町並み
2010年10月23日
エコひいき
国中がエコブームだ。個人の環境に対する取り組みが広がる中、トラブルも増加しているという。私自身はエコブームによる景観の破壊を最も危惧している一人だ。
環境によいからといって周囲への配慮や気遣いを欠いた「エコひいき」が問題になっている。日経新聞に次のようなトラブル例が掲載されていた。「隣家の太陽パネルが反射する光がまぶしくて、部屋にいられない。」と神奈川県在住のA子さんは憤りを隠さない。ことの起こりはこうだ。2008年春、隣家に新たな住民が引っ越してきた際、屋根に太陽光発電のパネルが取付けられた。
A子さんの家と隣家は斜面に並んで立地している。2階の窓から隣家の屋根が正面に見える。隣家はその屋根に太陽光パネルを置いたため、反射光が2階の窓に差し込むようになった。「春先が特にまぶしい。時にはサングラスをして布団を干す」状態だ。
隣家に苦情を申し出たが「パネルを取り外すのには200万円かかる。外すなら負担して欲しい」という。地元町内会や行政窓口も「個人間のトラブルだから」ととりあってくれないので弁護士に相談し、訴訟に発展。「エコには反対じゃないし、本当は裁判などしたくはないのに」とこぼされている。
環境負荷の小さい暖房器具として薪ストーブにも人気が高まってきているが近隣との摩擦や衝突の危険が潜む。「近所に煙やすすが漏れていたかも」と当時を振り返る千葉県在住のB子さんは「数年前、自宅を改装した際、施工業者らの勧めで薪ストーブを取り付けた。使用すると煙が部屋中に充満した。使い続けると近所迷惑になるかも知れないので別の商品に取り替えた」という。「この手のトラブルは少なくないと、薪ストーブを販売・施工するファイヤーワールド永和(東京都墨田区)の富井忠則社長は「ブームで商品の種類は増えているが、煙やすすが出てしまうものも一部に見られる。隣家のベランダや庭木をすすで汚し、弁償した人もいた」と指摘する。
屋上緑化や生ゴミ減量なども安易に始めると思わぬ迷惑や負担を地域にかけるケースがある。東京都のある市では家庭の生ゴミを堆肥にするダンボールコンポストの普及を進めているが、庭のない集合住宅に住む人などが「堆肥を作ったが捨てるところがないので引き取って欲しい」と申し出があるそうだ。「堆肥はゴミにも出せず、公園などに捨てれば不法投棄になる。住民自身で使うように呼びかけているが、市で活用法を考えなくてはならないかも」と同市ゴミ対策課も困り顔。
屋上緑化も「世話を怠ると虫が増えたり、枯れ葉が落ちたりして迷惑を掛ける」(NPO法人屋上開発研究会)という。「環境によいから」と一部住民だけが独走すると、「エコひいき」になりかねない。近隣と歩調を合わせる努力は欠かせない。
冒頭に述べたが私自身は調和を欠いたエコブームにより景観が壊されることを最も恐れている。これは以前から調和を欠いた無秩序な公共事業が繰り返されたことにより、わが国各地の美しい景観が破壊されてきた過去があるからだ。一旦公共事業が決定され実施されるとブレーキがきかない。「オン」というボタンはあるが「オフ」がない。わが国には「ここがきれいだ」と落ち着いてくつろげる場所が少なくなってきていると思う。
黒瓦の屋根がつづく美しい町並みは独特の情緒を醸し出している地域がある。長年守ってきた美しい景観も配慮のない太陽光パネルが野放図に取付けられ一瞬にして破壊される危険性がある。
もう一度思い起こそう「美しい風景はよい環境である」ことを。
※写真は家内の最新作

環境によいからといって周囲への配慮や気遣いを欠いた「エコひいき」が問題になっている。日経新聞に次のようなトラブル例が掲載されていた。「隣家の太陽パネルが反射する光がまぶしくて、部屋にいられない。」と神奈川県在住のA子さんは憤りを隠さない。ことの起こりはこうだ。2008年春、隣家に新たな住民が引っ越してきた際、屋根に太陽光発電のパネルが取付けられた。
A子さんの家と隣家は斜面に並んで立地している。2階の窓から隣家の屋根が正面に見える。隣家はその屋根に太陽光パネルを置いたため、反射光が2階の窓に差し込むようになった。「春先が特にまぶしい。時にはサングラスをして布団を干す」状態だ。

隣家に苦情を申し出たが「パネルを取り外すのには200万円かかる。外すなら負担して欲しい」という。地元町内会や行政窓口も「個人間のトラブルだから」ととりあってくれないので弁護士に相談し、訴訟に発展。「エコには反対じゃないし、本当は裁判などしたくはないのに」とこぼされている。
環境負荷の小さい暖房器具として薪ストーブにも人気が高まってきているが近隣との摩擦や衝突の危険が潜む。「近所に煙やすすが漏れていたかも」と当時を振り返る千葉県在住のB子さんは「数年前、自宅を改装した際、施工業者らの勧めで薪ストーブを取り付けた。使用すると煙が部屋中に充満した。使い続けると近所迷惑になるかも知れないので別の商品に取り替えた」という。「この手のトラブルは少なくないと、薪ストーブを販売・施工するファイヤーワールド永和(東京都墨田区)の富井忠則社長は「ブームで商品の種類は増えているが、煙やすすが出てしまうものも一部に見られる。隣家のベランダや庭木をすすで汚し、弁償した人もいた」と指摘する。

屋上緑化や生ゴミ減量なども安易に始めると思わぬ迷惑や負担を地域にかけるケースがある。東京都のある市では家庭の生ゴミを堆肥にするダンボールコンポストの普及を進めているが、庭のない集合住宅に住む人などが「堆肥を作ったが捨てるところがないので引き取って欲しい」と申し出があるそうだ。「堆肥はゴミにも出せず、公園などに捨てれば不法投棄になる。住民自身で使うように呼びかけているが、市で活用法を考えなくてはならないかも」と同市ゴミ対策課も困り顔。
屋上緑化も「世話を怠ると虫が増えたり、枯れ葉が落ちたりして迷惑を掛ける」(NPO法人屋上開発研究会)という。「環境によいから」と一部住民だけが独走すると、「エコひいき」になりかねない。近隣と歩調を合わせる努力は欠かせない。

冒頭に述べたが私自身は調和を欠いたエコブームにより景観が壊されることを最も恐れている。これは以前から調和を欠いた無秩序な公共事業が繰り返されたことにより、わが国各地の美しい景観が破壊されてきた過去があるからだ。一旦公共事業が決定され実施されるとブレーキがきかない。「オン」というボタンはあるが「オフ」がない。わが国には「ここがきれいだ」と落ち着いてくつろげる場所が少なくなってきていると思う。
黒瓦の屋根がつづく美しい町並みは独特の情緒を醸し出している地域がある。長年守ってきた美しい景観も配慮のない太陽光パネルが野放図に取付けられ一瞬にして破壊される危険性がある。
もう一度思い起こそう「美しい風景はよい環境である」ことを。
※写真は家内の最新作
2010年06月16日
温暖化から道路照明を考える
古くからの住宅街では夜間の歩行者の安全のため道路照明(防犯灯)を増やす必要があると指摘されている。治安の悪い地域に接している住宅街などはとくに深刻な問題である。
しかし、照明を一方的に増やすことに問題はないだろうか。とくに住宅の道路沿いの高い塀が犯罪の増加に手を貸している場合もあるようだ。道路と家の関係が相互にプライバシーを確保しながらも防犯対策に有効な手法があるように思う。道路境界沿いの高い塀が住宅と道路を遮断し、互いに、防犯や町の景観をよくすることの相乗効果を町全体で消しあっているように思える。道路と家の配置や夜間のそれぞれの照明が効果的に配置され、防犯にも、景観にもよい影響を及ぼす方法があると思う。
犯罪を防ぎ、町の治安をよくしていくことや、町並み---景観をよくすることが、ひいては温暖化対策にも一役買うことになる。
ある環境写真家が言った次の言葉を思い出そう。
「美しい風景はよい環境である。」
さて、道路照明でも自動車専用道路では少し事情は異なるらしい。パリ近郊の高速道路や自動車専用道路で道路照明が廃止される試みがあるという。もっとも市街地やトンネル区間、治安の悪い地域などを除き、原則として高速道路と自動車専用道路の夜間照明が廃止されるという。それはパリ近郊の道路全体の役半分の約130キロの区間で照明が消すことになるという。
地球温暖化対策としてエネルギー消費を減らす目的が背景にあるが、照明がない方がドライバーが注意深く運転する傾向があり、事故を減らす効果があるという。
きっかけは思わぬ事件からはじまった。パリ郊外の自動車専用道路で2007年、照明用の銅線が盗まれ道路の明かりが長期間にわたって消えた、ところが照明がない区間の交通事故や死傷者は他の区間より約30%少なかったことから、道路局は照明廃止は省エネや事故防止に有効だと判断したという。
わが国もフランスのこの新たな試みを検討する必要があると思う。
※写真は上が信濃秋山の民家、中は奄美の高倉、下は飛騨白川の民家

しかし、照明を一方的に増やすことに問題はないだろうか。とくに住宅の道路沿いの高い塀が犯罪の増加に手を貸している場合もあるようだ。道路と家の関係が相互にプライバシーを確保しながらも防犯対策に有効な手法があるように思う。道路境界沿いの高い塀が住宅と道路を遮断し、互いに、防犯や町の景観をよくすることの相乗効果を町全体で消しあっているように思える。道路と家の配置や夜間のそれぞれの照明が効果的に配置され、防犯にも、景観にもよい影響を及ぼす方法があると思う。

犯罪を防ぎ、町の治安をよくしていくことや、町並み---景観をよくすることが、ひいては温暖化対策にも一役買うことになる。
ある環境写真家が言った次の言葉を思い出そう。
「美しい風景はよい環境である。」
さて、道路照明でも自動車専用道路では少し事情は異なるらしい。パリ近郊の高速道路や自動車専用道路で道路照明が廃止される試みがあるという。もっとも市街地やトンネル区間、治安の悪い地域などを除き、原則として高速道路と自動車専用道路の夜間照明が廃止されるという。それはパリ近郊の道路全体の役半分の約130キロの区間で照明が消すことになるという。

地球温暖化対策としてエネルギー消費を減らす目的が背景にあるが、照明がない方がドライバーが注意深く運転する傾向があり、事故を減らす効果があるという。
きっかけは思わぬ事件からはじまった。パリ郊外の自動車専用道路で2007年、照明用の銅線が盗まれ道路の明かりが長期間にわたって消えた、ところが照明がない区間の交通事故や死傷者は他の区間より約30%少なかったことから、道路局は照明廃止は省エネや事故防止に有効だと判断したという。
わが国もフランスのこの新たな試みを検討する必要があると思う。
※写真は上が信濃秋山の民家、中は奄美の高倉、下は飛騨白川の民家
2010年02月19日
鰹節を削る音
子どものころ、町のあちこちで鰹節の削る音が聞こえていた。日本のどこにでも見られる朝の光景であった。今では鰹節削り器どころか、鰹節そのものを見たことがない子がほとんどではないだろうか。鰹節は日本人の発明であり、独特のうまみが日本の食生活を支え、奥深くし、美味の追求によって文化の花を咲かせたと思う
。
このような生活に根付いたなつかしい音が町から消えてしまった。下駄屋、桶屋さんからもなつかしい音が聞こえていた。現代は住居から仕事の場が消えてしまった。それと同時に町固有の気配や雰囲気などが失われてしまったように思う。町の活気も失われてしまった。
こぎれいな新興住宅街は増えたが、寝て食べて憩うだけの場になった住居は社会から活気を奪ってしまったように思う。
便利さと引き換えに何か大切なものを失ってしまった。
映画監督の大林さんの作品に「転校生」という尾道を舞台にした映画がある。そこには絵葉書になるような風景は一切出て来ない、出ているのは尾道の路地裏、坂道、崩れかけた土塀、ひび割れた屋根瓦のある風景である。
試写会で映画を見た尾道の市民はこんなものを観たんじゃ観光客の足はますます遠のいてしまうと怒ったそうだが、封切から30年たった現在はどうかというと、映画を観てやってくる人がいまでも後をたたないという。
私は古い町並みが好きだ。一人であちこち見て回ったり、家族や、ゼミの学生と一緒に行くこともある。古い町並みには「自然や、人間の営みに感謝して生きる」という日本に昔から息づく感謝の心が漂っているように思う。その感謝の心の表現は地域の固有のもので、ふるさと固有の気配や雰囲気を形作っている。新しくはないが何か安心できるものがあると思う。
※写真は上は八重山諸島の竹富島の小学校の玄関、その他は同島の民家風景
。このような生活に根付いたなつかしい音が町から消えてしまった。下駄屋、桶屋さんからもなつかしい音が聞こえていた。現代は住居から仕事の場が消えてしまった。それと同時に町固有の気配や雰囲気などが失われてしまったように思う。町の活気も失われてしまった。
こぎれいな新興住宅街は増えたが、寝て食べて憩うだけの場になった住居は社会から活気を奪ってしまったように思う。
便利さと引き換えに何か大切なものを失ってしまった。

映画監督の大林さんの作品に「転校生」という尾道を舞台にした映画がある。そこには絵葉書になるような風景は一切出て来ない、出ているのは尾道の路地裏、坂道、崩れかけた土塀、ひび割れた屋根瓦のある風景である。
試写会で映画を見た尾道の市民はこんなものを観たんじゃ観光客の足はますます遠のいてしまうと怒ったそうだが、封切から30年たった現在はどうかというと、映画を観てやってくる人がいまでも後をたたないという。

私は古い町並みが好きだ。一人であちこち見て回ったり、家族や、ゼミの学生と一緒に行くこともある。古い町並みには「自然や、人間の営みに感謝して生きる」という日本に昔から息づく感謝の心が漂っているように思う。その感謝の心の表現は地域の固有のもので、ふるさと固有の気配や雰囲気を形作っている。新しくはないが何か安心できるものがあると思う。
※写真は上は八重山諸島の竹富島の小学校の玄関、その他は同島の民家風景
2008年12月12日
町並みと静かな存在感
東京武蔵野市で赤と白のボーダーラインのしましま模様で外壁塗装した家が話題になった。
近隣住民の一部が強い違和感を表明してそれ以来地域問題になっているそうだ。
工事中に出された、住民側の建設差し止め仮処分申請は東京地裁で却下されたが、現在、本訴訟に発展しているらしい。

建築主は漫画家らしいのだが、法的規制をクリアーしていれば、なんら問題はないということなのだろう。それに表現の自由ということもあるし、顕示欲もあるだろう。
しかし、法律は守るべき最小限のことで、それをクリアーしているからといって何でも自由とはいかないのではないだろうか。
とくに住宅地では日常生活の場であり、おのずと自制が求められのではないか。協調性を前面にして、独自性は控えられるべきだと思う。私も環境共生をテーマに設計をしているがこのことは頭から離れたことはない。
私は昔の集落が大好きで、その素朴な美しさに心打たれる。なぜ美しいのかについては建築家の吉村順三氏も述べておられるので引用させていただくと、「一軒一軒(家を)建てる場合でも、その周囲におさまるように----との意識がとても強かったと思うんです。こんなところには自分の家でも大きくつくってはいかんとか、-----そういうふうにやれば、いまみたいな混乱はないと思いますが、いまは----そのものだけを考えますからね。」と。
そして、-----「-私は家の形がひとつひとつそんなに違う必要はないと思いますね。-----同じ鳥の巣なら皆、同じような形をしていますね。そのなかでどう住むかというところが、人間の面白さじゃないでしょうか。」と述べている。
周辺にとけ込みながらも、なお存在感を示しうる建物ないし生活態度ということだろう。昨今、そとづら奇抜なものばかり----。静かな、にじみ出るような存在感のあるものは少ない。
おりしも、ハンマースホイの展覧会「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展が開催されている。主に自宅を舞台に描かれているその絵の不思議な絵からにじみ出るような詩情が話題になっている。
いまほど静かな力量こそ求められる時代はないのではないだろうか。
写真右上・下は東京青山の商業地に建つ商業ビルの外観 目立つことが目的で建てられているが町並みへの違和感は少ない。
近隣住民の一部が強い違和感を表明してそれ以来地域問題になっているそうだ。
工事中に出された、住民側の建設差し止め仮処分申請は東京地裁で却下されたが、現在、本訴訟に発展しているらしい。

建築主は漫画家らしいのだが、法的規制をクリアーしていれば、なんら問題はないということなのだろう。それに表現の自由ということもあるし、顕示欲もあるだろう。
しかし、法律は守るべき最小限のことで、それをクリアーしているからといって何でも自由とはいかないのではないだろうか。
とくに住宅地では日常生活の場であり、おのずと自制が求められのではないか。協調性を前面にして、独自性は控えられるべきだと思う。私も環境共生をテーマに設計をしているがこのことは頭から離れたことはない。

私は昔の集落が大好きで、その素朴な美しさに心打たれる。なぜ美しいのかについては建築家の吉村順三氏も述べておられるので引用させていただくと、「一軒一軒(家を)建てる場合でも、その周囲におさまるように----との意識がとても強かったと思うんです。こんなところには自分の家でも大きくつくってはいかんとか、-----そういうふうにやれば、いまみたいな混乱はないと思いますが、いまは----そのものだけを考えますからね。」と。
そして、-----「-私は家の形がひとつひとつそんなに違う必要はないと思いますね。-----同じ鳥の巣なら皆、同じような形をしていますね。そのなかでどう住むかというところが、人間の面白さじゃないでしょうか。」と述べている。
周辺にとけ込みながらも、なお存在感を示しうる建物ないし生活態度ということだろう。昨今、そとづら奇抜なものばかり----。静かな、にじみ出るような存在感のあるものは少ない。
おりしも、ハンマースホイの展覧会「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展が開催されている。主に自宅を舞台に描かれているその絵の不思議な絵からにじみ出るような詩情が話題になっている。
いまほど静かな力量こそ求められる時代はないのではないだろうか。
写真右上・下は東京青山の商業地に建つ商業ビルの外観 目立つことが目的で建てられているが町並みへの違和感は少ない。