mayo1もう、国境が溶けてる感じですね。21世紀のアメリカ合衆国は、おそらく英語と並んでスペイン語を公用語にするのではないでしょうか。少なくとも次の大統領選挙では、ヒスパニック住民の動向が極めて重要になりそうです。5月1日の運動は、キング牧師やマルコムXら黒人の運動に似ているようにも見えますが、やはり生活感があって、どこか楽天的で、さまざまな国旗や表現が混在しているあたりがラテン的。ロス・アンジェルス(天使たち)、サクラメント(奇蹟)、サンタクララ(聖女クララ)など、スペイン領だったカリフォルニアにはカトリック信者によって名づけられた地名も多い。だから歴史を振り返ると、まるでスペイン語を話す人々が、再び自分たちの場所を取り戻そうとしているようにも見えてきます。

私がヒスパニックの隆盛を確信したのは、トマト・ケチャップの売り上げをサルサ・ソースが上回ったというニュースを聞いたときです。政治とか経済が語られるときには、ついつい男性的な理屈や言葉ばかりが使われがちなんですが、大衆の動きが歴史を動かすような場面では、生活に密着した女性的な表現や現象の見方が重要になると思います。だから、私は現在の日本で、「チゲ」や「チジミ」といった料理の名前や、韓国ドラマの俳優たちの名前が浸透していることを過小評価しないんですね。21世紀の今は、多くの人々が国境を越えて、音楽やドラマや料理などを楽しむ時代になっているし、地域にも外国人の姿が増えている。私は、生活に近いところで、国境が溶けつつあるのを感じます。あれこれ難しい理屈を言う人が、どこか非現実的に見えてしまって、ごく普通の人々こそが、味覚や触感で時代の変化を敏感に感じ取っているようにも思える。つまり、「たかが料理」とか、「たかがドラマ」という見下したような見方が、いかにも時代の変化についていけない高学歴の中高年のオジサンの呟きのように思えてしまうんですね。

長野県では知事選が近いので、いろんな会合で、さまざまな主義や主張をうかがうことが多くなってきました。そこで、まず感じることは、やはり中高年の男性の多さと声の大きさ。若年層や女性の表現や意見というのは、どこか少数意見のように扱われることが多い。よく、自民党がカリスマ料理研究家や20代の若者を国会議員にしたことを取り上げて、「素人に何が分かる!」と声高に批判する人もいるんですが、住民に近いこと、あるいは素人的であることが、選挙で重要になることも事実です。「脱・田中康夫」を目指す多くの人々も、「じゃあ、女性や若年層に名前を書いてもらうためには、どうしたら良いのか?」を考えざるを得なくなってゆくでしょう。

ヒスパニック人口21世紀は、日本でも、アメリカでも、欧州でも、似たようなことが起きそう。政治でも経済でも、20世紀の仕組みは、まだまだ強固に残っていますが、やがて21世紀の新しい現実に対応しきれなくなってゆくでしょう。日本はアジアの、アメリカはラテンの、欧州はイスラムの、それぞれ人口の多い若い活力をどう取り込んでいくか?、あるいは、どうやって折り合いをつけてゆくか?が課題になる。このテーマには、国家や政治だけでなく、企業や、個人や、地域社会も向き合わないとやってゆけなくなるような気がします。「国が移民を受け入れるか、どうか?」は、もう古びたテーマになっていくかもしれない。移民やマイノリティのような「異質な他者」と対話ができる地域や個人や企業が生き残る、という時代になるでしょう。