プリーモ・レーヴィ『これが人間か』<若い読者に答える>より抜粋。
1973年に刊行された『これが人間か』学生版の末尾に<若い読者に答える>という形で、アウシュヴィッツ強制収容所についてさまざまな角度から論じられている。
『ナチのラーゲルはヨーロッパ・ファシズムの頂点であり、その最もおぞましい表現だった。だがファシズムはヒットラーやムッソリーニ以前にも存在していたし、はっきり分かる形をとったり、形を変えて偽装したりして、第二次世界大戦の敗北を切り抜け、生きのびている。世界のどこであろうとも、「人間」の根本的自由と平等を否認し始める国があったら、その国は強制収容所体制に向かう。しかもこれを途中で止めるのはひどく難しいのだ。自分の経験にどれだけ恐ろしい教訓が含まれているか、十分に理解した元囚人たちはたくさんいる。彼らは毎年、若者たちをひきつれて、「自分の」収容所に巡礼の旅をする。もしこうして本を書き、学生たちに開設することで同じ目的を果たせないなら、そして時間が許すなら私も喜んでそうすることだろう。』
『戦争とは、恐ろしいが、常に存在してきたものだ。あってほしくはないが、私たちの中に存在するものだ。戦争にはそれなりの理由があり、「理解できる」。
だがナチの憎悪には合理性が欠けている。それは私たちの子皓rにはない憎悪だ。人間を超えたものだ。ファシズムという有害な幹から生まれた有毒な果実なのだが、ファシズムの枠の外に出た、ファシズムを超えたものだ。だから私たちには理解できない。だがどこから生まれたか知り、監視の目を光らすことはできる。またそうすべきである。理解は不可能でも、知ることは必要だ。なぜなら一度起きたことはもう一度起こりうるからだ。私たちの良心でさえも。
だからこそ何が起きたかよく考えるのは、万人の義務なのだ。ヒットラーとムッソリーニが講習を前にして演説した時、あたかも神のように賛美され、崇拝され、信頼をかちえ、歓声を浴びせかけられたことを、万人が知り、思い出さねばならない。かれらは「カリスマ的な頭領」だった。人を引きつける秘密の力を持っていた。だがそれは言っていることの正しさや信憑性から来るのではなかった。本能的だったのか、あるいはたゆまぬ訓練の結果だったのか。いずれにせよ、挑発的な言い方や、雄弁や、大根役者の演技力からきていた。彼らが公言していた思想はいつも同じとは限らなかったが、おぞましいものだった。しかもこうした思想は喝采を浴び、彼らが死ぬまで、何百万人もの信者を引きつけた。こうした信者たちが、非人間的な命令の忠実な実行者も含めて、生まれながらのサディストでも、(少しの例外を除いて)怪物でもなかったことは、記憶にとどめておくべきである。彼らは何の変哲も無い普通の人だった。怪物もいなかったわけではないが、危険になるほど多くはなかった。普通の人間のほうがずっと危険だった。何も言わずに、すぐに信じて従う職員たち、たとえば、アイヒマン。アウシュヴィッツの所長だったヘス、トレブリンカの所長だったシュタングル、二十年後にアルジェリアで虐殺を行ったフランスの軍人たち、三十年後にヴェトナムで虐殺を行ったアメリカの軍人たち、のような人々だ。
だから、理性以外の手段を用いて信じさせようとするものに、カリスマ的な頭領に、不信の目を向ける必要がある。他人に自分の判断や意志をゆだねるのには、慎重であるべきである。予言者を本物か偽物かを見分けるのは難しいから、予言者はみな疑ってかかったほうがいい。啓示された真実は、たとえその単純さと輝かしさが心を高揚させ、その上、ただでもらえるから便利であろうとも、捨ててしまうほうがいい。もっと熱狂を呼び起こさない、地味な、別の真実で満足するほうがいい。近道しようなどとは考えずに、研究と、討論と、理性的な議論を重ねることで、少しずつ、苦労して獲得されるような真実、確認でき、証明できるような真実で我慢すべきなのだ。
こうした処方は、単純すぎるから、どんな場合にもあてはまるとは限らない。たとえば、不寛容と圧政と隷属をともなった新しいファシズムが外国で生まれ、新たな名を持って突発的に発生して、防壁をすべて打ち壊してしまうかもしれない。そんな時は、理性の忠告は役に立たない。抵抗する力を見つけなければならない時だからだ。だがそんな時でも、さほど遠くない昔に、ヨーロッパの中心で起きたことを記憶にとどめておくのは、心の支えといましめになるかもしれない。』
1973年に刊行された『これが人間か』学生版の末尾に<若い読者に答える>という形で、アウシュヴィッツ強制収容所についてさまざまな角度から論じられている。
『ナチのラーゲルはヨーロッパ・ファシズムの頂点であり、その最もおぞましい表現だった。だがファシズムはヒットラーやムッソリーニ以前にも存在していたし、はっきり分かる形をとったり、形を変えて偽装したりして、第二次世界大戦の敗北を切り抜け、生きのびている。世界のどこであろうとも、「人間」の根本的自由と平等を否認し始める国があったら、その国は強制収容所体制に向かう。しかもこれを途中で止めるのはひどく難しいのだ。自分の経験にどれだけ恐ろしい教訓が含まれているか、十分に理解した元囚人たちはたくさんいる。彼らは毎年、若者たちをひきつれて、「自分の」収容所に巡礼の旅をする。もしこうして本を書き、学生たちに開設することで同じ目的を果たせないなら、そして時間が許すなら私も喜んでそうすることだろう。』
『戦争とは、恐ろしいが、常に存在してきたものだ。あってほしくはないが、私たちの中に存在するものだ。戦争にはそれなりの理由があり、「理解できる」。
だがナチの憎悪には合理性が欠けている。それは私たちの子皓rにはない憎悪だ。人間を超えたものだ。ファシズムという有害な幹から生まれた有毒な果実なのだが、ファシズムの枠の外に出た、ファシズムを超えたものだ。だから私たちには理解できない。だがどこから生まれたか知り、監視の目を光らすことはできる。またそうすべきである。理解は不可能でも、知ることは必要だ。なぜなら一度起きたことはもう一度起こりうるからだ。私たちの良心でさえも。
だからこそ何が起きたかよく考えるのは、万人の義務なのだ。ヒットラーとムッソリーニが講習を前にして演説した時、あたかも神のように賛美され、崇拝され、信頼をかちえ、歓声を浴びせかけられたことを、万人が知り、思い出さねばならない。かれらは「カリスマ的な頭領」だった。人を引きつける秘密の力を持っていた。だがそれは言っていることの正しさや信憑性から来るのではなかった。本能的だったのか、あるいはたゆまぬ訓練の結果だったのか。いずれにせよ、挑発的な言い方や、雄弁や、大根役者の演技力からきていた。彼らが公言していた思想はいつも同じとは限らなかったが、おぞましいものだった。しかもこうした思想は喝采を浴び、彼らが死ぬまで、何百万人もの信者を引きつけた。こうした信者たちが、非人間的な命令の忠実な実行者も含めて、生まれながらのサディストでも、(少しの例外を除いて)怪物でもなかったことは、記憶にとどめておくべきである。彼らは何の変哲も無い普通の人だった。怪物もいなかったわけではないが、危険になるほど多くはなかった。普通の人間のほうがずっと危険だった。何も言わずに、すぐに信じて従う職員たち、たとえば、アイヒマン。アウシュヴィッツの所長だったヘス、トレブリンカの所長だったシュタングル、二十年後にアルジェリアで虐殺を行ったフランスの軍人たち、三十年後にヴェトナムで虐殺を行ったアメリカの軍人たち、のような人々だ。
だから、理性以外の手段を用いて信じさせようとするものに、カリスマ的な頭領に、不信の目を向ける必要がある。他人に自分の判断や意志をゆだねるのには、慎重であるべきである。予言者を本物か偽物かを見分けるのは難しいから、予言者はみな疑ってかかったほうがいい。啓示された真実は、たとえその単純さと輝かしさが心を高揚させ、その上、ただでもらえるから便利であろうとも、捨ててしまうほうがいい。もっと熱狂を呼び起こさない、地味な、別の真実で満足するほうがいい。近道しようなどとは考えずに、研究と、討論と、理性的な議論を重ねることで、少しずつ、苦労して獲得されるような真実、確認でき、証明できるような真実で我慢すべきなのだ。
こうした処方は、単純すぎるから、どんな場合にもあてはまるとは限らない。たとえば、不寛容と圧政と隷属をともなった新しいファシズムが外国で生まれ、新たな名を持って突発的に発生して、防壁をすべて打ち壊してしまうかもしれない。そんな時は、理性の忠告は役に立たない。抵抗する力を見つけなければならない時だからだ。だがそんな時でも、さほど遠くない昔に、ヨーロッパの中心で起きたことを記憶にとどめておくのは、心の支えといましめになるかもしれない。』