でいえば「あだ名」ですね。現代は、多くの人々がひとつの「実名」だけで生きる息苦しさと、不確実な「匿名」が飛び交う混沌との間で、何らかの「仮名」を使って生活しているのではないでしょうか。
歴史を振り返れば、「仮名」が日本の文化に深く根ざしていることが分かります。歌舞伎役者や落語家は「襲名」を脱皮のように重ねることで成長してゆくもの。相撲の世界も似ていますね。江戸時代までは武士や豪商の世界でも、同じような襲名がありました。近代になり戸籍制度が整えられて、はじめて日本人は、生涯ひとつの「実名」に縛られて生きることを強いられたのではないか、と私は思うほどです。おミズの世界では、「源氏名」という仮名が今なお根強く生き残っていますし、文学や芸能の世界では、仮名が実名よりも有名であることが普通です。

母であり妻でもある女性が、その暮らしに満足しながらも、ひとりの女性として見られる時間を得たいと願うのは自然なこと。男性もまた、会社員であり、父であり、夫でありながらも、ひとりの男性として見られたいと願うものでしょう。さまざまな自然現象に昼と夜との顔があるのですから、人も複数の顔や名前を持つことを望むのが自然ではないかと思うのです。

個人のプライバシーと国民番号制度の関係は、国家が個人に過大な負担や管理を強いたときに問題になります。それを苦痛に思う程度は、人によりけりでしょう。どう制度を変えてみたところで、あらゆる人にとって100%満足できる制度などないと思います。ただ、この2つを両立させるための方策や工夫はある。それは「仮名を復権させる」あるいは「仮名で活動する領域を広げる」という方策です。ブラジル社会には、数々の偉大な仮名が実在します。ペレも、ジーコも、みな「アペリード」と呼ばれるニックネームで、本名は別。かつての大統領のサルネイもアペリードだった。なんと条約に渾名(あだな)をサインしていたんですね。

仮名とて、責任が伴なうことに変わりはありません。芸人が芸名に誇りを持つように、普通の人が別の名前にささやかな誇りを込めながら生きることができる時代です。音楽が好きな人にとっては、仲間と組むバンドの名前が芸名だといえる。これからは終身雇用に確かさが失われ、退職後の長い時間を過ごす人も増える高齢化の時代になります。それは、やり直すことや、別の顔を持つことが、より切実に求められる時代になるでしょう。仮名で生きる楽しみを多くの日本人が享受しつつ、しかし実名では確かなIDで社会と繋がる。これが最も現実的な解決の道だと思います。これで管理される苦痛は、幾分は緩和されることでしょう。

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