・福音の家の黄金郷の縁寿
物語の最後に福音の家が出てきますよね。あそこで黄金郷が復活しますが、よく見ると縁寿さんいますよね。縁寿さん。しかも若い18歳の縁寿さん。黄金郷って死後の世界の概念ですから、戦人さんは「人格が死んだから黄金郷に行った」でいいですが、縁寿さんは別に死んで無いですよね。なのに黄金郷という死後の世界にいる。つまり、作家になった縁寿さんと、黄金郷にいた18歳の縁寿さんは別人である可能性があります。これは、世界構造に絡む推理なのですけど。EP4のエンドロールで縁寿さんは1998年に死亡と書かれていますね。六軒島で霞さんに殺されたのでしょう。だから黄金郷にいる。手品ルートの縁寿さんも結局あのあと霞さんに殺されるのではないですか?冒険に出た縁寿さんは最終的に六軒島で霞さんに絶対殺される。だから最後に黄金郷という死後の世界にいる。では作家になった縁寿さんは何なのか。作家になった縁寿さん以外の部分はすべて創作世界なのではないですか?現実世界がパラレルになっているのではなく。

・嘉音の死体問題
同一人物説について一つ思う事があるのですが、嘉音さんは死体がよく消えますよね。これはもちろん同一人物だから紗音さんが生き残ってる場合、嘉音さんの死体は消えるわけですが、前にも言いましたが、逆でもいいはずなんです。紗音さんの死体が消え、嘉音さんの死体が残る逆のケースです。基本的に嘉音さんの死体が残るケースでは南條が検視をし、触らせないんですよね。第一のゲームと第3のゲームなんかそうです。現場保存というもっともらしい理由で触らせなかったり、治療という理由で触らせなかったり。なぜ嘉音さんの死体は消えるのか。これは死体を調べさせないためじゃないでしょうか。仮に私が紗音さんと嘉音さんが同一人物なんじゃないかと疑っていると仮定します。そんな状況で嘉音さんの死体があったら、私当然調べますよ遺体を。だって、この物語は死んだふりという馬鹿の一つ覚えのような古典トリックを恥ずかしげもなく堂々とやる訳ですから、そりゃまぁ調べます。何なら嘉音さんのチンコまで調べますよ。……チンコ?あーっはっは!そういう事ですか!だから死体が消える訳ですか!!これは傑作です!!あーはっはっはっは!!性器を調べられ同一人物トリックが露見しないようにしてる訳ですか!!そりゃ死体を調べられただけで物語の根幹トリックが暴かれちゃったら馬鹿みたいですもんねぇ!!ただ死体を調べるだけで、古戸ヱリカには真相に至る事が可能です!いかがです?ベアトリーチェさん?今度探偵権限を使って無理やり調べましょうかね。

・縁寿がメッセージボトルに登場しない理由
安田紗代さんが書いたメッセージボトルですが、これに縁寿さんがいませんよね。彼女は親族会議当日に突然欠席してる訳で、その情報を事件前に書いたメッセージボトルに反映させる事は不可能です。なのに、縁寿さんがいない。これは何故でしょう。偶然一致したのかもしれませんし、縁寿さんのいない物語だけが拾われてしまったのかもしれません。縁寿さんの欠席を事件前に書いたメッセージボトルに反映させる事は不可能な訳ですから、結局の所縁寿さんがメッセージボトルにいない理由というのは、現実世界とは何の因果関係もありません。恐らく、これは紗代さんの根本的な事件計画の本質と関係してるのではないでしょうか。そもそもですね、事件に縁寿さんが絡むと一体どうなってしまうのか。第4のゲームで縁寿さんを殺害されてしまった戦人さんは一体どうなってしまったのかを思い出してください。怒り一色に染まってしまいましたね。つまりはそういう事なんでしょう。ベアトリーチェさんはあの時まで戦人さんと恋仲になりたいとひそかに思っていたはずです。確かに戦人さんは約束を忘れていましたが、しかし、可能性としてまだ「事件の真相に至った結果、約束を思いだす」が残っているのですから。しかし、そういうベアトリーチェさんの思惑が、縁寿さんの死によって吹き飛んでしまいました。あの時の戦人さんはベアトリーチェさんに対する怒りしかありません。恋がどうこうなんて論外でしょう。6歳の縁寿が実際の六軒島に仮に来たとしましょう。当然事件の中で殺される可能性が出てきます。基本的に真里亞さんでさえ残虐な殺し方はしないように彼女は配慮していますが、仮に縁寿さんにそういう配慮をしたとしても、死んでしまった時点でもう犯人に対する怒りしかないでしょう。

最悪、事件の真相に至った状態ですら、怒りが残ってるかもしれません。可愛い妹が殺害される訳ですからね。留弗夫と霧江が殺されるケースでも常識的な怒りの感情はもちろんあるでしょうが、縁寿さんの場合、逆鱗に触れるレベルでしょう。こういう事を想定していった場合、紗代さんにとって縁寿さんという存在は非常に相性が悪いのです。最悪の駒と言っていいでしょう。だから、意図的にメッセージボトルには登場させなかった。どうです、この仮説。これは仮説です。そう推理しただけで事実かどうかは分かりません。

・何ですか?パラレルワールド説って
第3のゲームを八城十八が書いた執筆動機の推理をしたかったのですが、そういえばまだ世界構造の推理自体をまったくしてませんでしたね。あのですね。世界構造でよくパラレルワールド説っていうのがあるじゃないですか。それもうファンタジーじゃないですか。何ですかパラレルワールドって。もう一度言います。何ですかパラレルワールドって。パラレルワールドを主張するのなら、世界がパラレルに分岐する論理的科学的理由を説明してください。それもなしに、パラレルしましたっていうのは、それはもう魔法を見ましたと言ってる事は同じですよ。現実世界はパラレルなんかしないんです。常識的に考えて。私が大っきらいな言葉があります。「そういうものなんだろうこの物語は」思考停止の代表格のような言葉ですが、同一人物説もこれで済ませる輩がいますからね。何で別人に見えるのか。そういう話だからだろう。そういうものなんだろう。そういうものって何ですか。推理放棄された方はどうぞご退場を。まず私は、こういう物語のような出題をされると凄くイラッと来る訳です。絶対に真相暴いて出題者をズッタズタにして「どうです?私の推理は?」と言ってやりたい訳です。だから全力で真相を暴きに行く訳ですが、推理放棄っていうのは、要は殴られ損じゃないですか。悔しいですよそれは。

・フェザリーヌの存在意味
最後のエピソードですが、最後フェザリーヌ様が何かを描き上げてましたよね。あれって何だと思いますか?私一応仮説を立ててるんですよね。そもそもです。フェザリーヌ様は一体どういう理由で登場しているのでしょう。私は「ロジックエラーを回避する役目として登場している」と思っているのですよ。このロジックエラーというのは「紗音嘉音同一人物説」についてです。観劇の階層からこの物語を見る場合、ゲーム盤世界を執筆しているヤス、十八という人物がいますよね。だから「作中作」を前提にする事で同一人物説のミステリー的説明が付く訳です。でもこれ、「作中現実世界階層」の視点から見る場合、執筆者が同階層の人物になってしまい、執筆者が消失します。仮に作中現実世界、作家縁寿さんがいる世界ですね。ちょうどいいので作家縁寿さんで考えますが、彼女がヤスのメッセージボトルを見た場合、紗音嘉音同一人物説はどういうロジックで成立する事になるのでしょう。縁寿さんにとってヤスは作中執筆者ではなく、同階層の人物なのですよ?この問題を解決するために出てきた人物。それがフェザリーヌ卿という作中執筆者なのではないでしょうか。彼女を執筆者に想定する事で、作家縁寿さんにとっても、紗音嘉音同一人物説がミステリー的に説明可能になるのです。という事は、フェザリーヌ様が最後に書きあげたのは、まさに今まで読んできたあの物語そのものなのでしょう。まぁ、「という設定」ってだけですけども。執筆者はあくまでもヤス、十八です。フェザリーヌ卿も所詮は創作世界のただのカタカナ6文字でしかありません。フェザリーヌ卿すら否定する!!それが私、古戸ヱリカです!!

・ミステリーに挑む場合は文脈を正確に読み取るべきです
ミステリーに挑む場合、文脈をしっかり把握する事が非常に大切な訳ですが、この物語で一つ観劇の階層で論争になっていた部分がありますね。「身元不明死体は一切なく、生存者も全員がアリバイがある!」第一のゲームの夏妃殺害に関する赤字ですが、これどう思いますか。生存者に全員アリバイがある。これを見て「犯人にもアリバイがあるじゃん!!」という推理が非常に多くされたわけです。つまり赤字不成立論争ですね。この部分を考えるのに凄くいい題材があります。連鎖密室で出た赤字ですが、「6人は即死であった!」という物がありますね。金蔵さんは病死ですけど、これは即死なんですか?と思うでしょう。そこでベアトリーチェさんはこう言うわけです。「まぁ、完全な意味での死亡には数秒、もしくは数分をかけたかもしれん。だがいずれにせよ、自らの意思で何かの行動を取る事は完全に不可能であった。その意味において、即死と断言できる!」分かりますか。言葉の定義を操作してる訳です。このような定義で考える場合においては即死である、と。では戻りまして、夏妃さん殺害の赤字ですが、この問題の赤字が出る以前に戦人さんが非常に重要な青字発言をなさってます。これです。

「犯人には、アリバイのない人間を想定する。それは死者だ! 最初の6人の死体の中には、顔面粉砕による身元不明死体が含まれる。これが実は偽装死体で、犠牲者のふりをして姿をくらました犯人Xが二人を殺したとの仮説は可能だ!」

戦人さんは青文字で死者を犯人だと想定しました。当然青は赤で反論する義務が発生します。そこでベアトリーチェさんは第一のゲームの嘉音さん殺害時にこう言う訳です。

「全ての生存者にアリバイがある! さらに死者も含めようぞ!! つまり、島の如何なる人間にも死者にも、嘉音は殺せなかった!」

これは文脈で見れば分かりやすいですが、戦人さんが死者を犯人だと想定して推理を組み立て、青文字発言をしているため、当然ベアトリーチェさんもその文脈で反論しているわけです。そして最終的に夏妃さん殺害の例の赤字が出ます。「身元不明死体は一切なく、生存者も全員がアリバイがある!」ですね。つまり、表向き殺害されたとしている人は「死者である犯人」となるわけです。当然第一の晩で死んだと思われている紗音さんも含まれます。つまり赤字は矛盾していないんですね。普通に成立しています。赤字だけをみると矛盾してるように錯覚しますが、こういう場合文脈をみないとミスリードにハマってしまうので注意が必要です。あらゆる手を使ってファンタジーだと思いこませにきますからね。探偵がこれに屈服するわけにはいきません。

・使用人が共犯者として殺人をするのはOKなのですか?
さらに!この赤字不成立論争を踏まえて、今度はこの赤字を見てみましょう。

「使用人が犯人であることを禁ずッ!!……ヴァンダイン二十則、第11則。」

ここで問題になるのは犯人という言葉です。犯人。なんともぼやっとした言葉です。犯人の定義がよく分かりませんね。赤字不成立論争を考えると、妙な定義で使っている可能性がある訳です。ひとつ。推測可能な赤字があります。これです。「朱志香負傷後。絵羽は常に戦人の監視下にあった。戦人は犯人でもなく共犯者でもない。よって、絵羽の完全なアリバイを証明できる」これは南條殺害に関する赤字ですが、注目ポイントは「犯人」という言葉と「共犯者」という言葉が使用されている点です。つまり、定義はどうあれ、犯人と共犯者という区分けがキッチリ存在する事が分かります。例えば、源次さん。彼は犯人なのか共犯者なのか。彼は使用人ですね。使用人である彼が仮に共犯者という定義になる場合、使用人が殺害を実行する事はOKなのかどうか。源次さんが定義として共犯者なのなら、この赤字には何の関係もなくなる訳です。使用人が共犯者である事を禁ず、ではない訳ですからね。そう考えると、事件中どうも源次さんが殺人を実行してるんじゃないかと思われる部分が存在します。

第2のゲームの南條熊沢殺害なんかそうですね。あそこ、解法としては真犯人であるベアトリーチェさんが殺害を実行する事も普通に可能なのですが、作中に提示された手掛かりがベアトリーチェさんを指し示していないように思うのですよね。逆に源次さんを示唆する手掛かりは提示されている。ここなんですよね。この物語で頭を抱えるのは。どっちなんですか!と。どっちが殺人を実行したんですか!!と。ちょっと屈服しそうになりましたよ私。基本的に私は、解法が2つ以上分散した状態は敗北だと考えてますので。絞り込めなかった時点で出題者の勝ち。そういうガチンコ勝負を挑んでます。まぁ答えとしては源次です。ベアトリーチェさんが実行すると考える場合、あの物語で描かれるエピソードを全て無視するというナンセンスな推理をするしかないですからね。源次さんは殺人を普通にやってるようですが、恐らく第4のゲームもかなり源次さんが活躍してると思うのですよね。第4のゲームは手掛かりが少なくて絞り込みが困難なのですけども。赤字も少ないですしね。

狂言の共犯者という意味ではなく、殺人を実行する方の共犯者は誰だろうと思って絞り込みをかけていく訳ですが、どうも源次さんしかいないっぽいなぁ、と。手掛かりが欲しいです。手掛かりのサービスはないんですか!何か杭がささっていない死体があったりしますよね。死体の近くに落ちてるだけという。ああいうのは恐らく、実際の殺害順序と違う事の示唆だと思う訳です。第3のゲームまでは杭で第~の晩と判別できましたし。しかし、そんな手掛かりでは何も推理は進みませんよ!私は誰が誰をどういう順番で殺したのか明確に特定したいのですが、どうも第4のゲームは無理っぽいですね。そもそもそういう事を求めてはいないゲームなのでしょう。分かってはいるのですが、それでも特定したいのが探偵のサガなのですね…顔をふっとばされてる死体と、穴があいてるだけの死体はどういう理由、区別でそうなっているんでしょう。凶器が異なるのでしょうか。例えば譲治は穴があいてるだけなのに、朱志香は顔が吹っ飛んでるんですよ。銃の種類や弾の種類が違うんでしょうが、問題はどういう理由で顔をふっ飛ばす人と、穴を開けるだけの人を選んでいるのか、その理由です。理由が分かりません。殺害を担当してる人物が違う、と考えるとそうなのかなとは思いますが、根拠がありません。完全に推理不能に陥りました。正直ここは屈服です。わかりません。

・ひぐらしのなく頃にと我が主
我が主はひぐらしというカケラでも活躍していたのですね。詩がステキです。あのカケラでは必死に奇跡のカケラを紡いで、見事に幸せな未来を勝ち取った。でも、次に訪れた世界は惨劇を回避できるカケラが存在しなかった。なにしろ257万個ものカケラを探して無かった訳ですから、その時の我が主の心中を想像すると、胸が張り裂けそうです……我が主はただのツンデレですから。悪ぶっちゃって可愛い!もうっ!!ぎゅっ!………………………………ビンタされました。無言で。

・ラムダデルタ卿も結構好きです
私は実はラムダデルタ卿も好きですよ。怒ってマジ切れしてる顔が凄く好きです。探偵の記憶力で脳に映像として記録してます。まぁ怒った時のラムダデルタ卿は何気にゲーム盤のヒントを語っちゃったりしますから、推理にも役立つのですよね。ベアトリーチェさんに言ってましたよね。「いつまでチャラけてんのよ。あんた勝つ気あんの?」って。あそこで、ははーん、と思いましたよ。ベアトリーチェさんは負けたいんだな、と。いや、負けるというのは意味合いがちょっと違いますか。ベアトリーチェさんは最初からずっと言ってますよね。戦人さんに魔女を認めてもらうのが目的と。そもそもですね、戦人さんに魔女を認めてもらうのが目的なのなら、別に魔女幻想で屈服させるだけが方法ではないんですよ。戦人さんが真相に至り、ベアトリーチェさんの心を理解した結果「ベアトを魔女と認める」と黄金の真実で言ってもらえばいいんですよ。そうすれば戦人さんもベアトリーチェさんも両方勝者になってお得です。真の目的はこれなのでしょうね。両者が勝利する事。それはまさに、奇跡なのでしょう。戦人さんはベアトリーチェさんの心を理解できる。ベアトリーチェさんも大好きな人に魔女だと認めてもらえる。素敵じゃないですか。私も我が主とそうなりたいです。

・情報格差という要素
カケラを見てて思ったのですが、どうも階層によって情報提示のされ方に偏りがあるようですね。これは……ふむ。観劇の階層では観劇の魔女に「八城十八である戦人」という情報が明かされます。作家縁寿さんが再会したお兄さんですね。しかしですね、観劇の階層の一つ下、作中現実世界階層においては、一般の人々にこの情報が与えられてないんです。観劇の階層から見ると、十八さんの情報を明かされる訳ですから、当然「今までの物語は戦人の記憶に基づいて書かれていたんだ」と判断する訳ですが、作中現実世界階層においては、マスコミの記者会見に幾子さんが「私が伊藤幾九郎です」と言って出てきただけなのですよ?つまり信用する根拠の提示として情報の格差が出てるわけです。例えば惨劇の真相が第7の物語で描かれますね。観劇の階層では、この十八の情報提示に基づいて真実なんだろうという推測が成り立ちますが、作中現実世界階層においては「幾子を信用するかどうか」という問題になってしまうわけです。六軒島の関係者でもないただの推理作家の書くフィクションを信用する訳がないじゃないですか。つまり、同じ惨劇の物語を見ても、前提となる情報格差によって信頼度が全然違うのです。例えばですね、私が3億円事件の真相だと言って物語を公開するとします。これ信用できますか?私が書いたんですよ。事件と何の関係もない私が。当然できませんよね。これを信用できるケースというのは「実はヱリカが事件関係者と知り合いだった」と判明した場合のみです。

・縁寿と伊藤幾九郎
では、縁寿さんはあの物語を一体どう見たのでしょう。縁寿さんは伊藤幾九郎の偽書をどう受け止めたのか。確かに右代宮家内部に関する詳細な情報から、何かしら思う所はあるでしょうが、結局それは推測です。結局の所、表向き作者として登場した幾子という女性を信用できるのかどうか、という問題になってくるのです。「真実を提示しても信用されない」という錯覚があの偽書には組み込まれてるのですね。これは悪質です。悪質ですよ!!六軒島の惨劇を十八がわざわざ公開するわけないという意見はあるでしょうが、そうではないのです。そもそも公開した所で信用されません。むしろ「伊藤幾九郎お前ちょっと調子乗りすぎなんじゃないの?」と罵倒が来るのではないですか。どうせ公開した所で信用されないようなものをわざわざ公開するのは何故なのか。それは偽書を読んでいる縁寿さんに悪意のある解釈を伝えるためです。霧江さんが縁寿さんを罵倒していましたね。全然好きじゃないわよあんなクソガキ。と。あれは要は悪意の解釈です。こういう悪意の解釈を提示された縁寿さんはどう思うでしょうか。当然信用しないでしょう。嫌悪感しかないんじゃないですか。

じゃあ、逆に愛ある解釈を提示されるとどうでしょう。第8のゲームのようなああいう温かな真相の解釈です。現実の縁寿さんのいる世界では悪意のある解釈が広まっていますね。留弗夫一家犯人説に、絵羽の陰謀説。こういう環境で育った縁寿さんは、愛ある解釈を提示されても素直に信じられないでしょう。つまり、愛ある解釈、悪意のある解釈どっちも縁寿さんは信用しない訳です。じゃあ一体何を提示されたら縁寿さんは信用するのでしょうか。おそらくそれは、絵羽が犯人だった、という真相でしょう。惨劇は起こったけど、自分の家族は全員被害者だった。そういう縁寿さんにとって都合のいい真実を実は求めているのです。しかし、現実問題として絵羽さんが犯人とは限りませんよ。違う解釈の真相が存在する可能性もある。結局縁寿さんは、悪意と愛の両方の解釈を知る事で、やっと気付くのですね。「私は今まで真実を求めていたのではなく、自分にとって都合のいい真実を求めていた」と。ここに至ってもらう事。これが十八さんの真意なのでしょう。ただ十八の情報を知るだけで、古戸ヱリカにはこの程度の推理が可能です。いかがです?皆さま方?

・暗号トリックと真里亞の署名
暗号。これは特定の情報を知る事で意味が分かるようになる訳ですが、ベアトリーチェさんのゲーム盤はある意味戦人さんに向けた暗号と言えます。暗号。キーとなるのは第3のゲームで描写された砂浜での紗音さんの発言な訳ですが……第一のゲームはメッセージボトルに入った物語です。この時点でこの暗号を解くためのキーは提示されてません。という事は、このメッセージボトルの本当の意味が分かるのは、元々暗号のキーを持っている戦人さんだけ、という事になる訳です。いわゆる約束ですね。一般の人々があのメッセージボトルを読んだ場合、トリックに口裏合わせが使われてる部分までは到達可能でしょうが、その先に隠された真意に気付く事は、暗号のキーがないので無理でしょう。本題はここではなく、ここからなのですが、このようないわゆる暗号のキーを知る人間にしか意味の分からない謎、という意味で一つ気になる部分があるのです。

それは安田紗代さんがメッセージボトルの最後に書いた真里亞さんの署名です。ずっと不思議だったんです。なぜ真里亞さんの署名を最後に入れたのか。理由がよく分かりませんでした。これも暗号なのではないでしょうか?世間ではこの真里亞さんの名前を使って様々な偽書が作られましたが、実際に書いていたのは真里亞さんではない訳です。これは「このメッセージボトルを書いたのは真里亞ではない」という真相を知る事ができる人間に向けたものなのではないでしょうか。真里亞さんをよく知ってる人間なら、このようなものを真里亞さんが書く訳がない、別人だ、と判断できるのではないでしょうか?推測の域を出ないので推理としてアレですが、何となくそんな気がします。右代宮家に関係した人間にだけ分かる暗号。そのための真里亞さんの署名。そういう事なのではないでしょうか。

・犯人内部の人格
第一のゲームですが、私は真犯人の動きが非常に気になるのですよね。第一の晩に紗音さんが死亡、第5の晩に嘉音さんが死亡、一応表向きはそういう事になって、最後夏妃さんを誰かが殺していますね。もちろん犯人はベアトリーチェさんなんでしょうが、彼女の肉体の内部で、紗音さんと嘉音さんはどうなっているのでしょう。それが非常に気になるのです。赤字による死亡宣言がないため、紗音さんと嘉音さんが一体どうなったのか分かりにくいわけですが、嘉音さんは妙な事を口走りましたね。紗音が僕より先に死んだら、僕はベアトのルーレットを台無しにしてやろうと思ってた、僕はベアトのルーレットのゼロなんだ!、と。ここを考えると、嘉音さんはおそらく肉体ごと自殺する事で、ベアトリーチェ人格自体を殺そうとしていたのだと推測できます。しかし、実際は返り打ちにあい、殺されてしまった。そういう事なんでしょうか。つまり肉体的にみると真犯人は最後まで生きてますけども、人格的には紗音さんと嘉音さんは物語通りに死んでいるのではないでしょうか。そう考えると嘉音さんの発言と整合性が取れます。真里亞さんがベアトリーチェが来たと言った部分とも整合性が取れる。ベアトリーチェさんは犯人ですけど、彼女は一応ゲーム盤上では人間でしょうけど、ベアトリーチェという存在は魔女な訳でしょう。犯人は魔女でした。これは、実はこの物語の根本的な部分に関係してるのではないですか。そう、現実世界の魔女幻想に。魔女幻想。最終的に六軒島の真相は幾子さんの日記披露パーティの中断によって、うやむやになっちゃったわけですよね。そういう詮索は不謹慎である、という空気によって。結果魔女幻想が残ってる訳です。六軒島の真相は魔女による犯行だった。そのようなイメージだけが残ってるんでしょう。しかし、実際は留弗夫と霧江が犯人だった訳で、結局この魔女幻想は魔法なんですね。さくたろう復活の魔法、キャンディーの魔法と同種で、縁寿さんを嘘で守ってるのでしょう。それが「犯人ベアトリーチェ」という存在意義なのでしょうね。

・紗代と紗音
紗音さん。彼女は作中で譲治に本名が紗代だと言いましたね。嘉音さんは嘉哉と名乗っている。彼女の現実世界での肉体的な性別が仮に女なのだとします。この場合、紗代、という名前は厳密に言うと何を指しているのでしょう。彼女は純粋に譲治という男が好きであるという区分けをされた紗音人格というものが存在します。惨劇の物語の4日に東屋で譲治に明確に宣言していましたね。私は譲治さんが好きだと。戦人さんの事は過去だと。この、譲治を好きである紗音人格は本名を紗代というわけです。しかし、現実世界で彼女が普通に女の子だった場合、こう言った区分けに関係なく、彼女は本名が紗代と言うのでしょう。つまり紗代という名称は統合的な意味合いでも、紗音に限定した意味合いでも使用されているのです。この紗代さんは自分の姿を魔女幻想で脚色し、ベアトリーチェとなるわけですよね。つまり統合的な意味合いでの存在である紗代さんの「戦人への思い」が別れ、戦人を愛するという目的を持たされたベアトリーチェという人物が出来上がります。

何が言いたいのかと言うと、紗代という名称の厳密な定義がよく分からないのですよね私。紗音さんの事でもあり、統合的な意味でもあり。恐らくは、あらゆる脚色を排除したとき、クレルのハラワタで「恋の出来ない体」と嘆いていた彼女が出てくる。この方が紗代、というのでしょう。こんな可能性は考えないのですけど、仮に彼女が現実では男だった場合、本名は嘉哉というのでしょうか。どこから来たんでしょうねこの嘉哉という名前は。

・漫画でトリックが明かされたですって!?
ベアトリーチェさんのゲーム盤の謎って、漫画で全て明かされたらしいですね。ウィルさんが普通に具体的トリックを第7のゲームで語ったそうですよ。私は「土は土に」とかいう、意味の分からない詩を聞かされただけなんですけど……第3のゲーム。第9の晩。使用人室前廊下で殺されし老医師。土は土に。幻想の魔女の刃は現実さえも貫く。どうですこれ。ウィルさんが放置しちゃったので、代わりに私が語りました。

・私と竜騎士07先生
まるでガーディアンのように執筆者を守る存在。推理とはそうありたいものです。それは、ぶん殴る気まんまんで推理してたら、相手が推理と関係ない部分で心が折れてたりして。ガチンコの殴り合いできなくなったこのイラつきはどうしましょう。まずは心を回復させてください。殴り合いはそれからです。あなたには、ミステリーで推理する探偵の恐怖をたっぷりと味わってもらわないと。第3のゲームが開催されるのを心待ちにしておりますよ。

・縁寿と98年階層
私は基本的に魔法世界にいたので、現実世界の物語はあまり知らなかったのですが、縁寿さんのいる98年世界というのは見てると結構謎が出題されてるじゃないですか。私の知らない所で謎を出すなんてズルイじゃないですか!!まず非常に気になるのが魔法ルートにいる縁寿さんなんですが、彼女ビルの屋上で心の整理をつけたような様子が描かれてますね。ミステリーにおいては、感情の推理、つまり人の心の推理は想像ではなく、論理によってされなければなりません。あの縁寿さんの心の解釈は非常に重要です。出題者の意図を考える場合、あの縁寿さんの至った境地というのは、何かしらの原因があるはずなのです。結果には必ず原因があるという名ゼリフがありますが、これは心の推理でも同様です。心理的整合性。これを突き詰めなければなりません。あの縁寿さんはビルの屋上で飛び降りるのをやめましたが、ルートとして六軒島の冒険をやらなかった縁寿さんになるのでしょう。では、彼女はどういう要因によって六軒島の事件を心の中で整理したのでしょう。心の整理が付いたという結果に対する原因の解明をしなければなりませんが、まず第一印象として最初に思い浮かぶのはこれでしょう。

ゲーム盤で兄に会って来たから。

これは世界構造をファンタジーで考えるケースで成立する訳ですが、そのような方向性ではなく、極めて現実的なミステリー的な原因を考える場合には、98年世界から86年の世界に行って兄に会って来たから、などという理由は受け入れがたいです。これは納得がいかない。ミステリー的に考える際には、おそらくこういう解法があり得るのでしょう。八城十八の描く物語をずっと読んでいて、六軒島の真相を追う事をやめようと思ったから。彼女の心理的な心の整理の要因で非常にポイントとなってるのは、言うまでもなく第8のゲームでしょう。最後のゲームで縁寿さんは心の整理をつけました。問題となるのは、「実際に体験したと考えるファンタジー解釈」を取るのか「そういう物語が描かれてる十八の偽書を読んだというミステリー解釈」の違いです。体験として全く同じものを経験したのだとしても、前者と後者では世界構造の考え方が根本的に違う訳です。この前者と後者ですが、非常に重要なポイントが一つ存在します。それは六軒島の猫箱の中身の情報を知ってるのか知らないのか、です。実際にゲーム盤で兄に会ってきたと考えるファンタジー世界構造解釈では、一なる真実の書を読んでいるため当然猫箱の中身を縁寿さんは知っています。しかし、偽書を読んでいたと考えるミステリー解釈については、物語の中で中身が明示されなかったため、縁寿さんは知らない事になる訳です。仮に描かれたとしても、今度は「それを描く伊藤幾九郎=記者会見に出てきた幾子を信用できるのか」という問題が出てきます。つまりですね、心理的整合性を追っていくと、真実をしっている縁寿さんと、知らない縁寿さんに解釈が分かれてしまうのです。

では、第8のゲームの最後の魔法と手品の選択ですが、縁寿さんにとって六軒島の真相を知る事は幸せな事でしょうか?両親が殺人犯だったという手品の中身を知るのが幸せなのか、それとも魔女の仕業だったんだよという魔女幻想である魔法を信じる事が幸せなのか。縁寿さんは真実に耐える力を持っているでしょうか。持っているかもしれません。しかし、持っていないかもしれない。安易に真相を知れば、もしかすると縁寿さんは自殺するかもしれません。きっと縁寿なら真相を知っても耐えてくれる強さがある、と勝手に思った結果、彼女を自殺させる最悪の結果が生まれるかもしれません。兄の記憶を持つ十八さんは、妹のために何をしてあげられたでしょうか。それは、悲しい六軒島の真相を猫箱に封じ、縁寿さんを惨劇の真相から守る事ではないでしょうか。真実なんて知る必要はありません。それが縁寿さんにとって害を成す真実ならばなおさら。クイズ大会で譲治と朱志香が言っていましたね。縁寿さんにとって大事な事は一体なんなのかをよく考えなさいと。縁寿さんを幸せにする情報、苦しめる情報、実はそれは自分で選択しているのです。どんな情報を選ぶのかは縁寿さん次第。でも、本当に縁寿さんが大切にしたいものがあるのなら、それは縁寿さんが自分でそれを守らなければなりません。真実を知らない縁寿さんと知っている縁寿さん。本当に大切にしたいものがあっても、残酷な真実はそれを全て壊してしまうのではないですか。真実の前に幻想は意味を成しません。真実を知らないからこそ、大切にできる思いというのがあります。それこそが、論理を突き詰めた先に導かれる、縁寿さんの心、なのですよ。ただ縁寿さんがビルから飛び降りるのをやめるだけで、そういう推理が可能です。