診察雑感

市井の開業医が患者さんに接して感じた雑多な感想。

テレビの日本語

正誤乱立

民放各局で年末恒例の忠臣蔵が放映された。
昭和30年代から直近の作品までバリエーションは豊富だ。
忠臣蔵ウォッチャーのヤブ医者にとって至福の刻である。

『浅野内匠家来口上』を読み上げる作品は稀有だ。
「御殿中に於いて遁れ難き儀御座候」だの「君父の讐(あだ)共に天を戴くべからざる儀黙止難く推参仕り候」だの、堀部弥兵衛の名文は読まれない。
2.26事件の声明文も亦然り。
映画で趣意書が登場したのは高倉健の「動乱」しか知らない。
それも、襲撃のバックに一部の朗読が流れただけだ。
赤穂浪士にしろ2.26事件にしろ、集団テロの蹶起趣意書は時を経ても日陰者だ。

テレビ朝日、田村正和版内蔵助の解説が気になった。
城明け渡しか殉死追腹かの評定で「喧々囂々」とのナレーション。
この場面は「喧々囂々」でなく「侃々諤々」だろう。

テレビ東京の番組で、字幕に「一攫千金」とあった。
「一獲千金」が横行する昨今、正しく「一攫千金」と書く字幕を初めて見た。
テレビ東京は温泉・グルメ・路線バス旅が神髄かと思ったがなかなかどうして。
前身は教育テレビだから「一攫千金」は昔取った杵柄だろう。
このテレビ局、なかなか見識高い。

参照;過去ブログ
2017年12月18日「誤植ではない」
2010年1月21日「テレビは今年もダメみたい」

車検

そのロジックはおかしい

2度目の車検でディーラーに持ち込んだ。
応対するのは1級整備士のワッペンつけた若い兄ちゃんだ。
「少々お待ち下さい」
かなり長い「少々」の後、プリントアウトした見積書を持ってきた。
“15万9800円也”とある。
おいおい、冗談はよしてくれ。

見積書の項目をつぶさに検討して悉く削除した。
「走行3万kmだから部品交換の必要はないでしょう」
だったら初めから計上するなよ。

商談成立と思いきや、想定外の「保守契約」を勧める。
「別途3万6千円で次回車検までの部品交換が無料です」
高価なパーツもあるからあながち軽視できない。
流石は世界のト○タ、どんな部品でも2年間無償交換とは太っ腹だ。
「無償なのはエンジンブロックの亀裂など、エンジン本体に関する部品だけです」
走行中にエンジンが割れる話は聞いたことがない。
世界のト○タはそんな車を売っているのか?
「走る、曲る、止まることへの信頼は大切です」と一歩も引かない。
なるほど。
「だがね、そのための法定車検ではないのかね?」
1級整備士様のご提案はすべて却下。

「洗車はどうされます?」
車検で洗車料がかかるとは知らなかった。
サービス精神を忘れるとユーザーを失うぞ。

以前ドアミラーの破損で大枚取られそうになったのを思い出した。
まるでぼったくりバーのようでうかうか出来ない。
“走る・曲る・止まる”の信頼は必須だが明朗会計も重要だ。

参照;過去ブログ
2016年3月4日「油断ならない」

不評

山手線新駅の名称

山手線新駅の名前が決定した。
その名を『高輪ゲートウェイ』という。
聴いて我が目と耳を疑った。
それって何よ?

江戸時代、高輪には江戸の入り口を示す大木戸があったそうな。
品川宿を過ぎて高輪大木戸をくぐれば花のお江戸だ。
名称の由来はわかったが、なにもわざわざ片仮名にする蓋然性はない。

“これより江戸御府内”の大木戸なら中山道の板橋と甲州街道の四谷にもあった。
埼京線板橋駅も中央線四ツ谷駅もゲートウェイは冠していない。
東海道の高輪大木戸だけ何故片仮名が附されるのだ?

公募の結果は1位高輪、2位芝浦、3位芝浜・・・・130位がゲートウェイだ。
芝浦では桟橋口だし芝浜では落語の題目と間違えそうだ。
それにしても、1位と130位を合体は強引過ぎる。
公募は形ばかりで、ゲートウェイを名乗ることは内々のお約束だったのでは?

国電をE電と改称した嘗ての愚行を忘れたらしい。
アルファベットや外来カタカナ語崇拝は文明開化以来の宿痾だ。
直近の輿論調査によると、新駅名の評判は78%が「よくない」である。
どうしても『ゲートウェイ』に固執するなら『高輪大木戸』でどうだ。
今からでも遅くないから見直した方がいい。

カタカナの名称が頓に増えた。
南アルプス市、セントレア空港、宇都宮市にはインターパークなる町名もある。
ガーラ湯沢の駅名もスキーブームが萎えた今は寧ろ懐かしい。

共感を得ずとも耳慣れればいずれ諦める。
若者は『高ゲー』などと短縮するに違いない。
『高輪ゲートウェイ』略称『高ゲー』・・・・品性芳しからぬ音感だ。

参照;過去ブログ
2017年1月24日「ハナモゲラ語か?」
2014年7月10日「何それ?」
2014年2月19日「近頃流行るカタカナ語」

マスクの功罪

気休めの“うがい”

昔むかし、ヤブ医者が通う小学校では猖獗を極める流感で学級閉鎖が相次いだ。
地元の新聞社が取材に訪れ、一列に並んで“うがい”する光景を写真に収めた。
翌日の新聞に“うがいする児童”の写真が載り、「これがマーちゃんだ」「ヤッちゃんも写ってる」と皆で大騒ぎした。
その後は誰ひとり“うがい”なんぞしないから取材用の「やらせ」だった。
小学校がでっち上げ記事の片棒を担ぐのは教育上宜しくなかろう。
爾来60年、相も変わらぬ「うがい、手洗い、マスク」信奉が蔓延る。
まるで流感対策三種の神器だが、その科学的効果はかなり疑わしい。

マスクしたまま診察に臨む患者が居る。
ノドが痛いようだがマスクを外さねば咽喉は見えない。
何やらモゴモゴ話すがマスクに遮られて聞き取り難い。
マスク着用は感染を拡散しない意思表示としての意義はある。
だがしかし、患者の前に居るのはリスク覚悟の医者だ。
古来「バカは風邪ひかない」から気遣い無用。

健康なのにマスクを着用する御仁も居る。
マスクは感染防禦の役には立たない。
病気でもないのにマスクして面談に臨むとは、いったいどういう料簡か。
きちんと顔を見せて話せ。
重要な会談ならマスクをとるのが大人の作法だ。
表情を隠したいならサングラスの併用をお勧めする。

帽子をぬがない患者も困る。
室内脱帽は初歩の礼儀だ。
いちいち指摘はしないが、けっして愉快ではない。
帽子もマスクも役に立たない点では同列だ。

参照;過去ブログ
2011年2月26日「知らないなら教えてやろう」

光陰ミサイルの如し

今年も早師走

歳をとると時間の過ぎるのが早い。
ジャネーの法則という。
若い頃と違って未来の期待と感動が希薄で、ワクワク感がないせいだ。
目、耳、歯、体力、気力・・・・何もかも衰退の一途で詩藻さえも枯れた。

おまけに近頃は物忘れが顕著になった。
処方箋に書く薬の名前が即座に出て来ない。
患者の名前と顔が一致しない。
辛うじて昨日の晩ご飯は何だったかは思い出せる。

弁解ではないが、「記憶にない」のではなく「記憶しない」のだ。
脳ミソのキャパシティなど高が知れている。
我が脳ミソは古い記憶を残したまま新たな知見を吸収できるほど柔軟ではない。
重要度が低いものは勉めて覚えない。
覚えないから忘れることもない。
「忘れねばこそおもひいださず」と花魁高尾も言っている。
多少意味は違うが似たようなものだ。

ラジオは「先生が走り出す師走です」と言う。
走るのは先生か?
諸説あるのに“先生走る”一辺倒では他説の面目が立たない。

中東では信仰に命を捧げる殉教者がいるのにヤブ医者は宗教を捨てた。
信教は生老病死の四苦八苦を救わない。
ニーチェは「神は死んだ」と言い、『五輪書』は「神仏を頼まず』と教える。
古希直前にしておかしな悟りに達した。
めまぐるしい年だったが、もう直ぐ終わる。

参照;過去ブログ
2015年12月28日「師走」
2014年8月1日「世界に冠たる長寿国」

本日も休診

この国は祝日が多すぎる

電話が鳴る。
「今日はやってますか?」
「勤労感謝の日」で全国的に休日だ。
ペンペン草が生え門前雀羅を張る診療所だが休日に限って人が来る。
毎日が日曜日の人に祝祭日は無縁だろうが、カレンダーくらい見た方がいい。

前から疑問なのだが、「勤労感謝の日」の意味するところがわからない。
感謝の対象は勤労なのか或いは労働できる肉体精神環境なのか、それとも勤労がもたらす恩恵だろうか?
よくわからんが、本日休診。

参照;過去ブログ
2013年11月24日「またも連休」
2010年11月23日「新嘗祭」

久々の「晴天」

晴天に霹靂は珍しくない

ネット配信『NEWSポストセブン』(小学館)に「カルロス・ゴーン逮捕は晴天の霹靂」とある。
間違い易いが、晴天ではなく「青天の霹靂」だ。
大著『日本国語大辞典』の小学館でさえ間違う。
ましてや凡夫凡庸な読者は間違いにも気づかない。

参照;過去ブログ
2017年6月29日「粗忽を装う」
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