茨城大学准教授磯田道史著『武士の家計簿  「加賀藩御算用者』の幕末維新』。今、半沢直樹でノリにノッている堺雅人が主演で2010年映画化された。見たいと思いながらも見ることができなかった映画。原作を読んだ。

  著者が古本屋で『金沢藩士猪山家文書』を発見、そこには1842年〜1879年(明治12年)までの詳細に書かれた家計簿があった。幕末から明治維新の社会経済変動を生き抜いたある武士の生活として、本書に書きあげた一冊。あまりにも面白く、一気に読み上げた。


1.知らなかった、江戸時代末期の武士の生活の一端

仝羯四兌圓箸浪餬弖犬量鮨佑琉嫐だ。武士の世では、算術とか金を扱うのは卑しいことだという風潮があった。このため算術を学ぶのは下級武士だけだったので、人材は不足していた。そう言えば、三菱の祖、岩崎弥太郎も下級武士で、算術の重要性を学んだのは監獄で囚人から教えられたのが発端だった。
  「算術から身分制度は崩れる」と歴史家が言っているように、算術のような実務に役立つ技術をもっている者を幕府や藩は百姓・町人から人材に登用した。完全な身分制度は崩れ始めていた。上士の世界では家禄を告げるのは嫡男のみであり、次男坊以下は養子に行くしかなかったが、下士の世界では技術能力があれば次男でも三男でも藩主に仕え、家禄をもらうことができた。
  この家計簿を残したのは猪山家8代目直之と9代目成之の2代である。猪山家は加賀藩の御算用者だった。加賀藩は会計・数学を重視する藩で当時、御算用者を150人も抱えていた。彼らは明治維新で活躍する人材となった。

東大本郷キャンパスは加賀藩の上屋敷跡に建てられた。赤門は、12代将軍家斉の娘溶姫が加賀藩主前田斉泰にお輿入れする時に建てたお祝いの門であった。この結婚の準備役を猪山直之が担い、後に溶姫の書記官(秘書)に昇進していく。この辺は、薩摩篤姫のお輿入れの準備を担当し、それを契機に昇進していく西郷隆盛に似ている。

I雹里寮験茲枠鷯錣妨靴靴った。家計費の3分の1以上を占めるのが、親戚との祝儀交際費、儀礼行事費用、それに先祖を大切に祀るための神社祭祀費であった。農民がムラや本家・分家の世界で生きたように、武士は親族の中に生きた。武士の面目を保つために、切り詰めることのできない支出だった。
  幕末には、ほとんどの武士は年収の2倍の借金をしていた。武士の金利は年15〜18%と町人より高かった。武士はそれほど貸主からみればリスクの高い借り主であった。

ど隹伴匆颪楼娚阿販ズГ多かった。離婚した女性が再婚することも珍しいことではなかった。結婚前に「結婚お試し期間」が加賀藩にはあった。今でいう同棲は町人だけでなく、武家社会にもあった。

ゴШЯ鮑廚涼罎任癲加賀藩では葬儀にかなりの費用がかかっていた。親戚が持ちあう形だった。冠婚葬祭費用では、嫁さんの実家がかなり面倒をみていた。出産は第1子は実家で、第2子以降は嫁ぎ先で出産した。

λ詼の頃の貨幣価値(著者の換算)

             現代感覚       現在価値
           (現在の賃金から換算)    (現在の米価から換算)
   1石        27万円         5万円
   1両        30万円        5.5万円
   銀1匁      4,000円        666円
   1文          48円          9円

  上記は著者の換算値である。1両は5〜10万円という説もある。今日の感覚でいうと、1両30万円くらいの価値があると見た方が納得しやすいかもしれない。


2.歴史とのかかわり

|山家9代目成之(1844ー1920年(大正9年)享年76歳)は、新島八重の同世代(八重が1歳下)だ。加賀藩は徳川慶喜側についていた。鳥羽伏見の戦いで加賀藩は慶喜救援隊を出した。成之も兵站事務職としてこの救援隊に加わった。1日で鳥羽伏見の戦いは終わり、加賀藩は引き上げるが、成之の兵站能力を薩長軍は評価した。

∪之は大村益次郎から「軍務官会計方」にヘッドハンティングされ、海軍主計大艦(大佐相当官)まで出世する。靖国神社に「大村益次郎の銅像」が建っているが、成之は恩人大村益次郎の銅像づくりに尽力を尽くした。

B臠召良雹里明治維新で経済的にも苦労する中で、成之は海軍で高給をとり、資産をつくった。
成之の長男、綱太郎は海軍兵学校で「坂の上の雲」の秋山真之と同期、海軍大佐になる。
成之の次男、鉄次郎は海軍省に入り、艦政本部の技官に。
成之の三男、兵助も海軍に。日露戦争で死亡。
成之の甥、沢崎寛猛はシーメンス事件の収賄容疑で弾劾された。


  期せずして、幕末から明治にかけての日本を、会津の新島八重、薩摩の西郷隆盛、幕府の徳川慶喜、加賀の猪山成之から見る夏となった。明治維新はみんな、子どもの教育を最重視した。「学問こそが将来の糧」を身をもって知った。日本の今が再び、その時代ではなかろうか。イノベーションを起こす科学者・技術者が求められている。