takeahero

TADY says " Life is FLY".

What,How & Why I've lived, and will do.

8 Nov

♪時計の針を早める決断を支持する。

2014年10月31日 ハロウィーンの日に、
日銀・黒田総裁がサプライズの追加緩和を発表した。

同日のGPIF(公的年金)による運用銘柄に占める日本株の比率の大幅アップ(日本国債比率の大幅ダウン)
と、
29日の、米国FRBによる金融緩和(QE3)終了の発表
との連携プレーで、急激な円安(1週間で、1ドル=108円から115円まで)が起きた。

円安期待の醸成ではなく、円安への誘導であり、
これは株価(市場)操作でしょう。
いくらお偉いさんがレトリックで正当化したとしても、
その論陣は、僕がやっても合理的に矛盾を指摘し、論破できそう。
それほど明確な(実質的)株価操作。

更に言うと、年金(国家のルールで強制的に徴収されているという点では実質、税金)を活用した
国民から株主への富みの配分でもある。

二年前のこのブログで、野田政権のcrazyさを指摘したけど、

今回の黒田バズーカと周辺政策も負けていないくらいの異常さ。

市場操作であり相場操縦。
その指摘に、合理的には(政治的に、権力的にはどうか知らないが)
言い逃れできないと知りながら、日銀総裁が敢えてそういう政策を打つ。

この異常さ、異様さには、戦慄を覚えるし、
その背景に思いを馳せると、気持ちが引き締まる。

異常が異常を呼ぶ、異常の連鎖。異常さを隠す素振りもあまりない。
走り出したcrazy trainは止まらない。


3年前くらいから、このブログに円安、インフレに関することをたまに書いていた。
泡のお金が去りし後
マネーの顛末
インフレが招くリスク
『読書の秋』で考えたこと

このころは黒田バズーカの第一弾もまだ放たれていなかったけど、
それでも、いつ円安に触れて、インフレが起きても全くおかしくない状況だった。
それが、アベノミクスを引き金として、列車は動き出してしまった。
列車にはブレーキはついていない、、

とはいえ、僕は標題の通り、この「時計の針を進める政策を支持」します。

そもそも、
現行の金融システム、経済ルールを前提とするなら、
日本の財政(そして恐らく統治構造も)は継続不可能としか思えない。

この現実は、変えられない。

であるなら、少しでも早くクラッシュさせるのが良い、ということ。

もちろん、大変なことが起きるだろうけれど、国家財政が破たんしても全てが崩壊するわけではない。

国家にしがみつかずに、誇りある日本人の一個人として、
時代の変遷と対峙する気概で臨めば、何も怖れるようなことではない。

自発的な変化が起こることはほぼなかった我が島国だが、
だからこそ歳月とともに培われた、
驚異的な受動的忍耐力(これが本当のヤマト魂?)を持ってすれば、
迫りくる未来も十分耐え忍べるだろう。

30年後、50年後の日の出のために、潔く、淡々と沈む時期が来たのでは。

今の為政者を言葉汚くののしったり、
他国を忌み嫌ったり、
為政者よりの声だけが占める報道にかみついたりしても、詮の無いこと。

問題の本質は、為政者でも、他国でも、報道でもなく、
交戦能力を基盤とする政治・外交フィールドと
資本主義経済の市場原理フィールドでは、
日本が間もなく弱者と成り果てるという、動かしようのない現実なのだから。

何があっても、心の底の底では穏やかに。
この日本で生まれ育ったものだからこそ体現できる価値がある。
それを未来に繋げれるようにこの身に宿し続ける。

そのために、まずは生き抜き、
次の日の出を願いながら残された日々を駆け抜けよう。

尊敬などされなくても
歴史に名を残さなくても
感謝の言葉をもらえなくても、いい。
勇ましいふりもいらない。

日本が、日本の歴史が、日本の文化が、日本人がいたからこそ、実現した世界が
明らかに広がっているのであれば、それ以上言葉を足すこともないだろう。

伝えるべきは、大いなる受容であり、熱狂的なるものへの疑いか。

言葉穏やかで、言葉少なく、
清々しく、純朴で、優秀な、田舎育ちのコンプレックス持ち。

そんな人間臭さ薫るこの風土には、感謝の気持ちしかない。


捲土重来に向け、日本が栄光ある撤退を始める時期。

今の世相を、そのように感じ始めてます。
25 Jun

●必要なのは【W杯モード】のプログラミング(ブラジル・ワールドカップ論◆

今回も8年前と同様、やはりというか、当然というか、
我らが日本代表は、
ブラジル・ワールドカップ、グループリーグ(GL)3戦目、
コロンビアに1-4で敗れ、GL最下位敗退。


欧州クラブで活躍する選手が多く、
「史上最強」の呼び声高かった代表が、、なんて、ほんと8年前とそっくり。
W杯の戦い方、という面では、
「8年前の経験から学ぶことができてなかった」ということだとは思うし、
最後の方の結論と関係するけど
「4年前の経験も活かしていない」、ということだと思う。

「日本中が4年に一度、盛り上がるチャンス」を逸したことは確かだけど、
この失敗を受けて、あまり大げさなリアクションは不要ではと思ってます。

僕が、
なるほどなぁと思い、また同意した考えを書いていた読み物を以下にいくつか。

特に、下の2つは、かなり同意。

■ザック「間違ったアプローチだった」W杯 コロンビア戦後監督会見
■【W杯】「シャルケの方がいいプレーできる。なんでかな…」。内田が抱える違和感。「代表引退」発言の裏にや切れない思い
■ザッケローニの言う「インテンシティ」とは何だったのか
■木梨憲武 ザックJは「攻撃的サッカー」に踊らされたんじゃないの?


↓このセルジオ氏の指摘は、同意の部分もあるけど、基本オーバーリアクション。
■ブラジルW杯敗退にセルジオ越後氏「この敗戦はチャンス。日本代表とは何かを今一度考えよ」


前回も書いたように、
今回のW杯のトライが失敗したのは、
「ザッケローニの采配ミス」が最大の要因。

二番目は、本田のコンディションが想定より悪すぎたこと。
本田中心の戦い方以外はなかった日本にとって、これも相当痛かった。

当時者である、選手たちが、思いを吐露するのは別として、
本田たち以前も、本田たち以後も、日本代表を応援し続ける我々としては、
本番での、ザック、本田という一個人のミスを起因にする失敗を受け、
この4年間のプロセスそのものを否定する必要はない。

「弱小とばかりの親善試合」とセルジオ氏は言うけど、
実際は、
欧州アウェーで、オランダに引き分け、ベルギーに勝ち、
本戦でウルグアイ、イングランドを破ったコスタリカに直前に快勝しているわけで、
今回の日本代表が「史上最強」だったのは間違いない。

サッカー事情に疎く、代表選手を芸能人ぽく捉えている層が
どんな印象を持ってるのかは知らないけど
「本田がメッシやCR7と同等」というようなイメージを持っているなら、
それは過剰な持ち上げ方だが、
永年のファンの目からみても、
「今回の代表チームや選手が強い」というのは、それほど虚像だったわけではない。

コートジボアールに惨めな逆転負けを喫し、
ギリシア相手に、最低な試合をして引き分け、
コロンビアの2軍に、軽くひねられ、たけど、
それを持って、
「日本代表が持っている力が弱かった」とはならない。

欧州でも、リーグ戦や、特にカップ戦で、
ビッグクラブが、弱小チームと引き分け、負けたりすることは、良くあること。

野球でも、巨人がDeNAに負けることもあるけど、
でも、その1戦を持って、
ビッグクラブ(巨人)が、「その弱小(DeNA)よりも実は弱かったんだ」とはならない。

今回の日本代表は、
(少なくとも今までの代表よりも)強かった
(はず)であり、

負けたのは、
選手選考を含む、ザッケローニの采配(人事面の)ミスと、
本田のコンディションがこの4年間で最悪だったこと
にある。

だから、
何もかもを否定したり、大げさに悲しんだりすることは、
(暇つぶしのための感情活動の消費財として、扱う意図を持ってやるのは良いとしても)
あまり合理的な反応ではない、ということをまず言いたい。




次に、僕がずっと気になっていたのは、
大会前、そして大会中にやたらと関係者たちが口にしていたという
「自分たちのサッカーが、」うんぬんのコメント。

これは、↑で紹介した内田選手のコメントに共感した部分に関係するけど、

「自分たちのサッカーができれば、勝てる」とか言うけど、
「自分たちのサッカー」=「やりたいサッカー、試合運び」であり、
それができれば、勝てる、とか、そんなの当たり前でしょと。


それを阻止しようとするのが相手であり、
それが出来なかったから勝てないって、それじゃあ困るし、
阻止しようとする相手、もしくは、相手も「自分たちの型」でサッカーしたいわけで、
そういう環境下では再現できない戦いの型しかなかったらダメ。

阻止しようとする相手に対して、それでもやり遂げる力があると思ってたのなら、
現状認識が甘すぎる。W杯を舐めすぎてる。


「自分たちのやりたい攻撃的なサッカー」があるのはいいけど、
それが、思うようにできないことも当然想定し、
その場合でも勝つ(負けない)プランBを持つことせんとダメでしょ。

「自分たちのサッカー」を巡る、監督、選手のコメント、
そしてそれを巡るジャーナル人たちの議論の多くについて、
僕は、言葉は悪いけれど、
「アホか?」
と思い、

第一戦を終えた後の、岡崎選手から
「自分たちのサッカーができなかったのだから、勝たなくてよかったとすら思う」
という主旨コメントがあったという記事を読み

「勝負事は勝ちが全てということ忘れたの?」

「?」が1万個くらい浮かんだ。


W杯で
「自分たちのサッカー」論議が起こること自体、
はっきり言って、考え方間違えまくってると。
ズレまくってる。

これは、監督のエクスキューズに、
選手やジャーナル人が乗せられただけじゃないかとまで思った。

W杯を唯一の「本番」と捉える場合、それまでのプロセスで、
「自分たちのサッカー」なる、
「正しいと考える姿」を定義し、修得していくことはやるべきと思うものの、

「本番」では、「勝ち」が全てに優先されるわけで、
勝負事の本番で、「勝ち」以上に大切なものは、何一つ無い。

何一つとして無いのだ。

そういうコメントが出てくること自体、
ザックは「勝負師」ではないと、前回僕が断じた理由。

前回「ザックはノックアウト方式での経験が乏しいのでは」というguessをしたけど、
wikiで調べると、
ザックは、CLなど短期ノックアウト方式の経験はあるけど、そこでことごとく失敗し、それを理由に1年毎の解任が続いたということがわかった。

さもありなん。

コートジボアール戦での、「長谷部→遠藤」の交替について、
「試合前から決めていた交替」と平気でコメントしてるけど、
そのこと自体がまさに「??」であり、完全なピンボケコメント。

「1点先制しながら、フィジカルで押され、自分たちのサッカー、はどうもできなそう」
という状況は、試合前に想定していたのと、状況は明らかに違ったはず。

なのに、試合前から決めていた交替をそのまま行ったというのは、
「私は土壇場での判断能力はない監督です」と言っているように聞こえる。

その場に応じた、最適な判断を下せないザックは、
結論としては、W杯向きではなかったということ。

ただ、
4年間の日本代表の試合を、1つのリーグ戦と捉えると、
僕らはエキサイティングなリーグ戦での戦いぶりに楽しませてもらえたし、
その間の選手のレベルアップについてもある程度満足できた。
最後の、肝心のプレーオフ(W杯)は散々だったけど。
ということ。


「W杯の戦い方」
「初戦の入り方」
「同点にされた時のうろたえ方」

とかを、
すぐ「メンタル」の問題にするけど、それも少し違う

観ていて、確かにメンタルが弱い、「戦えない選手」は何人かいたように見えた。
で、
そういう選手は、最初からどんなに技術があろうが、練習で活躍しようが、
選考してはいけない、というのが具体的な対処法で、
それを見極める方法、眼を持っているのが、監督側のノウハウ。
そういう選手たちを選んでおいて、
「その選手たちのメンタルが問題だった」というのも、当たり前でしょ、という話。

「うろたえ」についても、
ドログバみたいな
人を超えたようなワールドバリューのある偉大な選手が入ってくれば、
雰囲気が一瞬で変わって浮足立つなんてことは、ありうることだし、
前回指摘したように、
そういうものへの「具体的な対処法」はあるし、

同じように、
「W杯の戦い方」
「初戦の戦い方」というものの対処としての、

【W杯モード】が、日本代表サッカーのノウハウとして、確立されてないだけ。
そして、ジーコやザックは、それをもたらしてくれる監督ではなかった、というだけのこと。


不思議なのは、
4年前、日本代表は、決して強くなかったけど、W杯でGLを突破し、
ベスト16まで行き、
そこでもPKで負けただけであり、あれは成功体験だったはず。


(選手選考、采配を含む)あの戦い方こそ、「W杯の戦い方」の試金石
だったと思うのだけど、それを、neglectし、

W杯=本番=勝ちが全ての場
でも、自分探しをするフリーターよろしく
「自分たちの(やりたい攻撃的な)サッカー」とやらにこだわろうとしていたこと、
そして、
それが主題のような、コメント、コミュニケーションが飛び交ったこと。

僕には、意味不明過ぎでした(消費財としてのネタ提供程度ならOKだが)。


W杯をどうとらえてるのか?
唯一の本番じゃないのだろうか?

今大会で、
6年間続けて、確立された「自分たちのサッカー」を忠実に行い、
散々な結果になったスペイン。

これがW杯への正しい挑み方なのか?

それとも、
伝統の3-4-3を捨て、
5バックを敷いて、スペインを叩きのめし、
チリに対しても、同様の戦術で勝利し、
3戦全勝で意気揚々とGLを勝ち上がったオランダがW杯モードの正解なのか。

答えは明らかと思うのだが。。



「自分たちの(やりたい攻撃的な)サッカー」とやらと異なる、ことを理由に、
負け試合や、ドロー濃厚の試合の、終盤で、パワープレイすること自体がおかしい、
とか言い出す選手やジャーナル人が、いたようだけど、
これも全く訳がわからない。

「今まで、練習してこなかったのに」とか
「パワープレイに長けた選手を選ばなかったのに」という、
ザッケローニの一貫性への批判はならわかるけど、
それは、それまでのザックが間違っていただけで、
練習してこなかったかもしれないし、
パワープレイに長けた選手はベンチ含め確かにあまりいないかもしれないが、
「パワープレイ」が必要なときは、やるのは当たり前。

「これまで間違いを犯してきたんだから、最後まで間違いを押し通せ」、
とはならないし、ザックの揚げ足を取るだけの無意味な批判。

僕は、パワープレイを試みたことは、
ザックがやった、数少ない(唯一の?)
「本番に対応した采配」だったと評価している。

結果、既出のように、練習してなかったし、適した選手もいないから、
効果はあまり出せなかったけれど、
かといって、
「パワープレイがない戦い方の内でしか、戦うべきではなかった」
ともならない。

その戦い方で一向に崩せず、
また時間的に最終局面に来ているからパワープレイをしたのであり、
試合の最終局面では、
吉田を上げて、相手に「パワープレイもありうる」と思わせた方が、
「パワープレイはしてこない」と最初からバレているよりも、良いからだ。


要は、
「自分たちのサッカー」=「可能であればヤリタイと思っているサッカー」
も合っていいし、
それは、監督が変わるたびに、変わるのは避けるべきだけど、
「W杯での良い結果だけが全て」、という極端な見地に立てば、
そんなことは2の次、3の次なわけで、
「自分たちの(やりたい攻撃的な)サッカー」にこだわってたら、
日本水準の史上最強程度では、永遠にW杯で好結果は出ませんよ、と。


そんなことは、
「日本史上最高クラスの選手である」本田が何を言おうが、本田以前も本田以後も、
サッカーを応援し続ける我々なら、とっくに分かり切っていること
と思うのですが。。

(「本田のコンディションが2年前と同程度なら、もう少し戦えた」
という極地的主張があるなら、それには同意。
当時者としての彼はそれで戦えるかを知りたかったのかもしれない。
でもそれなら、コンディションを持ってこれなかった彼の失敗で、彼に重い責任がある。)


実体験した上での、学びは確かに重要だと思うので、良いと思いますが、
それすら、本当は8年前(本田以前の中田の時代)に、
かなりの部分で学ぶチャンスがあったと思い、釈然としない気持ちではあります。

ザッケローニが率いる日本代表が戦った
【4年間のリーグ戦】は見応えがあった。


それには素直に感謝。

【W杯というプレーオフ】で結果を残したいのであれば、
【W杯モード】
=【弱小が強豪と対峙する場で、弱い方が勝つ可能性を最大化できる戦い方】

を身に着けること。


それが抜けているだけ。

そして、
それは4年前にすでにヒントがあったはず。

代表には戦えないメンタルはいらないし、実は王様もいらない。

そして、W杯に勝ちたいなら、
そのためのノウハウを知っている、具体的な対処方法が分かっている監督に、
少なくともW杯の時は采配を振るってもらい、
それをサッカー日本代表サイドが吸収し、確立していくこと。


今回のLearningは、シンプルに言うとそれだけではないか、と、僕は思っています。



次の監督候補に挙がってる、アギーレ、ペケルマン、とかは良いけど、
必要なのはW杯のとき。

今から任せるのが色んな意味で良い結果になるかは、「?」です。
24 Jun

●「良い準備」より、「自分たちのサッカー」より、大切な「戦士の姿勢」。(ブラジルW杯論 

2014年、ブラジル・ワールドカップ。
1次リーグは最終ラウンド(3戦目)に突入。

先月から早起き習慣をつけていたこともあり、
仕事や体調への影響は最小限にしながら、
サッカー好きにとって「4年に一度の至福の日々」をenjoyしています♪

我らが日本代表は、明日の早朝、グループリーグの最終戦となるコロンビア戦に臨みますが、どうしてもその前に、今の見解をまとめておかないと、モヤモヤが晴れない状態になってしまっているので、久しぶりのブログ更新です。




6/15 対 コートジボアール 1-2 ●
6/20 対 ギリシア 0-0 △
これまで日本代表が獲得した勝点は1。

「絶対に勝たねば」とされていた、初戦で、先制点を奪いながら、
目を覆いたくなるような逆転負けを喫した。
追い込まれた状態で、必勝を期して臨んだ第2戦で、引き分け。
グループリーグの自力突破が無くなった上で、組み合わせ決定時から「勝利は難しい」と思われていたグループ最強の南米チームとの3戦目に「勝利した上で、奇跡を起こせ!」というモードで臨む。。

多くのメディアや、ネットの声が指摘するようにここまでの状況は、
8年前のドイツ・ワールドカップの時と驚くほど似ているなぁと(8年前は、初戦がオーストラリア、2戦目がクロアチア、3戦目がブラジル)。

8年前(僕は家族もなく、仕事ではちょうど投資銀行に移ったタイミングだったなぁ・・)
に稚拙な文章で、表明した以下の見解
●評価と宿題は?(ドイツW杯論)
●リアルを世論に (ドイツW杯論 ◆
については、今も同じように思っているし、今回のケースにもある部分で当てはまる部分は多いように思う。

明日のコロンビア戦の結果、
仮に「奇跡」が起きて決勝トーナメントに進めたとしても、
【「奇跡」を起こさなくては、目標達成ができない状況に追い込まれた】時点で、基本的には失敗と捉えるべきというスタンスは変わらない。

8年前にもコメントしたように、
また今大会でも、
今日の段階で前回王者・スペイン、イングランド、イタリアorウルグアイ等の
グループリーグ敗退が決まっているように、
僕は大前提として、「ワールドカップ本戦のグループリーグの突破が、日本にとって当たり前」と思えるような日が来るとは、あまり信じてません。(現行ルールが踏襲される前提)

元も子もないことのようだけど、日本のレベルでは、グループリーグ突破を左右するのは、「組み合わせ」、「グループリーグでの試合順」という運の要素が大きいと思う。
これに左右されずに毎回の突破を続けているのは、ブラジル、ドイツ、などの極めて少数の国というのが事実であり、そういう国以外でも「突破が当然」と考える国はいくつかあるでしょうが、それが許容されるような国は、いわゆる強豪国と呼ばれる国で、日本は、明らかに強豪国ではないと。

で、今回の組み合わせは、グループリーグを突破した、4年前、12年前と同様に、「悪くはない」ものだったので、グループリーグ突破を現実的な目標と捉え、目標達成を楽しみに、今大会の日本代表を応援していた(る)。

先日のギリシア戦(第2戦)は、出張先のホテルで観ていたけど、
サッカーファンとして非常に苦痛の伴う、退屈な試合だった。
海外でもその「つまらなさ」が酷評されているとの話もあるが、
正直その酷評に値するような試合だった。


ただ、ああいう試合になったことを、あまり問題と僕は考えていないし、
ああいう試合は欧州リーグでもあるし、その度に酷評されるもの。
(ザックが「最後の交代枠を使用して、勝ちを狙わなかったこと」について「?」はあるが)

ワールドカップ・アジア予選や、アジア大会などで、
完全に引いて守備に回る相手を90分でほぼ攻略できず、
スコアレスやロースコアで終わる、なんていうのは、日本代表には珍しくはないこと。
(2012/2/29  日本 0-1 ウズベキスタン:W杯3次予選)
(2012/9/11  日本 1-0 イラク、2013/6/11 イラク 0-1 日本 :W杯最終予選)

相手は、「守り勝つ」戦法で、ヨーロッパ予選を粘り勝ったチームであり、
守りに徹せられたらああいう試合になるのは、想定内で、実力通りの結果。

問題なのは「1戦目に負けていた上でのドローだったこと」であり、
事の本質は、やはり
「先取点を取りながら、無残な形で逆転された1戦目の敗戦」にある、というのが僕の見解。


で、その1戦目(コートジボアール戦)の敗因について僕の結論を言えば、
完全に「采配ミス」だと思います。

本田の素晴らしいゴールで先制をしながら、
後半17分に、ドログバが投入されると、後半19分、21分と立て続けにゴールを許し、逆転負け。
その間、
日本のベンチは、ドログバ投入の前後からFW大久保投入の動きをみせながら、
踏み切らず、1点返された後は、一旦交代を取り下げようとし、
逆転されて、やっぱり投入、という流れになった。

この点は、やはり甚だ疑問。

ドログバという選手の凄さを語るエピソードは無数にあるが、
個人的に偉大さを体感したのは、モウリーニョが去ったあとのチェルシーが
暫定監督のもとで迎えたCL決勝戦をLiveで観ていたとき。
たった一人でバイエルンに立ち向かう状況でありながら、
ついに一人で同点ゴールを奪い取り、
PK戦の果てにチームに初のヨーロッパ制覇をもたらした試合。
その試合のドログバの姿は強烈であり、能力の高さのみならず、
その戦う姿勢には感銘を受け、畏敬の念すら覚えた。

そんな英雄・ドログバが途中から投入されたことで、
日本-コートジボアール戦の雰囲気は明らかに変わってしまった。
スタジアムも、
「あのドログバが出てきた」と大いに盛り上がった様がTV画面を通しても伝わってきた。
日本代表はその雰囲気に飲まれ、浮き足立ち出した。

その時に日本代表が何よりもまずやるべきだったことは、
ドログバに支配された空気を消し去ることだった。

そのためには、
日本のジョーカー的な存在で、
投入によりスタジアムの日本サポーターの歓声をベンチにいるどの選手よりも集めたであろう、
大久保の投入が有効だったはず。

そして、その大久保に、
「交替したらすぐにドログバを思いっきり削りに行け」という指示を出すべきだった


その行動こそ、
「日本は、ドログバに怖れていない」ことを、身を持って示し、
「こんな奴に何も恐れる必要はない」というメッセージを、ピッチに残る10人に届けるために
ベンチがとるべき、方策。
これは、定石(常識)と言っても良い打ち手のはず。

僕は、TVを観ながら、
「早く大久保を投入しろ」、とイライラしていたが、
イライラしている間に2点とられて逆転。

その後、ようやく大久保の投入、、では、時すでに遅し。

あのベンチワークに象徴されるように、
ザッケローニのコートジボアール戦での采配は、
CLなどでしのぎを削っているようなトップクラスの監督の采配からすると、
お話にならないほどレベルの低い采配だった(と信じている)。


2戦目のギリシア戦を見ても改めて感じたが、
ザッケローニは、僕の感覚では「勝負師」ではない。
勝負が始まった後、最後の「際(きわ)」で、有効打を出せる指揮官ではない。

「試合に臨むまでの準備」という点では、評価できる部分もあると思うし、
勝負事は「本番の前に8割以上が決まっている」という話は良く聞くし、事実だと思うけれど、
高いレベル同士の戦いでは、残りの2割弱で勝敗が決まることが多い。
(準備を万全にするのは当然のことなので)

ザッケローニは、監督のキャリアとしては、過去の代表監督と比較できない実績があり、
その彼がなぜ、本番での判断にここまでミスを犯したのか、謎ではあるが、
可能性としてあるのは、ワールドカップという舞台の経験が無かったことではないだろうか。
もしくは「負ければ終わり」というノックダウン形式での経験・実績はイマイチなのかもしれない。

ザッケローニ以降のことを考えると、
【ワールドカップの経験を有している監督】というのは外せないのではと思っている。





采配ミスによるコートジボアール戦の敗戦。

あの試合展開と、今の日本代表の持ち駒では、
どんな采配でも点をとれなかったかもしれないとはいえ、
価値ある采配は振るわれないままドローとなった第2戦。

これらを経て、向かえる第3戦で、選手に示して欲しいのは、「戦う姿勢」。

イメージで言うと、
映画『ロード・オブ・ザ・リング』で、巨大で恐ろしい見てくれの化け物軍団に、
雄叫びを上げて、突進していく騎馬隊のような、、とでも言うべき姿勢。

勝てるか、勝てないかではなく、
戦場で、勝負をする戦士として、相手や雰囲気におびえずぶつかっていく姿勢。

それが示せるかどうかだけを重視して、明朝の観戦に臨みたい。

結果、勝てばもちろん良いし、結果、決勝ラウンドに行けばもちろん嬉しい。

でも、
1、「一番勝てる可能性が低い相手」=「勝てなくても、非難できない相手」との勝負
であり、
2、仮に勝てたとしても、決勝ラウンドに進めるかは、他の試合次第
である、以上、僕なりの正しい観戦のスタンスは、「戦う姿勢」を一貫して示せるかどうかのみ。


「勝負」というものの捉え方など
もう少し、整理しておきたいことは有るけど、今は、明日の試合に集中したい。

一人の日本人として、最高に応援しているので♪

===
、、、、今回の優勝国は、今朝の試合(ブラジル-カメルーンとメキシコ-クロアチア)を見たところは、
「ブラジル」かなと。

グループリーグの初戦(スペイン戦)にピークを持ってきたと思われる、
目下絶好調のオランダには、今の調子の持続は難しいのでは
というのがなんとなくの感触(サッカーファンとしては、是非優勝してもらいたいけど)。

メッシのアルゼンチンは試合を見れてないのでなんとも言えないけど、
2-3年前のバルサの時のように、無双モードに戻れば誰も止められないので、
マラドーナになる可能性もあるのだろうけど、優勝はどうだろうか?

個人的に、これまでのブラジル・ワールドカップで、印象的だった3つは、
『強すぎるオランダ』
(強すぎを感じさせてくれる場面は、W杯や、EUROで毎回あるのだけど、、)

『スアレスの半端ない決定力』

『ブラジルの守備の良さ』

です!
5 May

「異質さ」との出会いが変えてくれる?

今年のGWは前後半ともに今のところ最高の天気ですが、仕事や娘の相手をしており、遠出はできていません。

とはいえ、一日中それらに時間がとられているわけではないので、空いてる時間の読書が進んでいます。

今月半ばに東南アジアに出張が入り、「移動時間で読む本を」と先週、買い溜めたのですが、そのうちの半分くらいこの休みで読めてしまいそうなので、さっき追加オーダーをアマゾンに入れました(笑)

さて、もうすぐ35になるのもあってか、昔ほど人との交流に時間をとれなくなっているからか、最近自分の好みや考えが固まった気がしていて、それが本選びや、外食の場所、出かける街、行く店などに影響し、おぼろげなマンネリを感じていました。

そこで最近本の選び方を変えました。

この数か月は「人が薦める本」の中から、読んでみたいと思った本だけを選んで読んでいます。

基本、Mywayな僕は、感性が違う人の「これいいよ」というレベルでは、気持ちが乗らないので、「超絶レベルのおススメ」「これ読んでなかったら人生違ってたわ」、と本人が言っているような本の中からだけ、選んでいます。

やってみると、これは面白い体験です。

例えば、爆笑問題の太田光さんが「人生最高の1冊」と言っているSF小説の『タイタンの妖女』という本を昨日読んだのですが、僕は「そこまで面白い??」という読後感でした。

「期待値が上がってたから」というより、あまり出会ったことの無い面白さ、「異質さ」のせい。つまり「こういう面白さを楽しめるベース」が僕の中にないという感じ。

一方で、「一人の人間が『人生最高の1冊』と断言しているのだから、必ずどこかに面白さや、パワー、エネルギーがある本だ、それをオープンな気持ちで感じよう」、という気持ちで読み進んだので、最初よりはその異質さを幾ばくか楽しめるようになった気がする。

ある人の感性に強烈にインパクトを与えた本に、オープンな気持ちで取り組むと、凝り固まった視野や、感覚がすこしほぐれ、フレッシュな気分になり、「現実逃避」どころか、「自分の感性からも逃避」できる感覚。

この10年くらい「小説」は歴史モノ以外はほとんど読んでいませんでしたが、「最高に良かった本」として、小説を上げる方も結構多くいて、寝る前に小説を読むのがマイブームになってます。


【一方、僕が最近薦めた本】
「こういう男が将来大活躍するんだろうなぁ」と僕が感じている後輩(2人)と、食事をすることが続きました。
飯を食いながら、仕事に向かう姿勢について相談された時に、2人ともに薦めたのが、幻冬舎の見城さんとサイバーエージェントの藤田さんの対談本、『憂鬱じゃなければ、仕事じゃない』です。

僕自身、一度読んで以来、このタイトルを思い出すだけで、気持ちが切れそうなときの支えになっている一冊です。
6 Feb

# 2013年を迎え 

ついに35歳を迎える年。

ペースを作り、それをキープし、仕事も、ライフワークも全てで、良き成果を出す年です。

真剣な心持で臨みます。




気がつけば 我が眼に映るは いつか見て 

いつか進むと 決めた道なり

2013年2月6日

田泥
17 Dec

♪2012年の師走にて、感じたこと

師走の空気が漂っています。収束に向かう前の一時の慌ただしさ、という雰囲気が僕は好きです。

この1年を振り返ったとき、昨年の年始に子供が生まれ、父親となったことが、日々の全ての局面に一貫して大きな影響を及ぼした1年だったと思います。

来年は、父親としての自分も含めて、リズム・ペースをコントロールしていきたいと思ってます。

仕事の上でも、結果は基より、様々な学び、収穫を得た1年でした。知識、意識、見識の3識の中では、「見識」の面で僅かながら成長を感じられたことがうれしかったです。気を抜かず、磨いていきたいと思います。




昨日、年の瀬が差し迫る中で行われた衆議院選挙に関連して、僕が感じ、考えたことをいくつか備忘のために。

まず、今回の衆院選は極めて異常な選挙だったと思います。
異常性は、選挙結果ではなく、選挙に至るまでのプロセスにおいて野田首相及び野田内閣がとった行動にあったと見ています。

異常性のポイントは以下の3つ。

【選挙公約に明確に反する法律の国会決議が、当該選挙で支持され誕生した政権与党の主導で、選挙を実施することなく断行される】
→消費増税のことですが、総選挙時に公約の柱として掲げたものと真逆の内容の立法を主導されては、選挙の存在意義がほとんどなくなると思います。方針の大転換について是非を選挙で問うことなく決議したわけですが、「決議後に選挙で信を問う」という順番が、政党政治の現行制度における原理原則から考えて、道義的に許されるとは思えず、選挙による政党政治の根幹が揺るいだ、極めて異常な行動だったと思っています。

※選挙公約と真逆の立法を主導するという事象を公衆の面前で断行し、この点について、マスコミもそれほど問題視しなかったという事実が、「柱となる選挙公約を基に投票先の政党を選ぶという行為は無意味」と選挙民の虚脱感を喚起し、その結果、今回の戦後最低の投票率に繋がったように私は感じています。


【違憲状態が明確に指摘されている中で、選挙が実施される】→最高裁判所が、1票の格差について、違憲である旨、明確に判決を下しているにも関わらず、その是正を行うことなく、選挙が強行されたことにも非常に驚きました。
「違憲状態を、選挙後に是正する約束をして解散」したわけですが、それでは、違憲状態が是正されない中で選挙が行われるわけですから、全ての法律に優先する日本国憲法に照らし合わせて、選挙結果の正当性に疑義が生じることを当然意味します。
また、野田さんの首相の任期はまだ残っていたわけで、違憲状態の是正に取り組む時間はあった中で、その是正に全力を尽くすことなく、違憲状態の選挙の実施を決断した。この野田氏の解散そのものの適法性や道義上の責任が問われる可能性すらある、きわめて異常な行動だったと思います。
選挙から一夜明けて、選挙結果の不当性を主張する訴訟の提起があったようですが、裏を返せば、憲法上、正当性に疑いがもたれるタイミングで解散を断行する必要が野田さんにはあったとことで、それが何なのかを追求しない、報道や有識者のプロ意識の低さにも驚きです。


【民主の党首が、自党の選挙での惨敗が十分に予期可能なタイミングで、解散を行った】
→「今、選挙をしたら民主党が大敗する」ことはどのメディアでも報じられており、各議員の実感でもあったと思います。残された任期の中で、民主党の評価を挽回すべく全力を投じることなく、選挙準備が万端の敵=自民党に塩を送るタイミングで解散を行ったということは、理由はどうあれ、衆院議員だった大量の自党員たちを国会からの追放する結果となったわけです。政党単位で選挙を争い、政党単位で政権を担い、政党単位で政策をまとめ立法を司る、といった、【政党という基本単位に立脚し様々な活動・判断を行う】、という原理原則に大きく反する異常行動だったと思います。


つまり、野田内閣というのは(その行動が招く結果の是非は別として)、憲政、選挙制度、政党制度、それぞれにおける常識、原理原則を無視した行動を平気で主導した、Crazyな内閣だった、というのが僕の見方です。

「何故ここまで、異常な行動をとったのか、とらなければならなかったのか」
この問いに答えることが、選挙による政党政治を機能させる上での、肝ではないかと思いますが、サラサラと流れていくのでしょうか。
26 Oct

『読書の秋』で考えたこと

TADYです。今年の秋は、読書の時間が取れています。

色々乱読してますが、知識の整理や理解を深めるためにも、
日本国債がらみの本を購入・立ち読み含め、読んでみました。

しっかり目の立ち読みをした結果、
藤巻健史氏の『日本大沈没』
岩本沙弓氏の『実は世界1の日本経済』を購入。
両氏の著書とも初購入でしたが、論理の骨子は理解できたつもりです。

そのほか、三橋貴明氏の本数冊や
ぐっちーさん氏の『なぜ日本経済は世界最強と言われるのか』を立ち読みしました。

藤巻さん以外は、
基本的に「日本国債の暴落(=ハイパーインフレ)」が起きる可能性は極めて低い、
ということを主張されている著者の本です。

ちょうど、これらを読み終わった頃に、先々週だったか、週刊新潮で、日本国債をめぐって
専門家が真逆の意見を述べていることについての、誌上討論がされてたので、それも立ち読みしました。

それらを読んだ上での、現状の僕の見解はこれまでと変わらず、日本国債の見通しに関してはネガティブ。
このままでは10年持たないし、持たさない方が長い目で見れば我々のためだと思います。

「日本国債は大丈夫だ」という主張にはいくつか要素がありますが、「確かに」と思った要素は2つ。

1、日本の経常収支が黒字であり、そのストックである対外純資産は世界1である。
2、今後も邦銀は国債を大量に買い続ける。

1の「経常収支黒字の蓄積=対外純資産」が世界1なので、日本経済は現状安全なのだ、
というのが岩本さんの主張で、これはもっともだと思います。

これは2にも深く関連しています。対外純資産のかなりの部分は邦銀に預けられておりそれらが、国債購入の原資となっているからです。
そして、1より2の方が、より重要なポイントだと思います。

この1と2の条件が今後も永続的に続くのであれば、国債の暴落は起きないといえるように思います。

では、この2つが崩れないためには何が必要かというと、
「円安が起きないこと」 「インフレが進まないこと」 「政策金利が上がらないこと」
即ち、今の円高基調、デフレ経済が今後も続くことであり、日本の弱体化が更に続くこと。
この路線は「問題の永遠の先送り」でしかない、問題は大きくなるだけで、一切解決には向かわない。
「永遠の先送り」は当然不可能であるため、仮にこれを選べるとしても、選ばずに早く問題を終わらすのが、結局は最善と言えるのでは、と思います。

じゃあ、2つの条件が崩れることがないか、というと、今よりも円安が進む可能性は十分あると。
具体的には、
・消費税の断行等により、国内消費がさらに悪化し、さらなる税収減に陥る
・パブリックセクターの財政赤字が改善せず、国債・地方債の残高が個人資産の残高に近づいていく
・日本の貿易収支の赤字がさらに高まり、経常収支の黒字幅が減少を続ける
のようなことが判明し、その時、今の欧州問題などが落着きを見せていれば、現状より円安は進み、
最初は少しずつながら、政策金利が上昇していくことになる。
税収は減り、国債の支払い金利が上昇することで、赤字国債の残高はかなりペースで積みあがることになり、更に円安が進み、金利が上がる。
金利上昇による国債価値の下落が一定以上大きくなると、保有債権(国債)の評価減により、地銀を中心とする邦銀の純資産が低下することで、銀行再編が進む。
BIS規制等に抵触しないよう、債権価値の継続的下落が見込まれる国債の引き受け可能量が大きく減少する。
日銀法改正により、日銀が直接国債を引き受ける、ということが実施される、、。
そして、ハイパーインフレへのファイナルカウントダウンが始まる・・・。

上記プロセスの途中で、円安で貿易赤字の縮小や、黒字化が起き、
経常収支が改善を見せることで、税収が増える可能性もある。
地銀が国債を引き受けなくなっても、かかる状況を受け、外人が国債を買い支えるということは起きるかもしれない。
その時に、「財政・税制を適切に、機動的にコントロールすることができる体制があれば」、「ポジティブな局面を捉えその状態を維持するための対策が打てれば」、・・・

でも、もしそんなことができるのなら、そもそもここまで問題は大きくなっていないはず。

現行のままでは、日本財政の奥に眠る怪物がさらに大きくなって行く可能性が最も高いと思っています。

なるほど、今、「定点観測」をすれば、日本は他よりもましなのは事実でしょうが、
「今が悪くても将来改善する見込みが十分ある、経済成長のシナリオが誰の目にも明らか」なのと
「今はまあましでも、将来改善する見込みが見えず、経済成長のシナリオが誰の目にも見えない」のとを比較し、
「今は後者の方が安全」という主張は、正しいでしょうが、「でも」と思います。

「今の内に適切な手を打つべし」というのも、正しいでしょうが、
それがこれまでできなかったこと、これからもできないであろうことが最大の問題だと思っています。

この現行体制では、日本の財政・税制の本質的な問題を解決できるとは到底思えません。

政治家や官僚の中にも、【大いなる虚しさ】がつもり続けているであろう、現行体制からどうやれば脱却できるか。

日本国家について、考え、語るべきはこの1点では、とすら思います。

一流のグローバル企業のように、機動性に富む、合理的な仕組みが、国家運営にも求められているのだとして、
それを構築するためには、いったん壊すことが必要。

日本国債に端を発するハイパーインフレは世界に波及しない。
アメリカの財政は、too big to failでつぶせない。
日本は財政的につぶせる国です。
つぶしても生き残れる体力(アセット)があるうちにつぶせば、再生で競争力を示すことができる。

「他の国よりましだから、国債は暴落しない」というのではなく
「国債が暴落しても他の国よりもダメージが小さい」というように解釈し、「つぶれることができる」、強みを最大限に活用すべきではと僕は思っています。
8 Sep

Before Next Fly

先週、初めて北京に行ってきました。

大気汚染が目で確認できるような、灰色の空の印象が強烈でしたが、
行き交う人々が発っしている剥き出しのエネルギーのようなものは、東京では感じられないものでした。

北京でカラオケをすることになり、なんとなく尾崎豊のシェリーを選びました。

”金か夢かわからない暮らし”というフレーズを初めて聞いた10代。

わからないなりに
「尾崎豊ですら、そうなら俺もきっとそうなるな。金って軽く考えちゃいけないんだな」
そんなことが頭によぎったことを思い出しながら、歌いました。


最近、大リーガーの「今日は●打数●安打だった」というニュースが気になる。

俺は今日、何回打席に立ったんだろう? 何回バット振っただろう?何回出塁しただろう?

そんなことを帰路に思いはせる日々。


ブランドFLYの次の一手を遅々と進めています。
リリースできる時が来たら個別にお知らせします。
4 Jul

♪インフレが招くリスク


経済の行く末については様々な変数があるため、どれだけロジックがしっかりしていても
「合理性に基づく占い」くらいにしかならないですが、個人的には以下のコラムの著者とかなり近い問題意識を持っています。インフレを待ち望んでいる層もいると思いますが、全体観では、あまりに意図的にインフレを招く策はリスクが大きいと思っています。


【東洋経済 onlineより転載】
■ギリシャはユーロ離脱なら崩壊――日本は円安、脱デフレで崩壊する - 12/07/04 | 00:03

 なかなか理解されないのだが、円高、デフレのおかげで日本経済は生き永らえているのである。無理に円安、インフレを進めたら、日本経済は破綻する。なぜか。

 まず、現在、日本国債の買い手が国内に十分存在するのは、今後円安方向に進むとは思われていないからである。

 円安が確実なら、1%を切る円の国債など買わずに、米国債を買ったほうがよい。日本国債10年物の利回りが0.8%であるのに対し、米国債の利回りは1.6%と倍であるのみならず、為替によるキャピタルゲインが望めるからである。

 インフレは、デフレよりもっとひどいダメージを経済に与える。

 インフレになる場合には、まず、資産市場、とりわけ長期金利に反映される。なぜなら、現在の日本ではインフレになるシナリオは、極端な円安によるものか、あるいは金融政策により意図的に起こされるものしかないからである。

 実体経済の需給構造から見ると、グローバル化の中で世界的にも成熟国はインフレになりにくい。中でも日本は、投資資金が余剰であることから金利が低く、設備投資も過剰であり、供給側からインフレになる可能性はない。

 この点は重要だ。デフレである結果、金利が低くなっていると思われているが、実際には逆で、金利が低い以上、供給者は淘汰されず、投資も過大であり続けるから、国内においても供給圧力が残り続ける。それで、インフレにはならないのだ。

 となると、インフレは、中央銀行が意図的なリフレ政策を起こすか、政府が財政支出を急拡大し、需要を極端に多くすることによってしか起きない。

財政政策によるインフレの可能性を除外し、金融政策によるインフレを考えた場合、インフレは中央銀行が国債あるいはリスク資産の中央銀行買い入れの大幅拡大で資金の大量供給を行うことにより、起こる可能性が高い。

インフレが起こる過程

 この場合、インフレはどのようなプロセスで起きるだろうか。

 まず、世の中に出回った資金は資産市場へ向かう。一時的にマネーをほぼ無利子で借り入れられる(もっと極端にケース、たとえば「ヘリコプターマネー」と言われるもの、つまり政府が対価なしにマネーを各個人に配る)状況であるならば、普通の人なら、そのマネーは資産市場への投資に向かうだろう。現金で持っていては目減りしてしまうリスクがあるからだ。

 貨幣価値の変動リスク(たとえばインフレ)に強い資産は、実物資産であるから、不動産と株を買うのがセオリーで、円が不安なら海外の資産を買う手もあるが、とりあえず円高継続で、資金が国内にとどまると考えよう。そうすると、国内資産市場はバブルとなる。

 まだ財市場はインフレになっていないから、インフレを起こすための金融緩和は継続されるにもかかわらず、長期の名目金利は上昇し始める。たとえば、0.8%の名目長期金利は2%になる。国債から株や不動産に資金が移動するためである。

 こうなると、ほとんどの金融機関、とりわけ地方銀行が日本国債の値下がりによる含み損を時価会計の下で損失計上しないといけなくなる。

 銀行セクター全体では大まかに見積もって10兆円前後となる。これが地銀に偏っているので、インパクトは大きい。地方経済はいきなり行き詰まるだろう。

この結果、リスク資産市場の上昇が財市場の需要増加につながり、インフレが起こり始めるという流れになる前に、金融危機が起きることになる。

 この結果、資産逃避が加速する。国債市場から逃避した資金は、国内不動産、株式市場にとどまらず、海外資産へ向かう。こうなると、債券安、円安のスパイラルで、円安と名目金利上昇が加速する。

 海外資産への資金移動は、個人ベースでは、前回パリバショックが起きた2007年夏までに、円安が続くことを信じたFXトレーダーたち、いわゆるミセスワタナベなどにより起きていた。

 しかし、今後、円安トレンドが明確になれば、機関投資家も含めて、ほとんどの投資家が資金を移動させる可能性が高い。円安、債券安のスパイラルとなれば、いわゆる資金逃避、キャピタルフライトは加速する。

 原油や天然ガスの円ベースの輸入価格も急騰し、生活コストはインフレで上がっていく。こうしてようやくインフレになるのである。

日本とギリシャに迫る危機

 家賃も上がる。不動産は値上がりする。住宅ローンの金利も上がる。不動産や株を多額に保有する富裕層は、キャピタルゲインを得るかもしれないが、持たざる多数派は生活が苦しくなり、とりわけ低所得者は資産保有が小さいと思われるから、極端に生活が苦しくなるだろう。

 そして、もちろん賃金は上がらない。消費も減るから内需は壊滅。唯一の望みは円安による輸出だが、多少の増加はあるとしても、日本の輸出の多くは、中国経由のプラント輸出、基幹部品輸出であるから、価格競争力よりも、欧米、新興国の需要次第であり、それが伸びるとは限らない。

だから、雇用も賃金も減る可能性がある。そこへインフレであるから、経済は悲惨なことになる。

 実は、これがギリシャがユーロから離脱しない理由である。

 これまでの議論を、日本のところをギリシャに置き換えてみると、そのまま当てはまる。

 通貨安、インフレは自殺行為なのだ。しかし、ギリシャがユーロから離脱し、自国通貨ドラクマを復活させれば、このシナリオが、日本よりも激しく起こる。しかも、借金はユーロ建てだから、かなり軽減されたとしても、今後も資金が必要であるから、経済の再建は難しくなる。

 一方、日本の場合は、借金が国内にあるから、通貨安となっても、借金の実質額は変わらない。そして、名目金利が上がれば、実質額は減る。

 しかし、これは債務者の国にとってはいいが、債権者も国内金融機関だから、せいぜいプラスマイナスゼロ、銀行が倒れるリスクを考えれば、大きなマイナスだ。

 したがって、日本にとっては、円安、インフレというのは最も危険な道なのである。


小幡績(おばた・せき)
株主総会やメディアでも積極的に発言する行動派経済学者。専門は行動ファイナンスとコーポレートガバナンス。1992年東京大学経済学部首席卒業、大蔵省(現財務省)入省、1999年退職。2001〜03年一橋大学経済研究所専任講師。2003年より慶應大学大学院経営管理研究学科(慶應義塾大学ビジネススクール)准教授。01年ハーバード大学経済学博士(Ph.D.)。著書に、『すべての経済はバブルに通じる』(光文社新書)、『ネット株の心理学』(MYCOM新書)、『株式投資 最強のサバイバル理論』(共著、洋泉社)がある

【引用終了】
7 Jan

2012年を迎えて。

富士は 晴れたり 日本晴れ。

新年となりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年は辰年。龍(時流)が益々勢いをますことになりそうですね。

偶然にも先日TADY's viewをupしていたNorth Koreaで昨年暮れに大変化が顕在化したように、目に見えない地下で起きていた変化が、いよいよ目に見える範囲にも広がってくるタイミングなのかもしれません。





日本の統治システムの実情は、一般に流通している姿とかい離しており、日本国統治に対する重要な決定権は日本のトップにはないことを確信していますが、これは何も我が国にだけ当てはまる話でもないように思っています。

昨年後半、国債危機をめぐりギリシア、イタリアで相次いで首相の交代がありました。これは各国民が望んだ結果の首相交代ではなく、Marketの巨大な圧力によって起きたものであったことは、衆知のことかと思いますが、一国の長が国民の意志以外の力で変わったという事実の重みをどう感じるべきでしょうか。

【国民主権】を謳い、【民主主義による選挙制度】が整備されていても、国民の望みとは違うところで国家の政策が決定されてしまうという事実、現実が現世界のpoliticsのpracticeであることが読み取れる一例と思います。

選挙による信任を経ていない首相がTPPや消費税増税の問題など、国民が望んでいることと真逆のことを淡々と進めているなど、よく似た現象が我が国でも起きています。

Marketというものの力により、国家単位の民意と乖離した決定が次々となされていくという現実。

「不思議だ」「何故だ」「あり得ない」と国民が声をあげたところで、事態がどんどん既成事実化されていく。

この現実をどう捉え、この現実とどう対峙すべきか。

現実を棚に上げ、その本質を見極めるまでには経験・能力到底及ばず、ゆえに表面的な批判をし、喝采を浴びて名前を売り再選することが生業となっている今の選挙屋さんに有効な対応を期待をしているとすれば、それは正気の沙汰ではないと僕は思います。
やはり、我々は我々自身に期待と責任を課すことを前提に、時空軸をもった大局的パースペクティブに立った課題と対策についての自身のViewを持つべきではないかと思います。

Marketの圧力というのは、超国家的な資本が利益を求めて動くときに発生するものといえます。
つまり、現在の世界統治システムの実情は、国家の政治すら、”民主主義国家”の統治下ではなく、”資本主義経済”の統治下に置かれつつあるというのがTADY's veiwです。

民間企業であれば、資本主義の統治主体(principal)は株主となりますが、資本主義統治下におかれた国家のprincipalは誰になるのでしょうか?
IMF?世界銀行?ではIMFや世界銀行とは実質的には誰なのでしょうか?日本国民でないことだけは確かです。
民間企業の株主統治はこれまでの知恵の蓄積により、「会社がつぶれても株主は儲かる」、という事態が起こらないように制度整備がなされていますが、現行制度外の実質的な資本主義統治国家におけるprincipalの経済合理性だけの追求につき歯止めをかける術はあるのでしょうか?

実際には存在しない与信により現実世界に召喚された大量のマネーが、ショックとともに消失したことで、貸借の合わなくなった巨額のマイナスマネーが生まれたわけですが、貸借のGAPを少しでも埋めようと大量に生み出された抜け殻のような巨額マネーが世界中を駆け巡ることによって資本の圧力が増し、世界中で民主主義の国家統治が機能しなくなりつつある。
TADYは、このパースペクティブに立って、今後暫くの世界経済動乱を注視していこうと思っております。

Scopeを我が国に限定した場合、日本の金融システム、経済システムの破たんにつながる萌芽もやはりどんどんでてきているように思います。(そのことを必ずしもネガティブにとらえていないことは常々表明している通りですが、)この点のveiwについても近く簡単に書こうと考えています。




個人的な予定を述べますと、2012年は5月のGWくらいまで非常に多忙な日々を送ることになりそうですが、年後半は、意識的に時間を作り、皆さんとできるだけ1対1で、利害関係のない腹を割った話をして回り、また皆様より多くの教えを乞いたいと思っております。

私との時間を代替が利きづらい実りあるもの、と少しでも思っていただけるべく、日々四シキ(知識、意識、見識、士気)の研磨に努める所存ですので、本年も何卒どうぞよろしくお願いいたします。

皆様におかれましては、本年が良き年となることを祈っております。

この週末は明治神宮に初詣に行ってきます。

takeahero TADY
8 Dec

♪京都雑感 〜いつか抜く、その刀を持っているか〜

とえ はたえ

時をかさねつ 御重の京


2011年11月 京都駅にて 田泥





TADYです。

先月、仕事の帰りに旧友を訪ね、京都に立ち寄りました。
夜、食事を共にし、次の日はわずか数時間でしたが、
一人で京都を散策し、秋の空気を吸い込んできました。

牛若丸が弁慶と渡り合ったという、五条大橋。
足利義満が開き、のちに豊臣秀頼が再建したという、相国寺。
徳川慶喜が大政奉還を発した二条城。
今年、クリスマス仕様の京都駅。

一時(いっとき)栄えた都ではなく、様々な時代時代が折り重なり、今も息づいている稀有な都。

普段は比較対象を持ちづらい唯一神のような「今」「この瞬間」を、客観視することが比較的容易にできる不思議な街と感じました。




京の夜が更け、お互い酔いが回り始めた頃に会はお開きとなったのですが、その頃合いになかなか興味深い言葉を交わしたのを思い出します。

要約すると
「これからの日本をどうしていくのか、その一端を委ねられている立場でありながら、俺たちは日本のことを知らなすぎるのではないか」、というもの。

おそらく、多くの同世代が多少の程度の差はあれど、「言われてみれば、、、」となるかもしれません。

ただ、日本がたどった過去(歴史)を「知って」いないと、精通していないと、日本の未来を象る資格がないか、というと、それは構えすぎな気もします。

僕は、日本の歴史を調べるのが趣味で、苦にならないため、かなりの時間を費やしています。
結果、
・日本書紀と古事記の内容はどこまで史実か
・高天原はどこにあるのか
・アマテラスは何故女性なのか
・スサノオとは何者なのか
・なぜ、豊受大神が伊勢神宮に祀られているのか
・聖徳太子とは本当は誰なのか
・藤原氏とは何者か
・大化の改新、壬申の乱の意味とは
・源氏と平氏とは何か
、、、
など、学校教育では一片も伝えられることのない諸々の説についてそれなりに詳しく、中には「ありうる」「そうじゃないか」という強い心象を持つものはありますが、とはいえ長い歴史がありますから、何が事実だったか「わかった」「知った」と言い切ることには無理があると感じてます。「信じる」くらいがせいぜいの限界というのが実感です。

「過去からのエネルギーの流れ」は非常に重要であり、繋がりが見いだせない、見出そうとしていない、事象の羅列を、「史実」として受容することが日常となっていることは、大いに問題と思う一方で、「事実(史実)」と見做される事柄の追発見には終わりがなかったりします。

新たな事実をしったときは、それを以てまた改めるとして、知っている情報の中で、己はどのような評価軸で、過去の人物や出来事をどのように評価しているのかにつき考えを練り、整理をし、外に発信しても恥ずかしくないと確信できるまで、鍛えておくことが、未来を担う者には求められるように感じます。
(あまりに無知であれば、話にもなりませんが、おそらくその水準は皆さんはクリアしているでしょう。)

京都の夜、友との別れ際にも、

「坂本龍馬を評価するか、何を以て評価するのか」

という話題が上りましたが、例えばこの問いに、自分が知っている情報が正しいという前提の上で、どのように明確に答えるか。

評価軸の定まっていない者は、より望ましい未来を描くことはできない。
ゆえにそれを人に語り、動かし、この世界に象ることもできない。

あれもいい。これもいい。
頑張った者は全て美しい。
感動した、心が動いた、すなわちすばらしい。

こういった絶対肯定の「人間愛」も大切だが、あらゆる指標の中で、もっとも優先すべきものは何で、次は何か、次の次は、、といった軸が定まらないようでは未来の「希望」を提示し、それを具現化するためのスタート地点にすら立てないように思います。

過去を評価するにしても、時代を遡りすぎると、前提とする情報があやふやとなります。事実認定で合意されない中で、議論を進めても焦点が散らかると思いますので、日本の未来を象るためのサンプルとしては、やはり幕末以降をスコープにするのが良い気がしますね。

ということで、「日本の幕末以降をどう評価するか」につき、考えを整理しようと思いました。

そして、日本刀を鍛えるように、何度も熱し、叩いて、冷やし、研ぎながら、年月とともに鍛えていきたいと思います。

皆さんとの酒の肴に足るようなものになれば、ここにもUpしようと思います。

「今」、「この瞬間」にしか生きる実感を持てない以上、「今」、「この瞬間」の”トレンド”、流れている指標を是として追認するしかない厳しい現実らしき、広がりの中では、

・基軸を持たずに、あれもこれも良いと反応する者。
・軸を打ち出したものに、別の基準もあること(ありうる)を理由に揚げ足を取る者。
・揚げ足をとられるのを恐れ、基軸につき考え、打ち出す機会を持たない者。

以外を選ぶ理由がなかなか見いだせないと思います。

それでも、僅かな暇(いとま)の中で、互いに酒を飲み交わしながら対峙するときくらいは、現実的でない広がりの中で談笑したい。

そんな気がする、年の暮れです。
10 Nov

♪ Over the fear of death and poverty.

先日、天の鼓動たる「時」の捉え方(パースペクティブ)が新たな時代をとらまえるために重要では、と述べましたが、同様に、

「死」と「貧窮」に対する恐怖心に向き合い、折り合いをつけることも考察の価値があると思っています。

(経済的)合理性の積み上げで形成されていながら、その一方で大きな負の矛盾も積み上げてきた現在の世界経済。

その矛盾が顕在化しつつある今、その連続線上に連想されるviewを悲劇としてのみ捉えるパースペクティブから脱するための重要なkeyの一つがあるように感じます。

難しいことと思う一方で、日本を含む東洋の伝統的なパースペクティブ(観)には元来から見事に内包されていたのではないかと想像します。

今、世界経済を飲み込もうとしているリヴァイアサンへの有効な対処が、100年程度の蓄積しかない資本主義的なナレッジの中にないのだとすれば、時空を超えた東洋を含めた世界の叡智を結集し、精神的ダメージの大幅な軽減という実質的なソフトランディングを果たすことにつき、検討することもあってよいのではないでしょうか。

それを世界が志向し、仮に実現した後は、より柔軟で、バランスの良い”Capitalism”の萌芽が見られるかもしれないと僕は感じています。
21 Oct

Lack of governance of goverment

TADYです。

NYのデモ、イタリア、ギリシャでの暴動、タイの大洪水、、、
時流(龍)のうねりは世界規模で続いていますね。

わかりやすい記事が出てました。
コーポレイトガバナンスもそうですが、
ガバナンスを利かせる手立てすらない、ガバメントをどう扱うべきか。
この問題が世界中で棚上げにされてきたツケが表出してきているように思います。

■「空売り王」の新たな標的は(NY特急便) 米州総局・川上穣 2011/10/21 7:39

20日のニューヨーク株式市場でダウ工業株30種平均は小幅に反発した。欧州の債務問題をにらみ、小口の売り買いが交錯した。

 ニューヨーク市内で17、18日の2日間にわたり、ヘッジファンド業界の大物を集めた投資家向け会合が開かれた。

 目玉として登場したのは、「空売り」の達人で知られるデイビッド・アインホーン氏。ちょうど4年前、同じ会合で米投資銀行リーマン・ブラザーズの不透明な会計処理に疑問を投げかけ、空売りを宣言した。リーマン破綻で予言は的中し、カリスマ投資家の地位を不動のものとした。

 アインホーン氏は今年も、新たな空売り銘柄をリストに加えた。標的は過去1年で株価が2.5倍になったコーヒー加工業者の「グリーンマウンテン・コーヒー・ロースターズ」。110ページにわたるスライドを駆使し、楽観的な予測に基づいた強気の投資計画や売上高の計上を巡る不透明な会計処理などをやり玉に挙げた。

 「経営陣はまだまだ成長の初期段階というが、バランスシートも貧弱だし、ビジネスの質にも疑問が残る」。同社の倉庫の従業員にまで及んだ徹底した調査を経たからか、表情には自信が漂う。アインホーン氏の発言を受け、同社株はこの日だけで約10%急落した。その後も株価は下げ止まらない。

 「空売り」は市場の混乱を助長するとして、冷ややかに見られることが多い。だが、冷徹な投資家の視線は経営陣に緊張感を与え、市場に規律をもたらすプラス効果も否定はできない。

 欧米メディアの連日の報道を受け、米市場では混乱を極めるオリンパスに注目が集まっている。ウッドフォード前社長の突然の解任に始まり、疑惑は過去の買収を巡る法外な手数料に及ぶ。

 オリンパスの大株主である米運用会社ハリス・アソシエイツのデービッド・ヘロー最高投資責任者(CIO)はショックを隠せない。「正直なところ、オリンパスの企業統治(コーポレートガバナンス)は以前から不安だった。それでも状況は改善しつつあるということで投資してきたのだが…」。わずか5営業日でほぼ半値になった同社の株価が、ヘロー氏の悩みを深くする。

 オリンパスによる一連の買収が行われたのは2006年〜08年。アインホーン氏のような抜け目のない投資家が日本にいれば、不十分な情報開示にもっと早く疑惑の目が向けられていたかもしれない。

 そのアインホーン氏が長期の空売り対象と位置付けるのが「日本」だ。日本国債の急落を予言し、昨年初めに金利上昇に備えた取引を始めた。だが欧州不安などで日本はマネーの逃避先となり、金利は低下の一途をたどってきた。

 アインホーン氏の確信はそれでも揺らがない。会合では「巨額の財政赤字や少子高齢化に直面する日本は、もう引き返せないところまで来た」と語り、いずれ金利の急上昇などの厳しい局面を迎えざるを得ないと予測した。

 米著名投資家ジョージ・ソロス氏は、90年代初頭に英ポンドを売り浴びせ、英政府と真っ向から対立した。この構図と同じように、空売り王のアインホーン氏が、いつか日本と正面から対峙する日がやってくるかもしれない。

11 Sep

♪人生の「攻防」についての諸々

TADYです。

ここ数年、自分は「人生の守り方」を学ぶ課程にあると感じます。これは自ら選んだ部分もあるし、自然とそうなった部分もあります。

「攻め」と「守り」。言葉上、表裏一体、双子の兄弟のようですが、人生においては本質的に異質なものと思います。

一口に、「攻め」といっても様々な局面でさまざまな定義がありますが、基本的に能動的であり、好むと好まざると自らを表現することにつながります。
野球やテニスのように「攻めのアングル」が定められている場合は別として、基本「自らが勝手に始めること」です。だからこそ攻める「理由」、「大義名分」が問われます。

「守り」は攻めてくる相手がいて初めて成り立ちます。攻められるから守るわけで、反撃を含め、最初から明白な大義名分が用意されている。基本、リアクションです。

自ら事を成すためには「攻め」が不可欠ながら、その以前に、一人の大人としてbasically必要なのは、「守り」だと僕は思います。

「防御なくして攻撃なし」

「反撃なくして防御なし」

守りには無頓着な性格で、その危うさに自覚があるから、より強くそう思うのかもしれません。
「攻撃は最大の防御」というconceptを信じ切れるほど「攻め」に長じていないからかもしれません。

いずれにしても、
「守り」はある日突然必要となるかもしれない日常の備え。責務。
「攻め」はしたい奴だけすれば良いもの。
そう区分けができるように僕は思っています。

守りの重要性が身に染みている人が語り、感じさせる「夢」には魅了されます。
攻めたら守りが崩れる。守りが崩れることの怖さを痛いほど知っている。なのに攻めずにいられない。
そこに存在する「危うさ」と「狂気」が人の世の最大のダイナミズムであり、リアリズムのように思います。

ここでいう「夢」とは、その人が生きる意味。攻める理由のこと。

「何故それがしたいのか?」完全には自分でもわからないその夢を、しっかりと「大義」にまで高め、心の旗印にして、攻めに転じる。
日々、守り型の修得を続ける一方で、そんな絵を描き始めることにしました。
本当に夢があるなら、生きる中で夢を持ったのなら、それを追求するのもまた責務ではないかと。

その一方で、「夢」「攻め」は「信じれる人」、「やりたい人」だけがやるものだとも思います。
「攻め」は本人の気持ち以外に、実践する必然性がないからです。

反面、「防御」と「反撃」の基本動作、基本姿勢を身に着けることはすべからく意味があるように感じます。
それに、「守り」を知ることで「守る」という明白な大義名分を持つ者たちの本気度、を思えば、何かを変えようと謳いながら正しいだけの言葉や、個人的なビジョンだけを武器に正面突破を試みても太刀打ちできないことがよくわかってきます。

強固な「守り」=「現実」と対峙し、攻める側が勝つには、「スペース」を探すことが最良のように思います。

世の中は放っておいても大きく変わっていくのでしょうが、自らもその変化の一流に身を委ね、この累々たる制度の要塞を突き崩そうというなら、練り磨いた大義を心に宿しながら、どこにスペースがあるのか血眼になりながら探すのが、その人のやるべきことかもしれないな。

そんな気がしました。

それではまた。
20 Aug

#Life is Time. Time is art.

TADYです。
2ヶ月ほど前ですが、母校の学年同窓会がありました。
中高一貫のため、長い人では6年間学舎を共にし多くの楽しい時間を過ごしながら、卒業以来15年間一度も会うことなく過ごした友との再会がいくつかあり、有難い時間でした。

各人、年月の積み重ねにより外見や職業、その背景にある人生経験は当然変わっていましたが、それでも、久しぶりにあった友達に対し僕が受けた印象は、一貫して「変わってないなぁ」というもの。

「話しぶり」「しぐさ」は不変ということもあるし、当時を懐かしがりながら当時の関係性に戻って接していたという要素ももちろんありますが、この15年間が上塗りされたとはいえ、15年前までに積み重ねられていた下地は残っていたということでしょうか。もしくは「残っていた」というよりも「癖」となり一体化されたということかもしれません。

人と一体化した癖はその人らしさを構成する要素であり、だからこそ、本人にとっては厄介だったりします。
僕も自分の「癖」に悩まされた時期がありました。
思春期くらいに、考える、思いにふけるということが癖になりました。
あるテーマについて、気になりだしたら夜通しでも、自分の答え、解釈に行き着くまで考え続けるということをよくしていました。
自分の知識や思考能力では理解が浅く、合理的な結論・解決に行き着かないようなものであっても、気になりだしたら止まらず、そして自分独自の答えを導き出すという癖です。

結論の合理性に重きを置くのではなく、答えの独自さや、それに行き着くまでの生みの苦しみに価値を見出してしまうこの癖は、プライベートならともかく、企業への投資や、取締役としての意思決定に携わる場面では当然無用です。それでも思春期の時からの癖なので、気を抜くと顔を出してきてしまうのです。

この「癖」を明確に抑えることができるようになったのは、
『イシューからはじめよ』という本に触れたときでした。

じっくり読んだわけではないですが、

====
意思決定者は、まず「イシュー」に取り掛からなければならない。
「イシュー」とは_善しなければならないもの、且つ、解決できるもの、だ。
====


という骨子が頭に入った瞬間、

「実際に解決できない問題はイシューではないのだ」
「解決できない問題に労力をかけてはならないのだ」
という原理原則が明確に内面化されました。
物思い癖に悩んでいた僕にとってこれはかなりインパクトのある気づきで、以来、意思決定につながらない無駄な心配や思考への流れをシャットダウンすることができるようになりました。
ビジネスの場では従来の「癖」に代わる新たな「癖」にできそうだと思っています。

ところで、「解決できる、できない」を判断するための【時間】のとらえ方はartな領域だと思います。
「すぐに」成果が出る「イシュー」ばかりに取り組み、衆知を集め、腰を据えて合理的に検討すれば解決策が見いだせる「イシュー」を、「すぐには解決できない」すなわち「イシューではない」と判断すると、多くの根本的課題の放置が起こる。一方で、解決には膨大な時間を要する問題に目を奪われすぎてもいけない。
このさじ加減は職人業であり、artの世界でしょう。

僕は、評価、判断の【時間設定】が、
次社会のキーファクターの1つとなる(になければならない)と思っています。

====

【以下、8月21日加筆修正】

人間が生きられる時間。

人が活躍できる歳月。

そんな細切れの時間で成し遂げられるもの、成し遂げたと評価を受けられるものの中からしか、自分が取り組むべきものを選べないと思い込んではいないだろうか。

「期限を迫られる中でいかに結果を出すか」が厳しい競争社会の常識だと知たり顔で過ごしていないだろうか。

「時」という「天の鼓動」を、期限、期間、一人の生涯という細切れで捉えるだけでなく、天の血液が大河のように流れる中の連続する一流として捉える、「連鎖」「継承」のパースペクティブ。

これからのリーダーには、必ず求められるものであり、求めていくべきものだと思います。
この見地の上に堅固に立脚した世の中に変わっていくのが今後の大きな流れだからです。
全体的にはゆったりと、局地的には暴力的な激しさを見せながら、大きく大きく変わっていくでしょう。

生きていく中で、先人の何を継承し、この命を天に還すときに後人に何を継承するのか。

天の鼓動に感謝し、先人のどの流れを引き継いで、どのように流れていくのか。


杉村太郎

圧倒的なオーラ、溢れる情熱、そして大きな愛で多くの学生、社会人を魅了し、生きることの意味を問いかけ続け、夢の実現を最後まで後押し続けた杉村太郎さんが「人生五十年」を待たず、昨日天に召されました。

大学時代にお世話になって以来、僕にとっては精神面での父親のような方であり、人生の師として仰いでいた方でした。

TADYというあだ名をつけてくれたのも太郎さんでした。

太郎さんが先人から継承した流れは多くの先輩たち、同輩たち、後輩たちが引き継いでいくことになるでしょう。
遠く及ばないものの、僕も引き継いでいくつもりです。


太郎さん、本当に、本当にお疲れ様でした。

大学3年の春、初めて青山のオフィスでお会いしたときの興奮。我究館の初回講義を受けた時の感動。あの心象は今でも心の中に鮮明と残っています。

太郎さんと出会い、その後多くの仲間と出会ったことで僕の人生は全てが大きく変わりました。

ご指導ありがとうございました。

天から新たな使命が下るまでの間は、どうかゆっくり休み、英気を養ってください。

そして、いつかまた必ずお会いし、お話しできるのを楽しみにしています。
3 Jul

マネーの顚末

ギリシア、イタリア、日本、アメリカ、、デフォルトリスクに関する報道が毎日のようにあり、
あるNewsが流れる度に為替相場が上下する、、そんな動向がここ1−2か月続いています。

サブプライムローンバブル崩壊前の、アメリカを中心とするニューエコノミーの負の遺産。
これを人智によって解消することは可能なのか。

実際は存在しない与信を金融機関が供与し、その虚構の信頼をベースに大量の金を貸付、それが消費されて好景気が作られていた。信頼が虚構であることが明るみに出たときには、金はすでに使われていて、当然返せない。

存在しない与信の根源が、「値上がりし続ける土地の価格」か「いつか支出を上回る税収」かというだけで、すごく似た問題が世界のいろんなところで起きているのだと思ってます。

「借りた金は返さなければいけない」

このドグマこそ、金融資本主義の根幹なわけで、これを崩すことは現システムの否定に直結する話でしょう。

一方、「借りた金は返せない」ということが、世界中で明らかなため、このドグマを堅持していては、早晩立ち行かなくなると。

この折り合いはどのようにつくのでしょうか。

どんなに合理的でも、近視眼的なパースペクティブでとらえていては、解は見出せないのでしょうね。
8 May

♪GWに考えたこと。

前々から行きたかった伊勢神宮参拝を果たす等、
今年のGWは何年か振りに、休暇らしい休暇が過ごせました。
旅先でかなり睡眠がとれたこともあり、体調が良くなった気がしてます。巡り合わせに感謝をしてます。

今年もあっという間に5か月目、東日本大震災から約2か月が経ちました。
時の流れに従い、時の経過に見合った変化を自分に見出せるべく日々心がけるようにせねば、そう思います。


僕は、人の身体はその人が摂取している食料、水分を基にでできているように、人の心はその人が摂取している情報を基にして作られていると思ってるのですが、そう考えると、
「確からしい情報の入手経路」、
「健全な情報消化能力」、
「本音で語りあえる人間関係」、etc、、を確保し、本質的な考動のループを繰り返すことが、大切だと改めて感じました。
(皆様、これからもよろしくお願いいたします。)

そして、これは伊勢神宮で参拝をしたとき、自分に対する思いとして強く感じたことですが、
「考える」だけではなく、第6感までを動員し、しっかり「感じる」ことも重要であると思います。


春風や 伊勢の社の 佇まい
信じる願い 心象(かたど)る

2011年5月1日@伊勢神宮内宮 

本質的な変化のために、自らに非連続への挑戦を課す仲間に敬意を表して。
2 Apr

♪考動と祈りの連鎖を。

長丁場が予想される復興への道のり。
【これから希望を見出し、現実を好転させるために何が必要か?】
の考察結果が今日のタイトルです。

まず、「考動」の「連鎖」。
考え、実践し、経験から学んでいく「考動」と
学びを次に生かす「連鎖」を確実に行うこと。
これができれば、毎日の「出来事」は「学び=知恵」となる。
日々、「知恵」が蓄積されていれば「時」は味方になる。
「時(=歴史)」を味方にできれば、柔軟で逞しい文化、社会、組織が作れる。そう思いました。
その時代、その時代の「今」を生きる者が、サボらず考動し、知恵を伝達し続ける。連鎖、すなわち継承です。

もし知恵の蓄積と伝達を止め、課題を未来に先送りにする期間が続くと、次代を生きる人が過去からの知恵の継承なしに、過去から蓄積され怪物化した課題に立ち向かわなくてはいけなくなります。
人が時を敵に回して戦っても勝ち目はありません。こういう勝ち目のない戦いの結果、重大な被害が及ぼされた例は数限りなくあるのではないでしょうか。僕には、原発の問題、日本の財政問題、少子高齢化なども、「時を敵にした戦い」の一種のように思えます。

「今日よりも、明日、明日よりも明後日」そんな希望を社会に取り戻すためには、時代を超えた「考動の連鎖」が必要だと思います。
負の連鎖を許さず、考動の連鎖で時を味方にするためには、短い時間(=任期、寿命)しか全うできない人間の限界(=次代へ課題を先送りしがち)を補うような規律を社会や組織に内面化していくことではと感じています。


そして、「祈り」の「連鎖」。
福島原発の放射能の問題。
人類が体験、検証したことのない事態が起きており、「どうすれば」且つ「どうなれば」、「安全、大丈夫」なのか、本当のところは誰も(日本も、フランスも、アメリカも)わからないという世界に突入しているようですが、どうであれ、原発に対して何もできない僕は、大丈夫なことを祈るしかないと思っています。
そして、被災地で亡くなった方のご冥福と、甚大な被害を蒙りながら今も一日一日を過ごしている方の心身の健康に祈りを捧げ、今後、日本社会が直面するであろう誰も体験したことも克服したこともない困難に我々日本人が屈することなく、その歴史を紡ぎ続けられることも、天に祈ります。

自分ができることは当然やる。だが、できることは限られている。
できないことでも、祈る。祈りが連なることで、大きな力となる。

桜が満開になったら靖国に、5月の連休は伊勢神宮に参拝に行こうと思っています。
27 Mar

泡のお金が去りし後

日本国の財政破たんまでの猶予はもうわずかではないでしょうか。
しかし、僕はこの事実を、日本の未来にとってポジティブと捉えています。

かつて「日本は個人資産が1,400〜1,500兆円あるから赤字国債を発行しても大丈夫」という説がありました。

しかし、この金額が本当にあったとしても、今、国債が紙切れになれば1,000兆円を超える資産と借金がオフセットになります。1,000兆円も個人資産が吹っ飛ぶ事態を大丈夫と思う人はいないはず。

「個人資産があるから大丈夫」という言葉は“一時的に”借金が増えても“当面は”大丈夫、ということであり、
「いずれ、収入が支出を超え、借金の返済に回せる余裕が出てくるだろう。そうすれば、未来永劫借金が増えるという連想は働かないし、個人資産のバッファを考えても、日本財政の信用リスクはコントロールされるだろう」
という意味だったのだと思います。

しかし、一向に赤字国債の発行は止まらず、借金が常軌を逸したペースで増え続けている事実があっては、上記の説はすでに意味を持たなくなったのでしょう。あまり最近は耳にしません。

今のところ赤字国債の発行を止める手立てはないため「この国はすでに財政的に破たんしている」というのが、客観的な事実かもしれないと思っています。

常に他者との競争に晒されている民間企業と違い、パブリックセクターは効率性や収益性に疎く、コスト意識が希薄なため、必要以上に増員したり、組織を増設したりと自己増殖する傾向にあるようです。そのパブリックセクターに「税金を大幅に超えた予算でも借金で埋めて良し」という前例を許した結果「規模=コスト=支出」の無限増殖が起きたのでしょうか。有能で器量があると振舞いたがる無能で狭量な政治家の行動が発端だったのかも知れませんが、一度作られた前例は自己強化され、いつの間にか赤字国債なしの予算には二度と戻れなくなってしまったかのようです。

80年代、「土地の値段は上がり続ける」というあり得ない前提に立ち、無限増殖する土地の価値を担保にマネーが供給され続けた泡のような時代があった。実際に土地の値段が上がり続けている間は「土地の値段はあがり続けるからいくら借金しても大丈夫」と言い聞かしていたのかも知れませんが、実際は全く大丈夫ではありませんでした。

その泡は日本人の美徳、崇高さなどを十分に吸い取った後、虚しく弾けたといいます。更に、弾ける際に金融市場の誘惑という爪痕を残しながら、日本人から自信と時間を奪った、ように僕は思っています。

「いずれ税収が支出を超える」と信じれたときは、
「いくら借金しても、更に借金して返せばいいから大丈夫」
「日本の国債は、国内で9割保有されているから大丈夫」
「日本の個人資産は1,400兆円あるから大丈夫」と言い聞かせられたかもしれませんが、これらも今やバブル時代の土地神話同様、あり得ない前提となりつつあるように思います。

日本の国家財政の借金は本当の返し手はどこにもいない泡のようなものではないでしょうか。実態のない泡のような金で日本のパブリックセクターとその周辺が運営・維持されていると僕の目には映っています。そして、膨らみ続けるこの泡が「5年後、10年後が待ち遠しい」という、この国の希望をどんどん吸い取っているような気がしています。

震災の復興のためには、更なる国債発行は避けられないでしょう。日銀が直接引き受けるともいわれています。もう引き受け手がいないのかもしれません。

泡が弾けた後、何が残り何が始まるのか。

壮絶な復興への「戦い」が始まると見ています。
そうなれば今は泡のような金を糧に生きてるモノの心にも必ずや魂が甦ることになると思います。その時が来るまで、まだ未熟な腕を磨いておくのだ、そう思っています。日本の武士の起源である東北地方の、震災からの復興と士魂の胎動を確信しながら。
15 Mar

夜明け前の暗さへ

2011年3月11日、
三陸沖に起きた大地震、津波そしてそれらに続く福島の原子力の放射能漏れ。

人類史上、もっとも苛烈なる災害が日本を襲い、その影響は深く浸透し始めています。

まず、日本経済および日本財政のクラッシュの顕在化は避けられなくなったように思えます。

今回の大災害が起こる前までは、世界金融のコンセンサスは
「日本は短期的には、相対的な変動リスクが低いためやや楽観的。長期的には成長の伸びしろが見えないためひたすら悲観的。」
というものだったと思っていますが、それが今回の件で、「短期的にも超悲観的」へと変わったため、一直線に下降していくシナリオが最も蓋然性が高くなったと思うからです。

そこで、自分なりに、合理性と連続性を重んじ考え、起きても不思議でないと結論づけたことを以下に書いてみました。悲観的な内容ばかりですが、今の現状をとらまえると、起きる可能性は十分あるように思います。

まるで、今後世界が数十年に亘り直面する困難のほぼすべてが、日本に短期間に集中的に発生するかのようですらありますが、これらを、30年、50年かけて克服していくことで、このノウハウが世界の希望となると信じます。それが日本の果たす役割であり、克服への努力とノウハウの蓄積が、この時代に生きる日本人の使命だと僕は解釈しています。

現状の統治システム、経済システムの転換の雛形が日本から始まるのかもしれません。50年後の日本を思い描き、心の中に灯を宿しながら、一日一日を感謝と笑顔で生きていきたいと思います。

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放射能物質が漏れ、拡散した範囲は半永久的に農業はできなくなるように思います。また、それらの物質が流出した海で取れる海産物は、当面買い手はつかなくなるのではないでしょうか。
そうすればすでに低い食料自給率が激減し、ますます輸入に頼ることになると思います。

ロシアはすでに日本への渡航を禁止しているし、国内の外国人も次々と国外に退去しています。
海外は「狭い日本は国全体が被爆した」と捉えるでしょう。
観光客は言わずもがな、ビジネスで訪れる人すら激減すると思われます。

今日、株価がリーマンショックの時以上に下落し、日経平均は一気に1,000円以上下落しました。

3月末に多くの銀行は決算期末を迎えますが、期末には銀行が資産として保有する上場株を時価評価することになっています。
今月末までに株価が回復する可能性は極めて低いと思いますから、今期末で銀行の財務健全性は大きく後退することが予想されます。そうなれば、4月以降、貸し渋りが横行するかもしれません。
これは日本政府の金融緩和で短期的には防げるかもしれませんが、肝心の日本の財政そのものが民間企業ならとっくに破たんしているという状態。
そういった状況を受け1か月ほど前、日本国債の格下げがありました。これは、来るべき国債暴落を既成事実化するための一つのサインではないかと僕は見ていますが、今回の被災地の復興や銀行を支えるための緊急予算が組み込まれれば、日本の財政悪化は大幅に加速するのではないでしょうか。

日本財政の悪化、すなわち日本国のクレジット低下は、日本の基軸通貨である、円安にもつながりうる話だと思います。
仮に今の円高トレンドが反転すれば、世界規模で進行している食料や資源インフレの影響に、日本が晒されることになります。
そうなれば、購買対象は食料や水、資源に向かい、嗜好品の消費は悪化、景気が停滞するだけにとどまらず、円安の進行次第でスーパーインフレが起きるかもしれません。

また、財政悪化を理由とする消費税等の増税法案が、「いくら税金を徴収しても財源が足らなくなる本当の原因」の検証や欠陥の改善がなされないまま断行されることで、さらに個人消費が停滞し、日本の国内消費はガタガタになるかもしれません。

それでも、本当の原因を取り除かない限り、国の財政悪化に歯止めはかかりませんので、消費税の増税が日本のクレジットの回復にはつながらないでしょう。
世界金融は日本国債の暴落を規定路線としてみていると思います。日本国債は日本国の銀行と個人がほとんどを保有しているため、投げ売りは行われず、暴落は起こりにくいはずですが、グローバル基準から見た日本国債の格下げが続くと、売り圧力が今よりも増していくと思われます。そして仮に暴落が起きてしまうと、日本の金融システムそのものが崩壊し、日本国民の個人資産もかなり吹っ飛び、預金封鎖を行うことすらもはや意味をなさない、国家規模のデフォルトになるのではと思われます。

日本国の財政破たんは避けられないものとなった場合、これがアメリカの破たんを伴うものか、そうではないかは重要な分かれ道で、それは日本が米国債を売却するか否かにかかっていると思っています。

つい先日、ヘッジファンド大手PIMCOが保有していた米国債をすべて売却したとの報道がありました。

PIMCOトータル・リターン・ファンド、米債・機関債を売却
2011年 03月 10日 ロイター
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-19910020110310

これは、財政破たんの顕在化が確実視される日本が、その時になればさすがに米国債を売却する可能性がある。もしそうなれば米国債が暴落することになるため今のうちに売却したものと思われます。

日本が単独で破たんするか、アメリカも共倒れになるのか。
僕は共倒れの可能性は相当低く、日本の単独デフォルトはあと数年の内にかなりの確率で起きるのではと思っています。

今の日本の統治システムでは、自国の被害最小化よりも、アメリカ秩序を延命する選択を選ばざるを得ないのではと思うからです。

それでも、そう遠くないタイミングでアメリカのデフォルトが起きる可能性は相当程度あるかもしれません。
ただ、仮にアメリカのデフォルトを世界金融が決めた場合でも、それはリーマンショックで金融バブルが弾けた時に、「銀行国有化」という日本でバブルが弾け不良債権問題が収集つかなくなったときに世界中から非難をされながら行った解決方法とまったく同じ方法を、日本とは比較にならない規模とスピードで行い、とりあえず金融不安を終息させたときと同じように、日本でのデフォルトの終息方法を学んだ後に、大胆かつ迅速に遂行されるように僕は感じます。

まとめると、短期的には『日本国内限定』の、食料危機、資源危機、スーパーインフレ、財政危機、金融危機等の懸念があるように見ています。

そんな、経済、財政上リスクがかなりの確率で顕在化する状況に加え、相当程度の確率で、朝鮮半島地域等で戦火が上がるのではと思っています。

国家単位の安全保障を考えた場合、今の政治的、安全保障的な空白の間隙をついて、アメリカ、ロシア、中国が自国の権益を伸ばすための策をすでに実行していると思われます。

具体的に何かは知る由もありませんが、間違いなく行っていると言えるのではないでしょうか。これらの国の救援、支援の姿勢を間に受けるのはあまりにも危険だと思います。

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1868年に明治体制が発足し、約80年後、1945年でその体制は崩壊しました。
1945年に始まった戦後米国の統治体制から約70年経って、崩壊が始まった、そう僕は考えています。

不安を煽るつもりはなく、個人的には、どんな悲観的な現実でも受け止め、ポジティブに成長し、生き抜くつもりです。

生き残ったものとして、先を見据え、大きな希望を持ち、夢を実現すべく、一歩、一歩、歩んでいきたい。そう思っています。
5 Mar

Big Comeback of Japan

1か月ほど前、映画『ウォールストリート』を見ました。

「バブルは起こり、弾けまた起こる」を下地にしながら、
ゴードン・ゲッコーの”Big Comeback”がgoodでした。

少子高齢化社会という、人類史の最先端を行く日本。

短単視眼的にみると、明るい兆しは見えづらくても、
このGreat Challengeに勝てばBig Comebackが待っている。

「夜明け前が一番暗い」という。
国の盛衰にも当てはまるなら、まだ暗くなるのかもしれない。

それでも、30年後、50年後、
“Big Comeback of Japan”
を迎えるために、今何をすべきなのか。
そういう視点で、
一日、一日、一年、一年を過ごせるなら、面白い。

日は落ちても必ずまた昇る。

この命を天に返すのは、再び昇った日を確認したときがいい。
4 Feb

♪投資人生を楽しむ

“生きる”ことは“時間とお金を使う”ことともいえる。

世の中の「使い方」には2種類ある。
すなわち「消費」と「投資」だ。

国語辞典を引くと
「消費」→金・物・時間・エネルギーなどを使ってなくすこと。
「投資」→利益を得る目的で資金や資源を事業・証券などに投下すること。
と出てくる。

会計上のルールでは、
消費した分だけ現金が減り、投資した分だけ資産が増える。


「生きる上での時間と金の使い方」という切り口から
この二つを僕なりに定義してみると以下のようになる。

「消費」→次を考えない時間・金の使い方。感情的。衝動的。
「投資」→先々の効果を見据えた時間・金の使い方。理性的。計画的。


自分の人生=時間と金の使い方を振り返ると、
まだまだ投資の割合を増やせる気がする。

消費人生ではなく、投資人生をもっともっと楽しみたい。

そして、事業を営む場合も、
人生の消費者でなく、
人生の投資家を意識した事業でありたい。

顧客の「理性」に訴え、
顧客の理性が「次(明日)につながる」と断じるsomethingを提供したい。


、、、この「投資人生」という問題意識は今後も掘り下げていきます。
26 Jan

腰痛対策から考える

TADYです。
ブログをアップしない間にだいぶ年月が過ぎました。
歳をとったせいか、ちょっとした「腰痛持ち」になってました。

これまで、
痛むとマッサージに行き、
痛みがひどいときは鍼を打って、と対処してきました。

先日、出張先で整体マッサージを受けた時に、
おばさん整体師に
「腰の骨盤がゆがんでいるから
 いくらマッサージ治療をしても時間がたつと腰痛になりますよ」
と言われました。

曰く、
「マッサージや鍼で痛みは取り除けても、
腰痛を引き起こしている原因は解決されない。
原因である腰の骨盤のゆがみを治さないと時がたてばまた腰痛が起きる」と。

そのとき私には、ある企業の衰退パターンが想起されました。




売れない製品在庫を大量に抱えたA社。
決算期末毎に評価損や、在庫廃棄でいったんBSをきれいにする。
滞留在庫発生の要因であるオペレーションにメスを入れないため、
知らない間にまた多くの在庫を抱えている。
期末になりまた在庫(=現金)を廃棄していく。
次第に手元キャッシュが回らなくなり、銀行借入が膨らむが、
それでもオペレーション改革が進まない。
期が締まるごとに繰り返される在庫廃棄。
やがて借金の利子すら払えなくなり、破産、、、




「結果に対処し、要因を取り除かない」という点で、
「衰退のループ」にはまった企業の行動パターンと
私の腰痛対処方法は共通していることに気付いたのです。

今後「腰痛という結果」に対処するのは止め、

骨盤のゆがみを矯正し、
骨盤のゆがみを引き起こしている
運動不足、生活時の姿勢、就寝時の体勢etc、、も修正し、

「腰痛の要因」を取り除くことにします。
8 Sep

♯ 悩み抜いたら、この歌を “My Way”

And now, the end is near
And so I face the final curtain
My friend, I'll say it clear
I'll state my case, of which I'm certain
I've lived a life that's full
I travelled each and ev'ry highway
And more, much more than this, I did it My Way


Regrets, I've had a few
But then again, too few to mention
I did what I had to do
And saw it thru without exemption
I planned each chartered course
Each careful step along the byway
And more, much more than this, I did it My Way.......


(和訳)
そして今、終わりの時が近づいた
もうすぐ私の歩んできた道に幕が降りようとしている
友よ、でもこれだけははっきりと言える
決して嘘偽り無く誇りをもって
波乱に満ちた道程だったけれども
困難にもでくわしたけれども
私は一生懸命に生きてきた 自分の信ずるままに
 
後悔も少しばかりしたかもしれない
けれどそれよりももっと得るものがあった
そうだ そして私は自分の出来る限りのことをやって来た
決して何も思い残すことなどないように
自分が夢見たことや思い描いていたことを
時々思い悩みながらも けれどそれ以上に 
もっと自分の思うように信じる道を歩いてきたんだ.......





「自分らしさ」にたどり着くために生きてる気がする。
僕の「自分らしさ」は過去じゃなくて、未来にある。
「自分らしいイメージ」はまだ結構遠い。

Himaraya、Kirimanjaro、Monblan、
就職、転職、FLY、、全てそこに辿くため。

「いつ、何をどうするのが自分らしいのか」

僕はこれからもそれを自分で決めて、FLYしていく。

この道は
自分の道と意識的に歩いている自分の道か、
自分の道と意識せずに歩いている自分の道か?

最後の最後は「自分らしさ」で、
他の誰かが知ってる「自分らしさ」じゃなく、
自分が知っている「自分らしさ」で選んでるはず。

「自分自身のため」と、決める自分らしさもあれば、
「好きなあの人のため」という形でふんぎる自分らしさもきっとある。

それすら結局は自分で選んだ、自分の道なんだ。

だから誰しもが胸を張っていいはず。
誰しもが尊重されるべき、意志を持っているはず。

だからいつも胸を張っていたい。
いつも全ての人を尊重していたい。

お互い尊重されるに足る「自分」を抱いて、
尊重・尊敬・応援し合いながら、人生をまっとうできれば、
素敵だと思います。


“My Way”、至高級に良い歌だよね。
30 Jun

After a thousand goals.


大きな目的意識があれば、何かを続けるのは簡単だ。

逆に難しいのは、それを実現したときに新たな目標を見つけることだと思う。



通算1,000ゴールを達成した後の
元ブラジル代表サッカー選手、ロマーリオの言葉。

17 Mar

その刀をいつ抜くのか。

どうですか、
一度ガチンコで
思いっきりケンカしてみたいと思いませんか。

もちろん殴り合いじゃなく、
思いっきり、全身全霊をかけて、
しっかりと全力を出し切れる体調と技術をもった状態で、
仕事で。

「マジでやったらもっとできる」
とか
「本気出したら、あの先輩よりも自分の方が上」
とか、
どっかでそういうことを思って、
その舞台とタイミングを待ちながら仕事している人たち。

完璧な状態で、全力で戦える瞬間なんて
一生ないんじゃないかなとも思いながら、
その一瞬のために日々気持込めてる。
真剣を抜くべきときを探してる奴ら。

抜いたら最後。
どれだけ抜かずに、やり過ごせるか。
でも抜いてみたい。

そのジリジリした気持がたまらない?

僕は学生の頃
A.C.T(Action and Communication with Tension)
という団体を作り、
『青春復興』を掲げ、
「刹那な冒険」に明け暮れた日々があった。

ヒマラヤに一人で行ったり、
キリマンジャロに登ったり、
仲間と箱根駅伝を走ったり
東京-京都間を駅伝したり、
スカイダイビング、バンジージャンプ、
24時間漫画喫茶をしたり、
会社の社長に会いにいったり、

やりたいけどやれなかったことを
一生懸命にやろう。
全力で立ち向かおう、と。

社会人3年目くらいに
走ったり、山登ったりは
「全力を感じやすい」けど、
昔の部活や、駅伝や、山登りや、
そういうのじゃないと
全力出せないんじゃ意味がないと思い始めた。


もどかしい中にでも
消え去らない自分を信じて、
汗もかかないし、筋肉痛も来ないし、
充実感もないし、美女の声援もなくても、
そういう冒険もあるんだなぁと。

それ以来、時にFLYな気持になりながらも
基本ジリジリしてる。

貴方も似たような状況だろう。

その刀を、いつ抜きますか。

「いつだって全力」

「常に100%」

そういうまじない文句を唱えても

到達しない世界。


渾身の一撃は一瞬にしかない、

必ず来る、その一瞬のために生きてる。

そうだろ?

その一瞬のためだけに生きている。

そう思わない?

23 Dec

2006年、人生の非連続線について。

2006年も暮れまして。
色々ありましたが元気にやってこれました。
皆様ありがとうございます。
そして
皆様のご活躍、ご健康を心より喜ばしく思っております。

2006年の前半は前職で素晴らしい仲間に囲まれながら
充実した気分で人材ビジネスに携わり、
6月末にInvestmentBankへの転職してからの
後半は、ガラっと変わった世界であくせくしながら
何とか毎日を過ごしております。

この1年、は本当に大切な1年でした。
悩みや苦しみ、そんなものを久しぶりに意識し、
超えられそうもない壁を前に立ちすくむような気分に
何度もなりました。

「挑戦のある人生を」、
そんな言葉を念仏のように心に唱えてきましたが、
「挑戦」とは「非連続」へ挑みのように思います。

挑戦、Challengeという言葉はCoolに聞こえるけど、
怖さ、辛さ、途惑い、後悔、そういう様々なものが
引っ付いている、すごく味のあるもの。
そんなことを今の会社で日々感じています。

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3 Dec

●K1とレッズと、葉巻の煙。

K1グランプリ決勝。

面白かった。すごかった。
ピーターアーツ、カッコよかったなぁ。

俺はTVに向かって叫んだ。大声で。
アホみたいに。

例えばプロレスだったら、
絶対アーツが勝っていた。
俺も勝たしたかった。
それでもシュルトが勝った。

K1は面白くなった。
迷いがない。
あそこでシュルトを
「素直に」勝たすことができる自信、すごい。

PRIDEのヒョードル、
K1のシュルト。
どちらも強い奴には華がない。
日本人じゃない。
力道山、アントニオ猪木、ジャイアント馬場はいなくてもいい。

すごくないか、これは。
K1はビジネスとして、
ジャンルとして強くなったということ。

日本人ばかりが何人も
世界チャンピオンを名乗る「プロレス」。

弱い日本からMVPが選ばれる「バレーボール」。

負けたのに勝ったとするしかない「ボクシング」。

何の関係もない日本人選手を
直前でねじ込まないと視聴率がとれない、
クラブ世界選手権の「サッカー」。

こういう「茶番」を、
「興行のブランド」としては超えている。

日本で良くみられる
なりふりかまわぬ島国根性がない。

「茶番劇」は日本の文化。

妄想なしでは、幻想なしでは、やらせなしでは
実は生きていけないのが日本の1つの姿。

K1、PRIDEははそれを超えたのか?


とにかく今日のアーツにはしびれた。

鬼気迫るアーツの表情に幻想を抱いた。
そして心から応援した。
それがあっさり打ち抜かれたときはなんともいえず清清しかった。

去年の吉田対小川
PRIDEのミルコ対ジョシュ。

全部『幻想サイド』が負けている。

でもこう考えれば当たり前のことかもしれない。

幻想、妄想は、
「本当は存在する実力差」を埋めるために作り出したもの。
現実に強い強者に幻想を抱く必要はない。

小川選手のように、
ありもしない幻想にすがった時点、
それは負けを認めていることと言えないか。

弱いから幻想が必要なんだから。

「幻想を語る者は弱い」ということかもしれない。

これも世の1つのからくりだろうか。

子供の頃僕が夢を語るのは、語るべき現実がなかったからだった。


語られていることが、夢なのか現実なのか。

信じていることは妄想か現実の目標か。

それを見極めることができるか。それが問題だ。


妄想は美しい。
それでも、大人なら妄想は嗜む程度でいい。

妄想は葉巻の煙みたいなもの。
腹を満たしてはくれない。

男でも女でも
腹を満たしてくれる奴にしか
俺はついていかない。

夢じゃ飯は食えないのだ。

飯を食わしてくれる時点で、それは夢じゃなくなってしまうのだ。

人生のせつなさを感じる。


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浦和レッズが優勝した。
これはめでたい。
このまま来年はアジア王者に是非ともなってもらいたい。


俺が大分前に書いたとおりのシナリオが少し見えてきた。


日本のサッカーが強くなるためには
強い「個」ではなく、強い「チーム」が必要。

レッズには
来年のJリーグは捨ててもいいくらいのつもりで、
来年のアジアチャンピオンズリーグを戦い必ず制して欲しい。

それで日本サッカーの先が少し開くことになる。
30 Aug

「極め」の国

TADYです。

わずか一ヶ月でしたが、NYでは様々な刺激があり、
自分で気づいているもの、気づいていないもの含め
本当に多くの影響を受ける日々でした。

いろんなことを考え、
いろんな発見があったのですが、
日本独特のカッコ良さ、というのもずいぶん感じました。

NYから帰ってきた週末、
銀座の鯛茶漬けの名店「あさみ」に行ったのですが
もうここの味ときたら天才的に美味いんですね。
アメリカ帰りの舌だからこそ、際立って感じたんでしょうが、
もう「極まってる」んですね。

グローバルには
理解不可能なくらい凝縮、工夫された絶妙な味。
レベル高すぎて理解できない。
極まりすぎてて、ついていけない。
理解できないから、ホントか嘘かわかんないから、
かなりこじつけ、嘘がまかり通りやすい。
日本ってそんな不思議さを持ってる気がしませんか。


世界3大美術館と言われている
メトロポリタンにも行きました。

世界の武具のコーナーがあるんですが、
ここに日本の鎧兜、日本刀の展示があって、
他の国のものと比較してもダントツカッコいいんですね。

これはもうダントツなんです!

ヨーロッパの鎧は
全身鉄仮面みたいな鎧で、もう誰でも一緒。
顔もわからないし、全部鉄で覆われてて、
「そりゃ死なないでしょ」って感じ。

日本の鎧兜とはまったくコンセプトが違うんですね。
日本の鎧は「死装束」なんですね。

戦場にいくからには死ぬ覚悟。
だから「何を着て死ぬか」という視点で作られているから
当然カッコいいし、誰なのかわかるように全員違うんですね。

日本刀も輝きが違う。
西洋の刀も飾ってましたが、ところどころ錆びてるのもありました。

日本刀が錆びてるなんて、それはありえないです。
もちろん手入れしてるんでしょうが、
輝きが違う、鍛え方が違う。

これもただ単に
「人を殺せればいい」という道具ではなく、
「人の命を奪う」という究極のことをするためには、
鍛えに鍛えぬき、芸術まで高めたものでないと失礼、という姿勢の現れ。


「なんでそんなに?」

ってくらい極まってます。

刀は普段は使わないんだけど、使わないからこそ
いざ使うときのために鍛えぬいておくのが武士。

素敵に極まってる日本を、
極まってないグローバルスタンダードの土俵で伝えていくのは
ほんと難しい。

「わかりやすさ」と「極まり」は対極だから。

世界を見つめ、
世界に敬意の念を抱きながらも、
海よりも深い
Japan Wayを少しずつ海の向こう側に伝えていけるよう
試みたいと思っています。
29 Jun

●評価と宿題は?(ドイツW杯論)

いよいよ佳境に入ってきたドイツワールドカップ。
想像以上の数の試合をTV観戦できていて、うれしい誤算です。

引越しのバタバタで
「アルゼンチン×セルビア・モンテネグロ」
が観れなかったことが本当に悔しいですが。

さあ、この後いよいよどうなるのか?
はっきりいって全くわからないです(笑)
今週末の
●ドイツ×アルゼンチン
●イングランド×ポルトガル
●イタリア×ウクライナ
●ブラジル×フランス
は全てチェックしようと思ってます。



我が代表ですが、残念ながらというか、やはりと言うか、
散々な結果に終わりました。

とはいえ、
チェコのような国でも予選が突破できなかったし、
前回大会は、フランス、アルゼンチンが予選敗退しました。
韓国は、2002年大会まで5回出場しながら「引き分け」すらなかった。
日本が「W杯本番の予選ラウンド突破は当然」と感じるのは大間違いで、
W杯本番の予選突破が当然となる日なんて
今後もずーっと来ないんじゃないかとすら思いますね。

だって、
すでに、
次期監督の話題が取り沙汰されていたり、
ブラジル戦後の中田の涙によるドラマ性などにより、
非常に焦点がぼやけてる。

「今大会の結果をどう評価するのか」を
日本サッカー界として明確に表明しなきゃまずい。
ぼかしてばかりいたら次への成長につながらないじゃない。

僕は、今大会は「失敗」だったといえると思います。
でもそれは、一応公約とされていた「前回のベスト16以上」
じゃなかったから、というのが理由ではないです。
前回も書いたように
僕は予選突破は難しいと思っていましたから。
「失敗」とする理由は1つだけ。

●絶対に勝たなければいけない試合
且つ、
●幸運にも勝利を手中に収めかけていた試合
そう、初戦のオーストラリア戦に敗退したから。

その後、
「クロアチアに勝って、ブラジルに引き分ければ・・」
とか、
クロアチアに引き分けた後は
「ブラジルに2点差以上で勝てば・・(おいおい)」とか、
突破を前提にした逆算ばかりが話されてました。

かくいう僕も一ファンとして応援をしていたので、
そういう奇跡が起こればと願ってはいたけど、
でもね、
そもそも
「クロアチア、ブラジルに勝てないから」
●オーストラリア戦が最も重要
と言われていたわけでしょ?

その「絶対に勝つ」と決めていた
オーストラリアに負けた。
それで、もう終了なんです。

「絶対に勝つと決めた試合になぜ負けたのか?」

この宿題を徹底的に検証し、原因分析をして、
今後の日本サッカー強化の糧にしてもらいたい。

今回、「奇跡」が起こらなくてよかったと思っている。
クロアチアやブラジルに勝つような奇跡がおきたら、
宿題が本当に不鮮明になるところだった。

「奇跡は再現できないから奇跡。」

“再現できない偶然の結果”を含めた評価は、
次に繋がらない使い捨てになってしまう。

そして
「ジーコではダメだった」という事実も、ひとつの「学び」だ。

ここで監督をジーコにしないで
いつまでも
「ジーコ幻想」「ジーコ待望論」、、そういうのが残らなくて良かった。


なのに、
もう次の監督がオシムって決まってるの?
Anyway、
しっかりと今回の評価と、浮き彫りになった宿題を受け止めて、
さらなる成長に繋げて欲しいですね。

僕はJリーグの地盤沈下に1つ理由があると思っているので、
優秀な監督をJリーグチームから引き抜くのは気持反対なんですが。。
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