2006年08月23日

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kuramoto

 

 

 

 

 

 

こちらのケンシロウ氏がもっているお酒、拡大します。

kimoto

 

 

 

 

 

 

 

生   酉   元  !

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2004by

 

飲みたかった・・・



taketsuru at 04:16|PermalinkComments(4)TrackBack(0)竹鶴と自分 

2005年11月07日

第十話 酒を楽しむには、知識が必要?

「酒は酒」で、ええじゃないか

 少し前までは、“酒は酒”でした。ところが最近では、酒の種類だけでも、吟醸酒だの、純米酒だの、本醸造だの、生酒だのといった種類があり、それがまた、特別純米酒だの、特別本醸造だのと細分化され、飲む人にとっては訳がわからない状態になっています。

 それぞれの種類の定義も面倒くさいもので、酒業界人でさえ、覚えきれないほどです。それらを解説する本もたくさん出ています。しかし、ごく普通に酒を楽しみたい人は、勉強してまで酒を飲みたいと思わないのではないでしょうか?

 細かく分類していったのには、商売上の理由もあります。販売戦略のひとつとして、「差別化」という言葉がよく使われます。つまり、他社製品(あるいは自社製品)との違いをハッキリさせることによって売りやすくしようとするものです。多種多様な定義づけは、差別化する上では好都合でした。でもそれは、売る側にとって都合がよいだけで、買って飲む人には混乱の種でしかないように思います。

 このように酒がとっつきにくい存在になってしまったのはわが酒業界の責任でしょう。酒を身近に感じていただくためにも、「酒は酒」というあり方に戻るべきではないかと、個人的には考えております。

“頭”で酒を飲むことなかれ

 とはいえ、細やかな知識や情報を楽しむ人もいらっしゃいます。そんな、酒に関心を持ってくださり、喜んで勉強までされる人は、私たちにとってはありがたい存在です。ただ、気をつけていただきたいのは、知識や情報はときに、酒そのものを素直に楽しむ邪魔にもなりやすいということです。

 知識や情報を豊富に蓄えた上で、なお、それらに左右されずに酒に接することは至難の業です。酒に限りませんけど、知識や情報があると、どうしても先入観というものを持ってしまいがちです。そうなると、酒を頭で飲むようになります。酒を頭で飲むという事は、実は、酒を楽しんでいるのではなく、酒の知識や情報を楽しんでいるに過ぎないのです。

 “頭”で酒を見るのは、何も飲み手ばかりではありません。私たちのような造り手や売り手もまた、頭で酒を造ったり、酒を売ったりしてしまっていることが往々にしてあります。今までお話してきた「間違いだらけの酒常識」のあれこれも、そういう固い頭から生まれたものです。

 「酒は生きもの」という言葉は、今までも何度か使ってきました。生きものを相手にして、とことん付き合おうとするとき、知識や情報に頼っているようでは限界があります。その点は人間同士の付き合いと同じではないでしょうか。

 私にも、一般的な理論を鵜呑みにしたり、データを重視したりという時期がありました。その当時、自覚はありませんでしたが、今思えば、頭で酒を造ろうとしていたのです。現在でも、酒に真っ直ぐに向かい合う以前に、先入観にとらわれていることに気づくことがあり(気づいていないことも多いはずですが)、まだまだだなと反省を繰り返す毎日です。

酒は人の上に人をつくらず

 酒は楽しむものであって、分析するものではありません。知識があってもなくても、感覚が鋭くても少々鈍くても、酒を飲んで楽しむ上では、誰しも平等です。また、酒を“わかる”ことと、知識の量や感覚の鋭敏さも、まず関係ないとお考え頂いて結構です。

 それに別に酒のことなんかわからなくてもいいのです。逆に考えると、酒のことをすべてわかっているという人は、古今東西いやしません。私たちが日々酒に接し、酒のことをどれだけ考えても、わからないことのほうがはるかに多いほど、酒の世界は奥深いのです。自戒を込めて言えば、酒に関わる仕事をしているからといって、わかったような気になることはこわいことですね。

 みなさんには、酒を前にして構えてもらう必要などありません。酒を楽しむ上で、酒の奥深さがどうのといった話は無用ですから。

 またまた“ごはん”に例えますが、ごはんを食べるとき、米のデータや自分の味覚の鋭さなんて気にする人は、ほとんどいないはずです。自分が食べて「美味しい」と感じるかどうかだけでしょう。酒も、飲んで美味しければ、専門用語など持ち出さなくても、「旨い!」のひと言で充分です。酒にとっては、自然に素直に味わってくださり、楽しい時間を過ごされたのなら、それで本望なのです。

 ――となれば、こんな小冊子なんか放っておいて、一杯飲りましょう!

 

※この文章は竹鶴酒造株式会社様の許可を得て(ご協力・山枡酒店様)転載したものです。著作権は竹鶴酒造株式会社様にあります。



taketsuru at 00:51|PermalinkComments(2)TrackBack(0)第十話 酒を楽しむには、知識が必要? 

2005年11月06日

第九話 度数の高さが日本酒の欠点?

度数増します、われらが酒よ

 残念ながら現在の日本酒は、低迷の一途をたどっています。そこで、なぜ今のように落ち込んでしまったかという現状の分析がなされ、いくつかの要因が挙げられてきました。その中で、「アルコール度数が高い」ことも、日本酒の敬遠される要因として指摘されるようになっています。

 発酵中の日本酒は、醸造酒として世界最高レベルのアルコール度数に達します。強力な糖化力を持つ麹を使うことと、並行複発酵による(=麹による糖化と酵母によるアルコール発酵が、同じ容器内で、同時に進行する)という、世界でもまれな発酵形式のために、日本酒はアルコール度数を高くすることができるのです。

 特級、一級、二級、といった級別制度があった頃は、市販のアルコール度数の基準は15度台でした。割水(=加水して度数調整すること)していない酒(原酒)は、純米酒で17〜19度くらいのアルコール分です。それを15度台にまで割水して商品化するのが普通だったのです。

 ところが最近の日本酒では、14度台は珍しくありません(特に生酒に多い)し、ワイン並みに12、13度台まで落とした商品も増えています。

度数の高さの何が問題か

 度数の高さを問題視するのは、
◎度数の高さが、飲みにくさにつながる
◎度数が高いと、体にこたえる
◎度数が高いから、たくさん飲めない
といった点を気にするからだと思われます。

 でも、本当にそうなのでしょうか?

 飲みにくさについては、以前にもお話しましたけれど、完全発酵していない、熟成が足らないなど、酒自体の問題のほうが原因としては大きいと思います。真っ当に仕上がった酒をきちんと熟成させていれば、度数の高さは、思ったほど気にならないものです。

 また、薄くすれば飲みやすいかと言えば、それも違います。特に食べながら飲むのなら、薄さを感じるような酒では料理に合わず、逆に疲れてしまいます。


 身体にこたえるというのも同じです。余分な雑味がなく、まろやかに熟成した酒は、身体にもしっくり馴染みます。それでも心配な方は、しっかり食べながら飲む、汁物や水、お茶などを摂りながら飲む、といったことを心掛けていただければよろしいかと存じます。

 たくさん飲めないことに関しては、ガブガブたくさん飲もうとするからだ(笑)と言っておきましょう。わざわざ薄めてまでたくさん飲もうとしなくても、料理とともに自分のリズムで酒を楽しめれば、それで充分ではないでしょうか。

(お)薄いのがお好き?

 私とて、度数が高い原酒こそが最高だと考えているわけではありません。ただ、闇雲に度数の高さを悪者にする風潮には「ちょっと待った!」と異を唱えたくなるのです。

 私が酒のソフト(低アルコール)化を危惧するのには、低アルコールで旨い酒を飲んだためしがないということが根本にあります。度数を下げても“飲める”酒には、何度かお目(口?)にかかったことがあります。しかし、低アルコールにして、より美味しくなったという酒には、まだ巡り合ったことがありません。

 現在の酒と昔の酒を比べると、同じ度数でも味の濃さが違います。今の酒は、ずいぶん味が薄くなってきているのです。その薄い酒をもっと薄めて飲むのですから、旨さや飲み応えなども薄れて当然ではないかと思います。

 今まで繰り返し書いてきましたが、酒は、飲んで旨いかどうかがすべてです。薄めることで旨くなるのなら、どんどんやるべきでしょう。でも、あまり度数を下げると旨さも薄まるというのが通例のようです。私の個人的な意見では、15度を切ると薄さを感じ始めます。昔、15度を基準にしていたのも、たまたまかもしれませんが、理にかなっていたのではないかと考えています。


 度数が高ければ、それに合った飲み方をすればいいだけの話ですまた、酔うのが嫌だという人もおられますが、日本酒に限らず、飲めば酔うのが酒です。
ですから、みなさんには、度数が高いかどうかよりも、身体に馴染むか、料理に合うか、そして何と言っても、旨いと感じるかどうかを、酒と付き合う基準にしていただければと存じます。

 その上で、自分のペースと適量に合わせて、旨し酒の酔い心地をどうぞお楽しみください。

 

※この文章は竹鶴酒造株式会社様の許可を得て(協力・山枡酒店様)転載したものです。著作権は竹鶴酒造株式会社様にあります。



taketsuru at 02:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)第九話 度数の高さが日本酒の欠点? 

2005年11月03日

第八話 日本酒なら、やっぱり和食?

固定観念をぶっ飛ばせ!

 第七話では、どんな酒が料理に合う酒か、というお話をしました。では逆に、そういう日本酒に合う料理は何か、ということを考えてみましょう。

 みなさんは日頃、和食は日本酒、西洋料理ならワイン、中華料理にはビールや紹興酒、といった公式で酒を選ぼうとしてませんか?そういう組み合わせは相性が良いに決まってます。しかしそれは、「魚料理には白ワイン、肉料理には赤ワイン」というような“お決まり”と同様の固定観念にすぎません。そんな、いわばマニュアルに従うだけでは、もったいないと思います。

 現代では、和風、洋風、中華風のおかずが、一つの食卓に並べられることも珍しくありません。そんな食事の場で、「これには合うが、あれには合わない」とわがままを言うようでは、食中酒として失格です。また、料理に合わせて酒を変えるというのも、日々の食生活においては難しいことでしょう。

 でも、真っ当な日本酒なら、それ一本で大丈夫。どんな料理にも、当たり前のような顔をして合わせられます。そういうことの可能なのが本来の日本酒ですし、そんな芸当ができることも日本酒の強みだ、と私は考えています。

 意外に思われるかもわかりませんが、肉料理や油を使った料理でも、日本酒はOKです。たとえば“とんかつ”に“熱燗”が乙なものだ、なんて言ったらビックリされるでしょうか。

 前に述べた、旨味と酸が備わった酒である事が条件になりますが、とんかつのような料理にも酒が合わせられるキーワードは、「熱燗」です。

 複雑な旨味と多様な酸が醸し出す味の幅が、温度の変化によって、もっと広くなります。つまり、温度を変えて楽しめるという日本酒の特性が、料理との相性を広げるのです。

 また、肉料理などと合わせる場合には、温度による味の変化だけでなく、酒の温度そのものも有効に働きます。油や脂肪分は温度が高くなればサラサラになり、低ければ粘り気が出たり、固まったりします。肉料理に冷やした酒を合わせた場合、口の中で脂肪分が固まってしまい、味キレが悪くなります。ところが、しっかりした酒をお燗して合わせると、脂肪分が口の中にまとわりつくこともなく、さらりと洗い流してくれるのです。

 このことは、老舗のすき焼き屋のご主人にうかがって「なるほど!」と思ったことです。お燗には、酒が旨くなるというだけでなく、その温度自体にも効用がある事を教えていただきました。

合わせ技(もう)一本!

 第七話で、酒と料理が合うポイントとして、旨味と酸を挙げましたが、食事の場で飲み続けられるためには、それに加えてキレの良さが必要です。

 「キレ」とひと口に言っても、さまざまな種類があります。

 今述べた、温度によるキレもそのひとつです。

 前回触れた、「酸」によるキレもあります。酸は酒の味の一部でもありますが、酒自身と料理の味を受け止め、ズバッと断ち切る力があります。コクのある酒と味の濃い料理の組み合わせなどでも、厚みのある酸ならキレを生みます。

 後味を残さない、というキレもあります。完全発酵した酒ならではのキレですけど、酸をナタだとすると、切れ味の良い包丁のように、スーッと味を切ります。このキレは、最後まで元気に発酵してくれるよう、酵母を強くたくましく育てていかないと備わりません。

 また、味を切るキレではなく、和三盆を糖を使った上品な干菓子のあと味のように、余韻を残して消えていくようなキレもあります。このキレは麹によるものではないか、と私は考えています。

 優れた酒では、これらのキレが、互いに影響しあいながら、同時進行で起こります。その結果、飲み飽きすることなく、飲み続けられるのです。

 旨味と酸、それに伴うキレ。この三拍子が揃っていれば、酒ひと口の中にもメリハリが生まれ、自分なりのテンポで楽しく飲むことができるでしょう。そういう酒なら、合わない料理を探すのが難しいほど、あらゆる食べ物とマッチします。したがって、この際「日本酒には和食」という枠にこだわらず、「えっ!」と思うような料理と合わせてみられるのも一興ではないかと存じます。

 クセのあるチーズと酒。豚の角煮と酒。フレンチやイタリアンと日本酒だって料理によっては、負けず劣らず合ったりします。一見ミスマッチと思える組み合わせが予想外に良ければ、酒の力を再認識していただけるでしょうし、晩酌の楽しみが広がること請け合いです。

 是非お試しあれ!

 

※この文章は竹鶴酒造株式会社様の許可を得て(協力・山枡酒店様)転載したものです。著作権は竹鶴酒造株式会社様にあります。

※11月4日 誤字を訂正しました。



taketsuru at 02:12|PermalinkComments(2)TrackBack(0)第八話 日本酒なら、やっぱり和食? 

2005年10月30日

第七話 料理の邪魔をしない酒=料理に合う酒?

 「つまみがいらない」というのが、良い酒の表現として使われることがあります。また、「本当の酒飲みは、飲むときは食べないものだ」などと言われることもあります。私事ですが、私の父も飲むときは食べない人でした。でも、旨い酒を飲むと何か食べたくなり、美味しい料理を食べると酒を合わせたくなる、というのが健全な酒飲みだと私は思ってます。

邪魔をしないこと水の如し?

 料理雑誌などを見ていると、「料理の邪魔をしないのが、料理に合う酒だ」と言う料理屋さんが結構おられます。そういうお店では、さっぱりとした淡麗の辛口の酒を勧められることが多いようです。

 料理人にすれば、料理の味が第一でしょうから、酒で料理の味が変わるのは嫌なことなのだと思います。しかし、邪魔をしないだけなら、料理と酒のハーモニーは生まれません。料理を一、酒を一としますと、邪魔をしない酒というのは、一足す一が二にしかなりません。料理の味を損なうことはないかもしれませんが、より美味しくすることもないのです。

 食事の時に酒を飲むのだったら、料理も酒も、味をより深く感じられるようにならないと意味がないと思います。それだけでは一つずつの料理と酒を、三にも四にもさせられる酒が、料理に合うといえるのではないでしょうか?

 料理の邪魔をしないという消極的な合わせ方を考えれば、とにかく味の薄い、それこそ“水のような”酒が選ばれるかもしれません。でもそれなら、美味しい水かお茶の方が、よほど気が利いています。

 名酒の例えとして「水の如く、さわりなく飲める」という有名な言葉があります。しかし、ここで言う「水の如く」とは“水のように薄い”こととは違います。引っかかることなく、すべるように飲めるのが良い酒だという意味であって、味の薄さについて述べた言葉ではないのです。それを履き違えて、本当に水のような酒が流行したりもしました。

ご飯のような酒

 私は常々、“ご飯のような酒”を造りたいと言って来ました。日頃振り返られることは少ないのですけれど、ごはんは本当に偉大だと思います。ご飯は何にでも合います。和食はもちろんの事、肉料理や揚げ物などの洋食から中華料理まで、合わせる料理を選びません。美味しい料理にごはんがあれば、料理もごはんもさらに魅力が増します。それでいて、強烈な自己主張をすることもない。当たり前のように食卓にあって、しかも存在感がある。酒造りに携わるようになってからは余計に、ごはんの凄さを感じるようになりました。

 “ごはんのような酒”と言っても、当然、ごはんのような味の酒を造ろうとしているのではありません。ただ、ごはんと同じく、素晴らしい力持つ米から造られるのだから、ごはんのように、どんな料理も幅広く受け止め料理とお互いに高め合えるような酒を目指すべきだと考えたのです。かといって、しゃしゃり出ることなく、料理を引き立て脇役に徹し、かつ存在感のある酒なら最高ですね。

ポイントは“旨味”と“酸”

 では、料理を引き立てる酒とは、どんな酒なのでしょう?

 酒自身も旨く、その上、料理を引き立てるとなると、酒としての力が十分になければなりません。

 酒は、米と水から造られます。酒としての力を備えるには、米と水の力を生かした酒であることが必要です。濃い・薄い、甘い・辛いなどに関わらず、米と水の力が生きた酒ならば、米由来の旨味が感じられるはずです。私は、他の酒類と比べて日本酒が抜きん出ている点は、その複雑な“旨味”だと思っています。

 そして、もう一つのポイントは、“酸”です。

 酒業界では、酸を悪者扱いしてきた歴史があります。何十年か前までは、酒が腐ることも珍しいことではありませんでした。酒が汚染されると酸が増えます。その怖さがのちのちまで引きずられ、とにかく酸を低くする造り方が受け継がれてきました。昔の酒と今の酒では、ずいぶん違いますが、特に酸度は顕著に低くなっています。

 酸は、料理の味を受け止め、味を切り、飲んだり食べたりのリズムをつくります。次の一箸、次の一杯へ誘うのが酸なのです。ですから、酸の乏しいような酒は食中酒には向きません。

  複雑な旨味とそれを支える多様な酸は、酒と料理双方の魅力を増し、食事のひとときを一層充実させてくれるのです。

 

※この文章は竹鶴酒造株式会社様の許可を得て(協力・山枡酒店様)転載したものです。著作権は竹鶴酒造株式会社様にあります。



taketsuru at 02:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)第七話 料理の邪魔をしない酒=料理に合う酒? 

2005年10月28日

第六話 吟醸酒は、香りが命? その二

「吟醸酒のお燗を飲まれたことがありますか?」

こう訊ねると、たいていの人はびっくりします。

「吟醸酒って、お燗にしてもいいんですか?」

と逆に訊かれたりします。

「吟醸酒は冷やで飲む」というのも常識となった感がありますが、実は、“吟醸酒だから”お燗してはいけないのではなく、お燗に向かない吟醸酒が多いだけなのです。

楽しめなくっちゃ、酒じゃない

 私は、日本酒の持ち味を、その度量だと考えています。つまり、

☆いろんな温度で飲んで楽しめる

☆幅広く料理と合わせて楽しめる

☆熟成による変化もまた楽しめる

といったどのようにしても楽しめる懐の深さが、日本酒の真骨頂だと思うのです。この三要素を満たし、かつ飲み飽きせずに飲み続けられる酒なら、それは秀でた酒だと言えるでしょう。

 無論、吟醸酒といえども、れっきとした日本酒です。それなら、以上のような楽しみ方ができなければ、酒としては物足りません。ところが、香りプンプンの吟醸酒は、この三要素のどれにも当てはまらないのです。

★お燗すると、ただでさえ高い香りが鼻につき旨くは感じられない

★香りの高さが、料理と合わせる邪魔になり、食事も酒も進みにくい

★香りの成分は劣化しやすいので、よほど気をつけて熟成させなければ、不快な香りになる

それに高い香りの吟醸酒を飲み続けるのは、好きな人でもしんどいと思います。

 本当は、飲んで旨いかがすべてのはずです。ところが、今までの酒業界では、「香りさえ高ければ」という意識が強すぎたきらいがありました。品評会、鑑評会などの審査も同じく、不幸なことに、飲むことを第一に考えられてきたものではありません。“全国新酒鑑評会金賞受賞酒”などというと一般の方は「どんなに旨い酒だろう?」とお思いでしょうが、品評会・鑑評会の入賞酒のほとんどは、少なくとも私にとって、決して旨いとは思えない酒なのです。

 「品評会、鑑評会は技術を競う場であって、旨い酒のコンテストではない」、「出品酒は審査のために造られているのであって、飲むための酒ではない」と喝破した審査員の先生もおられました。そこまで割り切った言い方ができるのは尊敬に値しますし、それもひとつの見方ではあるでしょう。しかし私は、酒造りの技術は旨い酒を造るためのものだと思っていますので、技術を競った挙句、旨くない酒ができるということに納得がいかないのです。

旨さ極めて吟醸酒

 第五話からここまでの文章をお読みになると、「吟醸酒って美味しくないのか」と思われることでしょうね。しかし、「吟醸酒」そのものに罪はありません。飲む旨さを追求せず、香りにこだわった吟醸酒が「吟醸酒」のイメージを狭めているだけなのです。先に述べたような日本酒の幅広さ、奥深さを見せてくれる吟醸酒だって、もちろんたくさんあります。また、特にこれからは、飲んで旨い吟醸酒がどんどん出てくるはずです。香り重視の方向性が行き詰ったことに気づいた造り手が増えてきていますから。それに品評会、鑑評会の姿勢も変わりつつありますし、その権威も昔ほどではなくなったので、そういう価値観にとらわれない、個性的な吟醸酒も続々と生まれるのではないかと期待しているところです。

 そもそも、吟醸酒は旨くなければなりません。なぜなら、最高級の酒米を惜しげもなく高精白し、杜氏、蔵人が精魂込めて造った酒が旨くなかったら、お米ももったいないですし、せっかくの努力が水の泡です。香りにこだわり、旨さを犠牲にするなんてナンセンスだと思います。

 私は吟醸酒をいうものは、もっと大きな可能性を秘めていると信じています。実際に現在でも、驚愕すべき旨さの吟醸酒は存在します。私が今までに味わえたすばらしい吟醸酒たちは、ワインなど、他のどんな酒と比べても引けを取らない逸品でした。それらの香りはおだやかで上品です。そして、お燗すれば旨さが増し、美味しい料理とはお互いが引き立て合い、熟成させて味が深まります。そんな吟醸酒なら、飲み飽きするどころか、ずっと飲み続けていたいと思わせてくれるのです。

 みなさんには、銘柄とか品評会の成績にとらわれず、ご自身の心と身体に合うかどうかを、感性で判断していただきたいと存じます。

 私も、飲んでくださる方が感動を覚えるような吟醸酒を造れるよう、今後も精進する所存です。

 

※この文章は竹鶴酒造株式会社の許可を得て(協力・山枡酒店)転載したものです。著作権は竹鶴酒造株式会社にあります。

 



taketsuru at 02:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)第六話 吟醸酒は、香りが命? その二 

2005年10月24日

第五話 吟醸酒は、香りが命? その一

香れば尊し?

 不味い酒ばかり飲んで(飲まされて)日本酒嫌いだったのに、吟醸酒を飲んで日本酒好きになったという人には、私も数多く出会いました。それほど、吟醸酒の出現は衝撃的でした。そこで生酒と同様、吟醸酒こそが新しい時代の日本酒だと思われたこともありました。

 実は、吟醸酒というものは、かなり古くから造られています。良質の酒米を選んで高精白し、杜氏や酒蔵の名誉を賭けて仕込まれる吟醸酒は、まさに最高峰の酒でした。精魂込めて造られ、出来の良い酒に仕上がったとき、えも言われぬ芳香が漂い、それは「吟醸香」と呼ばれました。

 その頃は、なぜ香りが出るのかという理屈などわかりません。吟醸香は、心血注いだ結果恵まれるものであって、狙って出せるようなものではなかったのです。

 このように、もともと吟醸酒の香りというものは、その名の通り、吟味して醸した結果であったはずなのに、いつしか香り自体が目的となっていきました。吟醸酒の歴史とは、香りを出そうと苦心してきた足跡だとも言えるでしょう。

 吟醸酒造りにみんなが必死になった背景には品評会や鑑評会の存在があります。品評会、鑑評会での入賞は、蔵元や杜氏にとって最高の名誉であり、それ以上ない宣伝効果をもたらすものでした(過去形)。そして入賞率を高めるためには、香りを出すことが一番だったのです。

 業界全体が、いかに香りを出すかという課題に精力を傾け、それに伴って、香りの出やすい造り方が考えられてきました。そうした努力の甲斐があってか、香りの高さについては、現在、行き着くところまで行った感があります。

 「香りがもっと出れば…」と追求をし続けてきた結果、プンプンするほどの香りを出すことも可能になりました。では、果たして今の吟醸酒は、本当に最高峰の酒になり得たのでしょうか。

 残念ながら、答えは否です。

そして酵母…

 問題は、いかに香りを出すかということに焦点が合わされてきたことでした。前にも触れたように「まず香りありき」というのは、そもそもの吟醸酒の成り立ちからしたら、目的と結果が逆です。吟醸酒を日本酒の最高峰と位置付けるのなら、本当は、酒の底力が見えるような旨い酒を目指さなければならなかったのに、香りにとらわれすぎたのだと思います。

 現在、香りを高く出せるようになった大きな要因に、「酵母」の開発があります。酵母は酒の発酵を司る微生物で、要するにアルコールを造ってくれるのですが、同時に酸や香りも造ります。その特性に着目し、酵母によって香りを高めようとする研究が進められてきました。最近は、バイオテクノロジーの進歩もめざましく、日本中でさまざまな酵母が開発されています。特にこの十年というもの、酵母開発によって、吟醸酒の香りの量は飛躍的に伸び、以前では考えられないような香りの高い酒が造られるようになっています。

 酵母だって生きものです。バイオテクノロジーと言えば聞こえはいいのですが、生きものの命に手を加えるということでもあります。工業製品ではないのですから、酵母を“開発する”という発想そのものが、私には不自然に感じられてしまいます。現在の香りの高さは、自然界ではありえないレベルのものです。酒を自然の恵みだと信じている私は、お客様がいくら望まれたとしても、そういう酵母を使って、プンプン系の吟醸酒を造る気になどなれません。

 また昔と今とでは、香りの量だけでなく、質も違います。「香り」とひと口に言っても、多様な香気成分が集まったものなのですが、最近の酵母開発は、ある特定の香り、(専門用語で申し訳ないですけれど「カプロン酸エチル」という成分)が高くなることを狙ったものがほとんどです。この香りは、量を増やしたところで酒の旨さにはなんら貢献しませんし、とても“旨そうな”香りとは感じられない、と私は思っています。

 最近は、「吟醸酒で日本酒を好きになった」人よりも、「吟醸酒は苦手」という人に会うことの方が多くなってきました。飲み手としての私も、高い香りの吟醸酒には魅力を感じません。ただし、そういう酒があることが問題ではないのです。酒の好みも人それぞれですし、高い香りで日本酒に目覚める人もいるでしょうから。しかし、それこそが吟醸酒だ、最高の日本酒だと言われても困る、というのが私の本音です。

 ※この文章は竹鶴酒造の許可を得て(協力・山枡酒店)転載したものです。著作権は竹鶴酒造にあります。



taketsuru at 03:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)第五話 吟醸酒は、香りが命? その一 

2005年10月23日

第四話 良い酒は冷で飲むべし?

温度が変われば味変わる

 お酒はお燗をして飲むのが当たり前、という時代が長くありました。しかし酒業界にとって、お燗が前提というのは、冬はいいけれども暑い夏には苦しい。そこで、夏でも酒を飲んでもらうために、さまざまな努力をしました。その努力が実を結んだのが「生酒」でした。その後保冷流通が普及し、生酒は、夏場に需要が落ち込む日本酒業界における救世主のように思われたのです。

 日本酒業界は、「お燗=オジサンくさい」といったイメージを払拭するためにも、フレッシュな生酒を冷やして飲む、というさわやかさを、ここぞとばかりに前面に押し出しました。酒造組合を挙げて“ジャパナマ・キャンペーン(生酒を冷やしてグラスで飲もう)”なども行われました。

 飲むときの酒の温度は好みの問題も大きいので、ご自由にお楽しみいただければよいことです。ただ、食べもの、飲みものは、すべて温度によって味の感じ方が変わります。そして、一般的に日本酒は、冷たくするよりも温かくする方がその魅力を発揮しやすいのです。なぜかと言えば、温めたときに感じやすくなる旨味成分の割合が、他の酒と比べても断然多いからです。したがって、本来の、酒らしい酒ならば、キンキンに冷やして飲むことの方がもったいない(味を感じにくいので)、と私は思います。

「冷や」は常温

 酒を冷蔵することが普及したがために、もうひとつ間違った常識が生まれました。それは、冷蔵庫で冷やした酒を「冷や」と呼ぶようになったことです。本来、酒の「冷や」とは常温のことです。昔、燗をつけて飲むのが普通だった頃、お燗酒に対して、そのまま飲む酒を「冷や」と呼んだのです。冷蔵庫なんて、最近のものですから。

 第三話でお話したように、酒質を変化させたくないなら、冷蔵庫に入れるのはひとつの方法でしょう。しかし、その温度は保存のためのものではあっても、飲むために最適な温度とは違います。

 ところが、冷蔵庫に入れることが酒の管理だとされるようになってからというもの、飲みに行って酒を注文すると、冷蔵庫で冷やした酒をそのまま注がれることが多くなりました。「冷酒」のメニューには銘酒がズラリ並んでいるのに、「燗酒」に銘柄はなく、ただ「お燗酒」としか書かれていないなどということも珍しくありません。そんなお店で「冷酒」の欄の銘柄をお燗してもらえるか訊くと、「デリケートな酒だから、お燗なんてできない」と怒られる始末です。

ひと手間かける温かさ

温めて飲むと旨いというのは、日本酒の特筆すべき美点です。お燗して旨くなることを「燗上がり」と言います。燗上がりすることが、酒らしい酒の第一条件だと私は考えています。つまり、お燗をつけたくらいで崩れるのは、デリケートというよりも、過保護に育てられた“甘ちゃん”か、酒としてあるべき何かが欠けている(あるいは、余分なものが加わっている)かだと思います。

ファーストフード世代には、お燗をつけるという手間が敬遠されました。しかし、ひと手間かけるということこそが食文化の基本です。お燗をつけ、地場の食材(高価のものという意味ではありません)を料理して食べることは、生活を豊かにする「スローフード」の最たるものではないでしょうか。

 いつも“冷や”しか飲まれない方も、是非一度、“お燗”に挑戦していただきたいと存じます。いつもと違う味わいを感じられるはずです。そして食べものと合わせても“冷や”とは異なる相性を見せてくれることでしょう。

 また、一概に「ぬる燗に限る」といったものでもありません。神経質になる必要はないのです。ぬる燗、熱燗と味の感じ方も変わりますし、一旦熱燗にて冷ましたのが旨いという酒もあります。合わせる料理によっても適温は異なります。それに厳密に温度を合わせたつもりでも盃に注ぐだけで温度は下がりますし、飲んでいるうちに徳利の中の酒だって段々冷めていきますので。

 真っ当な酒なら、どんな温度でもそれぞれの美味しさがあります。ですから、あまり難しく考えずに、冷やから熱燗、燗冷ましまで、いろんな温度でお試しいただければと思います。そのうちに自分の好みの温度もわかってきますし、酒の楽しみが広がるに違いありません。

 ※この文章は竹鶴酒造の許可を得て(協力・山枡酒店)転載したものです。著作権は竹鶴酒造にあります。



taketsuru at 02:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)第四話 良い酒は冷で飲むべし? 

2005年10月22日

第三話 酒は新しければ新しいほど良い? その二

時の流れに味をまかせ…


 酒のラベルに表記してある「製造年月日」は、ほとんどの場合、酒を造った(搾った)時期ではありません。瓶に詰めた時期、あるいは出荷の時期というのが一般的です。つまり、何年も熟成させた酒を新たに詰めなおしたり、出荷したりすれば、酒は古くとも新しい商品になります。
 要するに、表示された製造年月日よりも、いつ造られた酒なのかということのほうが、酒が新しいか古いかの目安になるわけです。
 蔵元は、酒の味のピークを見極めて出荷しようとするはずです。しかし、では、瓶に詰めてから時間が経てば経つほど味が落ちていくのかと言えば、そうではありません。また「瓶に詰めた酒は、劣化はしても、(良い意味での)熟成はしないのでは?」とお考えの方もいらっしゃると思いますが、酒は、瓶に詰めてからも熟成します。ですから、熟成すればしたなりの味わいが楽しめるのです。
 それと、きちんと保管された(冷蔵という意味ではありません→後述)真っ当な酒なら、あまり日付を気にする必要はないということも申し上げておきます。酒は“生きもの”ではありますが、生鮮食品とはちがいますので。 ところで、竹鶴の酒は老香がする、とよく言われます。もちろん香りは酒質に結びついたものでありますから、老香にも良し悪しがあります。ひとりよがりな言い草ですけど私どもの酒の老香は、悪い方の香りと違います(当たり前ですがそう思ったら出荷しません)。
 とは言え、酒は嗜好品なので、熟成した香りを嫌う人がおられても不思議はないでしょう。それでも、あえてそういう酒を造りつづけているのは、熟成によって変化(深化)する酒の魅力を味わっていただきたいからです。それに、熟成に伴う味や香りを好む人が多いことも事実ですし(私達も大好きです)、決して不自然なものではないことはご理解いただきたいと思います。


冷やすばかりが 能じゃない  

 ここでもう一つ「間違いだらけの酒常識」を挙げておきましょう。それは“良い酒は冷蔵庫で保管すべき”というものです。
 吟醸酒、生酒などが商品として流通するようになって以来、管理するという言葉は、冷蔵することと同じ意味に解釈されることが多くなりました。それまで酒の管理ということがあまり考えていられてなかった反動か、造り酒屋も酒販店・料飲店も、とにかく冷蔵庫で冷やさなければという強迫観念に駆られたように、冷蔵設備を導入したのです。冷蔵庫の数や大きさが、品質管理の指標とされるようにもなりました。
 本来の意味の品質管理とは、そのお酒のもつ力を最大源に引き出すことのはずです。確かに、酒質が変化しないように保つためでしたら、きつい濾過をかけ、とにかく低温で貯蔵するのがベストでしょう。濾過をかければ、変化する成分は減って味は変わりにくくなりますし、貯蔵温度を低くするほど、熟成の進みは遅くなります。しかしそういう管理は、酒に本領を発揮させることとは必ずも一致しないのです。熟成によって酒の旨さを際立たせようとする場合の「寝かせる」は冷蔵庫などでただ冷やすことに限りません。冷蔵保存については、熟成させて変化を期待するというよりも、とにかく酒を劣化させたくないという理由の方が強いように思います。
では、冷蔵しなければ、酒の品質は低下してしまうのでしょうか?
 もちろんそんな事はありません。日本酒を保存する場合、光(日光や蛍光灯の光)に当てたり、熱源(コンロやストーブなど)のそばに置いたりさえしなければ、常温保管でも問題はないのです(生酒以外で、酒質が強いことが条件ですけれど)。 本当は酒によって適正な貯蔵温度が違うはずです。どのくらいの温度で、どれだけ長く寝かせれば飲み頃になるのか、その方程式はありません。結果が出るのに時間がかかることでもあり、全国の蔵で、現在も試行錯誤がつづけられています。
 みなさんも「これは!」と思う酒があったら、世界に一本しかない“マイ熟成酒”造りに挑戦されてはいかがでしょう。光が当たらぬように箱に入れるか紙で包むかして、押入れなど温度変化の少ない場所で何ヶ月、何年と寝かせてみると楽しいですよ。不味くなっても保証はできませんけど(笑)
 竹鶴の酒なら、どうぞ何年でも熟成させてみてください。少々寝かせたくらいでおかしくなるような造りはしてないつもりですので。


 ※この文章は竹鶴酒造の許可を得て(協力・山枡酒店)転載したものです。著作権は竹鶴酒造にあります。



taketsuru at 05:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)第三話 酒は新しければ新しいほど良い? その二 

2005年10月17日

第二話 酒は新しければ新しいほど良い? その一

古酒の味をご存じないのね

 お客様から「酒はどのくらいの期間なら品質を保てるのか」とよく尋ねられます。また、「酒をずっと置いておくと酢になる」、「早く飲まなければ酒が腐る」と心配している方もいらっしゃることでしょう。

 あまり知られていないことですが、実は、酒に賞味期限はありません。生酒や生詰めの酒以外の商品は、瓶詰め時に火入れという加熱殺菌を(牛乳などで言うところの低温殺菌)してあります。つまり、きちんと処理されていれば無菌状態です。酢になったり、腐ったりというのは酢酸菌や乳酸菌の仕業なので、開栓しない限り、まず安心です。また生酒についても、冷蔵さえしておけば、何ヶ月程度でおかしくなる可能性は非常に低い、と思っていただいて結構です。(ただし、最近流行の、度数が低い=(十五度未満)商品は要注意!)

 さて、日本酒が方向を誤ってきた点はいくつもありますが、その一つが熟成についてです。本来、酒を「造る」工程には「熟成」も含まれているはずなのですが、特に生酒が商品化されてからというもの、フレッシュさばかりが重視され、熟成は軽んじられるようになりました。

 酒の審査や品評会などにおいても、「老香(=熟成が進むにしたがって出てくる特有の香り)」は欠点として指摘され、「古い」イコール「良くない」というイメージが定着しています。

 しかし、世界中のどんな酒でも、熟成タイプほど珍重され、高級な扱いを受けます。ウイスキーやブランデーなど、熟成酒のラベルに「**years old」などと誇らしく書いてあるのは、みなさんもよくご存知でしょう。醸造酒においてもワインはいわずもがな、ビールでさえ、イギリスのエールやスタウト、ベルギーのトラピストなどには、何年も寝かせるタイプもありますし、お隣の中国には、その名も「老酒」という酒があり、古さに価値が置かれています。

ウーン、寝(かせ)てみたい

 熟成している酒の中では、様々な化学・物理反応が実にゆっくりと進んでいます。その現象についてはかなり研究されていますが、解明しきれない部分もまだまだ残されています。酒とは、それほど複雑な、まさに“生きもの”なのです。

 一般的には、熟成されると、当然ながらフレッシュさは失われる半面、味の角が取れ、まろやかな感じになります。また、旨味も乗ってきて、味に奥行きと幅を感じられるようになります。色は濃くなり、熟成香や老香が出てきますが、これは好みの分かれるところです。

 どんな酒にも共通して言えることですけど、寝かせた味がまろやかになるのは、時間をかけて熟成する間に、酒の中のアルコールが、水など他の成分と結合することによって、刺激が少なくなるからです。それは体内への吸収もゆっくりで、酔い心地もおだやかになりやすいということです。つまり熟成酒は、より身体にやさしい酒だともいえましょう。

 実は、日本酒にも長い年月(五年〜三十年)熟成された古酒はあり、積極的にそういう酒ばかり商品化している蔵もあります。しかし、世間での古酒の認知度はまだかなり低く、それに比例してか、熟成についての理解が広まっているとは言い難いのが現状です。そんな風潮から“酒は、新しければ新しいほど良い”という誤解が生じているのかもしれません。

 古酒まで行かなくても、数ヶ月寝かせるだけで酒の味は変わります。昔は、冬に仕込み、春に搾った新酒を桶に囲って封印し、夏を越すまでは寝かせました。ひと夏越してさけが旨くなることを「秋あがり」を言いますが、、杜氏は「秋あがり」を目標に酒を造っていたのです。このように、熟成によって味が深まり、それを季節感とともの味わえるのも、日本酒ならではの楽しみです。 

 確かに、搾りたての新鮮な酒にも捨て難い魅力があります。しかし、「新酒を味わうだけでは、本当の酒の味を知ったことにはならない」と言っても差し支えないでしょう。熟成した酒お深い味わいこそは、若い酒には持ち得ない、酒本来の醍醐味だと思います。少し女性には失礼ですけど、古来「酒は古酒、女は年増」という言葉があるくらいです。この場合の古酒とは、何年も寝かせたものではなく、夏を越した酒の事ですが、昔の人には、熟成の重要性がよくわかっていたのではないでしょうか。女性の事はともかく、酒が熟成することによって真価を発揮するという意味では、現代にも通じる言葉だと思います。

 

※この文章は竹鶴酒造の許可を得て(協力・山枡酒店)転載したものです。著作権は竹鶴酒造にあります。

※2005/10/19 誤字を訂正しました。



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