・最優先で推理するべき推理対象とは
こんな…こんな真相が…………初めての経験です……頭の整理がつきません。今私が感じるこの感情は何なのでしょう。出題者の出題した問題を探偵が解く。そのような推理対決の先にまさかこんな真相が……ハッキリ言いましょう。真相を特定しました。しかし、その真相の内容があまりに……あまりに……何と言っていいのか。とてもとても悲しい物語です。しかし、最後の最後に本当にハッピーエンドがあった。とても美しい真相です。こんなミステリーはかつてない。凄い。素直にそう感じます。私の至ったこの真相が本当に真相なのかは分かりませんが、そう信じるに足るものだと確信します。そうですか。この物語の魔法とは、悲しみを優しさで覆うものだったのですね。なるほど、それが黄金の真実という事ですか。私の言う真相とは事件部分のトリック、犯人、猫箱の中身の事を指しません。私が特定したと言っている真相とは、このカケラの物語の「本当の現実世界で執筆者十八に起こった出来事、そしてその結末」です。なるほど、だからプルガトリオなわけですか。実に丁寧な伏線を張ってくださったものです。

ふぅ。少し落ち着いてきました。この物語のカケラに置いて優先的に解かなければならないのは、事件のトリックでも犯人でもありません。86年に本当の現実世界でヤスという人物は何をしようとしているのか。ここの完全な特定です。これがこの物語の真相に至るための鍵です。逆に言いましょう。ここを解かなかった場合、真相特定は不可能です。100%不可能。断言できます。なぜなら、執筆者十八の物語というのは、86年にヤスという少女が起こした事件の先に存在するからなのです。悲しい事件が86年に起きた。その結果十八に一体何が起こったのか。彼は別に記憶喪失になって、記憶を取り戻し、その記憶を整理したかった訳ではありません。あまりに悲しい、悪意に満ちた事実を十八は突き付けられた。それが、おそらくはこの物語の真相なのです。

・連鎖情報AとB
まず86年にヤスという少女は何をしようとしていたのか。まず台風という要素を考えます。ゲーム盤世界で事件当日に台風が必ず直撃しますね。現実世界でそんな事はありえません。毎年同じ時期に来る事が多いのだとしても、親族会議当日に100%直撃するなんてのはファンタジーです。なので、当然ヤスという少女は事件当日に台風が来るのか来ないのかを考慮に入れていないのです。台風が来ようが来まいがどうでもいい。これはつまり、台風が来ずに、外界から孤立しない状況でもヤスにとって全然問題はないのだと推測できます。つまりは狂言である可能性が高い。まずはこれを連鎖情報Aとします。次にキャッシュカードの件ですが、第4のゲームにおいて事件前に遺族に向けて20枚以上のキャッシュカードを送っている事が判明しています。これは「共犯者の口裏合わせのための協力金」という考え方は実際の島の人数よりはるかに多い数を送っているのですから違うでしょう。つまり普通に「人殺しの謝罪のためのお金を送付している」と考えられます。これが連鎖情報Bです。連鎖情報AとBは矛盾します。事件は狂言の可能性が高いのに、遺族に謝罪金を送っているのですから、これは整合性が取れません。つまりは、86年に何をしようとしていたのかは、こういった状況証拠からの推理では特定不能だという事です。よって、方向性を変えます。

・動機特定2段階方式 目的特定と具体的計画特定
ヤスが86年に一体何をしようとしているのか。その目的の特定。そして、その目的達成のために、一体どういう手段を取るのか。計画内容の特定。この2段階方式で行きます。真犯人クレルは事件の2年前まで語って「これで分からないのならもう何も語りません」と言いますが、ここから「動機特定のための情報を出し終えた」と判断できます。重要なのは彼女の言ったこのセリフでしょう。「決闘はしたのです。決着もつきかけていた。でも86年という年は余りに無慈悲が過ぎた。なぜ86年だったのか…」決闘という言葉に聞き覚えがありますね。戦人さんが紡いだ第6のゲーム。恋の試練の決闘でしょう。あそこで同一人物トリックが明かされました。クレルは言います。私は自分の、自分達の運命すら決められなくて、全てをルーレットに委ねたのだと。つまりは、86年に戦人さんが帰ってきてしまった事により、譲治と結ばれるべきか、戦人と結ばれるべきか決められなくなってしまったのでしょう。

・恋のルーレット
現実世界のヤスという少女がゲーム盤同様に多重人格者だったのか、という点は疑問がありますが、分かりやすくするために便宜上人格を用いて考えましょう。86年の時点で紗音は譲治に恋をし、ベアトリーチェは戦人に恋をし、嘉音は朱志香に恋をしている。恋が並立していますね。物語から読みとれる出題者の主張は「恋をする資格は男女一組。愛する人は一人でなければならない」です。同時に複数の人間に恋をする事は許されません。つまり、86年の事件のヤスの目的というのは「自分の複数の恋をルーレットにより、乱数発生機に決めてもらう事」なのでしょう。前提としてヤスは自分の意思でそれを選べません。なので言わばサイコロを振るように、出た目に書いてある名前で決めようと。86年にヤスと言う少女は事件というサイコロを使って、恋に決着をつけようとしていたのです。これが目的、です。ベアトリーチェさんのゲーム盤でベアトリーチェさんは、戦人さんに約束を思い出してもらおうとしていましたね。「ベアトは、あなたに解いて欲しいと願って、解けるようにこのゲームを、……この物語の謎を生み出しました。」のような赤字も出ていますし。碑文殺人は戦人さんとベアトリーチェさんの恋を叶えるためのルートでしょう。碑文殺人の真相に至ると、第5のゲームの戦人さんのように、犯人に対する心象がガラッと変わります。おそらく事件部分は狂言を前提にしているのでしょうが、そう言った部分の計画特定は後でやりましょう。碑文の謎を解く、という行為はゲーム盤で何度も言われたように、犯人が自発的に事件を中断するための設定です。つまりは碑文殺人=戦人ルートの中断となる訳ですから、この場合、元々恋が成立している紗音さんが譲治と結ばれるルートなのでしょう。

・嘉音朱志香問題
さて。問題は嘉音さんです。本編の伏線、手掛かりを見る限り、事件の本質について明確に情報提示がされたのは第5のゲームです。一族が碑文を解き、黄金を発見しますが、あのシーンの後にメタ世界の戦人、ワルギリア、ベアトリーチェさんのシーンが挿入されます。そこで明確に情報提示がされてる訳ですが、86年の事件の本質は碑文と碑文殺人だと語られてます。天秤の例えで難しい言いまわしがされますが、要は、天秤に碑文と碑文殺人を載せ、どっちに傾くかをベアトリーチェさんは目的にしている、と語られています。つまりは戦人ルートか譲治ルートな訳ですが、朱志香ルートという情報提示がされていないのです。86年の事件の本質はヤスという少女の恋を乱数発生機に決めてもらう事な訳ですから、当然嘉音さんと朱志香さんの恋が現実世界でも存在するのならば、「事件中に有無を言わさず嘉音が勝利するルート」というものが存在しなければなりません。それが事件を起こす目的なのですから。これは推測が混じるので私としては悔しいのですが、恐らく現実世界で嘉音さんというのはいないのでしょう。もしいるのなら、嘉音ルートが事件に組み込まれていないとおかしい。それが存在しないという事は、恐らくはそういう事なのでしょう。嘉音さんについては根拠構築が曖昧なのが否めませんので一旦保留です。

・計画特定
次に具体的計画ですが、実際の86年の事件でヤスという少女は、自身の恋に決着を付けるために、どういう事件を想定しているのか。具体的事件内容の特定に移ります。踏まえないといけないのは、最初に構築した連鎖情報AとBです。これに矛盾せずに、なおかつ、ヤスという少女の恋の決着がつく事件内容を考えなければなりません。まず碑文が解かれる、という要素を考えましょう。事件前日に碑文が解かれた場合、誰も死ぬ事なく事件が中断され終わりますが、問題なのは第3のゲームのように事件中に殺人が発生した状態で碑文が解かれるケースです。ヤスという少女が人殺しをするケースを想定した場合、事件前日に碑文が解かれる事と、事件中に碑文が解かれる事の意味合いが変わってきます。単純に考えましょう。人を殺した人物の恋が叶うと思いますか?これは戦人ルートにも関係する重要なポイントです。碑文殺人のメッセージから約束を思い出すベアトリーチェさんのゲーム盤は、結局ゲーム盤はチェスのようなもので、駒が死ぬというような意味合いしかないために、特に問題が発生しなかった訳ですが、現実世界ではそうはいきません。人を殺した人物との過去の約束を思い出したからからといって、その人の恋が叶うと思いますか?常識的に考えてあり得ません。そして実はこれは作品に提示された次の連鎖情報と矛盾します。

<特別条項>
契約終了時に、ベアトリーチェは黄金と利子を回収する権利を持つ。ただし、隠された契約の黄金を暴いた者が現れた時、ベアトリーチェはこの権利を全て永遠に放棄しなければならない。利子の回収はこれより行いますが、もし皆様の内の誰か一人でも特別条項を満たせたなら、すでに回収した分も含めて全てお返しいたします。

事件前日までにヤスという少女が海に投棄したメッセージボトル、第一のゲームで出てきた魔女の手紙の内容です。「すでに回収した分も含めて全てお返しいたします」利子とは右代宮家の人命が含まれる事が明示されています。殺した人物が碑文を解く事で生き返る。これが成立する状況は、狂言殺人だという事です。つまり少なくとも、第8の晩までの殺人事件のミステリーの物語の段階までは殺人を実行してはいけないという事です。実行すると事件を起こす目的そのものが達成不可能になります。ここまでの情報にキャッシュカードの情報である連鎖情報Bを踏まえた場合、ヤスという少女の動機、計画が全て特定可能です。

・完全特定完了
事件は第8の晩までは狂言殺人で実行し、第9の晩を迎えると爆弾による皆殺しを行う。事件中にこの爆弾による皆殺しが発生する前までに、碑文が解かれる、あるいは碑文殺人の真相に戦人さんが至る、このルーレットが出る事をヤスは願っている。恐らく、この爆弾による皆殺しとは作中で何度も語られた「右代宮家の天文学的確率から一を拾う奇跡の魔法」という事でしょう。奇跡はリスクに打ち勝ってこそ叶うという金蔵の魔法体系の思想ですね。爆弾による皆殺しというリスクを背負ってまで事件を起こした結果、それでも碑文が解かれる、あるいは碑文殺人の謎が暴かれるという奇跡が起こるのなら、きっとヤスという少女の恋も叶う、そういう思想でしょう。

・実際の六軒島では計画はどうなったのか
さて、これを前提にして「じゃあ実際の六軒島ではヤスのルーレットはどうなったのか」を考えましょう。事件前日に碑文が解かれましたね。つまり、「譲治ルートが確定した」という事になります。ベアトリーチェさんは第七のゲームの惨劇の物語で、貴賓室で死んだような顔をしていましたが、あの時の彼女は譲治ルートが確定し、自分の人格的な死を受け入れた状態だったのだと推測できます。だから、何度もベアトリーチェさんを殺す手段は一つだけあると語られていたのですね。さて、問題になるのは譲治がこの後殺されてしまう事です。ヤスという少女の目的は何度も言うように、自身の恋の決着にあります。そしてその奇跡が見事に叶いました。碑文が解かれました。しかし、碑文が解かれたのに、譲治が死んでしまった。これでは碑文が解かれた意味がないわけです。譲治との恋はこの瞬間消えました。さて、潜水艦基地の方に逃げた戦人さんとベアトリーチェさんですが、事件前日に碑文が解かれてしまったため、碑文殺人を中断しています。つまり、戦人さんが約束を思い出すための手段を中断してしまったために、戦人さんはあの時点でヤスの恋心に気付いていない可能性がかなり高いわけです。そもそも彼女の中で譲治ルートが確定しているのですから、約束を思い出していない戦人さんと恋が叶うなんて方向はないでしょう。自身のルールに抵触しますし、戦人さんも何も気づいていない。打つ手がありません。

ではあの場面で爆弾による心中が可能なのかどうかですが、一族にすでに説明してしまってるあの状況ではもう無理でしょう。入水の時点でヤスという少女には、事件前に想定していた選択肢が全て消えてしまったのだと推測できます。このような状況に陥ったヤスは一体どういう選択をしたのでしょう。可能性として一番高いのは最後のゲームで描かれた通りの、入水自殺でしょう。こんな事件を起こしてまで願った自分の恋のルートが全て消えてしまった。譲治が殺された責任も感じてるでしょう。

・八城十八とメッセージボトル
86年の事件はこれで幕を閉じる訳ですが、問題になるのは戦人さんです。彼は事件後に十八として偽書を書いていますね。当然事件の真相に至っている訳ですが、しかし実際の六軒島ではそもそも出題がされていない。戦人さんが真相に至るには、ヤスという少女の殺人事件の物語に最低でも一回は触れないといけません。では、現実世界の戦人さんが、現実世界で初めて殺人事件の物語に触れたのはいったいいつなのか。

幾子という女性の家で、PCでメッセージボトルの物語を見た時、です。

事件後にヤスという少女の恋心に、完全に手遅れになって気付いたという事になります。事件後にメッセージボトルの嘘というメッセージと犯人の正体から、約束を思いだした。もしかすると入水の瞬間に思い出せていれば、彼女は自殺しなかったかもしれません。それが恐らくは、この物語の真相なのでしょう。もちろん十八さんは苦しんだでしょう。彼が語る自殺未遂とは、これが原因なのかもしれません。しかし、そういった全ての苦しみが最後の福音の家の黄金郷で天国の彼女に届いたのではないですか。それが「この物語を最愛の魔女ベアトリーチェに捧ぐ」の意味なのでしょう。第5のゲームで戦人さんがベアトリーチェさんの真相にもっと早く至っていたなら、と絶叫していましたが、あれは執筆者十八さん自身の事なのでしょうね。この物語は、ヤスという少女の真相に至るのがあまりに遅かった十八さんの、謝罪の物語なのでしょう。

・叙述トリックの絶妙なさじ加減
改めて思うのですが、この物語は色々と特殊な気がしますねぇ。もちろんロジック的に解けはするのですけど、それがフェアなのかと言われるとギリギリフェアだというラインにいる感じですし。例えば金蔵さんが第一のゲームで出てくるでしょう。普通小説の世界で3人称の文章表現で金蔵さんが描かれると、それは客観的な事実であって、実は嘘でしたなんて論法は通用しません。それでも実は死んでいましたと言われると、普通は「そういう特殊ルールを採用してる物語である」となる訳ですが、この物語はそうではなく、「その客観的3人称視点すら私見だった」となっているわけです。つまり「金蔵さんが生きているという私見を執筆者ヤスが描く。執筆者が神ではなく、私見の入る人間であるため、死んでいるという可能性も否定できない」となるわけです。これがミステリーとして成立してるのはもちろんなのですが、どうも叙述トリックとして微妙なラインにいるような感覚がするのですよね。別にアンフェアだとは思いませんが。

これは魔法についても同様です。魔法が描かれても、それを人間の執筆者が書いている限り、真の意味での真実は保証されません。魔法という表向きの描写の裏で、ミステリーで解釈可能な可能性も考慮しないといけない訳です。何しろ物語の地の文が神の視点ではないのですから。これ要は原文に魔法が描かれているという事で、ファンタジー解釈に完全にとどめを指すんですよね。無いんです魔法世界なんて。魔法を描いてミステリーでも解釈可能なんて無茶苦茶が通用するのは、こういう特殊なケースだけでしょう。そうでないとロジックエラーが発生します。

・この世界で描かれる魔法とは
さて、物語的な真相は一応ひと段落しましたが、この物語において出題者が強烈に主張する「魔法」について考えなければなりません。魔法とはそもそも具体的にどういう定義の物なのか。作中で2つのシーンが該当します。第4のゲームの黄金郷でのさくたろうの復活、そして第6のゲームにおいてのキャンディーの魔法です。第4のゲームにおいて極めて重要な縁寿さんのセリフがあります。さくたろう復活をベアトリーチェさんが祝福しますね。そこで縁寿さんはこういうセリフを言うわけです。

「それが魔法の根源よね。愛がなければ、悲しみがなければ、怒りが無ければ、魔法は見えない」と。

魔法を見るには、愛、悲しみ、怒りが必要だと言うわけです。これはさくたろう復活の魔法の正体を考えれば分かります。赤字により魔法でさくたろうを蘇らせられなかったのは確定しています。つまり、縁寿さんは量産品のさくたろうを真里亞さんに渡し、「魔法で蘇らせたんだよ」と嘘をついたわけです。ここでポイントなのは真里亞さんにとっての幸せは何なのかという部分で、量産品である真実を明かし、実は母の手作りではなかったんだという残酷な真実を伝えるのが良いのか、それとも嘘ではあっても、魔法で蘇らせたんだよ、と言った方がいいのか。縁寿さんが選択したのは後者でした。そしてこれこそが魔法なのだと言うわけです。つまりこの物語における魔法というのは「辛い真実を知っている人間が、相手を幸せにするために、真実ではなく、幻想で包み込んであげる事」と言えるでしょう。これが魔法の定義な訳です。キャンディーの魔法のシーンにおいては、魔法が手品だと暴かれてしまったケースですね。私がやったんですが。つまり、相手を幸せにするために包み込んだ幻想を排除し、真実を告げると相手はとても悲しむ事になりますよ、という出題者の主張があります。

この物語における魔法は根源に相手への思いやりがあります。戦人さんが最後のゲームを幻想で脚色し、嘘の86年を紡いだのも、この物語における魔法の定義に合致します。あのゲーム盤は魔法なのですね。嘘の86年ではあっても縁寿さんに幸せになってほしかったのでしょう。だから本当の真実を隠し、温かな幻想で包み込んだのが最後のゲーム盤な訳です。

この魔法の定義を考慮する場合、「ベアトリーチェさんの主張する魔女幻想は、誰を守っているのか?」という論点が発生します。魔法は辛い真実から、誰かを守るために使う幻想の魔法です。一見残虐な殺人事件の物語も、実は本当の六軒島の真実を、魔女幻想で包み込んでいるのです。六軒島の真相は第7のゲームの惨劇なのですから、当然それを知って辛い思いをするのは縁寿さんでしょう。つまり、ベアトリーチェさんは、縁寿さんを幻想で守っている事になります。では、現実世界階層で十八さんが紡ぐ偽書と呼ばれる物語には一体何が描かれているのか。これまでの論点を出題者の主張にそって解釈すると、魔法世界でのベアトリーチェさんと戦人さんの推理バトルや、ゲーム盤の魔女幻想、これがそのまま書かれているという事になるのではないですか。六軒島の真実は魔女の仕業なんだよ、という幻想で真実を隠蔽し、縁寿さんを守るための魔法が発動しているのなら、解釈としてそういう仮説が構築可能です。実際の現実世界では結局真相は分からずじまいで、魔女幻想だけが残ってしまったようですし。魔法を使うものはその裏の真実を知らなければなりません。辛い真実を知るからこそ、その辛い真実への怒り、悲しみ、相手への愛、それゆえに魔法の存在意義があるのです。

・縁寿と魔法
では、作家になった縁寿さんは、さくたろうの物語を書いていたようですが、幸せのカケラを見つける魔法の物語を書くには、裏にある真実を知らなければなりません。作家になった縁寿さんは、実は本当の真相を察しているのではないですか?確かに確定はしてないかもしれませんが、察しているのでしょう。だから魔法の裏を知り、表の幻想の温かさを知った。それが作家になった縁寿さんなのでしょうね。

・ミスリード
この作品は多くの悪質なミスリードがありますが、どうも観劇の階層から眺める物語を見ているとそれが、世界構造にも存在してるようですねぇ。例えばベアトリーチェさんのゲーム盤の犯人は紗音さんだと多くの人が思うでしょうが、実際はベアトリーチェさんが犯人なわけです。紗音さんは犯人ではありません。これは悪質なミスリードですが、世界構造についても悪質なミスリードが存在します。あの物語は意図的に階層を意識する作りになっていますね。ゲーム盤世界、メタ世界、のように。このような階層を考えるとある悪質なミスリードにはまってしまう可能性があります。98年世界を現実世界と錯覚してしまうのですよ。あぁ、階層と関係ない縁寿のいるこの世界は、現実世界なんだな、と。だからそのミスリードにハマってしまった結果「パラレルワールド説」なんていう説に行ってしまうわけです。98年世界も創作偽書世界ですよ。現実世界ではありません。これは第8のゲームで明確に情報提示されています。作品を細かく見ていくと、98年世界からメタ世界へ、またはメタ世界から98年世界に移動している場面が分かるはずです。まぁおまけに連鎖情報が結構ありますから、推理的に結論は絞り込み可能です。手品エンドの縁寿さんはゲーム盤世界のクイズの景品を何故か持っていましたね。98年世界のボートの上で。あの辺も提示された手掛かりでしょう。

・最悪の密室
最悪の密室じゃないですかこれは……あっはっはっは!!私は手加減されていたという訳ですか!!ロジックエラーの密室。あの密室は「紗音がベッドルームの下にいる」という解法が通用しない可能性があります。なぜならロジック差し替えが可能だからです。第6のゲームまでベアトリーチェさんという盤上の犯人としての駒の存在は、手掛かりが配置されているとはいえ、基本的に隠蔽されてきました。在島人数の赤字からは、普通ベアトリーチェさんが盤上に紛れ込んでいる可能性なんて思い浮かびませんし、そもそも幻想描写のトリックにより思考誘導されてます。つまり、普通にあのゲーム盤に挑むと、ベアトリーチェさんが人間として盤上にいる可能性なんか思い浮かばない訳です。その状態で、仮に私が紗音さんと嘉音さんが同一人物だったと気付いていたと仮定しましょう。嘉音さんが客室にいない。じゃあ当然私は紗音さんがいるんでしょう?と切り返す訳ですが、この時出題者であるベアトリーチェさんは「客室にはベアトリーチェがいる」というロジックに差し替え可能なのです。

最悪の密室ですよこれは。こんなものは解ける訳がありません。難易度ウルトラSと言っていいでしょう。そもそも私は第6のゲームの最後に提示された在島人数の2種類の赤字から、「カウント方法が2種類存在する」と気付いたわけです。私の推理のスタート地点はあの赤字からなのですよ?あのロジックエラー密室の論戦の時点では全く気付いてません。ベアトリーチェさんが盤上にいる可能性すら考えてませんでした。その状態でこのロジックに差し替えをされてしまうと、ハッキリ言ってもうこんなものは解けるわけがありません。無理です。解けるとしても根拠構築が極めて困難。つまりは、手加減されていたのです。難易度の低い謎を出してもらっていた。

あっはっはっはっはっはっはっは!!私が解けたのはヒントを貰ったからだとでも言いたい訳ですか!!ヒント無しでは解けなかっただろう、ざまぁみろと!!久々に本気でムカつきましたよ私。徹底的に暴いてやる。全てを徹底的に暴いてやる!!私を怒らせなければ、曖昧なままにしておいてあげたものを。

・お馬鹿さん
ベアトリーチェさんが盤上にいるっていう推理は、実は赤字で示唆されているんですよね。礼拝堂の密室論争でこういう赤字が出ます。「妾が真里亞に預けた封筒の中身は、確かに礼拝堂の鍵だった」妾って言っちゃいましたね。お馬鹿さんですねぇ!!

・私が我が主を大好きな理由
そうそう。推理とか関係のない話題なのですが、私が我が主を大好きな理由っていうのをまだ語って無かった気がします。第7のゲームで惨劇の物語を我が主が語ったと思うのですが、妙な事を口走っていた事に気付いたでしょうか。いや、妙という訳でもないのですが。257万8917の確率で理御もベアトリーチェも惨劇を避けられないと言っていたでしょう。純粋に不思議に思うのですが、魔女というのは人を嘲笑いたいためだけの理由で257万個ものカケラを探すものでしょうか。50個のカケラを紡ぐだけでも大変なのですよ?それが257万個って……私は思った訳です。これだけの膨大な量のカケラを確認していた我が主には、全く逆の思惑があったのではないか?と。ウィルも言っていたじゃないですか。「てめぇは神じゃねえ。てめぇにできるのは運命を嘲笑う事だけだ」と。そう。存在しない奇跡を嘲笑いたいのならそれは結構な事ですが……仮に救いたいと思ってしまった場合。奇跡が存在しないのならば、それはどうしようもありません。存在しないのですから。思った訳です。我が主はツンデレだと。物語で愛が無ければ真実は視えないとよく言われますが、まぁまさにこれだった訳ですね。だから我が主が私は大好きなんです。一つ、現実世界で奇跡と言っていい現象が起きてますよね。そう、メッセージボトルが拾われる、という奇跡が。あれはひょっとすると……ふふふ、想像するのは実に楽しいものです。ここはあえて真実を追求しません。そうかもしれないし、違うかもしれない。それでいいのですよ。真実なんて。探偵が追求するのはミステリーだけです。

・同一人物トリックの必然性
さて。ベアトリーチェさんの態度にイラッと来たので、根拠が多少ぼやっとしてるために曖昧だった推理をあえて語る事にしましょう。ベアトリーチェさんなんか存在しないんですよ、という推理を。この物語は、大きく分ければ2つの世界によって構成されています。いわゆる創作世界と現実世界。ヤスという少女、そして十八という人物が描く創作世界と、その創作物としての書物が実際に存在する現実世界です。ゲーム盤の世界というのは創作世界の物語になる訳ですが、では実際の現実世界で86年にヤスさんが事件を起こしたと仮定します。実際は事件前日に中断している訳ですが、そうではなく、事件が実行されたと仮定しましょう。ヤスという少女は一体どのようなトリックを使うのでしょう?

まず普通にぼんやりと想像すると、創作世界のような同一人物トリックが使われるんだろうなぁと思うでしょうが、現実世界で一人の人物が完璧な変装で別人を演じるなんてファンタジーが可能でしょうか?常識的に判断すると不可能です。あり得ません。では、ここで問題になるのは、ベアトリーチェさんはそもそもなぜ同一人物トリックを使用しているのか、という疑問です。彼女の目的は事件のトリックの嘘と犯人の正体から連想される「約束」を戦人さんに思い出してもらうのが目的であって、別人を演じたい訳ではないのですよ?その理由は、「昔紗音とかわした約束を、今はベアトリーチェさんが受け継いでいて、今戦人さんに恋をしているのはベアトリーチェさんである」という部分に気付いてもらうためです。考えてもみてください。戦人さんにとって約束とは紗音さんと交わしたものであって、ベアトリーチェさんとの約束ではありません。そして、戦人さんはベアトリーチェさんに「お前は一体誰だったんだ」と言っていましたね。つまり、戦人さんはベアトリーチェさんが紗音さんだなんて思ってない訳です。つまりベアトリーチェさんが戦人さんとの恋を叶えるためには、ベアトリーチェ=紗音だと気付いてもらう必要がある訳です。ここに気付く事で、初めて「昔紗音さんと交わした約束が今はベアトリーチェさんに受け継がれている」となる訳です。この手順を考える場合、ゲーム盤のどこかで戦人さんが論理的な思考の結果として同一人物トリックに気付かなくてはなりません。それは一体ゲーム盤のどこなのか?

恐らく連鎖密室と南條殺しでしょう。連鎖密室は同一人物トリックで解く事を想定しているはずです。そして、南條殺しではベアトリーチェさんが犯人な訳ですから、当然連鎖密室で死んだ紗音さんと嘉音さんの他にもう一人いいた、となるでしょう。ここのトリックを経て、紗音=ベアトリーチェとなる訳です。この構図が成立する事で紗音さんとの約束がベアトリーチェさんと連動し始める訳ですが、ハッキリ言ってややこしいです。もう一度言います。ややこしいです。

何でそんな手順を踏まないといけないのか。その根本的な原因は「創作世界で紗音嘉音ベアトリーチェの3名が別人として認識されてしまう」という設定にあります。これが根本的な原因であり、これがあるために、同一人物トリックは必須になっている訳です。じゃあ、現実世界で別に多重人格者ではなく、普通の女の子だと仮定すれば、別に同一人物トリックなんか使わなくていいんじゃないか?となりますよね。事件の核は何度も言いますが約束にあります。トリックの嘘と犯人の正体から約束が連想されればいいのです。事件で満たすべきはこれだけです。では戦人さんにとって約束をした人物、そして犯人の正体が「ヤス」という普通の少女だった場合、事件の中で同一人物トリックを使う必然性が完全に消失します。必要ありません。そしてこれは「現実世界で事件を実行する場合に極めて現実的、ミステリー的方向性で実行可能」です。ファンタジーが入り込みません。現実世界で完璧な変装を駆使して別人を演じる必要がないのです。

そのように考える時、さてベアトリーチェさんなんて魔女がいるでしょうか。ベアトリーチェさんというのは、ハッキリ言って「戦人への恋心の象徴」のようなものでしょう。現実世界のヤスの「戦人への思い」という考え方で問題がないように思えます。現実世界のヤスという普通の女の子の心の表現、つまり「譲治への恋心」「戦人への恋心」これが創作世界上で紗音、ベアトリーチェとして人格表現へと脚色されていると考えると凄くミステリー的にしっくりきます。ファンタジーを絡めずに解釈可能です。これは仮説にすぎませんが、このように考える場合、ベアトリーチェなんて人物は現実世界にいない可能性があります。いるのはただの一人の少女でしょう。ぷっ!ベアトリーチェさん現実にはいないんですって!!……………………なんでしょう。凄く空しいです。ロジックエラー密室で手加減された恨みが晴れるどころか、凄く空しくなりました。普通にビンタ一発させてくださいベアトリーチェさん。

・根拠不足な推理
それはそうと、こういう推理っていうのは結局根拠不足なんですよね。推理の過程を根拠でガッチリ固められていません。そのような推理は自分自身がもやっとしますので、本来他人に披露するようなものではないのですよね。今回はベアトリーチェさんにあまりにイラッと来たのでアレですけども。推理というのは根拠の有無が非常に大切ですけども、推理する本人がその根拠の構築具合を自覚する事は非常に大切でしょう。

・うみねこと議論の意味
この物語のように明確に唯一解に絞り込み不能な場合、これは端的に言って議論の意味合いが特殊になってきます。探偵同士が議論をぶつけあうのは大いに結構ですけど、論破しようだとか、相手を言い負かそう、などというのは何の意味もありません。なぜなら、言い負かした説が不正解な可能性を悪魔の証明により否定不能だからです。つまり、こういうケースでは推理の全責任を自分が負います。他人のせいに一切できません。正解を当てようが外れようが、その責任を全て自分が負います。ではそういう場合に議論に一体何の価値があるのか。相手を言い負かす、罵倒する、論破する、こんな事に一切意味はありません。意味があるのは推理の全責任を自分が負うという前提において、「自分が思いつかない未知の解法X」を知る事なのです。自分が思いつかない出題者の正解を、議論の相手が持ってるかもしれない。もちろんその情報の精査は自分の責任でやる訳ですが、自分が思いつかない解法を他人から得るのは何も恥ずかしい事ではありません。推理とは可能性の追求です。伏線、手掛かり、シーン読解。あらゆる要素を駆使して出題者に立ち向かいます。それでも、出題者の謎が解けない時がある。そんな時にこそ、議論が必要なのですね。最終的に全責任を自分が負う訳ですから、他人の説を吟味しなければいけません。自分の中の論理的思考の結果として、その説が正解であると思えたのなら、その思考の結果は既に自分の推理なのです。0から1は生み出せなかったかもしれない。しかし1を10には出来ます。

そのような事を続けていくと、いつの間にか他人の説が必要ないくらいの自信と推理力、なによりも自分の推理を信頼できるようになります。それが、探偵の、成長……なのでしょうね。私はそのようにして、全力で推理をし、出題者を殺しに行きます。ミステリーとは探偵と出題者の殺し合いです。全力で殺しに行きます。しかしそれは根底に信頼あっての事です。私の至った真相はさて、出題者に致命傷を負わせたのでしょうか。それとも無傷なのでしょうか。ふふふ。これがミステリーの醍醐味なのかもしれませんね。お互い勝ったと思っているのかもしれませんね。探偵にとって敵は出題者であって、同業者ではありませんよ。