カテゴリ: デパートクレーム物語
[番外] ろう細工に歯形がくっきり
[番外] お客さんにひざかっくん
[第七話] 股下2ミリの攻防
池袋店2年目は紳士既製服、プレタポルテ、オーダー服の担当。
そんな2年目のある日、休み明けに出社するとたいそう細かなクレームが私を待ち構えていた。
バーゲンのスーツを買った顧客が、スラックスお直し後の寸法が短いとのクレームである。
スラックスの長さには、私もこだわる。
スーツの着こなしには重要なポイントでもある。
なので、その長さについてのクレームならばわからないではない、と思いながら担当にその内容を聞いてみる。
すると、その内容は「2ミリ短いとおっしゃるのです」と。
ん?2ミリ?
聞き間違いと思い、微笑みながら「2ミリって言った?」と改めて聞くと、「はい、2ミリです」と答える。
センチ単位の長短のクレームは経験あるが、2ミリはさすがにない。
と言うか、正直「ミリ単位でクレーム言ってくる顧客って、どうよ?」である。
「で、どうしたの?」と聞くと。
「預って修理する」と言わざるを得なかった、と。
でも、「直し場に持って行くと、2ミリの修理なんて不可能」と言われたのでどうしたものかと。
そりゃそうだ、2ミリなんて直しようがない。
そもそも、2ミリ程度の誤差は気温や湿度によって十分生じるし、折りジワによっても生じる。
また、測り方によってもそれぐらいの誤差は生じてしまう。
なので、「ちゃんと(その事)説明したの?」と聞くと、「はい、でも納得してくれないんです」と言う。
「う~ん、こりゃ厄介な顧客だなぁ」と思いながら、「まぁ、自分で実際測ってみるか」という事で、スラックスを丁寧に伸ばしメジャーをあててみる。
そして目を凝らしメジャーの目盛りを見る。
まるほど、よくよく見れば確かに指定の股下寸法76センチには微妙に足らない。よくよく見れば、だ。
2ミリまではいかない、でも1ミリとちょっと短いかな?くらい。
いやいや、メジャーの折りジワも軽くある。
メジャーを思い切り伸ばしてみる。
スラックスも今度はギュッと伸ばしてみる。
ん~、今度は1ミリ弱くらいかな?
目を皿の様にして見ないとわからないぐらいの誤差だ。
「まぁ、これぐらいだったら何とかなるだろっ」と思い、このまま夕方来られる事になっている顧客に対応することにした。
しかし、夕方現れた顧客はそんな甘い考えが通用する顧客ではなかったのである。
午後6時過ぎだっただろうか、いよいよその顧客登場である。
2ミリ云々を気にされる方なので「神経質そうな感じなんだろうな」と思っていたが、あにはからんや、普通である。
年齢の頃は、35、6といったところの、スーツの着こなしもまぁまぁの普通のサラリーマン。
その様子を見て、「こりゃ、なんとかなるな」と思いながら、まずは、売場の責任者であることを告げお詫び申し上げ、修理した事にした(2ミリの調整修理などムリなので、本当は修理してない)、件のスラックスの採寸をする。
顧客指定は股下寸法76センチ。
スラックスを丁寧に伸ばし、メジャーを引張り気味にあてスラックスにあてる。
あれっ?
2ミリほど足らない。
さきほどやった時には、1ミリ弱だったのに、あれっ?
で、顧客の様子は?と見ると、しっかり覗き込んで確認している。
が、その表情はスルーして何事もなかったかのように再度メジャーを目一杯伸ばして(気付かれないようにさりげなく)チャレンジ。
ん?
少し改善されたが、やはり足らない。
顧客はより露骨に覗き込んで見ており、その表情は明らかに不満そうだ。
が、それにめげず、「どうでしょうか?」と聞いてみる。
すると、顧客。
「あのねぇ、これは契約なんだよ、おたくの店と私の」
「私が76センチでお願いして、それを受けたんでしょ?」
「できなきゃ契約不履行じゃありませんか」と迫ってくる。
1ミリ2ミリで契約不履行とはまた仰々しいと思ったが、修理票にミリ単位の免責事項云々書いてあるはずもなく。
さらに、ここでまた「繊維製品は温度湿度によって・・・」などと言ってもややこしくなるだけと思い。
「もう一日お時間をいただけませんか?」とお願いをしてみる。
すると、「それじゃ、また明日来るから・・・今度はきちんとやってくださいよ、きちんと!」
と声高に言い残し、売場を去っていかれたのである。
その背中を見送ったあと、傍らに控えていた担当者と顔を合わせ「こりゃ、まいったね」である。
という言うより、最初計った時は1ミリを切ったのに、顧客の前でやると1ミリを超えたのが悔しい。
「もっと、練習しておけば良かった」と思ったが後のまつり。
ともかく、考えねばいけないのは明日までの対応である。
再修理はもちろんしない。
原状のままでいかに76センチにもっていくか。
その後は、その課題達成に向けてあれやこれやの時間を過ごすことになったのである。
1ミリちょい足らなくても満足しない顧客。
1ミリ短くてもシルエットは変らないし、折りジワでそれくらいは短くなるし、気温湿度によっても長短変化する。
正直、真面目に付き合ってられない。
が、こんな顧客の対応も勉強と思うことにして、というか、こっちも意地になり対応策の練り直しである。
まずは、大先輩であるオーダーサロンの上村さんと、イージーオーダーのベテラン派遣販売員の山川さんに相談をする。
事情を聞いた超楽天家の上村さんは他人事と思ってか楽しそうなニコニコ顔、真面目な山川さんは困った表情になる。
で、上村さん。
「メジャーあてる時、顧客にわかんないように2ミリほどメジャーをシュと下にずらせばいいじゃない」と嬉しそうにおっしゃる。
楽天家だけに、やはり、軽い。
「ダメですよ、この人はメジャーの先から先まで目を凝らして見てるんですから」と私が言うと、「そこをうまくやるんだよ」と嬉しそうに返してくる。
軽すぎる。
一方の山川さんは、終始困った表情である。
そんな山川さんに「こんな顧客いままでいました?」と聞くと、「いや~、いないです」と。
そりゃそうだ、それだけに真剣に困っているのだろう。
で、皆でもう一度それぞれ採寸してみて誤差を測ってみる。
スラックスを思いきり伸ばし、メジャーも思い切り伸ばし。
でも、3人がミリ単位でピッタリ同じにはならない。
しかも、皆76センチにはミリ単位では届かない。
つまり、このままでは明日も同じ結果になるということだ。
しょうがない、お直し場に頼んでちょっと長めに出してメジャー操作で誤魔化すか・・・と思っていたら、上村さんが「スチームをガンガンあててアイロンかけてみてもらったら?」と。
おっ、さっきまではお遊びで、やっと真剣に考えてくれたようだ。「なるほど」である。
早速、お直し場に持っていきスチームアイロンをかけてもらい売場に持ち帰る。
上村さんも山川さんもお待ちかねだ。
で、まずは私がメジャーをあててみる。
やった!76センチになった!
いや、厳密に言えば、コンマ数ミリオーバーだ。
長いのもダメ?
いや、あの顧客はたぶん短いことが許せないだけで、長いのは大丈夫だろう。
それに、そこらへんのメジャー操作は短いのを長く見せるほど難しくない操作なので何とかなる。
気づかれないように引っ張ってるメジャーを少し緩めればいい。
そうしよう。
問題は、今の状態が明日の夕方までもつか?にある。
乾ききってしまうともとに戻りそうだ。
なので、来店される少し前にアイロンをかけてもらわねばならない。
皆でそうしよう、そうしようと言うことになった。
そして、いよいよ最終攻防の時がやってきた。
まずは午前中に採寸をしてみる。
やはり、一晩経ったので76センチ足らずになっている。
でも、マイナス0.5ミリぐらいに改善されている。
今度は午後いちに採寸をしてみる。
午前中と変らない。
まだまだ早いが予行演習でアイロンをかけてもらう。
約1ミリ程度伸びた。
つまり、76.05センチくらいだ。
で、少しメジャーを緩めてみる。
おおっ、ピッタリ76センチ。
よし、いける!
顧客が来られるのは6時頃なので、5時半頃に再度アイロンをかけてもらえば良い頃合いだろう。
そんな段取りで来店を待つことにした。
そして5時半になり、アイロンがけ。
採寸をすると午後いちにやったのと変らない。
ちょっとゆるめにメジャーをあて、76センチピッタリにする練習を繰り返す。
いける、いける、大丈夫だ。
自信を持って、顧客を待つ。
6時になる。
で、10分過ぎ、20分を過ぎる。
アイロンをかけて50分を過ぎた事になる。
あれっ?
こんなに時間経過して、もしかして縮まない?
そんな不安にかられ、もう一回アイロンやっとく?
と思っていた時に顧客のご来店である。
自信を持ってお待ちしていたのだが、アイロンかけたあとの時間の経過が気にかかる。
かと言って、今からアイロンがけにも行けない。
もうこうなりゃ、いちかばちかである。
「お願い!」と念じながらメジャーをあてる、ただし縮んでいる不安があったので少し伸ばしぎみに。
おおぉ~、なんと76センチぴったりではないか。
もうこの手は絶対に動かさないぞ、と思いながら顧客の様子を伺う。
そして、目を凝らして寸法を確認している顧客に「如何でしょう?」と尋ねる。
すると、「いいでしょう」あっさりOKを出してくれたのである。
この何とも言えない達成感。
誇らしい気持ちにもなったのであるが、そんな表情など出せるわけもなく。
何度もお運びいただいた事に対してお詫びを申し上げ、顧客をお見送りしたのであった。
ただ、心配だったのは、自宅に帰られて再度寸法を測られた時には縮んでる?
しかし、その後その顧客からは再度クレームが来ることもなく、この騒動は一件落着となったのである。
← ポチいただければ励みになります。
そんな2年目のある日、休み明けに出社するとたいそう細かなクレームが私を待ち構えていた。
バーゲンのスーツを買った顧客が、スラックスお直し後の寸法が短いとのクレームである。
スラックスの長さには、私もこだわる。
スーツの着こなしには重要なポイントでもある。
なので、その長さについてのクレームならばわからないではない、と思いながら担当にその内容を聞いてみる。
すると、その内容は「2ミリ短いとおっしゃるのです」と。
ん?2ミリ?
聞き間違いと思い、微笑みながら「2ミリって言った?」と改めて聞くと、「はい、2ミリです」と答える。
センチ単位の長短のクレームは経験あるが、2ミリはさすがにない。
と言うか、正直「ミリ単位でクレーム言ってくる顧客って、どうよ?」である。
「で、どうしたの?」と聞くと。
「預って修理する」と言わざるを得なかった、と。
でも、「直し場に持って行くと、2ミリの修理なんて不可能」と言われたのでどうしたものかと。
そりゃそうだ、2ミリなんて直しようがない。
そもそも、2ミリ程度の誤差は気温や湿度によって十分生じるし、折りジワによっても生じる。
また、測り方によってもそれぐらいの誤差は生じてしまう。
なので、「ちゃんと(その事)説明したの?」と聞くと、「はい、でも納得してくれないんです」と言う。
「う~ん、こりゃ厄介な顧客だなぁ」と思いながら、「まぁ、自分で実際測ってみるか」という事で、スラックスを丁寧に伸ばしメジャーをあててみる。
そして目を凝らしメジャーの目盛りを見る。
まるほど、よくよく見れば確かに指定の股下寸法76センチには微妙に足らない。よくよく見れば、だ。
2ミリまではいかない、でも1ミリとちょっと短いかな?くらい。
いやいや、メジャーの折りジワも軽くある。
メジャーを思い切り伸ばしてみる。
スラックスも今度はギュッと伸ばしてみる。
ん~、今度は1ミリ弱くらいかな?
目を皿の様にして見ないとわからないぐらいの誤差だ。
「まぁ、これぐらいだったら何とかなるだろっ」と思い、このまま夕方来られる事になっている顧客に対応することにした。
しかし、夕方現れた顧客はそんな甘い考えが通用する顧客ではなかったのである。
午後6時過ぎだっただろうか、いよいよその顧客登場である。
2ミリ云々を気にされる方なので「神経質そうな感じなんだろうな」と思っていたが、あにはからんや、普通である。
年齢の頃は、35、6といったところの、スーツの着こなしもまぁまぁの普通のサラリーマン。
その様子を見て、「こりゃ、なんとかなるな」と思いながら、まずは、売場の責任者であることを告げお詫び申し上げ、修理した事にした(2ミリの調整修理などムリなので、本当は修理してない)、件のスラックスの採寸をする。
顧客指定は股下寸法76センチ。
スラックスを丁寧に伸ばし、メジャーを引張り気味にあてスラックスにあてる。
あれっ?
2ミリほど足らない。
さきほどやった時には、1ミリ弱だったのに、あれっ?
で、顧客の様子は?と見ると、しっかり覗き込んで確認している。
が、その表情はスルーして何事もなかったかのように再度メジャーを目一杯伸ばして(気付かれないようにさりげなく)チャレンジ。
ん?
少し改善されたが、やはり足らない。
顧客はより露骨に覗き込んで見ており、その表情は明らかに不満そうだ。
が、それにめげず、「どうでしょうか?」と聞いてみる。
すると、顧客。
「あのねぇ、これは契約なんだよ、おたくの店と私の」
「私が76センチでお願いして、それを受けたんでしょ?」
「できなきゃ契約不履行じゃありませんか」と迫ってくる。
1ミリ2ミリで契約不履行とはまた仰々しいと思ったが、修理票にミリ単位の免責事項云々書いてあるはずもなく。
さらに、ここでまた「繊維製品は温度湿度によって・・・」などと言ってもややこしくなるだけと思い。
「もう一日お時間をいただけませんか?」とお願いをしてみる。
すると、「それじゃ、また明日来るから・・・今度はきちんとやってくださいよ、きちんと!」
と声高に言い残し、売場を去っていかれたのである。
その背中を見送ったあと、傍らに控えていた担当者と顔を合わせ「こりゃ、まいったね」である。
という言うより、最初計った時は1ミリを切ったのに、顧客の前でやると1ミリを超えたのが悔しい。
「もっと、練習しておけば良かった」と思ったが後のまつり。
ともかく、考えねばいけないのは明日までの対応である。
再修理はもちろんしない。
原状のままでいかに76センチにもっていくか。
その後は、その課題達成に向けてあれやこれやの時間を過ごすことになったのである。
1ミリちょい足らなくても満足しない顧客。
1ミリ短くてもシルエットは変らないし、折りジワでそれくらいは短くなるし、気温湿度によっても長短変化する。
正直、真面目に付き合ってられない。
が、こんな顧客の対応も勉強と思うことにして、というか、こっちも意地になり対応策の練り直しである。
まずは、大先輩であるオーダーサロンの上村さんと、イージーオーダーのベテラン派遣販売員の山川さんに相談をする。
事情を聞いた超楽天家の上村さんは他人事と思ってか楽しそうなニコニコ顔、真面目な山川さんは困った表情になる。
で、上村さん。
「メジャーあてる時、顧客にわかんないように2ミリほどメジャーをシュと下にずらせばいいじゃない」と嬉しそうにおっしゃる。
楽天家だけに、やはり、軽い。
「ダメですよ、この人はメジャーの先から先まで目を凝らして見てるんですから」と私が言うと、「そこをうまくやるんだよ」と嬉しそうに返してくる。
軽すぎる。
一方の山川さんは、終始困った表情である。
そんな山川さんに「こんな顧客いままでいました?」と聞くと、「いや~、いないです」と。
そりゃそうだ、それだけに真剣に困っているのだろう。
で、皆でもう一度それぞれ採寸してみて誤差を測ってみる。
スラックスを思いきり伸ばし、メジャーも思い切り伸ばし。
でも、3人がミリ単位でピッタリ同じにはならない。
しかも、皆76センチにはミリ単位では届かない。
つまり、このままでは明日も同じ結果になるということだ。
しょうがない、お直し場に頼んでちょっと長めに出してメジャー操作で誤魔化すか・・・と思っていたら、上村さんが「スチームをガンガンあててアイロンかけてみてもらったら?」と。
おっ、さっきまではお遊びで、やっと真剣に考えてくれたようだ。「なるほど」である。
早速、お直し場に持っていきスチームアイロンをかけてもらい売場に持ち帰る。
上村さんも山川さんもお待ちかねだ。
で、まずは私がメジャーをあててみる。
やった!76センチになった!
いや、厳密に言えば、コンマ数ミリオーバーだ。
長いのもダメ?
いや、あの顧客はたぶん短いことが許せないだけで、長いのは大丈夫だろう。
それに、そこらへんのメジャー操作は短いのを長く見せるほど難しくない操作なので何とかなる。
気づかれないように引っ張ってるメジャーを少し緩めればいい。
そうしよう。
問題は、今の状態が明日の夕方までもつか?にある。
乾ききってしまうともとに戻りそうだ。
なので、来店される少し前にアイロンをかけてもらわねばならない。
皆でそうしよう、そうしようと言うことになった。
そして、いよいよ最終攻防の時がやってきた。
まずは午前中に採寸をしてみる。
やはり、一晩経ったので76センチ足らずになっている。
でも、マイナス0.5ミリぐらいに改善されている。
今度は午後いちに採寸をしてみる。
午前中と変らない。
まだまだ早いが予行演習でアイロンをかけてもらう。
約1ミリ程度伸びた。
つまり、76.05センチくらいだ。
で、少しメジャーを緩めてみる。
おおっ、ピッタリ76センチ。
よし、いける!
顧客が来られるのは6時頃なので、5時半頃に再度アイロンをかけてもらえば良い頃合いだろう。
そんな段取りで来店を待つことにした。
そして5時半になり、アイロンがけ。
採寸をすると午後いちにやったのと変らない。
ちょっとゆるめにメジャーをあて、76センチピッタリにする練習を繰り返す。
いける、いける、大丈夫だ。
自信を持って、顧客を待つ。
6時になる。
で、10分過ぎ、20分を過ぎる。
アイロンをかけて50分を過ぎた事になる。
あれっ?
こんなに時間経過して、もしかして縮まない?
そんな不安にかられ、もう一回アイロンやっとく?
と思っていた時に顧客のご来店である。
自信を持ってお待ちしていたのだが、アイロンかけたあとの時間の経過が気にかかる。
かと言って、今からアイロンがけにも行けない。
もうこうなりゃ、いちかばちかである。
「お願い!」と念じながらメジャーをあてる、ただし縮んでいる不安があったので少し伸ばしぎみに。
おおぉ~、なんと76センチぴったりではないか。
もうこの手は絶対に動かさないぞ、と思いながら顧客の様子を伺う。
そして、目を凝らして寸法を確認している顧客に「如何でしょう?」と尋ねる。
すると、「いいでしょう」あっさりOKを出してくれたのである。
この何とも言えない達成感。
誇らしい気持ちにもなったのであるが、そんな表情など出せるわけもなく。
何度もお運びいただいた事に対してお詫びを申し上げ、顧客をお見送りしたのであった。
ただ、心配だったのは、自宅に帰られて再度寸法を測られた時には縮んでる?
しかし、その後その顧客からは再度クレームが来ることもなく、この騒動は一件落着となったのである。
[第六話] 超常現象で靴がへこむ?
お江戸のお店へ着任1年目の私は、何とも摩訶不思議なクレームと遭遇することになるのである。
1年目の担当はメンズファニシング。
ワイシャツ、ネクタイ、肌着、靴下、ナイトウェア、紳士靴の担当。
ワイシャツ、紳士靴はサイズが細かく刻んであるので在庫抱えないといけないし、男モノの肌着なんて楽しくないし、ま、楽しいのはネクタイぐらいのものかな?と、思ってた。
つまり、あまり得意ではない商品群であった。
なので、「まいったなぁ」と思いながら着任。
そして、2ヶ月経った5月頃だったか、顧客から摩訶不思議な電話が売場担当者宛にかかってくるのである。
「お宅で新しく買った靴を下駄箱にしまっておいた」
「今日、それを初めて下駄箱から出して履こうと思ったら、先の部分がポッコリへこんでいた。どうしてくれるんだ」と言った内容である。、
担当者からその報告を聞いた私は、顧客が買われた靴と同じものを確認する。
それは、ごく普通のプレーントゥタイプのものである。
なので、トゥの部分は硬い。
指で少々押したところでは簡単にへこまない。
さらに押してへこませたところで、すぐに復元する。
「これって、何もしないのにへこまんでしょ?」と笑いながらベテラン担当者に聞くと。
担当者も笑いながら「へこみませんよ~」と。
皮自体の伸縮は多少あるだろうが、その力によって硬く処理されたトゥの部分がへこむとは考えにくい。
「こりゃ、超常現象でも起きたかな」と半ば感心しながらも、とにかく顧客宅に出向いて商品を確認する事が先決。
急ぎ、近辺の地図を用意してもらうことにした。
東京へ住んで2ヵ月ちょい。
当然、まだまだ東京は不案内な土地である。
急ぐ中でも、行き先の確認をしっかりしておかねばならない。
方向音痴を自認する私は、初めて行く場所の場合は特に注意が必要。
ましてや、今回の場合はクレーム訪問である。
約束時間には、絶対に遅れるわけにはいかない。
なので、用意してもらった地図を丹念に見て、到着駅からの顧客宅までの道順をしっかりと予習する。
その地図を見る限り、区画もきれいに整理されておりわかりやすい。
地図の中央には線路が走っており、到着駅も地図上にある。
駅からこれだと歩いて15分あれば十分だな、と確認する。
ただ、地図で見ればお宅は駅の左側だが、乗った電車の進行方向によっては逆になる。
そこが一番心配だったので、メンバーの一人に確認をする。
「この地図でいくと、池袋からの電車の進行方向の左側で間違いない?」と聞くと、しばらく、考えて「え~と、そうですね。左で間違いないです」との回答。
よし、これで予習は終了。
顧客宅には時間的にも精神的にも余裕を持って到着したいので、駅には約束時間の40分程前に到着するように店を出たのであった。
電車に乗って30分あまり、目的の駅に到着。
間違いのないよう、進行方向の左側の駅の出口を出て向かうことにする。
地図を確認しながら道を進んでいくのだが、戸別地図を用意したにもかかわらず、途中のお店とか個人宅の名前を確認しながら進むことはしなかった。
何しろ、目指すはお宅は「電車の進行方向左側」との言葉を信じていたのだから。
で、15分ぐらいが経過、もう近いはずだ。
しかし、どうも様子がおかしい。
ん?
と思い、地図を確認する。
現在地と思われるところの地図を見る。
しかし、地図に表記している個人宅もお店も、今私の居る場所の辺りに見当たらない。
あれっ?
道をどこかで間違えたかな?
と思い、道順をもう一度地図上で辿る。
いや、間違っていない。
と、言うことは?
もしや?
と思い、お店に電話をいれ、「電車の進行方向左側」と言った担当者を呼び出す。
「今、電車の進行方向左側へ来てるんだけど、左で間違いないよね?」と聞くと、彼は「えっ?ちょっと待ってください」と言ってしばし私を待たせる。
イヤな予感である。
しかし、そのイヤな予感は当たってしまうことになる。
「あっ、すいません、右でした!」
その言葉を聴いた私は、しばし絶句。
文句のひとつも言いたいところだが、とにかく時間がない。
約束時間の40分前に駅に着いて15分歩いたから、
40分-15分=25分
いや、お店に電話したりしているうちに5分程度経過したから、
40分-15分ー5分=20分
あと20分で顧客宅に到着せねばならない。
いや、5分前には到着したいので15分で到着せねばならない。
ただ、今は顧客宅の逆方向に徒歩15分の距離を来てしまっている。
と言うとこは、つまり、ここまで来た速度の倍の速度でとって返さなければならない。
ここまで来た速度が凡そ時速6キロ程度。(ジムで歩いたり走ったりしてるのでこのへんはわかる)
と言うことは、時速12キロでとってかえさなくてはならない算段だ。
いつも私がジムで走っている速度が10キロ。
つまり、そのジムでの走りのプラス2キロで、しかも、スーツ姿で走らなければらないのだ。
「え~っ、勘弁せえよぉ~」であったが、グダグダ思ってる暇もない。
すぐさま踵を返し、スタートを切ったのである。
さぁ、顧客宅まで15分が目標。
上着を手に抱え、ジョギングのスタートである。
時節は初夏、5分も走るとジワッと汗ばんでくる。
が、そんな事にかまっている場合じゃない。
一目散に顧客宅を目指し、時速12キロ以上を意識しながら走る走る走る。
で、目標の15分少々前にはお宅を見つけることができた。
そのお宅は、都会には似合わない田舎でよく見られる純日本風のお宅。
息を整え、呼び出しベルを鳴らすと、玄関の引き戸を開けて小学3~4年生ぐらいの男の子出てきた。
「こんにちわ、◯◯の橋本です。おうちの方いらっしゃいますか?」と問うと、何も言わず踵を返し、廊下をドンドンドンと音をたてて奥の部屋へ走っていく。
そして、奥の部屋に向かって「おじいちゃん、誰か来た!」と報告している。
奥の部屋から「誰だい?」と問いかける声が聞こえ、その後「知らな~い!」という声が響く。
え?
ちゃんと名乗ったじゃないか、と思ったが、ま、相手は少年、しょうがない。
と、ここで、ようやく玄関の土間にゆっくりと目を落とす。
ふわぁ~、こりゃまた。
このお宅はいったい何人家族なんだ?と思われるほど靴が並んでいる。
いや、並んでいない、散乱している。
中でも、子どもの靴は3足分ぐらいがあっちこっちに横向いたりひっくり返ったり。
たいそう元気よく散らばっているのである。
その元気な散乱ぶりを見た私は、咄嗟に「靴をへこませた犯人見つけたり!」である。
と、得心したこところに、奥から先の少年のおじいちゃんであるクレームの主がゆっくりと現われる。
表情は特に怒っている風ではない。
訪問の挨拶をすませ(靴がへこんだ原因は未だ不明であるから、この時点ではお詫びはしない)、取り急ぎ、件の靴を拝見することに。
「ここにずっと入れておいたんだよ」と言いながら、下駄箱の扉を開けて下駄箱から靴を出される。
まるほど、黒のプレーントゥの靴の片方のつま先部分が、500円玉ぐらいの直径ほど丸くへこんでいる。
「買って帰られてすぐこの下駄箱に入れられたんですよね?」と改めて問うと、「そうそう」とおっしゃる。
「で、履こうと思ってこの靴を出してみたら、この様にへこんでいた・・・と言う事ですか?」
と、さらに問うと、「そうなんだよ、何でこうなるの?」と問い返される。
おじいちゃんの傍らに佇む少年と目が合ったので、「こらっ!この靴を踏んづけたんだろ!?」と優しい眼差しで詰問したが、伝わるはずもなく。
なので、「何でこうなるの?」の問いには、首を傾げながら「申し訳ないのですが、今こうして拝見しただけではわかりかねます」と言わざるを得なかった。
当然、この訪問で決着をつけるつもりではないので、しばらくお預かりして原因を調査してお返事差し上げたい旨を伝えると、「別に急がないから」とのありがたいお返事。
担当者から、「どうしてくれる!と怒ってました」と、つい先ほど報告を受けたのが嘘の様に、叱責を受ける事もなく穏やかに訪問を終える事ができたのである。
さて、それから問題の靴を持って帰店。
私が外出の間、担当者に商品本部、お取引先に問い合わせるよう頼んでいたのが、いずれも「自然にへこむなんて実例は過去一度もない」との回答。
そりゃそうだ、「そんなの超常現象じゃあるまいし」と私も思っていた。
とは言いながら、一応念の為品質管理部に出して調査はしてもらう事に。
そして、後日返ってきた検査結果は、「急激な力で押しこまれたと思われる」との結果報告。
さもありなん、である。
で、顧客にはどのように回答するか?であるが、調査結果をそのまま伝えたところで押し問答になるのは目に見えている。
なので、「原因不明」として報告し、修理させていただく事でご了解を得、修理して元に戻った靴を無事納めることができたのである。
ただ、その後しばらくは、あの少年がまたあの靴を「踏んづけないことを願っていた」のは言うまでもない。
← ポチいただければ励みになります。
1年目の担当はメンズファニシング。
ワイシャツ、ネクタイ、肌着、靴下、ナイトウェア、紳士靴の担当。
ワイシャツ、紳士靴はサイズが細かく刻んであるので在庫抱えないといけないし、男モノの肌着なんて楽しくないし、ま、楽しいのはネクタイぐらいのものかな?と、思ってた。
つまり、あまり得意ではない商品群であった。
なので、「まいったなぁ」と思いながら着任。
そして、2ヶ月経った5月頃だったか、顧客から摩訶不思議な電話が売場担当者宛にかかってくるのである。
「お宅で新しく買った靴を下駄箱にしまっておいた」
「今日、それを初めて下駄箱から出して履こうと思ったら、先の部分がポッコリへこんでいた。どうしてくれるんだ」と言った内容である。、
担当者からその報告を聞いた私は、顧客が買われた靴と同じものを確認する。
それは、ごく普通のプレーントゥタイプのものである。
なので、トゥの部分は硬い。
指で少々押したところでは簡単にへこまない。
さらに押してへこませたところで、すぐに復元する。
「これって、何もしないのにへこまんでしょ?」と笑いながらベテラン担当者に聞くと。
担当者も笑いながら「へこみませんよ~」と。
皮自体の伸縮は多少あるだろうが、その力によって硬く処理されたトゥの部分がへこむとは考えにくい。
「こりゃ、超常現象でも起きたかな」と半ば感心しながらも、とにかく顧客宅に出向いて商品を確認する事が先決。
急ぎ、近辺の地図を用意してもらうことにした。
東京へ住んで2ヵ月ちょい。
当然、まだまだ東京は不案内な土地である。
急ぐ中でも、行き先の確認をしっかりしておかねばならない。
方向音痴を自認する私は、初めて行く場所の場合は特に注意が必要。
ましてや、今回の場合はクレーム訪問である。
約束時間には、絶対に遅れるわけにはいかない。
なので、用意してもらった地図を丹念に見て、到着駅からの顧客宅までの道順をしっかりと予習する。
その地図を見る限り、区画もきれいに整理されておりわかりやすい。
地図の中央には線路が走っており、到着駅も地図上にある。
駅からこれだと歩いて15分あれば十分だな、と確認する。
ただ、地図で見ればお宅は駅の左側だが、乗った電車の進行方向によっては逆になる。
そこが一番心配だったので、メンバーの一人に確認をする。
「この地図でいくと、池袋からの電車の進行方向の左側で間違いない?」と聞くと、しばらく、考えて「え~と、そうですね。左で間違いないです」との回答。
よし、これで予習は終了。
顧客宅には時間的にも精神的にも余裕を持って到着したいので、駅には約束時間の40分程前に到着するように店を出たのであった。
電車に乗って30分あまり、目的の駅に到着。
間違いのないよう、進行方向の左側の駅の出口を出て向かうことにする。
地図を確認しながら道を進んでいくのだが、戸別地図を用意したにもかかわらず、途中のお店とか個人宅の名前を確認しながら進むことはしなかった。
何しろ、目指すはお宅は「電車の進行方向左側」との言葉を信じていたのだから。
で、15分ぐらいが経過、もう近いはずだ。
しかし、どうも様子がおかしい。
ん?
と思い、地図を確認する。
現在地と思われるところの地図を見る。
しかし、地図に表記している個人宅もお店も、今私の居る場所の辺りに見当たらない。
あれっ?
道をどこかで間違えたかな?
と思い、道順をもう一度地図上で辿る。
いや、間違っていない。
と、言うことは?
もしや?
と思い、お店に電話をいれ、「電車の進行方向左側」と言った担当者を呼び出す。
「今、電車の進行方向左側へ来てるんだけど、左で間違いないよね?」と聞くと、彼は「えっ?ちょっと待ってください」と言ってしばし私を待たせる。
イヤな予感である。
しかし、そのイヤな予感は当たってしまうことになる。
「あっ、すいません、右でした!」
その言葉を聴いた私は、しばし絶句。
文句のひとつも言いたいところだが、とにかく時間がない。
約束時間の40分前に駅に着いて15分歩いたから、
40分-15分=25分
いや、お店に電話したりしているうちに5分程度経過したから、
40分-15分ー5分=20分
あと20分で顧客宅に到着せねばならない。
いや、5分前には到着したいので15分で到着せねばならない。
ただ、今は顧客宅の逆方向に徒歩15分の距離を来てしまっている。
と言うとこは、つまり、ここまで来た速度の倍の速度でとって返さなければならない。
ここまで来た速度が凡そ時速6キロ程度。(ジムで歩いたり走ったりしてるのでこのへんはわかる)
と言うことは、時速12キロでとってかえさなくてはならない算段だ。
いつも私がジムで走っている速度が10キロ。
つまり、そのジムでの走りのプラス2キロで、しかも、スーツ姿で走らなければらないのだ。
「え~っ、勘弁せえよぉ~」であったが、グダグダ思ってる暇もない。
すぐさま踵を返し、スタートを切ったのである。
さぁ、顧客宅まで15分が目標。
上着を手に抱え、ジョギングのスタートである。
時節は初夏、5分も走るとジワッと汗ばんでくる。
が、そんな事にかまっている場合じゃない。
一目散に顧客宅を目指し、時速12キロ以上を意識しながら走る走る走る。
で、目標の15分少々前にはお宅を見つけることができた。
そのお宅は、都会には似合わない田舎でよく見られる純日本風のお宅。
息を整え、呼び出しベルを鳴らすと、玄関の引き戸を開けて小学3~4年生ぐらいの男の子出てきた。
「こんにちわ、◯◯の橋本です。おうちの方いらっしゃいますか?」と問うと、何も言わず踵を返し、廊下をドンドンドンと音をたてて奥の部屋へ走っていく。
そして、奥の部屋に向かって「おじいちゃん、誰か来た!」と報告している。
奥の部屋から「誰だい?」と問いかける声が聞こえ、その後「知らな~い!」という声が響く。
え?
ちゃんと名乗ったじゃないか、と思ったが、ま、相手は少年、しょうがない。
と、ここで、ようやく玄関の土間にゆっくりと目を落とす。
ふわぁ~、こりゃまた。
このお宅はいったい何人家族なんだ?と思われるほど靴が並んでいる。
いや、並んでいない、散乱している。
中でも、子どもの靴は3足分ぐらいがあっちこっちに横向いたりひっくり返ったり。
たいそう元気よく散らばっているのである。
その元気な散乱ぶりを見た私は、咄嗟に「靴をへこませた犯人見つけたり!」である。
と、得心したこところに、奥から先の少年のおじいちゃんであるクレームの主がゆっくりと現われる。
表情は特に怒っている風ではない。
訪問の挨拶をすませ(靴がへこんだ原因は未だ不明であるから、この時点ではお詫びはしない)、取り急ぎ、件の靴を拝見することに。
「ここにずっと入れておいたんだよ」と言いながら、下駄箱の扉を開けて下駄箱から靴を出される。
まるほど、黒のプレーントゥの靴の片方のつま先部分が、500円玉ぐらいの直径ほど丸くへこんでいる。
「買って帰られてすぐこの下駄箱に入れられたんですよね?」と改めて問うと、「そうそう」とおっしゃる。
「で、履こうと思ってこの靴を出してみたら、この様にへこんでいた・・・と言う事ですか?」
と、さらに問うと、「そうなんだよ、何でこうなるの?」と問い返される。
おじいちゃんの傍らに佇む少年と目が合ったので、「こらっ!この靴を踏んづけたんだろ!?」と優しい眼差しで詰問したが、伝わるはずもなく。
なので、「何でこうなるの?」の問いには、首を傾げながら「申し訳ないのですが、今こうして拝見しただけではわかりかねます」と言わざるを得なかった。
当然、この訪問で決着をつけるつもりではないので、しばらくお預かりして原因を調査してお返事差し上げたい旨を伝えると、「別に急がないから」とのありがたいお返事。
担当者から、「どうしてくれる!と怒ってました」と、つい先ほど報告を受けたのが嘘の様に、叱責を受ける事もなく穏やかに訪問を終える事ができたのである。
さて、それから問題の靴を持って帰店。
私が外出の間、担当者に商品本部、お取引先に問い合わせるよう頼んでいたのが、いずれも「自然にへこむなんて実例は過去一度もない」との回答。
そりゃそうだ、「そんなの超常現象じゃあるまいし」と私も思っていた。
とは言いながら、一応念の為品質管理部に出して調査はしてもらう事に。
そして、後日返ってきた検査結果は、「急激な力で押しこまれたと思われる」との結果報告。
さもありなん、である。
で、顧客にはどのように回答するか?であるが、調査結果をそのまま伝えたところで押し問答になるのは目に見えている。
なので、「原因不明」として報告し、修理させていただく事でご了解を得、修理して元に戻った靴を無事納めることができたのである。
ただ、その後しばらくは、あの少年がまたあの靴を「踏んづけないことを願っていた」のは言うまでもない。
[第五話] 花のお江戸騒動記
お江戸の店に紳士軽衣料担当として赴任し半年余り経ったある日。
紳士服オーダー売場の方から、凄まじい剣幕でまくしたてる怒鳴り声が聞こえてきた。
その怒鳴り声を聞いた私は「こりゃ、相手はただ者ではないな」と直感。
と同時に、「早く何とかしなければ、他のお客様がびびってしまう・・・」と憂慮。
とは言いながら、オーダー売場を擁する重衣料部門は私の担当外。
「対岸の火事」見物よろしく、その様子を伺っていた。
正確に言うと、私の居た場所からオーダー売場は死角になっているので、怒鳴っている顧客の姿も対応している店員の姿も見えない。
なので、その声だけに耳を立てていた。
しかし、聞こえてくるのは引き続き顧客の怒鳴り声ばかり。
「こりゃ、ますますえらいことになってるな」と、半分呑気な野次馬気分。
であったはずだったのだが、声のする方向からオーダー売場のメーカーからの派遣販売員がこちらのほうにやって来る。
困った様な視線を、私の方に向けて。
ん?俺を見てる?
な~んか、イヤな予感だ。
で、そのイヤな予感はすぐさま現実のものとなる。
「橋本さん、ちょっと来てもらえませんか?」とその販売員が私に言う。
私にしてみりゃ心の中で「えっ?何で?俺?」である。
「(おたくの)マネジャーは?」と聞くと、「休みです」との答えが。
続けて「それが、うちのマネジャーが昨日かけた電話の事で怒ってるんです」と言う。
「いやいや、それはいいんだけど、代わりのマネジャーならもうひとりカジュアル担当のマネジャーがいるし、彼の方がずっと長くこの店にいるわけだし、俺なんてまだ半年ちょっとだし、あなたとはまだ挨拶交わす程度だし。ねぇねぇ、お願いする順番違ってない?」と思ったが、そんな事を言うのもみみっちいし。
しょうがない、諦め気分で「対岸の火事」の現場だったはずの、オーダー売場に向かうことになる。
で、その道すがら急ぎ事情を聞くのだが、「商品代金の事で怒ってる」ぐらいしかその販売員さんも動揺してて私に説明できない。
「え~、たったそれだけの情報で対応しなきゃならないの?」と思ったが、これ以上掘り下げて聞く時間もない。
「なるようになれ!」との思いで、応接のソファに鬼の形相でふんぞり返っておられる顧客の前に進み出る。
和服をお召しである。
しかも、袴姿の。
片手には立派な杖も携えておられる。
そして、傍らには長身で角刈りのお付きらしき人が直立不動。
「ほらみろ、やっぱりただ者じゃないじゃないか」と心の中で。
と同時に、その顧客は「何だお前は?」って表情で私に鋭い視線を向けるのであった。
その視線は迫力満点であったが、私は直ちに名刺を差し出して名を名乗り、状況把握のため「どうされましたでしょうか?」と素直にお伺いする。
その顧客の言い分はこうだ。
①私はオーダースーツを何着も山川君(私も呼びに来た派遣販売員さん)から買っている常連客である。
②支払いはいつも買ってから1ヵ月以内には払ってきた。
③今回初めて支払いが1ヶ月超えてしまった。
④すると、昨日「早く支払え」と請求の電話があった。
⑤たった一度支払いが遅れたぐらいで常連客に対してけしらん。
⑥昨日電話をしてきた奴をここに連れて来い。
要約すると以上だが、実際には話が行ったり来たり、時に激昂したりで大変だった事は言うまでもない。
頭を垂れ、時に大きく頷き、時に同情を寄せる表情をしながら、ただただお伺いに徹したのであるが、さて、これからどうしたものか?
「連れてこい」とおっしゃる電話主についてはお休みだし、明日以降も引き合わせるのも電話させるのもやめたほうがよさそうだ。
つまり、この場を収めるには私がこの件について(すごくイヤだけど)引き取るしかない。
なので、「今後については私が対応させていただく」と言う事で、今日のところはご勘弁いただきたい旨をお伝えする。
それでも、暫くは電話主に対して悪態をついていたが、さんざん怒鳴られたので少しは気が済んだのかもしれない。
その日は、それでお帰りになった。
そして、その翌日、電話主のマネジャーに事情を聞いたところ「だって、払ってくれないんだもん」とあっけらかん。
きっと、こんな軽い調子で支払い請求の電話をしたのだろう。
「あとは私が引き続きやりますから」と言うしかなかった。
それからは、毎日開店と同時にその方からの電話攻勢である。
電話をしてきては、まず山川さんを呼び出し、そして「あの女を出せ!」と迫る。
その都度、私が電話を代わりなんとか取り成すのだが、最初のご来店の時も少々お酒が入ってる様子だったが、電話をかけてこられるときは思い切り酔っ払ってらっしゃる。
しかも、朝っぱらから。
で、半分以上何をおっしゃられてるのかわからない。
そんな会話に付き合わないといけない散々な日々が続くのであった。
そんなこんなで電話攻勢が10日間程度続いただろうか。
やっと、「支払いをする」との電話が山川さんに入る。
それはそれで有り難いのだが、「自宅に集金に来い」とのお達しがあったとのこと。
聞けば、自宅集金などこれまで一度もなかったらしく「事務所に来い」よりましかもしれないが「自宅に来い」もなんか危うい。
となると、派遣販売員である山川さんひとりで行かせるわけにはいかない。
私も一緒に自宅へお伺いすることにしたのである。
さて、顧客宅にお伺いする当日がやって来た。
その前日の憂鬱なこと憂鬱なこと。
この憂鬱さは広島店で同業者の方から「明日行くけぇ待っとけ」と電話で言われれたて対応をした時以来だ。
顧客のご自宅は巣鴨商店街の近く。
おのぼりさんの私にとって、お江戸観光スポットの優先順位としてはずっと後の後。
と言うか、こんな事でもなければ巣鴨商店街見物などすることもなかっただろう。
なので「これはこれで良かった事にしよう」と思うことにした。
とは言いながら、実際は用件が済むまではのんびり商店街をブラつく余裕などあるはずもなく、刺抜き地蔵さんも横目でチラッと見ただけだ。
顧客との約束時間に余裕を持って派遣の山川さんと共にお店を出たが、まずは事前に顧客宅を確認することが先決。
その確認は早すぎて早すぎることはない。
一目散に顧客宅を目指す。
お宅は巣鴨商店街を少し歩き、右の道へ入ってまもなくのところにあった。
約束の時間まで20分少々の前には家を確認することができた。
大きくもなく小さくもなく、古くもなく新しくもないごく意外と普通のお宅であった。
約束の時間までは、そのお宅から少し離れた場所で山川さんと共に時間を潰す。
その時の二人の会話は「酔っ払ってなきゃいいね」と「ほんとに払ってもらえるかね」ぐらいだったと覚えている。
そして、いよいよ約束の時間となった。
「さぁ」と心の中で気合を入れ呼び鈴を押す。
野太い声で顧客が出てこられるのを予想していたが、その予想に反して女性の声が。奥様が出迎えられたのである。
その、奥様。
どちらかと言えば、品のあるご婦人で、とてもあの怖い顧客の奥様とは思えない。
「遠いところわざわざすいませんねぇ」と恐縮されながら、丁寧に応接室へ案内していただいたのであった。
が、その応接室が威圧感満載だったのである。
まず、応接のテーブルにはガラス板が乗せてあり、そこへ名刺交換したのだろう様々な威圧感ある名刺が敷き詰めてある。
そう、7~8枚はあっただろうか。
さらに、正面の壁に視線を転じれば、表彰状のようなものが。
ん?と思ってよく見れば「感謝状」とある。
さらに、その内容を読み進めば「30数年の永きにわたり、会の為に尽くされ・・・」云々と、永年勤続表彰?と思われる様なことも書かれている。
そして、組織の象徴たる代紋がここにも「どか~ん」と言った感じで目に迫る。
普通、応接に案内された場合、そこには顧客の自慢のモノが飾ってある場合が多く、それを察知して話を振るのが喜ばれるのだが、今回の場合はそう言った振りはふさわしくないのでよすことにした。
ただただ、それらのモノに威圧されながらも、顧客が現役を引退されて今は顧問のような仕事をされてること。
感謝状を貰うほどだから、その組織で活躍?されてたこと。
なので、始末に終えないチンピラではないだろうこと等を確認したのであった。
そうこうしながら待ってると、件の顧客登場である。
お店に来られた時も大きく見えたのであるが、お宅の部屋のスペースの中で見るともっと大きく見える。
ただ、今日は怒鳴るということはなく、このクレームの肝である「常連なのに信用されなかった」点について繰り返し言われるのであった。
その点については、重ねてお詫び申し上げ、今までのお買い上げについて感謝の気持ちを懸命に伝える。
これは、このクレーム対応の中盤ぐらいからいつも励行してきたことだ。
今日もそれに徹することと決めていた。
そして、顧客の話を10分程度聞いた頃だろうか、顧客が「お~い、◯◯子」と奥様をお呼びになった。
「はい、ただいま」と言う声が聞こえ、まもなく奥様が応接に入ってこられ顧客に封筒をお渡しされる。
その封筒を受け取った顧客が自らの手元に置かれたのに目をやると、金額が表書きされている。
その金額は、今日、集金するべき金額ぴったりであった。
「払って頂けるんだ、良かった」と安堵の気持ちと同時に、封筒に金額を記すというその几帳面さに少々感激していると、「遅くなったが・・・」と封筒を差し出される。
丁重に両手で受け取ると、「中をちゃんと確かめないと、少ないかもしれんで」と冗談ぽく言われ、初めて笑顔らしき?表情をされたのであった。
その後、応接の席を立つまでどんな会話をしたのかはよく覚えていない。
ただ、帰り際に奥様から「これ、有名な芋菓子なのよ」と手渡されたお土産を片手に、巣鴨商店街を歩いて帰ったのだが、なぜか早くお店に帰りたい気持ち一心で、足早に巣鴨商店街を後にした事。
足早ながらも、当時話題になっていた赤いズロースが、洋品店の店先にずらりと並んでいたのだけは鮮明に覚えているのである。
← ポチいただければ励みになります。
紳士服オーダー売場の方から、凄まじい剣幕でまくしたてる怒鳴り声が聞こえてきた。
その怒鳴り声を聞いた私は「こりゃ、相手はただ者ではないな」と直感。
と同時に、「早く何とかしなければ、他のお客様がびびってしまう・・・」と憂慮。
とは言いながら、オーダー売場を擁する重衣料部門は私の担当外。
「対岸の火事」見物よろしく、その様子を伺っていた。
正確に言うと、私の居た場所からオーダー売場は死角になっているので、怒鳴っている顧客の姿も対応している店員の姿も見えない。
なので、その声だけに耳を立てていた。
しかし、聞こえてくるのは引き続き顧客の怒鳴り声ばかり。
「こりゃ、ますますえらいことになってるな」と、半分呑気な野次馬気分。
であったはずだったのだが、声のする方向からオーダー売場のメーカーからの派遣販売員がこちらのほうにやって来る。
困った様な視線を、私の方に向けて。
ん?俺を見てる?
な~んか、イヤな予感だ。
で、そのイヤな予感はすぐさま現実のものとなる。
「橋本さん、ちょっと来てもらえませんか?」とその販売員が私に言う。
私にしてみりゃ心の中で「えっ?何で?俺?」である。
「(おたくの)マネジャーは?」と聞くと、「休みです」との答えが。
続けて「それが、うちのマネジャーが昨日かけた電話の事で怒ってるんです」と言う。
「いやいや、それはいいんだけど、代わりのマネジャーならもうひとりカジュアル担当のマネジャーがいるし、彼の方がずっと長くこの店にいるわけだし、俺なんてまだ半年ちょっとだし、あなたとはまだ挨拶交わす程度だし。ねぇねぇ、お願いする順番違ってない?」と思ったが、そんな事を言うのもみみっちいし。
しょうがない、諦め気分で「対岸の火事」の現場だったはずの、オーダー売場に向かうことになる。
で、その道すがら急ぎ事情を聞くのだが、「商品代金の事で怒ってる」ぐらいしかその販売員さんも動揺してて私に説明できない。
「え~、たったそれだけの情報で対応しなきゃならないの?」と思ったが、これ以上掘り下げて聞く時間もない。
「なるようになれ!」との思いで、応接のソファに鬼の形相でふんぞり返っておられる顧客の前に進み出る。
和服をお召しである。
しかも、袴姿の。
片手には立派な杖も携えておられる。
そして、傍らには長身で角刈りのお付きらしき人が直立不動。
「ほらみろ、やっぱりただ者じゃないじゃないか」と心の中で。
と同時に、その顧客は「何だお前は?」って表情で私に鋭い視線を向けるのであった。
その視線は迫力満点であったが、私は直ちに名刺を差し出して名を名乗り、状況把握のため「どうされましたでしょうか?」と素直にお伺いする。
その顧客の言い分はこうだ。
①私はオーダースーツを何着も山川君(私も呼びに来た派遣販売員さん)から買っている常連客である。
②支払いはいつも買ってから1ヵ月以内には払ってきた。
③今回初めて支払いが1ヶ月超えてしまった。
④すると、昨日「早く支払え」と請求の電話があった。
⑤たった一度支払いが遅れたぐらいで常連客に対してけしらん。
⑥昨日電話をしてきた奴をここに連れて来い。
要約すると以上だが、実際には話が行ったり来たり、時に激昂したりで大変だった事は言うまでもない。
頭を垂れ、時に大きく頷き、時に同情を寄せる表情をしながら、ただただお伺いに徹したのであるが、さて、これからどうしたものか?
「連れてこい」とおっしゃる電話主についてはお休みだし、明日以降も引き合わせるのも電話させるのもやめたほうがよさそうだ。
つまり、この場を収めるには私がこの件について(すごくイヤだけど)引き取るしかない。
なので、「今後については私が対応させていただく」と言う事で、今日のところはご勘弁いただきたい旨をお伝えする。
それでも、暫くは電話主に対して悪態をついていたが、さんざん怒鳴られたので少しは気が済んだのかもしれない。
その日は、それでお帰りになった。
そして、その翌日、電話主のマネジャーに事情を聞いたところ「だって、払ってくれないんだもん」とあっけらかん。
きっと、こんな軽い調子で支払い請求の電話をしたのだろう。
「あとは私が引き続きやりますから」と言うしかなかった。
それからは、毎日開店と同時にその方からの電話攻勢である。
電話をしてきては、まず山川さんを呼び出し、そして「あの女を出せ!」と迫る。
その都度、私が電話を代わりなんとか取り成すのだが、最初のご来店の時も少々お酒が入ってる様子だったが、電話をかけてこられるときは思い切り酔っ払ってらっしゃる。
しかも、朝っぱらから。
で、半分以上何をおっしゃられてるのかわからない。
そんな会話に付き合わないといけない散々な日々が続くのであった。
そんなこんなで電話攻勢が10日間程度続いただろうか。
やっと、「支払いをする」との電話が山川さんに入る。
それはそれで有り難いのだが、「自宅に集金に来い」とのお達しがあったとのこと。
聞けば、自宅集金などこれまで一度もなかったらしく「事務所に来い」よりましかもしれないが「自宅に来い」もなんか危うい。
となると、派遣販売員である山川さんひとりで行かせるわけにはいかない。
私も一緒に自宅へお伺いすることにしたのである。
さて、顧客宅にお伺いする当日がやって来た。
その前日の憂鬱なこと憂鬱なこと。
この憂鬱さは広島店で同業者の方から「明日行くけぇ待っとけ」と電話で言われれたて対応をした時以来だ。
顧客のご自宅は巣鴨商店街の近く。
おのぼりさんの私にとって、お江戸観光スポットの優先順位としてはずっと後の後。
と言うか、こんな事でもなければ巣鴨商店街見物などすることもなかっただろう。
なので「これはこれで良かった事にしよう」と思うことにした。
とは言いながら、実際は用件が済むまではのんびり商店街をブラつく余裕などあるはずもなく、刺抜き地蔵さんも横目でチラッと見ただけだ。
顧客との約束時間に余裕を持って派遣の山川さんと共にお店を出たが、まずは事前に顧客宅を確認することが先決。
その確認は早すぎて早すぎることはない。
一目散に顧客宅を目指す。
お宅は巣鴨商店街を少し歩き、右の道へ入ってまもなくのところにあった。
約束の時間まで20分少々の前には家を確認することができた。
大きくもなく小さくもなく、古くもなく新しくもないごく意外と普通のお宅であった。
約束の時間までは、そのお宅から少し離れた場所で山川さんと共に時間を潰す。
その時の二人の会話は「酔っ払ってなきゃいいね」と「ほんとに払ってもらえるかね」ぐらいだったと覚えている。
そして、いよいよ約束の時間となった。
「さぁ」と心の中で気合を入れ呼び鈴を押す。
野太い声で顧客が出てこられるのを予想していたが、その予想に反して女性の声が。奥様が出迎えられたのである。
その、奥様。
どちらかと言えば、品のあるご婦人で、とてもあの怖い顧客の奥様とは思えない。
「遠いところわざわざすいませんねぇ」と恐縮されながら、丁寧に応接室へ案内していただいたのであった。
が、その応接室が威圧感満載だったのである。
まず、応接のテーブルにはガラス板が乗せてあり、そこへ名刺交換したのだろう様々な威圧感ある名刺が敷き詰めてある。
そう、7~8枚はあっただろうか。
さらに、正面の壁に視線を転じれば、表彰状のようなものが。
ん?と思ってよく見れば「感謝状」とある。
さらに、その内容を読み進めば「30数年の永きにわたり、会の為に尽くされ・・・」云々と、永年勤続表彰?と思われる様なことも書かれている。
そして、組織の象徴たる代紋がここにも「どか~ん」と言った感じで目に迫る。
普通、応接に案内された場合、そこには顧客の自慢のモノが飾ってある場合が多く、それを察知して話を振るのが喜ばれるのだが、今回の場合はそう言った振りはふさわしくないのでよすことにした。
ただただ、それらのモノに威圧されながらも、顧客が現役を引退されて今は顧問のような仕事をされてること。
感謝状を貰うほどだから、その組織で活躍?されてたこと。
なので、始末に終えないチンピラではないだろうこと等を確認したのであった。
そうこうしながら待ってると、件の顧客登場である。
お店に来られた時も大きく見えたのであるが、お宅の部屋のスペースの中で見るともっと大きく見える。
ただ、今日は怒鳴るということはなく、このクレームの肝である「常連なのに信用されなかった」点について繰り返し言われるのであった。
その点については、重ねてお詫び申し上げ、今までのお買い上げについて感謝の気持ちを懸命に伝える。
これは、このクレーム対応の中盤ぐらいからいつも励行してきたことだ。
今日もそれに徹することと決めていた。
そして、顧客の話を10分程度聞いた頃だろうか、顧客が「お~い、◯◯子」と奥様をお呼びになった。
「はい、ただいま」と言う声が聞こえ、まもなく奥様が応接に入ってこられ顧客に封筒をお渡しされる。
その封筒を受け取った顧客が自らの手元に置かれたのに目をやると、金額が表書きされている。
その金額は、今日、集金するべき金額ぴったりであった。
「払って頂けるんだ、良かった」と安堵の気持ちと同時に、封筒に金額を記すというその几帳面さに少々感激していると、「遅くなったが・・・」と封筒を差し出される。
丁重に両手で受け取ると、「中をちゃんと確かめないと、少ないかもしれんで」と冗談ぽく言われ、初めて笑顔らしき?表情をされたのであった。
その後、応接の席を立つまでどんな会話をしたのかはよく覚えていない。
ただ、帰り際に奥様から「これ、有名な芋菓子なのよ」と手渡されたお土産を片手に、巣鴨商店街を歩いて帰ったのだが、なぜか早くお店に帰りたい気持ち一心で、足早に巣鴨商店街を後にした事。
足早ながらも、当時話題になっていた赤いズロースが、洋品店の店先にずらりと並んでいたのだけは鮮明に覚えているのである。
[第四話] お帰りはあちらです
昨日ここにおった女を呼べ!
下りエスカレーター付近から怒鳴り声が聞こえる。
なんやなんや、と思いながら行けば、年の頃は60前後のおっさんが女性店員をつかまえて言っている。
つかまった女性店員は何も言えず圧倒されてる。
そりゃそうだ、まずもって、ここはエスカレーター前の通路であるので「ここにおった女」じゃ誰の事だがさっぱりわからない。
なので、「どうされました?」と私が引き取ることにした。
そしたら、真っ赤な顔をして私を睨みつけ「昨日おったじゃろうが、ここに女が」と言うので、「それは何時ごろの事ですか?」と聞くと
少し考え「昼くらいよ、おったじゃろうが」と。
さらに、「名前はわかりませんか?」と聞けば、「わからん」と言う。
あまりにわけのわからん物言いなので酒に酔ってる?
と思ってみていたが、そんなふうでもない。
「とにかく、失礼な女よ、おったじゃろうが、バカ女が」と続ける。
どうやら、昨日買い物に来て、おっさんにとっては感じの悪い接客をされたのだろう。
それなら、心当たりがないでもない。
気が強くて、つっけんどんに見える接客をする子がいるので、「あぁ、たぶんあの子やな」と思った。
私もお客の立場で接客を受け、あまりの態度の悪さに、「あなた、接客嫌いでしょ?接客業やめて他の仕事した方がええよ」の様なことを2回ほど言ったことがある。
なので、おっさんの言うこともわからないでもない。
ないが、おっさんの最後に言った「バカ女」に私は切れかけていたので、「手前どもにバカ女はおりませんが」と反撃。
すると、「おったわいバカ女が」と怒鳴り返してくる。
小学生の喧嘩なみの言い様に呆れ、また、これ以上相手してもどうにもならない相手と判断。
なにより、こんな大声でわめき続けられたら他のお客様に迷惑。
帰っていただくことに決め、「いいえ、手前どもにはバカ女はいませんので、どうぞお帰り下さい」と通告。
それでも食い下がってくるので、「お帰りはあちらです」と下りエスカレーター方向へ促す。
すると、真っ赤な顔をさらに赤くして「警察に言うてやるからな」
もう、これは小学生でも言わないような捨て台詞。
「どうぞ、お好きなように、さ、お帰りはあちらです」と再度エスカレーターへ促すと、踵を返しエスカレーターにやっと乗る。
そして、下りながら「絶対言うてやるからな!警察に!」と叫びながら帰って行ったのであった。
← ポチいただければ励みになります。
下りエスカレーター付近から怒鳴り声が聞こえる。
なんやなんや、と思いながら行けば、年の頃は60前後のおっさんが女性店員をつかまえて言っている。
つかまった女性店員は何も言えず圧倒されてる。
そりゃそうだ、まずもって、ここはエスカレーター前の通路であるので「ここにおった女」じゃ誰の事だがさっぱりわからない。
なので、「どうされました?」と私が引き取ることにした。
そしたら、真っ赤な顔をして私を睨みつけ「昨日おったじゃろうが、ここに女が」と言うので、「それは何時ごろの事ですか?」と聞くと
少し考え「昼くらいよ、おったじゃろうが」と。
さらに、「名前はわかりませんか?」と聞けば、「わからん」と言う。
あまりにわけのわからん物言いなので酒に酔ってる?
と思ってみていたが、そんなふうでもない。
「とにかく、失礼な女よ、おったじゃろうが、バカ女が」と続ける。
どうやら、昨日買い物に来て、おっさんにとっては感じの悪い接客をされたのだろう。
それなら、心当たりがないでもない。
気が強くて、つっけんどんに見える接客をする子がいるので、「あぁ、たぶんあの子やな」と思った。
私もお客の立場で接客を受け、あまりの態度の悪さに、「あなた、接客嫌いでしょ?接客業やめて他の仕事した方がええよ」の様なことを2回ほど言ったことがある。
なので、おっさんの言うこともわからないでもない。
ないが、おっさんの最後に言った「バカ女」に私は切れかけていたので、「手前どもにバカ女はおりませんが」と反撃。
すると、「おったわいバカ女が」と怒鳴り返してくる。
小学生の喧嘩なみの言い様に呆れ、また、これ以上相手してもどうにもならない相手と判断。
なにより、こんな大声でわめき続けられたら他のお客様に迷惑。
帰っていただくことに決め、「いいえ、手前どもにはバカ女はいませんので、どうぞお帰り下さい」と通告。
それでも食い下がってくるので、「お帰りはあちらです」と下りエスカレーター方向へ促す。
すると、真っ赤な顔をさらに赤くして「警察に言うてやるからな」
もう、これは小学生でも言わないような捨て台詞。
「どうぞ、お好きなように、さ、お帰りはあちらです」と再度エスカレーターへ促すと、踵を返しエスカレーターにやっと乗る。
そして、下りながら「絶対言うてやるからな!警察に!」と叫びながら帰って行ったのであった。
[第三話] パイロットの制服みたいにですか?
前回のお話から6~7年ほど経った頃のお話。
外商から紳士用品に戻って1年目、売場業務のリハビリに勤しんでいた頃。
女性社員が「橋本さ~ん、ミラ・ショーンショップでお客さんが怒鳴ってて・・・」と血相変えて飛んで来た。
やれやれ、と思いながら行ってみれば、そこで怒鳴っていた顧客。
それはそれは、「チンピラを絵に描くとこうなる」姿なのであった。
短めのパンチパーマに薄紫色サングラス。
喜平の金ピカネックレスにブレスレッットに、これまた金ピカロレックス(いずれも本物かどうかは不明)
で、手にはオーストリッチの手提げセカンドバッグ、足元はクロコのシューズ。「うわぁ~、まいったなぁ」と思ったが他の社員の手前怯むわけにもいかない。
なので、怒鳴り散らしているその顧客にススと駆け寄り「どうされました?」」とお伺いする。
すると、「どうもこうもありゃせんわい、これ見てみいや、どうなっとるんなら!」と捲くし立てながら穿いてるスラックスの裾を指差す。
どうやら、裾上げの縫製が甘く、糸がほどけて折り返し部分がずり落ちてしまったようだ。
こりゃ、こちらのミスであり苦情を言われるのもしょうがない。
ま、ここまで怒鳴り散らすほどの事でもないが、ミスはミスなのでお詫びをする。が、何を言っているかわからない早口の怒鳴り声は続く。
しょうがない。
気の済むまで怒鳴っていただいき、一息つくのを待つことにした。
で、その一息を待って「申し訳ございませんでした、今すぐお直し致しますので」と言うと、「ちゃんとせえよ、ちゃんとぉ。またこがいに(この様に)なったらこらえんどぉ」と言いながらその場でスラックスを脱ぎ始める。
いやいや、ここじゃまずい、もうパンツが半分見えてる。
「あ~ぁ、お客様、ご案内しますのでこちらで」と慌ててフィッティングルームへご案内すると「くっそめんどくさいのぉ」と言いながらフィッティングへ。
その後、脱がれたスラックスを預り「大至急お直ししますので、しばらくお待ちください」と添えてお直し場へ急行。
速攻で処理してもらい、売場へ取って返す。
顧客はフィッティングに入ったまま待機。
で、お直ししたスラックスをフィッティングの少し開いたドアごしに渡し、改めて穿いていただくのを待つ。
しばらくゴソゴソと音がした後、ドアが「バン」と開く。
「いかがでしょう?」と問うと「おぅ、ええわい」と言いながらフィッティングを出てこられる。
そして、改めてお詫びを申し上げると、「あんたぁ、どういうんなら?」と言われるので、名刺を差し出し名を名乗る。
すると、その顧客もオーストリッチのセカンドバックから名刺入れを出し、名刺を私に。
その名刺には「大日本○○○○会 会長 長谷川 ○○」と仰々しい肩書きと名前が。
「やれやれ、右翼さんだったかぁ」、と思いながら初めてお名前を確認できたので、「長谷川様、このたびは本当に申し訳ございませんでした」と言うと、「こがいなことしよっちゃ、つまりゃせんので」と少し落ち着いた口調で。
なんとか納まる気配になってきた。
確かにこんな初歩的なミスは許されないし、修理品上がりのチェックの怠りは厳重注意もの。
おっしゃるとおりである。
再度、深々と頭を下げお詫びすると「また来るわ、のぅ、橋本さん」と。
うわっ、名前で呼ばれたよ。
と言うことは「今度来られた時にはご指名されたりして?」なんて半分くらい思いもしたが、まぁ、「もう来られることもあるまい」と思い直してお見送り。
その後ショップの派遣さんに確認しても、初めてのお買い上げとの事。
「うん、たぶんもう来ないな」と確信したのであった。いや、確信したかったのであった。
しかし、そんな希望的確信など翌日に早々と吹っ飛んでしまうことになったのである。
そして翌日。
前日の事などすっかり忘れて店頭に立っていると、女性社員が「橋本さん、長谷川さんが尋ねて来られてます」と。
その名前から当然の如く昨日の事件を思い出し「え、なになに?またスラックその裾でもほどけた?」と思い長谷川さんが待ってるところへ向かう。
その場所は、エスカレーターの前、後姿が見える。
後頭部までパンチパーマでチリチリの。
急ぎ駆け寄りながら、何か怒ってる?と思いながら「長谷川さま、いらっしゃいませ」と後方から声をかける。
すると、その声に気付いて振り返った長谷川さん。
満面の笑みで「おうっ、橋本さん」と返してきたのである。
想定外の「満面の笑み」に一瞬たじろぎながら、「昨日は大変失礼いたしました、(スラックスは)その後問題ありませんか?」と問う。
すると、「うん、うん、これっ」と穿いているスラックスを指しながら「ええで」と。
なるほど、さっそく穿いてらっしゃる。
大丈夫そうだ。
スラックスの件で来られたのではないと言うことは、「今日はまた何か買い物でも?」と思いながら用件を言われるのを待つ。
しかし、長谷川さんは笑顔で売場を何気に見渡しながらしばらくの間立っているだけ。
この間がしんどい。
なので、「今日は何かお探しのものでも?」と問えば、「いや、そうじゃない」とおっしゃる。
「じゃ何なの?」と思って待っていてもその後の言葉はなし。
「う~ん、困った」であるが、今日は「スラックスは大丈夫だった」事を報告に来て頂いたんだな、そのスラックスを穿いて来店されて、と思うことにした。
が、このまま二人で売場に立っているのも所在ないし、正直、他のお客さんに長谷川さんの姿を目に触れさせるのもあまりよろしくない。
実際、通りすがりに私たちを見るお客様の目は訝しそうだ。
なので、仕方なく7階のレストランでコーヒーでも、と思いご案内することにする。
ここでも、他のなるべくお客様の目につかない様、隅っこに。
コーヒーを注文し「さて、何を話したものか?」と思っていたのだが、座ると長谷川さんは雄弁になる。
話した内容まで今となっては覚えていないが、コーヒーが運ばれてからはまったく会話に困らなかったと記憶している。
そうして、その日を無事終える事になったのだが、その後も二日と開けず来店されるようになる。
その都度、レストランにご案内し、会話に付き合うことになる。
「買わないなら来ないで」とも言えないし、かと言ってあの姿で売場をじっくり見て回られるのも困る。
なので、この選択しかなかったのだ。
とは言いながら、会話が苦痛と言うわけでもなく、普通に楽しく会話できる間柄になっていった。
そんなこんな日々が一ヶ月くらい続いた頃だろうか。
紳士服のバーゲン会場でブレザーをお買い求めいただくことに。
がしかし、それにはとんでもない注文がついてきたのである。
ブレザーをお買い上げいただいたのは良いのだが、それについてきたとんでもない要望とは。
サイズもバッチリで直すところもなし。
すぐにお持ち帰り頂けるのでその準備をしていたその時、「橋本さん、これ、パイロットの制服みたいにしたいんじゃが、どうかね?」と。
ん?パイロット?
ちょっと私の頭の中が混乱してしまったので、「パイロット・・・の制服みたいに・・・ですか?」と確認すると。
「ほうよ、袖んところに3本ぐらい、こう、金色の線がはいっとるじゃろう。あれをつけよう思うんよ」
と袖口を指しながら一生懸命説明される。
「こりゃ、金モールの袖章の事を言ってるな」とようやく意味がわかったのだが、そんな事したらせっかくのブレザーが台無しになる。絶対に止めた方が良い。
何より、「長谷川さんのためにも即座に断念させねばならない」と思ったのであるが、「できるよねぇ」と目を輝かせながら言われるので、「じゃ、ちょっと、修理担当に聞いてみましょう」と言ってしまったのである。
お直し場に入り「これこれこうして欲しい言われるんですけど、できます?」と苦笑いしながら聞いたら、あっさりと快活に「できますよ!」と。
そりゃまぁ出来るだろうけど、私としては「え~っ?そんな事するんですか?」と驚いて欲しかったし、「止めた方がいいんじゃないですか?」と言う意見も聞きたかったのではあるが、まぁ、しょうがない。
それに、長谷川さんの目の輝きを見た時には、もう半分は「やってあげようかな」とも思っていたのだ。
そんなこんなで、最終的には要望を受ける事に。
袖章も機長タイプの4本に決めて。(なるべく少ない方が良いと思ったが、こうなりゃいくとこまでいっちゃえ・・・と)
修理期間は1週間を頂いた。
そして、一週間後。
出来栄えは・・・そりゃ、きちんと縫製されているが、想像通り珍妙な出来具合であった。
ダブルのブレザーならまだバランス的にマシだったかもしれないが、そのブレザーはシングルだったので余計に珍妙だった。
なので、出来上がりを見て「やっぱりこれ(袖章)はずして」なんて言わないだろうなぁ、との不安がよぎる。
が、まぁ、その時はその時だ。
と思いながら出来栄えチェックをしてた頃、長谷川さんが朝一で来店された。
「橋本さん、ええがいにできたかね?」といつもの笑顔。
「はい、カッコ良くなりましたよぉ」と私。
そうして、出来上がった機長バージョンブレザーを差し出すとますます笑顔になる長谷川さん。早速手に取りご試着。
鏡に映ったご自身を見て、「どうかいね?」とは言いながらもかなりご満悦の様子。
正直、ちっとも良いとは思わないが「いいっすね~」と私。
でも、満足いただいた事に関しては正直嬉しくもあった。
こうして、凄まじい勢いで怒鳴られてから一ヶ月と少々で満面の笑顔をいただいたわけであるが、結論から言うと、この日の来店が長谷川さんとの最後となる。
ブレザーを持って帰られた日を境に、長谷川さんはぱったりと来店されなくなったのである。
1週間が経ち、2週間が経っても来店されない。
「もしかして、あのブレザーやっぱり拙かったのかな?」
「着たところを誰かに何か言われてショックだったのかな?それでうちにも来れなくなったのかな?」
色んな事を考え、心配でもあったがこちらから連絡するのはためらわれた。
個人的に、この段階ではもう長谷川さんの事を疎ましくは思わないが、やはり、お店にとって歓迎すべき顧客とは言い難い。
なので、結局、私から連絡することはしなかった。
そうして時は過ぎ、半年程が経過した閉店間近、次の催事準備にバタバタしていた時、交換経由で一本の外線が私に。
その電話の主は長谷川さんだった。
「いや~、お久しぶりですねぇお元気でしたか?」と電話に出ると、「橋本さん、それが元気じゃないんよ」と。
そう言えば、いつものハリのある声とは違う、「本当にあの長谷川さんか?」と思ったほどだ。
「どうしました?」と聞けば、「わしゃ、ガンかもしれん言われて今、呉の△△病院に入院しとるんよ」と。
続けて、「橋本さんにはお世話になったしの、そうそう、あのブレザーみんながええのぅ~言うてくれたで」と。
「みんながええのぉ~言うてくれたで」は置くにしても、わざわざ電話してくれた事がうれしかった。
で、迷った。
お見舞いに行くべきか否か?
病院の名前まではっきり言われたということは・・・。
お店にとっては、他の顧客に威圧感を与える風貌、出で立ちはふさわしくない。
お買い物も、応接時間の割りには多くない。
クレームのあとはバーゲンで3万円満たないブレザー1着、しかも面倒な要望付き。そう考えると、お見舞いは不要と考える。
しかし、闘病の中、私にわざわざ感謝の気持ちを伝える電話をくれたし、よくよく付き合ってみると純粋で私なんかよりよほど真っ直ぐな人だ。
迷った。
迷ったが、結局、私は前者の方をとった。
そして、その後、長谷川さんからの電話も来店もなかった。
もしも、病気が治っていたら電話だってあるだろうし、お店にも来てくれたであろう。
いずれにしても、連絡してくれないはずがない。
そんな事を考えると、やはりあれから闘病の甲斐もなく、なのか・・・。
なんとも、悲しくも寂しい思いで締めくくるクレーム物語の顛末なのであります。
← ポチいただければ励みになります。
外商から紳士用品に戻って1年目、売場業務のリハビリに勤しんでいた頃。
女性社員が「橋本さ~ん、ミラ・ショーンショップでお客さんが怒鳴ってて・・・」と血相変えて飛んで来た。
やれやれ、と思いながら行ってみれば、そこで怒鳴っていた顧客。
それはそれは、「チンピラを絵に描くとこうなる」姿なのであった。
短めのパンチパーマに薄紫色サングラス。
喜平の金ピカネックレスにブレスレッットに、これまた金ピカロレックス(いずれも本物かどうかは不明)
で、手にはオーストリッチの手提げセカンドバッグ、足元はクロコのシューズ。「うわぁ~、まいったなぁ」と思ったが他の社員の手前怯むわけにもいかない。
なので、怒鳴り散らしているその顧客にススと駆け寄り「どうされました?」」とお伺いする。
すると、「どうもこうもありゃせんわい、これ見てみいや、どうなっとるんなら!」と捲くし立てながら穿いてるスラックスの裾を指差す。
どうやら、裾上げの縫製が甘く、糸がほどけて折り返し部分がずり落ちてしまったようだ。
こりゃ、こちらのミスであり苦情を言われるのもしょうがない。
ま、ここまで怒鳴り散らすほどの事でもないが、ミスはミスなのでお詫びをする。が、何を言っているかわからない早口の怒鳴り声は続く。
しょうがない。
気の済むまで怒鳴っていただいき、一息つくのを待つことにした。
で、その一息を待って「申し訳ございませんでした、今すぐお直し致しますので」と言うと、「ちゃんとせえよ、ちゃんとぉ。またこがいに(この様に)なったらこらえんどぉ」と言いながらその場でスラックスを脱ぎ始める。
いやいや、ここじゃまずい、もうパンツが半分見えてる。
「あ~ぁ、お客様、ご案内しますのでこちらで」と慌ててフィッティングルームへご案内すると「くっそめんどくさいのぉ」と言いながらフィッティングへ。
その後、脱がれたスラックスを預り「大至急お直ししますので、しばらくお待ちください」と添えてお直し場へ急行。
速攻で処理してもらい、売場へ取って返す。
顧客はフィッティングに入ったまま待機。
で、お直ししたスラックスをフィッティングの少し開いたドアごしに渡し、改めて穿いていただくのを待つ。
しばらくゴソゴソと音がした後、ドアが「バン」と開く。
「いかがでしょう?」と問うと「おぅ、ええわい」と言いながらフィッティングを出てこられる。
そして、改めてお詫びを申し上げると、「あんたぁ、どういうんなら?」と言われるので、名刺を差し出し名を名乗る。
すると、その顧客もオーストリッチのセカンドバックから名刺入れを出し、名刺を私に。
その名刺には「大日本○○○○会 会長 長谷川 ○○」と仰々しい肩書きと名前が。
「やれやれ、右翼さんだったかぁ」、と思いながら初めてお名前を確認できたので、「長谷川様、このたびは本当に申し訳ございませんでした」と言うと、「こがいなことしよっちゃ、つまりゃせんので」と少し落ち着いた口調で。
なんとか納まる気配になってきた。
確かにこんな初歩的なミスは許されないし、修理品上がりのチェックの怠りは厳重注意もの。
おっしゃるとおりである。
再度、深々と頭を下げお詫びすると「また来るわ、のぅ、橋本さん」と。
うわっ、名前で呼ばれたよ。
と言うことは「今度来られた時にはご指名されたりして?」なんて半分くらい思いもしたが、まぁ、「もう来られることもあるまい」と思い直してお見送り。
その後ショップの派遣さんに確認しても、初めてのお買い上げとの事。
「うん、たぶんもう来ないな」と確信したのであった。いや、確信したかったのであった。
しかし、そんな希望的確信など翌日に早々と吹っ飛んでしまうことになったのである。
そして翌日。
前日の事などすっかり忘れて店頭に立っていると、女性社員が「橋本さん、長谷川さんが尋ねて来られてます」と。
その名前から当然の如く昨日の事件を思い出し「え、なになに?またスラックその裾でもほどけた?」と思い長谷川さんが待ってるところへ向かう。
その場所は、エスカレーターの前、後姿が見える。
後頭部までパンチパーマでチリチリの。
急ぎ駆け寄りながら、何か怒ってる?と思いながら「長谷川さま、いらっしゃいませ」と後方から声をかける。
すると、その声に気付いて振り返った長谷川さん。
満面の笑みで「おうっ、橋本さん」と返してきたのである。
想定外の「満面の笑み」に一瞬たじろぎながら、「昨日は大変失礼いたしました、(スラックスは)その後問題ありませんか?」と問う。
すると、「うん、うん、これっ」と穿いているスラックスを指しながら「ええで」と。
なるほど、さっそく穿いてらっしゃる。
大丈夫そうだ。
スラックスの件で来られたのではないと言うことは、「今日はまた何か買い物でも?」と思いながら用件を言われるのを待つ。
しかし、長谷川さんは笑顔で売場を何気に見渡しながらしばらくの間立っているだけ。
この間がしんどい。
なので、「今日は何かお探しのものでも?」と問えば、「いや、そうじゃない」とおっしゃる。
「じゃ何なの?」と思って待っていてもその後の言葉はなし。
「う~ん、困った」であるが、今日は「スラックスは大丈夫だった」事を報告に来て頂いたんだな、そのスラックスを穿いて来店されて、と思うことにした。
が、このまま二人で売場に立っているのも所在ないし、正直、他のお客さんに長谷川さんの姿を目に触れさせるのもあまりよろしくない。
実際、通りすがりに私たちを見るお客様の目は訝しそうだ。
なので、仕方なく7階のレストランでコーヒーでも、と思いご案内することにする。
ここでも、他のなるべくお客様の目につかない様、隅っこに。
コーヒーを注文し「さて、何を話したものか?」と思っていたのだが、座ると長谷川さんは雄弁になる。
話した内容まで今となっては覚えていないが、コーヒーが運ばれてからはまったく会話に困らなかったと記憶している。
そうして、その日を無事終える事になったのだが、その後も二日と開けず来店されるようになる。
その都度、レストランにご案内し、会話に付き合うことになる。
「買わないなら来ないで」とも言えないし、かと言ってあの姿で売場をじっくり見て回られるのも困る。
なので、この選択しかなかったのだ。
とは言いながら、会話が苦痛と言うわけでもなく、普通に楽しく会話できる間柄になっていった。
そんなこんな日々が一ヶ月くらい続いた頃だろうか。
紳士服のバーゲン会場でブレザーをお買い求めいただくことに。
がしかし、それにはとんでもない注文がついてきたのである。
ブレザーをお買い上げいただいたのは良いのだが、それについてきたとんでもない要望とは。
サイズもバッチリで直すところもなし。
すぐにお持ち帰り頂けるのでその準備をしていたその時、「橋本さん、これ、パイロットの制服みたいにしたいんじゃが、どうかね?」と。
ん?パイロット?
ちょっと私の頭の中が混乱してしまったので、「パイロット・・・の制服みたいに・・・ですか?」と確認すると。
「ほうよ、袖んところに3本ぐらい、こう、金色の線がはいっとるじゃろう。あれをつけよう思うんよ」
と袖口を指しながら一生懸命説明される。
「こりゃ、金モールの袖章の事を言ってるな」とようやく意味がわかったのだが、そんな事したらせっかくのブレザーが台無しになる。絶対に止めた方が良い。
何より、「長谷川さんのためにも即座に断念させねばならない」と思ったのであるが、「できるよねぇ」と目を輝かせながら言われるので、「じゃ、ちょっと、修理担当に聞いてみましょう」と言ってしまったのである。
お直し場に入り「これこれこうして欲しい言われるんですけど、できます?」と苦笑いしながら聞いたら、あっさりと快活に「できますよ!」と。
そりゃまぁ出来るだろうけど、私としては「え~っ?そんな事するんですか?」と驚いて欲しかったし、「止めた方がいいんじゃないですか?」と言う意見も聞きたかったのではあるが、まぁ、しょうがない。
それに、長谷川さんの目の輝きを見た時には、もう半分は「やってあげようかな」とも思っていたのだ。
そんなこんなで、最終的には要望を受ける事に。
袖章も機長タイプの4本に決めて。(なるべく少ない方が良いと思ったが、こうなりゃいくとこまでいっちゃえ・・・と)
修理期間は1週間を頂いた。
そして、一週間後。
出来栄えは・・・そりゃ、きちんと縫製されているが、想像通り珍妙な出来具合であった。
ダブルのブレザーならまだバランス的にマシだったかもしれないが、そのブレザーはシングルだったので余計に珍妙だった。
なので、出来上がりを見て「やっぱりこれ(袖章)はずして」なんて言わないだろうなぁ、との不安がよぎる。
が、まぁ、その時はその時だ。
と思いながら出来栄えチェックをしてた頃、長谷川さんが朝一で来店された。
「橋本さん、ええがいにできたかね?」といつもの笑顔。
「はい、カッコ良くなりましたよぉ」と私。
そうして、出来上がった機長バージョンブレザーを差し出すとますます笑顔になる長谷川さん。早速手に取りご試着。
鏡に映ったご自身を見て、「どうかいね?」とは言いながらもかなりご満悦の様子。
正直、ちっとも良いとは思わないが「いいっすね~」と私。
でも、満足いただいた事に関しては正直嬉しくもあった。
こうして、凄まじい勢いで怒鳴られてから一ヶ月と少々で満面の笑顔をいただいたわけであるが、結論から言うと、この日の来店が長谷川さんとの最後となる。
ブレザーを持って帰られた日を境に、長谷川さんはぱったりと来店されなくなったのである。
1週間が経ち、2週間が経っても来店されない。
「もしかして、あのブレザーやっぱり拙かったのかな?」
「着たところを誰かに何か言われてショックだったのかな?それでうちにも来れなくなったのかな?」
色んな事を考え、心配でもあったがこちらから連絡するのはためらわれた。
個人的に、この段階ではもう長谷川さんの事を疎ましくは思わないが、やはり、お店にとって歓迎すべき顧客とは言い難い。
なので、結局、私から連絡することはしなかった。
そうして時は過ぎ、半年程が経過した閉店間近、次の催事準備にバタバタしていた時、交換経由で一本の外線が私に。
その電話の主は長谷川さんだった。
「いや~、お久しぶりですねぇお元気でしたか?」と電話に出ると、「橋本さん、それが元気じゃないんよ」と。
そう言えば、いつものハリのある声とは違う、「本当にあの長谷川さんか?」と思ったほどだ。
「どうしました?」と聞けば、「わしゃ、ガンかもしれん言われて今、呉の△△病院に入院しとるんよ」と。
続けて、「橋本さんにはお世話になったしの、そうそう、あのブレザーみんながええのぅ~言うてくれたで」と。
「みんながええのぉ~言うてくれたで」は置くにしても、わざわざ電話してくれた事がうれしかった。
で、迷った。
お見舞いに行くべきか否か?
病院の名前まではっきり言われたということは・・・。
お店にとっては、他の顧客に威圧感を与える風貌、出で立ちはふさわしくない。
お買い物も、応接時間の割りには多くない。
クレームのあとはバーゲンで3万円満たないブレザー1着、しかも面倒な要望付き。そう考えると、お見舞いは不要と考える。
しかし、闘病の中、私にわざわざ感謝の気持ちを伝える電話をくれたし、よくよく付き合ってみると純粋で私なんかよりよほど真っ直ぐな人だ。
迷った。
迷ったが、結局、私は前者の方をとった。
そして、その後、長谷川さんからの電話も来店もなかった。
もしも、病気が治っていたら電話だってあるだろうし、お店にも来てくれたであろう。
いずれにしても、連絡してくれないはずがない。
そんな事を考えると、やはりあれから闘病の甲斐もなく、なのか・・・。
なんとも、悲しくも寂しい思いで締めくくるクレーム物語の顛末なのであります。
[第二話] ゴム印はナイスアイディアですが
前回の竹下さん対応のあと賞賛の声があがった。
「冷静に対応してましたね、さすがです」
「橋本君じゃなきゃ、あ~はいかなかったよ」
どこが冷静なもんか、ちっとも冷静になんて対応できていない。
その証拠に、品名記入がまともにできないほどビビッていたではないか。
なので、その絶賛の声のウラに「その手の顧客がきたら、橋本に全部やらそう」って魂胆があるな、と私は踏んでいた。
よって、そんな声などまともに受け取らなかったし、ましてや、思いあがることもなかった。
しかし、そんな流れには抗えないもので、その後、私はまるで「そんな稼業の人達の担当の如く」になっていくのである。
そもそも、社員のギフトセンター受注時における主たる役割はトラブル対応である。
なんとなれば、受注者のほとんどがアルバイトの方達であるから。
なので、社員はトラブルの大小に関わらず、積極的にトラブルが発生すれば関与しその解決につとめねばならない。
また、それより前に「ちょっと癖のありそうな顧客だなぁ」と思えば、バイトの方達に伺わせるのではなく、自ら積極的に伺うことによりトラブルを未然に防ぐことも必要となる。
これらすべて、社員の等しい役割である。
しかし、くせのありそうな顧客が来られた時、「これは、橋本にやらせよっ」って雰囲気に他の社員全員なってしまうのである。
で、斯様な流れが出来つつあったある日、いかにもそれらしい方2名さんを含む4名さんがギフトセンターにやってこられた。
その、それらしい方2名さんは、前回の竹下さんより役職も迫力も、もっと上のおふたりだったのである。
その稼業の方達は、それなりの雰囲気をもたれている。
なので、その4名の方々を一見した社員は全員「ん?これは・・・」と思ったはずである。
そして、当然バイトさん達に任せるわけにはいかないので、“社員の誰か”が接客しなければと思う。
しかし、本音を言えば、その“社員の誰か”は自分でありたくないと願う。
で、ここに社員間の色んな駆け引きが生まれるのである。
ある者は、普段あまり積極的に接客しないのに、急に一般のお客様の接客したり。
ある者は、その方達と「遠く対角になる」位置取りをしたり。
ある者は、「あっ、そうだ!」みたいな振りをして裏方に消えたり。
かく言う私、そりゃ避けれるものなら避けたい。
皆が感じてるように、怖いし、何かミスでも起きようものなら矢面に立たねばならない。
そんな事態、想像するだけでも身が凍る思いだ。
が、しかし、逃げ回る連中を見ると情けなくなり腹ただしくもあり「そんなに逃げ回らんでもええわい、わしがやるよ、わしが!」となる。
で、結局、今回の4名1組様は私がお伺いすることになる。
その4名さんは、広島にある総本山の高役職の方2名さん、そのお付の方1名さん、及び高役職の方の一方の奥さまである。
「迫力がある」と記したのは高役職の方2名さんで、お付の方は感じが良く愛想のいい方、奥様はそれこそ普通の雰囲気の奥様であった。
さて、ギフトセンターの受注スペースには、カウンター席と4名~6名程度座れるテーブル席が配置されている。
テーブル席には、3名を超える家族連れの顧客を中心に案内するが、他の顧客となるべく隣接しない方が好ましいと思われる方も案内する。
で、件の4名さんはどちらにも当てはまるのでテーブル席へご案内。
いよいよ、受注手続きを始めることになる。
あくまでも通常の顧客と同じよう手続きを進める。
私の精神状態もいたって普通である。
であったと思う。たぶん。
お届け先も威圧感ある組織名と役職名つきであるが、ご指定の商品名を記入し受注作業自体はスムーズに。
その間、4名さんとも静かにお待ちになり、入金手続きまで恙無く終えたあとも静かに会場を後にされた。
とりあえずめふぅ、と一息である。
最終的には、商品手配・配送伝票の誤字脱字の確認から始まり無事お届け完了まで終えることになったのである。
問題は、次回の中元歳暮もまた引き続きご利用されるか否かである。
なにしろ、この4名様は今回始めてのご利用である。
特に何の問題もなく処理できたわけではあるが、やはり受注には気を遣うし、その後の配達完了まで気が抜けない。
できれは、受けたくないのが本音ではある。
しかし、次のギフトセンターへも引き続き4名さんでご来店になり、同様に私が対応。
そして、3回目のご来店ではご指名をいただくまでになっていたのである。(いち販売員としては光栄であるが、この場合、喜んでいいような悪いような・・・)
そして、回を重ねて4回目のご来店。
いつもどおりお届け先リストを預かり、商品確認をしようとしていたら、高役職のおひとりがセカンドバックをゴソゴソ。と、しながら、「橋本さん、ええの作ってきたんじゃ」とおっしゃる。
ん?
と、その方の手元を見るとゴム印らしきものが握られている。
それは「のし」の下の部分に送り主の名前を書く手間を省く為に、わざわざ作って来られたゴム印なのであった。
ちゃんと縦書きになっており、組織名、肩書きまでしっかり彫られていた。
「いっつも、橋本さんに手間かけとるけぇの、ええの作ってきたんよ」とおっしゃる。
(が、私がのし“名いれ”などするわけなく、いつも総務在籍の書道何段かの方に書いていただいている)
「ちょっと、インクの奴持って来て~や」
(ん?スタンプ台のことだな?)
(「のし」も要るな。え~と、この商品だと7号でいいか、で12枚だな)
この4名さん接客の時、いつも傍らに待機している若手にそれらを頼む。
そして、彼が持ってきた「のし」とスタンプ台を顧客の前に差し出しす。
スタンプ台にゴム印をポンポンし、慎重に「のし」の名いれ部分にゴム印を押し付ける。
じわ~っとゴム印を離すと、そこには鮮明に「組織名、肩書き、お名前」が・・・。
「どうや、ええじゃろ」と満足そうに前主。
「いいっすね~」と私。
その後、残りを上機嫌で仕上げていかれた。
それは、それで良いのだが、問題は「のし」に押印後の処理である。
その方は、インクを乾かそうと、その「のし」(組織名、肩書きがばっちり押印された)を受注テーブル狭しと広げていくのである。
最終的に12枚すべて。
ん?他のお客さんに見えてまずくない?
と思ったものの、インクを乾かそうとする行為は自然な行為である。
他のお客様に見えない様、裏返す?
いや、裏返すことは、乾かすと言う目的とは相容れない行為になるのでそれもできない。
なので、しばらくは放置することにした。
とは言いながら、受注手続きの方をすすめながらも、他のお客様の事が気にかかる。なんせ、ギフトセンターの混雑ぶりはご存知のとおり。
次から次へと一般のお客様が私たちのテーブルの傍らを通り過ぎていくのである。
それに気付いたお客様は「ぎょ!?」という表情になる。
そりゃそうだ、「のし」に印字されている組織名は広島人なら誰でも知っている組織名。さらに、その組織名の下には威圧感ある肩書きまで印字されているのだから。
そうこうしているうちに、ギフトセンター全体が不穏な空気に包まていくのを感じる。
やっぱ、まずい。
こりゃ、早く回収しなくちゃ。
と言うことで、「早すぎるかな?」と思ったものの「も、大丈夫ですね!」とボソッと言って、そそくさと問題の「のし」を重ねて回収、ほっとひと息ついたのである。
ま、そんなこんなで今回の受注も、一般のお客様には少しご不安感を与えてしまったかもしれないがなんとか無事終了。
しかし、この4名さんの来店はこの「ゴム印ご持参」の回が最後となる。
そう、それは、ちょうどバブルが弾けた頃。
あの方たちの稼業にも不景気風が吹いたか否かは知る由もない。
← ポチいただければ励みになります。
「冷静に対応してましたね、さすがです」
「橋本君じゃなきゃ、あ~はいかなかったよ」
どこが冷静なもんか、ちっとも冷静になんて対応できていない。
その証拠に、品名記入がまともにできないほどビビッていたではないか。
なので、その絶賛の声のウラに「その手の顧客がきたら、橋本に全部やらそう」って魂胆があるな、と私は踏んでいた。
よって、そんな声などまともに受け取らなかったし、ましてや、思いあがることもなかった。
しかし、そんな流れには抗えないもので、その後、私はまるで「そんな稼業の人達の担当の如く」になっていくのである。
そもそも、社員のギフトセンター受注時における主たる役割はトラブル対応である。
なんとなれば、受注者のほとんどがアルバイトの方達であるから。
なので、社員はトラブルの大小に関わらず、積極的にトラブルが発生すれば関与しその解決につとめねばならない。
また、それより前に「ちょっと癖のありそうな顧客だなぁ」と思えば、バイトの方達に伺わせるのではなく、自ら積極的に伺うことによりトラブルを未然に防ぐことも必要となる。
これらすべて、社員の等しい役割である。
しかし、くせのありそうな顧客が来られた時、「これは、橋本にやらせよっ」って雰囲気に他の社員全員なってしまうのである。
で、斯様な流れが出来つつあったある日、いかにもそれらしい方2名さんを含む4名さんがギフトセンターにやってこられた。
その、それらしい方2名さんは、前回の竹下さんより役職も迫力も、もっと上のおふたりだったのである。
その稼業の方達は、それなりの雰囲気をもたれている。
なので、その4名の方々を一見した社員は全員「ん?これは・・・」と思ったはずである。
そして、当然バイトさん達に任せるわけにはいかないので、“社員の誰か”が接客しなければと思う。
しかし、本音を言えば、その“社員の誰か”は自分でありたくないと願う。
で、ここに社員間の色んな駆け引きが生まれるのである。
ある者は、普段あまり積極的に接客しないのに、急に一般のお客様の接客したり。
ある者は、その方達と「遠く対角になる」位置取りをしたり。
ある者は、「あっ、そうだ!」みたいな振りをして裏方に消えたり。
かく言う私、そりゃ避けれるものなら避けたい。
皆が感じてるように、怖いし、何かミスでも起きようものなら矢面に立たねばならない。
そんな事態、想像するだけでも身が凍る思いだ。
が、しかし、逃げ回る連中を見ると情けなくなり腹ただしくもあり「そんなに逃げ回らんでもええわい、わしがやるよ、わしが!」となる。
で、結局、今回の4名1組様は私がお伺いすることになる。
その4名さんは、広島にある総本山の高役職の方2名さん、そのお付の方1名さん、及び高役職の方の一方の奥さまである。
「迫力がある」と記したのは高役職の方2名さんで、お付の方は感じが良く愛想のいい方、奥様はそれこそ普通の雰囲気の奥様であった。
さて、ギフトセンターの受注スペースには、カウンター席と4名~6名程度座れるテーブル席が配置されている。
テーブル席には、3名を超える家族連れの顧客を中心に案内するが、他の顧客となるべく隣接しない方が好ましいと思われる方も案内する。
で、件の4名さんはどちらにも当てはまるのでテーブル席へご案内。
いよいよ、受注手続きを始めることになる。
あくまでも通常の顧客と同じよう手続きを進める。
私の精神状態もいたって普通である。
であったと思う。たぶん。
お届け先も威圧感ある組織名と役職名つきであるが、ご指定の商品名を記入し受注作業自体はスムーズに。
その間、4名さんとも静かにお待ちになり、入金手続きまで恙無く終えたあとも静かに会場を後にされた。
とりあえずめふぅ、と一息である。
最終的には、商品手配・配送伝票の誤字脱字の確認から始まり無事お届け完了まで終えることになったのである。
問題は、次回の中元歳暮もまた引き続きご利用されるか否かである。
なにしろ、この4名様は今回始めてのご利用である。
特に何の問題もなく処理できたわけではあるが、やはり受注には気を遣うし、その後の配達完了まで気が抜けない。
できれは、受けたくないのが本音ではある。
しかし、次のギフトセンターへも引き続き4名さんでご来店になり、同様に私が対応。
そして、3回目のご来店ではご指名をいただくまでになっていたのである。(いち販売員としては光栄であるが、この場合、喜んでいいような悪いような・・・)
そして、回を重ねて4回目のご来店。
いつもどおりお届け先リストを預かり、商品確認をしようとしていたら、高役職のおひとりがセカンドバックをゴソゴソ。と、しながら、「橋本さん、ええの作ってきたんじゃ」とおっしゃる。
ん?
と、その方の手元を見るとゴム印らしきものが握られている。
それは「のし」の下の部分に送り主の名前を書く手間を省く為に、わざわざ作って来られたゴム印なのであった。
ちゃんと縦書きになっており、組織名、肩書きまでしっかり彫られていた。
「いっつも、橋本さんに手間かけとるけぇの、ええの作ってきたんよ」とおっしゃる。
(が、私がのし“名いれ”などするわけなく、いつも総務在籍の書道何段かの方に書いていただいている)
「ちょっと、インクの奴持って来て~や」
(ん?スタンプ台のことだな?)
(「のし」も要るな。え~と、この商品だと7号でいいか、で12枚だな)
この4名さん接客の時、いつも傍らに待機している若手にそれらを頼む。
そして、彼が持ってきた「のし」とスタンプ台を顧客の前に差し出しす。
スタンプ台にゴム印をポンポンし、慎重に「のし」の名いれ部分にゴム印を押し付ける。
じわ~っとゴム印を離すと、そこには鮮明に「組織名、肩書き、お名前」が・・・。
「どうや、ええじゃろ」と満足そうに前主。
「いいっすね~」と私。
その後、残りを上機嫌で仕上げていかれた。
それは、それで良いのだが、問題は「のし」に押印後の処理である。
その方は、インクを乾かそうと、その「のし」(組織名、肩書きがばっちり押印された)を受注テーブル狭しと広げていくのである。
最終的に12枚すべて。
ん?他のお客さんに見えてまずくない?
と思ったものの、インクを乾かそうとする行為は自然な行為である。
他のお客様に見えない様、裏返す?
いや、裏返すことは、乾かすと言う目的とは相容れない行為になるのでそれもできない。
なので、しばらくは放置することにした。
とは言いながら、受注手続きの方をすすめながらも、他のお客様の事が気にかかる。なんせ、ギフトセンターの混雑ぶりはご存知のとおり。
次から次へと一般のお客様が私たちのテーブルの傍らを通り過ぎていくのである。
それに気付いたお客様は「ぎょ!?」という表情になる。
そりゃそうだ、「のし」に印字されている組織名は広島人なら誰でも知っている組織名。さらに、その組織名の下には威圧感ある肩書きまで印字されているのだから。
そうこうしているうちに、ギフトセンター全体が不穏な空気に包まていくのを感じる。
やっぱ、まずい。
こりゃ、早く回収しなくちゃ。
と言うことで、「早すぎるかな?」と思ったものの「も、大丈夫ですね!」とボソッと言って、そそくさと問題の「のし」を重ねて回収、ほっとひと息ついたのである。
ま、そんなこんなで今回の受注も、一般のお客様には少しご不安感を与えてしまったかもしれないがなんとか無事終了。
しかし、この4名さんの来店はこの「ゴム印ご持参」の回が最後となる。
そう、それは、ちょうどバブルが弾けた頃。
あの方たちの稼業にも不景気風が吹いたか否かは知る由もない。
[第一話] 後輩からの怖~い引継ぎ
お中元お歳暮はデパートの稼ぎ頭と言っていいイベント。
どこのデパートも催事会場をギフトセンターにして大勢のお客様の集客を図っている。
今回の物語は、若かりし日そのギフトセンターの担当をしていた時のお話である。
その電話は、久々の休日にくつろぎ、晩酌でほろ酔い気分になっていた時かかってきた。
ギフトセンターの後輩の藤村くんからだ。
「今日あの竹下さんから電話がかかってきて、むちゃくちゃ怒鳴られました」と。
*あの竹下さん=常連のとある組の組長さん
なんで?と聞けば。
「今回送られてきた、事前プリントの先様の名前が間違っていた」とのこと。
*事前プリント=お客様の手間を省くため、前回書いていただいた先様の住所・お名前をプリントしたもの
そりゃ怒られても仕方ない。
が、調べてみると、前回は正しく発送されており、今回先様のデータを入力する際間違えたことがわかり。
その事をを竹下さんに伝えたが、とりつく島もなく「どうしてくれるんな!明日行くけ待っとれ!」言われましたと。
で、藤村くん。
「わたし明日休みなので。橋本さんの名前を伝えておきました」と。
橋本とは私の事である。
え?
なんで俺?
俺、責任者でもないし、ぺいぺいなのになんで俺なん?
思ったが、後輩の手前「わかった」と言って電話を切る。
その後、ほろ酔い気分は吹っ飛び。
暗澹たる気持ちになったのは言うまでもない。
後輩からの怖い引継ぎから一夜明け、いよいよ出勤である。
火打石でもあれば、安全祈願のため「カッチ!カッチ!」とでもやって見送って貰いたいものだが、残念ながら我が家にはそんなものはない。
ネクタイをギュッと締め直して気合を入れての出勤であった。
お店に到着後ただちに以下を確認する。
➀私は竹下さんご来店まで片時も売場を離れることなく、さらにフリーハンドでなければならない。
➁お持ち帰り商品等、竹下さんのお届け品以外の要望があった場合、迅速に対応する為の補助として、もうひとりフリーハンドの社員が必要。
③総務への報告は前日藤村くんが済ませておいたので、警備員の配置最終確認。
以上の確認を済ませ、朝礼で全メンバーに周知徹底し、いよいよ開店のベルが鳴る。
心の準備はできている。
まずは烈火のごとき勢いで怒鳴られる、もしくは、地を這うような低い声で凄まれる。
いずれにしても、その時はただただ頭を下げるのみ。
そして、相手が落ち着かれた折を見計らって、私の言葉を受け入れそうであったら、ミスに至った経過を報告する。
その内容をご理解いただき、さらに、受け入れていただけるかどうかはわからない。
ダメならダメでその時はその時。
自然体で、私のあるがままで対応していこう。
そう覚悟を決めていた。
そして開店から1時間、2時間。
正午を過ぎても来られない。
さらに待つこと3時間、4時間。
蛇の生殺し状態は続く。
午後2時過ぎ頃だったか、一番の責任者であるギフトセンター長が見当たらないで「どうした?」と聞けば、食事へ行ったとのこと。
「へぇ~行くんだ、こんな時に、それも大事を控えている部下に黙ってこっそりと・・・」である。
で、午後3時くらいになると警備員が私の傍らにやって来て「食事行ってくるわ、竹下さんが来たら呼んでくれればいいから」と言い残して食事へ行った。
「えっ?呼びに行って来てもらった時には手遅れになってない?」と思ったが諦めた。
そんなこんなで時は過ぎ、今日は来られないかもと思ってた夕方5時ごろ、いよいよ竹下さんの姿か遠くに見えたのである。
クレーム対応はとにかく初動が大事。
こちらから素早く駆け寄りお詫びせねばならない。
なので、ギフトセンターへ来れれるのはエスカレーターを利用されるのか、それともエレベーターか。
双方からのルートを注視しながら待機を続ける。
そして「もしかしたら、今日は来られないかも」と思い始めた午後5時を過ぎた頃、竹下さんの姿がエレベータ方向に見えたのである。
しかも、高倉健さんばりの“着流し姿”の竹下さんの姿が。
竹下さんには何度もご来店いただいているが、“着流し姿”で来られたことはかつてない。となると、今日の“着流しの”意味は何?と思いながらも竹下さんのもとへ急ぎ駆け寄る。
竹下さんが立ち止まる。
すかさず「私、橋本も申します、竹下様でいらっしぃますか?」
すると「おぅ」と一言。
そのお返事をいただき「この度は大変申し訳ございませんでした」と深々と頭を下げる。
これからあとは、烈火のごとき勢いで怒鳴られる、もしくは地を這うような声で凄まれる、のどちらかで想定。
しかし、返ってきた言葉は「もうええわ、わかったけぇ。(商品を)選ぶけぇ待っとってくれ」だったのである。その後、竹下さんのお品選びの間、どこでどのようにして待っていたのか。今となってはその記憶はない。
そして、記憶が蘇ってくるのはカウンター席についての受注手続きの場面から。
10件ほどあるお届け先順に竹下さんが注文カードを渡しに差し出す場面からである。
その差し出された注文カードにある商品名を、私がお届け伝票に記入していく。
普段ならなんてことない作業だ。
「はい」と返事をして記入する。
いや、記入しようとするのだがペンが進まない。
え?どうして?
再度進ませようとするがペンが進まない。
「まずい。もたもたしてたら・・・」と焦りも生じる。
心の中で「う~ん」と力を込めてペンを動かす。
少しずつペンが動き出す。
しかし、そのあまりに遅い動きに左手を添えてしまいたいぐらいだった。
蛇に睨まれたカエルの気持ちがよくわかったような気がした。
やっとこさ最初の商品名を記入するのに、どれくらいの時間が経っただろうか。
そんなスピードで、2件目3件目と記入を続ける。
4,5件目くらいからだろうか、やっと普通のスピードで記入できるようになったのは。
そんなモタモタする私を見ながらも、竹下さんは静かに待っておられた。
そして、入金手続きも無事終えると竹下さんは「じゃ、よろしく」と言われ静かにギフトセンターを後にされた。
昨日、あれほどお怒りになっていた当方のミスについて一切触れることもなく。
そして、最後のお見送りをする。
「終わった~」とも「助かった~」との思いはなく、ただただ「渋くてかっこいい人だなぁ」と思いながら、遠くに見合えなくなるまで“着流し姿”の竹下さんを見送ったのであった。
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どこのデパートも催事会場をギフトセンターにして大勢のお客様の集客を図っている。
今回の物語は、若かりし日そのギフトセンターの担当をしていた時のお話である。
その電話は、久々の休日にくつろぎ、晩酌でほろ酔い気分になっていた時かかってきた。
ギフトセンターの後輩の藤村くんからだ。
「今日あの竹下さんから電話がかかってきて、むちゃくちゃ怒鳴られました」と。
*あの竹下さん=常連のとある組の組長さん
なんで?と聞けば。
「今回送られてきた、事前プリントの先様の名前が間違っていた」とのこと。
*事前プリント=お客様の手間を省くため、前回書いていただいた先様の住所・お名前をプリントしたもの
そりゃ怒られても仕方ない。
が、調べてみると、前回は正しく発送されており、今回先様のデータを入力する際間違えたことがわかり。
その事をを竹下さんに伝えたが、とりつく島もなく「どうしてくれるんな!明日行くけ待っとれ!」言われましたと。
で、藤村くん。
「わたし明日休みなので。橋本さんの名前を伝えておきました」と。
橋本とは私の事である。
え?
なんで俺?
俺、責任者でもないし、ぺいぺいなのになんで俺なん?
思ったが、後輩の手前「わかった」と言って電話を切る。
その後、ほろ酔い気分は吹っ飛び。
暗澹たる気持ちになったのは言うまでもない。
後輩からの怖い引継ぎから一夜明け、いよいよ出勤である。
火打石でもあれば、安全祈願のため「カッチ!カッチ!」とでもやって見送って貰いたいものだが、残念ながら我が家にはそんなものはない。
ネクタイをギュッと締め直して気合を入れての出勤であった。
お店に到着後ただちに以下を確認する。
➀私は竹下さんご来店まで片時も売場を離れることなく、さらにフリーハンドでなければならない。
➁お持ち帰り商品等、竹下さんのお届け品以外の要望があった場合、迅速に対応する為の補助として、もうひとりフリーハンドの社員が必要。
③総務への報告は前日藤村くんが済ませておいたので、警備員の配置最終確認。
以上の確認を済ませ、朝礼で全メンバーに周知徹底し、いよいよ開店のベルが鳴る。
心の準備はできている。
まずは烈火のごとき勢いで怒鳴られる、もしくは、地を這うような低い声で凄まれる。
いずれにしても、その時はただただ頭を下げるのみ。
そして、相手が落ち着かれた折を見計らって、私の言葉を受け入れそうであったら、ミスに至った経過を報告する。
その内容をご理解いただき、さらに、受け入れていただけるかどうかはわからない。
ダメならダメでその時はその時。
自然体で、私のあるがままで対応していこう。
そう覚悟を決めていた。
そして開店から1時間、2時間。
正午を過ぎても来られない。
さらに待つこと3時間、4時間。
蛇の生殺し状態は続く。
午後2時過ぎ頃だったか、一番の責任者であるギフトセンター長が見当たらないで「どうした?」と聞けば、食事へ行ったとのこと。
「へぇ~行くんだ、こんな時に、それも大事を控えている部下に黙ってこっそりと・・・」である。
で、午後3時くらいになると警備員が私の傍らにやって来て「食事行ってくるわ、竹下さんが来たら呼んでくれればいいから」と言い残して食事へ行った。
「えっ?呼びに行って来てもらった時には手遅れになってない?」と思ったが諦めた。
そんなこんなで時は過ぎ、今日は来られないかもと思ってた夕方5時ごろ、いよいよ竹下さんの姿か遠くに見えたのである。
クレーム対応はとにかく初動が大事。
こちらから素早く駆け寄りお詫びせねばならない。
なので、ギフトセンターへ来れれるのはエスカレーターを利用されるのか、それともエレベーターか。
双方からのルートを注視しながら待機を続ける。
そして「もしかしたら、今日は来られないかも」と思い始めた午後5時を過ぎた頃、竹下さんの姿がエレベータ方向に見えたのである。
しかも、高倉健さんばりの“着流し姿”の竹下さんの姿が。
竹下さんには何度もご来店いただいているが、“着流し姿”で来られたことはかつてない。となると、今日の“着流しの”意味は何?と思いながらも竹下さんのもとへ急ぎ駆け寄る。
竹下さんが立ち止まる。
すかさず「私、橋本も申します、竹下様でいらっしぃますか?」
すると「おぅ」と一言。
そのお返事をいただき「この度は大変申し訳ございませんでした」と深々と頭を下げる。
これからあとは、烈火のごとき勢いで怒鳴られる、もしくは地を這うような声で凄まれる、のどちらかで想定。
しかし、返ってきた言葉は「もうええわ、わかったけぇ。(商品を)選ぶけぇ待っとってくれ」だったのである。その後、竹下さんのお品選びの間、どこでどのようにして待っていたのか。今となってはその記憶はない。
そして、記憶が蘇ってくるのはカウンター席についての受注手続きの場面から。
10件ほどあるお届け先順に竹下さんが注文カードを渡しに差し出す場面からである。
その差し出された注文カードにある商品名を、私がお届け伝票に記入していく。
普段ならなんてことない作業だ。
「はい」と返事をして記入する。
いや、記入しようとするのだがペンが進まない。
え?どうして?
再度進ませようとするがペンが進まない。
「まずい。もたもたしてたら・・・」と焦りも生じる。
心の中で「う~ん」と力を込めてペンを動かす。
少しずつペンが動き出す。
しかし、そのあまりに遅い動きに左手を添えてしまいたいぐらいだった。
蛇に睨まれたカエルの気持ちがよくわかったような気がした。
やっとこさ最初の商品名を記入するのに、どれくらいの時間が経っただろうか。
そんなスピードで、2件目3件目と記入を続ける。
4,5件目くらいからだろうか、やっと普通のスピードで記入できるようになったのは。
そんなモタモタする私を見ながらも、竹下さんは静かに待っておられた。
そして、入金手続きも無事終えると竹下さんは「じゃ、よろしく」と言われ静かにギフトセンターを後にされた。
昨日、あれほどお怒りになっていた当方のミスについて一切触れることもなく。
そして、最後のお見送りをする。
「終わった~」とも「助かった~」との思いはなく、ただただ「渋くてかっこいい人だなぁ」と思いながら、遠くに見合えなくなるまで“着流し姿”の竹下さんを見送ったのであった。
