今週のBS特集には思わず見入ってしまいます。『民衆が語る中国・激動の時代〜文化大革命を乗り越えて〜』。20世紀の終わりに中国が曲がったカーブがいかに大きかったか?それが平坦な道でなかったことが良く分かる番組です。インタビューに答える文革世代の人々の背景にはパソコンや観葉植物があり、中にはポケットで着メロが鳴り始めている人もいて、それが時代の変化を告げています。雲南省でゴムの植林のために伐採の作業をしていた人。山西省で雑草を抜いていた人。あるいは肩が腫れ上がるほど鉄を担いでいた人。彼らこそは下放政策に従って、文字通り「額に汗して」働いていたのです。いま日本には、そういう体験を経ずして「額に汗して働くことが大事だ」と強調している評論家などがいますが、それは偽善ですね。

きょう放送された第3回では、林彪事件をキッカケに、当時の若者たちが毛沢東に疑念を抱いていく過程が印象的でした。「まるで氷が解けるように、私たちは気づいてゆきました」。私は、つい田中康夫さんが支持を失っていった過程と重ね合わせてしまいます。田中さんにとって大切だったのは、マスコミの中で自分が目立つこと。文革に火をつけた毛沢東は「農業は大寨に学べ」というスローガンを掲げましたが、「信州ルネッサンス革命」を唱えた田中知事は泰阜村を褒め称えました。文革期には都会のエリートたちが農村での労働に従事させられましたが、田中県政では総務省から派遣された官僚が栄村に、任期付職員として採用された女性が王滝村に、それぞれ送り出されました。田中知事は都会のホテルを転々とし、それを自慢げに連載に書きながら、東京のマスコミに対しては、自分こそが地方を知っているとアピールし続けていた。この偽善に気づいた人たちが、田中支持から反田中に転じたのです。

文化大革命という大衆運動は、メディアなくしては考えられないものです。演劇界出身の江青は次々と敵を攻撃しましたが、おそらく政治という舞台で勧善懲悪の劇を演じ続けていたのでしょう。いま田中さんに近い人物では、勝谷誠彦さんが同じ役回りをやっています。日本の放送局も、あぁいう人をよく出しますね。日本の内側に敵を探して罵り続けてばかりだから、ますます視聴者の意識が内向きに偏ってしまう。CNNやBBCを見ている感覚からすると、明らかにヒステリックで扇動的な出演者です。

決戦!! 中国株きょうは台湾の地震の影響で香港株の画面も見られない状態でしたが、終わってみればH株指数が10,000を超えています。中国石油天然気+5.01%、人寿保険+10.88%、中国電信+9.76%と大幅に上昇。こうなると先行き懸念される材料は2つですね。ひとつは、株が上がっている事実そのもの、つまりは相場の過熱感。ふたつめは、金融を引き締める政策が出ることです。たとえ金融が引き締めになっても、中国の成長は止まらないと私は考えています。いま読んでいる『決戦!!中国株―北京五輪、上海万博、人民元高…好機沸騰で、超一億円!』という本には、次のような前書きが出ています。

共産党の一党独裁だとか、沿海都市と農村部の収入格差だとか、断片的なことだけをことさら取り上げて、日本のマスメディアは相変わらず「スワッ!中国経済崩壊か?」などという論調を繰り返していますが、年の半分近くを中国や香港で過ごしているわたしのような人間からいわせると的外れもいいところですし、逆に「では、日本の将来はそれほどバラ色なのか?」といいたくなります。

最近、話題になった問題といえば、ニート、ひきこもり、談合、いじめ、あるいは監禁や盗撮などの犯罪などが思い浮かびますが、すべての現象に共通しているのは「内向き」であるということです。自治体の隠れていた借金も、市長や議員や地元のローカル・メディアのお仲間意識の強さが原因だと私は感じています。地方では、銀行も、市長も、議員も、新聞社も、テレビも、偉い人たちは「みな、お仲間」というところが多い。中高年の暮らしを脅かしている格差だって、そもそも年金などが当てにならないことが問題です。外から投資を呼び込んで、雇用を守り、税収を確保する意識が弱いことが、そのまま地方の弱さになっている。アラン・グリースパンは日本国債が買われる理由を「極端なホームバイアス」と指摘しましたが、気がつけば日本の多くの分野で極端に内向きな現象が進んでいたのです。

中国に対する感情や意見は、人それぞれだと思います。しかし、これだけ影響力を強めている隣国の指導者について30分、いや15分のインタビュー番組さえもないような現状は、あまりにも不自然です。胡錦涛(フー・チンタオ)や次々と出てくる経営者たちについて、「良い、悪い」「正しい、正しくない」の以前に、まずは情報が乏しすぎる。まだ20年前の方が、中国の指導者たちの生い立ちや性格についての解説が多かった気がするほどです。

私は、日本のマスコミに関係する人たちが、「内向きな何か」を懸命に守ろうとしていて、ゆえに弊害が年々強くなっているように感じています。日本人選手のスポーツでの活躍も、「感動!」が繰り返し強調されるたびに、なんだか電通や家電メーカーの営業にお付き合いをさせられている気がしてしまいます。もう北朝鮮の映像ばかりを見て、「日本と比べて酷いわね〜」なんて思っている場合ではないと思います。私たちも、氷が解けるように何かに気づき始めているかもしれません。