3月15日(火)
11:45電話でマリンパーク浪江のIさんと電話で話す事が出来た
当たり前だが震災以降マリンパークへの電話は繋がらずIさんへの携帯電話も繋がらず心配を通り越してもう無事を願うしかない状態だった。
『プ・プ・プ・プ』から遂に電話の呼び音がなってIさんの声を聞いた瞬間に泣きそうになってしまった。
Iさんからの第一声は「心配して頂いてありがとうございます」だった・・・
こんな時に心配している側にお礼が言えるIさんは凄い
声はあの震災の前日に合宿の打合せを行った声と変らない優しい声だった・・・
限られた時間で当時の状況を教えてくれた
地震の時に館内はやはり立てないくいの揺れありその揺れがやんだ瞬間に津波の恐怖がすぐに訪れたそうです。
従業員の皆さんと家族とが急いで高台へ避難したそうです
地震発生から津波でマリンパークが飲み込まれるまで時間は30分ぐらいだったそうです
本当に命を分ける30分だったと想います。
津波の高さは「ビル」の高さだったそうです。
浪江の今の状況はマリンパークと公民館しか残ってない状況で家も畑も全てなくなったそうです。
Iさんは既に福島の内地に避難しているそうなのですが例の原発事故により更に避難の可能性があるそうです。
話を聞けば聞くほどもう何を言っていいのか分りません・・・
でもIさんは「たくさん失ったけど家族がいるから大丈夫です」と言ってくれた
そして・・・
そんなときにも関らず
最後には・・・
「渋谷東部さんのお子さんをお預かりしている時の震災じゃなくて本当によかったです」
と言ってくれた
そして「もう合宿で皆さんにお会い出来ないのが残念です」だった
本当にどこまでも渋谷東部の子供達を愛してくれていたんだと改めて認識した
Iさんは選手達もよく知っているあのいつも受付にいるおばちゃんです
Iさんのお子さんとは一緒にサッカーの練習をした事もあります。
そして、渋谷東部の子供達が泣かしてしまった事もあります
恒例の低学年合宿で泣いている選手をコーチが自力打開で見ているだけの時にいつも声を掛けてくれた本当に優しい方でした
今の4年生が反省正座をしている時に心配して声を掛けてくれましたよね
マリンパークの楽しい思い出が多すぎて・・・
夏と春の合宿で渋谷東部の子供達を見て「あの子が・・・もうこんな大きく」といつも思い出を共有出来る一緒に育成をしている仲間でした。
そして本当にありがとう御座います
今までお世話になりっぱなしだったと本当に認識しました
自分に「何が出来るか分らない」とは言いません
自分や自分たちには纏れる力があります。
「出来る事、やらせて頂きます」しばらくはそっちに自分の思いを全力で注ぎたいと想います
何年後か
何十年後か
もしかして昨年合宿に行った幼稚園生が大人になった時かも知れないけど
あの美しく楽しくて美味しくて最高の育つ環境だったマリンパーク浪江
そしてそこでいつも温かい笑顔でお世話頂いていた皆さんの笑顔を少しでも取り戻せるお手伝いをしたいと思います
今日の夜に2回目の指導者会議を行います。
色んな意見があるかと思います
もちろん批判も受けると思います
疑問もあると思います
でも
自分は迷いません
自分に出来る事
やりたい事
成果がどうなってもその努力を惜しまない事こそがマリンパーク浪江への恩返しの第一歩です
またしばらく忙しくなるかも知れないけど理解してくれる最高の家族と最高の仲間を持って本当に嬉しいです