2020年08月

 画像は今日(8月31日)の京都新聞の記事である。
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 「京都市立芸術大学」と学校法人 瓜生山学園「京都芸術大学」の名称を巡る裁判の判決が下された。京都芸術大学(旧名称:京都造形芸術大学)の一本勝ちである。個人的には京都造形芸術大学という名称に馴染んでいたので、変更する必要性は感じていなかった。瓜生山学園として将来を見据えて、経営上、京都芸術大学に変更したほうがよいと判断したのであろう。
 京都市は2023年に京都市立芸術大学を西京区大枝沓掛町から、京都駅近くに移転することになっている。そこで私の提案である。移転を機に、大学の名称を変えてはどうだろうか。
 京都駅前芸術大学、あるいは 京都駅近芸術大学
 京都市立芸術大学の移転計画については反対意見もあったはずだ。私自身京都市民でありながら移転問題については関心がなかった。現キャンパスがどこにあるかも知らなかった。移転計画は大学の名称以上に重要なことであり、移転計画が持ち上がった時には様々な問題点が指摘されたことだろう。現キャンパスのある地域住民の反対もあっただろう。現キャンパスの跡地の活用について検討を開始したばかりであり、跡地利用計画は策定されていない。当時市会議員だった村山祥栄(2020年市長選に立候補し落選)の意見を紹介する。氏の公式サイトに2018年に掲載されている。彼が指摘した問題点が解消したわけではない。
<村山祥栄公式サイト:芸術大学移転は是なのか?>
http://www.shoei25.com/diary/2018/04/post_329.html

スキャン_20200830 (4) 今日は京都みなみ会館で「凱里ブルース」(映画公式サイト:https://www.reallylikefilms.com/kailiblues)と「いつくしみふかき」(映画公式サイト:http://www.itukusimifukaki.com/)を見た。オンラインで予約購入してみた。クレジッドカードを使うのは好きではないが、満席や最前列の席を避けるためにはやむを得ない。
 「凱里ブルース」はビー・ガン監督の第一回長編作品で話題を呼んだ作品である。あらかじめチラシやネットで予備知識を得てから見た方が良い。「いつくしみふかき」は渡辺いっけいの映画初主演で話題を呼んでいるが、息子役の遠山雄が存在感があった。遠山と大山晃一郎監督のインタビュー動画があった。
<映画『いつくしみふかき』大山晃一郎監督と遠山雄が語る!!本作に賭けた熱い想い 活弁シネマ倶楽部>https://www.youtube.com/watch?v=61HwIK5bd5k
<映画ログプラス:大山晃一郎監督インタビュー>
https://tokushu.eiga-log.com/interview/45743.html#midashi4

下の画像は京都新聞の読書欄の記事である。『還暦からの底力』(出口治明著)の書評である。
「『仕事をせずにのんびり』は寝たきり老人への道」っていうけれど、定年後の暮らしも従来と同じで家事いっさいを妻任せにする男性視点だろう。「働き続けることによってのみ」健康寿命がのびる、って余計なお世話だ。20万部刊行だという。私はこういう本は読まない。私に読みたいと思わせる書評ではない。
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 今日は京都みなみ会館で中国映画「凱里ブルース」と渡辺いっけい初主演の「いつくしみふかき」の二本の映画を見る予定だった。1本目の「凱里ブルース」の入場券を買おうとしたら満席だった。コロナ対策で客席を半分にしているのが原因だ。ミニシアターは客席数が少ないので、見ようと思っても、満席になってしまうことがある。土日・祝日は要注意だ。ミニシアターへの客足が戻ってきているのかもしれない。2本目まで2時間以上待つ気はない。あきらめて帰宅した。京都みなみ会館では当日入場券のオンライン販売をしており、私も今後はオンラインで入場券を購入することになるだろう。
 帰宅して、半分ほど読み終えていたベルンハルト・シュリンク著「オルガ」を読むことにした。
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 主人公オルガ・リンケは晩年、孫ほど年の違う青年フェルディナントと共に12個所もある市立墓地を歩くことが好きだった。その場面を一部転載する。
 『彼女は見知らぬ人たちの墓のあいだで死者と対話しているわけではなかった。墓地を歩くのが好きな理由は、ここではすべての人が対等だから、とのことだった。強者も弱者も、貧者も富者も、愛された者も心にかけてもらえなかた者も、成功した者も、破滅した者も。霊廟や天使の像や大きな墓石も関係ない。みんな同じように死んでいて、もはや偉大であることもできないし、偉大過ぎることなんてぜんぜんない。
 「でも勇士の墓地は・・・・・」
 「あんたの言いたいことはわかる。勇士の墓地は広すぎるし、あまりにも敬意を払われ過ぎてるよね。みんな一緒に眠るべきなのよ。兵士もユダヤ人も農民も、山の墓地に葬られている人たちも」
 彼らは一緒に眠り、人が死においても生においても平等だということを、わたしたちに思い出させるべきだ。区別の多い人生、優先されたり後回しにされたりする人生のなかで、死が残酷な力をふるってすべてを平等にしてしまうのでなければ、死が恐れられることもない。もし平等な人生がそのまま続くのだとすれば。
 そうやって生きた魂は、死によって新しい生へと向かうのだろうか、とぼくは尋ねた。彼女は肩をすくめた。魂が変遷するというイメージは、人間から死への恐怖を取り去るためのものだ。でも人間は、平等の真実を理解したなら、死に対して不安は持たない、と彼女はいった。』
 <新潮社HP 書籍詳細:「オルガ」ベルンハルト・シュリンク/著 、松永美穂/訳
https://www.shinchosha.co.jp/book/590165/
 さて、日本軍兵士の墓所には一体どれだけ人数の遺体、遺骨、遺灰が安置されているのだろうか。数多くの日本軍兵士の遺体が海底や戦地の山中などに誰とも知られずに放置されたままなのである。

 早朝、けっこう長い夢を見た。初めの方は覚えていない。とある店の外にいた。地図のようなものを見ている友人の男がいた。僕もその地図を覗き込んだ。
「有名な蓮池があるんだ。向こう側だ」と友人が言った。
「いや、こっちだろう」と僕は反対方向を指さした。
友人はさっさと道路を渡って向こう側に行った。仕方なく僕もそっちへ行った。友人の姿が見当たらない。道路の向こう側は谷になっていて、下方に広く蓮池が広がっていて、ピンクの蓮の花がたくさん開いていた。友人は道路のすぐ下の険しい崖の途中の細い道に立って蓮池を眺めていた。僕はそこに行くのが怖くて行けなかった。友人も道路に戻ってくることができないのか、その険しい細い道を歩いて行った。僕は彼を追うようにして上の道路を歩いていった。ふたつの道は駅の所で合流していた。駅は寝屋川らしかった。寝屋川付近に来ているとは思わなかった。駅で友人と別れることになった。方向が別で友人は先に電車に乗って行ってしまった。さて僕も電車を待っていると、急行電車が途中、人身事故で停車しているという案内の放送があった。しばらくすると、急行に乗車する人は駅員についてきてくれという。着いた所は大きなホールで大勢の人が椅子に座っていた。前方に大きなスクリーンがあり、まもなスクリーンに映像が映し出された。これは急行電車の延着が長引くので、その間映画を見せようとしているのだなと思った。そこで僕は大きな声を出したらしい。そこで目が覚めたので、トイレに行った。また寝た。起きたら7時40分だった。ゴミ出しの日で僕は慌てて、ごみを出しにいった。あとで妻から、大きな声で怒っていたよと言われた。

 今日はMOVIX京都で映画「ブックスマート(booksmart)」(映画公式サイト:ttps://longride.jp/booksmart/を見た。
BOOKSMARTとは一言でいえば「がり勉」か。がり勉で高校生活を楽しんでこなかった二人の女子高生のお話。途中少し居眠りをして、マスクによだれを垂らしてしまった。
 映画を見ない人には次のサイトをどうぞ。<映画『ブックスマート』 硬直した固定観念を解体する学園コメディ>
https://www.cinra.net/column/202008-booksmart_gtmnmcl 

 帰宅すると、安倍首相が辞意表明すると知った。初回の病院での検査翌日(18日)に官邸に入ってくるときの安倍の顔の表情がさばさばしていたので、辞める決意を固めたのかなと思った。あの時、本当はどうだったのだろうか。病気で職務が執行できないというのに、後任が決まるまで職務を執行するとはどういうことだろう。病気でなくても、国会も開かず、側近任せで、まともな仕事をしなかったのに。和泉洋人補佐官、今井尚哉補佐官、佐伯耕三秘書官の職を直ちに解くべきだ。

 新型コロナウィルスの感染者(PCR検査陽性者)には無症状者、発症者がある。そして無症状者の飛沫等から感染することが判ってきた。このことは新型コロナウィルスに限らず、インフルエンザウィルスでも同様なのではないのか。この点、感染症の専門家をどう考えているのだろうか。インフルエンザの場合は無症状者の存在は問題視されてこなかったのかもしれない。それはインフルエンザの潜伏期間は短く、発症して治癒するまでの期間が短かったことによるのだろうと素人としてはそう思った。ところが、ネットで検索してみると、インフルエンザウィルスは無症状感染者からの感染については信頼性のある研究報告はなく、現実的には感染が成立する場合は稀であるという。インフルエンザの公衆衛生上の感染防止対策を考える上で今後解決すべき研究課題であるとも指摘している。(<インフルエンザの不顕性感染者が感染源となる頻度>https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=3578

 新型コロナウィルスに関しては、PCR検査で無症状の感染者を発見することは、感染拡大を防ぐためには有効だと思うのだが、感染拡大防止にならないと指摘する専門家もいる。医療資源の無駄遣いだ、医療崩壊する、保健所がパンクするともいわれている。治療法がないのだから、三密を避け、手洗い、マスク着用で充分だともいわれている。PCR検査は多額の費用がかかり、結果が出るまでにやや時間がかかる問題が指摘されているが、この点は技術的な問題で、改善の余地があるように思う。
 私が知りたいのはPCR検査で無症状の陽性者が発症する割合はどれくらいだろうかということである。新型コロナウィルスの感染が始まって半年以上経過しているにもかかわらず、日本では研究報告がなされていないのではないのか。そう思って、ネットで検索してみると、次のサイトがあった。
<感染しても無症状(不顕性感染)の人の割合は? 榊原 洋一(CRN所長、お茶の水女子大学名誉教授、ベネッセ教育総合研究所常任顧問)2020年4月17日掲載>
https://www.blog.crn.or.jp/lab/07/33.html
 上の報文によると、プリンセスダイヤモンド号の乗客・乗員3711名のうち4月時点で634名が陽性者、発症者が306名、中間時点で無症状者320名、全く症状の出ないまま治ってしまった人(不顕性感染者)113名。不顕性感染率は17.9%とのことである。
 そうであれば、無症状者の発症率は(320−113)/320=0.65 となり(計算式はこれでいいのだろうか?)、発症率は高い。COVID-19の型によって違いは当然あるだろう。無症状の発症率が高いのであれば、PCR検査は感染拡大防止に有効だと思う。政府はこれまでの検査結果に基づいたPCR検査の方針を打ち出してもらいたい。
 PCR検査についての私の考えは「誰でもいつでも何度でも」ではなく、「医師の判断に基づき、必要な人に直ちに、結果を迅速に」である。

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