松本からセントレア空港までは、けっこうな距離があります。疲れた私が通路にしゃがみ込んでいたとき、地元の人らしきオバサンが声をかけてきました。「あっちの方に行けば、座るところがあるで。みーんな税金でできとるんだから使わなきゃあ」。羽田や成田では、おそらくこんな事はないでしょう。私は、さすがは愛知県だと思いました。

借金を嫌う愛知県の気質は、名古屋金利という言葉を生んだほど。銀行の競争が厳しく、少しでも条件が良いところからお金を借りようとするコスト意識が徹底している土地柄で、この風土が強い製造業を生み出したとも言われています。コーヒーの業界では、あれもこれもと盛り込まれたモーニング・セットが有名。「現場に行く前に、まずは喫茶店に集まって打ち合わせするのが名古屋だけど、こっちの人は違うんですね」という声を聞いたこともあります。

税金は1円でも安い方が良い。再選された河村市長の話は、いかにも名古屋らしい。いま全国には公務員の待遇をうらやむ声があふれているので、「税金を払う人が苦しんで、税金をもらう人が楽をする社会は間違っている」という言葉が多くの人の胸に落ちるのは当然です。進む円高で製造業の雇用が脅かされているのは信州も同じなので、私は愛知県の人たちの選択に納得ができます。

いまは日本の財政が厳しいので、消費税率を上げようという話が出ていますが、みなアタマでは理解できても、「そうだな、増税だな」と単純には思えない。「日本の財政は…」という優等生的でお行儀の良い言論は、現実の不況の前では強い説得力を持っていないように見えます。財政が破綻しそうな組織で、なんでボーナスが出ているのか?この単純な疑問に応える人はいません。いま地方の街では、民間と公務員との間に深い溝が生まれています。この事実は、官民の双方にとって不幸な状態ではないかと思います。

地方の疲弊といえば、とかく寂れたシャッター街とか乳母車を押しながら歩く高齢者の姿がイメージされがちなのですが、いまは大きな都市にも貧困が広がりつつある。人口123万人のさいたま市が、生活保護を受ける人の数を19万5,000人と見積もっているのですから、なんと15%の人たちが生活保護。立派な美術館や音楽ホールがある街で生活苦にあえぐ人が増えている現実が、いわば東京の背中にまで忍び寄っているわけです。実際、松本でも再開発が進んで駅舎などはキレイになったものの、ふだんの人通りはガラガラです。

このごろ思うのは、テレビや新聞は建前のメディアであり、ネットは本音のメディアであるということ。この傾向は、世界的です。かつては深夜のラジオやテレビに人々の現代的な欲望や本音が滲んでいたものですが、いまは通販やガナリ声のようなもの、あるいは回顧の情念が伝わってくるばかり。「お兄ちゃんは公務員だから良いよねっ!」な〜んて台詞があるならドラマにも現実味が出ると思うのですが、そういう脚本はおそらく無いでしょう。

納税者が安い税金を求めるのは当然の気持ち。じゃあ財政は、どうなる?私は、政治や行政が、より厳しい財政とより厳しい世論とに挟まれことが時代の必然的な流れだと感じています。それが無ければ、行政なんて変わるはずがない。働く多くの人たちが、原材料の高値や円高やデフレにはさまれいる現実を思えば、まだ甘いかもしれない。名古屋で減税を掲げる市長が再選されたことなど、ショックでも衝撃でもありません。