今回ほど遠くに感じた選挙はありません。開票速報も討論番組も、まったく見る気が起きませんでした。それよりもワールドカップに惹きつけられます。最後の最後まで交代枠を残しておくことで、フェルナンド・トーレスを「出すぞ!出すぞ!」と相手に思わせ続けるスペインの采配には驚きました。監督は、不調の選手をピッチに出さないことで武器とした。

参院選に興味を持てないのは、選挙事務所やスタジオが実際の社会からかけ離れた特殊な場所に見えてしまうからです。街頭での絶叫も、候補者が熱くなればなるほど、逆に遠くに感じられる。社会の変化は、ごくごく普通の街で起きているのに、それと選挙とが切り離されているかのようです。

CNBCでは、日本の経済の先行きについて強気や弱気の意見が交錯しますが、それでもアラン・グリーンスパンのような人をも含めて、ほぼ一致した見方になっています。日本は、円高デフレ高齢化、そして財政の赤字に苦しんでいる。よく国内で論議されがちな小沢一郎も、普天間も、消費税も、外国人の参政権も焦点にはなっていない。日本の政治をめぐる論議は、いつも枝葉の部分に触れるばかりで、木の幹や根を突いておらず、だから討論をみればみるほどイライラが募ってしまうのだと思います。

日本をめぐる4つの問題は、それぞれが互いに絡み合っています。円高が定着すれば、それだけ日本の不動産や人件費は割高になる。だから国内の物価は下がり、仕事は流失してしまう。進むデフレは、ますます高齢者の財布を保守的にして引き締めるから、街にはお金が流れ出ない。高齢化が進めば、それだけ医療や福祉にカネがかかるから、財政の赤字は深刻になる。財政も、歳をとって、しかもその数が減る日本人だけで何とかしようとするばかりだから、意識がますます内向きになって先行きへの不安が強まってしまう。

1票の格差は、都市と地方との差として論じられることが多い問題です。しかし地方の選挙の裏表を見てきた私は、これは世代間の問題でもあるとも感じています。1票が重い地域には、高齢者が多い。政策などをみて若い新人の名前を書いてみても、なかなか結果に反映されにくいと感じているのは、地方に住む若い世代も同じです。

長野県では、自民党の2世と民主党の防衛大臣が当選しました。これは簡単にいってしまえば、懐メロ&テレビの組み合わせ。高齢化が進んで家でテレビに見入っている人が増えているから、古い歌を若い人が歌う番組や大臣が頻繁に顔を出すニュースの影響が決定的になる。だから新しい政策や人の顔は、なかなか覚えてもらえない。かくして日本の社会は、いわばテレビと抱き合うようにして決定力を失ってゆく。

ワールドカップが始まった頃には「うるさいなあ」と感じたブブゼラの音が、今となっては懐かしく思い出されます。アルゼンチンの人々が紙ふぶきとマラドーナの活躍を一体の映像として記憶しているように、多くの日本人がアフリカの楽器の響きと日本人選手のシュートをひとつのまとまりとして繰り返し思い起こすことでしょう。

やはり興味をそそられるような躍動は、世界との接点にひそんでいる。日本のなかの政党が離合集散したところで、もう自分は興味を抱けないような気がします。