太陽がいっぱい』読了。いやあ、この結末には参りました。この小説、すごいですね。アラン・ドロンの映画とは全く違う。ある意味、映画の方の『太陽がいっぱい』は健全とでもいうか、普通の犯罪ストーリーかも(って、観てないのに言うか 笑)。

ネタばれを書いてしまうので、それでもいい方のみ続きを読んでくださいませ。
私は主人公トム・リプリーの犯罪が、最終的にはバレてしまうのだろうと思って読んできたのですが、何と二人も殺したのに最後まで彼が犯人だと気付かれずに終わってしまうんです。

で、ここが面白いところなのですが、読者にとってこの結末が意外であると同時に、トム・リプリーにとっても意外なんですよね。彼は、衝動的に犯罪を犯してしまったり、自分に不利なことをしてしまうところがあって、どうも破滅願望がある気がするんです。終盤、殺した富豪の息子の遺言書を捏造して、自分に遺産を残すと書くなんていう余計なことをして、警官を見てはびくびくしている。

この辺の心理描写を読んでいると、そう明記はしていないのですが、深層心理で捕まってしまいたいと思っているとしか思えないのです。逃げ回るのを辞めて楽になりたいというより、花と散りたいって感じで。

だから、ここの解釈は人によって違うように思いますが、私には最後の最後にトムがタクシーの運転手に最高級のホテルに行くよう言うシーンって、犯罪に成功して喜んでいるというよりは、早くもせっかく掴んだものを使い果たそうとしているというように見えてしまいます。


この話は、アメリカにいたトムが富豪に頼まれて、ヨーロッパで豪遊して返ってこない息子に帰るよう説得するところから始まるのですが、トムはアメリカにいた頃から現実を無視して妄想の中に入っていくところがある。殺人ではないけど犯罪を犯しているのに、生まれ変わるつもりでヨーロッパへ旅立っていく。

彼は、したたかな犯罪者では全くなくて、自分の妄想を現実化させるために衝動的に犯罪をおかしてしまうような人。病理的な犯罪者なんです。これもアラン・ドロンのイメージとは全然違いますよね。

危機的な状況になると、頭の中に犯行の段取りが事実のようにくっきり組み立てられていき、もう一人殺す寸前まで行って思いとどまったときには、殺したかのように振舞ってしまいそうだから気をつけないとと自分を戒めるくらい。逃亡しながら、富豪の息子の振りをしたり、自分に戻ったりしているときも、冷静に演じ分けているというよりは、妄想の通りに振舞っているような感じで。

この話は1955年に書かれたものなのに、今風の犯罪者とでもいうか、最近の事件の犯人ってよくわからない動機でよくわからない行動したりしますよね。トムの心理描写を読んでいると、彼らもこういうことを考えてたのかと思ってしまうんです。現代的な病を描いているって感じ。

1955年にしてこんな作品を書くパトリシア・ハイスミスに先見の明があったということなのか、アメリカは既に1955年にしてこのような作品を生む状態にあったということなのか…とにかく私には衝撃的な小説でした。

ちなみに、トム・リプリーはシリーズものとしてあと4冊出ているのですが、訳者あとがきによると2作目以降はトムは男らしくてたくましい人間になってしまうそうです。この人が男らしくたくましい人になれるとは、1作目を読み終わった時点では全く想像できませんが(笑)。

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