東京図書館制覇!Blog版

東京23区の公立図書館を全て訪れたサイト「東京図書館制覇!」の管理人TakeniのBlogです。

カテゴリ: 【読書】

イスカンダルと伝説の庭園』読了。今月16日の八王子市中央図書館の図書館まつりで、八王子子ども文庫連絡協議会さん主催のビブリオバトルがあり、その中で文庫連の代表の方が紹介されていた本です。その方は子ども文庫で購入する本を選ぶために、常に一定期間内に何冊もの本を読むことを強いられていて、その膨大な読書量の中で「これは絶対買わねば!」と強く思った本だそうで、そう聞かされたら読みたくならないわけがない。

また、その方は1年前の図書館まつりのビブリオバトルでも、高学年から中高生向けといえる本を紹介していたんです。なので、あまり児童文学を読まない私でも面白く読めるのではという思いもあり、そのビブリオバトルでの紹介本の中で真っ先に読みました。

筋をざっくり説明すると、中世アラビアを舞台したミステリ要素のある児童文学。タイトルにあるイスカンダルは、この世で一番優れている建築士だとの評判高い人物です。頑張っても世継ぎができなかったアラビア王は、子孫の代わりに何か別のもので自分の名を後世に残そうとし、贅を尽くした庭園を造ることを決めてイスカンダルを呼び寄せます。イスカンダルにとっても自分が思い描いていた庭園を現実化できる機会ですし、自分の全てを庭園造りに注ぎます。

こう書くと王もイスカンダルも互いに思惑は一致していますが、心中は決してそうではありません。王は他の人には絶対に作れない唯一無二の庭園を作りたい。そのために、イスカンダルには、いや、イスカンダルだけでなく他の誰にも言えない計画を持っています。一方、イスカンダルは王の企みに薄々気付いており、何とか自分を守らねばならない。表面的には何も起こらない、なのにどちらも確実に何かを策している様子が、読んでいてスリリングです。

おはなしの冒頭が、子どもができなくて代わりに庭園をという話から始まるので、40歳過ぎ子どもなしの私にはその発想はわかるけど児童文学の導入としてはわかりにくくないかとも思うのですが、そこをスルーして読み進めると二人の静かな攻防に引き込まれます。冒頭の件を含めて、もう少し対象年齢をあげて細かい部分も書き込んで長い小説にしてもいいのではと思うくらい、駆け引き部分がたまらない物語です。

ですが、この本、表紙で損しています。ビブリオバトルでの発表者さんも「こんなに面白い本なのに、表紙が子どもの興味をそそるデザインではなく、会話をする関係にある子には直接薦めているけれども手に取ってもらえない」とおっしゃっていたのですが、確かに私もビブリオバトルで物語の内容を聞かなければ手に取らなかったと思います。装丁担当者さんには申し訳ないけど、スリリングで、かつ、自分も決意を持って生きたいと思わせるこの物語を装丁で殺してくれるなよと。

装丁の重要性(特に、児童書は一般書以上に重要では)とともに、実際に読んだ方のリアルな感想を聞けるビブリオバトルのよさをあらためて実感できた1冊でした。

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弟の戦争』読了。この本は、明日の文京区立水道端図書館での読書会の課題本で、この日仕事が入らない可能性があったので本当にそうなったら参加しようと思っていたのですが、結局仕事が入ってしまい、残念ながら行けなくなってしまいました。でも、それをきっかけにこの本に出会えてよかったと思える本です。

この本も、昨日の『チョコレート・アンダーグラウンド』と同様、一般というよりは若い人向けで、私がこの本を借りた品川区立荏原図書館でもティーン向けコーナーに分類されています。原題が『Gulf』となっていることから中身を開く前に推測できるように、この「戦争」は湾岸戦争を指しています。

イギリスに暮らす主人公トムの弟は辛い境遇にあるもの(人間のときもあれば、動物のときもある)に感情移入しすぎて、家族を振り回している。トムはそんな弟の面倒を見てやりつつ、少しうんざりもしている。1990年8月2日を境に弟が奇行を示し、トムはまたいつもの冗談とも本気とも知れない弟の振る舞いが始まったと適当に相手をするが、このときばかりは奇行で済まされる範囲を超えており…といったストーリー。

この作家が湾岸戦争時の弟の奇行を通じて書きたかったことに、私はとても共感してしまいます。911が起きて少しした頃、なぜかは忘れたけど元彼とファミレスで会ったら、元彼があまりにアメリカ側に立って報復上等みたいに言うので、それ以前にアメリカは誤爆誤爆で罪ない中東の人達を散々死に至らしめておいて、自分達がそうされたときに被害者ぶるのはおかしいだろう、悲劇が自分側に降りかかったときに、こんなに辛いならお互いやめようという発想に行かなきゃダメだろうと力説したのですが、この小説の作者はファミレスで持論を振りかざすような無粋なことをせず(苦笑)、子どもの不思議な体験の物語として感性に訴えるかたちでそれを描いてみせてくれています。

でも、物語はそれだけでは終わりません。この物語の印象深さは、この不思議な体験部分よりも結末です。この結末は見方によってはハッピーエンドだし、実際に多くの人がこうしている。社会的にもこうなることが大人になることだとして評価されることが多いし、こうしないと現実的に生きていけない。でも、ホントにそれでいいの?という問いを、全てを見てきた主人公の目線で語られたとき、それは弟にではなく読者たる自分に投げかけられているように思えて、自分の心がいかに“嫌な大人”になってしまっているかを突きつけられた気分です。

…と、私なりにネタバレにならないようにしつつ、私が感じたことを書いてみましたが、バラしてしまっているといえばバラしてしまっているし、感じたことが伝わるかどうかというとかなり怪しい文章になってしまいました(苦笑)。あぁ、ネタバレを気にせずに話したい。そして、それこそ読書会の醍醐味ですよね。皆が課題本を読んでいること前提の読書会なら、これから読む人への気遣いをせずに思う存分感想が語れる。明日の読書会、参加したかったなあ。

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ビーバー族のしるし』読了。この本は、明日行われる北区立中央図書館の読書会の課題本なのですが、私は明日は港区立麻布図書館の開館記念CDコンサート 「ワールドミュージック 世界をめぐる音楽」に行くために参加できず、その代わりという訳ではないけど、ブログに感想をUPします。

ちなみに、この麻布図書館のCDコンサートは、港区立高輪図書館で2年間定期開催されていた「たかなわミュージックライブラリー」のご担当者さんによるイベントです。「たかなわミュージックライブラリー」は、単に音楽資料を視聴するイベントではなく、当時の館長さんの音楽思い出話と音楽に詳しい図書館職員さんの解説が繰り広げられる、たとえて言えばラジオDJの公開番組みたいなイベントでとても面白かったんです(全8回分のレポはこちら)。麻布図書館に舞台を変えて今度はどんなイベントになるのか、楽しみです。

『ビーバー族のしるし』に話を戻すと、舞台は18世紀後半のアメリカで、主人公マットの家族が新しく入手した森の中の白人居住区へ移住せんとしているところです。まずはマットとお父さんで先に行き、一家が住む丸太小屋を完成させてから、マットを小屋に残してお父さんがお母さん・妹を連れてくる予定で、その頃にはもう一人赤ちゃんが生まれているはず。物語は、お母さんと妹を迎えにお父さんが旅立っていくとろこから始まります。

それは、簡単に「お留守番」というには大変な任務で、新しく開拓された土地だから頼る人もいないなか、自然の脅威や見知らぬ人から身を守りながら自力で生き延びていかないといけない。外には食べ物を取っていこうとする動物もいるし、森の中にはまだ接したことがない先住民がいるかもしれない。その中で小屋を守り、家族を迎える準備をするという、大人でさえ大変なこうした任務を、マットは12歳で任されているのです。

ここから先は、私はあらすじを事前に知らずに読んでとてもよかったので、できればこれから読む人にも必要以上にあらすじを知らずに読んで欲しく、どこまで書こうか迷っています。表紙からもわかることなどをお伝えすると、ビーバー族というのは先住民族で、表紙には先住民と白人と犬が一緒にカヌーに乗っているイラストが描かれています。先住民族との出会いがあることはそこから察せられるわけですが、文化が違うもの同士がそう簡単にわかりあえるはずもない。でも、自然の中で生き延びていかないといけないという共通点のもとでわかりあえる部分もある。ビーバー族の同年代の男の子・エイティアンとの交わりのなかで、マットが少年から大人へと成長していく様子に、こちらまで一緒に一喜一憂していまいます。

登場人物からして人種差別問題を取り上げてもいるんだけど、私はむしろ生き方が違う少年が、ときに反発しあいながらもともに時間を過ごし、それぞれ自分の信じる道へ進む物語として読みたいです。

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キアズマ』読了。このブログに本の感想を書くこと自体が久しぶりですが、この間他の本を借りに千代田図書館に行ったときに見かけて、いてもたってもいられず借りてしまいました。『サクリファイス』にはじまる、近藤史恵さんの自転車ロードレースシリーズ、第4冊目です。

といっても、1冊目の主人公チカも、彼が進んだ実業団やヨーロッパのプロチームも『キアズマ』には出てきません。いや、正確には、くすぐり程度にシリーズの登場人物がチラッと出てきますが、今作の舞台は本格的なロードレーサーではなく、大学の小さな自転車部。大学の新入生・岸田正樹が、ちょっとしたアクシデントをきっかけに、1年間という約束でロードレースを始めるとこになる。

前半は、自ら進んで始めたわけではないのに成長が順調すぎない?という気もしますが、そこはさすが近藤さん、最初の、でも一生抱えていくほど大きな壁にぶつかったときの折れ方などは、順調すぎた人ってこうなるよなあとリアリティを感じます。

この作品もまさにそうなのですが、私がこのシリーズを好きなのは、ロードレース特有のエースとアシストの関係、華やかさの裏で渦巻く汚い欲、薄皮一枚程度でしか隔たれていない栄光と転落など、表があれば裏があることを描いているところ。でもそれは、闇や汚さを描くというより、平穏な生活の中で忘れがちなことを丁寧に語っているように感じます。生きていれば必ず死は来るし、誰かに光があたるということは当然他の人には光があたっていないことになる。

で、そういう現実、というかリスクといったほうが適切かな、それに対して、逃げないところも好き。挑戦には必ずリスクがある、でもリスクを避けていたら何もできない、だからリスクを踏まえた上で挑戦する、という道を選ぶ登場人物達に共感します。

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ニッポンのサイズ―身体ではかる尺貫法』読了。この本も、3日前にブログ記事にした『鯨尺の法則』と同様、年始に渋谷区立西原図書館で実施されていた「本の福袋」で私が借りた袋「尺ジャパン」に入っていた1冊。返却期限までに読み切れず、地元多摩市の図書館で再度借り、今読み終わったところも同様です。ちなみに、福袋企画で出会って、面白そうだけど読めずに返してしまい、また借りて読もうと思っているのはあと1冊。こちらはまだ借りてもおらず、個人的にはまだまだ年末年始の福袋企画の楽しみがまだ続いている状態です(笑)。

こちらの本は尺・貫・升・刻など、昔ながらの単位についてまとめており、これらの単位がいかに暮らしに密着していたかがわかります。例えば、1坪は1人が1日に食べる量のコメが取れる面積、1反は1人が1年に食べる量のコメが取れる面積、米1石は1人が1年間に食べるコメの量といったかたち。

また、不定時法における一刻の長さの変化も、昔の暮らしでは便利だったというのも、言われてみると納得です。江戸時代の不定時法、つまり、日が出る時間、出ていない時間をそれぞれ六等分してそれを一刻とする方法は、現代からしてみると所要時間などがわかりづらくて困るのではないかと思ってしまいますが、暗くなっても照明で昼間のような明るさに、とはできない当時においては、そちらの方が便利だったのだそう。単位が示す量だけでなく、単位の仕組み自体も、暮らしあってのものなんですね。

もう一つ面白かったのは、慶長7(1602)年に36町=1里と定められる以前の「里」。それ以前の「里」は、距離を示す単位ではなく、徒歩の旅にかかる労力を表す数字で、険しい道か平坦な道かによって1里の距離が違ったのだそうです。歩きやすさは人にもよるので数値化するのが難しそうですが、目安として使うには便利そう。現在の技術を使えば、GPSでのウォーキング記録と道の情報を使って、その人の里を割り出すこともできるんじゃなかろうか。

徒歩での所要時間といえば、不思議でもあり便利でもあるのですが、私の場合、GoogleMapで長距離ウォーキングの所要時間を調べると、かなり正確なんです。私は図書館巡りの行き帰りにウォーキングもしていて、こちらに記録もしているのですが、ウォーキングの速さでいうと平均よりおそらく速い。ですが、街中で歩くと信号待ちなどもあり、そうしたロスタイムも含めた所要時間は、なぜかGoogleMapの所要時間通りになることがかなり多いんです。ウォーキングルートなども、都内だと歩道のどちら側というレベルまで表示されていることもあり(=車道の左右どちらかの歩道にしか横断歩道がないなどの場合、その情報込みでルートが示される)、GoogleMapの能力の恐ろしさを毎回感じています。

本の内容に話を戻すと、時代がわからないと単位も語れないということにも驚かされます。上記の「里」もそうですけど、1升が何ccか、1坪(歩)が何屬といった、その単位の示す大きさが時代によって変わるんです。だから、「1升は何ccですか」という問題に正確に答えるなら「それはいつの時代の1升ですか」と聞き返さないと答えられないとうわけ。

モノによって同じ単位が違う大きさになることもあり、たとえば、慶長年間では、山椒1斤=約225g、お茶1斤=約750g、木綿1斤=約825gといったように、「斤」がモノによって違う重さになるんです。単位というより、“ひとかたまり”みたいな言葉だったんでしょうね。実際、現在も使われいてる食パン1斤も、正確に何グラムと定められているのではなく、“ひとかたまり”という意味ですし。

こんなかたちで、決まりきっているものと思っていた「単位」が一律ではないことをいろいろ紹介しいてくれるのが、この本の面白さです。

ただ、残念なのは、昔やよかった&今へのダメ出しがしつこいくらいに綴られること。どちらか一つに選ぶ必要はなく共存しえるものや、個人の好みの問題などは、「Bもいいという人もいるかもしれないけど、私はAが好き、Aを選ぶ」といえばいいと思うのですが、世の中「Aがいい。Bはダメ。Bを好む人なんてサイテー」とする人がときどきいますよね。この傾向が強いと、私などはAのよさ云々以前に、発言者の心の狭さにうんざりしてしまうのですが、この本もややその傾向あり。しかも、章の最初の方では今のよさも認めている風な発言をしておきながら、最終的に昔がいいという話にもっていくのでやっかいです。

なので、これから読む方がいたら、そうした「昔やよかった&今へのダメ出し」の主張は適度に流して、書かれている情報の面白さに焦点を当てて読むのがいいかと。そして、その点での『鯨尺の法則』の読み心地よさをあらためて感じました。古いものと新しいもの、それぞれのよさを生活に取り入れたいです。

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鯨尺の法則―日本の暮らしが生んだかたち』読了。この本は年始に渋谷区立西原図書館で実施されていた「本の福袋」で私が借りた袋「尺ジャパン」に入っていた1冊です。返却期限までに読み切れず、地元多摩市の図書館で借りて、今読み終わりました。先日ブログにUPした『駄菓子屋図鑑』もそうで、福袋企画で出会った本を2ヶ月経った今コツコツ読んでいる状態です。

「鯨尺」というのは着物の仕立てに使われたものさし。これをはじめとして、屏風、乱れ箱、足袋、行李、香など、和物道具を取り上げたエッセイが22編収録されています。成り立ちからきちんと調べ、でもそれを懐かしいもの・失われつつあるものとしてでなく、今もいきているものとして紹介してくれているのが心地いい。著者・長町さんの身の回りのできごとから、その小物・道具を通じて日本文化へを思いを巡らせる様子を読んで、頷いたり驚いたりするのが楽しいのです。

たとえば、冒頭の鯨尺のエッセイでは、反物の幅は着物として完成したときのことを考えて決まっただけでなく、反物の生産者側の都合もあったのではという長町さんの仮説が披露されています。というのも、長町さんが趣味で織物を習い始めて気づくに、布を織る際に幅を肩幅以上に設定するととても疲れるのだとか。織り手にとって、肩幅か腰幅がいちばん無理なく効率的に織れるのだそうです。

また、長町さんの知人の韓国人の方が、押入れを指して「日本の家は棚が建物に最初からついているのはいいアイデア」と評したエピソードにもハッとしました。押入れって、長町さんにとっては、そして私にとっても、「建物の一部」という認識ですが、外国の方にとっては「作り付け家具」に見えるんですね。ル・コルビュジエに協力していたインテリアデザイナーが、日本の伝統家屋をみて、モデュロールによる空間のユニット化が既にあると評した話にも納得です。

現代批判などではなく、伝統のものと今の暮らしを繋げるかたちで綴られた文章を読んでいると、買い物ついでに和小物を買って生活に取り入れてみたくなります。それと同時に、現代的な生活をしているつもりの人でも、実はその暮らしの中に昔ながらの考えなどが織り込まれていることに気付かされると思います。

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駄菓子屋図鑑』読了。この本は昨年末に豊島区立駒込図書館で実施されていた福袋企画「こまちゃんのお楽しみ袋」で私が借りた袋「懐かしの昭和」に入っていた1冊です。返却期限までに読み切れず、別の図書館で借りて、今やっと読み終わりました。

駄菓子屋について、ではなく、思い出の駄菓子を一つ一つ紹介する本なので、「屋」を抜いた「駄菓子図鑑」のほうが適切ではないかとも思ってしまいますが、あえて「駄菓子屋」としたのはおそらく、駄菓子屋にまつわる遊びも紹介したかったからでしょう。駄菓子30、おもちゃ36、遊び15の計81項目で構成された内容です。

著者が昭和17年生まれとあって、昭和46年生まれの私には、「おっ、懐かしい」とわかるものが半分、「へぇ〜、そうなんだ」と知らないものが半分といったところ。紹介されているモノを具体的に挙げてみますと、駄菓子では寒天ゼリー、チューブチョコ、カルメ焼き、酢いか、ポン菓子、おもちゃでは日光写真、カンシャク玉、ウイテコイ、遊びではビー玉、メンコ、石けり、などなど。

…と懐かしのものを列挙していたら、ドラマ「熱中時代」の主題歌「やさしさ紙芝居」(ビー玉、ベーゴマ、風船ガムにニッキと えーっとそれから メンコとおはじきと…)を思い出しました。北野先生も今やすっかり右京さん、時の流れを感じてしまいます。

五寸釘だけあれば遊べる「くぎさし」(地面に刺したくぎに勝負くぎを投げて倒せば取れる)など、何でも遊び道具にできる子どもの発想にびっくりする一方、何じゃそりゃというものもあります。リリアンは私も編んだ覚えはありますが、完成させたものをどうこうした記憶は全くありません(笑)。私が小学生の頃、給食の牛乳瓶のフタを使ったメンコのような遊びが男子の間で流行ったことがありましたが、行き過ぎて机の中がフタだらけになっていた男子は、机が牛乳臭いと気味悪がられていたなあ。子どもって、「発想が豊か」と「おバカ」の混合物ともいえますね(笑)。

この本は、懐かしいものを紹介しているものの、懐古礼賛的な内容ではないのが読み心地いいです。むしろ、そう思って読み始めたら最初からガツンとやられます。何しろ、本文最初の文章が、こうですから。
「下町ブーム」といわれているせいなのか、駄菓子が静かに人気を集めているらしい。懐かしいぼくらの昔を若者たちがあらためて再発見しようとしてくれるのは、正直いってうれしい。
しかし、ただ、なんでもかんでも昔の下町が美化して語られすぎるのも、なんだかうさんくさい気がしてこないでもない。
昔はよかった、ことばかりでは決してなかったはずだからである。
ハエもカもネズミもやたらに多く、疫痢や赤痢でよく子どもが死んだ。

今はない時代を懐かしむ本というより、昔のおもちゃや遊びの話を通して、大人の読者を子どもの気分に戻してくれる本といった内容で、読み終わると子どもじみた遊びをしたくなります(笑)。

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再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし』読了。数日前のブログ記事で書いた『昭和30年代懐かしの東京』と同様に、豊島区駒込図書館の「こまちゃんのお楽しみ袋」で借りた福袋「懐かしの昭和」に入っていた本です。

『昭和30年代懐かしの東京』が昭和30年代の街の風景を取り上げたのに対し、『団地2DKの暮らし』は“暮らし”に焦点をあてた内容。しかも、著者の青木俊也氏が、昭和30年代の常盤平団地2DKの再現展示で知られている松戸市立博物館の学芸員なので、単に“昔を懐かしむ本”に終わらず、団地という器が人々の暮らしにどう影響を与えたのかの深い考察にまで踏み込んでいるところが読み応え十分です。

実は私がこの本を読んで感じたのは、自分の世代とのギャップでした。というのも、私自身物心ついてからずっと団地に住んでいる人間で、生まれたての自分では記憶のない時期に武蔵境のアパートに住んでいた以外は、日野市の賃貸団地→多摩市の分譲団地→家から出て江東区の賃貸団地→実家の多摩市の分譲団地に戻る、というかたち。人生の9割以上を公団の住宅で過ごしています(笑)。

その私には、この本で取り上げられた「団地が皆の憧れ」という30年代の感覚がわかりません。むしろウサギ小屋という自嘲的感覚のほうが強い感じです。とはいえ、UR賃貸なら2年ごとの契約更新などが要らない、建物の強度などはある程度信頼できるだろうなど、団地住まいであるがゆえに楽できる部分も多く、そっちのメリットで選んでいる意識が強い。だから、この本を読むことで、かつて団地にはそういうイメージがあったのかとあらためて知らされました。

この本によると、「団地」というものが誕生した頃のそのイメージは、洋風かつ合理的な生活と結びついていたということ。公団オリジナルのダイニングテーブルなるものもあったそうで、ちゃぶ台での生活からダイニングテーブルへの移行に影響を及ぼした様子が見受けられたり、電気洗濯機・電気冷蔵庫・電気釜などの家電の普及率は、東京都区部全世帯の平均より団地世帯のほうが大きく上回っていたそうです。

細かいところでは、台所の配置の話なども興味深かったです。この当時の台所の配置は、流し台を中心にしてコンロと作業台を左右に配置するという「ポイントシステム」なる配置だったそう。それに対し、『暮しの手帖』が使いにくいと指摘して、代案として作業台を中心にして流しとコンロを左右に配置するかたちを提案したそうです。思えば、私が今住んでいる築33年の家は作業台中心タイプ、もう少し前に建てられた築37年の江東区の賃貸団地は流し中心タイプでした。流し中心タイプに10年以上住んでから作業台中心タイプに戻っている身からいうと…そんなに広い台所でもないので、どっちでもそれほど変わりないかな(笑)。

水回りでいえば、昭和30年代の団地では玄関脇に洗面台があったそうで、現代の感覚では変な位置だと思ってしまいますが、当時は外から帰ったらすぐに手を洗える衛生的な配置という感覚だったようです。

人々の暮らしによって住まいのあり方が変わるけど、住まいに合わせて考え方が変わることもある。昔の団地の暮らしを通じて、そうした部分が見えてくるのが面白いです。

それにしても、こういう本を見ていると、現在新しいと思っているモノや暮らしの多くは数十年後には「懐かしいモノ」に変わってしまうんだなあとも思います。そういえば、大学の後輩がtwitterで「ドクター中松の演説を聞いてた中学生がフロッピーディスクって何だよと言ってた」というツイートをリツイートしてました。そのうち、「スマホって何だよ」の時代も来るんだろうなあ。

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東京図書館制覇!蔵書数ランキングは未だに2011年の数字を使っており、最新の数字でランキングを作成すべく図書館の事業報告で各自治体の蔵書数を少しずつ調べています。その一つ、北区立図書館の事業報告『北区の図書館』を読んでて、面白いデータを見つけたのでご紹介します。

24年度の実績をまとめた資料なので、大部分が統計表、つまり数字がひたすら並ぶ資料なのですが、丁寧に見ていくと面白い数字を発見。特に注目なのが地域別個人登録者数で、王子、東十条、王子本町、中十条、岩淵町、赤羽台など地区別の登録者数や人口における登録率を示した表です。北区全体の登録率が49.9%のなか、とびぬけて登録率の高い地区がありまして、それは十条台の94.9%。

十条台は北区立中央図書館がある地区なので、高くて当然だろうと思う方もいるでしょうが、他の区市ではたとえ中央館がある地域だろうとここまでの数字にはなりません。試しに、都内の他の区市で地域別個人登録者数を掲載している事業報告をもとに、区市内で登録率が高い地区を見てみますと、以下の通り。

●新宿区(しんじゅくの図書館 2013参照)…市谷鷹匠町が69.05%(但し、総人口が42人とかなり少ない)
●あきる野市(あきる野市の図書館 平成23年度参照)…秋川が58.73%(中央図書館がある町)
●多摩市(平成24年度 多摩市の図書館参照)…唐木田が43.6%、鶴牧が43.2%(唐木田・鶴牧の境目辺りに市内で一番新しい唐木田図書館がある)
●西東京市(西東京市図書館 事業概要参照)…谷戸町が28.9%

これらと比べると90%越えがいかに高いかわかると思います。北区で二番目に登録率が高い地区を挙げますと、王子本町(北区中央図書館の東の道路を挟んですぐそばにある地区)で68.3%です。おそらく、「図書館が近い」という要因で得られるのはこれくらいの数字が妥当で、十条台はそれだけでは説明しきれないほどの高さのように感じます。

十条台は、自衛隊十条駐屯地、北区中央公園、学校、病院など、住宅地でないエリアが多く、人が住んでいるのは、十条駐屯地の北や東に集合住宅が少々、十条駐屯地のなかの隊舎、埼京線の線路を挟んだ西にある十条公務員宿舎という構成。他の地区に比べて人口が少ないという要素もありますが、人口における自衛隊員・公務員及びその家族の割合が高いという要素もある地区です。これってつまり公務員の図書館活用率が高いってことかも?民間企業にお勤めの皆さんも負けずに図書館を利用しましょう(笑)!

また、昭和12年に設立された東京市立王子図書館から始まる北区立図書館の沿革も、興味深いです。これは王子図書館だけではないけど、東京市立図書館時代は有料だったんですよね。もっと最近の出来事としては1990(平成2)年に「レコードの保存・貸出終了。文京区真砂図書館へ移管」という記述もあります。現在文京区小石川図書館で所蔵している膨大なレコード資料の中には、こうして他の区から移管されたものもあるんですね。

こんな感じで、資料を読み込んでいくのも面白いです。いつか、ビブリオバトルに統計資料で参戦したいなあ(笑)。

最後に、この資料の編集・発行者たる「東京都北区立中央図書館」という名称に関するトリビアを一つ。ほとんどの自治体では、「足立区立中央図書館」のように「東京都」が付かない「●●区立○○図書館」を正式名称として図書館設置条例で定めているのですが、北区の図書館は正式名称に「東京都」が付きます(東京都北区立図書館設置条例参照)。

正式名称に「東京都」を付ける派は、北区のほかには板橋区・台東区のみ。北区が「東京都」を付ける派だと知ったときには、東京以外の政令指定都市にも「北区」という区があって、それと区別するためにつけたのかなと思いましたが、板橋区・台東区は東京以外にはないし、逆に中央区・府中市などは他の道府県にも存在します。こうした正式名称へのこだわりも興味深いです。

昭和30年代懐かしの東京』読了。これも図書館の福袋企画で出会った本です。豊島区駒込図書館の「こまちゃんのお楽しみ袋」で借りた福袋「懐かしの昭和」の中に入っていました。

この本は2001年の本なので、「懐かしい」を二重に楽しめます。というのも、東京のいろんな街の<現在の地図・写真>と<昭和30年代の地図・写真>を見比べられる構成になっているのですが、2014年の今読むと2001年にとっての<現在の地図・写真>も既にちょっと懐かしい。2001年の地図には六本木ヒルズはなく、ビックロがまだ新宿三越で、ヒカリエがまだ東急文化会館で…と13年の間にも変化があるのがわかります。

昭和30年代というと発展途上にある東京の様子を思い浮かべがちですが、今よりいい光景のように思える写真もあります。例えば、平成21年に復元した丸の内の一丁倫敦ですが、昭和30年代には元の建物がまだ残っていて、周囲に高層ビルが建っていないぶん昭和30年代の方が格好よく見える。アサヒビール本社も、現在の奇抜なオブジェを冠したビルより、昔のビール工場時代のほうが格好いいような…(笑)。

そして、図書館愛好家としては、この本に掲載されている写真の多くが区立図書館の所蔵資料だというところにも注目です。なかでも台東区立中央図書館の「高相嘉男コレクション」は、写真ファイルが開架で見られるのでお薦め。

こうして昔の写真を見ていると、今当たり前の風景もあっという間に「懐かしい風景」に変わるんだろうなあという想いも沸き起こります。変わることを嘆くより、その時々の「今」を楽しみたいと思います。

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