診察雑感

市井の開業医が患者さんに接して感じた雑多な感想。

何のこっちゃ?

理解不能

ネットニュースの見出しに考え込んだ。
『シャープ 世界初のデュアルノッチスマホ発売予定』
画期的新製品らしい。
「ベゼルをなくして指紋センサーを2つ目のノッチとして収納した」
説明を読んでも何のことやらさっぱりわからん。
今やニュースの文言までも別世界の言語だ。
スマホを持ったことがないから当然か・・・・

スマホを知らない医者がいるのだからサイバーセキュリティ担当大臣がパソコン音痴でも責めてはいけない。
「パソコンは打ったことありません」
悪い人ではなさそうだ。

ガラケー世代だって手旗信号と糸電話の昔ほど古くはない。
スマホもパソコンも詳しくはないが、なめるなよ青二才!

諸説紛々

元の木阿弥の語源

日大アメフト悪質タックル事件は思わぬ展開になった。
第三者委員会は監督の指示を認めて日大は監督とコーチを解雇した。
しかし刑事告発を受理した警視庁は「指示の確証がない」として不起訴に処した。
口頭の指図だから元より証拠なんぞない。
あろうことか、元監督は解雇無効を求めて提訴した。
意外な応戦だが、証拠がないなら元監督の申し立てにも一分の理はある。
タックルした選手は「島津公の捨て奸」ならぬ「監督の捨て奸」だ。
選手はチームに戻って「もうやらない」はずのアメフトに勤しむ。
元監督の現場復帰はあり得ないが理事に復職する可能性は残る。
連日メディアを占拠した大騒動も喉元過ぎれば元の木阿弥だ。

「元の木阿弥」は広辞苑では『一旦よくなったものが、再びもとのつまらないさまにかえること』とし、『苦心や努力も水泡に帰してもとの状態に戻ってしまうこと』と補足する。
普通「元の木阿弥」と書くが、「旧の」あるいは「故の」と書いて「もとの」と無理読みさせる記述もある。

閲すれば「元の木阿弥」の由来には諸説ある。
【その1.】
有名なのは戦国武将筒井順昭の影武者、木阿弥説だ。
影武者を解かれて元の僧侶に戻ったのが「元の木阿弥」の由来とされる。
どの字引きにも書いてあるからたぶん有力な説なのだろう。
【その2.】
出家して木食修行を重ねた木阿弥は「木食さん」と呼ばれて尊ばれた。
歳老いて還俗したため、人は「元の木阿弥」と嘲ったという。
【その3.】
農民の杢兵衛が僧侶に献金して「阿弥」の称号を許された。
所詮はカネで買った名前で、「元の杢阿弥」と嘲笑されたという。
【その4】
人名ではなく、木椀の朱塗りが痛んで木地が露出したみじめな様子を「元の木椀」、転じて「元の木阿弥」になったとする説。
かなり苦しい説だが江戸期の文献に記載があるという。(出典は確認できない)

「元の木阿弥」は【第3説】に倣って「元の杢阿弥」と書かれることもある。
時に「元の黙阿弥」を見るが、誤りである。
井上ひさし「もとの黙阿弥」(文春文庫)は明治期の戯作者河竹黙阿弥の贋作にまつわる戯曲で、「元の木阿弥」とは関係ない。
井上ひさし流滑稽の奥義は何かと複雑だ。

木阿弥が戻る元の世界は良くない状況だ。
広辞苑も『元のつまらないさま』と断言している。
一歩を踏み出したら戻る世界はないようだ。
野坂昭如「黒の舟歌」は ♪row and row 振りかえるなrow, row と唄う。
戻ってもロクなことはなさそうだ。

参照;過去ブログ
2018年10月9日「覆水盆に返る」

ひらがなで結構

漢字で書く意義はない

録画しておいたBS朝日「昭和偉人伝 田中角栄生誕100年」を観た。
政治手法はどうあれ、稀有な政治家だったのは確かだ。

角栄節の演説に合わせて字幕が流れる。
「〜と言えども」
「〜とは言え」
怪しげなテロップを垂れ流す。
編集で校正しないのだろうか?

『いえ(へ)ども』は「いふ」の已然形「いへ」と助詞「ども」より成る。
漢字で書けば「雖」、音読みは「スイ」である。
格助詞「と」の後に続いて接続助詞として用いられる。
『とはいえ』は「とはいえども」の意の接続助詞だ。
「いふ」の変化ではあるが「言う」の意はない。
諸兄姉が崇拝する広辞苑にもそう書いてある。
「〜と言えども」「〜とは言え」は誤りが定着した表記である。
ネット検索すると「〜と言えども」「〜とは言え」が相当数ヒットする。
誤謬はますます拡散して日本語は愈々混迷する。

「いふ」の未然形「いは(わ)」も後続の助詞で用例が異なる。
受身の助動詞「ゆ」の連体形がついた『いわ(は)ゆる』、推量の助動詞「む」と助詞「や」がついた『いわんや』、仮定の助詞「ば」がつく『いわば』の用例がある。
漢字で書くなら『所謂』、「『況や』である。
中には「言わば」で立項する不見識な辞書もあるから混乱する。
当て字の達人夏目漱石の著作にも「言わば」は見当たらない。

BS朝日は漢字で書けば高尚とでも思っているらしい。
漢籍や西洋カタカナ語を有難がるのは卑屈な島国根性の裏返しだ。
本居宣長はひらがなを多用した。
芥川賞の黒田夏子「abさんご」は全文ひらがな横書きの芥川賞受賞作だ。
誤記するくらいならひらがなでいい。

さらば宗教 その2

三行半

苛斂誅求は忍耐の限界を超えた。
寺の要求に逐一応えていたら我家の財政が破綻する。
末代まで累が及ぶのは忍びなく、熟慮を重ねてついに檀家離脱を決意した。

檀家離脱願
 私儀、今般思うところあって檀家を離脱致したく
 略儀ながら書面を以てお伝え申し上げます。
     平成 30年 11月1日   ヤブ医者  印
  曹洞宗 ○○山○○寺 □□□□ 方丈 御机下
追啓
旧居は既に無く、生活拠点が遠方のため故郷は足が遠退きました。
此度諸般の事情を鑑みて離檀の意思を固めました。
本来であれば拝眉のうえご承認頂くべきところ、書面でのご無礼を平にご容赦ください。
先考先妣には格別のご厚情ご高配を賜り、誠に感謝に堪えません。
                         匆々頓首

三行半は初めて書くが、大方こんなものだろう。
心頭に発するヤブ医者の怒りは微塵も窺えない穏便な訣別状だ。
受け取った寺は唐突な脱退に怒り心頭だろうが、知ったことか。
怒髪天を衝こうにも坊主に頭髪はない。

いずれ寺とひと悶着あるだろうが覚悟の上だ。
万一の法的展開に備えて配達証明付きで送付した。
日本国憲法が謳う『信教の自由』は「信教を持たない自由」でもあるのだ。

晴れて無宗教の身となって実に清々しい。
「あら楽し 思いは晴るる身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし」
気分は大星由良之助だ。

参照;過去ブログ
2015年9月29日「むかし托鉢」
2015年9月22日「嘘みたいなホントの話」
2013年6月25日「現世も後世も金次第」

さらば宗教 その1

正体見たり出家僧

菩提寺からまたもや封書が届いた。
今回は渡り廊下と濡縁の補修の寄附金要請である。
修理にしては高額な見積りで、宇都宮市なら豪華な分譲一戸建てが二棟買える。
今後も位牌堂その他もろもろの修理計画が連綿と続く。
何年計画か知らないが、完結する頃には大伽藍が3つ4つ建ちそうだ。
修理が一巡すれば新たな計画が始まって未来永劫循環する。

寺の法会にも年々歳々出費を強いられる。
先年は新方丈就任の「晋山式」、今回は「大和尚」の法階を授かる法会だ。
多額な経費に目を瞠った。
山寺の本堂で行う儀式にフェラーリが2台買える予算は流石に過大だろう。

内訳を見て唖然とした。
大本山專使への謝礼金、宗務庁への義戝金、参列する僧侶への謝礼金と豪華な祝膳、手土産と記念品・・・・
大盤振る舞いの挙句、〔宿泊費・交通費その他諸経費100万円〕を計上する。
招待する僧侶の顎・足・宿代ばかりか手土産までも檀家の寄附金で賄う算段だ。

こんなアバウトな予算案は坊主の世界でしか通用すまい。
上納金問題で総本山に国税庁の税務調査が入ったのはつい2年前だ。
田舎の寺とはいえ、こんな丼勘定でいいのだろうか?

厚顔にも『格別の御支援を賜りますよう御願い申し上げます』とある。
住職の法階は本山と寺の問題で、その費用を檀家が負担するのは筋が違う。
自分の昇格に使うカネなら自分で工面するのが道理だ。
人の褌で相撲をとって仏の道に愧じないか?
たかりの慣習は膏肓に滲み入った宿痾だ。

『貴家様の戒名は院殿清居士、院殿清大姉なので、ひと口・・・万円以上です』
二人分、2通の振込用紙には『○月○日までに』と納付期限まで書いてある。
税金の督促状でもあるまいし、もっとマシな言い方があるだろうに。
壇徒として幾許かの協賛は吝かでないが、ものには程度がある。
我家の庭に金の成る木は生えてない。

下手くそな字で『分割払いでも結構です』と書き添えてある。
バカも休み休み言え。
分割だろうが長期ローンだろうが、借金して寄附するバカはいない。
小学生並みの稚拙な筆跡では尚更イヤになる。
法階が上ろうが、ヤブ医者にとってはスノーボードに興じる只の坊主だ。

事ある毎に「カネよこせ」では辟易する。
阿漕な取立ては暴力団の“みかじめ料”まがいで、正法の教えにそぐわない。
坊主はいつからサラ金に堕ちたのだ?
生憎だが、我が身を削ってまで寺に奉仕するような敬虔な信徒ではない。
檀徒の膏血を搾って何が導師か。

徳川幕府以来の檀家制度は今や終末期だ。
宗教にはほとほと愛想が尽きた。
南都六宗に還って本来の仏道に帰依しては如何か。

参照;過去ブログ
2016年2月24日「『とらや』の羊羹」

【その2へ続く】

〔10.31〕 と 〔10.21〕

渋谷の狂乱 新宿の騒乱

10月31日は仮装した若者が渋谷で暴れる日だ。
ハロウィンとやらのケルト人の宗教儀式だそうな。
本来の趣旨なんぞ知る由もない不心得者が騒ぐだけで、傍迷惑この上ない。

悪霊を払うのは節分の豆撒きで、死者の霊が帰るのはお盆と昔から決まっている。
ことさら異国の儀式を持出す蓋然性はない。
仮装してバカ騒ぎするのは成人式だけで充分だろうに。
「若者」が「バカ者」と聴こえるから程々にした方がいい。

若者は知らんだろうが、団塊の世代が新宿で暴れたのは昭和43年10月21日だ。
国際反戦デーである。
新左翼活動家は都電の敷石を機動隊に投石し、騒擾罪が適用された。
騒擾罪は騒乱罪と名を変え、べ平連も小田実も今はない。

10.31ハロウィンに呆れる年寄りも50年前の10.21には新宿で暴れていた。
昔も今も若者はバカ者なのだ。
かく言うヤブ医者は今もってバカ者だから始末が悪い。
いっそのこと仮装して渋谷に行くか?

聞き違い

聴力減退を嘆く

ラジオ深夜便「わが心の人」は映画評論家垣井道弘が緒形拳を語った。
新国劇時代から親交の篤い緒形拳ウオッチャーだ。
緒形から肝癌であることを明かされた垣井は、「緒形拳が生きているうちに長文の〔弔電〕を書いた」と言う。
ん?・・・??
存命中に〔弔電〕とはどういうこと?
放送では〔弔電〕が幾度も繰り返される。
おかしなことを言うものだ。

電報は簡潔明瞭に、「カネオクレ」「チチキトク」式が一般的だ。
電文はKDDIが400字まで、NTTと郵便局のレタックスは字数制限なしだ。
だが原稿用紙1枚分を電報で送るといったいいくらかかるのだ?
〔長文の弔電〕は受け手も読み難くて難義だろうに。
しかも生きているのに〔弔電〕とは摩訶不思議。

はたと考えた。
〔弔電〕ではなく〔弔辞〕の間違いでは?
長文の弔辞なら『弔辞大全機↓供戞奮高健編 新潮文庫)に山ほど載っている。

後日、念のためラジコのタイムフリー機能で放送を聞き直した。
なんと、〔弔電〕と聴こえたのは実は〔評伝〕の聴き間違いだった。
粗忽なのか、或いは耳が遠くなったのか・・・・
恐らくその両方だ。

弁解ではないが、ラジオイヤフォンの小径震動板では音声解像度に限界がある。
現にラジコで聴くオーディオスピーカーでは明確に「評伝」と聞き取れる。
必ずしもヤブ医者の耳のせいばかりではないと思うが・・・・

参照;過去ブログ
2018年8月8日「役者の条件」
2017年9月19日「言語不明瞭」
2008年1月23日「診断が難しい」
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