作家別:谷崎潤一郎

2010年10月18日

『少将滋幹の母』谷崎潤一郎

少将滋幹の母』読了。少将滋幹の母・北の方を取り巻く男・息子を描いた作品。周囲の男性たちは、見方によって可愛げもあり滑稽でもあり、現代にも通じる心の揺れ方などが描かれています。

少将滋幹の母・北の方は、老大納言・藤原国経の妻だったのですが、左大臣時平に妻を奪われてしまう。一方、昔の情人・平中も、左大臣の妻となった北の方を忘れられず、幼い頃の滋幹に協力させて、文を北の方に送ったりしている。滋幹は、国経と北の方の間に生まれた息子で、幼い頃は母に会わせてもらえたものの、次第に立場上会えなくなる。ときがすぎ、左大臣も他界して、尼になった母に偶然出会う滋幹…。

こう書くと、美しい女性を取り巻くロマンチックな物語っぽいですが、平中なんて、あっちこっちの女性に手を出して、侍従の君というつれない女性をどうにか落とそうと夢中になっているところで、時平に北の方を奪われて悔やんでいるわけで、単なる「ハードルが高いほど燃えるプレイボーイ」と言えばそれだけの人(笑)。

滋幹自身も、幼くして母を奪われた悲劇の息子なんだけど、立場上の障害がなくなっても、すぐに母に会いに行かない心のうちには、思慕の思いが強すぎて、心の中の母より確実に老い寂れている実際に母に会う怖さがあったり…。心の中で美化したものに関する現実をみたくない気持ちって、ありますよね。

そして、何といっても複雑なのは、老大納言の国経。策略によって妻を奪われるというのが、追い込まれて自ら「これを引き出物として差し上げます。お受け取りください」と妻を左大臣に差し出してしまうんだからすごい話です。左大臣の策略がまんまと成功したわけですが、その裏で国経のほうにも、「左大臣がそこまでして欲しがるほどの美しい妻を持っている自分」という虚栄心が全くないとは言えない。

妻を満足させているか常に不安だった国経にしてみれば、「自分の妻に心変わりされた」のではなく「左大臣の策略によって連れ去られた」という状況は、まだ自尊心が保てるものなのかもしれない。実際には、連れ去られる前に、妻は平中と浮気しているのですが、上司に力ずくで奪われたことより、その浮気の事実を知らされることの方が国経にとっては辛いかもしれません。

そして、これもさすが谷崎という点だと思うのですが、国経が北の方を寵愛する描写は、特に女性の私にはやっぱり気持ち悪くて、国経が単なる「若い男に若妻を奪われたかわいそうなおじいちゃん」には見えないんです。毎晩50歳以上年上の老人にべたべたされて、妙に卑下されてめそめそされたら、正直気持ち悪い…というのは、私の個人的な感想かもしれませんが(笑)、北の方も時平に奪われる前にだって平中と通じたりしてたんだし、国経の妻という役割を与えられたのを果たしていただけだったのだろうなあと。

と、想像で補っていくしかないくらい、北の方自身の様は全く描かれていない。思われている対象のことをあまり描かないことで、「思慕」という感情だけがより浮き出てくるような、面白い作品です。

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2010年10月15日

ビデオ『猫と庄造と二人のをんな』

先日読んだ、谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のおんな』、森繁久彌・山田五十鈴・香川京子で映画化されたものを23区立図書館で検索してみたら、港区立図書館でのみ所蔵していたので、予約してみなと図書館で視聴してきました。

みなと図書館の視聴ブースは2台分あるのですが、結構利用されている率が高いようです。私、日曜に一度行ったのですが、開館時間内の利用が既に埋まっていたので断念。金曜の14:30頃行って、15:55からなら空いているということで1時間半待っての視聴でした。

映画『猫と庄造と二人のをんな』については、事前にヘビーユーザーさんやtwitterでお話した方から、香川京子の魅力を聞いていましたが、私もやられました(笑)。それに、香川京子って清楚なイメージがあったので、その勝手なイメージとのギャップに衝撃。遊びまくり不良娘の崩れ具合がちょうどよくて、確かに庄造以外にもらい手がないほど遊びまくっている風だが、遊びでいいならぜひともちょっかいを出したくなるような…。

ストーリーとしては、本の感想にも書いたように、庄造を本気で奪い合っているというよりは、庄造なんてネタにすぎなくて、女性陣は競争に勝つことが目的だといことを強く感じさせるもので、広く解釈すると、競争社会に順応できない人(=庄造)を描いた作品ともとれる。この映画は1956年のもので、ちょうど高度経済成長の初期ですし。

で、順応できない庄造は、本当に自分の気持ちをわかってくれる猫のリリーを溺愛しているのですが、リリーと会話できるわけではないので、実は庄造がそう解釈しているに過ぎないだけなんですよね。実際のリリーは、山田五十鈴演じる前妻の品子に順応しちゃったわけですし。

小説の方は、庄造を材料にバトルしている様を描いているだけなのですが、映画の方は庄造自らのセリフとして“自分はバトルの材料に過ぎず、リリーに救いを求めている”ということを言っているので、余計に虚しさが感じられます。

ただ、映画の方は、庄造を取り巻く女性のバトルを時系列で追っているところが、小説よりも冗長に感じてしまう面もありました。小説は、前妻品子が後妻福子に手紙を送るところ、ある意味女同士のバトルが成熟期に入っているところから始まるのですが、映画は品子が家を出て行くところから始まり、家を出てしばらくしてから、福子が後釜に入ったと聞いて、やっとバトルが始まるんです。原作を読んでいるせいかもしれないけど、最初のほうは「バトルはまだか~」とちょっと退屈になっちゃった(笑)。

この辺は、谷崎潤一郎の小説の構成の上手さに感服します。今、『少将滋幹の母』を読んでいるのですが、この作品も構成がよくて。今日は、『猫と~』のビデオを見た上に、行き帰りの電車内で『少将滋幹の母』を読んでいたので、谷潤三昧の一日でした(笑)。


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2010年09月27日

『猫と庄造と二人のおんな』谷崎潤一郎

猫と庄造と二人のおんな』読了。私にとっては、『痴人の愛』や『春琴抄』のイメージが強かった谷崎潤一郎ですが、今年に入って読んだ谷崎本(といっても、これが今年2冊目で、あとは『谷崎潤一郎犯罪小説集』しか読んでないけど)のおかげで、谷崎イメージが広がりました。教えてくださったヘビーユーザーさん、ありがとうございます!

私にとっての谷崎潤一郎は、「理」のイメージなんです。美の追求なんかも理性を働かせている気がするし、倒錯の世界なんかも、本来あるべき「理(ことわり)」を破ることに快楽を覚えるわけで、ルールがなければ破ることもできない。だから、読んでいると、こちらも理を働かせて読むという感じだったのです。

それが、この作品からは「理」は全く感じられず、「情」を感じるんです。「人間が猫に翻弄されている様を描いている」という読み方もできるのでしょうが、人間達は「翻弄されている愚かなもの」というよりは、むしろ愛すべきキャラクターばかりだし、庄造と二人のおんなによる三角関係(いや、猫のリリーも加えて四角関係か)なのですが、対立しているもの同士が本当に嫌い合っているように見えない。リリーと品子(二人のおんなのうちの一人)が仲良くなっちゃったみたいに、何かきっかけがあれば、皆仲良くなっちゃうんじゃないかと読めてしまう。

そもそも、庄造を奪い合っているはずの二人のおんなも、本当にそんなに庄造のことが好きかっていうと、あまりそうとも思えない(笑)。この小説の登場人物の中で、本当にこの人はこの人が好きでたまらないんだと思えるのって、リリーを愛する庄造だけなんです。

この小説は、庄造一人に対して、前妻・今の妻・姑という三人の女と一匹のメス猫がいて、庄造の気をひきあっているという構図なのですが、庄造を本気で奪い合っているというよりは、庄造なんてネタにすぎなくて、女性陣は女同士のいざこざを張り合いにして楽しんでいる気もします。世のモテる男性諸君も、実は女同士のバトルの材料にすぎないのかも(笑)。

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2010年01月21日

『谷崎潤一郎犯罪小説集』谷崎潤一郎

谷崎潤一郎犯罪小説集』読了。ほぉ〜、これはいいですね。コメントでヘビーユーザーさんに「乱歩が強い影響を受けた作品」だと教えていただいて、なるほどと読んでいたのですが、私には乱歩よりこちらの方がいいです。この本には4作収録されているのですが、後の方の作品になるほどいい。

このブログにも一度書いたと思うのですが、乱歩って私には耽美耽美しすぎなんですね。その点、谷崎は自分の耽美を一歩引いて見る目があるのがいい。4つ目に収録されている『白昼鬼語』なんて、美女が悪事を犯すのを二人の男が目的する話なのですが、その二人が「悪事を犯すのが美女なのがたまらん」「いや、悪事を犯しているから美しく見えるだけで、冷静に見たら大した美人ではない」と論じ合うんです。

谷崎の他作品をもっともっと読みたくなりました。次は何にしようかな。

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