ゲスバンド / to Heart
¥500(tax in)[GSSBND-01]ライブ会場にて発売中

1 The Last Song
2 baton Q
3 Justice No.1
4 Pyong Young
5 Final Fight
6 too hurt

toHeartJacket


最初に「ゲスバンド」という身も蓋も無い名前のバンドの説明をする。
かつてCreepy popというバンドが都内を中心に活動していた。そのギターボーカルの名前は橋本、ベースはオオサコ。男4人によるアグレッシブなアクション、ひねくれた和音と曲展開、ハードコアと基調としつつも90年代ヴィジュアル系やJ-POPへのシニカルで歪んだ(故に強い)愛がある攻撃的なサウンド。記録によると高野は2007年1月13日、はじめてライブを見ている。最初は音がクソでかくてボーカルも聞こえなかったし背が高くて怖そうな顔が怖くて近づけなかったが、いつしか何度となくライブに足を運び、最初の二曲で疲れ果て酸欠になるほどに暴れたりして、男の子なので下ネタをきっかけに顔見知りになった。その頃高野は長らくバンドを組めない時期を過ぎ、念願かなって結構かっこいいバンドで鍵盤をやっていた。うみのてはまだ「笹口騒音オーケストラ」という名前だった。
 2010年にはCreepy popはうみのてと共演した。橋本にギターを貸したら演奏する前に邪魔だといって一弦を切られた。ひどいやつだなぁと思ったが、いい夜だった。


 しかしながらCreepy popは突然2010年解散する。99%の高校生カップルが卒業後に別れるように、バンドというものはいつの日か解散してしまう。そんなことはわかっていても、決してその衝撃には慣れることはない。脇目もふらず駆け抜けたけれど、僕らはいつしか、幕末の志士たちが命を散らすくらいの年齢に差し掛かっていた。これはもう青春じゃないじゃないか。多くのかっこいいバンドが活動休止や解散をはじめつつあった。この時期、高野がやっていたバンドも、僕が借りてたキーボードを投げて破壊してしまったり色々あって(平たくいうと僕のせいで)解散した。それは別の話だ。


 ギターボーカルの橋本から電話がかかってきたのはまだ大地震が起こっていない冬の事だった。橋本はたしか、かっこいいバンドでサポートとしてベースを弾いてアメリカツアーを回っていた。そして多分クビになった。
「あのさぁ…」滑舌悪く橋本は語りはじめた。
受話器越しに髪をぐしゃぐしゃと掻きあげる音が聞こえた。
「まだバンド、やりたいんだ。
 高野くんにギターを弾いてほしい。」
 この頃、うみのては無期限活動中止を余儀なくされていた。
理由はここには書かないが、活動はしないのではなく、したかったが、できなかった。
ライブハウスを愛する会社員のおっさんが無理をいって企画で演奏してほしいと頼まれなかったらこのまま活動を中止していたと思う。
 高野はその誘いを断らなかった。


 橋本とは音楽の趣味も女の好みも合わない。彼の前で弱音でも吐露したら骨の髄までネタにされ、爆笑されて終わりだ。しかし、橋本が憂鬱に陶酔しない類の人間だからこそ信頼できる要素も多々あった。文系の自分は彼のフィジカルな一面に敬意を払っていた。
 そんなこんなでメンバーも決まらず、1曲もないままライブが決まった。知り合いの女の子の企画にねじこんでもらったのだ。それでも前のバンドの曲をやるのだけは頑なに拒んでいた。橋本がどこからかドラムの鶴岡を連れてきた。いつもは言葉こそ少ない静かな男だが、アッパーでヘビィなビートを叩くやつだった。ベースには当初、高野がファンだったバンドのし村さんという女子を誘った。よくいる女子ベースとは一線を画しまくった極悪に歪んだディストーションベース、胸や局部を露出して演奏してたこともある破壊的なライブ、そしてノリがよくて悪意の抱き方が似てたので声をかけた。スタジオ後にし村さんの働くバーで酒を浴びるように飲む日々が続いた。
 結局見切り発車でライブをした結果、演奏というよりチャンバラのようになったが、打ち上げで同席してた名前も知らないクソ男にケンカをしかけ、し村さんとは穏便にさよならした。いい女だった。


 バンドには面倒臭いことができるやつが必要だと痛感したため、Creepy popでベースを弾いていたオオサコに再度頼ることになった。僕は初対面の時、彼のオシャレな風貌が苦手だったが話すと情に厚かったり面倒見がよかったりして、玄人っぽい見てくれで損をしてるタイプの人間でもあった。要するに結構仁義があったり可愛らしい側面があるやつでもだったのだ。ともあれしょうもないバンド名もそのままに、今度こそ曲を作りはじめた。本当のノイズバンドにはノイズではかなわず、ハードコアには演奏能力で負ける。そして橋本の歌唱力は歌ものバンドの100分の1もなかった。おまけに恐ろしいことに10年くらいバンドをやってるにもかかわらず、ギターのコードもほとんど知らなかった。そんなわけで曲作りは難航したが、拳や盃を交わしながら親交を深めた。


 大地震が起こった翌日にもバンドは練習した。暗黒の高円寺を4人で自転車でうろつくのは不謹慎と呼ばれようがグーニーズみたいな気持だった。誰かと付き合ってはすぐ別れちゃうような女の子の家におしかけ、ユニットバスを掃除した。
 毒まみれの東京で、春に芽生える恋心を抑え曲をつくり、計画を練る夏も曲をつくり、終わらない秋を過ぎ、早瀬の企画にて4人体制で初ライブをした。そしてオオサコが面倒くさい事をこなし、一回目の企画をした。観客も出演者も酔っ払ってたからか、思いの外感傷的な盛り上がりになった(と思う)。太平洋不知火楽団の企画、ライブハウス、女の子の企画、鎌倉のバー、高円寺のボロスタジオ、超絶技巧集団との死闘(むしろ敗北)、和光大学、群馬のスキー場での無謀すぎるロックフェス、寂しい女の子を冴えない男がつけ狙う空間を転々としつつ、敗走しつつ、女の子をモテ男に先取りされながら、少しずつ固まってきた曲で埼玉の鬼才エンジニア松本こいちの自宅にてレコーディングを行った。高野はレコーディング中39度の熱を出し、おまけにスーパー銭湯で変なオッサンに財布の中身をスラれたので、ギターソロには高野の怨念が篭っているかもしれない。


 完成には一年を費やした。橋本が歌入れに行くタイミングを逃しただけだが。松本くんとの二人三脚により、実力以上のフレーズが録音できたはずだ。意図的にライブとはまったく別のアレンジや音色を施した。タイトルやジャケットの装丁には妥協なく、メンバー全員が議論と拳を交わした。橋本のユーモアと直感と悪意(と音痴なボーカル)、オーサコの料理のごたる丹念なコダワリ、高野の悪ノリでしかない音楽趣味、鶴岡の硬質なビートがきちんとパッケージされてる、と思いたい。


曲の説明をしたかったがここまでがやけに長くなったので明日にする。