March 2005

March 14, 2005

ガジュマル [026]

新幹線▼そのとき、私はガジュマルという沖縄料理屋を訪れていて、そこで少し遅めの昼食をとっていた。店内には奥の席に50代の女性がひとり、店のママと親しげに話していた。なにやら天ぷらの話をしていた。ほどなくしてママは奥の調理場へ戻っていった。私は何ともなしにその女性に話しかけていた。「ここの天ぷらおいしいのですか?」そんな挨拶がきっかけで、それから色々と話が弾んでいった。その女性は私がまだ高円寺に引っ越して間もないことを知ると、懐かしそうに自身が上京してきた18の頃の事を話てくれた。「『一度東京に行くからには、二度と戻らないわ』と、堅く心に誓って大阪を後にしてきたの。」そう、グッと眼に力を込めて語ってくれた。▼私は先日やはりこのガジュマルにて店のママと話をしたことを思い出した。ママもやはり18の頃東京に憧れて沖縄を飛び出してきたのだと言っていた。「二度と沖縄には戻らないわ。」その決心のもとで上京して弱音ひとつ吐かずに働き、気がつくとこのガジュマルは27年目を迎えていた。‘決心’果たしてこの私にはあるのだろうか?私はハッとさせられた。▼「2年前に東京で中学校の同窓会があったの。」思い出したように、その50代の女性は切り出した。「最後の同窓会だからって旧友から電話をもらったわ。でも結局私は行かなかった。」小さな咳払いをして、ため息を喉の奥の方へと押し流すようにしっかり冷えたオリオンビールをグイッと飲んだ。私は箸を机の上に置き、ただその女性の鼻の辺りにずっと視線を置いていた。「行く気になれないのよ。東京に出ると決めた日を思い出してね。」私は何も言えずにいた。東京で一人で働いて生きるということ。東京で骨を埋めるということ。確かに時代が変わり昔ほど決意を必要としなくなったのかもしれないが、私はそういった目の前の事実ひとつひとつと主体的に未だ向き合ったことすらない。何かを選ぶことは、何かを捨てることでもある。でも、その捨てる悲しみが、選択の意味を与え、ひとつの決意へと変わる。▼‘僕の目標は?’と自問自答してみる。まずテレビディレクターとして自立すること。いつかドキュメンタリー映画の監督になり、作品の上映を通じて全国・世界を巡り、多くの人々と「これからのこと」を語り合うことだ。だから、生半端な気持ちでは必ず切り捨てられる職人の世界として映像プロダクションに身を置いた。そして、渡会隆広氏との夢の約束がある。古関和章との対談の約束もある。その他たくさんの方々との約束がある。私にはそれらを実現する義務がある。「『さよなら』を言いに、私も一度帰郷せねばならないと思っているんです。」気がつくと、私はその初対面の女性に心の内をうち明けていた。無言のままに小さく頷いてもらえたことに、少し勇気付けられた気がした。がむしゃらに走ろう。もう学生じゃない。

takanori_1983 at 01:19|PermalinkComments(5)TrackBack(0)生活 

March 08, 2005

京ヶ峰 [025]

ダム▼山が好きだ。山はその向こう側が見えないから好きだ。その見えない向こう側には未知の国があるんじゃないかって期待するから好きだ。きっとその国では誰でも魔法が使えて、人が空を自由に散歩しているんだと想像するから好きだ。冗談じゃない。私は小学生の頃、本当にそう思っていた。そうやって教室の窓から見える京ヶ峰という山を眺めていたんだ。今だって心のどこかでそう思っているのかもしれない。▼愛知県の岡崎市と幸田町の境に京ヶ峰という山がある。私はこの山のふもとの町で少年時代を過ごした。近所のガキを数人従えて、水筒、弁当と木刀を持って、この山の獣道の探検をしたことがある。杉林に入ると湿気が満ち苔むしていて暗く、所々に小さな水源と水たまりをいくつか発見した。森の至る所には雲母の穴が不気味に黒い口を開け、どんなオバケ屋敷にも比べものにならないくらい最高に刺激的だった。そんな過去を振り返っていたら、急にあの頃が懐かしくなった。3月7日、午後4時。ふと思い立って私はコートを羽織り、京ヶ峰を目指して獣道を歩くことにした。すでに日が少し傾きはじめていた。▼名もない近所のため池の脇に獣道があるのを昔から知っていた。山はあの日のまま。何一つ変わっていない。木のトンネルがずっと奥の京ヶ峰へと続く。深い林の奥で大きな鳥が人の気配に驚いて急に羽ばたく羽音。苔むした臭い。薄暗い闇。記憶が蘇ってくるように、過去と現在の時間が重なり合う。胸の鼓動だけがドクドク聞こえる。いくつもの獣道が出会い、別れ、また出会う。方角を失い、深い森の中で私は彷徨い歩いた。夕日が落ちるに従い、道は徐々に暗い闇に落ちていく。いよいよ鼓動が高まり、喉までこみ上げる焦りと不安を押し殺す葛藤を繰り返していた。でもその感覚がどこか懐かしくて、無性にうれしくて仕方がなかった。‘今、僕は、探検しているのだ’と。▼「僕が大人になったんじゃない。僕を取り巻く環境が大人にさせていたんだ。」今ハッキリと分かった気がした。私はあの日のまま、ちっとも変わっていない。闇を恐れ、山を恐れている。この森の中にある今なら、妖怪だって信じられる。動物が話しかけてきたってその耳を疑わないだろう。何か大きな力に生かされている気がしていた。深い森の中を歩きながら、ふと遠い記憶の向こうから思い出した歌があった。「青空に向かって僕は竹竿をたてた/それは未来のようだった/きまっている長さを超えてどこまでも/青空にとけこむようだった/青空の底には無限の歴史が昇華している/僕もまたそれに加わろうと/青空の底にはとこしえの勝利がある/僕もまたそれを目指して/青空に向かって僕は竹竿をたてた/それは未来のようだった/青空にむかって僕はまっすぐ竹竿をたてた/それは未来のようだ/とこしえの勝利…」それは合唱組曲「風に鳴る笛」より「未来」だった。▼日がすっかり落ちたころ、私はハアハアと息を切らして道でない場所から下草をかき分けて山を脱出した。人家の明かりを見つけて、私は心から安心した。恥ずかしいくらい安心した。そしてあの山の向こうに密かに何かを期待している自分に出会えたこと、この感覚をいつまでも忘れないようにしたいと思った。

takanori_1983 at 01:52|PermalinkComments(2)TrackBack(0)生活 

March 04, 2005

蒲公英 [024]

街頭▼「僕は警察官になりたかったんですよ。引っ越し屋なんかやっているんだけど。」ふと思い出したように赤帽のKさんは運転しながらそう話しかけてきた。私は黙ってうなずいた。2月18日、千葉から東京へ引っ越す。私は昨日から風邪を引いて体調が悪かった。ひどい下痢と熱に冒されて私の視界は少し霞んで見える。どんな話を振られても、私はうまく反応することができない。どうか気を悪くしないでほしい。熱と痛みのせいなんだ。▼そうとは知らないKさんは「大学の専攻は何んですか?」と、何とか私の口を開かせようとする。‘はぁ’とため息一つして、「経済でした。」とだけ私は答えた。「何で経済なんですか?」‘まいったな…’とは思いつつも、「親父が警官なんです。高校時代の僕は親父と同じような法律を扱う仕事だけはしたくないと考えたんです。だから法律とは違う社会科学の学問として経済にしました。それだけです。反抗期だったんですよ、たぶん。」「分かるよ。」彼はそう答えた。私を乗せた赤帽の軽トラックは首都高速に入った。私は横の窓越しに外を見ていた。雪でも降りそうな重たい雲が、両国の街をすっぽりと覆い尽くしていた。「僕の父親は運送関係の仕事をしていました。だから僕も運送関係の仕事には就きたくなかった。そんなもんですよね。」相槌も出来ずに、私は黙っていた。とにかく腹が痛い。「警視庁の試験を受けている最中、親父が捕まってしまったんです…本当は部下が起こした喧嘩なのに一人で責任を全部被って。」少し彼は口をつむった。「父親のせいで僕は試験の途中で警察官への道を断たれてしまったんですよ。残念ながら。人生本当に何があるか分からないものですね。」▼そして車内は沈黙した。凸凹した首都高速の道のせいで軽トラックはガタガタ音を立てて大きく揺れた。私はじっと腹痛に耐えて外を見ていた。すると不意に彼は口を開いた。「ごめんね。こんなに暗い気持ちにさせるつもりはなかったんだけどね。」そう呟いた。彼は自分の話で私が気を悪くして黙っているのだと思ったらしかった。それから話すのを辞めてしまった。私もどうしようもなくただ黙っているしかなかった。▼しばらくして高円寺の引っ越し先に着いた。やっとの思いで荷物を運び終え、封筒に入れたお金を「ありがとう」と渡すと、彼は最後にこう言った。「蒲公英のようなものなんです。種の落ちた場所で咲く。思い通りの場所で働けなくとも、精一杯働くだけなんですよ。」それは自分自身に言い聞かせているようにも見えた。私は‘実は体調が悪くて…’という言い訳を口にするのを辞めて、「そうですね。」とだけに返事を止めた。「でも皮肉なものです。気がつくと絶対やりたくなかった父親と同じ運送の仕事をやっています。」そう彼は笑ってみせて、トラックのエンジンをかけた。赤帽トラックはゆっくりと私から遠ざかっていった。‘それにしても、なんで体調が悪いことを私は一言も口にしないのだろう?’私は自問を繰り返しながら、トラックが見えなくなるまでずっと見送った。小雨がぱらつき始めていた。

takanori_1983 at 23:34|PermalinkComments(4)TrackBack(0)生活