2006年05月07日
いのち
「あなたはガンです。病名は悪性黒色腫。5年後の生存確率は50%です。」
がっくりと肩を落とす父親、いつも以上に陽気に振舞おうとする母親、一言も発せず部屋を出て行った妻。
僕はといえば、自分に都合の良い言葉だけをインプットし、強い夫、強い息子を演じていました。
しかし、一人病室に帰ってくると、そんな強がりは吹っ飛びました。
湧き上がってきたのは「死」の恐怖、生まれてはじめて死をすぐ隣に感じました。
その恐怖も時間の経過とともに、徐々に『怒り』に変わりました。
『なんで俺が、、、秋には父親になるんだぞ、、、先生3週間で退院できるって言ったじゃないか』
持っていきようのない『怒り』。
でもその時、なぜかこの『怒り』を忘れちゃいけないと思いました。
それまでの僕は、人に「ありがとう」と感謝されてこそ僕、これが僕の唯一の存在価値であり、生きていても良いという通行手形だと思っていました。
だからこう考えました。
「俺は生きる、同じ病気の人の為に生き抜いてやる。50%という確率を少しでも上げ、感謝されてやる。俺は負けない、俺一人で闘ってやる。」こんな事を考えていました。
それは正しくないと気がつきました。
なぜならば、翌日、告知される前と変わらずサポートしてくれる妻がいたからです。
お腹に子供がいる重たい身体で、昼間は働き、夕方僕を見舞い、夜誰もいない家に一人で帰る。一人で闘っているのはむしろ彼女の方でした。
毎日必死だったと思います。
またたくさんの素晴らしい仲間、会社の同僚、学校関係のみなさん、一緒に勉強を始めた同級生の仲間、たくさんの言葉をいただきました。
泣き出すくらい暖かい言葉、救われるような言葉。
そして何より、僕以上に僕の回復を信じてくれている、可能性を信じて待ってくれている方々の存在。心強かったです。
いつしか『今「ありがとう」って言われるような事、何一つ出来ない僕でも、生きていてもいいんだ』って思えるようになりました。
ガンと告知されたあの日からちょうど1年経過しました。
治療はまだ続いていますが、その間、元気に子供も生まれました。まだ小さな命ですが、僕にとって大きな希望です。
生まれたばかりの小さな命もあれば、病院ではいくつもの悲しい別れがありました。
今、僕は彼等がどんなに生きたいって願っても、生きる事が出来なかった2006年という日を生きています。辛いことなどがあった時、僕は彼らを思い出します。
辛くても何でも、僕は今、生きている。
精一杯、自分の命を輝かせるために生きている。命を輝かせた方が楽しいよ、彼らが僕に身を持って教えてくれた事です。
思い出してください、あなたは決して一人じゃない。
あなたを思っている人がいる。あなたの可能性をあなた以上に信じてくれている人がいる。その幸せをかみしめて下さい。
明日から最後の抗がん剤治療、治療入院です。僕らしく楽しんでくるつもりです。
今の自分を愛し、一緒に命を輝かせましょうね。
遊びに来ていただき、本当にありがとうございました。
3週間で帰ってくる予定です。
またお会いできたら嬉しいです。
新しい一週間、みなさまもお元気でやってください。
では、おやすみなさい。