よその工場から来た人に会ったら、素早く相手を値踏みする。「何年生まれ?」若い女子工員たちは互いに聞く。まるで車の年式を確かめているようだ。「一カ月いくら? 寮費と食費込みで? 残業手当は?」それから、どこの省から出てきたか聞くかもしれない。だが、名前は絶対に聞かない。
冒頭を少し読んだけで、「あっ、やつらのことが書いてある」と感じました。都市と農村との格差は、日本でもおなじみの話ですが、たくましい彼女たちは、さらにその先を歩んでいる。この本を読んでしまうと、ありがちな観念に寄りかかった話がつまらなくなります。
印象に残るのは、春明という女性のケータイの使い方。
たまたまその日、春明のもとには男性から交際申し込みの電話がひっきりなしにかかっていた。誰かが見合いサイトに美人の写真を掲載し、その横に春明の電話番号を書き込んだのだ。これが手違いか悪ふざけかはわからない。春明は一日中、電話攻撃を受ける羽目になった。
次に留守電メッセージをスクロールした春明は、「もしもし、タンシアで工場長をしている者ですが」という声を聞くと、顔を輝かせた。「交際はどうでもいいけど、新しい友達ができるわ。この人たちにうちの会社の部品を売れるかもしれない」。春明の抜け目のなさには、ただただ感心するばかりだ。春明は、人違いのネット情報を自分専用のお見合い情報に変え、そのうえこの男性たちを説得して工業用鋳型の部品を買わせることも視野にあるのだから恐れ入る。
社会の光と影は、表裏一体であり、分かちがたく結びついている。
杖をついた物乞いが一人近づいてきたので、少女たちはおとなしくなった。梁容はちょっとためらってから、老人の椀にリンゴを一個そっと置いた。まるでおとぎ話の一場面のようだ。東莞は、生きていくのが大変な街だ。たぶんそれが理由だろう、人々は驚くほど優しくなれた。東莞で私は、物乞いへの優しい好意を中国のどの都市よりもたくさん見た。
都市の変化は、農村を変える。
村の旧正月の中心になるのは、出稼ぎの若者たちだ。彼らは金のもたらす権威を満喫していた。村に携帯電話や新調の服を見せびらかし、仕事の状態を互いに比べ、仲人役を積極的に買って出て自分や友達の交際相手を探し、困っている高齢者には現金を渡して援助した。こうした役回りは、かつては年長者のものだったが、いまや高齢者層は貧しく、そんな務めを果たす力は残っていない。親は子供たちの就職や結婚の見通しをあれこれと噂するほかは、何もできなかった。
この本からキーワードを2つ選ぶとしたら、出去と回家でしょう。中国人は出てゆき、そして帰ってゆく。中国語には、時間と空間を同じ感覚で表現しようとする傾向が強いですから、出去は農村から都市への移動であると同時に、過去から未来への移動であるといえる。また回家は、実家に帰る、あるいは母国に帰るという意味だけでなく、現在から過去への旅を意味しているようにも思えます。
日本でも高度成長のころには、農村から都市へと人々が流れ出て中流層を形成しました。1970年代には、公害問題が連日のように報道されていて、水俣病、イタイイタイ病、光化学スモッグという言葉は、小学生でも知っていました。学校の帰り道で、積もった雪を口にすると、「放射能が混ざってるぞぉ」などと囃す同級生がいたほどです。しかし、いつの間にか成長の矛盾は忘れ去られ、美しい昭和の思い出だけが繰り返されるようになった。
「人民のみが、歴史を動かす原動力だ」と語ったのは毛沢東ですが、かつてない大規模な人の移動が、何をもたらすのか?は、なかなか予想できない。ただ、その影響は、すでに日本にも及んでいるといえます。彼女たちが作るモノは、すでに日本の社会に広く浸透しているのだから。私たちが街で頻繁に耳にするようになった中国語も、大きな変化の一端です。
現代中国女工哀史著者:レスリー・T. チャン
販売元:白水社
発売日:2010-02
クチコミを見る
よその工場から来た人に会ったら、素早く相手を値踏みする。「何年生まれ?」若い女子工員たちは互いに聞く。まるで車の年式を確かめているようだ。「一カ月いくら? 寮費と食費込みで? 残業手当は?」それから、どこの省から出てきたか聞くかもしれない。だが、名前は絶対に聞かない。

「(Hei1,)Ni3deGong1Zi1Duo1Shao3Qian2Ne」
です。
ひと昔前の1980年台から90年台半ばくらいまでに日本で
出版をされました中国語会話についての教科書では、それに
充たる言葉は
「Ni3Chi1Fan4lema?」
であると紹介をされ続けていたはずです。
実際に中国で会社を経営するだとか駐在をして勤務をす
るだとかをした経験をもつ方々でしたならば、すぐさま気がつく
ことですが、たいていの職場にはどこでもどこかに給与一覧が
上から下まで全員分が貼り付けてありますよ。
ですから、おなじ会社で働いていれば給料なんて幾ら貰っ
ているのか、自分とこの社長の額面ですらも訊かなくったって
わかるんです。
だから、それをわざわざ本人に訊ねるってところに意味が
あるわけ。
その辺の機微は、たとえば実際の中国のことを知らずに書籍
やウェッブの動画報道といった二次情報のみに頼って中国のこ
とを知った気にになってしまう方々がよく陥る錯覚なんです。
著者であるレスリー・チャンは、北京特派員として10年間駐
在し東莞で3年間の取材をした後この本を上梓したとのことで
すが、やはり、彼はあくまでもニューヨーク郊外で生まれ育っ
た後ハーヴァード大学を卒業したという、事実上の米国人であ
ることからどうしても生じるいささか扇情的なバイアスがこれに
限らず端々に見受けられますね。