2008年06月11日

VA 「NO NEW YORK」

No New YorkNo New York
Various Artists

Lilith 2005-11-22


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 作り笑い。愛想笑い。そんな言葉・行為がある。憎んでもいない人間を罰するための体罰という暴力もある。これを「愛のある暴力」などとよく分からない呼び方をする人もいるが、いずれにせよ、これらは意識して行なうものだ。決して自然に欲求から生まれた行為ではない。人間とは、笑いや暴力すらも意識下に置いている。それはバイアグラをかじることや、眠剤を飲むことなどと、本質的には同じことである。人間は本能、もしくは本能に近いものすら意識下で操っている。そういったものに慣れてしまっているからなのか、僕にはいま、この音楽がリアルに響く。78年に発表された4組のバンドによるコンピレーション・アルバム、『ノー・ニュー・ヨーク』
 
 狂っている。ただ衝動のみで吐き出された音が鳴っている。発狂寸前の音。いや、発狂しているのかもしれない。デタラメとも言えるアンサンブルが真っ直ぐ耳に飛び込み、違和感や混乱が混じり合い金縛りになったかのような感覚が瞬時に襲ってくる。カタチも何もあったもんじゃない。狭い倉庫の中で、なんでもいい、ただ音を鳴らそうと、それだけの欲求で奏でられているような音の羅列。神経に直接、刺さる。それがいいのだ。回りくどいことなど一切ない。BGMとしては絶対聴けない、対面せざるをえない音が、ただ存在する。プロデューサーはブライアン・イーノだが、環境音楽的なところはなく、かといってトーキング・ヘッズを手掛けたときのような凝った音もない。

 初めて聴いた時、僕はこの音楽とどう接していいのか分からなかった。耳を澄ませて聴くような音ではないし、踊る音でもない。身をゆだねるなんてもっての他。本当に、ただ打ちのめされる音だけがある。B級映画のえぐいシーンを見ているような気分だ。目をそらせたくてもそらせない。僕は思う。ここには人間が自分の存在意義を音によってぶちまける姿があるのだと。人間の強さがあるのだと。そして僕には、それを受け止めるしか術はないのだと。

 「衝動」はもはや音楽性のひとつになってしまった感が僕にはある。だが「衝動によって鳴らされているように聴こえる衝動もどき」、そんなものが多くあると思えるポップ・ミュージックの世界において本作は本物だ。抑制されているものの一切がない。裸で勝負しているこの音楽には胃が擦り切れるほどの切迫感が詰っている。その切迫感にどうしようもないほど叩きのめされてしまうのだ。

 健康番組を観て「健康にならなければ」と思い、「大安売り」の宣伝文句によって物を買わされ、セックスすらも「救いの行為」として極端に美化され描かれる現代において、狂うクルーと並び、まさに今、取り上げる価値のある作品であると僕は思う。

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