August 01, 2006

無駄な足掻き

もいっこ。

音ハメさん経由zfyl 著作権分科会 私的録音録画小委員会(第4回)
津田さんの「音楽なんて友人同士のコピーがメディア化して広まってきた産業なんだから、いちいちそんなものに目くじら立てなくてもいいじゃん」という発言もなかなか爽快ですがそれへの反論がこれまた。
生野委員:今の意見に対して異論がある。友人にコピーしてもらってもかまわないという話があったと思うが、制度を考える場合、ユーザーの得られるものと権利者の失うものの比較考量で考えなければならない。先ほど、販売機会喪失の話をさせていただいたが、本来、買っていただければそれだけ販売機会が増える。そこで失われる利益は必ずある。友人にコピーしてあげるのは音楽の普及にある面プラスがあるかもしれないが、権利者の権利をきちんと確保するという観点からは、かまわないというのはいかがなものかと思う。
失われる利益より得られる利益が多けりゃ済む話じゃないのかねえ。友人からコピーしてもらったテープが無ければ聴くこともなかったアーティストは大勢いるし聴くことがなかったのなら当然のことながら買わなかったCDなんかどんだけあるかわからんよ。コピーしてもらったテープも結局CDで買い直したりしてるしな。どんな些細な損害も認めないなんて商売じゃモノは売れないんじゃないかと思うが。そしてコピーされたテープだのMDだのが次の販売に繋がっていってないのであればそれはつまりコピーされた音源を聴いた人間も別にそれによって利益を得なかったと考えられるわけでその論法で行けば損害も無いつーことですわな。

んで何故にこの手の話がわけのわからん方向に行きがちなのかという謎についてデジモノに埋もれる日々さんとこのエントリ読んでハタと気づいたのだった。
デジモノに埋もれる日々: その利益は守れるか? - コンテンツ産業が直面する前門の虎、後門の狼
あーなるほどねー。津田さんが言うとこの二次のヒト(音楽配信メモ YouTubeコラムをNIKKEI NETに寄稿して思ったことなど 音楽配信メモ 「一次」「二次」クリエイター論の追記)たちゃーこの期に及んでまだ「既存のビジネス以上に稼ぐ」なんつー妄想を抱いてたわけですね。んなわけないことが何故にわからんかな。そりゃ大昔はパブリッシャーてのは特別だったのかもしれんが今はやろうと思えば誰でもできるわけでそこで稼げる金が大昔のままなんてこたある筈がないしましてや増えるなんてのは妄想にもホドがある。んで必死になって著作権とか持ち出してきてるから話が捩じれるのだ。あのね、どこでもドアが発明された後で輸送業で稼ぐのは無理だつーことが何故わからんかな。生き残れるのはどこでもドアをくぐれない大きな荷物を運ぶこととかに限定されるから当然規模は縮小して儲けも小さくなるに決まってるではないか。メディアを量産しなくても良くなったらパブリッシャーの価値が低くなるのは理の当然。時代の流れとともに不要になる産業は衰退するのだから無駄なアガキをしているヒマがあったら別の生き残り策を考えた方が建設的じゃないだろうかね。

takepong at 04:13│Comments(1)TrackBack(0)この記事をクリップ!日記みたいな 

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この記事へのコメント

1. Posted by ひげたま   August 01, 2006 21:50
どこでもドアで破壊される運送業が哀れ。(笑)

「デジモノに埋もれる日々」の該当エントリーは至極まっとうな意見ですね。まったく同意。
いい加減オツムを転換しないと、次にくるビジネスチャンス(なんか恥ずかしい言葉だ...)を逃すことになりますね。
しかし、いったいどうしたらいいもんやら、というのが正直なところ。

しかし、この人いい文章書きますねー。好きだ。

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