松本は−13℃の寒さ。凍った水道管を直す業者は、「朝の4時でも、お客さんが待ってるんですよ」と言っています。アパートに帰ったらドアが凍りついて開かなくなっていた、という人もいます。株価も冴えない。CNBCは、「日本は景気後退に入ったようだ」というゴールドマン・サックスの見方を紹介しています。

いま起きている日本の景気後退は、きっかけとしては米国のサブプライムによって引き起こされたように見えますが、日本の構造的な問題が表面化しているだけのように私には思えます。マクドナルドの店長の肩にのしかかっているのは、市場の全体が縮小してゆくのに、そこで何とか販売量を伸ばそうとする企業の無理。国会は、外交でも税制でも「暫定」の延長だけが焦点になってしまっている。教育でも、技術や投資の重要性が強く意識されているとはいえない。テレビは過去の残像に、出版は「品格」にこだわって、懐古趣味を蔓延させている。とりわけ深刻なのは、多様性や成長性を押さえ込みながら、外部の変化とは無縁なままに、これまでの豊かさが享受できるだろうと思い込んでいる巨大な錯誤です。

先週は東京でテレビ番組を作っている男性と久しぶりに会いました。金曜日の夜7時だというのに、松本の街はガラガラ。ご案内したキャバクラだけが満席だったので、その人はとても驚いていました。地方の同じ街の中で明暗が分かれている風景は、マスコミでは報道されていません。報道されていない風景は存在していないのと同じだから、きっと彼は驚いたのでしょう。

私も20代の頃には、しばしば番組制作の会社に出入りしていましたが、いまの現場が抱えている問題は、私の想像をはるかに超えているようです。給料の格差や「やらせ」の問題の以前に、意思の決定そのものが曖昧さを強めている。さんざん会議をやって決まった企画が、いとも簡単にひっくり返る。どこで、誰が、何を決めるのか?それが不透明になっている。昔と違ってグローバルなメディアに接することが可能な時代なのに、いまだに放送局は日本語の壁に守られていて、そのことを意識している人が少ない。

東京のマスコミ業界は、これから地盤沈下してゆくと思います。私は、昔ほどコカ・コーラやペプシのCMを目にしなくなりました。中国の広告を見ると、大衆消費の勢いの違いを痛感します。若い人たちが飛んだり跳ねたりしている映像が多い。日本では、薬や保険など高齢者むけの広告が増え、深夜になると通販ばかりのようで、若い飲食店の従業員などは「家に帰っても見る番組がない」と言っています。グローバルな企業だって、わざわざ高い費用を使って伸びない市場で広告を打つより、しっかり消費が伸びる新興国に力を入れるのが当然の判断です。雑誌やテレビが連動し、有名なタレントが使われてた缶コーヒーの大々的なキャンペーンも、最近は目立たなくなってきたと感じます。

店に置いてある"The Economist"という雑誌をアルバイトのフィリピン人女性が読んでいたので、私が「日本はダメだって書いてあるでしょ」と言うと、彼女は大きく頷きました。香港人の若い男性にパソコンに映る鳳凰衛視を見せ、日本のテレビとの違いを幾つか説明すると、彼は「な〜るほど」と言います。もはや株や為替を通じてアジアに目を向けるだけの段階ではなく、身近な人やメディア、つまりは自分の日常でもアジアを意識してゆく時代になったと思います。日本人だけで群れ固まり続ける生活には、リスクを感じます。

きょうは市内の老舗の社長さんから市長選についての掲示板を立ち上げるよう言われたので、ヤフーの掲示板に「松本市長選2008」というトピを作っておきました。