東京図書館制覇!Blog版

東京23区の公立図書館を全て訪れたサイト「東京図書館制覇!」の管理人TakeniのBlogです。

カテゴリ: 作家別:吉田修一

元職員』読了。自分の中にある生真面目さと狡猾さの折り合いをつけられずにいる主人公が、とても痛々しい物語です。

タイに一人旅に来た公社職員・片桐は、タイで出会った人々が現実から目をそむけて毎日を楽しく過ごすのを見て、やたらと真実を知ろうとしたり誠実さを見せて、ガイド役となってくれた武志にうんざりされます。でも、それは正義感や真面目さからきた態度ではなく、片桐自身が現実から目をそむけるべくタイに来たから。タイで出会う「ダメな日本人」の要素は片桐自身も持っており、彼らを批判的に見ているつもりが、実は自分自身を追い詰めている。

自分も周囲を騙しているくせに、享楽的に生きている武志の言葉を疑い、紹介された娼婦の本当の身の上を知ろうとする片桐の態度は、いつばれるかとびくびくする生活からの逃げ道を探しているように見えます。他人の嘘を追及することで罪悪感を減らしたいという思いもあるだろうし、自分はびくびくしているのに彼らはなぜ楽しそうに暮らせるのかを知りたいという思いもあるはず。善人であり続ける誠実さはないけど、悪人にもなりきれない弱さ。片桐の姿を通じて、そんな人間の悲しさを感じさせられます。

ガイド役の武志が、どうせ皆嘘つきなんだから、その嘘に乗っかればいいというようなことを言うシーンがあるのですが、確かに、他人を騙そうという悪意からくる嘘もあれば、希望を持つための嘘というのもあって、どこの世にも嘘は必ずある。でも、乗っかっていい嘘と乗っかってはいけない嘘があって、そこを踏み間違えると奈落の底に落ちてしまうのかもなあ。

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静かな爆弾』読了。吉田さんの本を何か借りようと思って、図書館の本棚に並んでいたところから手に取ってパラパラめくって、インスピレーションで今回はこれを読んでみようと思った本です。

予約受取ばかりでなく、こういう選び方をときどきしておいた方が、本選びの感覚が磨かれる気がします…なんて書いたところで、私の場合はどの図書館で借りるかをサイト更新の都合に合わせることが多くて事前に決められないので、予約はほとんど使わないのですが(笑)。行く図書館を決めたのちにカーリルを使って、私の読みたい本の中でその図書館に在庫しているものをチェックして借りるというのが、私のパターンです。

この小説は、耳の聴こえない女性と出会って恋をした報道記者の物語。報道記者といっても、小説の舞台となっていいる時期には報道から外されており、そんな時期に意思の伝達手段が限られている女性と出会ったことで、思いを伝えることの難しさや、自分のいる状況を把握することの難しさに敏感になっていく主人公の報道記者を見ていると、私自身も鈍感さを省みてしまいました。私ももっと伝えることに繊細になりたいなと思える、気持ちのいい小説です。

吉田さんの作品って、犯罪者や性的マイノリティなど、少数に属する人を登場人物にすることが多いけど、それによって特別な世界を描いているのではなく、そうやって浮き彫りになることが実は誰にでもあてはまるということを描いているように思います。

耳の聴こえない相手に、口にすれば簡単なことを筆談しないといけないのがときにもどかしくなったりもするんだけど、じゃあ口にすれば確実に伝わっているかというと、全然そうとは限らない。また逆に、小説内で彼女が主人公に、愚痴があるなら口頭で吐き出してくれれば、全ては読み取れないかもしれないけど唇を読んで受け止めるからと言うシーンがあるんです。こうしたシーンにも、確かに愚痴を聞いてもらうというのは、情報として正確に伝えたいというより、吐き出したものを受けてもらうことこそが大切なのかなとも思ったり。

伝えるということにやや鈍感、いや、ポリシーを追うがゆえに報道から外された報道記者ということもあって、鈍感というよりは驕った面さえあった主人公が、伝えることの難しさに敏感になっていくところが、単なる恋愛小説以上に沁みます。小説自体も、音の描写が少なくて風景描写が多めで、静かな小説という様子。私は残念ながらうるさい街中のカフェで読み切ったのですが、美術館のような「街中にあるのにしんとした場所」で読みたくなる小説です。

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さよなら渓谷』読了。私は図書館に行くとき、特に最近はウォーキングで行くことが多いこともあって、まずは新聞・雑誌コーナーで雑誌を見ながら一休みするのですが、今あちこちの雑誌に映画『さよなら渓谷』主演の真木よう子のインタビューが載っているんです。それらを読んで本を読んでみたくなって手に取りました。

が、私、途中で、真木よう子を少し恨みました(笑)。原作は、真木よう子演じるかなこの持つ過去が、かなり読み進むまでわからない、むしろ隠すべき過去は別の人が持っているように書かれているのですが、その秘密をインタビューで簡単に言ってるんだもん。そのハードな役を演じ切ったところを見て欲しいという気持ちはわかりますが、できることならタイムマシンで真木よう子が各雑誌のインタビューを受けている場にタイムトリップして、役どころを説明しようとするたびに口をふさぎたいくらいです(笑)。

まあ、現実的にできることは、吉田修一作品を映画化されたりする前に読むということですね。これからは本当にそうしよう。

というボヤキはさておき、私はこの本を家の最寄りのコメダ珈琲店で読みながら泣いてしまいました。隣席は空いていたので、誰も気持ち悪がらせてないと思うのですが(笑)、ネタバレを恨みながらも尚泣けてくる作品なんです。

真木さんに文句を書いている以上、私もネタバレせずに書かなければなりませんが、理解されている・理解している関係というものについて考えさせられました。同じ体験をしているからって人が理解しあえるとは限らない。逆に、なかったことにしたいような過去に対して、違う立場で関わった人でも、引きずり方によって理解しあえる部分があるのかも。いや、「理解する」なんて言葉を簡単に使っちゃいけないな。

なかったことにしたいような過去を持たない人との間に垣根があるとして、その垣根をお金の力で越えてしまう人もいれば、周囲の支えで乗り越える人がいたり、乗り越えられずにのたれ死ぬ人もいたりするなか、途方に暮れて立ち尽くす人がいる。でも、一人じゃなくて、同じように立ち尽くす人がいるって感じかな…って、これでは、ネタバレではないけど、抽象的すぎて訳わかんないですね(笑)。

もちろん、本当はそんなひどい体験をしない方がいいんだけど、吉田さんの言わんとするところは、現実的になかったことにしたい体験をしてしまうケースというのは存在する、でもそんな人でもその先の人生が全く望みなしというわけではないということなんだと思いたいです。いや、実際にはひどい体験をしたからこその結びつきとして描いているのかもしれないけど、私はそこまでひどい経験をいいものとは思いたくない。そこまでしないと結びつきあえないとしたら、人間という生き物が悲しすぎる。でも、もしかしたらそんな悲しい生き物なのかもしれないな…

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最後の息子』読了。先に『悪人』を読んでいる私には、想像が膨らんで切なくなってしまう本でした。

この本には表題作に加えて「破片」「Water」の2編が収録されているのですが、特に「破片」の主人公・岳志は「悪人」の祐一(映画で妻夫木聡が演じた役)を思わせる人物なんです。好きになった女性を過度に守ってあげようとして執着するところなどは、祐一の佳乃(祐一に殺される女性で、映画で満島ひかりが演じた役)への気持ちを連想させられます。

ただ、「破片」の岳志のほうには兄がいて、彼自身は無職で同棲する女性の稼ぎで暮らしている。一見女性との付き合いのあり方が正反対な二人ですが、どちらも「女性は男が守らなければ」という考えに縛られているのが、弟は盲信、兄は反発というかたちで表面化しているように見えるんです。表れ方は逆だけど、元は一緒のような。

「最後の息子」はオカマバーを経営する閻魔ちゃんの家でヒモのように暮らす「ぼく」を主人公とする短編ですが、主人公は働きもせずに好き勝手に暮らしているかというとそうでもなくて、閻魔ちゃんはどうしようもない男に尽くすのが好き、だから閻魔ちゃんの求める「どうしようもない男」を正しく演じないと捨てられてしまうという考えに縛られているんです。

こうしてみると、どの作品も守る・尽くす役と守られる・尽くされる役を意識しすぎて、それがともすれば悲劇にもつながる様を描いている気がします。凸と凹はうまく組み合えばぴったりはまるのに、出っ張りすぎたり引っ込みすぎたりすると、途端に嵌らなくなってしまう。物理的な凸凹はそう簡単には変わらないかもしれないけど、気持ちの凸凹は日々のあれこれで形がすぐ変わってしまいますしね…。

最後に収録されていてる「Water」は高校の水泳部を描いた作品で、周囲にうまく組み合わないできごとなどあるなか、主人公・凌雲は流動性をもってうまく暮らしている作品なのですが、これが最後に収録されているところが切なくなってしまうんです。家族設定や状況などが「破片」とほぼ同じであるだけに、「Water」の凌雲みたいにうまい方向に進んでいけば「破片」の岳志もあんな行動はとる人にはならなかったのかもしれないのにと思ったり、逆に高校卒業後の経験によっては凌雲も岳志みたいになってしまうのかもと思ったり。

似たような設定の作品を繰り返し書く作家さんっていますよね。吉田さんの「Water」「破片」「悪人」は主人公の人となりに似たところがあると思うのですが、他人を思う気持ちが強いという性格がいかようにも転ぶ可能性を見せられているようで、とても切なくなります。

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悪人』読了。今更ながら読みました。図らずも、実世界で一つの逃亡劇が終了した日に逃亡小説を読み終わり、しかも冒頭さびれた久留米の町で、登場人物がここから松田聖子が巣立ったんだと感慨にふけるところなど、妙に現実とシンクロしている感じ…。いや、もちろん小説の逃亡劇と現実の逃亡劇は、「逃亡した」ということ以外は全然違いますけど。

小説を読み終わってまず思ったのは、祐一みたいな人ってホントにいるんだよなあということ。つまり、本当に相手に気づかれない形で、自分が悪者になることで大事な人の気持ちを救ってあげようとする人ですけど、私が今まで出会った人をざっと振り返っても2人いますもん。そういう人こそいい人と出会って幸せになって欲しいのに、大事な人を違う形で救えばいいのに、自分が悪者になるやり方を選んでしまうんですよね…。

一方、そういう人と似てて異なるような、悪者になってあげている自分をしっかり周囲に気付かせる、似非犠牲者ホントは自分が可愛いという人もたくさんいますよね。私はこういう人は嫌いなのでかなり冷たくしますけど(笑)。

でも、そうやって自分が犠牲になることが純愛かというと(Amazonの内容紹介に「純愛劇」と書いてあった)、違う気持ちもあると思うんですよね。短い期間で気持ちが盛り上がっているうちに、本人たち以外の要因で引き裂かれる恋愛は確かに美しく見える。だけど、引き裂かれる要因がなく関係が続いたらそのままでいられるかというと、気持ちが変わったり飽きたりするかもしれないし、少なくとも最初の熱は冷めますよね。そういう視点で考えると、祐一が最後にとった行動は、光代が自分を待ってくれると信じて、その結果心変わりされたり飽きられたりするよりは、自分から先に背を向けたのだともいえる。信じて裏切られるよりは、悪者になって人と信頼しあう関係を築かない道を選ぶような。

それと対極的なのが、佳乃の両親や祐一の実の祖母で、二人ともうんざりするような日常を過ごしている。それが事件によって、「うんざりする日常」から「最悪の状況」まで突き落とされた。突き落とされてどん底まで行った結果彼らが進んだ道はというと、自分をしっかりもって大切な人と向き合う道。関係者の親たちが両方とも強くなるのは、小説としてできすぎている気もするけど、ここぞというところで自分から悪者になって大切な人に背を向ける祐一の対極として考えると、しかも祐一が一人であるのに対し、こちらの道を選んだキャラクタが複数作られているということを考えると、実はこちらこそ本当の強さなんだといわれている気もします。

などなど、読んでいる途中はどっぷりハマってしまい、読み終わった後もいろいろ考えさせられる小説でしたが、一つ文句を言わせてもらうと、単行本が分厚い(笑)!もう一回り文字サイズ小さくして、1ページの文字数増やしてくれれば、もっと薄くなるのに。この本はもっと前から読もうと思っていて、既にどの図書館でも在庫中であることが多い状態になっていたのですが、厚さにひるんで「今日は借りるのやめるか」と思ったこと数知れず。もうちょっと持ち歩きやすくしてくれると嬉しいのですが、今の読者って持ち歩きやすさより読みやすさ(文字大きい)優先なのかな。出版社の皆さん、持ち歩きやすさの方もぜひよろしくお願いします。

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女たちは二度遊ぶ』読了。そこら辺に転がっていそうな男女のエピソード11編。どれも、何かのきっかけがないと思い出しもしないような、ひとかけらの思い出という感じ。これがDVD化されると、何で「愛されるより、忘れられない女になる」という真逆のコピーがついてしまうのかが不思議ですが。

小説中に二度遊ぶ女が出てくるわけではないので、どんな女でもこんな遊びが二度くらいあるってことでしょうか。一般にいう「遊びの恋愛」というよりは、ブレーキの「遊び」のような意味での人生の遊び部分というか、どちらにも舵を振っていないモラトリアム状態のときの記憶みたいな意味だと思います。1編だけ、揉めて殺人事件を起こしてしまう短編もあるのですが、この話さえもよくある話に思えてしまいます(実際、悲惨な事件が起こる現代にあっては、忘れ去られそうなエピソード)。

実際、自分でもよっぽどのことがないと思い出せなくなっている恋ってありますよね。相手が大したことないとかというより、自分自身が大したことない人だった時期。でも、それもあっての人生なんだろうな。いつでも濃密っていうのは嘘っぽいもんね。

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