人通りの少ないデフレの街を歩いていると、遠くの大河から「ゴーッ」とインフレの水音が聞こえてくる。今は、そんな場面です。下がっているのは、不動産や賃金。上がっているのは、大豆やコーヒーのような農産物やガソリン。CNBCでは連日インフレをめぐる話が続いていて、「どの企業が販売価格を上げることが出来るのか?」という視点から企業の業績を占おうとする分析も出ています。

なぜ商品(コモディティ)が値上がりするのか?やはりドルが大量に刷られていることが影響しているからだと考える人が多い。バーナンキの記者会見の様子をみても、この点が質問に出ており、議長が「新興国の経済発展が極めて早く、需要が強いからだ」と苦しい答えを繰り返していることがわかります。

前任のアラン・グリーンスパンが意図的に難しい言葉を使って中央銀行の権威を守ろうとしていたのとは対照的に、ベン・バーナンキはFedの「透明性」を強調して、ふつうのアメリカ人が使う解りやすい言葉で喋っています。昨日の議会の予算委員会のやりとりでも、いちいち議員の質問に"Yes,Sir"と答えていました。低姿勢ではありながらも、強く政策の妥当性を訴えようとしている。

ドルを大量に刷るQE2という政策は、株価を押し上げています。ハイエンドと呼ばれる高額な商品の売れ行きが良いのも、「株高によるところが大きい」と解説する人が多い。アメリカの中流層には、株を持っている人が多いから。いっぽうで、雇用と住宅の回復は弱い。米国では買った不動産の価格が買値を下回っている状態を"Under Water(水没)"と呼びますが、ごく大雑把にいえば資産が住宅だけという人には、なかなか景気回復の恩恵が巡って来ず、そこへ食品やガソリンの値上げですから、議長が「原油の値上がりは増税と同じだ」と理解を示しつつ経済を説明するのは、多くの人々の不満を想定しているからだと思います。

欧州ではトリシェ総裁が、しぶしぶながら国債を買い取る政策を続けています。カードの切り出し方は違っていても、ゲームの運び方は同じ。ダボス会議に出たトリシェ総裁をインタビューに引っ張り出したマリア・バルティローモは、まずは欧州の状態を"ダイバージェンス(ドイツのように経済が好調な国と財政が危機にある国との関係は逆行している)"と説明したあと、「いつまで国債を買い続けるんですか?」と直球な質問をぶつけています。トリシェ総裁は、苦笑しながら「それは言えないですよ」。アメリカはQE2で緩和策を打ち止めにできるのか?欧州は、どこまで国債を買うのか?ここが焦点になっている。

先進国で起きていることは似ています。ベビーブーマーが退職するので、どこでも医療や年金にはお金と人手がかかる。景気を良くするために中央銀行が国債を買い取って紙幣を刷れば、株や商品にお金が流れてインフレが懸念される。バーナンキ議長がインフレを抑える自信について「100%だ」と言ったり、トリシェ総裁が「資源高はインフレの引き金にはならない」と言うのも、つまるところはインフレ懸念の中で緩和策を続けることの正当性をアピールしなければならないという、ある種の切迫感ゆえでしょう。

消費者物価が2%を超えるようになった欧州では、「そろそろ利上げでは?」という声もあるわけですが、金利が急上昇する国々の財政や銀行の状態を考えれば、なかなか利上げには向かえない。英国も、物価は上がっていてもGDPが弱く、利上げは見送り。インフレ目標よりも緩和策(リフレ)を優先させざるをえないわけです。

こうなると日銀の白川総裁は、最強のインフレ・ファイター。デフレについて質問されても、バブルの懸念を語って許されるような緩いジャーナリズムに囲まれている。あるいは人口が減っているから仕方がないという程度の説明で済んでしまう。国債を買わないことが人類の英知。で、どうなるかといえば、デフレの最中に資源高がやってきて、利益を確保することが難しい中小企業はバタバタとつぶれ、ガソリン・スタンドやスーパーが遠ざかってゆく。そして力のある企業や個人は、どんどん外に出てゆく。物価の安定と引き換えに、雇用の流失が進む。旦那が製造業に勤めている奥さんなどが、「うちなんか、やーっと韓国から帰ってきたと思ったら、もう次はインドネシアよ」とぼやくことになるわけです。

消費税率の引き上げは、多くの人たちに「日本から出て行ってください」あるいは「生活保護を申請してください」と背中を押すような働きをするでしょう。できるだけ税金の恩恵にあずかりたいという心情は、クルマや家電の売れ方にも現れている。もらえるモノは、しっかりもらいたい。海外への移住をガイドする会社は松本にもあるぐらいなので、おそらく全国に広がっているでしょう。

そしてテレビと新聞は、市場の関心が国債の買取りになっている現状を伝えずに、日本は素晴らしいと繰り返す。円高やデフレに負けない企業を探しては、その紹介を続ける。建前メディアの論調には実感が追いつかないので、ドラマもニュース番組も魅力を失ってゆく。日本社会の本音と建前は、世界的なインフレと国内のデフレの進行によって、より距離を広げると予想します。