入社したばかりの里谷多英に与えられた仕事は、新聞の切り抜き作業だったとか。フジテレビに関する全ての記事を切り抜いておくよう命じられ、最初に見つけたのが社員の不祥事だったとも言われています。
その里谷より遥かに五輪にゆかりが深い堤義明が逮捕されました。しかし、私が予想していたよりも批判が強くは見えない。里谷のスキャンダルが凄すぎるのか?それとも、ホリエモンの注目度が高いから?あるいは逮捕が予想されていたから?私は、西武と多くの人々の思い出が密接に繋がっているからじゃないかな?とも感じます。

猪瀬直樹が言っているように、プリンスホテルもブランドだったわけです。赤坂プリンスは赤プリと呼ばれ、あまたの恋愛や結婚や謝恩会を彩ってきた。松任谷由美の楽曲と苗場プリンスは密接に結びついている。これらの舞台の根底がウソだったわけですから、西武を否定することを自分の思い出が否定されるように感じる人がいるかもしれない。

20年ほど前、私は西武鉄道の社員寮に友人を訪ねたことがあります。そこでは若い社員たちが堤義明と愛人との関係を噂していました。ある日、業務命令で桜の花びら一枚も落ちていないように掃除を命じられ、不思議に思っていたら、堤義明の愛人が来たという話です。「こんなに線路がゴチャゴチャしている私鉄は、日本にはない。昔、多摩地方の人たちが独自に線路を拓いて、それを堤康次郎が買い占めたからだよ」。そんな鉄路の歴史も教わりました。

私が感じるのは、堤義明の孤独ですね。兄の堤清二には「辻井喬」という別の仮名があり、作家としての活動があった。帝王に指名されていた堤義明には、別の生き方をイメージする機会が与えられなかったのではないか。あの企業の社風は先代からのものであり、先代の抜け殻を生きることを堤義明氏が強いられただけのようにも見えます。その不幸を分かっていたから、衆議院の議長までやった康次郎は、息子たちの前で畳に手をつき、義明に頭を下げて後継を告げたのではないだろうか?

義明氏は、ホテルの内装からゴルフ場の電話の設置場所まで細かく指示していました。それは裏を返せば、基本的な会社の骨組みを弄(いじ)らなかったということです。根っからのスポーツマンだった彼は、企業の根幹を変えることがイメージできなかったのだと思う。それは彼にとってスポーツのルールを疑うことと同じだったのでしょう。私は、それこそが先代による指名の理由だったのではないか?と推測しています。この息子なら、己(おのれ)自身の人生ではなく、私の人生を生きてくれるに違いない。そういう鬼のような利己的で残酷な選択が、「ピストル堤」と呼ばれた父・康次郎の本願だったように思えるのです。それは、子供を犠牲にしてまで、自分の命の永遠を願うような凄まじい願望です。

堤義明は、息子に事業を継がせようとしていません。それは、彼が堤一族の鉄と血をめぐる本当の恐ろしさや怖さを、身にしみて知っていたからのように思える。だから私には「独裁者」という報道の角度が少しズレているように見えるのです。本当の独裁者は「ピストル堤」であり、その野望は死後40年を経て、ようやく潰(つい)えたのです。堤義明が悪者や独裁者ではなく、まるで抜け殻のように見えるのも当然です。批判が強く見えないのは、きっと多くの人が直感的にそれを感じているからでしょう。

毎度ありがとうございます。

カブログ・ランキング