S.Kのブログ

ひよっ子保守の立場から政治、経済についての自分の意見を発信していきます。

人間というものは元来理想主義的なもので、現実主義ではないと思っています。大東亜戦争(太平洋戦争ではない)における大東亜共栄圏、高度経済成長期の所得倍増計画、グローバリズム、自由主義、民主主義、ブラック企業の事業拡大、ブラジルワールドカップの時のサッカー日本代表の自分たちのサッカーをするというあれ、いろいろとありますが、何か大義というものを見つけてしまうと、戦争の時なら兵站(輸送、補給など)を無視してとにかく拡大するんだと、物資など現地で調達すればいいから、お前ら行ってこいと。お国のためだからと、精神主義も表に出てきて、現場は当然疲弊するわけですが、理想や大義が大きいと、現実が見えなくなる。今も昔も日本人は同じなんだなと思うわけですが。

ただここで注意しなければいけないのは、上にあげた数々の大義の例は、大きく二つに分けられる、ということです。一つは大東亜戦争型。あの時も兵站を無視してとにかく拡大だ、ということをやったわけですが、現場や国民がそれについて反感しか持っていなかったのか、そこは疑問なんです。兵隊も国民も、天皇を中心とした大東亜共栄圏として、アジアが欧米の植民地支配から独立し解放され、共に発展していくことを理想にしていたし、そのために命まで捧げた。つまり上も下も大義を共有していたわけです。もちろん戦争なんかより美味しいものが食べたいという人も多かったと思いますが、それだけではなかったのが当時の日本だと思うわけで、なんか最近ここのところを無視してごっちゃにして論じる人がいるのですが、これと似て非なるものがすき家に象徴されるブラック企業型です。

ブラック企業型の組織というものは、上の大東亜戦争の時の日本人と違い、上司と末端の従業員とで価値観を全く共有していないわけです。上司は事業の拡大、利益の最大化というものを推し進めますが、従業員はワンオペで苦しむだけです。それで、牛すき鍋なんとかでしたか、それが出てきたところで限界だと、それと運悪く団塊の世代の大量退職による人手不足がタイミング的に合ってしまったものですから、それで店舗が次々と閉まってしまう。見た感じ、確かに大東亜戦争の失敗に似ているかもしれませんが、 やっぱりそこは違うと言っておかなければいけないかな、と思うわけです。まあ、確かに失敗は失敗なんですが。

で、この大東亜戦争型の失敗の例に近いのは最近で言うとサッカー日本代表のブラジルワールドカップの戦い方だと思うわけです。「自分たちのサッカーをする」。引いて守るような消極的なサッカーではなく、パスを回して積極的に攻めていくスタイルを選手たちも望んだし、国民もそれを支持した。それでワールドカップ前の段階からまともに相手を0点に抑えることもできないような試合が続いていたのですが、それでも自分たちのサッカーをするという理想を追い求め、 結果は無残な敗北。自分は確かに日本はディフェンシブに戦った方がいいのではないかとは思っていましたが、チームの理想は尊重してあげたいとも思っていました。だから積極的に反対するでもなかった。ザッケローニ監督もそのような気持ちだったのではないでしょうか。

ブラック企業型の失敗の仕方に近いのは、新自由主義、グローバリズム、あと消費税増税でどんどん悪くなっていく今の日本経済です。資本移動が自由ですから、工場は人件費の安いところへ自由に移転していくことができる。そうすると、日本国内の労働者というものは給料が減るか仕事そのものがなくなり、疲弊していく。自由主義という理想を政治家や企業は持っているのかもしれませんが、それを国民が共有しているのか、自由主義はしている人もいるのかもしれません。しかし財務省の財政均衡主義はどうでしょうか。国民が貧困化しているのに、財政健全化だと言って、消費税をさらに上げるという。

消費税増税をやめてしまうと谷垣禎一さんだったかはなんて言っているんでしたっけ。国際社会の信任を失って国債が暴落するとか言っているんでしたっけ。ほとんどが円建てで日銀が買い取ってしまえばいい国債が暴落するとか、トンデモなことを財務省がおそらく言わせ、そして安倍政権はこれに逆らうことはできないのでしょう。消費税は予定通り引き上げられ、国民は疲弊し、経済はボロボロになり、税収も下がり、デフレに逆戻りです。そこになんとかショックとかどこかの大国で起きたりするわけです。

政治家は民主主義の洗礼を受けて責任を取らされることはあるのかもしれませんが、財務省の役人が責任を取ることはありません。これもブラック企業に似ていて、ブラック企業が失敗したから誰かが責任を取ったというニュースって聞かないですよね?

私たち国民は、これから大東亜戦争の時とは違う、大義なきブラック企業型の敗戦に直面しつつあるわけです。

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最近人間とコミュニケーションできるロボットがどうのとか、歩けない老人をサポートするようなパワードスーツが開発されたとか、そんな話題が多く出てくるようになりました。ロボットが人間並みに賢くなったら、ロボットが人間に反旗を翻すのではないかなんてSFは古来からありますが、そんな時代が来るのかどうか。

私S.Kは、ロボットは「人間のようにはならない」し「なれない」と思っています。しかし、そこが「だからこそ怖い」とも思っています。

私たち人間は「情」で物事を考えることが多い生き物です。全て合理的にモノを考えているわけではありません。また情というものを超えた「大義」で動くことも多いです。そしてそれに対して「集団で」動く生物でもあります。戦争に限らず、大義に対して集団で動くというこということは社会には多くあり、そこに非合理性のようなものがあって個人が逆らおうとすると「お前は~に逆らうのか」ということになるのは日本に限らず、人間の本質としてあるものだと思っています。

だから大東亜戦争の時、日本人が何も悪くなかったかどうかと言われれば間違ったところは大いにあったわけですが、あの状況、追い詰められて戦争に勝つという目的、大義に対して逆らうということが現実的にありえない極限的な状況に追い詰められた日本人に、合理的な判断ができなかったというのも酷かな、と最近では思っているわけです。

で、本題に戻るのですが、ロボット、あるいは人工知能のようなものが発達したとして、問題なのは人間を「人間的な意味で」超えるかもしれないということでしょうか。自分は違うと思います。人間のようになってくれるのなら、人間を尊重して人間とロボットが共存できるような社会をこの世に構築するように、人間と協力してくれると思うのです。

しかしロボットには現実には「心」がありません。心がないということは「大義」がなく、「合理性」のみがあるということです。これって恐ろしいことではないでしょうか。

ロボットが人間社会に溶け込んだ世界って、人間はロボットが肉体労働のようなものをやってくれて合法的に奴隷として扱えるから便利だなんて思うかもしれませんが、実際には逆のことが起きると思います。

~さんが仕事上で何かミスをした、失言をした、といった時、人間だったらそこは穏便に自分は黙っていようとか、「心」で判断することがあります。

でも高度に発達したロボットって、そんな心で相手に遠慮するなんてことはないわけです。相手がミスをしたら、そこを突いて自分が競争に打ち勝つという合理的な判断のみで動くのです。

こういう合理性で人間がコンピュータに勝てるでしょうか。勝てないでしょう。 

信頼関係に基づき何か秘密で物事を進めていた場合、コンピュータは裏切る方が合理的に利得が高いと判断すれば、平気で裏切ることでしょう。

人間は~さんはいい人だから協力してついて行こうとか思うものですが、AIとか人工知能というものは自分にとって利益がないと判断したらソッコーで裏切ってくるわけです。

自分が言いたいのはこういうものがいいか悪いかではなく、こういうものが時代の最先端ともてはやされて世の中に出てくる社会って、怖いですよねってことで。

人間は大義で動く生き物だから、これからはロボットの時代だ、AIだなんだと言われると、具体的なことはよくわからないままに「そうだ、そうだ!」ということになりやすいです。本当は上に書いたように、ロボットの時代って怖いんですが、そうしたことを熱狂的に今後、進めていくことになるのでしょう。

今のロボットはお掃除ロボットとか、会話ができるとか、その程度のレベルですし、奴隷労働をやってくれるロボットの時代で止まってくれれば何も問題はないでしょうが、人間の弱さを超えて合理的に社会に溶け込むロボットなんて世の中に出てきたら人類は破滅するんではないでしょうか。だれか、このネタでSF小説書きませんか?

今日はこんなところで。 

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