ダビラヂオ

貧すりゃ鈍す 藁打ちゃ手ェ打つ


今日、職場のおじさん上司に、フト、真剣だがどこか微笑みをたたえた表情でこう言われた。

「常々思っていましたが、あなたは本当に良い声をしていますね。低くて渋くてよく通る声質だ。声優さんみたいだ」

それを受け、わたしは正しく謙遜し、その場その話題は終わったわけなのだが。
わたしの胸中では終わっていませんでした。

実はこういったほめられ方をされたのは人生で1度や2度ではないのだ。
社会に出てから幾度もある。わたしは人からほめられるということがほとんどないのでそういうのはいちいち印象ぶかいのだ。

人はビジネスシーンにおいて電話やら客先応対時には通常よりもトーンあげて発声するでしょう。
わたしも例に漏れず、声が低いという自覚もあるので、それを恐らく普通の人よりもカロリー使って実行していたわけです。オクターブあげていたわけです。それでたまにほめられていたわけです。

でもね、5年ぐらい前になりますが、わたしはなんの因果か精神のバランスが崩れてしまい、ありていに言うところのウツ病、というものになったんですね。病名については諸説ありますがそういうこととさせて下さい。

で、そうなるとどうなるか。そもそも人と話すのがとても億劫になる。声が小さくなる。声質がより低くなるのですね。
知人友人と酒宴があっても、おまえは声が小さくて何言ってるかワカラン、と言われることしばしばなのでした。
無言が長かったりね。処方薬と一緒に酒飲むから絡み酒したりね、本当にひどかった。

そしてそういうことが続いていたので、自分は以前の「声をほめられるおれ」ではもうなくなってしまったのだな、という思いはもう確固たるものとなって今日まで至るわけでした。

そこで今日のおじさん上司の台詞である。

びっくりしましたね。ここ2年ぐらいは処方薬も軽い睡眠導入剤ぐらいにして、酒量も減らして、仕事も辞めてばっかだからそこも踏ん張ろうって気も出てきて。
けっこう自分なりに、これ以上自分をキライにならないようにやってきたつもりではあったの。

それがこういう形であらわれるんだなあ、って今日のおじさん上司の台詞を受けてびっくりしたのよ。ちょっとはビョーキ治ってんじゃんて。ちょっとというかけっこう。けっこう治るというかけっこう寛解。

うれしかったですね。今夜はそういうことが記したかったのでブログを書きました。

もうひとつあって。そのおっさん上司の台詞のような「自然に人をほめられる能力」というものにやはり憧れるものだな、と。

わたしはお世辞やおべんちゃらといったものは(調子が良ければ)がんばって言えますが、フト、そこいいなと思ったときに自然な感じでそれを当人に伝えられる能力があるかと言えば、それはノーなのですね。なのでそれが欲しいです。言われたらこのように嬉しいわけだもん。
そして、そういうことがサラリと言えるおれが好きです。そこも踏ん張ろうって気も出てきて。

人生、自分が思っている以上に、取り戻しはきくし、若い時に比べたら飲み込みやらは遅いけど、全然成長もしていけるものなのだなあと思って。バカみたいな文章ですが、今日はそのへん体感できた嬉しさが、うん、ありましたね。うんうん。


ついにおれはわかってしまった。
人生の折り合いのつけ方を。

人生に飛び級というものは無い、ということをまさに、この歳になって初めて気づいてしまったのだ。

うん。この話は長くなるからまた明日しよう。わたしは規定以上の飲酒をすると文章が冗長になる、ということを近年は自覚しているのだ。冗長だと人は読んでくれないのだ。もとより、そういったものをおれ自身も読む気がしないのだよって、この話はまた後日。明日か。


さておき。

太ったのだ。体重が。数年、いやさ数ヶ月というスパンで久しぶりに会う知人に言われる。まあ、言ってくれるだけましでもある。通常は腫れ物、触れてはいけないなここは、というかんじ、ないですか。
どのぐらい太ったのでしょうか、と問われれば、半年前より確実に10キログラムオーバーは行きましたね。

やはり久方ぶりの邂逅というのは、そういうのいじりやすいポイント、じゃあないですか。会話の糸口。さし飲みならなおさらてのもあるのかな。

でもね、そこに触れなかったこれまでに知己が2人だけだけ居て。わたしに。それが、みうらと愛知のやっさんだけなのだ。ここ最近の話ね。男友達だからおれが安心するというのもあるのだ。

ここにこんないじりやすい素材がありますよ、というテイでわたしは無邪気に鶏皮串とビール!などを頬張っていたわけなんだけど。彼らはそういうわたくしの挙動にも特に触れなかった。

逆の立場だったらおれは触れていたと思う。酒の酔いも手伝って。

でも私が思うのは、その2人を崇めるかんじではなくて、言いたいのは、たぶん彼らは、わたしの姿形、眼光、発声量、話題、その他諸々を、一瞬で感じ取り、そこはまあ、やはり色々あるよね人生は、という静かなるあたたかな眼差しが根底にあったと思う。わけです。見る人が見ればわかるのか。おもしろい酒でしたよ。

でまあ、そういう酒の席はとても心地が良かったです。というのが一つと。

今日中に言っとくのは、おれは精神の安定と引き換えにDEBUを手に入れた、という考えかたが、やけに最近しっくりきてしまうんだよね。バーターだと。そう言いたいわけ。

これはめしをくう、という以外に楽しみが見いだせない最近のおれだからそう思うのかもしれないが。
そう考えてる。


長く書きすぎた。明日も書かないと行けないのだね。人生の飛び級とやらに。

いきましょうか。


ファッキューあけましておめでとう。

ファッキューこれからもよろしく。

ファッキューこれかも攻めていくから、気を抜かないように。

また近々。安心するように。グッド。



なんですかね。

huluという動画サービスに契約しており、数ヶ月が経つのですが、まあ、あんまり観ない。
たまに再生するときは、監督山田洋次の「息子」って映画なのですね。10回は観ている。

劇中、後半、ヒロイン和久井映見が主役・永瀬正敏の家に来てからエンドロールに入るまで。おれはまたグっときっぱなしなんだけども、まあこの永瀬正敏の父親役である三國連太郎に見入ってしまって、まあ最後は涙腺ルイルイ、と、こういうかんじ。

男親というものも、ダメな息子にそういう女性(ひと)が現われ、所帯を持つんだ、と宣言されたら嬉しいものなのだな、と、そういう考えをこの映画はしみじみ魅せてくれるわけです。

とまあ心が動かされた勢いで、山田洋次の息子って映画いいですね、とわが父に言ったら、「中国映画の『山の郵便配達』というのが「息子」よりもはるかに優れている、余裕があったら是非」、とメールが来た。

色々と、父親というのにはとてもかなわないものなのかなあ、と思うこの頃です。


こんばんは。

今は東京でサラリーマンをやっております。
毎日拘束時間が長く(最低12時間)、直帰しても22時とかです。
明日も出勤なので、今夜も0時ぐらいには寝ないといけません。
その代わり、休みも多いです。

とまあ、べつに今おれは忙しい自慢をしたいわけじゃあない。

なぜこのタイミングで更新したのかというと、タイトルのとおりである。
そう、10年前。2005年の7月。このブログを始めたのであった。10周年というわけである。パチパチパチ(拍手)。
年に数回しか書かなくて10年というかい、という声もあるだろうが、だまれだまれ。

今月、休みの日に何か書こうと思っていたが、だいたい休日は憔悴しとるか虚脱しとるか泥酔してますね。

というわけで滑り込みの2015年7月の更新でした。

次こそはなんか書く。とりあえず今後ともよろしくな!


これは酔って書いている。何も考えてない。

しかしまあ、何でもいいので書いていかないとこれ意味ねーのでねーのがなぁ、と思った次第でございます。
たぶんこういうのはリズムが大事なので前言ったことは翻ってまあ、アドリブで。ここは。

先程、夕刻、直に帰るのもつまらんし、時間も早く誰も捕まらんしで、ひとり、チェーン系の居酒屋に行きました。

何故にチェーンかというのは、注文をとったら、後はその品々を運ぶのみで、その後は、ほっておいてくれるのが楽だからである。

おれは結構これをやる。だれでも知ってる安チェーン店です。

いわゆる、センベロというか、そういった酒飲みが識る酒屋にひとり足を向け、そこで飲み仲間を見つけコミュニケーションをとっていく、というのがとてもしんどいのである。

得てしてそういうとこに行くと、まあやっぱりおっちゃんらが話しかけてきてくれて、今のおれは申し訳ないがしみじみと疲れるのである。

つー意味で、チェーンはほっといてくれるので、とてもラクなのだ。

ラク。ひとりラクなわたしは何をするか。本を読む。本を読むのですね。読むのですよ。

本日も、飲み屋にて、とある本を読んでいたのですが、文中、わたしの浅薄な脳内辞書の中からは引っ張れなかった単語がありまして。

「挙措」

これですな。その本にはワンセンテンスにさらりと出てきたが、読めんかったし意味わからんかった。
一言言い訳するならば、昔は読めてたし意味わかってたが、もう忘れてた(たぶん)。

んでおれって一度こういうの気になると先に進めないタイプ。

そこでわたしは何をしたか。

辞書もない、スマホもない(電池切れてた)。

だもんでもう一台持ってたガラケーで父親に電話したのですね。

「一挙手一投足の”キョ”に、手偏に今昔の昔で2文字の単語。これなんて読んでどういった意味なのだとうちゃん」

と、そのまま聞いたのだが、いやあ、即答でしたね。

「それは、『きょそ』と読む。意味は、やってることとか、立ち振舞いってえ意味だあ」と、たぶん、とーちゃんはそのとき酔ってたと思うのだが、ともあれ即答したのですね。

いつか、たぶんこのブログを遡れば父のそこここについては幾つか言及しているところもあるのだろーが、まあ、フィジカルもメンタルもインテリジェンスも、生涯敵わないんだろうな、と思う時は、父に会う度に思う。

また、無駄に長くなったか。

結論! 今後どこかの文章で「挙措」とかおれが文中で使い出したらそれはとーちゃんに教わったんだよ―ってこったあ。

というのと、

礼儀、言葉遣い、挙措、などなど備え、おまえ、折り目正しい人間になれよ、というとーちゃんの電話越しの少し祈りに近い声色に、ちっとまあ、おれもやるよっていう気持ちになっています。というこったあ。


あけましておめでとうございます、と。

色々とこの場で書いとこ、という内容は溜まっていています。
衝動的に、思いついたことを箇条書きで出来事をただただ列挙していく、というのではなくて、ワンエントリはワンテーマでまとめましょうと、わたし、思ったので、少し待ってくれ。

近日中に連投すると思う。もう少し時間が必要なんだ。


今年の総括、か。

少し考えをまとめて記しておくかと思ったが、残念ながらもう熱燗がまわってだめだこりゃ。

イメージとしては何もやってないのにやたら進みだけは早い1年であったというかんじかな。今年は。

年々体感スピードが早まっていくのは、そこにちょっと恐怖をかんじないでもない。

たぶん、ここ、大事なところだろうから。明日また素面で振り返ってみよう。

明日は元旦の早朝からプロレタリアート丸出しで工場のバイト行くからまた今度な!


明後日金曜に、ちょっと用事があって数日実家に行くが、その後はすぐに東京で始業、の手筈とした。

ブログつうのは1人の時に1人の部屋で更新するっていうのをずっとやってきたし、たぶん仕事始まったら疲れて書くペースも落ちるんじゃないかなあと思う。

昨日のエントリを見て続きを書こうかと長丁場になりそうなのでやっぱこの時間ではいいや。

ビートラ杯、久しぶりに出ることになったので少しは触っていこうかなと。ここ2回ぐらいは出てなかった。

ふん。なんも浮かばないな。ちょっとがんばって寝てみます。


今日もそうだったが明日もそう。面接というか顔合わせ行ってきた。 いずれにせよ来月アタマから働きます。

まじで大丈夫かよ、というのが正直な感想。最近の睡眠時間も半端ないし(動物のナマケモノばり。1日20時間ぐらい寝る)。何よりある日、朝起きた瞬間の、あ、今日はきびしいなやめとこみたいな感じが襲ってくるのが(ry

言い訳になるからいいや。

と思ったが、思うにおれという人間は、自分のアタマでは処理できないようなスケールのモノゴトの決断であったり、それ以外にも人生の岐路のような大事なモノゴトの決断を迫られるときであったとき、自分と親しい人間に相談する、という選択肢が無かった。

と、思う。

その時々でその方々がおれに対して今後の動向を示唆したり教示してくれたり、というのはあったハズなのだが、と言うとそん時のアドバイス全て忘れてんのかオメーという声も聞こえてきたりするのだが、とりあえずまあ能動的に、おれから何かに自身の問題事を相談するということは、思い返す限り、恐らくほとんど無い。

たぶんほとんど無いと思う。

忘れてたら本当に申し訳ないが、そういうシチュエーションになった場合、それは話題に出す前から、相談する前から、おれの心の奥底は、結論が決まっているという感じなのである。

だからなんだオメーと言われると返す言葉はないけれど、そうやってきたので仕方がないという他ない。

あいつにはもう掛ける言葉無い、と冷笑混じりに突っぱねられるほうが気楽なのだとも思う。

たぶんそうなったらまたよくわからない別の方向へ1人寂しくとぼとぼ進んで痛い目を見る、感じもする。

ここに来て、おれの。他者に対する甘えのようなものが見え隠れするが、明日も早いのでとりあえず寝ます。ちょっとこういう話でここで終わりは、尻切れトンボな感がありますね。近くもう少し書いてみます。

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