2014年07月31日

■マラバール演習に日本招待、日印安保協力の次元をさらに高めよ

 7月24日から30日にかけて、米印合同軍事演習「マラバール演習」が、日本近海の太平洋上で、日本をゲストとして迎えて実施された。マラバール演習に日本が招待されたのは、2007年、2009年に続き3回目であり、今回は、実施海域が日本近海であったこともあり、事実上、日米印3国合同軍事演習となった。アジア太平洋の三大民主国家が、太平洋で合同軍事演習を行ったことの象徴的意義は極めて大きい。海洋における、国際規範に基づく秩序を乱すような行動、すなわち、中国の威圧的で一方的な姿勢のようなものは認められないというメッセージを発することができた。日印、日米印の安保協力を一層進展させる必要がある。ただ、マラバール演習は、救難、海賊対策、人道支援などでの共同対処能力の向上に主眼が置かれたものである。戦略的協力に次元を高めるには、こうした演習を繰り返すのは、もちろん必要ではあるが、不十分である。

 日印、日米印の安保協力推進には、インドの外交方針を理解し、尊重する必要がある。インドの外交政策は、冷戦時代を通じて、非同盟主義であった。非同盟といっても、実体は、親ソ連で、米国から距離を置くということである。中国による脅威の高まりとともに、非同盟主義ではなく、東南アジア、日本、米国などをもっと重視する、ルックイースト政策に変化しつつあるが、非同盟主義の残滓は今でも残っている。モディ新首相は、歴代インド首相の中で、日米との安保協力に最も理解がある人物であり、期待できるが、インドを対中封じ込めの一部にするという考えには与しないであろう。インドは、膨張主義的でも攻撃的でもないが、誇り高き大国として、グローバルな政治に関与したいと考えている。それを、こちら側にとって害にならない限りにおいて尊重した上で、海洋安全保障の分野における協力を深化させることで、結果的に、対中封じ込めにインドが役割を果たすことになる。インドを対中カードとして「利用する」ことが戦略的思考だと単純に考える傾向が一部に見受けられるが、それでは上手く行かない。

 安保協力の次元を高めるには、利害関係、相互の必要性の認識を共有することが必要不可欠である。日印間で言えば、インド洋における海洋の安全保障が共通の利害である。しかし、相互の必要性については、まだ十分とは言えないであろう。特に、日本がインドに対して何をなし得るか、より積極的になる必要がある。やはり、鍵となるのは、インドへの武器技術供与であろう。インドは、インド洋に中国海軍が原潜を含む潜水艦を展開することを強く警戒している。今後、インドも潜水艦の隻数を拡大する見込みだが、隻数だけでなく、潜水艦戦における能力向上も重要である。それは、日本の得意分野である。具体的には、救難、掃海、対潜哨戒能力である。武器輸出三原則が防衛装備移転三原則に改められたのであるから、こうした技術の供与につき、インドとよく協議し実現させるべきである。もちろん、それ以外の必要な技術も供与すべきある。既に、海自の救難飛行艇US2が輸出される方針が決まっており、歓迎できる。

 インド洋での海洋安全保障における協力の中核は、シーレーンの安全確保における協力である。先の、集団的自衛権行使容認の決定に際して検討された、8類型の中に、米軍とのシーレーンの合同パトロールがあったが、インド軍との合同パトロールも目標とすべきである。まず、それを念頭においた、合同演習の実施を模索することから始めてはどうかと思う。(了)

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takami_neko_shu0515 at 07:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 安全保障・自衛隊 | 南アジア

2014年07月30日

■「ODA卒業」島嶼国に対する防災・気候変動対応支援継続への支持と注文

 ラテンアメリカを歴訪中の安倍総理は、7月28日に初開催された日本・カリブ共同体(CARICOM)首脳会合で、国民1人当たりの所得水準が基準を上回りODAの対象外となった島嶼国への防災・地球温暖化対策支援を、新たな支援制度によって継続することを検討すると表明した。

 現在の日本のODA供与基準は、OECDの開発援助委員会が定めた、1人当たりの国民総所得が1万2275ドル以下、という国際基準を採用している。この基準では、例えば、今回のCARICOM加盟国でいえば、バハマ、トリニダード・トバゴ、バルバドスが対象外となり、サンクトクリスファー・ネビス、アンディグア・バーブーダが間もなく対象から外れる見込みである。これらの国々を含む、津波などの災害や温暖化による海面上昇に対して脆弱な島嶼国を、ODAの対象外になった後も支援するというのが、今回示された方針である。

 この方針は、多くの意義を持っており、評価できる。まず、災害に弱く温暖化による海面上昇の影響を真っ先に受けることになる島嶼国を援助することは道義的に適っており、支援継続は、我が国の道義国家としてのブランド確立に役立つ。我が国は、昨年11月に「攻めの地球温暖化外交戦略」(ACE)を掲げ、多くの途上国からの歓迎と期待を受けている。今回の首脳会合でも、CARICOMの議長国である、アンティグア・バーブーダのブラウン首相は、災害・気候変動の被害軽減のための基金設立を表明し、日本の援助を求めた。第二に、温室効果ガス削減交渉にも役立ち得る。島嶼国は、当然、温暖化には敏感であり、低い温室効果ガス削減目標を設定した国への視線は厳しくなる。しかし、我が国には、野心的(あるいは大風呂敷を広げるような)目標を提示できる余裕がない。支援継続は、島嶼国の反発を少しでも和らげるのに貢献し得る。第三に、島嶼国は、小国ではあるが、数が多く、1国1票が原則の国連の意思決定において、支援継続が、日本の立場への支持獲得に繋がることは、既に、指摘されている通りである。

 政府は、今年度中に、ODA大綱を見直し、上述の方針が実現できる見込みである。ただ、気になるのは、防災・気候変動だけでなく、景気変動に対して脆弱な観光産業に依存した国への配慮があると報じられていることである。支援継続は、防災・気候変動への対応に限るべきで、「ODA卒業国」への野放図な資金援助に繋がるようなことはすべきではない。中国による大々的で巨額の資金投下に対抗する焦りはあろうが、中国と熾烈な援助競争を繰り広げることには、大きなマイナスがある。その良い例が、太平洋の島嶼国への中国と台湾の援助競争である。太平洋の島嶼国の中には、台湾との外交関係の断絶、再開を繰り返すことで、両国からの援助をしたたかに獲得している国がある。援助の額自体は、国家予算から見れば微々たるものに過ぎないが、だからといって、税金を役に立たないことに使ってよいことにはならない。そして、被援助国にとっても、法の支配に則ったグッド・ガバナンスに資する支援でないと、かえって、その国を国際社会の良き一員でなくしてしまうことになる。安倍総理は、今回、CARICOMは、法の支配に基づく海洋秩序を重視し、共通の価値観を有するグローバルパートナーである、と言っている。この原則を曲げずに、真に有意義な支援継続を実施していただきたいと思う。(了)
 
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takami_neko_shu0515 at 06:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 外交・国際政治全般 | 地球温暖化・温室効果ガス削減

2014年07月29日

■経済同友会の「縮原発」見直しを歓迎する

 経済同友会は、東日本大震災に伴う福島第一原発の事故を受け、2012年に、原発への依存度を低下させ再生可能エネルギーの導入を推進するとした「縮原発」の方針を掲げていた。しかし、長谷川閑史代表幹事は、7月17日から行われた同友会の夏季セミナーにおいて「縮原発」を見直すことで一致した、と表明している。考えてみれば、経済性を無視した「縮原発」のような方針を、経済団体である同友会が掲げていたのは理解に苦しむことであるが、それだけ常軌を逸した反原発の風潮が我が国を覆っていた(今でも払拭されたとは到底言い難いが)ということの証左である。何はともあれ、「縮原発」の見直しは歓迎できる。

 原発依存度を出来るだけ低下させるという方針は、我が国の原子力技術の衰退をもたらす可能性が高い。そうなれば、結局、原発の維持に必要な技術を失い、福島第一原発の廃炉にも悪影響があり、政府が国策として推進しようとしている原発輸出も画餅に帰することになろう。この点、6月28日付読売新聞(夕刊)は、大学および大学院の原子力関係の専攻を受験した人数が、2014年度に震災後初めて増加に転じたと報じ、その背景には、政府が進めている原発再稼働と、今年4月に策定されたエネルギー基本計画が原発を「重要なベースロード電源」と位置付けたことがあると指摘している。ただ、併願による増加という面もあるようであり、優秀な原子力技術者の育成に直結する力強い回復であるとまでは言えない。そして、エネルギー基本計画は、確かに、原発は重要なベースロード電源だとしているが、原発依存度については、「可能な限り低減させる」としている点が大きな問題である。これは、経済同友会の従来の方針、「縮原発」とあまり変わらない。

 原発技術が衰退し、必要な原発を維持できなくなれば、電気料金が上昇することになるが、それは、製造業の海外への流出を促すとともに、単に電気料金のみならず物価全体の上昇をもたらす。家計にとっては、逆進性を持った影響があるということである。消費税については、逆進性が厳しく指摘され、軽減税率などの措置が検討されている。物価水準の上昇は、軽減税率のような措置をとることが出来ない分だけ、消費税よりも逆進性が強いと言える。現在までのところ、こうした観点からの議論が、あまりにも乏しい。経済団体には、そういう問題提起も期待したい。

 政府のエネルギー基本計画が言う、原発依存度を可能な限り低下させるとの方針は、見直す必要があるが、政治的困難が大きいことは容易に想像できる。経済同友会の「縮原発」見直しにより、原発推進で、経団連、日本商工会議所と足並みが揃うことになった。もとより、政治のリーダーシップが第一であることは言うまでもないが、財界には、原発推進の必要性を訴え、エネルギー基本計画のさらなる見直しへのアシストをすることを望みたい。(了)

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takami_neko_shu0515 at 00:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) エネルギー・資源 

2014年07月25日

【書評】「国際秩序-18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ」細谷雄一著

 外交・国際政治の理解には、国際関係史、さらに具体的に言えば、1648年のウェストファリア体制確立以降の、近代欧州に端を発する、主権国家をアクターとする国際システムの歴史の素養が不可欠である。その要求を最もよく満たしてくれる必読書は、例えば、キッシンジャーの大著『外交』だが、分量も膨大であり、難解な部分も多く、到底手軽に取り組めるようなものではない。といって、コンパクトでありながら、国際関係史のエッセンスを学ぶことのできる良書というのは、なかなか無いように思う。本書『国際秩序 18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』(細谷雄一著、中公新書)は、そういう要求を満たしてくれる書物の一つといってよいであろう。
 
 著者は、本書の意図は、国際秩序の全体を面的に捉え、その多国間関係の移り変わりを歴史的文脈の中で展望することである、と言っている。最近の中国の台頭は著しいが、歴史的に見て、新興国の台頭が国際秩序にどのように影響を与えて来たか。そして、時間的、空間的に、日本をより大きな文脈に位置づけ、進むべき道を考えたい、としている。これは、歴史から学ぶやり方の王道である。

 それでは、国際秩序の柱は何か。本書によれば、それは、均衡、協調、共同体の3つである。均衡は、要するに、ホッブズ流の国家の自己保存を第一とする、バランス・オブ・パワーであり、著者は「勢力均衡とは国際社会における多様性を守るための最後の手段であって、諸国の行動の自由やその独立を維持するために不可欠な基盤となっていた」と主張する。協調は、力への恐怖だけではなく、理性に基づき、自己の利益を追求しながらも他者へのシンパシーを持つという本性が人間にはあり、そこから国際公益が生じ、大国間の利益の調和が実現され、もって国際秩序が維持される、という考え方である。それが最もよく開花したのが19世紀のいわゆる「会議体制」である。第三の柱、共同体は、エマニュエル・カントの「平和連合」論に端を発する。すなわち、諸国家が合一しようとする意思により、大規模な国家間連合が可能であり、それにより国際秩序において平和が確立できる、というリベラルな考え方である。ただ、3本柱と言っても、著者は、均衡と協調(とりわけ均衡)を重視し、共同体の原理からは少し距離をいるようである。それは、現実的な考え方であると思う。

 本書の第2章では、近代ヨーロッパの国際政治において、3つの秩序原理がどのように展開されてきたかが概観される。詳細は、実際に読んでいただきたいが、主として、18世紀に開花した勢力均衡体制、ナポレオン戦争後の、均衡による協調としてのウィーン体制、1860年代の、協調なき均衡としてのビスマルク体制について触れている。そして、均衡と協調による国際秩序の安定には、同質性と価値観の共有が必要であることを確認しているが、これは、価値観外交の有用性ないし必要性という今日的意義を改めて思い起こさせてくれる。続く第3章では、ドイツ、アメリカ、日本といった新興国の台頭で、均衡、協調といった原理がいかに作動しなくなり世界大戦に進んでいったか、また、共同体の原理に基づくウッドロー・ウィルソンの国際連盟の失敗が描かれる。第4章では、まず、冷戦期のグローバルな「平和」について、3つの原理がどのように作用していたか考察される。著者は、冷戦期の「長い平和」を、均衡の原理だけから理解するのではなく、均衡の体系と協調の体系が奇妙に結びついていたと言う。妥当な解釈であると思う。さらに、欧州統合という共同体の原理も展開していたと指摘する。後半では、ブッシュ(父)の「新世界秩序」、クリントンの「民主主義の共同体」、ブレアの「国際共同体」、ブッシュ(子)の勢力均衡への回帰が概観され、結尾の部分では、最近の米中関係が協調から均衡の原理に基づくものに回帰している、と指摘している。そして、日本の目指すべき方向性として、まずは東アジアにおける勢力均衡を回復することである、と適切に指摘している。そのための政策論としては、日米同盟の強化を挙げており、オーソドックスというか新味はないが、かえって、本書の分析の信頼性を高めているように思われる。

 国際関係史を、均衡、協調、共同体の原理から眺めてみるというのは、如何にも抽象的な感じを受けるかもしれないが、国際秩序の展開が生き生きと描かれており、決して、無味乾燥なものにはなっていない。その意味で、著者の試みは成功しているといってよいのであろう。国際問題に関心のある向きには、一読の価値があり、お薦めしたい。ただ、あまり日本の進むべき道を考えるという問題意識にとらわれ過ぎず―最終的にはそれが目標であるとしても―、まずは、国際秩序の歴史そのものを虚心坦懐に理解するよう努めるのが良いかもしれない。それが、歴史に学ぶことと、過去との安易な類推を混同しないための、最善の方法と考えるからである。(了)

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takami_neko_shu0515 at 00:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 書評 | 外交・国際政治全般

2014年07月24日

■RIMPACでの中国の情報収集、NHKの「珍解釈」

 環太平洋合同演習(RIMPAC)において、中国海軍の艦船が背信的な情報収集活動を行っていたことについては、昨日の記事で詳述した通りであるが、この件を報じたNHKの22日のニュースが不思議なことを言っていた。

 すなわち、同報道は、本件のあらましを報じた後、最後に次のように背景説明を加えていた。
アメリカ軍は、中国のリムパックへの参加を通じて米中両国の軍どうしの信頼醸成につなげたい考えですが、今回の情報収集用の艦船の派遣から中国側に不信感があることが浮き彫りとなった形です。

 前半の、米国が軍事交流を通じて信頼醸成につなげたい考えであるというのは、その通りである。しかし、後半は、いかにも理に適っていない。中国の対米不信感が強いのは確かだが、わざわざ情報収集用の艦船を派遣したのは、初めから諜報活動を行う意図を持っていたからである。そして、全体としては、NHKの解説は、「米側は信頼醸成を意図しているが、それは中国の不信感を取り除くのには不十分であるから、もっと中国に対して宥和的姿勢をとるべきである」と言っているように受け取れる。また、中国に対米不信感があるのだから招待された軍事演習で情報収集活動をするのはやむを得ない、とも示唆しているように見える。そういう印象を与える意図があるのだとすれば、極めて遺憾であると言わざるを得ない。(了)

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takami_neko_shu0515 at 17:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) マスコミ批評 

2014年07月23日

■RIMPACにおける中国軍艦船による情報収集活動―米中軍事交流による信頼醸成という幻想

 現在、6月26日から8月1日までの日程で、米海軍が主催する、環太平洋合同演習(RIMPAC)がハワイ沖で開催されている。RIMPACは、ほぼ隔年で行われており、日本を含む、米国の環太平洋の同盟国、友邦の海軍が中心に参加し、今回は22か国が参加している。今回の最大の目玉は、中国が初めて招待されたことである。

 その中国海軍の艦船が、情報収集目的で周辺海域を航行していたことが明らかとなり、問題となっている。米太平洋艦隊の担当者によれば、演習が行われている海域の周辺において中国の艦船が通告無くして監視に当たっていることを確認したとのことである。米海軍は、これに対して、機密情報保護の措置をとり、ペンタゴンの当局者は、不快感を表明している。今回の中国艦船の行為は、明らかに背信行為であるが、中国としては「渡りに船」というべき機会が与えられたということであろう。

 RIMPACへの中国海軍の招待は、オバマ政権による、米中軍事交流による信頼醸成を目標とした措置である。しかし、中国を招待することには、米国内からも懸念が表明されていた。例えば、米国の有力な保守系シンクタンク、ヘリテージ財団の中国専門家である、ディーン・チェン研究員は、報告書や論説で、中国のRIMPACへの招待を止めるよう、繰り返し主張していた。その重要な根拠の一つは、同盟国、友邦を中国の諜報活動の危険に晒すことになる、ということである。中国艦船の今回の行為の最大の問題点は、まさにここにある。

 オバマ政権は、米中間の軍事交流により信頼醸成がなされ、米中間の緊張緩和に繋がると考えているが、楽天的に過ぎる。確かに、軍事交流には、お互いの手の内を見せ合うことにより、信頼が醸成され、その結果過度の軍拡に走ることが抑えられ、ひいては軍縮に繋がるという効果が期待できるケースがあるが、それは、冷戦末期の米ソのように、両者がそういう共通認識を持ち、なおかつ軍事力がほぼ拮抗している場合に限られる。しかし、現在の中国は、自らの能力を隠しつつ米軍の能力を知り、米軍の能力に出来るだけ追いつくことを大目標としているので、全く当てはまらない。軍事交流を通じた信頼醸成など、幻想と言って過言ではない。

 RIMPACへの中国の招待は、オバマ政権のそうした幻想が、同盟国、友邦にも大きなリスクを負わせたことになり、大失策であるという他ない。米国は、今回の件を重大な教訓として、米中の軍事交流への幻想を捨てるべきであり、次回のRIMPACには中国を招待しないことが求められる。そして、我が国は、アジア太平洋の友邦と共同で、懸念を表明してはどうかと思う。(了)

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takami_neko_shu0515 at 16:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日中関係・米中関係 | 安全保障・自衛隊

■佐賀空港へのオスプレイ配備正式打診

 政府は、陸上自衛隊自衛隊に新設され、佐世保に配置される水陸機動団が使用する輸送機として、2019年度までに、17機のMV22オスプレイを導入することとしている。そして、その配備先として、佐賀空港が検討されていたが、22日に、武田防衛副大臣が佐賀県の古川知事に対して正式に打診をした。

 具体的には、佐賀空港の隣接地に、駐機場、格納庫、給油施設などを整備し、佐賀空港を自衛隊との共同使用とし、オスプレイの配備に加え、佐賀県吉野ヶ里町の陸上自衛隊目達原(めたばる)駐屯地に配備されたヘリコプター50機も佐賀空港に移駐させる計画であり、同空港に配置される部隊は700〜800人規模になるとのことである。

 これに対して、古川知事は、「県民の生活を守るのが私の責任だ。なぜ佐賀空港なのか、オスプレイが安全なのか、政府が責任を持って県民に説明して理解を得るとともに、安全を確保してもらうことが必要だ」と述べ、「賛否は白紙である」と言った。これは、防衛装備の新たな配備に際しての、自治体の長の常套句である。古川知事は、継続協議すると言っており、拒否するような非常識な人物であるとは到底思えないが、自治体と国を対置し、まるで、国が危険を押し付けているかのような言いぶりは、やはり違和感を拭えない。こういう常套句は、日本の安全保障についてのいびつさをよく表しており、自治体と国が協力して日本の安全保障体制を強化するという発想があってしかるべきである。

 佐賀空港に配備するというのは簡単な理屈で、水陸機動団が配置される佐世保にごく近いからである。そして、佐賀空港からであれば、人員や装備を、尖閣まで一息に運ぶことが出来る。南西諸島の防衛にとって、軍事的合理性は大いに高い。また、佐賀空港は、有明海の干拓地に存在し、周辺住民への騒音などの問題も比較的低い。政府に説明を求めるまでもなく、県として率先して受け入れ、説明することが出来る筈である。誤解の無いように、念のために申し添えておくと、もちろん、政府が何も説明しなくて良いなどと言いたいわけではない。

 政府は、佐賀空港を、自衛隊のオスプレイ配備に加えて、普天間移設までの暫定措置として、米海兵隊普天間飛行場のオスプレイの訓練にも用いたいという意向を持っている。沖縄の負担軽減措置のためである。米海兵隊のオスプレイと自衛隊のオスプレイが共同訓練をより密にできるというメリットもある。合理的に沖縄の負担軽減に寄与できるのであるから、もったいぶらずに、快く受け入れるほうが、沖縄と本土の間のわだかまりを小さくすることにもつながるであろう。(了)

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takami_neko_shu0515 at 05:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 安全保障・自衛隊 

2014年07月22日

【ご挨拶】半年ぶりの更新およびコメントについての新方針

読者の皆様

ご無沙汰いたしております。

職務多忙につき、なかなか更新できませんでしたが、約半年ぶりに更新いたしましたので、御高覧頂ければ幸甚に存じます。相変わらず不定期な更新になるとは思いますが、宜しくお願いいたします。

なお、今後は、頂戴いたしましたコメントにつきましては、有り難く拝読させていただきますが、こちらからの返信は基本的に省略させていただきたく、宜しく御了承のほど、お願い申し上げます。

2014.7.22
高峰康修 拝


takami_neko_shu0515 at 05:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 個人的なこと・随想 

■中国を増長させる米国の言葉遊びと建前論

 7月9、10日に北京で開催された、第6回米中戦略経済対話(S&ED)では、米国は、中国に対して、一応は言うべきことは言ったと、最低限の評価はしてよいのであろう。
 
中国は、アジアの問題はアジア人が解決する「アジア安全保障観」という名の、米国のアジアからの締め出しを主張したが、米側は、米国は太平洋国家であると言って譲らなかった。海洋安全保障問題では、中国が、自国の海洋権益保護と米国の「公正な立場」を主張したのに対して、米国は、領有権についての一方的な行動は許されないと反論した。サイバー問題では、米国は、中国のサイバー攻撃を止めるよう要求した。そして、これまで閑却されてきた人権問題では、米国は、人権活動家などの逮捕や嫌がらせに懸念を示し、さらに、新疆ウイグル地区でテロ対策を口実に人権弾圧をしないよう釘を刺した。

 しかし、今般のS&EDの結果、中国が態度を変えるということは、到底あり得そうもない。その大きな原因の一つに、米国の、行動を伴わない言葉遊びと建前論があるように思われる。

 まず、前者の最たるものは、「米中の新しいタイプの関係」である。習近平は「新型の大国間関係」を打ち上げ、太平洋は米中の二大国を受け入れる余地があると言った。こんなことは、かつて人民解放軍の将校が言った、ハワイを境とした太平洋分割論とほぼ同義であるのは明らかだが、オバマ政権は、これを拒否せず、「新型の大国関係」から「大国」を抜いて「新しいタイプの関係」という言葉を使うことで、米中の立場の違いを表そうとしている。今回のS&EDでも、米側は、全面的に拒否すべきところ、「新しいタイプの関係」とは、実質的な協力を強化し、相違点には建設的な対処をすることである、と言った。いかにも官僚的な言葉遊びと言わざるを得ず、これでは、中国に侮られるのは当然である。2005年に当時のゼーリック国務副長官が、中国を「責任あるステークホルダー(利害関係者)」にする、と言ったのも言葉遊びの悪い例であったが、今回は、中国側の概念に乗せられてしまっている点で、より拙劣である。我が国としては、米国に、「新しいタイプの関係」という考えや言葉から離れるようアドバイスする必要があろう。

 そして、領有権に関する建前論も、大いに問題である。米国は、南シナ海での領有権問題で「領有権については特定の立場を取らない」との原則論を繰り返している。領有権をめぐる一方的な行動を認めないと主張するときも、枕詞のように「米国は特定の立場を取らないが」という留保がほぼ必ず付く。しかし、この原則は、紛争当事国がいずれも、国際法に則った主張をしている場合にのみ当てはまる。現に、北方領土問題では、米国は、ロシアの統治は不法占拠であり、日本に領有権がある、という立場である。南シナ海においては、中国が南シナ海のほぼ全域に主張している9点線が最大の問題である。中国は、9点線は歴史的根拠に基づく、と主張しているが、海洋法はそういう根拠は認めていない。米国も、当然、9点線は問題視している。とすれば、9点線に基づく南シナ海の島嶼への中国の領有権主張には異を唱えるべきであり、その限りにおいて「特定の立場を取らない」というのは論理矛盾である。我が国は、関係国とよく協議して、米国が建前論、それも誤った建前論は引っ込め、9点線への反対をより明確にするよう求めるべきであろう。尖閣問題でも、米国が、日米安保条約第5条の対象になる、と繰り返し言明してくれるのは、もちろん結構なことであるが、領有権自体に関しては、やはり、特定の立場を取らない、としている。これはおかしな話で、尖閣諸島は琉球列島の一部として戦後米国が統治し、それを日本に1972年に返還したというのが歴史的事実である。米国と協議して、日本がそういう主張をすることを容認させるべく、働きかける余地があると思われる。(了)

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takami_neko_shu0515 at 04:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 外交・国際政治全般 | 日中関係・米中関係

【集団的自衛権行使容認】日本の「ハンディキャップ国家」からの脱却への道は遠い

 集団的自衛権に基づく実力行使容認(注)をめぐる憲法解釈に関する議論は、周知の通り、7月1日の閣議決定により、「ある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」を要件に、他に適当な手段が無い場合に、必要最小限度の実力行使をすることが憲法上容認されることとなった。集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ないとした、1972年の政府資料の提出から42年、集団的自衛権は国際法上保有しているが憲法上行使を許されないとした、有名な1981年の答弁書から33年ぶりの、歴史的転換である。そして、もとより、その方向性は間違っていない。

 しかし、大いに懸念すべき材料が残っている。今回の再解釈は、集団的自衛権の「限定的容認」と言われる。個別的自衛権の行使について、専守防衛の考え方を改めない以上、それとの整合性を考えれば、やむを得ないことではある。問題なのは、集団的自衛権の行使を容認する必要性を説くよりも、むしろ、今回の決定が如何に限定的なものであるかを強調し、歯止めがかかっているかを強調することを迫られた点である。これは、自公協議では、公明党がブレーキ役となり、原案の「根底から覆されるおそれ」から「根底から覆される明白な危険」と改められたのが象徴的である。ただ、これは、公明党云々というよりも、国民の意識の問題と言った方が正確であろう。

 閣議決定直後のいくつかの大手マスコミの世論調査では、再解釈に対する反対が過半数に上った。それは、再解釈に対する、「戦争の出来る国になる」「手続きを経ない解釈改憲である」などといった、一部マスコミの異常なキャンペーンの結果であるが、そういうキャンペーンを受け入れる素地があったということでもある。すなわち、憲法9条の特殊性を維持し、普通の国に近づくことへの拒否感である。そもそも、集団的自衛権の行使には、国際法上、厳しい制約が課せられている。国連憲章では、集団的自衛権に基づいてとった措置は直ちに安保理に報告する義務があると規定されている。1986年の国際司法裁判所の「ニカラグア事件」本案判決では、集団的自衛権の行使の要件として、被攻撃国の来援要請を挙げている。そして、個別的と集団的とを問わず、自衛権の行使には、国際法上、必要性と均衡性が求められている。政府は、こうした諸点をもっとよく説明すべきであったし、そうすべきであろう。

 憲法9条の特殊性を強調し、日本が軍事的に出来ることが可能な限り制限されるのは当然とする立場は、1990年代に著名な外交官らが唱えた「ハンディキャップ国家論」である。この点、自民党政務調査会の田村重信調査役は、著書『これで納得!日本国憲法講義』(内外出版)の中で、憲法9条の改正への反対につき「悪いことをして牢屋に入った人が、牢屋から出たら自分に自信が持てなくて、また同じ過ちを繰り返してしまう可能性がある。だから、牢屋から出さないでくれというのと同じことです。」と言っている。正鵠を射た指摘であり、今般の再解釈にも当てはまる。こうした意識が払拭されなければ、安全保障上の必要性に基づいた政策論が困難になってしまう。政府は、「ハンディキャップ国家」を良しとするような風潮を打破するよう指導力を発揮すべきであり、今後の関連法改正の議論において、さらに「限定」が厳しくなり、集団的自衛権の行使を容認した意義が没却されるようなことのないようにしなければならない。(了)

(注)集団的自衛権は本来武力による援護に限られないので、敢えてこのような表現にした。

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takami_neko_shu0515 at 04:20|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 安全保障・自衛隊 | 憲法・憲法改正

2014年02月01日

■オバマの一般教書演説は酷過ぎる―日本は米国の「不在」を埋める努力を

 オバマ政権が米国の対外関与に消極的であり、自由主義、民主主義、法の支配を是とするグローバル秩序の守護者としての米国の役割を顧みない傾向にあることは、かねてより指摘されているところである。1月28日の一般教書演説は、改めてそれを裏付けたに過ぎないが、やはり、同演説はかなり酷いものであった。

 オバマ大統領は一般教書演説で、「真に必要でなければ、軍を危険な地に送ることはない」といい、アジア太平洋政策については、「アジア太平洋に焦点を当て続け、同盟国を支持し、より安全で繁栄した未来を作る」とだけ短く触れ、具体策は何も示していない。アジア太平洋への言及の少なさが、国内での報道では大きく取り上げられているようであり、それはその通りだが、「アジア太平洋軽視」は第二期オバマ政権の特徴である。

 むしろ、驚かされたのは、シリアに関するくだりである。オバマ大統領は、シリアが化学兵器の廃棄・解体に同意したことについて、「力を裏付けとした米国の外交のゆえである」と述べた。しかし、オバマ政権のシリア政策が支離滅裂であるのは周知の事実である。反乱軍を支援するため空爆すると一旦表明した直後に、法的に全く必要でない、議会の承認を得ると言いだして、結局、取りやめた。そして、ロシアの調停案に飛びついた結果、ロシア主導で、化学兵器の廃棄・解体という妥協案が成ったのである。その化学兵器の廃棄・解体も、前途は必ずしも万全とは言い切れない。これを、米国の力の裏付けに基づいた外交の成果、などと言うのは、オバマ政権の、現実認識能力の著しい欠如、無能力でなければ、不誠実極まりない牽強付会であると言わざるを得ない。これは、オバマ政権の外交姿勢をよく表している。

 保守の立場から定期的にワシントン・ポストのブログを書いている、ジェニファー・ルービン女史は、オバマは「カーター大統領を上回る最悪の最高司令官」であり「史上最も真摯でない最高司令官」である、と1月29日付の同紙ブログで酷評しているが、言い得て妙である。こういうオバマの米国に、あと3年近くは付き合わなければならない。これは、言うまでもなく、世界の秩序にとって大きなマイナスであるが、他の現状維持を是とする国々が協力して補っていく他ない。我が国が果たすべき役割はそれだけ大きく、他方、チャンスも大きいと言える。安倍総理の言う、積極平和主義、地球儀俯瞰外交が、いよいよ価値を持ってくる。

 もちろん、我が国には、世界秩序の維持において、米国の代わりを務める能力はないが、少なくとも、アジア太平洋においては大きな役割を果たし得る。国際的法の支配に基づく海洋安全保障を追求するために、有志国と協力を深めるべきである。地域の主要民主主義国である印豪、また、ASEAN諸国との連携強化をさらに促進する必要がある。この際、武器輸出三原則の見直しは急務である。武器貿易は、外交安全保障政策の重要なツールだからである。安倍総理は、武器輸出三原則に代わる新しい武器輸出ガイドラインを策定する、と言っている。また、集団的自衛権の行使容認も不可欠である。着実にそれらを進めることが、強く期待される。日米同盟の深化も、オバマ政権の姿勢に関わらず、実務者レベルでは進展するであろうし、そうしなければならない。これらは、現在必要であるだけでなく、オバマ政権が去った後、米国にもっと望ましい政権ができた際に、日米関係を大きく進展させる財産になるであろう。(了)

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takami_neko_shu0515 at 00:16|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 外交・国際政治全般 | 日米関係・日米同盟

2014年01月29日

■欧州委員会の環境エネルギー目標が示す再生可能エネルギーの地位低下

 欧州委員会は、1月22日に、2030年に向けた温室効果ガス削減目標とそれに関する一連の施策に関する政策文書を発表した。その柱は、既に報じられている通り、EUは、2030年までに温室効果ガスを1990年比で40%削減すること、再生可能エネルギーの割合を2030年に27%まで向上させること、である。

 EUは、2020年までの目標として、温室効果ガス削減については90年比で20%削減し、再生可能エネルギーの割合は20%にすることを掲げている。数字だけを見れば、2030年における温室効果ガス削減目標を40%に大幅に拡大したことが、確かに目を引く。

 ただ、それよりも注目に値するのは、2030年における再生可能エネルギーの割合の目標はEU全体としてのものであり、2020年目標とは異なり、国別の義務は課さない点である。政策文書は、各加盟国はそれぞれの状況に最適な方法で再生エネルギー導入を進める、としている。このことは、欧州が「再生可能エネルギー至上主義」と訣別しつつあることを意味する。国別の義務を課さずにEU全体での目標を達成するというのは、事実上不可能に近い。

 政策文書によれば、再生可能エネルギーの拡大の目的は、EU原産エネルギー資源への移行により、エネルギー貿易収支を改善し、雇用と経済成長にメリットをもたらすことである。再生可能エネルギーがそういうエネルギー戦略に貢献しないのであれば、これにこだわることは合理的ではない、とEUが考えたとしても不思議ではない。

 2030年目標が国別義務を諦めたのは、再生可能エネルギーのコストが低下せず、経済に与える負の影響が大きくなる一方だからである。特に英仏が難色を示していた。欧州員会が最近発表したレポートは、EUの産業用電気料金は、米国の2倍以上であり、中国より約2割高い、と指摘している。欧州の電気料金が上昇を始めたのは2000年代からであり、再生可能エネルギーの導入が活発化した時期と一致している。おそらく、今後は欧州でも、原子力、クリーンコールが柱となり、そして、場合によってはシェールガスが脚光を浴びるということになると思われる。

 日本は、元来、電気料金が高いが、原発の停止に伴う火力発電による代替により、米国の2倍を大きく上回る事態となっている。原発の再稼働を順次進めるとしても、状況が劇的に好転するわけではない。そこに、高コストの再生可能エネルギー導入を進めれば、どうなるかは明らかであろう。欧州は、良くも悪くも、環境エネルギー政策の先駆者である。策定がずれ込んでいる、我が国のエネルギー基本計画では、再生可能エネルギーをめぐって、その影の部分をよく教訓とすべきである。(了)

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takami_neko_shu0515 at 16:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) エネルギー・資源 | 地球温暖化・温室効果ガス削減

2014年01月27日

■靖国参拝から1か月、参拝の反復継続が重要

安倍晋三総理が昨年12月26日に靖国神社を参拝してから、ちょうど1か月になる。この間、予想された通り、様々な反応や議論があった。中韓は激しく反発し、米国は「失望した」と言った。日中の大使が英国の新聞紙上などで舌戦を戦わせる事態にもなった。

国内での議論で目を引いたのは、米国との協調が重要であるこの時期に参拝したのは思慮に欠ける、という類の主張である。普段は日米同盟に冷淡である進歩的なマスコミや知識人がそのような論理を持ち出すのは論外として、現実主義的と思われる論者からの主張としては、当否を検討する価値はあろう。確かに、米政府は失望を表明したが、日米同盟の根幹を揺るがしたとは到底言えない。実務者レベルでの両国の安全保障協力は、何の遅滞もなく進展しており、例えば、日米は、サイバー攻撃への対処能力を向上させるべく、米軍と自衛隊の専門要員を共同で育成する方針を示すなど、大きな進展を見せている。また、昨年策定された日本の新しい国家安全保障戦略は高い評価を得ており、靖国参拝は、それを損ねてはいない。靖国参拝が対米配慮に欠けるという議論は、いささか的外れである。

中国や韓国は反発しているが、言葉で非難するか、首脳会談をしないと言うか、そのようなことしかやりようがなく、大した実害はない。そもそも靖国参拝以前から、首脳会談を拒否している。米国との関係で重大な問題ではなく、中韓の反発が中身を伴うものでないとすれば、靖国参拝は通常の意味での戦略的問題ではないと言える。それでは、今後、総理の靖国参拝をどのようにして行けばよいのだろうか。

大前提として考えるべきは、次の2点である。第一に、国家のために殉じた人を追悼し顕彰することは、国家の責務であり、それをしなければ国家の大きな精神的支柱を欠くことになる。第二は、靖国参拝は、「宣伝戦」の一環となっている、ということである。

まず、一点目からであるが、日本が近代国家としての体裁を整えて以降、国家のために殉じた人を追悼し顕彰する唯一の国家的施設は、現在のところ靖国神社しかない。靖国に祀られているのは、戊辰、日清、日露、第一次大戦、第二次大戦に至る、戦没者の霊である。千鳥ヶ淵戦没者墓苑を挙げる者もあるが、これは、あくまでも第二次大戦中の無名戦士の慰霊施設であり、靖国の代替にはならない。靖国を総理が参拝すべき最大の理由は、ここにある。

次に、「宣伝戦」の観点であるが、一見、総理が靖国を参拝すれば、中韓が反発し、欧米のマスコミに大きく取り上げられ、不利になるようにも思われる。しかし、安倍総理の12月の靖国参拝後浴びせられた厳しい非難にもかかわらず、日米同盟は揺るがされてはいない。一方、米紙の社説や、米国の知識人の論説には、A級戦犯が祀られているので事情が異なるという留保付きではあるが、靖国はアーリントンと類似した性格を持っている、とするものが出てきている。例えば、米国を代表する知日派知識人である、アメリカン・エンタープライズ・研究所研究員のマイケル・オースリンによる12月26日付論説や、12月28日付ワシントン・ポスト紙社説などが挙げられる。したがって、靖国を、戦没者追悼のための施設であり、決して軍国主義を賛美する施設ではない、ということを周知するための広報活動を繰り広げる余地はあるように思われる。実際、安倍総理は、ダボス会議での記者との質疑応答で、国のために殉じた人を追悼するのは、あらゆる国家の指導者が行っていることである、との趣旨の発言をした。そして、日本が平和主義に徹する誓いを改めて表明した。この2点をセットにして繰り返すことが、靖国をめぐる宣伝戦に勝ち抜く正攻法であろう。

さらに、これは、実際の参拝という行動とセットで行われるべきである。語弊を恐れずに言えば、参拝を繰り返されれば、批判する方にも慣れないし免疫のようなものができてくる。春秋の例大祭はもちろんのこと、それ以外にも節目節目に参拝を繰り返す必要がある。

靖国の性格については、国内にも議論があることは承知している。国家のために殉じた人を追悼し顕彰する施設が、神社という一宗教法人であってよいのか、検討の余地はあると思う。しかし、現在は、それに代わる施設がないことを、よく認識すべきである。それ以上に、靖国が宣伝戦の対象となっている最中に、靖国の在り方について議論するのは、全く不適切である。宣伝戦に勝ち、靖国を国際問題から解放し、純粋に国内問題として議論が出来るようになるのを待たなければならない。そのような環境を整えるためにも、総理による靖国参拝の反復継続は重要である。(了)

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takami_neko_shu0515 at 13:16|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 外交・国際政治全般 | 歴史認識問題

2013年09月18日

■韓国による水産物禁輸問題のWTOへの提訴手続きを迅速に進めよ

 韓国政府は、福島第一原発の汚染水漏洩を理由として、福島県など8県の水産物を輸入禁止処分とした。これは、GATT第20条の規定に違反する可能性が濃厚である。これに対して日本政府がWTOへの提訴を検討していると伝えられるが、当然のことである。

 GATT第20条は、「この協定(GATT)の規定は、締約国が次のいずれかの措置を採用すること又は実施することを妨げるものと解してはならない」として、輸出入制限等に関する一般的例外を列挙しており、その(b)項は「人、動物または植物の生命または健康の保護のために必要な措置」としている。一方、第20条但し書きは、一般的例外の適用について、「・・・国際貿易の偽装された制限となるような方法で、適用しないことを条件とする」と規定している。

 まず、韓国の行為は、GATT第20条(b)に該当するか、問題となる。福島第一原発の汚染水による海洋汚染が国際基準を上回るものであれば、確かに、「必要な措置」と言える。しかし、現在のところ、日本は、当該汚染がそのようなものではないと発表し、国際社会は幅広くその主張を認めている。そして、日本は、1キログラム当たり100ベクレル以下との基準を厳守して輸出している。したがって、韓国の禁輸措置は、GATT第20条に認められた範囲を逸脱したものであると考えられる。

 次に、韓国の禁輸措置が、GATT第20条の但し書きにある「国際貿易の偽装された制限」に該当する可能性も、一応問題となる。仮に、日本に対する何らかの政治的意図を持って、禁輸措置を執ったのであれば、「偽装された制限」と言えよう。ただ、これは、証明が困難であり、実際に提訴となれば、GATT第20条(b)に適った措置であるか否かに絞るべきであり、そのようになると思われる。

 日本政府は、提訴の検討に時間をかけるべきではなく、迅速に手続きに入るべきである。間違っても、韓国との摩擦を避ける、などという発想が入り込んではならない。確かに、提訴によって韓国側は反発するであろう。既に、一部の韓国の政治家やマスコミはWTOへの提訴の動きを激しく非難しているようだが、韓国にはWTOのルールを遵守することを学んでもらわなければならない。WTOの手続きにしたがって通商問題に関する紛争を解決することは、ごく当たり前のことであり、慎重になるべき理由は全くない。それに反発して政治的関係が悪化するのであれば、反発する方が国際的法の支配を理解していないとしか言いようがない。

 歴史認識問題と全く異なり、この件では、日本の国際的立場は微妙なものではなく、WTO提訴によって誤解されることはない。米国は、アジア戦略の観点から日韓関係の悪化を望んでいないが、ルールに基づいた紛争解決を支持するしかないであろう。もちろん、大部分の他の国も同様であろう。韓国が自制して粛々と手続きが進められれば結構なことであるし、韓国が過剰反応すれば、ひいてはあらゆる韓国の主張に疑問符がつけられることにもつながる可能性を無しとせず、それだけ自らの立場を悪くするだけである。いずれにしても、日本が困ることは皆無である。

 林芳正農水相は、WTO提訴について、「絶対に提訴しないわけではない」と記者会見で述べ、提訴の可能性を排除しないことを明言している。そう言ってしまった以上、提訴しなければ、福島第一の汚染水問題についての日本の言い分が、国際的に信用を失うことに繋がりかねない。逆に、WTOの紛争解決パネルにおいて事実を明らかにすることは、福島第一による汚染への過剰反応が誤りであることを示す良い機会にもなる。したがって、WTOへの提訴をちらつかせて韓国の禁輸措置を止めさせるよう試みるというのも一つのやり方かもしれないが、ちらつかせるだけでなく、提訴の手続き自体を迅速に進めるべきである。韓国側が譲歩すれば、その時点で紛争はなくなるのだから、手続きを取り下げればよいだけのことである。(了)

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takami_neko_shu0515 at 17:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 朝鮮半島情勢・日韓日朝関係 | 産業・通商

2013年09月13日

■中国による太平洋島嶼国への関与強化は脅威か?

 最近、中国は、太平洋の島嶼国への支援を活発化させるなど、同地域への関与を急速に強めている。中国は、トンガに110億円相当の資金援助をして、その資金の一部により、トンガのヌクアロファ港を改修し、軍港としても使えるようになっている。また、パプアニューギニアの二つの港の拡張工事を、中国の企業が落札している。こうした動きを脅威と捉える論調が散見される。例えば、9月4日付の読売新聞は、9月3日から5日にかけてマーシャル諸島で開かれた太平洋諸島フォーラム(PIF)に合わせる形で特集記事を組み、『太平洋 増える 「中国港」』『軍港化 日米豪が警戒』といった見出しを付けて、中国の脅威を強調している。

 しかし、中国の太平洋の島嶼国への関与強化は、多面的に見る必要がある。まず、軍事的側面からは、トンガに軍港を確保したからといって、到底、脅威とは言い難い。中国が太平洋の島嶼国に軍港を確保すれば、グアムやハワイといった米軍の拠点の後背地を脅かすことになる、と解説されることがあるが、広大な太平洋の制海権を確保して、ハワイやグアムの米軍の行動を牽制するには、中国軍は明らかに力不足であるし、効率的なやり方とは言えない。中国は、そのような戦略をとらないであろう。中国にとって軍事的意味があるとすれば、せいぜい、太平洋島嶼国の軍港に立ち寄ることができるので、遠洋航海訓練が出来る、といったことであろう。前掲記事は、インド洋での「真珠の首飾り」につづく「第二の首飾り」の可能性について触れているが、ミスリーディングである。そもそも「真珠の首飾り」すら、ミャンマーの西側接近により、あまり言及されなくなってきている。

 次に、外交的側面では、太平洋の島嶼国には、台湾との間で外交関係を持っている国が多いことが重要である。中国の援助攻勢は、こうした国々に、台湾との断交を促す意図がある。中国の脅威と言うならば、これは、台湾にとって脅威かもしれないが、台湾も経済援助によって島嶼国との外交関係を得ており、中台が一部の島嶼国によって両天秤にかけられている側面がある。また、もっと抽象的な意味で、中国が大国としての面子から、関与する地域を拡大する意図もあるであろう。

 そして、経済的側面、より具体的には、資源獲得の意図がある。南太平洋は水産資源が豊富であるし、パプアニューギニアには多くの天然ガスが埋蔵している。パプアニューギニアの港拡張は、漁港としての整備を目指すものであると伝えられている。中国は、資源の開発と利用について、国際的ルールを逸脱することを厭わない。中国の最大の脅威は、むしろ、太平洋における水産資源の持続可能な利用や、環境に対するものであろう。

 我が国は、PIF加盟国・地域との間で、1997年から3年ごとに太平洋島サミット(PALM)を開催しており、太平洋の島嶼国との良好な関係は、長い歴史を持っている。そして、PALMにおける重要なテーマは、水産資源管理、そのための海上保安能力向上、環境問題である。日本は太平洋における海洋ガバナンスを先導することで、海洋国家としての地位を向上させることができる。日豪に加えて、米国も太平洋島嶼国への関与を深めており、昨年のPALMには初めて米国代表が招かれ、PIF域外国対話にはクリントン国務長官(当時)が参加するに至った。そして、日米豪の援助方針は、一言でいえば、「良い統治」に資するという、対外援助の王道に沿ったものである。太平洋島嶼国への中国の関与に対して言うべきことは、水産資源の乱獲や環境汚染にノーと言うことであり、援助は、今まで通りのやり方を堅持すればよい。また、太平洋島嶼国は、地球温暖化による海面上昇を強く懸念しており、温室効果ガス削減にあまり冷淡な態度をとると、彼らの失望を招くことにも繋がる。

 中国が軍事的脅威であることは厳然たる事実であるが、何でもそれに無理やり結びつけるのは誤りである。中国が南太平洋に進出することは、同地域を「裏庭」と看做している豪州の警戒を招く可能性があり、中国をどう見るかで外交安保政策が分裂している豪州の国論をかえって統一する効果すらあるかもしれず、そうなれば、脅威と言うよりもチャンスである。(了)

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takami_neko_shu0515 at 07:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 豪州・オセアニア・太平洋島嶼国 | 海洋政策

2013年09月12日

■尖閣周辺空域で中国の無人機に空自がスクランブル―「無人機大国」中国にどう向き合うか

 9月11日で尖閣の日本による国有化から一周年を迎えたが、それを前に、中国のものと思われる無人機が、日中中間線を越え、尖閣北方約100キロの空域で旋回し、これに対して空自のF15がスクランブル発進した、と統合幕僚監部が9日発表した。中国当局は、これが、中国の無人機であると認め、今回の行動は国際法に違反しておらず、今後とも同様の訓練を行うと明言している。確かに国際法違反をしているわけではないが、挑発的行為を継続することを宣言したものであり、やはり重大である。

 実は、中国は「知られざる無人機大国」である。中国は、既に1950年代後半には、ソ連の無人機をリバースエンジニアリングしており、それ以来、無人機の開発を半世紀以上にわたって続けてきたという積み重ねがある。その結果、現在では、280機以上の無人機を保有しているとの見積もりがあり、質量ともに米国に次いで第二位である。その用途については、中国国防部は、当面東アジアにおける無人機の使用を偵察に限る、との公式声明を出しており、既に、尖閣の写真撮影に用いている。中国が尖閣に対して無人機を何らかの形で用いるのは、今回のスクランブル以前から既に始まっていることであり、今回の件によって大きくクローズアップされただけのことである。

 そして、中国国防部が「当面」と留保をつけていることからも推測できるように、将来は、攻撃的な無人機を配備することも十分に考えられる。仮にそこまで行くには時間があるとしても、無人機の使用は、有人機による場合と比して、偵察の敷居を下げ、偵察活動の活発化に繋がるであろう。これは、出来る限り抑止する必要がある。そのために、日本は、真剣に対策を考えなければならない。

 第一に、無人機の領空侵犯があった場合への対応である。自衛隊法84条は、領空侵犯への対応について「着陸させ、又はわが国の領域の上空から退去させるため必要な措置を講じさせることができる」と規定しており、正当防衛に当たる場合以外は、原則として撃墜することを認めていない。しかし、国際法は撃墜を認めており、自衛隊法の規定は、極めて抑制されている。自衛隊法84条にいう「必要な措置」というのは、要するに、退去要請や警告射撃のことだが、無人機が相手では効果のほどは疑わしい。領海侵犯した無人機も含む軍用機を撃墜できるように、国際基準に合った形に自衛隊法を直ちに改正し、そういう対応を執ることを宣言すべきである。

 第二に、我が国も偵察目的の無人機の導入を急いで進めなければならない。そして、東シナ海において、偵察活動を活発に実施するべきである。それは、中国軍の動きを知るのに役に立つであろう。中国側は反発するだろうが、それで初めて、無人機での偵察を相互に自粛する交渉の可能性が出て来る。そうならなくとも、どうせ必要な装備なのだから、無駄になることは決してない。

 そして、第三に、長期的な検討課題として、サイバー攻撃能力を持つことも検討すべきであろう。中国が、無人機を攻撃目的にも使うようになったならば、無人機をコントロールしている場所を破壊する必要が出て来る。そのための対地攻撃能力を持つのは現実的でも適切でもなく、サイバー攻撃によって無力化するのがよいであろう。

 今回の中国の無人機に対するスクランブルを、一過性のものとしてしまっては、中国の圧力を増長させるだけである。無人機を、偵察目的限定から、攻撃目的にも用途を広げて来る可能性がある。まずは、中国の無人機に無関心でないという強いメッセージを出す必要があり、上記自衛隊法の改正が喫緊である。(了)

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takami_neko_shu0515 at 04:22|PermalinkComments(3)TrackBack(1) 日中関係・米中関係 | 安全保障・自衛隊

2013年09月08日

■韓国大統領、メルケル独首相との会談でも歴史問題で日本批判

 韓国の朴槿恵大統領による日本に対する歴史問題をめぐる注文は度を越しており、遺憾ながら常軌を逸しているとしか言いようがない。オバマ米大統領と会談した時も、中国の習近平主席と会談した時も、この話題を持ち出したが、今度は、ドイツのメルケル首相との会談でも言及したと伝えられている。サンクトペテルブルクのG20会場でメルケル首相と顔を合わせた朴氏は、「(メルケル首相が)ダッハウ収容所追悼館を訪問して行った演説を、韓国の国民も感銘を受けながら聴いた。歴史の傷を治癒しようという努力がなければならず、度々傷に触れていては難しくなるのではと考える」「日本が歴史を眺めながら、未来志向的な関係を発展させることを希望する」と述べ、「日本は北東アジアの共同繁栄と平和のため協力していく重要な隣国であり、協力推進のために韓国は努力している」と、自己正当化も忘れなかった。

 韓国にも、日本の左派の間にも、日本は歴史問題についてドイツを見習うべし、と言う者は多い。しかし、日韓関係において、日本がドイツに学ぶとすれば、韓国はフランスの寛容に学ばなければ、両国の和解はあり得ようもない。これは、米アジア太平洋安全保障研究センター准教授のジェフリー・ホーナンが、5月に米国の外交専門誌The National Interestのウェブサイトに掲載された論説で述べたことである。まことに常識的な意見だが、独仏関係と日韓関係には大きな違いがある点は見逃してはならないであろう。欧州は、バランス・オブ・パワー、コンソート・オブ・パワーなどといった、対等な国家同士による戦争と平和についての試行錯誤を繰り返してきた。これに対して、日韓関係では、韓国には中華帝国を中心とする華夷秩序の残滓が色濃く残っており、その秩序の中では、日本を格下と見ているように思われる。歴史問題を政治カードに使うという意図以上に、そういう背景があると想定しなければ、合理性を遥かに越える対日批判は理解しがたい。

 しかし、朴大統領の日本批判は、そろそろ逆効果になる可能性がある。訪米時の朴氏の米議会での演説は、自由、民主、人権の価値を米韓が共有していることを強調して、大いに米国の共感を呼んだが、度重なる日本批判に、米国の国防当局者は辟易しつつあるようである。米国としては、対北朝鮮を考えれば、日米韓の連携が望ましく、日韓の対立は困ることである。安倍総理が予想に反して、歴史問題で自重していることと比べて、朴氏の突出が目立つことになる。

 また、他国の批判をして回るというのは、品の良いこととみなされるはずもない。外交というと特殊な世界のように思われがちだが、人間の営みである以上、人間の常識は意外と通用するものである。そういうわけで、日本としての歴史問題に関する対韓国政策は、騒がないことに限る。ただし、竹島領有権問題や日本海呼称問題といった、事実関係を争う場面では、声を大にして反撃しなければならない。この点は、明確に分けなければならない。(了)
 
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takami_neko_shu0515 at 05:25|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 朝鮮半島情勢・日韓日朝関係 

2013年09月06日

【COP19】温室効果ガス削減目標を原発復活の梃子にせよ

 我が国は、現在、福島第一原発事故を受けた原発稼働停止により、温室効果ガス削減目標についての国際公約が棚上げとなっている。11月にポーランドで開かれる、国連気候変動枠組み条約の第19回締約国会議(COP19)においては、新たな削減目標が提示されることが望まれるが、経済産業省と環境省の対立から難航しており、数値目標を示せない可能性が指摘されている。

 報道によれば、経産省と環境省が共同で事務局を務める、中央環境審議会と産業構造審議会の専門合同会合が、温室効果ガス削減の数値目標をめぐって対立し、暗礁に乗り上げているとのことである。経産省は、将来の電源構成における原発の比率が決定していないので数値目標の議論は進められないと主張している。これに対して、環境省は、概算であっても原発の比率を仮定すれば数値目標を決めることはできると主張し、折り合いがつかずにいるようである。

 確かに、経産省の主張は理に適っている。しかし、一方で、COP19において日本が数値目標を示せないとなると、面目を失うことになる。我が国が温室効果ガス削減の数値目標を棚上げしているのは、原発への消極姿勢が最大の原因である。その一方で、我が国は、国策として原発輸出を推進するというのであるから、全く理屈が通っておらず、国際的非難を浴びても仕方がない。そうなると、我が国が提唱している二国間クレジット制度(JCM)も、温室効果ガス削減の手段として認められない可能性が高まる。さらに、今後、温室効果ガス削減の国際的約束にコミットしないという方針に転換するのであれば話は別だが、そうでなければ、日本は削減目標という交渉の最重要カードを持たないことになり、温室効果ガス削減に関する国際交渉において大いに不利な立場に立たされるという、実質的な不利益がある。

 そこで、経産省の言い分に一理あることは認めるが、逆に、温室効果ガス削減の数値目標を先に決め、それを梃子に原発の再稼働を推進する方が国益に資するのではないか。原発の復活が無ければ、燃料費の圧迫を受けて、アベノミクスも画餅に帰する可能性がある。米国発のシェール革命の恩恵を受けることができるかもしれないと言っても、まだ先の話である。

 それでは、数値目標はどの程度に設定すべきか。もちろん、鳩山元首相が2009年9月に示した、2020年までに1990年比で25%削減というのは論外である。これは原発の比率を50%以上にすることを前提としており、エネルギ安全保障の大原則である、エネルギーのベストミックスという観点からも問題がある。2009年6月に当時の麻生政権が示した、2020年までに2005年比で15%削減(90年比では8%削減)というのが一つの基準になるのではないかと思う。これは、一度国際公約として提示した数字であるという意味もある。他の主要国の数値目標を見ると、いずれも2020年までに、米国は2005年比で約17%削減、カナダも2005年比で17%削減、オーストラリアは2000年比で5〜15%削減、などとなっており、麻生目標はこれらに比して遜色がなく、我が国の、温室効果ガス削減の国際的取り組みのプレイヤーとしての立場を大きく弱めることはない。なお、EUは、1990年比で20%削減と言っているが、これは京都議定書の時と同じく、数字のマジックを利用した、一種の誇大広告である。欧州では、ちょうど1990年ごろを境に、石炭から天然ガスへのエネルギーの近代化が進んだこと、また、経済状態が悪く温室効果ガス排出量の少ない東欧諸国を加盟させたことで、それらの分が努力無しで削減されたという事情がある

 どうせ温室効果ガス削減の数値目標が必要であるのならば、それを国益に最大限にプラスになるよう活用すべきで、その一つの大きな柱は原発の復活である。福島第一原発の汚染水処理に関する不手際から、原発への風当たりは強く、迅速な対応による信頼回復が重要であることは言うまでもないが、そのことと電源構成についてのマクロな議論や温室効果ガス削減問題は分けて考えるべきである。(了)

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takami_neko_shu0515 at 19:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) エネルギー・資源 | 地球温暖化・温室効果ガス削減

2013年08月30日

■集団的自衛権をめぐる最高裁判事の発言は重大問題

 前内閣法制局長官で最高裁判所判事に転任した山本庸幸氏が、8月20日に就任会見において、集団的自衛権の行使について、憲法解釈の変更によって容認するのは困難であり、憲法改正によるのが適切であるを改正しなければ難しい旨の発言をした。これは、三権の在り方の根本にかかわる重大な問題発言である。

 周知の通り、最高裁判所は、一切の法令や処分が憲法に適合するか否かを審査する、最終的な権限を有している。そして、我が国では、憲法適合判断は具体的な事件についての裁判に際してなされることになっている。仮に、「憲法裁判所」のような、抽象的審査権があったとしても、司法の本質は事後判断である。したがって、最高裁判事が憲法解釈について予断を与えるような発言をすることは、厳に慎むべきことである。山本氏の発言は、内容に賛同しかねることもさることながら、こうした原則を全く無視して、予断を与えるどころか自説を明確に述べてしまっているいる点が、何よりも問題である。菅官房長官が「違和感がある」と批判したのは当然である。

 こういう発言が出て来るのは、内閣法制局に憲法の有権解釈権があるかのごとき錯覚が、長年の運用を通じて醸成されたことが背景にあると思われる。推測になってしまうが、山本氏の中では、既に内閣法制局長官として、有権解釈を示してきたので、最高裁判事としての記者会見で憲法解釈についての発言をするのは不思議なことでも何でもない、ということなのかもしれない。それは、重大な司法軽視である。山本発言がそれほど批判を浴びていないことからすれば、日本国内の全体的意識が麻痺しているのであろう。

 本来は行政機関の一員として憲法や法律などの解釈についてのアドバイザーであるべき内閣法制局の見解を、あたかも最高裁か「憲法裁判所」の判断であるかのように、金科玉条のように取り扱ってきた歴代内閣にも責任はある。安倍政権が、内閣法制局長官を交代させてまで集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈を示そうとしていることは、内閣法制局の位置づけ、ひいては、司法と行政の関係を正常化できるか否かの試金石でもある。(了)

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takami_neko_shu0515 at 16:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 憲法・憲法改正 | 司法

2013年08月28日

■潘基文国連事務総長の歴史認識をめぐる対日批判は黙殺せよ

 韓国出身の潘基文国連事務総長が、韓国帰国中の8月26日に、記者会見に答えて、日本の歴史認識を批判する発言をしたのは、中立を求められる国連事務総長の立場を大きく逸脱しており、容認できるものではない。同氏は、日本の憲法改正について訊かれて、「正しい歴史認識が、善き国家関係を維持する。日本の政治指導者には深い省察と、国際的な未来を見通す展望が必要だ」と答えている。さらに、日本と中韓との領土問題を含む対立についても、「歴史について正しい認識を持つことが必要だ。そうしてこそ、他の国々から尊敬と信頼を受けるのではないか」と言っている。そもそも、日本は民主国家なのだから、政府が唯一の「正しい歴史認識」を持つなどということは、無理な注文である。しかも、韓国側の主張は、韓国政府の歴史認識をそのまま日本が受け入れるべし、というものである。

 しかしながら、今回の潘基文発言は、黙殺すべきであると主張したい。一つには、潘基文氏は、国連事務総長としては、縁故主義を指摘され、能力にも疑問を投げかけられており、真正面から相手にするに足る人物ではない。したがって、国連事務総長の発言であるからといって、説得力を増すものであるとは考えられない。もっと重要なことは、現在、日本が韓国の言う歴史問題に反論すればするほど逆効果になる状況にあるということである。欧米のマスコミまでもが、韓国の尻馬に乗って、安倍首相の右傾化や「歴史修正主義」を言い立てる傾向にある。韓国に対して反論して、ことを荒立てて自分の首を絞めるのは、賢明な対応とは言えない。相手にするに足らない人物相手にとなれば尚更である。毅然と反論しなければ、ますます日本の立場が悪くなる、という議論もあるだろうが、残念ながら今はそれは無理である。政府は、発言の真意を問いただすとしており、それは悪いことではないが、過剰反応にならないように気を付けるべきである。

 ただ、そうはいっても、歴史認識をめぐって、いつまでも韓国による対日批判を続けさせることは国家の尊厳に関わることである。日本にとって、環境を好転させる必要がある。そのヒントは、訪韓中のマッケイン米上院議員による発言が与えてくれる。マッケイン議員は、潘基文発言と奇しくも同日、ソウルのシンクタンクでの記者会見で、「韓国と日本は慰安婦問題などがあり、歴史的に芳しくない関係だが、21世紀のアジア情勢は60年前と違う」「日本が、アジアで平和と安保に寄与すると強調しているように、韓国も未来志向で前に進まねばならない」「朴大統領と安倍首相が力を合わせて両国間の差を克服し、対話を始めるべきだ」と言っている。これは、北朝鮮や中国の脅威を念頭に、日米韓の連携を説いたものである。このことは、日本の戦略的重要性が高まれば高まるほど、韓国による歴史問題の申し立ては障害となり、米国は韓国に同調しなくなるということを示唆する。そして、日本が米国にとって必要不可欠な同盟国であれば、歴史問題など目をつぶることになる蓋然性が高い。小泉政権は、ブッシュ政権に対テロ戦争とイラク戦争で大いに協力したので、米国は、小泉元首相の靖国参拝を問題視したことはない。

 結局、日本がなすべきことは、防衛費を大幅増額し、集団的自衛権の行使を容認し、武器輸出三原則を緩和して、米国と共同で、地域の安定と平和に深くコミットし、負担の分担あるいは責任の分担をすることである。英国のブレア元首相の外交面での知恵袋でもあった、英国の著名な外交官ロバート・クーパー氏は、著書『国家の崩壊 新リベラル帝国主義と世界秩序』(原題:The Breaking of Nations -Order and Chaos in the Twenty-First Century)の中で、米国との緊密な連携の重要性を説くくだりで、「アメリカのすぐ近くまで接近し、アメリカの政策に合意しないことがあれば、アメリカ政府と国民にショックを与えるくらい、緊密になることが必要になる」と説いている。日米関係も、こうした関係を目指すべきである。それは、第一義的には、もちろん、安全保障上の観点からそうするのだが、副次効果として、歴史問題に関する日本を取り巻く環境を決定的に好転させることにも繋がるであろう。そして、歴史問題をめぐって、米国が日本の足を引っ張りさえしなければ、それ以外の国々の申し立ては、無視できる雑音と言っても過言ではない。(了)

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takami_neko_shu0515 at 06:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 外交・国際政治全般 | 朝鮮半島情勢・日韓日朝関係

2013年08月17日

【書評】「いま、学ぶべき偉人伝! 至誠通天」(田村重信)−真の修身とは

 昨今、道徳心の衰退を憂える声はますます高まっている。この重要課題に対して、日本を代表する安全保障・憲法の第一人者として活躍を続ける一方、美しい日本を取り戻したいとの信念から日本論語研究会を自ら主宰している、田村重信氏(自民党政務調査会調査役、慶応大学講師)による本書『いま、学ぶべき偉人伝! 至誠通天』(田村重信著、内外出版)は、良い解答を与えてくれる。本書を貫くコンセプトは、善き生き方を知るには、すなわち修身には、偉人・賢人に学ぶことが最適であり不可欠であるということである。以下の通り、本書で取り上げられている人物とテーマを章立てにしたがって挙げれば、本書の目指すところを、より明確に窺い知ることができよう。

1. 吉田松陰「至誠通天」 孟子と大和魂
2. 西郷隆盛「敬天愛人」 代表的日本人
3. 渋沢栄一「論語と算盤」 日本ブランドをつくった男
4. 聖徳太子「以和為貴」 聖徳太子の十七条憲法
5. ソクラテス「無知の知」 善く生きるとは

 日本論語研究会における、著者による講演をまとめた本書は、これら全てを、できるだけ『論語』の精神―それは普遍的な倫理道徳に他ならない―を通じて吟味することを試みている。いずれも読み応えのある素晴らしい講演録である。中でも圧巻は、やはり、著者自身が、果敢に挑戦してみたと言っている、ソクラテスであろう。ソクラテスはアレテー(人間としての徳)の実践を強調し、「無知の知」を説き、最後は人民裁判によって死刑判決を受け、生き延びる術があったにもかかわらず、信念に従って死を受け入れた。著者は、この生き方には、『論語』にある「朝に道を聞けば夕に死すとも可なり」(朝に人の道を体得し得たならば、夕に死んでも構わないほど、人の道は重要である)という言葉に通ずるものがあると指摘する。本書では言及されていないが、『葉隠』にある「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」との有名な一節も、そういうことなのであろう。

 他には、聖徳太子の十七条憲法全体を平易に解説しているところなど、他書にはない、本書ならではのユニークな特色であると言えよう。

 それにしても、修身には、なぜ偉人伝を学ぶことが必須なのであろうか。本書も指摘する通り、倫理道徳の学問はあくまで理論である。儒学であれ、ギリシャ哲学であれ、洗練され過ぎていているので、頭では理解できようが、それだけでは自ら実践するには距離がある。具体例が必要なのである。そのギャップを埋めてくれるのが偉人伝に他ならない。

 何事も、学ぶための最良の道は、一流のものに触れることである。著者は、「善いと思ったことは実行する」のが『論語』の真骨頂である、と指摘する。『論語』だけでなく、倫理・道徳は全てそうである。しかし、「善いと思ったこと」が、的外れであったり、まして、不適切であったりしたら、意味がないどころか、有害である。そういう独善を排し、善悪を正しく弁別できるためには「知」が必要であり、その手引きとなるのが本書のような偉人伝である。本書は、世界の四大聖人である、キリスト、釈迦、孔子、ソクラテスのうち、ソクラテスを直接取り上げ、孔子については『論語』を通じて全編を貫くテーマとなっている。まさに超一流の人物の生き方や考え方に触れることができるのである。

 巻末には、陸上自衛隊幹部候補生学校における、著者による「田村文庫」設立に際しての講演も併録されている。「田村文庫」とは、自衛隊幹部候補生にとって有用な書物を著者が寄付している活動である。著者の日本を善くしたいとの熱意を、専門の安全保障の分野である自衛隊に向けた行動で示した貴重な記録であり、興味深く読むことができる。

 修身というと、軍国主義や封建思想の復活を言い立てる者が必ず出て来るが、とんでもない誤りである。本書は、そのことも、改めて教えてくれる。本書が広く読まれ、修身に対する国民の正しい認識が広まることを強く望む。そして、一人でも多くの日本人が修身を志し(評者も本書に取り組んでその志を新たにした一人である)、また、学校での修身教育を求める声が高まることにも期待したい。

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takami_neko_shu0515 at 16:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 書評 | 歴史・古典

2013年08月12日

■集団的自衛権行使容認の前提として、定義を正せ

 集団的自衛権の行使を可能にするための憲法解釈変更をめぐっては、新しい内閣法制局長官に、集団的自衛権行使容認論者とされる小松一郎駐仏大使が起用され、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(通称:安保法制懇)における議論も加速しつつあるようである。政局上の問題から予断は許されないが、次期防衛大綱に集団的自衛権の行使容認が盛り込まれる可能性が高まっている。

 集団的自衛権の行使容認には、もとより大賛成である。そして、それを憲法改正を待たずに、解釈変更で実現することも、極めて適切であると思う。ただ、その大前提として、集団的自衛権の定義を適正化することが必要不可欠である。

 政府による、現在の、集団的自衛権の定義は、1981年5月29日の国会答弁で示された、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも関わらず、実力をもって阻止する権利」である。これは、集団的自衛権についての国際的な共通認識からは、かけ離れたものである。

 1986年に国際司法裁判所がニカラグア事件について出した判決において、集団的自衛権の行使要件として、武力攻撃があったこと、被攻撃国が来援要請をしたこと、が挙げられている。日本政府が言う「自国と密接な関係」など、どこにも出て来る余地がない。集団的自衛権は、被攻撃国の来援要請に対して応諾しさえすれば、いかなる国でも行使できるのである。安保法制懇の柳井俊二座長は、集団的自衛権の行使について、国内法でいうところの、他者のためにする正当防衛と類似の概念であると述べたことがあるが、その通りである。そして、そもそも、法の問題に「自国と密接か否か」という政治判断に係る問題を持ち込むのが理に適っていない。

 「自国と密接な関係」を定義に入れてしまうと、上述のような理論上の問題だけでなく、実際上の問題も生じる。例えば、台湾有事に際しては、我が国は当然関与することになるが、台湾を「自国と密接な関係にある外国」と言うのは難しい。そうなると、政府の解釈をそのままにしたのでは、台湾空軍の戦闘機を空自の戦闘機が支援する根拠がないことに変わりない。やはり、「自国と密接な関係」の部分は何としても削除すべきである。

 次に、「自国が直接攻撃されていないにも関わらず」も、一見正しそうで、必ずしもそうではない。確かに、自国が直接攻撃されていれば、それは個別的自衛権の問題となるが、自国と他の国が攻撃されて、その国との間で相互支援、あるいは一方的支援をすれば、それも集団的自衛権の範疇に入るという説が有力である。入っていてもあまり害のない文言ではあるが、正確を期するには、やはり削除する方が適切であろう。

 そして、「実力をもって阻止する」というのも不正確である。実力をもって阻止するのみならず、いわゆる後方支援でも集団的自衛権を行使したことになる。日本政府自身、1960年3月31日の予算委員会で、岸伸介首相が、「集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国に行ってこれをまもるということでございますけれども、それに尽きるものではない(後略)」と述べたことがある。さらに、時の法制局長官は、基地の貸与や経済的な援助を集団的自衛権行使の例として挙げ、憲法の認めるものである旨述べている。

 「実力をもって阻止する」のが集団的自衛権で、戦闘と一体化しない後方支援(そのようなものがあり得るかどうかはここでは措く)は集団的自衛権に当たらない、などという珍説は、日本国内でしか通用しない議論であり、例えば、周辺事態法に基づいて後方支援をすることを、日本は戦闘と関係ないと考えるが、他国は集団的自衛権の行使と看做すという齟齬が生じ得る。それは危険なことである。

 日本政府の定義から抜け落ちている要素もある。ニカラグア事件判決にもある、被攻撃国の来援要請である。同盟は、来援要請とそれへの応諾を、あらかじめ条約で約束しておくということである。

 以上を踏まえれば、集団的自衛権の適切な定義は、次のようになるはずである。すなわち、集団的自衛権とは、他国への武力攻撃に際し、被攻撃国の求めに応じ、あるいは、そのような約定に基づき、これを支援する権利である。権利を行使するというからには、行使する権利の内容は正しく定義されていなければならない。まず、集団的自衛権の定義を正すべきである。(了)

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takami_neko_shu0515 at 08:48|PermalinkComments(5)TrackBack(1) 憲法・憲法改正 | 国際法

2013年08月11日

■注目すべき英国のシェールガスの可能性

 シェール革命といえば、まずは北米であり、北米がその中心であり続けることに変わりはないことは確実だが、最近注目を集めているのが英国である。6月末に、英国の気候変動省(DECC)と英国地質調査所(BGS)は、イングランド北部に約 800〜2200兆立法フィートのシェールガス埋蔵量があるとの報告書を発表した。これはあくまで基礎的調査であるが、かなり大規模な埋蔵量である。例えば、ボウランドのシェール層は、米国最大のシェール層を二つ合わせたよりも50%も多い埋蔵量が見込まれ、世界最大であるとのことである。

 英国政府も、欧州の中では、シェールガスの開発には積極的である。今年3月には、DECCに、「非在来型ガス石油局」を設置して、シェールガス等の開発に乗り出す方針を示している。さらに、7月には、英財務省は、シェールガス生産から得る収益に課せられる税率を、62%から30%に下げるとの減税措置草案を発表し、シェールガス開発のための投資を促進する意図を明確にしている。北海のガス田が成熟し生産量が減ってきているため、天然ガス輸入量が増加しており、シェールガスに目を向け始めたのであろう。

 もちろん、ハードルは高い。まず、シェールガスの採掘に不可欠な水圧破砕法(フラッキング)に伴う環境汚染に対して、強い抵抗があるのは確実である。欧州の大部分でシェール層の開発が事実上禁じられているのも、これが原因である。また、2010年に固定価格買取制度を導入して大々的に進めている洋上風力発電との兼ね合いもある。これは、2020年までに7000基の風力タービンを設置し、全消費電力の3分の1をそれによって供給するという壮大な計画である。そして、英国のシェール層についての調査が進むにしたがって、6月の報告書が過大評価であったという結果になることもあり得る。

 しかし、英国のシェールガスについての高いポテンシャルには、やはり注目すべきであろう。シェールガス開発についての環境面からの見方は、一つはフラッキングに伴う汚染への懸念だが、天然ガスのCO2排出が比較的少ないことから、温室効果ガス削減の観点からの推進論というのはあり得る。

 もし将来、英国からシェールガスを輸入できることになれば、日本のエネルギー安全保障にとって大きなプラスである。日本が輸入に関心を示すことで、開発促進につながる可能性もある。英国との間で、シェールガスに関して、特に経済連携についての協議の場で、よく意見交換をすべきであろう。(了)

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takami_neko_shu0515 at 08:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) エネルギー・資源 

2013年08月08日

■約10か月ぶりの更新

 本日、約10か月ぶりにブログを更新いたしました。『これで納得!日本国憲法講義』(田村重信)著の書評です。

 更新が滞っている間に、再開を期待して見に来てくださっている人がいらっしゃったとすれば、申し訳なく存じます。文章を多数書いていると、どうしてもインプット期間が欲しくなってしまうというのが、私の思考回路のようで、期限を明示すれば読者の方に親切であるということは分かっているのですが、つい、期限不明の長期休載となってしまうことがあります。

 もしも、今後とも懲りずにお付き合いいただけるならば、これに過ぎる喜びはございません。何卒よろしくお願いいたします。

 とりとめのない文章になってしまいましたが、取り急ぎ、再開のご挨拶まで。

2013.8.8
高峰康修

takami_neko_shu0515 at 07:06|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 個人的なこと・随想 

【書評】「これで納得!日本国憲法講義」(田村重信)−日本を牢から解放せよ

 7月の参院選では、憲法論議はいささか尻すぼみに終わった感はあるが、憲法改正がいよいよ現実的な政治課題に上ってきたことは間違いない。自由民主党政務調査会において憲法問題と安全保障問題に長年取り組み、慶応大学でも教鞭をとっている、憲法問題の第一人者である田村重信氏による、本書「これで納得!日本国憲法講義」(内外出版)は、まさに時宜を得た良書である。

 憲法改正の柱は、本書のサブタイトル「前文、九条、九六条などの正しい解説」が端的に示している通りである(九六条は改正条項)。著者は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という前文の文言について、「泥棒さん、あなたを信用します」とドアに張っているようなものだと厳しく批判し、国際安全保障環境から如何に乖離しているか改めて教えてくれる。九条については、これのせいで、自衛隊が、国際法上は軍隊だが国内法上は軍隊ではない、という不当かつ矛盾した地位を強いられているとして、改める必要性を強調する。九六条が定める改正手続きについては、発議要件に特別多数を要し、なおかつ改正に国民投票を要求している点を、他国の憲法改正要件と比較して、いかに高いハードルであるかを分かりやすく説く。二院制をとる日本の両院で三分の二を取ることが極めて困難であり、一院制の国と単純に比較すべきでない、という著者の指摘は、忘れられがちな論点である。

 上に挙げたような、憲法改正に関する重要課題について、平易な言葉で、時に大胆な例えを用いるなどして語っている点が、本書の最大の魅力である。もちろん、平易というのは、決して初歩的ということではなく、専門的なことをも分かりやすく解説しているという意味である。

 それにも増して、本書が素晴らしいところは、著者の国家観が明確に示されている点である。日本を日本たらしめているのは何か。著者は、それは天皇陛下であると喝破し、「なぜ日本が長きにわたって継続できているか、それは天皇陛下の存在があります」と言っている。これこそ、保守本流の国家観、歴史認識であると思う。

 本書の最初と最後には、次のような印象的かつ根本的な問いかけがある。すなわち、「戦後の日本および日本人を信用できない人が、憲法九条改正に反対するのです。例えば、悪いことをして牢屋に入ったひとが、牢屋から出たら自分に自信が持てなくて、また同じ過ちを繰り返してしまう可能性がある。だから牢屋から出さないでくれというのと同じことです。(中略)憲法改正とは、あなたが戦後の日本および日本人に、自信を持てるか否かなのです」と。国連PKOへの参加の是非に関する議論が喧しかったころ、日本ハンディキャップ国家論が一時流行ったことが思い出される。それは、日本は、先の大戦で悪いことをしたので、軍事面に関してはハンディキャップを負うのが当然である、という考えである。著者の言葉でいえば、まさに「牢屋から出さないでくれ」ということである。日本国の繁栄、存続にとって、牢屋から解放されるのがよいのか、入ったままでいるほうがよいのか、日本国民は、この根本的な問いに答える必要がある。当然、前者が正解であるし、いずれそういう選択がなされると信じているが、その際の良い手引きとなるのが本書である。

 本書の巻末には、平成17年、同25年の自民党憲法草案、現行憲法の対照表があり、資料的価値も高い。憲法問題を考える上で、一家に一冊、否、一人一冊持つ価値のある書物であるとして、本書を強くお薦めしたい。

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これで納得! 日本国憲法講義 -前文、九条、九六条などの正しい解説-これで納得! 日本国憲法講義 -前文、九条、九六条などの正しい解説- [単行本(ソフトカバー)]
著者:田村 重信
出版:内外出版株式会社
(2013-07-29)



takami_neko_shu0515 at 06:49|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 憲法・憲法改正 | 書評

2012年10月26日

■イタリアの地震予知失敗に対する実刑判決を日本は嗤う資格があるか?

 2009年4月にイタリアのラクイラ地方を襲った地震で、大地震の危険性を適切に警告できなかったとして、10月22日に、イタリアの地震予知専門家7人(科学者6人、元政府職員1人)に対して禁錮6年の実刑判決が下され、世界中の批判を浴び、呆れられている。
 当時ラクイラで続いていた群発地震に関して、国の委員会が開いた会合で、イタリアのトップレベルの地震学者らが状況を分析した結果、「地震活動はラクイラに危険を与えない」と発表されたが、実際には、会合の6日後に地震が発生し、約12万人が被災し、300人を超える死者が出た。そこで、検察側は、「専門家が『不完全で、的外れの、不適切で犯罪的に誤っていた』分析を提供したため、住民の多くは最初の揺れが起きたときに屋内にとどまった」と主張し、住民に地震が起きる危険性を警告することを怠ったとして、各被告に禁錮4年を求刑していた。これに対して、裁判所は求刑を上回る禁錮6年を言い渡したのである。
 当然の反応として、世界中の科学界から、これでは地震予知に協力できなくなる、などと、判決が科学者に与える萎縮効果への懸念が続出している。イタリアの地質学者マリオ・トッツィ氏は、「今後は群発地震のたびに、専門家が住民避難を命じざるを得なくなる」と批判しているが、もっともな主張である。また、米国の民間団体「憂慮する科学者連盟」のメンバーは、米政府に対してこの判決を非難するよう求めたと報じられている。内政干渉に当たりかねないので、そういうことは出来ないと思うが、言いたいことは理解できる。
 地震大国であり、昨年、東日本大震災に見舞われ地震予知への関心が特に高まっている日本でも、このニュースには批判や揶揄をもった目が向けられているようである。しかしながら、最近の日本の風潮を見ていると、果たしてこの判決を批判する資格があるのか、疑問の余地なしとしない。
 東日本大震災の後、我が国では、「想定外はあってはならない」ということになった。これは、予想の完全性を求める点において、イタリアの判決と同根である。また、原因究明よりも責任追及に重きを置く傾向は、これまたイタリアの判決と同類である。もちろん、司法的責任を問われるというのは、次元の異なる事態であり、同一視はできないが、無謬性の追求と過度の責任追及は、既に、関係学界の在り方を歪めている。地震や津波の想定は、想定外とならないよう、非現実的なまでに大きなものが出てくるようになっている。その典型が、政府の有識者会議「南海トラフの巨大地震モデル検討会」の報告である(9月4日付『「南海トラフ巨大地震」の極端な想定は防災上マイナスにならないか?』参照)。こういう極端な想定は、非現実的な費用のかかる対策を強いる結果となり、かえって対応を困難にさせる危険性がある。また、極端な想定の乱発は、「狼少年」ともなりかねず、やはり防災上マイナスをもたらす。
 イタリアの判決から得られるもう一つの教訓は、予知を行う専門家と、避難を指示する行政当局の間で、責任の在り方が明確に区別されるべきだということである。前者は原則として責任から解放されるべきであり、後者が責任を負うべきである。とはいえ、司法的責任を問われるべきものではない。
 災害大国である日本では、防災は極めて重要な課題である。それを正常な形で進めるには、「想定外はあってはならない」という愚かな発想から、一刻も早く脱却する必要がある。イタリアの判決の愚かさを批判したり揶揄したりするのも結構だが、自らを省みることこそ、なすべきことである。(了)

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takami_neko_shu0515 at 06:08|PermalinkComments(4)TrackBack(1) 防災・減災 

2012年10月25日

■遠隔操作パソコン冤罪事件は「国家安全保障問題」

 遠隔操作されたパソコンからインターネット上に犯罪予告が連続的に書きこまれた事件の容疑者として、今年の7月から9月にかけて、4人の容疑者が逮捕され、いずれも誤認逮捕であることが明らかになるという冤罪事件が発生し、大きく取り上げられている。この件は、警察当局が、脅迫的かつ誘導的な尋問によって、被疑者に強引に自白を迫った、典型的な冤罪事件として、捜査当局への厳しい批判がわき上がっている。確かに、こういう冤罪事件は、我が国の犯罪捜査への信頼を大きく損ねる人権問題であり、真犯人の逮捕、そして、十分な検証と再発防止策が求められるのは当然のことである。
 ただ、本件は、単なる冤罪事件の枠にとどめるべきものではなく、国家安全保障にもかかわる問題であるとの認識が必要である。しかし、報道等を見ていると、この側面にあまりにも目を向けていないように思われる。
 サイバースペースは、今や、領土・領海・領空や宇宙空間と並んで、国家安全保障の対象である。サイバー攻撃は、原発、高速鉄道、水道網、電力網といった重要インフラの誤作動などを通じて、国家に甚大な被害をもたらす可能性がある。米国は、昨年7月には、既に、サイバー攻撃に対して通常兵器をもって報復することもありうべし、という戦略指針を打ち出している。さらに、パネッタ国防長官は、10月11日に行ったサイバー攻撃についての講演で、「サイバー真珠湾」の危機が迫っていると警告を発するとともに、サイバー攻撃に対する先制攻撃を示唆する、踏み込んだ発言すらしている。我が国の自衛隊も9月に発表したサイバー攻撃に対する指針において、サイバー攻撃を態様によっては自衛権発動の対象になると位置付けている。
 サイバーセキュリティへの対処における重大な困難は、主に次の2点である。まず、サイバースペースにおける害意ある行為は、発信源の特定が極めて困難である。サイバースペースにおいて何らかの悪意ある行為を実行するアクターは、今回の犯罪予告冤罪事件の真犯人がやったように、IPを偽装し他者になりすますのが常識である。2点目は、その強度がどの程度のものになるか、直ちには把握することが困難なことである。すなわち、単なる悪戯から、企業等の脅迫、そして、自衛権発動の対象となるようなサイバー攻撃まで、極めて広範にわたる。
 深刻なサイバー攻撃を自衛権の対象とする以上、発信源の特定と、態様の正確な把握は必須である。さもなければ、「踏み台」とされた国に、誤って自衛権を発動しかねない。我が国のサイバースペース防衛に当たるのは、主として、警察、そして自衛隊であるが、今回の冤罪事件は、我が国のサイバーセキュリティを司る主要当局の一つである警察が、これほど重要な発信源の特定を、どれほど軽視したかということを、如実に示した。警察当局には、IPアドレスを特定すればそれで終わりだと思った、という声がある、と報じられているが、それが事実ならば、あまりにもサイバーセキュリティに関する常識を欠いており、開いた口が塞がらない。   
 もちろん、直ちに自衛権発動の対象になるようなサイバー攻撃が発生するような状況は、さしあたって考えられない。しかし、今回の冤罪事件で明らかになった、サイバーセキュリティへの意識の低さと取り組みの致命的な不備は、我が国に対する比較的低強度のサイバー犯罪をより多く惹起させることになるかもしれない。また、サイバーセキュリティの確保においては、同盟国・友好国との連携が不可欠だが、こうした国々が我が国との連携に二の足を踏む可能性もある。そうなれば、我が国のサイバースペース防衛戦略は大きなハンディを負うことになる。
 まずは、警察組織においてサイバーセキュリティの専門家を大幅に増員する必要があり、専門の部署により大きな権限を与える必要がある。さらに、サイバーセキュリティは自衛隊の問題でもあるのだから、両者の緊密な連携による、情報やノウハウの共有は、促進されなければならない。もちろん、自衛隊は法執行機関ではないので、なかなか困難であろうが、サイバー犯罪の捜査においては、場合によっては、自衛隊の専門家も加わったダブルチェックの仕組みができないか、検討してみる余地もあろう。
 今回の冤罪事件を契機として、我が国のサイバーセキュリティ対応の意識と能力を大きく変革させることが最重要課題であり、そうしなければ、サイバースペースが「第5の戦域」となっている現在の戦略環境においては、国家の安危そのものに関わると言っても過言ではない。(了)

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takami_neko_shu0515 at 02:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 広義の安全保障・危機管理 

2012年10月20日

■米=ミャンマーの軍事関係促進への動きは地政学的インパクト大

 米国は、ミャンマーとの経済的関係のみならず、軍事的関係をも促進しようとしている。米国のバーンズ国務副長官は、アジア歴訪の途次、日本の一部マスコミとの会見で、米国とミャンマーの間の軍事交流再開を検討している、と述べた。さらに、米国防総省のリトル報道官は、米国とタイが中心となって行われる多国間軍事演習「コブラゴールド」に、「ミャンマー軍の小規模な将校団を参加させたいというタイの要請を検討することに異存はない」として、ミャンマーの来年からのオブザーバ参加を打診することを表明している。コブラゴールドには、自衛隊も2005年から参加している。
 米国とミャンマーの軍事的関係が進展することは、地政学的インパクトが極めて大きい。アジア太平洋地域、あるいはインド=太平洋地域(Indo-Pacific region)は、これからの世界の繁栄の源泉であり、グローバルな安全保障にとって最重要の関心対象である。もちろん、我が国にとってもそうである。この地域において、民主主義と自由主義経済を是とする国が一国でも多く増え、政治的・経済的・軍事的にネットワークを作ることが肝要である。
 周知の通り、ミャンマーは、これまで軍事政権による独裁を理由に、西側による、いささか厳しすぎる経済制裁を受け、対中依存を高めざるを得なかったが、テイン・セイン大統領のもと急速に民主化が進展し、地域における民主主義と自由主義経済を是とする国の仲間入りを果たそうとしている。米国とミャンマーの軍事的関係促進は、こうした動きを加速させることになるであろう。
 ところで、インドは、アジア太平洋(インド=太平洋)地域の大国であり、日米にとっても友好国だが、インドの周辺国に中国が軍港などの拠点を次々と確保する、いわゆる「真珠の首飾り作戦」の脅威を感じてきた。その「真珠の首飾り」を構成する国の一つとして、ミャンマーが入っていた。しかし、米国がミャンマーとの軍事的関係を深めて行けば、インドの安全保障環境は大いに改善されることになる。
 米国とミャンマーの軍事的関係促進は、このように、大きな地政学的インパクトを持つ。ただ、そのためには、ミャンマーの民主化が不可逆的なものとなることが大前提となる。我が国は、10年以上の長期的視点で、ミャンマーの法整備を支援することを打ち出している。これは、法律案の起草や法改正に対する助言、整備した法体系の適切な運用のための人材育成や研修を含む壮大なプロジェクトである。適切な法整備が進み、民主化と「良い統治」が進めば、ミャンマーの投資環境が改善されることはもちろんのこと、米=ミャンマー軍事関係の促進を側面支援することにもなる。そうした、戦略的視点も持って、対ミャンマー法整備支援を進めて行く必要がある。また、ミャンマーの民主化と安定化には、少数民族問題の解決が不可欠だが、我が国は、外交ルートに加えて、トラック2のルートも用いて、これにも深くコミットしようとしている。ミャンマーの民主化進展について、我が国は、米国ともよく協議して、米国とミャンマーの軍事的関係の深化を促すべきであろう。
 そして、自衛隊とミャンマー軍の軍事的交流の促進も視野に入れるべきである。コブラゴールドへのミャンマーのオブザーバ参加が実現すれば、両者の関係強化の機運が高まるであろう。ミャンマーが経済的に成長することになれば、シーレーンの安全確保が重要となってくる。将来の課題として、海洋の安全保障についての、二国間あるいは多国間の取り組みに、ミャンマーを取り込む必要があろう。さらに、先に述べた通り、ミャンマーはインドの安全保障にとっても重要な存在であるので、日印対話において、ミャンマーとの関係をどう深化するか、積極的に取り上げて行くべきである。
 ミャンマーに関して、我が国が出来ることは数多くあるし、実際に適切な方策を打ち出している。地域の繁栄と我が国自身の国益のためにも、さらなる取り組みが求められる。(了)

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takami_neko_shu0515 at 22:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 東南アジア 

2012年10月18日

■ドイツの再生可能エネルギー普及賦課金高騰が示す脱原発の非現実性

 ドイツは、福島第一原発の事故を受けて、脱原発と再生可能エネルギーによる代替に舵を切った、経済大国としては、極めて珍しい例であり、我が国もそのやり方に追随しようとしている。しかし、ドイツの再生可能エネルギー普及のための賦課金が来年から約5割もの引き上げを余儀なくされる見込みであることは、再生可能エネルギーによって原発を代替することが非現実的であることを改めて示した。
 ドイツは、再生可能エネルギー導入推進のために固定価格買取制度を1990年から導入しており、電力供給会社の負担は、電気料金に上乗せされ、賦課金という形で消費者に転嫁されることになっている。これは、我が国が7月に導入した制度も同様である。
 ドイツの送電事業者大手4社が15日に共同発表したところによれば、来年の賦課金額は、1キロワット時あたり0.053ユーロ(約5.4円)に引き上げられ、今年の賦課金額0.036ユーロ(約3.7円)と比較して、47%増となる。その結果、標準世帯(年間電力消費量3500キロ・ワット時)の賦課金の年間負担は、現在の125ユーロ(約1万3000円)から185ユーロ(約1万9000円)になり、約6000円の負担増になる。これに環境税などを加えると、年間約10000円の負担増になるとのことである。
 再生可能エネルギー普及のための賦課金がこれほど大幅に上昇する一つの要因は、太陽光バブルである。ドイツの固定価格買取制度においても、太陽光による電力の買い取り価格は相対的に高く、安価な中国製太陽光パネルを使った、太陽光発電施設への過剰投資が起こり、その電力を買い取る費用が増大している。実は、これを受けて、ドイツ政府は、太陽光による電力の買い取り価格を切り下げることと、全量買い取りを廃止することを決めている。しかし、今回の発表は、そうした措置も、現実に全く追い付いていないということを示している。
 ドイツは2010年の新しいエネルギー政策において、2050年に電力の80%を再生可能エネルギーによって賄うことを決めている。さらに、福島第一原発の事故を受けて、2022年までに原発を全廃することを法制化した。現在、ドイツの電力需要に占める再生可能エネルギーの割合は2割強、原発は2割弱である。再生可能エネルギー普及賦課金の高騰から、「脱原発」は非現実的であることは明白である。我が国の場合、電力供給に占める再生可能エネルギーは1%程度(マイクロ水力を入れても2%程度)に過ぎない。需要に占める割合と供給に占める割合であるから、直接比較できる数字ではないが、我が国において、原発を再生可能エネルギーで代替することの非現実性は、ドイツの比ではないことは明らかであろう。
 ドイツでは再生可能エネルギー普及のための負担に耐えかねて、経済界からは、再生可能エネルギー普及のためのコストを早急に縮減するよう要求が出ており、一方、左派の緑の党などは、企業に対する賦課金の軽減措置を縮小して家計の負担減に回せ、と言っている。緑の党のような企業に負担を求める主張は、産業の空洞化と雇用の喪失を招くのだから、一般国民のためにもならないが、こういうポピュリズム的な不毛な議論は、日本でも間違いなく出てくる。
 我が国に蔓延している、「脱原発・再生可能エネルギーでの代替」論は、ドイツの過ちをそっくりそのまま繰り返すことに他ならない。固定価格買取制度における太陽光の買い取り価格が高すぎるというところまで同じである。これが、日本経済に災厄を招かないはずがない。私は、決して再生可能エネルギー自体に反対するものではないが、現実的なエネルギー戦略を立てるには、「脱原発・再生可能エネルギーでの代替」という呪縛から解放されなければならないと強調したい。(了)

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takami_neko_shu0515 at 16:37|PermalinkComments(4)TrackBack(0) エネルギー・資源 | 欧州・EU・NATO

2012年10月16日

■仏専門家、「日本が電力システム改革でEUを参考にすることに危惧」―STSフォーラム参加識者インタビュー

 10月7日に、STSフォーラム(科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム)が京都市で開催された。その中で行われたシンポジウム「原子力の安全性と将来の発展」では、IAEAの天野之弥事務総長が「原子力は多くの国で重要な選択肢となる傾向がますます明確になっている」と述べたほか、参加者から、温室効果ガス削減、電気料金の高騰防止、再生可能エネルギーによる化石燃料代替の非現実性、といった観点から、原発の必要性を指摘する意見が相次いだ。そして、日本政府が9月にまとめた「革新的エネルギー・環境戦略」において、2030年代に原発稼働をゼロにするという目標を立てたことに対して批判の声が上がった、とも報じられている。
 ところで、STSフォーラムに参加した、インド、フランス、ドイツの専門家が読売新聞のインタビューに応じて、いずれも我が国の原子力政策や電力供給を考える上で重要な指摘をしている(同紙10月8日付)ので、以下にご紹介したい。
 まず、インド工学アカデミー代表のバルデフ・ラジュ氏は、福島第一の事故原因の究明が重要だとして、次のように述べている。
福島の原発事故は、非常に不幸な出来事だが、避けられた問題だ。日本は事故の原因分析などを進めるべきで、脱原発を決めるのは乱暴だ。日本の原子力技術は素晴らしく、インドは輸入を検討している。日本が原発ゼロを推進すれば、10年、20年先に輸出国としての優位な立場は揺らぐことになるだろう。

 フランス電力会社科学顧問のイブ・バンベルジェー氏は、日本が電力供給策でEUを参考にすることに対して次のように警鐘を鳴らしている。
日本が欧州連合などを参考にしながら電力システム改革を進めていることには危惧を感じる。日本は島国で送電網が他国とつながっているわけではない。原発が止まっても電力が供給できているのは、余力のある設備投資を行ってきたからだ。電力自由化で競争が進めば、そうしたことが出来なくなる恐れがある。

 そして、ドイツ研究振興協会会長のマティアス・クライナー氏は、次のように、原子力研究の衰退への懸念を表明している。
原発をなくすということは研究者の流出も招く。核融合や放射線治療などの原子力の研究は必要だ。将来の世代にあらゆる選択肢を残せるように、最低限の規模を維持しなければならない。

 STSフォーラムでの議論や、3人の専門家の指摘は、いずれも極めて適切だが、全く目新しいものではない。しかし、「革新的エネルギー・環境戦略」をはじめとして、我が国のエネルギー政策についての議論は、こうした当然押さえるべきポイントをことごとく閑却している。そして、政治家は、専門家の意見に虚心坦懐に耳を傾け、責任を持って決断すべきところ、「民意を大事にする」と称して判断の回避に走ろうとする。また、国内の専門家が堂々と意見を開陳することがはばかられるような雰囲気が醸成されてしまっているようにも見受けられる。そういう状況下では、ヒステリックな喧騒の外側にいる外国の専門家の意見は有用であり傾聴すべきである。
 政治家も国民も、ポピュリズムの負の連鎖から早急に脱する必要があり、そうしなければ、まっとうなエネルギー政策など(もちろん何の政策でもそうだが)望むべくもない。(了)

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takami_neko_shu0515 at 11:08|PermalinkComments(2)TrackBack(0) エネルギー・資源 
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