2014年08月09日

未だモーニング娘に属し続ける中澤さん…とか。

こんばんは。タケです。


ハロステでBerryz工房の活動休止発表を見て涙した人も多いと思います。あんなの見たら泣くだろ普通。
メンバーたちもいってましたけど、普段あまり泣くことのない嗣永さんや徳永さんがぼろぼろと涙をこぼしてるの見てたらグアッと感情があふれてきました。

このBerryz工房の無期限活動休止ですけど、これってなかなかいいネーミングだなって感じたんですね。(活動休止が良いってことじゃないですよ。活動は続けて欲しいに決まってるじゃないか。)

いやね、別にやめる必要ないと思うんですよ。
やめる!っていったらもうやめるのよ。もうやらないのよ。もしやりたくなっても、1回やめたものを始めるってのはなかなか体力使うと思うんです。
でも、今回のBerryz工房はやめてないからね。ちょっと休んでるだけだから。いつまで休むかわからないけどやめたわけじゃないからね。嗣永さんの思いは間違ってません。Berryz工房は生き続けるんです。

そんなことを考えながらふと思ったんですよ。

じゃあ卒業ってなんだろう、と。

どこかのグループに所属しているメンバーがそのグループを「卒業」して、そのグループをやめちゃう。
これだって「活動休止」みたいな形にすれば良いんじゃないの。そりゃあけじめとか区切りってのもあるんだろうけど、そのグループに在籍していることはとても大切なことのはずです。グループに存在していることがソロ活動の足かせになっているというのであれば、活動休止でも良いじゃないか。

さらにいえばね、そのグループ自体をもっとフワッとしたものにしてしまうとかね。
AKB48はそこに在籍しているメンバーたちの中から何人かを抽出してシングル曲を発表したり、ライブをやったりしてます。それをもっと緩やかなものにして、卒業という“儀式”を無くしてしまえばいい。

どうもね、卒業ってのに違和感を感じるんですよ。アイドルグループからの卒業ってなんだと。卒業していったいなにわかるというのかと。
卒業したメンバーを集めてドリームなんとかを作るとか、本末転倒も良いところじゃないですか。それだったら最初から卒業すんなよと。

いやね、卒業したメンバーが大成しているメンバーってのがあまりないんですよ。
若いメンバーたちに押し出されるように卒業して、グループというバックグラウンドを失ってそのままフェードアウトしてしまう。そんなの悲しいじゃないですか。
それだったら積極的に顔出していけばいい。何曲かに一回、何年かに一回で良いからそのグループに参加すれば良いんですよ。活動休止も卒業もしてないんだから問題ないでしょう。

アムロも言ってました。まだ僕には帰れる所があるんだ。こんな嬉しいことはないって。

それまでそのグループに属してグループの飛躍に力を使い、卒業してソロとして活躍する。そんな理想のケースは確かにあるかもしれません。
でも、そのグループに属し続けてソロとして活躍する。そんなケースがあったっていいじゃないか。

大きく両手を広げてそのメンバーの帰りを待ち続ける。いつでも戻れる存在である。そんなグループがあったっていいんじゃない?どう?

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