東京図書館制覇!Blog版

東京23区の公立図書館を全て訪れたサイト「東京図書館制覇!」の管理人TakeniのBlogです。
こちらでは、読んだ本や東京散歩など、図書館以外のことも書いてます。

カテゴリ: 【読書】

イスカンダルと伝説の庭園』読了。今月16日の八王子市中央図書館の図書館まつりで、八王子子ども文庫連絡協議会さん主催のビブリオバトルがあり、その中で文庫連の代表の方が紹介されていた本です。その方は子ども文庫で購入する本を選ぶために、常に一定期間内に何冊もの本を読むことを強いられていて、その膨大な読書量の中で「これは絶対買わねば!」と強く思った本だそうで、そう聞かされたら読みたくならないわけがない。

また、その方は1年前の図書館まつりのビブリオバトルでも、高学年から中高生向けといえる本を紹介していたんです。なので、あまり児童文学を読まない私でも面白く読めるのではという思いもあり、そのビブリオバトルでの紹介本の中で真っ先に読みました。

筋をざっくり説明すると、中世アラビアを舞台したミステリ要素のある児童文学。タイトルにあるイスカンダルは、この世で一番優れている建築士だとの評判高い人物です。頑張っても世継ぎができなかったアラビア王は、子孫の代わりに何か別のもので自分の名を後世に残そうとし、贅を尽くした庭園を造ることを決めてイスカンダルを呼び寄せます。イスカンダルにとっても自分が思い描いていた庭園を現実化できる機会ですし、自分の全てを庭園造りに注ぎます。

こう書くと王もイスカンダルも互いに思惑は一致していますが、心中は決してそうではありません。王は他の人には絶対に作れない唯一無二の庭園を作りたい。そのために、イスカンダルには、いや、イスカンダルだけでなく他の誰にも言えない計画を持っています。一方、イスカンダルは王の企みに薄々気付いており、何とか自分を守らねばならない。表面的には何も起こらない、なのにどちらも確実に何かを策している様子が、読んでいてスリリングです。

おはなしの冒頭が、子どもができなくて代わりに庭園をという話から始まるので、40歳過ぎ子どもなしの私にはその発想はわかるけど児童文学の導入としてはわかりにくくないかとも思うのですが、そこをスルーして読み進めると二人の静かな攻防に引き込まれます。冒頭の件を含めて、もう少し対象年齢をあげて細かい部分も書き込んで長い小説にしてもいいのではと思うくらい、駆け引き部分がたまらない物語です。

ですが、この本、表紙で損しています。ビブリオバトルでの発表者さんも「こんなに面白い本なのに、表紙が子どもの興味をそそるデザインではなく、会話をする関係にある子には直接薦めているけれども手に取ってもらえない」とおっしゃっていたのですが、確かに私もビブリオバトルで物語の内容を聞かなければ手に取らなかったと思います。装丁担当者さんには申し訳ないけど、スリリングで、かつ、自分も決意を持って生きたいと思わせるこの物語を装丁で殺してくれるなよと。

装丁の重要性(特に、児童書は一般書以上に重要では)とともに、実際に読んだ方のリアルな感想を聞けるビブリオバトルのよさをあらためて実感できた1冊でした。

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ぬいぐるみおとまりかい』読了。いまや珍しくなくなった図書館での児童向けイベント・ぬいぐるみのおとまりかいを絵本にした作品です。

既にご存知の方も多いでしょうが、一応ぬいぐるみおとまりかいについて説明しておきますと、まず子どもさんが自分のぬいぐるみを図書館に預けます。すると図書館が、そのぬいぐるみが図書館に一晩泊まったという体で、書架で本を広げたり、図書館の中で眠りについているぬいぐるみの姿を写真に撮ってくれて、翌日迎えに行くとぬいぐすみを返す際に、一晩図書館で過ごした写真も渡してくれるというわけ。

この絵本では、江戸川区立篠崎子ども図書館のぬいぐるみおとまりかいをモデルにしたいるそうで、館内の様子などは確かに篠崎子ども図書館を思わせる絵です。この絵本を読んで私のぬいぐるみも図書館に泊めたいと思う子どももいるだろうから、この絵本によって更にぬいぐるみおとまりかいイベントが増えるかもしれませんね。

そういえば、今月初めには「ジュンク堂に住んでみる」というイベントのモニターツアーが開催されましたし、将来的にはぬいぐるみではなく実際に図書館に泊まれるイベントも開催される日が来るかも?図書館は初めから「その空間で読む」ことを想定して設計されているので、書店よりも泊り心地はよさそうです。それとも、私が知らないだけで既にどこかでリアル図書館お泊り会が開催されているのかもしれません。

また、お泊まりでなく、閉館後の図書館に入るというだけでも、ちょっとワクワクします。前に図書館職員さんとそういう話になって、例えば住民が時間利用できる会議室などがある図書館の場合、使用した後の片付けが長引くなどで利用した人が出るのが閉館後になることがある。すると、出口を案内するときに、既に照明を落とした館内を歩く(しかも、多少おしゃべりしてもいい)だけでちょっと楽しいという声が出ることがあるそう。私もそうした時間にお邪魔した機会がありますが、冷静に考えれば照明が落ちているだけなのに、裏を特別に覗かせてもらっているかのような感覚があるんです。

また、普段なら自分一人が職員さんを独占しては悪いところ、閉館後に少人数で図書館を独占して、書架内で職員さんと本の話をできるイベントとしても楽しめそう。普段の図書館利用だと、探している本があるなど目的があっての職員さんとの会話以外はしづらいですが、本棚の中で自由発想的に本の話をする機会があったら、私も体験してみたいです。

こうした夜の図書館ツアーなども、開催すれば応募がありそう。ただ、最近は利便性を考えて図書館の閉館時刻が遅くなっているので、その後更にイベントがあると職員さんが大変か。閉館時刻が遅い館でも日祝は平日より早く閉まることがあるので、そういう日にすれば開催しやすく参加もしやすいんじゃないかな。

と、勝手に想像を広げてしまいましたが(笑)、少なくともぬいぐるみおとまり会は確実に開催が広まっているので、ご興味がある方はご利用の図書館にお問い合わせを。開催していなかったら、開催をリクエストしてもいいかもしれません。

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弟の戦争』読了。この本は、明日の文京区立水道端図書館での読書会の課題本で、この日仕事が入らない可能性があったので本当にそうなったら参加しようと思っていたのですが、結局仕事が入ってしまい、残念ながら行けなくなってしまいました。でも、それをきっかけにこの本に出会えてよかったと思える本です。

この本も、昨日の『チョコレート・アンダーグラウンド』と同様、一般というよりは若い人向けで、私がこの本を借りた品川区立荏原図書館でもティーン向けコーナーに分類されています。原題が『Gulf』となっていることから中身を開く前に推測できるように、この「戦争」は湾岸戦争を指しています。

イギリスに暮らす主人公トムの弟は辛い境遇にあるもの(人間のときもあれば、動物のときもある)に感情移入しすぎて、家族を振り回している。トムはそんな弟の面倒を見てやりつつ、少しうんざりもしている。1990年8月2日を境に弟が奇行を示し、トムはまたいつもの冗談とも本気とも知れない弟の振る舞いが始まったと適当に相手をするが、このときばかりは奇行で済まされる範囲を超えており…といったストーリー。

この作家が湾岸戦争時の弟の奇行を通じて書きたかったことに、私はとても共感してしまいます。911が起きて少しした頃、なぜかは忘れたけど元彼とファミレスで会ったら、元彼があまりにアメリカ側に立って報復上等みたいに言うので、それ以前にアメリカは誤爆誤爆で罪ない中東の人達を散々死に至らしめておいて、自分達がそうされたときに被害者ぶるのはおかしいだろう、悲劇が自分側に降りかかったときに、こんなに辛いならお互いやめようという発想に行かなきゃダメだろうと力説したのですが、この小説の作者はファミレスで持論を振りかざすような無粋なことをせず(苦笑)、子どもの不思議な体験の物語として感性に訴えるかたちでそれを描いてみせてくれています。

でも、物語はそれだけでは終わりません。この物語の印象深さは、この不思議な体験部分よりも結末です。この結末は見方によってはハッピーエンドだし、実際に多くの人がこうしている。社会的にもこうなることが大人になることだとして評価されることが多いし、こうしないと現実的に生きていけない。でも、ホントにそれでいいの?という問いを、全てを見てきた主人公の目線で語られたとき、それは弟にではなく読者たる自分に投げかけられているように思えて、自分の心がいかに“嫌な大人”になってしまっているかを突きつけられた気分です。

…と、私なりにネタバレにならないようにしつつ、私が感じたことを書いてみましたが、バラしてしまっているといえばバラしてしまっているし、感じたことが伝わるかどうかというとかなり怪しい文章になってしまいました(苦笑)。あぁ、ネタバレを気にせずに話したい。そして、それこそ読書会の醍醐味ですよね。皆が課題本を読んでいること前提の読書会なら、これから読む人への気遣いをせずに思う存分感想が語れる。明日の読書会、参加したかったなあ。

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チョコレート・アンダーグラウンド』読了。久しぶりの本の感想記事です。私は読んでよかったと思った本は大抵このブログに書いており、ビブリオバトルの発表本はこのブログの中から探しているので、「本の感想記事を書いていない=発表本のストックを消化するのみで貯蓄がない」となってしまうんです。だから、これは久々の貯蓄です(笑)。

これは今年のGWに十条のカフェで行われたビブリオバトル(それに関するブログ記事はこちら)で発表されていた本で、1920年からのアメリカでの禁酒法のように、チョコレートが禁じられるという設定の物語。私がこの本を借りた世田谷区立梅丘図書館では一般の外国小説の棚にありましたが、図書館によっては児童文学の分類することもあるような内容の小説です。漫画やアニメ映画にもなっているそう、というより、Wikipediaによると、元々はイギリスBBC放送の少年少女向け連続ドラマとして創作したものを小説化したのがこの本なんですね。

あらすじとしては、健全健康党なる政党が政権をとったところ、チョコレートをはじめとするお菓子や飲み物を健康に悪いと禁止、食事に限らず政府が市民に押し付ける「良いこと」をしないと再教育施設送りになるという社会になってしまう。それに反対する子どもや大人が協力してチョコレートの密造・密売を始めるが、見つかって施設送りになる。そんな苦難を経てもめげずに革命を企てる主人公の運命はいかに?…というストーリー。

ハラハラドキドキの展開であるものの終着点も予想通りで、よくある物語といえるのですが、怖いのはこの小説の想定というより、この小説があながちフィクションとは言えない現代ではないかと思います。この健全健康党なる胡散臭い政党が政権を取った大きな理由は投票率の低さで、誰に投票しても同じだろう、自分が投票しなくても適切な人が選ばれるだろうと思っている人が投票しなかったせいで、健全健康党が政権をとってしまうんです。これって、フィクションというよりリアルに起こってますよね。

現在の安倍内閣発足を生んだ2012年(平成24年)12月16日の衆議院議員総選挙は、投票率が59.32%と過去最低でした。この頃(今も?)は与党以外の政党が情けなさすぎたので、投票率が高くても多数党は変わらなかったかもしれないけど、もう少し皆が真剣に社会を考えて投票していたら、しっかりした議論が必要なことをそうせず採決できるほどの議席にはならなかったかもしれません。

先日、池袋西武上のコミュニティ・カレッジで開催された「読んでいいとも!ガイブンの輪」(豊崎由美さんがゲストを迎えて外国文学のトークをするイベントで、旧式のテレフォン・ショッキングのように、その回のゲストが次のゲストを紹介する)の第34回に行って来たのですが、この回のゲストがチェコ文学研究家で翻訳家の阿部賢一さんで、そのときにこんな話が出たんです。曰く、チェコ文学は不条理という言葉で説明されることが多いけど、ある日突然逮捕されてしまう現実が過去にあって、案外チェコ人はリアル小説として読んでいるのでは、と。

で、それと同様に、皆の無関心さがとんでもない政党に政権をとらせてしまい、社会が窮屈になってしまうこの小説が、私には空想世界を描いているというより、リアルに起こっていることを極端に描いた小説に思えるんです。

この小説では、主人公をはじめ、勇気ある人達が立ち上がるのですが、現実世界で実際に身の危険が及ぶ可能性が出てきたとき、自分が彼らのように立ち上がれるのか。もし、子どものときに読んだら、単純な冒険譚として楽しんだと思うのですが、大人になって、今の社会に対して責任ある立場になって読むと、とても重いです。

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ビーバー族のしるし』読了。この本は、明日行われる北区立中央図書館の読書会の課題本なのですが、私は明日は港区立麻布図書館の開館記念CDコンサート 「ワールドミュージック 世界をめぐる音楽」に行くために参加できず、その代わりという訳ではないけど、ブログに感想をUPします。

ちなみに、この麻布図書館のCDコンサートは、港区立高輪図書館で2年間定期開催されていた「たかなわミュージックライブラリー」のご担当者さんによるイベントです。「たかなわミュージックライブラリー」は、単に音楽資料を視聴するイベントではなく、当時の館長さんの音楽思い出話と音楽に詳しい図書館職員さんの解説が繰り広げられる、たとえて言えばラジオDJの公開番組みたいなイベントでとても面白かったんです(全8回分のレポはこちら)。麻布図書館に舞台を変えて今度はどんなイベントになるのか、楽しみです。

『ビーバー族のしるし』に話を戻すと、舞台は18世紀後半のアメリカで、主人公マットの家族が新しく入手した森の中の白人居住区へ移住せんとしているところです。まずはマットとお父さんで先に行き、一家が住む丸太小屋を完成させてから、マットを小屋に残してお父さんがお母さん・妹を連れてくる予定で、その頃にはもう一人赤ちゃんが生まれているはず。物語は、お母さんと妹を迎えにお父さんが旅立っていくとろこから始まります。

それは、簡単に「お留守番」というには大変な任務で、新しく開拓された土地だから頼る人もいないなか、自然の脅威や見知らぬ人から身を守りながら自力で生き延びていかないといけない。外には食べ物を取っていこうとする動物もいるし、森の中にはまだ接したことがない先住民がいるかもしれない。その中で小屋を守り、家族を迎える準備をするという、大人でさえ大変なこうした任務を、マットは12歳で任されているのです。

ここから先は、私はあらすじを事前に知らずに読んでとてもよかったので、できればこれから読む人にも必要以上にあらすじを知らずに読んで欲しく、どこまで書こうか迷っています。表紙からもわかることなどをお伝えすると、ビーバー族というのは先住民族で、表紙には先住民と白人と犬が一緒にカヌーに乗っているイラストが描かれています。先住民族との出会いがあることはそこから察せられるわけですが、文化が違うもの同士がそう簡単にわかりあえるはずもない。でも、自然の中で生き延びていかないといけないという共通点のもとでわかりあえる部分もある。ビーバー族の同年代の男の子・エイティアンとの交わりのなかで、マットが少年から大人へと成長していく様子に、こちらまで一緒に一喜一憂していまいます。

登場人物からして人種差別問題を取り上げてもいるんだけど、私はむしろ生き方が違う少年が、ときに反発しあいながらもともに時間を過ごし、それぞれ自分の信じる道へ進む物語として読みたいです。

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キアズマ』読了。このブログに本の感想を書くこと自体が久しぶりですが、この間他の本を借りに千代田図書館に行ったときに見かけて、いてもたってもいられず借りてしまいました。『サクリファイス』にはじまる、近藤史恵さんの自転車ロードレースシリーズ、第4冊目です。

といっても、1冊目の主人公チカも、彼が進んだ実業団やヨーロッパのプロチームも『キアズマ』には出てきません。いや、正確には、くすぐり程度にシリーズの登場人物がチラッと出てきますが、今作の舞台は本格的なロードレーサーではなく、大学の小さな自転車部。大学の新入生・岸田正樹が、ちょっとしたアクシデントをきっかけに、1年間という約束でロードレースを始めるとこになる。

前半は、自ら進んで始めたわけではないのに成長が順調すぎない?という気もしますが、そこはさすが近藤さん、最初の、でも一生抱えていくほど大きな壁にぶつかったときの折れ方などは、順調すぎた人ってこうなるよなあとリアリティを感じます。

この作品もまさにそうなのですが、私がこのシリーズを好きなのは、ロードレース特有のエースとアシストの関係、華やかさの裏で渦巻く汚い欲、薄皮一枚程度でしか隔たれていない栄光と転落など、表があれば裏があることを描いているところ。でもそれは、闇や汚さを描くというより、平穏な生活の中で忘れがちなことを丁寧に語っているように感じます。生きていれば必ず死は来るし、誰かに光があたるということは当然他の人には光があたっていないことになる。

で、そういう現実、というかリスクといったほうが適切かな、それに対して、逃げないところも好き。挑戦には必ずリスクがある、でもリスクを避けていたら何もできない、だからリスクを踏まえた上で挑戦する、という道を選ぶ登場人物達に共感します。

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松田聖子と中森明菜』読了。先月、港区立高輪図書館で開催されたたかなわミュージックライブラリー第8回「大歌謡〜昭和ソングライターズ」で、イベント終了後に職員さんと雑談していた際に館長さんからお薦めしていただいた本です。このCDコンサート自体は、笠置シヅ子から中森明菜までと幅広い時代の「歌謡曲」を聞いていくイベントだったのですが、私にとってのリアルタイムである聖子・明菜辺りのことを雑談で話していたら、それならこの本が面白いはずと教えていただいたというわけです。

タイトルには2人のアイドルを冠していますが、実際の内容は松田聖子が中心。そして、実際の人物に迫るというよりは、アイドルとしてどう売り出ししたかという事務所・楽曲制作者などの思惑や、本人の振る舞い(意識的に演じた場合もあれば、素が出た場合もあろうが、メディアの前で何をしたか)など、商品としてのアイドルを考察する本になっています。山口百恵、松田聖子、中森明菜という流れを追う構成になっていることで、時代の変化も感じられてとても面白かったです。

この3人に共通しているのは、1曲目から売れたわけではなかったり(百恵・明菜ともにデビュー1曲目は、その後の路線からするとあれ?という気さえする)、それほど期待されていなかったり(聖子は当時サン・ミュージックが力を入れてデビューするはずだった中山圭子が、デビュー曲タイアップ商品に問題が生じている隙にデビューしたかたち)という経緯があること。

つまり、最初から「この路線で売ろう」と敷いたレールがうまくいったのではなく、これでファンがつかないならどうすればファンが振り向くか、ライバルに勝つにはどうしたらいいかと、練り直した戦略によって成功したということです。スタートが悪くても実力がある人は売れるとも言えるし、結果的に売れる人も戦略が噛み合うまでは売れないとも言えるでしょう。

これがアイドル・流行歌手の難しいところでもあり面白さでもありますが、本人の実力とは別に、その人がその時代に歌うことで売れる曲に出会えるかどうかというのも重要な要素なんですね。そこが、オペラ歌手など、既存の曲をどう表現するかで評価される歌手とは決定的に違う点です。必ずしも本人にぴったりな曲を提供すればいいというわけではなく、本人の心情とは違う曲を投げかけたり、本人が天然で持っているものを意識的に引き出したりと、歌い手と楽曲提供者の駆け引きも面白いです。

その点で不幸だったかもしれないのが中森明菜。山口百恵は宇崎夫妻、松田聖子は松本隆と、止揚へ導いてくれる作り手と出会えたのに対し、中森明菜にはそうした関係の人がいませんでした。特定の作り手と長く組むことで、前の曲はこうだったから次はああしようと幅が広がった二人と比べて、さまざまな作り手から彼女らしい曲(孤高、どこか寂しげ)を提供された中森明菜は、曲調的には幅広くてもイメージ的には固定してしまった。この辺りの話などは、流行に左右されやすいものの売り方を考えるビジネス書としても読むことができます。

結婚してきっぱり引退した百恵、実力はあるはずなのにいろんな問題で活動休止となっている明菜に対し、スキャンダルやバッシングも乗り越えて松田聖子が今なお活躍している状況について、松田聖子だけが本名と異なる芸名だという指摘にもなるほどと思いました。つまり、本名でタレント活動して批判されると、それはもろに自分への批判だと感じてしまいがちなのに対し、芸名で活動していると仕事とプライベートの切り替えができて精神的に楽なのではと。この点、仕事とプライベートが混同されがちな「芸能人」という仕事はホントに大変ですよね…。私は、図書館巡り関連でラジオ出演は何度かさせていただいている一方、テレビはお声掛けいただいても断っているのですが、今のタレントはテレビに出て顔をさらすのみならず私生活までさらけ出していて、よくやるなあと思ってしまいます。

こうやって一人の歌手を作り上げていった時代と比べて、何人かまとめてグループ作って誰か売れればいいだろうと言わんばかりの現在は、効率的でもあり安易にも見えますが、失敗したときの本人たちへのダメージを軽減する意味ではいいのかもしれません。この3人が活躍する裏で、うまくいかずに芸能界から消えていった人達もいることを思うと、そんな風にも考えてしまいます。

ちなみに、合わせたわけではありませんが、今日が松田聖子の誕生日。今日で52歳、今年でデビュー35周年目だそうですが、スキャンダラスな噂も今なお健在。やはり大物は違います。

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ニッポンのサイズ―身体ではかる尺貫法』読了。この本も、3日前にブログ記事にした『鯨尺の法則』と同様、年始に渋谷区立西原図書館で実施されていた「本の福袋」で私が借りた袋「尺ジャパン」に入っていた1冊。返却期限までに読み切れず、地元多摩市の図書館で再度借り、今読み終わったところも同様です。ちなみに、福袋企画で出会って、面白そうだけど読めずに返してしまい、また借りて読もうと思っているのはあと1冊。こちらはまだ借りてもおらず、個人的にはまだまだ年末年始の福袋企画の楽しみがまだ続いている状態です(笑)。

こちらの本は尺・貫・升・刻など、昔ながらの単位についてまとめており、これらの単位がいかに暮らしに密着していたかがわかります。例えば、1坪は1人が1日に食べる量のコメが取れる面積、1反は1人が1年に食べる量のコメが取れる面積、米1石は1人が1年間に食べるコメの量といったかたち。

また、不定時法における一刻の長さの変化も、昔の暮らしでは便利だったというのも、言われてみると納得です。江戸時代の不定時法、つまり、日が出る時間、出ていない時間をそれぞれ六等分してそれを一刻とする方法は、現代からしてみると所要時間などがわかりづらくて困るのではないかと思ってしまいますが、暗くなっても照明で昼間のような明るさに、とはできない当時においては、そちらの方が便利だったのだそう。単位が示す量だけでなく、単位の仕組み自体も、暮らしあってのものなんですね。

もう一つ面白かったのは、慶長7(1602)年に36町=1里と定められる以前の「里」。それ以前の「里」は、距離を示す単位ではなく、徒歩の旅にかかる労力を表す数字で、険しい道か平坦な道かによって1里の距離が違ったのだそうです。歩きやすさは人にもよるので数値化するのが難しそうですが、目安として使うには便利そう。現在の技術を使えば、GPSでのウォーキング記録と道の情報を使って、その人の里を割り出すこともできるんじゃなかろうか。

徒歩での所要時間といえば、不思議でもあり便利でもあるのですが、私の場合、GoogleMapで長距離ウォーキングの所要時間を調べると、かなり正確なんです。私は図書館巡りの行き帰りにウォーキングもしていて、こちらに記録もしているのですが、ウォーキングの速さでいうと平均よりおそらく速い。ですが、街中で歩くと信号待ちなどもあり、そうしたロスタイムも含めた所要時間は、なぜかGoogleMapの所要時間通りになることがかなり多いんです。ウォーキングルートなども、都内だと歩道のどちら側というレベルまで表示されていることもあり(=車道の左右どちらかの歩道にしか横断歩道がないなどの場合、その情報込みでルートが示される)、GoogleMapの能力の恐ろしさを毎回感じています。

本の内容に話を戻すと、時代がわからないと単位も語れないということにも驚かされます。上記の「里」もそうですけど、1升が何ccか、1坪(歩)が何屬といった、その単位の示す大きさが時代によって変わるんです。だから、「1升は何ccですか」という問題に正確に答えるなら「それはいつの時代の1升ですか」と聞き返さないと答えられないとうわけ。

モノによって同じ単位が違う大きさになることもあり、たとえば、慶長年間では、山椒1斤=約225g、お茶1斤=約750g、木綿1斤=約825gといったように、「斤」がモノによって違う重さになるんです。単位というより、“ひとかたまり”みたいな言葉だったんでしょうね。実際、現在も使われいてる食パン1斤も、正確に何グラムと定められているのではなく、“ひとかたまり”という意味ですし。

こんなかたちで、決まりきっているものと思っていた「単位」が一律ではないことをいろいろ紹介しいてくれるのが、この本の面白さです。

ただ、残念なのは、昔やよかった&今へのダメ出しがしつこいくらいに綴られること。どちらか一つに選ぶ必要はなく共存しえるものや、個人の好みの問題などは、「Bもいいという人もいるかもしれないけど、私はAが好き、Aを選ぶ」といえばいいと思うのですが、世の中「Aがいい。Bはダメ。Bを好む人なんてサイテー」とする人がときどきいますよね。この傾向が強いと、私などはAのよさ云々以前に、発言者の心の狭さにうんざりしてしまうのですが、この本もややその傾向あり。しかも、章の最初の方では今のよさも認めている風な発言をしておきながら、最終的に昔がいいという話にもっていくのでやっかいです。

なので、これから読む方がいたら、そうした「昔やよかった&今へのダメ出し」の主張は適度に流して、書かれている情報の面白さに焦点を当てて読むのがいいかと。そして、その点での『鯨尺の法則』の読み心地よさをあらためて感じました。古いものと新しいもの、それぞれのよさを生活に取り入れたいです。

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鯨尺の法則―日本の暮らしが生んだかたち』読了。この本は年始に渋谷区立西原図書館で実施されていた「本の福袋」で私が借りた袋「尺ジャパン」に入っていた1冊です。返却期限までに読み切れず、地元多摩市の図書館で借りて、今読み終わりました。先日ブログにUPした『駄菓子屋図鑑』もそうで、福袋企画で出会った本を2ヶ月経った今コツコツ読んでいる状態です。

「鯨尺」というのは着物の仕立てに使われたものさし。これをはじめとして、屏風、乱れ箱、足袋、行李、香など、和物道具を取り上げたエッセイが22編収録されています。成り立ちからきちんと調べ、でもそれを懐かしいもの・失われつつあるものとしてでなく、今もいきているものとして紹介してくれているのが心地いい。著者・長町さんの身の回りのできごとから、その小物・道具を通じて日本文化へを思いを巡らせる様子を読んで、頷いたり驚いたりするのが楽しいのです。

たとえば、冒頭の鯨尺のエッセイでは、反物の幅は着物として完成したときのことを考えて決まっただけでなく、反物の生産者側の都合もあったのではという長町さんの仮説が披露されています。というのも、長町さんが趣味で織物を習い始めて気づくに、布を織る際に幅を肩幅以上に設定するととても疲れるのだとか。織り手にとって、肩幅か腰幅がいちばん無理なく効率的に織れるのだそうです。

また、長町さんの知人の韓国人の方が、押入れを指して「日本の家は棚が建物に最初からついているのはいいアイデア」と評したエピソードにもハッとしました。押入れって、長町さんにとっては、そして私にとっても、「建物の一部」という認識ですが、外国の方にとっては「作り付け家具」に見えるんですね。ル・コルビュジエに協力していたインテリアデザイナーが、日本の伝統家屋をみて、モデュロールによる空間のユニット化が既にあると評した話にも納得です。

現代批判などではなく、伝統のものと今の暮らしを繋げるかたちで綴られた文章を読んでいると、買い物ついでに和小物を買って生活に取り入れてみたくなります。それと同時に、現代的な生活をしているつもりの人でも、実はその暮らしの中に昔ながらの考えなどが織り込まれていることに気付かされると思います。

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駄菓子屋図鑑』読了。この本は昨年末に豊島区立駒込図書館で実施されていた福袋企画「こまちゃんのお楽しみ袋」で私が借りた袋「懐かしの昭和」に入っていた1冊です。返却期限までに読み切れず、別の図書館で借りて、今やっと読み終わりました。

駄菓子屋について、ではなく、思い出の駄菓子を一つ一つ紹介する本なので、「屋」を抜いた「駄菓子図鑑」のほうが適切ではないかとも思ってしまいますが、あえて「駄菓子屋」としたのはおそらく、駄菓子屋にまつわる遊びも紹介したかったからでしょう。駄菓子30、おもちゃ36、遊び15の計81項目で構成された内容です。

著者が昭和17年生まれとあって、昭和46年生まれの私には、「おっ、懐かしい」とわかるものが半分、「へぇ〜、そうなんだ」と知らないものが半分といったところ。紹介されているモノを具体的に挙げてみますと、駄菓子では寒天ゼリー、チューブチョコ、カルメ焼き、酢いか、ポン菓子、おもちゃでは日光写真、カンシャク玉、ウイテコイ、遊びではビー玉、メンコ、石けり、などなど。

…と懐かしのものを列挙していたら、ドラマ「熱中時代」の主題歌「やさしさ紙芝居」(ビー玉、ベーゴマ、風船ガムにニッキと えーっとそれから メンコとおはじきと…)を思い出しました。北野先生も今やすっかり右京さん、時の流れを感じてしまいます。

五寸釘だけあれば遊べる「くぎさし」(地面に刺したくぎに勝負くぎを投げて倒せば取れる)など、何でも遊び道具にできる子どもの発想にびっくりする一方、何じゃそりゃというものもあります。リリアンは私も編んだ覚えはありますが、完成させたものをどうこうした記憶は全くありません(笑)。私が小学生の頃、給食の牛乳瓶のフタを使ったメンコのような遊びが男子の間で流行ったことがありましたが、行き過ぎて机の中がフタだらけになっていた男子は、机が牛乳臭いと気味悪がられていたなあ。子どもって、「発想が豊か」と「おバカ」の混合物ともいえますね(笑)。

この本は、懐かしいものを紹介しているものの、懐古礼賛的な内容ではないのが読み心地いいです。むしろ、そう思って読み始めたら最初からガツンとやられます。何しろ、本文最初の文章が、こうですから。
「下町ブーム」といわれているせいなのか、駄菓子が静かに人気を集めているらしい。懐かしいぼくらの昔を若者たちがあらためて再発見しようとしてくれるのは、正直いってうれしい。
しかし、ただ、なんでもかんでも昔の下町が美化して語られすぎるのも、なんだかうさんくさい気がしてこないでもない。
昔はよかった、ことばかりでは決してなかったはずだからである。
ハエもカもネズミもやたらに多く、疫痢や赤痢でよく子どもが死んだ。

今はない時代を懐かしむ本というより、昔のおもちゃや遊びの話を通して、大人の読者を子どもの気分に戻してくれる本といった内容で、読み終わると子どもじみた遊びをしたくなります(笑)。

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