作家別:中央公論Adagio

2011年02月28日

中央公論Adagio「田中角栄と大門を歩く」

隔月刊の都営地下鉄のフリーペーパー、中央公論Adagio。今号の特集は「田中角栄と大門を歩く」です。内容に入る前に、2007年4月に創刊した中央公論Adagioですが、今号をもって休刊に入るとのこと。松本清張の号あたりで広告が急増して、努力もしていたのですが、確かにここ最近は広告が少なくなったもんね…。

田中角栄と大門のつながりは東京タワー。東京タワーが竣工したのが、1958年10月なのですが、田中角栄は1958年6月12日まで郵政大臣で、テレビ局と新聞社の系列化を推し進めたのは、田中角栄だったのだとか。う〜ん、つながりとしては弱いですね(笑)。記事も、田中角栄の話と大門周辺の話が交互に載っている感じなので、同時進行別物語っぽく読むべきか。

私の中では、田中角栄って道路建設などの公共事業のイメージが強かったのですが、放送関係にも力を及ぼしていたんですね。放送というか、電波の世界は、今は携帯電話なども加わって、より権力闘争が激しくなっている感があります。今の時代に田中角栄がいたら、もっとすぱすぱと物事が決定していくか、それとも富を集中させているか、いやその2つが両立しているか。

また、サブ特集では、田中角栄とつながりのある町として神保町が取り上げられており、こちらの方が「田中角栄と歩く」にふさわしい記事です。書生時代には、小石川水道端から神保町まで、雨の日も風の日も毎日歩いたのだとか。『私の履歴書』から引用した、ここにせんべい屋があった、あそこに今川焼き屋があった、などの記述は、勝手に町並みと若い田中角栄を想像してしまいます。

特集以外の記事では、沖ノ鳥島の写真がきれいです。きれいだけど、ホントに小さな島なんですね。排他的経済水域などの問題でクローズアップされることの多い沖ノ鳥島ですが、日本で唯一熱帯に属している場所で、生物調査・気象海象観測的価値がある島なのだそうです。年平均27度というのは羨ましいけど、台風が通るときには大変そう。

…と読んできた特集も、おなじみの連載記事も、ついにこれでお仕舞いなんですね。そろそろ「誰々と[都営地下鉄駅]を歩く」というテーマも尽きて来た頃かもしれないし、これが潮時か。ときには無理矢理感もあれど(笑)、場所とのつながりで人を読み解くという企画は、知らない話がいろいろ読めて面白かったです。編集部の皆さん、お疲れ様でした!
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2010年12月26日

中央公論Adagio「徳川慶喜と飯田橋を歩く」

隔月刊の都営地下鉄のフリーペーパー、中央公論Adagio。今号の特集は「徳川慶喜と飯田橋を歩く」です。慶喜が生まれたのが旧水戸藩邸・現小石川後楽園。実は私、今まで家からのアクセスの都合で、小石川後楽園には水道橋・春日から行くか、または自転車でしか行ったことがなかったので、最寄り駅が飯田橋駅だったことさえ知りませんでした(苦笑)。

それにしても、自分の代である時代が終わる・終えるって、私がどんなに想像してもそれ以上の葛藤や未練があり、それを振り切る勇気や強い意志が必要なんだろうなあ。晩年、いろんな趣味に興じたというのも、過去へのいろんな思いから目を逸らす意味もあったのかもしれないし。

そして、三十年ほど静岡に住んだあと、巣鴨に戻ってきたということで、サブ特集では巣鴨も取り上げられています。世の中がすっかり変わった後、帰ってきた慶喜は東京府をどう感じたのか。慶喜の行動・決断によって、変化の際にもっと血が流れるのを防げたともいえるけど、変に西洋かぶれしているのを見たりしたら複雑な思いだったのかもしれないし、それとも三十年も雌伏した後だからその辺は達観していたのか…。

この特集読んでたら、俄然徳川慶喜に興味が沸いてきたので、『最後の将軍―徳川慶喜』を私的読みたいリストに加えました。あと、小石川後楽園もまた行きたいなあ。お正月も2日から開いていますしね。

そして、今回の特集にからめてか、毎回江戸東京博物館の資料を紹介している巻末の連載も、明治4年に撮影した北詰(桔)橋門の様子なのですが、雑草も生え放題という感じ…。新しいものの導入には、古いものの衰退が良かれ悪しかれ伴いますもんね。

今号は、「変化する時代の中にいる」ことに関してすごく考えさせられました。そして、形は異なりはすれども、今もかなり変化する時代のさなかですよね。思えば、小学生の頃、まさか冷戦構造が終わろうとは思っても見なかったし。これからも思いもよらないような社会の変化が起きるだろうと思うと、恐ろしくもあるし、楽しみでもあります。
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2010年11月03日

中央公論Adagio「柳田國男と牛込柳町を歩く」

都営地下鉄のフリーペーパー、中央公論Adagio。今号の特集は「柳田國男と牛込柳町を歩く」です。まず今号は、内容の前にページ数の薄さを感じてしまいました。去年の松本清張の号の頃はページ数も多く、営業さんが頑張って広告を取ったんだなあと思っていたのですが、ずっと広告を載せていたUR都市機構の広告も今はなく…。廃刊への風向きを感じてしまうのは私だけでしょうか。

さて、柳田國男と牛込柳町の関わりは、松岡國男が柳田家の養嗣子として入った邸宅が牛込加賀町にあったこと。「養家から木挽町にあった役所への通勤に毎日人力車を使っていたため」という記述には、そのお金の使い方にもびっくりしたけど、この頃(1900年)農商務省が銀座にあったということにもびっくり。昔からの商業地というイメージですが、国の庁舎なんかもあったんですね。

中央公論Adagioは、メイン特集で取り上げた場所とは別に、もう一つ取り上げた人とゆかりのある都営地下鉄駅を取り上げて紹介するページがあって、そちらで取り上げられたのは内幸町。やっぱり官庁街としてはこちらがしっくりきますね。そういえば、先日、虎ノ門から神田まで歩いたのですが、日比谷公園の西側の道を歩く形でこの辺を通りました。休日にこの辺を歩くと、人が少ないビル街を抜ける感じが結構気持ちいいです。…といっても、柳田さまは人力車でご出勤ですから、歩きはしなかったか(笑)。

他の記事では、「私のON/OFF」というインタビュー記事での桐野夏生。9月に単行本が出た『優しいおとな』のことを中心としたインタビューなのですが、自作にあまり肩入れしていない語り口というか、“この作品も、今まで出した&これから出す私の作品の中の一つにすぎない”っぽい語り口がなかなか面白いです。

それにしても、ページ数に見られる失速感が気になります。そういう私も、ではこれがフリーペーパーではなく有料だったら買うかと言われたら…買わないかも(笑)。ただ、多摩市に引越ししても、何らかの用事で都心に出るついでにもらいにいくくらいには熱心な読者なので(微妙だ 笑)、ぜひ頑張って発行し続けて欲しいです。
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2010年08月27日

中央公論Adagio「円谷英二と勝どきを歩く」

都営地下鉄のフリーペーパー、中央公論Adagio。今号の特集は「円谷英二と勝どきを歩く」です。今号は、この特集をはじめとしたいろんな記事で、私の知らないことをたくさん知ることができ、かなり読み応えありました。

円谷さんについては、特撮監督であるというぐらいの知識しかなかったので、電機学校(現東京電機大学)に在学中、生活費のために玩具会社で考案係嘱託として発明をしていたなんて知りませんでした。「自動スケート」なるものを発明したそうですが、「自動スケート」のイメージが沸かない…。wikipediaの円谷英二のページを見ると、「足踏みギアの付いた三輪車」と書いてありますね。三輪車にギアか…、三輪車といっても幼児用ではなく、小学生ぐらいが乗るような大きいものなのかな?

円谷英二が特技監督として戦意高揚映画を作ったために、公職追放されていたことも知りませんでした。私は特撮とかにはあまり興味がないのですが、円谷英二の人生や人柄というものに興味が沸いてきました。でも、wikipediaの円谷英二のページの参考文献も、やはり特撮等の功績から円谷さんを語るものっぽいものばかりのよう。どなたか、円谷さんの人生・人柄を描いている資料をご存知の方がいらっしゃったら、コメントいただけると嬉しいです。

その他の記事では、宮部みゆきのインタビューや、夜光虫に関する記事など。夜光虫って、虫というより「光合成を行わずに餌をとる植物」といえるような生き物なんですって。でも、まだまだわかっていないことも多い、不思議な生き物のようです。光るせいか、夜光虫を好んで食べる天敵もいない。何とも神秘的な生き物ですね。

といった具合で、円谷さんについてのいろんな話は面白かったのですが、円谷英二と勝どきのつながりとしては、「ゴジラが勝鬨橋を壊す」という繋がりしかなく、特集として謳うにはちょっと弱い…(笑)。中央公論Adagioも今号が22号ということで、都営地下鉄駅とからませるネタが尽きてきたか。こうなったら、私も「誰々と何処を歩く」ネタを考えて、編集部に勝手に投稿しようかな(笑)。


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2010年06月26日

中央公論Adagio「坂本龍馬と大手町を歩く」

都営地下鉄のフリーペーパー、中央公論Adagio。今号の特集は「坂本龍馬と大手町を歩く」です。ついにAdagioも龍馬ブームに乗っかってきたか(笑)。

私は未だに龍馬の大河を見たことないんですよね。ここまで見なかったら、もう見ないだろうなあ。中高生くらいまでは大丈夫だったのですが、今は「週に一度」というペースがダメで、見るなら一気に見るとか毎日見るのがいい(笑)。

で、坂本龍馬と大手町のつながりですが、

千葉定吉道場の位置については二説ある。ひとつは、古地図に「千葉定吉」の名がある日本橋堀留町の椙森神社付近。もうひとつは、土佐藩上屋敷に近い八重洲の鍛冶橋交差点付近だ。史跡がないため特定できないが、大手町界隈からであれば、いずれにも歩いて行ける。
鍛冶橋交差点を右に曲がれば、東京国際フォーラムの前に出る。かつて、ここに土佐藩上屋敷があった。
はい、確かに大手町から、東京国際フォーラムや日本橋堀留町、鍛冶橋交差点には歩いて行けると思います。でも…、これらの場所に行くのに、わざわざ大手町なんていうちょっと離れた駅から行かなくても(笑)。

東京での龍馬ゆかりの地で、真っ先に浮かぶのは立会川で、こちらも大手町のことを書いた次の記事で泉岳寺駅に少しからめているのですが、う〜ん、遠い(笑)。

どうも、都営線の駅と「土佐」「維新」のつながりは語れる、「土佐」「維新」と龍馬のつながりは語れる、でも、都営線の駅と龍馬のつながりとなるとすご〜く苦しいという記事になってしまっていますね。あとは、三菱グループの建物を紹介して、弥太郎→龍馬を連想させたり。残念ながら、都営線と龍馬はいまいち縁遠かったようです(笑)。

なので、あまり龍馬は考えずに大手町の記事として読むと、特集ページの冒頭を飾る「三菱一号館美術館」は気になりますね〜。これも厳密には「日比谷駅」の方が近いですけど(笑)。そのうち行ってみたいと思います。


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2010年04月28日

中央公論Adagio「九代目團十郎と東銀座を歩く」

都営地下鉄のフリーペーパー、中央公論Adagio。今号の特集は「九代目團十郎と東銀座を歩く」です。手に取るまで、特集を知らずにいたのですが、奇しくも「歌舞伎座さよなら公演」の最終日である今日手に取ったら、こんな特集だったものでびっくりです。あとは、30日に歌舞伎座閉場式をやったら、もうすぐ建替工事に入っちゃうのかな。

私は、歌舞伎座は二度行ったことがあるのですが、リアルタイムでテレビでも見る歌舞伎役者さんしかわからず、九代目團十郎と言われても、ピンと来ないんです。

なので、この特集も九代目團十郎個人というよりは、この時代の歌舞伎の変遷の方に興味を惹かれました。

一八七二(明治五)年、東京府庁は歌舞伎関係者を呼びつけて「道徳的な筋書き作り」と「作り話をやめること」などを申し渡していた。近代化を国策とした時代に、歌舞伎の荒唐無稽な筋立てが問題視されたのだ。
「かぶく」という言葉に、常軌を逸しているとか、奇抜などの意味があるのに、荒唐無稽がダメって??という気がしますが、実際に東京府庁の申し渡しの方向に変わっていったんですね。へぇ〜。

歴史のある芸能って、本当にその時代時代の影響を受けているんですね。そこで、古きを守りすぎたり、新しきを追いすぎたりせず、この両者をいいバランスに保つのが長続きの秘訣なのかな。

その点で、ちょっと面白かったのが、代々歌舞伎役者の足袋を手がけてきた「大野屋総本店」のご主人のコメントが、「歌舞伎座の建て替えといっても、実はあまり実感がわきません。商売がどうなるか、という心配がありますが……(笑)」とか、「伝統や文化を支える、という特別な思いはありません」とか、読んでいるこちらが拍子抜けするようなコメントなんです。それこそ、古きを守りすぎてもいないし、手のひらサイズの足袋(宝くじを入れるのだとか)を作ったり、新しいこともしているっぽいけど、それを追い求めすぎもしていない様子。

そういえば私、先日、銀座にもユザワヤがあると知って、かなりびっくりしたのですが、これも私が「古き銀座イメージ」に縛られすぎなのなあ。こうした、「時代の変化への対応」について、なかなか考えさせられた記事でした。

その他の連載記事では、「美味探訪」の筍特集のメニューの一つに惹かれました。「美味探訪」は、一つの食材をテーマに、都営線沿線のレストランのメニューを紹介するコーナーなのですが、中華料理屋さんのメニューで、筍を大きめに切って、ゆがいて塩でいためて、素揚げした青海苔を合わせる「筍と青のり」というものがあるんです。何のひねりもないネーミングですが、シンプルでおいしそうな気がしません?青海苔の素揚げなんて、食べたことないけど、どんななんだろう…。

あと、もう一つ印象的なのが、「海のTOKYO」コーナーにある青ヶ島の上空写真!二重カルデラという形も面白いのですが、何よりこの中央公論Adagio 20号 17ページ掲載のこの写真の、角度、天気等々が、すごくきれいでいいんです。「青ヶ島」で画像検索して出てくる画像のどれも、この写真には敵わない!…は褒めすぎか(笑)。

記事を読むと、従来予測よりマグマの上がっている位置が高かったそうで、今すぐどうこうというわけではないけど、それなりの注意が必要な火山だそうです。

こういうのを見ると、東京は広いって気がしますね〜。私、この写真、かなり気に入ったので、パソコンの壁紙にしちゃいました(笑)。


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2010年02月26日

中央公論Adagio「芭蕉と森下を歩く」

都営地下鉄のフリーペーパー、中央公論Adagio。今号の特集は「芭蕉と森下を歩く」です。

毎回の「誰々とどこどこを歩く」の特集、これまでの人物の中で一番古い人物が森鴎外だったので、今回の芭蕉でそれが塗り替えられたことに。都営線沿線にこだわるとこれが最古かな。それともこの先、『井原西鶴と〜』とかあるのかな。

芭蕉庵が森下近辺にあったというのは知っていましたが、深川の最初の草庵が火事になって、弟子達が同じ森下付近に庵を再建したとは、本誌で初めて知りました。それほどまでにこの辺りが居心地よかったのか、川のそばで水運を見張っていたのか、芭蕉の隠密説ってどれくらい信憑性があるのかわからないけど、謎ってワクワクしちゃいますね〜。

そして森下の芭蕉といえば、忘れちゃいけないのが回る芭蕉像。ライトアップされた姿は、見上げていた私に、通りがかりのおじさんが「気持ち悪いですよね」と声を掛けるほどです(笑)。

また、深川図書館のある清澄公園から、門前仲町に行く際に渡る海辺橋南詰には、縁側に腰掛ける芭蕉像があります。こちらも木のベンチに微動だにしない何かが座っている感じで、知らずに見たらギョッとするかも。森下の芭蕉像は、どちらも一癖あるもので、立案者が気になります(笑)。こういうのって、区の文化観光課あたりの立案になるんでしょうか。

Adagioは、いつもメイン特集の他にもう一つ、その人物ゆかりの場所を取り上げるのですが、今回のもう一つの場所は早稲田。都電荒川線の早稲田から近い関口芭蕉庵が紹介されています。以前、胸突坂下の神田川沿いの桜名所に行ったときに、関口芭蕉庵の脇は通ったんだよなあ。この桜並木も、芭蕉も含めた先人達が改修してくれたから、見られるんですね。

私にとっては、松尾芭蕉って「達観した人」というイメージがあって、なかなか取り付きにくい人だったのですが、この特集で芭蕉記念館次長の横浜文孝氏が「芭蕉も、最初のころの句には駄句が多いようです(笑)」とおっしゃっていて、ちょっとハードルが下がりました(笑)。

俳句といえば、ここのところ、とみながさんがちょいちょい俳句をつぶやくので、私も対抗して(?)、昨日今日と短歌をつぶやいてみました。これこそホントの駄首ですが(苦笑)。そして、昨日のに対するとみながさんの返歌はお見事!
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2010年01月05日

中央公論Adagio「谷崎潤一郎と人形町を歩く」

今号の中央公論Adagioは、「谷崎潤一郎と人形町を歩く」

谷崎潤一郎は人形町生まれなんですね。この特集を読んで初めて知った、いや、読んだことあっても記憶に定着していなかっただけという気もするのですが、吉原って浅草の方に移動する前は、人形町にあったんですね。明治座って、今の感覚では「何でこんなところにぽつんと」という気もしてしまいますが、当時は繁華街のそばだったのか。

今号では、人形町のほかに、谷崎の書いた文章に絡めて、本所吾妻橋も取り上げているのですが、
浅草の向こうの島「向島」は、牛島や寺島、洲崎など隅田川河口部が堆積してできた"島"や"洲"の全体を指す呼称だった。
のだそうです。へぇ〜、これまた知らなかった。
っていうか、牛島(言問橋の東詰辺り?)や寺島(寺島図書館がある辺り?)、洲崎(今の東陽町と木場の間あたり)が"島"や"洲"だったということ自体が、全く想像できません。。。

たかだか100年未満で、そんなに島や洲が地続きになるとは思えないから、もちろん人工的に埋めたんですよね、きっと。東京は、本当に埋め立てられて発展してきた(というほど、隅田川のこちら側は大した発展はしてないか? 笑)んだなあ。

それにしても、谷崎についての記事を読むうちに、今の私って潤いやいい意味の「陰」がないなあという気がしてきたので、近いうちに何か読んでみようと思います(笑)。「陰翳礼賛」なんかも、授業で一部を読んだだけで通して読んではいないもんなあ。

特集以外では、「私のON/OFF」では伊坂幸太郎のインタビュー。この中段辺りで、伊坂幸太郎が自分のことを「こんな人間だ」と語っていて、「あぁ、こここそが、私が伊坂幸太郎を嫌いな要因だなあ」と確認しました(笑)。物事を「しょうがない」と思うのは、ある程度必要な考えだと思うのですが、私の感覚からすれば、伊坂幸太郎(が描く人物)は「しょうがない」というあきらめ度が大きすぎで。

私は、以前、東葛西図書館の東葛西PRESSに登場するカッキーを、「伊坂幸太郎っぽい」と評して、カッキーご本人にがっかりされたことがあるのですが(笑)、伊坂さんと同じように距離を置いたところから物事を見ている感じがありながら、カッキーの方がちょうどいい前向き加減で、私は伊坂幸太郎の文章は読みたくないけど、カッキーの文章は読みたいです。

あ、そういえば、年末にいただいてきた、東葛西PRESSの感想をまだ書いていないから、そのうち書かないと。

さて、中央公論Adagioの話に戻しまして、巻末の、江戸東京博物館の資料を一つ取り上げるコラムは、浅野内匠頭が住んでいたお屋敷の絵図。浅野内匠頭って、今の聖路加看護大学付近にお屋敷を構えていたんですね〜。歴史好きの方には常識かもしれない話も、私は知らなくて、これまたへぇ〜、と。「忠臣蔵」って、私にとってはな〜んか入り込めない話なのですが、そうと知ったら、それまでよりは親近感が増すなあ。

と、今号の中央公論Adagioは、私にとって知らない東京の町の話がいろいろ載っていて、教えられるところが多かったです。まさに、地下鉄を使っての街歩き心をそそるに相応しいフリーペーパーですね。いつも無料で読ませてもらってありがとうございます。
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2009年10月27日

中央公論Adagio「横溝正史と牛込神楽坂を歩く」

都営地下鉄のフリーペーパー、中央公論Adagio。隔月25日に発行なのですが、今日住吉駅にもらいにいったらラックにはもう2冊しか残っていませんでした。人気があるのか、もともと置いている冊数が少ないのか、発行日から間もないことを考えたら前者かな。今号の中央公論Adagioの特集は「横溝正史と牛込神楽坂を歩く」です。

横溝正史は神戸から上京したばかりの頃、神楽坂の、その名も「牛込神楽館」というところに下宿していたのだとか。そうそう、この特集記事によると、牛込って奈良時代から牧場があったという説があるのだそうです。あの辺に牛がたくさんいた様子さえなかなか思い浮かばないのですが、まして牧場とは。。。まあ、私のイメージしている牧場(北海道の広〜い牧場イメージ)とは違う様子だったのでしょうね。

そんな引用文がなかったことから察するに、横溝正史と神楽坂は住んでいたという絡みだけで、横溝正史の作品に神楽坂が登場することはなかったのかな。確かに私のイメージでも、神楽坂って怪奇ミステリというよりは、松本清張的政界財界ミステリって気がする。

特集記事の中に新宿まち歩きガイド運営協議会会長の坂本さんという方の言葉で「神楽坂という街は、かつて繁栄し、それから没落し、おかげでギラギラしたものが削ぎ落とされ、落ち着いた街になりました」というのがあり、なるほどなあと思ってしまいました。ああいう街になるには、アップダウンを経ないといけないのね。まちづくり活動をしている皆さん、一度栄えて、それから落ちぶれましょう(笑)。

神楽坂上から大久保通りを南西方面(牛込神楽坂駅方面)に曲がって、大久保通りより日本南側の通りに入ると、新宿区中町図書館があります。狭い中に本がぎっしり積まれている図書館で、狭い路地で構成された神楽坂近辺らしい図書館といえますね。

今回は、おぉ〜というほどの内容ではなかったかな。今回の特集に絡めて、古谷一行の金田一のDVD通販をAdagioがやり始めたのが、ビジネスモデル的におぉ〜と思いましたが(笑)。フリーペーパーのあり方研究として要注目です。
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2009年09月01日

中央公論Adagio「森鴎外と白山を歩く」

今号の中央公論Adagioの特集は「森鴎外と白山を歩く」。最初、「森鴎外と白山??」と思ったのですが、これがなかなか。

私の頭の中でつながってなかったのですが、鴎外の居住地跡である本郷図書館鴎外記念室を団子坂と反対の方向に行けば白山なんですね。本郷図書館鴎外記念室には3度ほど行った頃あれど、毎回団子坂の上り下りしかしてなかった私。そうか、次に行ったときにはそっち側を歩いてみよう。

読者を小石川植物園まで導いて、ニュートンの林檎の木の接木から、文明開化を西欧の思想の接木に喩えるあたりなんて、ライターさん、なかなかやるじゃんと思ってしまいました。この「○○と△△(都営地下鉄駅のある場所限定)を歩く」という縛りに、いつまで無理なくやっていけるかと思ってたけど、むしろ号を重ねるごとに読み応えが増していますね。

Adagioではメイン特集の△△以外にもう一つ場所を取り上げて、サブ特集のように○○とのつながりを書いているのですが、そちらの場所は上野御徒町。こちらには鴎外が住んでいたことがある鴎外荘があり、「舞姫」と「うたかたの記」はここで書かれたのだとか。また、「青年」「雁」「普請中」の中には、この辺りが舞台として登場します。

私、「舞姫」って嫌いなんですよね。今の基準で読むのが間違っているのでしょうが、ただの優柔不断な男じゃありません(笑)?文学作品として読み解く以前に、主人公の豊太郎に男として最低の烙印を押してしまうのです。

で、このAdagioの記事がこれまた、豊太郎の葛藤を、不忍池に陽の光があたって乱反射する様子に喩えるのですよ。そう喩えられると、確かに収拾しようのない葛藤ってのは、人生の中にはあるかもなあ、と思っちゃったりして。これらの記事は無記名なのですが、どんな方が書いているのか、気になるなあ。

また、Adagioはスポンサー付き記事も捨てたものじゃないんです。毎号、カワイミュージックスクールの広告の上に、音楽を楽しむ人を取り上げた記事があるのですが、今回はカフェアンサンブルさんの記事。

この駒場にある喫茶店、「いつか、いつも音楽が溢れる喫茶店を開こう」と思っていたご主人が、定年後に開いたお店だそうです。年に数回、ご家族のコンサート(3人の息子さんが音楽教師・調律師・チェロ奏者という音楽一家)もされるとか。う〜ん、行ってみたい!
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