三浦和義 若き日の三浦和義の映像からは、80年代の景気の強さが伝わってきます。ワイドショーで主役をはっていた当時の三浦氏は、30代の後半。現在の30代や40代が置かれている状況を考えると、疑惑をめぐる「正しい、正しくない」という話よりも、つい華やかで派手な行動の方が目についてしまいます。拘置所で自殺したと報じられていますが、もうひとり拘置所には危篤に陥っている60代がいて、それが連合赤軍の幹部だった永田洋子。私には、社会の秩序に挑戦するように生きた2人の異端者が、対極に位置しているように思えます。

永田洋子は、大学に入って共産主義という理念にのめり込んでいった女性。学生運動を経験した人の中には、「連合赤軍を全くの他人事として考えることはできない」と重い口ぶりで語る人もいます。戦後の日本では、多くの学生や労働者が、それぞれに濃淡はありながらも、左翼運動に関わったり影響を受けたりしました。一方の三浦和義は、不良少年で、愛欲、金銭欲、自己顕示欲にまみれ続けた男性。戦後の日本は、多くの人々が、豊かさと自由の広がりとともに金銭欲や愛欲に揺れ続けてきた時代でもある。私は、多くの人が2人の異端者の中に、自身の履歴とわずかでも重なるような部分を感じたからこそ、強い非難や関心が湧き上がったのではないか?と推測しています。

大多数の日本人は、まともな普通の人として、いわば正統な道を歩み続けた。髪を伸ばしてフォークソングを歌ったり、就職活動で慌てたり、組合での苦労があったり、転勤があったり、ときには不倫のような甘美な時間が流れたかもしれない。いまは、その多くの普通の人たちが、退職の時期を迎えていて、どんな風に時間を使おうか?を考えている時期ではないかと思います。

信濃毎日新聞の記者には、「選挙ほど地域が分かる取材はない」と言う人がいます。たまたま30代で選挙に関わった私は、信州で囲碁の集まりを主宰している方から、こんな話をうかがったことがあります。「いつまでも現役だった頃の地位や肩書きを引きずっている人や、それを自慢にしているような人は、やっぱり敬遠されがちなんだよ」。食品業界の取引先には、近づく定年を意識しながら、こう語る人もいます。「奥さんたちは、いいんだよ。近所とか趣味の集まりとか、いろいろあるから。でも仕事ひとすじで頑張ってきた男は、いまさら地域で活動だっていっても、周りは知らない人ばかりだ」。

私が信州の松本という地域にこだわっているのは、もちろん生まれ育った場所ゆえの愛着もありますが、こうした人たちの話をうかがってきたことが影響しています。高齢化した社会では、地域的(ローカル)に生きることが重要になる予感がする。名刺から肩書きが外れ、仕事での付き合いが減っていったとき、残るもの、新たに生まれるものは、何なのか?おそらく近い将来においては、ネットがローカルの重要な部分を担っていくようになるのでしょう。

長野県では、警察官を騙る詐欺が増えてきたとか。おそらく繰り返されるキャンペーンを利用した手口なんだと思います。「おばあちゃん、『振込め詐欺』って聞いたことあるでしょ。気をつけてね。きょうはね、カードを確認して…」という語りで騙す。少し昔なら、保守的な田舎のことですから、何かを買うにも、親類やら近所の人に相談して、噂を聞いてからお金を出していたのでしょうが、最近は人のつながりも疎遠で、テレビに見入って長い時間を過ごしている高齢者が増えている。地域の現実を知っているのは、メディアではなく、犯罪者たちの方なのかもしれません。