割り屋という言葉を、私はこの本で初めて知りました。田中森一の『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』。以前はバブル紳士たちの実態をリアルに伝える本として紹介しましたが、いまは元特捜検事による具体的かつ信憑性にとむ証言としてお勧めしたい一冊です。


反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫)反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫)
著者:田中 森一
幻冬舎(2008-06)
おすすめ度:4.5
販売元:Amazon.co.jp
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東京と大阪の検察の違いは、こんな風に描かれています。

大事件を手がける意味からすると、東京地検にいたほうが圧倒的にチャンスが多い。大阪には、中央官庁も国会もない。いきおい、事件が小ぶりになりがちなのは否めない。そのため大阪の特捜部時代には、まず中央官庁の出先機関の汚職をつかもうとしていた。


事件が少ない大阪の特捜だからこそ、あえて中央官庁を狙う。いまニュースになっている厚生労働省をめぐる事件の源流が、ここに潜んでいるように思えます。

検察は転勤が多い職場。東京へと異動した元検事は、こんな感想も漏らしています。

この平和相銀事件を体験し、私は東京地検特捜部の恐ろしさを知った。事件がどのようにしてつくられるのか。捜査に主観はつきものだが、それが最も顕著に表れるのが、東京地検特捜部である。(中略)なによりまずは筋書きありき。検事たちは尋問する際も、筋書きどおりの供述になるよう、テクニックを駆使して誘導してゆく。


大阪で検事正が検察庁を体感して弁護士になるとき、住銀と読売新聞が責任を持って何十社に及ぶ顧問先をつける。それが習いになっていた。かつて住銀は、読売新聞とともに検察上層部と定期的に食事会を設けてもいた。


本書が出たのは2007年ですから、いまさら書評を書いてみたところで、そんなにアフェリエイトで稼げるわけもありません。それでも私が紹介するのは、いま目の前にある新刊書にはない掘り出し物的な魅力があることを示したかったからです。少し前に出版されていて、そうであるがゆえに値段が安く、けれど今日的なテーマを含んでいる本は他にもたくさんありそうです。

音楽業界も流通業界も、「これが今の旬なんですよっ!」「これが今の話題なんですよっ!」などと繰り返すことによって販売数を伸ばそうとしてきました。私たちは、まるで何かに追い立てられるかのように消費を繰り返してきたのではないか?書籍も同じで、いかに目前にある短い時間のうちに売り上げを伸ばすか?ということばかりが重視されてきたように感じます。

現代はブックオフの店舗網が広がり、手元にある古びたものの価値を再発見しようとする機運が高まり、そしてお金はなるべく節約しないといけないデフレの時代です。であるなら、その時代にふさわしい本の紹介のあり方をブログも考えないといけません。

8月は「ネタ枯れ」といわれる時期だからでしょうか、信濃毎日新聞の記者さんが「ブログの書評」というテーマで取材に来ました。私は特別に有名な書評ブロガーというわけでもないのですが、地方の商業者として、こんな話をしました。

いまは、さ。いかにも羨ましがられるような場所に住んで、出版社とのコネを維持して、いち早く新刊をタダでもらって、そしてその書評をブログに載せる人たちの時代なのかもね。
目先には、つねに新しげな情報が流れている。でも、それを追うばかりでは、出版業界が自分で自分の首を絞めることになってしまうかも。狭い内輪の話ばかりがマスコミ界の話題になり、ふと気づいてみれば時間的あるいは空間的な意識の広がりが失われ、部数は落ちてゆく。日本は成熟した先進国なのだから、目先のフローだけでなく、図書館のようなストックを活かす工夫を考える時代に入っていると感じます。

私は日本の不況の一因が、社会の均質化の強まりにあるとも感じています。日本の社会には、少なくとも技術的にはメディアがすごいスピードで浸透していて、辺鄙な位置や異質な生き方にある人たちは、たちまち記憶のかなたへと追いやられる社会に変貌した。それは「良い」とか「悪い」という以前に、そうなってしまった…としか言いようがありません。

流行から少し遅れた中古本の魅力を紹介することの意義は、私のように地方でデフレに悩む商業者だけでなく、都会に暮らす出版関係者にもあるかもしれない。新刊を出し続けるためにはコストがかかりますが、既存の出版物をうるためには、それほどコストはかからないから。

『反転』したのは、ひとりの特捜検事の人生だけではない。出版の世界もまた『反転』したのです。