コーヒーの価格は97年につけた最高値に迫り、業界には緊張感が広がりました。砂糖や小麦など他の農産物の値上がりが頭打ちとなり、資金がコーヒーへと流れ込んだ影響もあるようです。貴金属の市場では、銀の急激な値上がりと反落が目立つ。コーヒーも銀も、原油やゴールドのような主要な市場に比べれば商いの規模が小さいことで共通しています。いわば小さな入り江に津波が押し寄せて水位が想像を超えて上がったように、2つの商品の値上がりが強まったように思えます。

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これは逆にいえば、ベン・バーナンキが大量にドルを刷る政策を止めるとなれば、規模の小さい市場ではドル高が影響して商品の価格が下がりやすくなるということ。ドルの値を示すドル・インデックスの日足チャートを見ると、一目均衡表の雲の下を降りてきたドルが、いまは雲の下限にタッチしているので、今週の月曜日からは、ドルが雲の中に突入してドル高の傾向がハッキリするのかどうか?が焦点になります。もしもドルが買われるとなれば、2011年の後半はドル高の流れになる可能性が強まる。商品や株式は上がりにくくなり、ドル以外の通貨は下がりやすくなるので、市場は大きな転換点を迎えることになるかもしれません。

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CNBCでは、日本の回復をめぐって厳しい発言をする人が増えてきました。震災の直後は「日本はこれまで何度も危機を乗り越えてきた」と速い回復を予想する楽観派と、原発や電力の問題を深刻に受け止める悲観派の割合が半々ぐらいでしたが、いまは「日本株も円も売りだ」という発言が増えています。じっさい日本にいても、復興のために次々と法案が通り、大規模な予算が組まれるという風には見えないので、私も日本の回復は遅くなるように思えます。

いくら東北の物産展が好評だとニュースにはなっても、その売り上げ規模は有名なデパートでもせいぜい数百万円ぐらいでしょう。一方で小さな食品会社が受けた設備の被害でも、数億円。また東北地方に製造業が集積した時期の為替が1ドル100〜120円であったことを思い出すと、いまの81円ぐらいの円高で同じように設備投資が進むようには思えません。電機や自動車の生産はリーマン・ショック前の06〜07年あたりがピークで、日本の主な産業は素材ということになるのではないか?と思います。

震災の以前からデフレが進む地方では雇用が減り、若い人たちが流失し、残る高齢者が増えて、自治体の財政が厳しい状態が続いていました。企業の拠点は製造でも販売でも整理や統合が進んでいましたから、いわば資本が流失するような事態に陥っていたわけです。必要なのは投資を呼び込むことであり、それは震災によってより切実に求められているのに、どういうわけか日本では肝心の話が抜け落ちたまま「ボランティア」だとか「街づくり」だとか「ひとつになろう」とか、そういう話が中心になっているように見えます。

アメリカの株式市場では、小型株の指標であるラッセル2000が最高値を更新しました。ライブドア事件が起きてから数分の一に低迷したままの東証マザーズとは対照的。米国市場では、波はあっても新しい企業へと資金が流れ続けています。とくに最近は中国のITやエネルギー関連の企業などが毎週のように上場していて、市場のオープンに合わせて漢字の企業名が大きく紹介されることも多い。ベン・バーナンキのQEは単にドルを安くして資源の価格を上げただけではなく、不動産の下落をできるだけ小さいものにして、株式を持っている人たちの資産を増やして高級品の売り上げを強め、ソーラーなどの新しいエネルギー企業、それに中国企業を育てる資金の流れを活発にしているといえる。日本では円高で債券高なのに日銀の緩和策が弱く、まったく変わり映えのしない企業の名前が並ぶばかりで、不動産の価格が下がることが当たり前のようになっているように見えてしまいます。

新しい企業や産業が隆盛すれば、従来の業界秩序が変化することは避けられません。しかし高齢化とデフレが進む日本では、何よりも安定や安全を求める心情が強く、ゆえに口先では「成長」とか言いながらも本音の部分では、「できるだけ今までどおりのままであって欲しい」と望む感情が強いのではないか。人口が多い団塊の世代が60代で、その子供にあたる団塊ジュニアが40歳に近くなり、全体の平均年齢が40代に達すると、どうしてもリスクは避けて安定的に生きようとする気風が強くなるのでしょう。

原発をめぐる政府の発表も、「できるだけ無難に無難に」と方法を探っていった結果、かえって人々の不安感を強めてしまったように思えます。目先の、とりあえずの安定を強く求め続けるがゆえに、かえって中長期の安定が損なわれるところにまで日本は来てしまったのかもしれない。誰もが日銀券を守り蓄えることを大事に考え、それで中長期の経済が弱まってしまったように。

東電であれ、日航であれ、日銀であれ、それなりの有名な大学を出た人たちが長く働き続けている職場であることでは同じです。妻子がいて、マイホームがあって、毎日カイシャに行って、ちゃんと職場の空気を読んで行動してきた常識的な人たちが多いに違いありません。しかし、全体として見れば、そういう人たちばかりであることが高いリスクを招いてしまっているようにも思える。異能あるいは異才を放つ人たちが社会に活力を注入していた時代は終わり、スポーツ、音楽、学術などで個性を発揮する人たちは海外に活動の場を求める傾向が強まっているようにも思えます。

この10数年の間、地方では再開発の事業が進みました。駅ビルを中心に舗道は綺麗になり、猥雑さは遠い昭和の遺物となり、行政の基準に沿った町並みが整えられながらも、賑わいは逆に弱まって活気は失われていったように感じます。東北の再生もまた同じような道をたどるのでしょうか。ふと気づいて世界を見回したときには、賑わいや繁栄は日本の外にばかり…という将来像を、ついイメージしてしまいます。