バラク・オバマが大統領になれたのは、6億ドルを超える圧倒的な集金力ゆえ。日本円でいえば、550億円ぐらいでしょうか。それを考えると小沢一郎さんの事務所をめぐる4億円の話は、いかにも額が小さい。しょぼい事件に対して、ただ騒ぎだけが大きく、ほんとうに日本は大丈夫か?と、そちらの方が気になってしまいます。

新聞の記事をなぞって田中角栄の残像と重ね合わせる人も多いですが、私はそうは思わない。むしろロッキード事件に比べると、遥かにスケール感が小さい。当時は、日航を追いあげようとする全日空の暗躍とか、アメリカの巨大な製造業と組んだ商社の暗闘といったダイナミックな背景がありましたが、いまは苦境にあえぐ建設や土木の業界が登場するばかり。逮捕された石川さんも県庁や地銀あたりに勤めていそうな普通の人ですから、妖怪のような生々しい迫力があった田中軍団とは全く印象が異なります。

18歳で政治学科の学生になったころの私が、まず上京して行ってみたのは、田中角栄の邸宅。早稲田のあたりから目白の高台へ向かうと急な坂になっていて、現場の上空にはヘリコプターが飛び、記者やカメラマンが押しかけていました。まるで城をめぐる攻防戦のような光景に、「さすがは東京だ。すごい」と思ったものです。いま焦点になっている世田谷の土地は、ふつうの住宅地という風情で、ただレッドロビンの葉っぱが風に揺れるばかり。

若い人なら、ライブドア事件が記憶にあると思います。若きIT経営者がテレビ局の支配をも企むという物語には、正しいか正しくないかは別として、スケール感と躍動感がありました。「ヒルズ族」がもてはやされた頃ですから、六本木のタワーに検察が乗り込んでいく映像に溜飲を下げる人も多かった。村上ファンドなど、ひと癖もふた癖もありそうな人物が、さらに疑惑にドラマ性を添えていました。あのころの事件と比べても、いまの小沢一郎をめぐる疑惑には社会的なインパクトが乏しい。

私は、みなが昭和の残像を追っているのだと思います。検察も、国会も、マスコミも。外国語に堪能な検察官が何人いるのか?は知りませんが、21世紀の今は、国境を越えたテロや犯罪の組織が私たちの暮らしを脅かす時代ですから、巨悪の資金を洗うなら、もっと本格的な敵と正面から戦って欲しいと願ってしまいます。

日本の社会は、ほんとうに内向きになった。「右と左」「政治とカネ」。懐メロのような構図ばかりが蒸し返されて、ふと気がつけばエネルギーや迫力が乏しいだけでなく、将来に対する不安も強まっている。いま世界の政治家や中央銀行が取り組んでいる課題は、およそ10年にも及んだドル安バブルの軟着陸であるように思えてきます。テーマは、金融、失業、環境、保健衛生、国際的なテロ・犯罪の組織といった現実的かつ深刻なところへと変化している。だから「襟を正す」とか、「しっかり」とか、「ちゃんと」といった話が、情緒的に見えてしまうのでしょう。

いまはアメリカ一極集中といわれた時代が終わり、中国などの新興国が影響力を強めている場面。私たちの生活もグローバルな変化に晒されていて、だからこそ仕事が流失し、賃金も抑えられているわけです。目先の4億円疑惑に注目するのも結構ですが、そろそろ視線を外向きに転換してゆかないと、日本が世界の流れから取り残されるばかりでなく、多くの日本人が日本で暮らしてゆけないような状況も懸念されると思います。