作家別:パトリシア・ハイスミス

2012年06月26日

『愛しすぎた男』パトリシア・ハイスミス

愛しすぎた男』読了。う〜ん、直近で読んだパトリシア・ハイスミス作品の『見知らぬ乗客』ほどの彼女らしさはなかったような。『見知らぬ乗客』は普通の人のちょっとした不満が犯罪へと流されていく様子が空恐ろしくていい感じだったのですが、『愛しすぎた男』は最初からちょっと普通ではないので、後半との落差をさほど感じられないんですよね。

主人公は普通じゃないといえば普通じゃないけど、可哀想といえば可哀想でもあるんです。既に結婚した女性アナベルに一方的に思いを寄せているデイヴィッドが主人公で、週末用に借りている家でアナベルとの結婚生活を想像して楽しみ、それにとどまらずアナベルへもいつまでも待っているからと手紙を送り続けている…というとただのストーカーっぽいけど、結婚前にアナベルもデイヴィッドにそれなりに気をもたせることを言っておいて、デイヴィッドが仕事で離れた場所にいる間に他の人と結婚したとなると、アナベルもそれなりに悪い女性なんですよね。

それに、デイヴィッドのように仕事で忙しい中、結婚の準備をしておいて、いざプロポーズをしようとしたら振られたような人って、実際にもかなりいると思うんです。テレビなんかでよくみる投稿ビデオで、サプライズのプロポーズってありますよね。あれってうまくいけば幸せなビデオになるけど、サプライズのつもりが相手はそんな気全くなしというパターンも絶対に存在するよなあと思ってしまう。だからといって、さすがに相手が他の人と結婚すれば普通はあきらめるわけで、デイヴィッドのようにいつまでも、君の結婚は間違いだ、僕は待っていると手紙を送り続けるのは確かに迷惑なのですが。

個人的には、小説の書き出しがアナベルの結婚前から始まってくれたら、普通の人がストーカー犯罪者へと崩壊していく過程がパトリシア・ハイスミスの筆で描かれるのが楽しめたと思うのですが、結婚して2年も経ったあたりから始まるのでちょっと残念です。楽しめるというか、パトリシア・ハイスミスを読んでいると、犯罪者とそうでない人の差なんて紙一重なんだなと思えて、下手なホラーものなんかよりよほどヒヤッとするんです。

そうはいっても、ちょっと精神が不安定な人から、かなり精神が不安定な人へと崩壊していく様子は、やはりハイスミスらしさ満載。心の隅では、アナベルとの結婚を想像するのは傷ついた心を癒すためとわかっているのに、そのまた一方で、本当の本当は夢が叶うと信じることをやめられなくて、何度も揺らぎながらも後者の思いが異常に膨らんでいく。

よく、忘却は能力の一つというか、人は嫌なことや不要なことを忘れられるからこそ前向きに生きていけたりするなどと言いますが、あきらめられることも能力の一つですよね。あきらめないというのは比較的いいこととして扱われることが多いですが、現実的にはあきらめも必要。特に恋愛みたいに相手があることは。個人的には、近年割りきりがよすぎてよくない気もしますが(笑)。ちょうどいい感じになるのはなかなか難しいですね(笑)。

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2012年06月09日

『見知らぬ乗客』パトリシア・ハイスミス

見知らぬ乗客』読了。パトリシア・ハイスミス、ここにあり、というサスペンス小説です。

建築家のガイは、列車の中でブルーノ―という男と知り合う。知り合うというより、勝手に好意を持たれてまとわりつかれるという方が正しいですが。ガイが会話の中で、妻のミリアムが他の男の子供を妊娠しているのに離婚を先延ばしにしてやっかいだということをもらすと、ブルーノーも自分の父親をやっかいに思っていると打ち明け、お互い邪魔者を殺そうと交換殺人をもちかける。ガイは相手にしないが、しばらくしたところでミリアムが殺される。ブルーノが一方的に交換殺人をはじめてしまったのだ…というストーリー。

私は見ていないのですが、ヒッチコックが映画化したものの、後半のストーリーは原作とは違うようですね。『太陽がいっぱい』もそうですけど、パトリシア・ハイスミスの心理描写はなかなか映画にはしにくいよなあ。殺人を犯しても犯人だとばれずにいる人の心理描写が、単に「良心にさいなまれる」などの単純なものではなく揺れる揺れる。周囲の人たちの行動に対しても、深読みしすぎるかと思えば、ナメてかかったり。小説ではその部分こそが読み応え十分です。

また、この小説では、ブルーノーは最初から殺人計画を立てたりするような人間だったものの、ガイは犯罪とは無縁の存在。なのに、勝手にブルーノーが交換殺人の片割れを実行してしまったことで、精神的に迷い道に入っていくあたりが恐ろしい。善人と悪人がはっきり分かれているわけではなく、誰でも両方の面を持っているというガイの言葉は、確かにそうなのかもなあ。だいたい何が「善」かって、かなり難しい命題ですしね。ちょっと話がずれるかもしれませんが、私は原子力発電所を再稼働させることが国民の生活を守ることだとは全く思いませんし。

話を戻すと、善悪とか社会的規範とか、なんとなく皆同じ思いだろうみたいな概念を全く無視する登場人物がいて、読んでいるうちにこちらの概念もあやふやになっていってしまうのが、パトリシア・ハイスミスの魅力です。凝り固まった脳を求めている以上にほぐされる感じで、私は好きです。

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2011年11月22日

『生者たちのゲーム』パトリシア・ハイスミス

生者たちのゲーム』読了。クセのある作家、パトリシア・ハイスミスの小説です。

リーリアはテオとラモンと二股かけて付き合っていたが、テオとラモンは互いにそうと知りつつ友達であり、時には三人で会うこともあるという奇妙の関係。だが、ある日リーリアが殺されてしまう。そうして残されたテオとラモンの不思議な関係を描く物語です。

リーリアを巡ってのライバル関係といえるテオとラモンは、リーリアの愛し方やリーリアの死の受け止め方が全く違う。でも不思議なことに、互いをわかろうとするというか、理解したいのと理解して欲しいのとが混ざったような形で、一緒にときを過ごすんです。リーリアを自分のものにしたいという意味では敵同士であったはずなのに、この奇妙な関係。でも、わからないでもないというか、特にその人を永遠に失ってしまった今、その人を思う気持ちを共有しあえるのは、ライバルだけってのもありますよね。

パトリシア・ハイスミスは、事件が起きる小説の場合でも、犯人探しや謎解きを問うのではなく、事件によって関係者の心がどう揺れ動くかを描く小説なんですよね。それも登場人物がかなり突飛な行動を取ることが多い。理性で行動しているつもりが、急に感情的になったりする、それが何かわかる気がして、私は結構好きです。

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2011年08月20日

『ゴルフコースの人魚たち』パトリシア・ハイスミス

ゴルフコースの人魚たち』読了。『太陽がいっぱい』で有名なパトリシア・ハイスミスの短編集です。原作の『太陽がいっぱい』は、アラン・ドロンの映画とは違って、リプリーが掴まらずにほとんど運のみを味方として犯罪をくりかえすシリーズとなっていて、その勧善懲悪完全否定っぷりが好きな人にはたまらないと思うのですが、この短編集もいわゆる普通の小説のようなオチのすっきり感などはなく、ハイスミスらしい“もやもや感”いっぱい(笑)の作品ばかりです。

ちょっとしたことがきっかけで夫婦仲が悪くなり離婚していく様子とか、隣の芝生が青く見えて心に芽生えた劣等感が異常に膨らんでしまうとか、11作品の状況はそこら辺に転がっているといえるようなありふれた状況。それが最悪の状況に転落していく様子を読んでいくと、引きずりこまれてしまうというか、フィクションとして楽しむには身近すぎて怖いくらいなんです。最悪の事態まで転落するストーリーもあれば、何とか踏みとどまるストーリーもあって、そこもまたリアルに感じられて怖い。

実際、人間って全ての行動を意思的にやっているとは限らなくて、ふとしたことが思わぬ結果をもたらしたり、偶然のできごとに後から意味づけしたりもしますよね。努力しても報われない人もいれば、運で成功しちゃう人もいるけど、人ってそれを納得するために、「あの人は努力しているけどここがダメだ」とか「一見運に見えるけどこういう努力もしている」とか頑張って説明をつけちゃったり。

そう解釈する方が納得しやすいからそうするのでしょうが、そこのところをハイスミスは冷徹に綴るのが、読んでいて何か気持ちがいいんです。うるさい意味づけがなくて。そういうときはそうなっちゃうものだと受け入れるしかない、みたいな潔さ。

そんな作品なので、読者を選ぶと思います。現に、私のブログきっかけで『太陽がいっぱい』を読んでみたけどダメだったという人を私は2人知っていますが、読んでみてよかったという人は1人も知りません(笑)。そうだなあ、斜に構えて世の中を見ている人なら楽しめるのかな。ひねくれモノだという人は、ハイスミスお薦めです(笑)。
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2009年11月10日

『死者と踊るリプリー』パトリシア・ハイスミス

死者と踊るリプリー』読了。トム・リプリーは、シリーズ最初のディッキー・グリーンリーフ殺害に始まり、絵画贋作に関わってそれに気付いた絵画愛好家を殺害したり、その他成り行きでいろいろ罪を重ねてきたのに、いずれも幸運に恵まれて犯行がバレずにきました。が、今回はトムの犯罪に気付いた暇人が、暇に任せて過去の被害者の関係者を連絡を取って、トムの罪を暴こうと周囲をうろつきます。トムは好奇心で行動している暇人の攻撃をかわせるか? というお話。

こう書いてみると、パトリシア・ハイスミスの世界は本当におかしな世界だよなあ。罪を暴こうとする人でさえ好奇心が動機で、誰も正義感を持ち合わせている人がいない(苦笑)。

それでも、今回は珍しく、というか初めてか、トムは誰も殺さなかったんですよね。全然自慢になりませんけど(笑)。

トムの場合、現実的にはお金のために罪を犯すのですが、彼の感覚としては「自分の美意識に反するものを排除する」という感じで、現実的には自分の生活を脅かす人であっても、美意識に適う人であったら手を出すのを控えたり、それどころか自分には関係ない犯罪を手伝ってあげたりするんですよね。そこが何か、犯罪者なのに憎めないんです、この人。

そんな彼ですが、今回は大嫌いなタイプの人間にも直接手を下す必要なく問題解決。しかもその暇人にわずらわされている間も、心なしかこれまでのシリーズ作品に比べたら神経質になっていなくて、やっと「嫌なヤツは排除する」という犯罪気質から成長したのでしょうか。

一応、シリーズ完結作のようなので、5作目にしてやっと犯罪者からの卒業なのかも。とはいえ、6作目が自然に書けそうな終わり方でもあるんですけどね。

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2009年01月15日

『リプリーをまねた少年』パトリシア・ハイスミス

リプリーをまねた少年』読了。トム・リプリーシリーズは、罪悪感だとか善意だとかについての考え方を揺さぶってくれるシリーズですね。『太陽がいっぱい』から毎作品殺人を犯しているトムですが、罪悪感が全くないわけではなく、本人なりの筋があっての行動で、普通の人は絶対しないような親切心(?)を持っていたりして、もう訳がわかりません。

今回の作品では、富豪の父親を殺してしまった少年が、報道(『太陽がいっぱい』での疑惑は、スキャンダルとして報道されているので、トムは疑惑に満ちた人物として有名なのです)で知っていたトムを訪れる。自分の行動を正当化する気持ちと罪悪感に挟まれて混乱している少年をトムは世話してあげるのですが、その間に少年が誘拐されてしまう。

で、世話する義理もないのに世話していたトムは、この誘拐に対してもやっぱり自らの命を危険にさらして、少年を救うのです。でも、これって義侠心とかってよりは、結局のところトムは犯罪に首を突っ込むのが好きだからって感じが漂っているんですよね。それ以外の動機としては、少年に(変な意味ではなく)好意を持っているとか。とにかくトムの行動は「〜すべき」という考えではなく、「〜したい」という感情優先なんです。

そこのところが、モラルに欠けているのに何とも憎めないトムの魅力なんでしょうか。したいこと優先で生きるのって、実際なかなかできませんけど、それができるトムの自由さが読んでいて気分よくなっちゃうのかな。

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2008年12月30日

『アメリカの友人』パトリシア・ハイスミス

アメリカの友人』読了。今回はトムの友人が、誰か殺人の依頼を引き受けてくれる人を探していることから始まるストーリー。その話を聞いた少し前のパーティで、白血病であと数年の命であるという男が、トムに対して感じ悪かったのを思い出し、トムは彼に殺人を引き受けさせようと企みます。彼の命があと数年ではなく、かなり死期が迫っていると思い込ませることで。

残りわずかの命というデマを流された男は、本当に依頼を引き受けてしまい、1件目の依頼はたぶん本人もよくわからないままに成功してしまう。が、2件目の依頼は、素人にはかなり難しい依頼で、どうすりゃいいんだと途方にくれているところにトムが登場し、替わりに殺人を実行してくれちゃうのです。トムに報酬が支払われるわけでもなく、元々の依頼者に頼まれたわけでもなく、彼一人では無理だろうから手伝ってやろうというだけの理由で。

トム・リプリーという男、ちょっとおかしいでしょ(笑)。もはや、アラン・ドロンのイメージなどかけらもありません。

そして、こんなおかしい男を主人公にしたシリーズを、なぜ私は読み続けているのでしょう(笑)。殺人っていうのが普通じゃないだけで、自分に対して嫌な態度取った人にちょっと何かしてやりたいとか、でもホントに困らせちゃったら助けてあげようかというのが、誰しも持つ気持ちだからかなあ。

この小説の原題、『Ripley's Game』っていうんですよ。この人にとって、この小説で起こったことはゲームなんですね。ホントにひどい男だ(笑)。でも、何か可愛いというか、好きか嫌いかって言ったら好きなんだよねえ。

こんな作品を書くパトリシア・ハイスミスってどんな人なのでしょう。このシリーズを読み終わったら、他の作品も読んでみたいです。

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2008年12月09日

『贋作』パトリシア・ハイスミス

贋作』読了。『太陽がいっぱい』に続くトム・リプリーシリーズの2作目です。

『太陽がいっぱい』では危なっかしかったトム・リプリーですが、『贋作』では荒唐無稽の域に達してしまっています(笑)。トム・リプリーが荒唐無稽というより、このシリーズがというべきか。崖から落ちて自殺した遺体を、ガソリン掛けて燃やして、そこから歩いていけるところにバス停があるというのに、誰にも見つからないってあり(笑)?

「罪と罰」のラスコーリニコフばりにわけがわからないトム・リプリーの行動や思考回路。しかも頑張って一人で犯罪を犯していた『太陽がいっぱい』と違って、今回は仲間や妻にも自分の犯した罪を説明して、嘘をつくのを手伝ってもらう。それでも、何故か捕まらない。何なのでしょう、この人は(笑)。

仲間といっても一蓮托生という感じではなく、他人に対して一線を引くところがあるのに、犯罪の一番汚い部分はトムが自分でするんですよね。まあ、犠牲の精神などではなく、思いつきでやっているので結果的にそうなっているというだけなのですが(苦笑)。

もはや運だけで生きていると言ってもいいような男。なのに、何か可愛いんですよね。トム・リプリー、危険な男です(笑)。

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2008年11月28日

『太陽がいっぱい』パトリシア・ハイスミス

太陽がいっぱい』読了。いやあ、この結末には参りました。この小説、すごいですね。アラン・ドロンの映画とは全く違う。ある意味、映画の方の『太陽がいっぱい』は健全とでもいうか、普通の犯罪ストーリーかも(って、観てないのに言うか 笑)。

ネタばれを書いてしまうので、それでもいい方のみ続きを読んでくださいませ。続きを読む
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